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1957-03-15 第26回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月十五日(金曜日)    午前十時二十五分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     苫米地義三君    理事            迫水 久常君            左藤 義詮君            堀木 鎌三君            安井  謙君            吉田 萬次君            天田 勝正君            中田 吉雄君            吉田 法晴君            森 八三一君    委員            石坂 豊一君            小林 武治君            小山邦太郎君            新谷寅三郎君            関根 久藏君            高橋進太郎君            土田國太郎君            苫米地英俊君            成田 一郎君            野本 品吉君            林田 正治君            一松 定吉君            前田佳都男君            内村 清次君            海野 三朗君            岡田 宗司君            栗山 良夫君            小林 孝平君            佐多 忠隆君            中村 正雄君            羽生 三七君            松浦 清一君            山田 節男君            湯山  勇君            加賀山之雄君            梶原 茂嘉君            田村 文吉君            豊田 雅孝君            千田  正君            八木 幸吉君   政府委員    大蔵省主計局長 森永貞一郎君   事務局側    常任委員会専門    員       正木 千冬君   公述人    国民経済研究協    会理事長    稲葉 秀三君    東京大学教授  武田 隆夫君    立教大学教授  藤田 武夫君    京都大学教授  桑原 正信君    東京都商工信用    金庫理事長   川端  巖君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和三十二年度一般会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十二年度特別会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十二年度政府関係予算内閣  提出衆議院送付)   —————————————
  2. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) ただいまから予算委員会公聴会を開きます。  委員長差しつかえございますので、しばらく私委員長を代行いたします。  開会に当りまして公述人の方に一言御挨拶申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。公聴会の議題は昭和三十二年度総予算でございます。大体三十分程度で御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、予算委員の方に申し上げます。公述人に対する質疑でございますが、これは稲葉秀三君及び武田隆夫君の公述が終ってから、両君に対して一括してお願いいたしたいと存じます。  それではこれより順次御意見をお述べ願います。国民経済研究協会理事長稲葉秀三君。  ちょっとお断りいたしますが、稻葉君がお急ぎでございますので、稻葉君公述が済みましたら、直ちに御質疑願います。
  3. 稲葉秀三

    公述人稲葉秀三君) 私、稲葉でございます。いろいろ昭和三十二年度予算案につきまして申し上げたい点もございますけれども、時間の関係もあって、それから専門的なそれぞれの分野については、ほかの公述人方々がおっしゃると思いますので、私はこれから一般経済情勢昭和三十二年度予算、こういう観点に重点をしぼりまして、総括的に私見を申し上げさしていただきたいと思うのであります。  まず、この一般経済情勢を観察いたしまする前に、この一般経済情勢に大きな影響を与えると考えられまする昭和三十二年度予算案性格というものを申し上げてみたいと思います。  まず第一に、この予算案は、昭和三十一年度当初予算に対しまして、一千億円強の歳出増加であります。そうして国民所得に対しまする比率は、一三・六%から一三・九%に上昇しております。これは三十一年度から三十二年度に対しまして、国民経済拡大をする、こういう前提においての比率であります。で、昭和三十一年度の補正分を加えますると、この率は下るということになるわけでありますけれども、補正予算のうちにはむしろ今後に歳出別果を発揮するというものもあると考えられまするので、だからその三十二年度は財政規模が小さくなると、こういうふうに簡単には言い切れないと思います。で、むしろ見方によりましては、実質的な昭和三十二年度の歳出予算面より増大するだろう、つまり経済に対する刺激要素はより高まる可能性があると、こういうふうに考えるのが合理的ではないかと思います。  それから次は、予算案国民経済に対する影響は、この一般会計予算案というだけではなくて、以下の要素を加味して考えなければならないと思うのであります。  その一つは、地方財政におきまして、一般会計重複分はございますけれども、約一千億円の増加が生じるだろうということであります。それからその二つといたしましては、財政投融資計画におきましても、約七百億円の追加があるということであります。その三つといたしましては、諸情勢を反映し特別会計あるいは政府関係機関でも歳出がふえる。しかもこの歳出増加の中には、一般経済に対する刺激要素のほかに、特に生産財産業に対する有効需要をもたらす要素も強い、こういったような点が考えられるということであります。これらの歳出増加をうまく受け入れて、そして経済安定を確保しながら拡大完全雇用への接近を可能ならしめる十分の経済条件ありやなしや、これが一番大きな問題で、日本経済はこれを受け入れて十分たえ得るがどうか、安定的な成長実現し得るかどうかということが私は問題だと思います。  次に、今度は日本経済全体の方から一つ御報告を申し上げてみたいと思います。つまり客体としての予算を受け入れるところの経済条件というものがどうなっているか、どういうふうに私が考えるかということを申し上げてみたいと思います。  まず第一に、今度の予算につきまする政府編成方針、それからさらにこの予算説明資料の中から摘記いたしまするところの予算案前提となるところの諸条件及び基本方針、これからうかがえますることは、いわゆる政府が次のように日本経済の確保並びに現状から将来を考えているということであります。  その一つ日本経済は過去二年にわたって生産、貿易、雇用の各分野で目ざましい発展を遂げている、しかしさらに完全雇用生活水準の向上を目ざして、インフレを避けつつ産業水準上昇国民経済全般にわたるところの均衡のとれた発展をするということが必要である。またこのことは十分可能であると信じているという点であります。  それからその二つは、もう少しこの点を詳細に申し上げますと、まあ説明資料あるいはその他から政府側見解として言われておりまするものは、三十一年度は、国民所得は三十年度に比べて一二%上昇したということになっている、そして鉱工業生産は同じく二一%の上昇を示している、輸出伸びている、そして国際収支は黒字である、物価基調は安定をしている、しかしより安定と拡大実現をするためには、著しい拡大の結果、現在電力とか輸送力とか鉄鋼等に、経済拡大に即し得ない隘路が生じつつあるので、健全性の範囲で積極策をとっていかねばならない。またそのことは十分できるし、また今度の予算案というものはそういったようなことをねらいにしているということであります。  このように政府側見解昭和三十一年度並びに三十二年度、まあ三十二年度につきましてはあとで申し上げたいと思いますけれども、経済分析並びに把握につきまして非常に楽観的であります。私はこれに全的に反対というわけではございませんが、私もここで皆様方に申し上げたいのは、私は必ずしもこの見解に全的には同調しかねるということであります。  まず、昭和三十年と三十一年の経済を比べますると、それは昭和三十年も昭和三十一年も引き続いて経済好転をしているということは否定できません。しかしその内部のあり方は相当変りつつあるのではないかと、こういうふうに感ずるのであります。で、経済企画庁を中心にするところの政府側資料を借りまして、この点を申し上げますると、デフレ政策の結果もございまして、昭和三十年には輸出増加に対応して、これからくる有効需要増加と、それからその波及効果を十分効果的に受け入れるだけの全体としての経済条件日本経済にはあったのだと思います。昭和三十年度におきましては、輸出は前年度に対しまして三〇%の増加であります。それから投資はまだこの時分にはそう積極的ではなかったのでございました。それから国民消費上昇度合いは六・九%、こういうふうに言われております。そして生産財消費財部門を通じまして、十分これを受納し得るだけの経済条件があった、そして鉱工業生産は一二・五%伸びた、また食糧は未曾有の好況に達した、それからくるところのこの所得効果というものがすぐに全面的に、いわゆる他の物資需要を喚起する、こういうことにはならなかった、だから貯蓄が増大をした、かくして卸売物価消費者物価も割合健全な形で、いわゆる経済拡大実現した、つまり卸売物価消費者物価もやや下った、こういったような形の経済拡大実現したと思うのであります。これは文字通り安定と数量景気のいわゆる条件であったと、こういうふうに言えることができると思います。  ところが大ざっぱに申し上げますると、昭和三十一年度では同じく経済拡大ではございまするけれども、相当大きな内部的な変化が生じております。元来経済はこの有効需要増大対処をいたしまして、供給がいかに適応するかどうか、ここに大きな山がある、また役割がある、またそれからくるところの様相の変化か問題だと思うのでありますけれども、この需要面変化を見ますると、第一点といたしまして昭和三十一年度の経済におきましては、経済好転とその長期化を予想いたしまして、投資拡大が積極化してきた、こういう点がはっきりうかがえます。特に後半期におきまして、そういう条件がはっきりうかがえる、そして設備投資は、昭和三十年度、前年度五・七%増加に対しまして三八・五%と拡大をいたしております。  それから第二点として申し上げたい点は、三十一年度の経済指導力投資活動にあると言われております。いわゆる投資景気だと言われているのであります。けれども注意をすべき点は、ただ単に投資拡大だけが経済上昇のてこではなかったということであります。この部面からの需要増加が見られたということは事実でございますけれども、そのほかの部面におきましても、相当需要増加実現をしているのであります。たとえば輸出もさらに上昇をいたしております、住宅建設も前年度二〇%の増加に対して三〇%弱の増加になっております。また国民消費増加も、いわゆる前年度の六・九%に対しましてさらに九・四%上昇をする、こういう形になっております。だからもう少し厳密に申し上げますると、投資増大をしたけれども、消費輸出もその他全般経済需要拡大実現をした年であると、こういうふうに考えるのが合理的ではないかと思うのであります。  その第三点といたしましては、経済拡大するためには需要増加が必要である。これは決して悲しむべきことではございませんが、それに応じ得るだけの生産もしくは輸入その他全体としての供給力があるかないか。ここがやはり大きな問題点であるということであります。昭和三十一年度において全体的に見られますことは、この有効需要増加対処をして全体としての供給力の増があったということであります。すなわち鉱工業生産は対前年度二一%、これは推定でございますけれども、その程度伸びを示しております。また輸入も三五%以上の伸びを示しております。食糧生産はやや前年度に比べまして減少をしたと考えられますけれども、依然としていわゆる好況の年であった、豊年の年であった。だからそれほどマイナスではなかった、こういうふうに考えられます。つまり総需要と総供給力との差、この差からインフレとか物価騰貴とか、あるいは間接には国際収支に対するマイナスとか、こういったものが出てくると思うのでございますけれども、そういったような点はまあ全然なかったとは言えないけれども、全体としては権衡をとっておったとこういうふうに言ってもいいのではないかと思うのであります。  しかし私が昭和三十一年度の経済、あるいは自然に推移をするだろうとした場合の三十二年度経済について言い得ることは、全体としてのバランスのほかに局部的ないわゆる需要供給の不均衡というものがすでに昭和三十一年度において生じかけているのではないかということであります。で、局部的な不均衡つまり供給力に対しまするところの需要増加、こういったような点は、たとえば三十一年度につきましては、生産財部面におもに生じてくるということは無視することができないと思うのでございます。そして、そこからたとえば鉄が上るとか、あるいは動力がもっと大きくその需要度を生じてくるとか、輸送力の問題を生じてくるとか、あるいは物価が全体としては安定をしておると言いましても、いわゆる消費財物価は安定をしている、中には下落をしているものもあるかもしれませんけれども、生産財物価というものにつきましては一五%あるいは二〇%も騰貴をしている。そうして全体としての昭和三十一年度におきまするところの日本卸売物価騰貴率は八ないし一〇%に及び、この騰貴傾向は実に文明国の間では世界一でちった、こういったようなことも言い得られると思うのであります。  そこで現在までの経済情勢分析について結論的に言えることは、私は三十二年度の日本経済に対しまして要請をされるところの基本条件、いわゆる国民経済上の経済論理と申しますか、こういったものはすでに生じているところの部分的な不均衡を短期並びに長期においていかに是正をしていくか、そして均衡のある形でより拡大された経済、また拡大を可能ならしめる条件財政並びに金融部面から誘導していくことでなければならないと思います。そして今度の予算編成方針あるいはその他の前提、こういったようなところにおきましては、そういったような点が強調されております。私は少くともそういったような基本的な考え方には同意をいたします。しかし基本的な考え方同意をするということと現実に組まれた予算案というものと、また今後の政府財政金融政策がそれを裏書きしているかどうかということとは、必ずしも同じではない、こういうふうに感じるのであります。  そこで今度は昭和三十二年度の経済とこの予算という点について若干の私見を申し上げてみたいと思います。  まず一番初めに私が申し上げました三十二年度予算性格日本経済の最近の姿を比べながら、今年度の経済びに予算の与える経済効果を考えて並ましょう。  第一に予算並びに地方財政あるいは財政投融資その他からの経済刺激要素は高くなる、この昭和三十二年度予算均衡財政であるということは言えるということであります。もっともそれがほんとう均衡財政になるかどうかということは、今後の補正予算の問題とかあるいはいろいろなことがございますから、その最後までいい得るかどうかわかりませんけれども、しかしとにかく均衡財政観点で作られた予算であるということは認めてもいいだろうと思います。しかし均衡財政であればインフレにならないかということは問題であると思います。私は均衡財政というものの確立を支持いたします。しかしこの均衡財政あり方は当面の経済条件あるいは経済情勢というものをよくよく見きわめたものでなければならないし、また民間経済活動バランスのとれたものでなければならないし、またいわゆる金の面と物的条件とを十分勘案したものでなければならないと、こういうふうに思います。  そこでまず客体としての昭和三十二年度経済の展望について申し上げますと、政府側見解では、鉱工業生産上昇率は割合恵まれた条件のもとで昭和三十二年度は前年度に対しまして一二・五%の増加だといっております。今まで政府の予定しておりましたいわゆる鉱工業生産計画あるいは見通しよりも、実績はいつも大幅に伸びているといえるのであります。では三十二年度について、そういったようなことが可能であるかどうか、特に隘路といわれておりますところのこの生産財部面において可能であるかどうかということが問題でございまして、この点は私も民間産業界方々とか、あるいは通産省や経済企画庁でこういう計画見通しをやっておられます人々にもお会いして、いろいろその見解を聞いて参ったわけでありますけれども、一応私が確めた限りにおきましては、元来政府側見通しは今までは低過ぎた。しかし三十二年度の鉱工業生産というものに対しては、今までのやり方とは違って、いわゆる設備とか原料とかそういったようなものが割合恵まれた条件のもとにおいてこうなるだろう、こういったような推定からきているといえるのであります。  次に、国民所得上昇率も前年度の一二%の上昇に対しまして七・五%増、こういうことになっております。またこの隘路といわれておりますところの部面物資供給力というものを勘案いたしますと、電力は一三・二%の増加が一一・七%、これはまだよいと思いますけれども、鋼材は前年度の二二%がこの三十二年度におきましては七・〇%の増加、また国鉄の輸送力は前年の八・八%増加が、いわゆる三十二年度におきましては六・五%、こういうふうに上昇率鈍化をする、こういうふうにいわれておるのであります。  で、投資は、民間投資部面におきましても、財政投資部面におきましても、相当拡大をするということは事実であります。また、それをしていかなければならないし、特にこの隘路産業といわれる部面におきましては、やはり投資拡大が必要だと思います。ですけれども、時間的なズレあるいは全体の経済成長度その他からいたしまして、やはり日本経済全体の成長度が、いわゆる昭和三十年あるいは三十一年度のように伸びていかないだろう、伸びてはいくだろうけれども、鈍化をするだろう、こういったようなことがいわゆる前提として考えられているわけであります。  次に、総需要の面を考えますると、政府側見解では国民消費は、三十二年度においては七・五%、投資伸びは、前年度に対しまして、半分の一五%増、住宅建設も、いわゆる政府側住宅伸びるけれども、全体の民間住宅というものの伸びは、三十二年度は、三十一年度に比べて半分強に減るだろう、だから総供給も減るけれども、総需要の方も伸びが減ってくる。その結果、財政財政投融資にもかかわらず、需要供給バランスをし、やや局部的な不均衝も生じるかもしれないけれども、この部面については、輸入による調整が可能であろう、だから財政拡大にたえられて、いわゆる全体としての経済均衡、あるいは部分的な経済均衡は成立するだろうと、こういういわゆる見通しに立っているのではないかと考えられるのであります。それであれば、日本経済におきまして、いわゆる成長鈍化はするだろうけれども、安定的な成長実現をするだろうということは事実でありまするし、またわれわれは、いわゆる次の段階におきまするところの拡大にもたえられるだろうと思うのであります。  ところが、必ずしも現実はこのようにはうまくいきそうにもない、こういうふうに考えられる諸部面が起っているということであります。  まず、私の指摘をしたい点は、投資拡大傾向は、もっともっと強いだろうと考えられます。また、自然にこの投資拡大傾向というものを放任をしておきますると、それがずっと先になれば鈍化をするかもしれないけれども、重点的な投資が進行して、ほかの部面はひっこんで、そして全体としてのいわゆる投資がこの隘路産業に集中をして、そして投資全体の伸び鈍化をしながら次の拡大にたえられると、こういうことにはきわめてなりにくい、こういうふうに考えられます。  次に、景気循環ズレは、消費拡大に表われるだろうと考えられます。御存じのように、今後景気成長鈍化をいたしましても、いわゆる今までの経済成長と、あるいは所得増加と、それに基くところの消費拡大というものが、必ずしも均衡していなかった。元来好景気長期化いたしますると、先になりまして、いわゆる所得が上る、消費が上るという傾向が強くなりまするし、おまけに、昭和三十二年度の場合におきましては、減税計画というものも実行されるわけでありまするから、必ずしも政府側の考えまするように、昭和三十一年度は、前年度に対しまして九%強の消費水準上昇だけれども、昭和三十二年度は、前年度に対しまして七・五%増加にとどまるだろうと、こういうふうには考えられにくいということであります。  もう一つ指摘をいたしたい点は、最近のいわゆるヨーロッパ及びアメリカにおきまする傾向でございまして、私も、昨年アメリカヨーロッパに行きまして、感じさせられたのでありますけれども、あのような、相当いわゆる経済が近代化し、そして生産力が相当高い、こういったような国におきましても、好景気が二年以上続きますると、投資拡大傾向というものが全般化する。で、アメリカでも西ヨーロッパでも、別に投資拡大そのものに異議があるわけではないけれども、拡大からくるところのいわゆる資金需要増加、全体的な物価に与える影響、特に生産財部門需要供給隘路、こういったようなことに対しまして、これを放置をしますと、先にいわゆる経済の安定が阻害をされる。こういったようなことから、いわゆる金融政策をよりシビヤにして、たとえば高金利政策をとっていく、あるいはその他の措置をとって、金融の引締めをしていこう、また政府財政計繭におきましては、やや緊縮方針をとっていく。それで、物と金の民間活動へのいわゆる余力を与えていこう、こういったような意図で、細く長く経済の安定というものを実現をしている。  なるほど、私は同じ条件がこの日本にそのまま当てはまるとは思いませんけれども、こういうふうに、三十二年度の経済というものを楽観的に考えるということは、今私が申し上げました全体の経済の中にうかがえまする不均衡的な条件、こういうものから考ますると、私は必ずしも政府側見通し、あるいは計画というものに同意が表明しかねるのであります。財政拡大というときには、このような、いわゆる経済条件が現在表われている。また、当面そういったような点がより強く表われているというふうに私は感じるのでありますけれども、この拡大ということにつきましては、少くとも当面の期間につきまして、よほど慎重でなければならないと思います。また、安定や均衡ある発展ということをほんとうに考えるとするならば、私は組み方や出し方というものは、純国民経済的な論理に従えば、少くとも今度の予算の場合においては、やや過大であり放漫であり過ぎると、こういうふうに考えるのであります。できるなれば、そういったような点について、ほんとうバランスのある予算、あるいは財政支出というものを一般会計予算地方財政、また財政投融資というものについて御勘案を願いたいのでございますけれども、しかし、どうしてもこの予算を実行して、しかも、できるだけそれから起ってくるマイナス効果を避けながら経済拡大を実行していこうという観点に立つとするならば、私は、これと並行いたしまして、金融並びに金融を通じての民間経済活動をある程度アジャストしていくということは、どうしても三十二年度予算の場合においては必要であるということ、また、今度は、財政の時期的な出し方というものにつきまして、政府当局は三十三年度の場合においては、三十一年度以上に慎重でなければならないと思うのであります。経済拡大をしなければならない、また拡大をするためには、財政投資も、また財政消費もふやしていかなければならない、こういう点はよくわかります。また、今度は財政が健康であれば民間経済活動も、貯蓄の範囲においていわゆる貸し出しをするという程度にこれをとどめるならば、うまくバランスのとれた発展が可能ではないか、こういったようなことも全然わからないわけではございませんけれども、少くとも昭和三十年度・三十一年度に現われました経済の実情から申しますると、これをいわゆるそのまま安易に実行していくということはなかなかむずかしいだろうと思います。で、いろいろそれについて申し上げたい点もございますけれども、たとえば、昭和三十一年度予算の場合、政府財政が、国庫対民間の収支がやや揚げ超でありながら、それで通貨発行高が国民所得増加率を実質的に上回ったのは一体何であるか。それはなるほど、政府財政が揚げ超であれば、中央銀行の貸し出しが増加が起るということは必定でありましょうけれども、ある程度私は財政が引き揚げ超過でありながら、全体の経済拡大し、また、われわれの予想以上にいわゆる中央銀行からの信用創造が行われたのは何であるかと申しますと、結局、簡単に申せば、民間経済活動がより大幅になったということであります。このより大幅になった民間経済活動を今度は中立的な均衡予算で、しかもその大幅に支出を裏づけをしてやっていくとする場合において、貸し出しの範囲でお前たちはやればいいじゃないかといっても、今まで設備拡大をしていったということは、そうすぐ引っ込めるというわけにいかない。また、民間経済活動民間経済活動の必然的なあり方においてやっていく。それはあとで申し上げまするように、若干世界経済そのものの変化というものが予想されるのでありますから、それは先になれば民間経済活動もアジャストされるだろうと思いますけれども、少くとも当面の期間につきましてはいわゆる非常な金融逼迫というものが起ってくる。貯蓄の増加にもかかわらず、いわゆる金融逼迫が起ってくるということは必然だし、またこの予算案は、そういったような点をより大きくせしめる可能性がないとは言えないと思うのであります。この点につきまして、私は国民経済の総合バランスの上で、ぜひとも皆様方に慎重な御配慮を要請をいたしたいと思います。  最後にもう一つ申し上げたい点は、最近におきますところの世界経済の停滞、鈍化傾向というものが、当初いわゆる予想されましたよりも、より強い形において起ってくる。私は決して世界の経済が不況になるとか、あるいはリセッション的な傾向が生ずるとは考えないのでありますけれども、やや予想よりも世界の経済におきましては警戒をすべき条件が起っている。従ってわれわれは、できるだけ物価騰貴を戒め、また輸出振興を可能ならしめるような、つまり国際経済競争がより激化をしなければならない、こういう情勢にも際会をして、これを達成し得るような予算あるいは金融政策産業政策を確立をするということがいわゆる望まれるということであります。  そのほかいろいろ申し上げたいこともございますが、私は終りに、参議院で予算を御審議になる皆様方に申し上げたい二つ、三つの点を一つこの際申し上げさしていただきたいと思うのであります。やや言い過ぎた発言になるかもしれませんけれども、私は、現在並びに今後の経済情勢を見まして、よりよけいに財政政策と金融政策の総合的な運営が必要だということを強調させていただきたいのであります。少くとも当面の期間が、日本経済の安定と拡大にとって、そのかじの取り方いかんが非常に大きな影響を与えるところの時代だと思います。私は必ずしも昭和二十八年の二の舞になるとは思いませんけれども、やや警戒的ではありましても、二の舞になるかもしれない、またならないようにするにはどうしたらいいかといったような点を御配慮になっていただきたい。  それから第二に、現在並びに今後の情勢を見ますると、私は今度の予算に現われたところの政府側考え方、あるいは与党側の考え方は、少くとも全体の国民経済的な論理、あるいは各国におきますところの経済運営の一般的な形から申しますと、やや型破り的な行き方だと思うのであります。  第三に、次に申し上げなければならない点は、予算編成方針についてでございますけれども、この予算編成方針には、日本経済拡大をしてきた、また今後も拡大をしなければならない。従ってある程度予算を大きくして、他方において減税をしながら、経済拡大の上において財政投融資を大きてしていかなければならない、こういり考え方に立っておられるということであります。なるほど減税をしていただくということはけっこうでありますけれども、私はこの政府側の言い分につきましては、事実の上で次のような訂正をお願いいたしたいと思います。まず、地方財政をも含めまして、昭和三十二年度におきますところの国民一人の財政負担額でございますけれども、大体、大蔵省の国の財政によりますと、昭和三十一年度におきましては、国税、地方税をあわせまして、国民一人当りの税負担額は一万五千七十円ということになっております。なるほど、昭和三十二年度におきましては減税の恩典に浴します。しかし、実質的に昭和三十二年度で国税、地方税、直接税、間接税を含めて、国民一人当りが政府と地方団体に差し出すところの税金額はおよそ一万七千円、これは昭和十年ごろの、名目的には六百倍、実質的には二倍ということになるだろうと思います。人口増加を考えますと、政府と地方団体に入ります税金の実額は二・八倍、約三倍、その程度になるだろうと思います。それではこういったような実質的な増加分が、果して財政面においてどの程度経済の安定にあるいは拡大に振り当てられたかと申しますと、私はなるほど、道路費が二百億円増加した、港湾経費が三十億円増加をした、また社会保障費や文教費が増大したということは認めますけれども、主として経済拡大に支出をされた部分は、実は国民の税負担額からではなくて、財政投融資によって裏づけをされているということであります。実質的に地方と国を通じまして国民負担の増加は、三十二年度におきましては約二千億円ということになるだろうと思います。この二千億円がどのような用途に使われているかということをお考え下されば、私はよくおわかりになるのではないかと思います。従って、実は国民の貯蓄に裏づけられた主として財政投融資によりまして、開発銀行を通じていろいろ出資が行われたり、中小企業に対しまして、いろいろ貸し出しが増加されたり、こういったようなことが主軸になっている。従って私は、その経済を大きくしなければならないから、実質的にこの税金負担を増加しろという政府側論理、与党側の論理は必ずしも全面的に承認できない、こういうふうに考えるわけであります。  で、いろいろほかに申し上げたい点もございますけれども、願わくば私は、やはり日本経済成長し安定をする、こういう総体的な角度に立って、しかも純経済論理的に、いわゆるよりプラスになるように一つ予算の審議を参議院でお願いをしたい、こういうふうに感ずるわけであります。国民を代表していろいろ御苦労になっているという点はよくわかるわけでありますけれども、とかく今までの国会の予算審議が、局部的な問題に集中をし過ぎておったという点もございますので、できればいわゆる総体的に日本経済のかじの取り方、このかじの取り方と関連をして、国民の税負担がどういうふうにプラスになり得るかという点を、特に参議院では御注意を賜わりまして、御審議賜わらんことを、私は国民の一人としてお願いを申し上げたいのであります。(拍手)
  4. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) ありがとうございました。稲葉さんに御質疑の方はございませんか。
  5. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ちょっと一つだけ……。三十二年度の物価の趨勢をどういうふうにお考えになるか、ちょっとお触れになりましたが、もう少しその点をはっきり御説明を願いたいと思うのですと。いうのは、政府計画によりますと、三十一年度は卸売物価が六〇%上っておる、それからCPIが一・二%上っておる、それに比べて三十二年度は、見通しとして、卸売物価が二・六%、CPIが〇・四%の騰貴にとどまるであろう、あるいはそこにとどめなければならないという計画になっておるのですが、今までのお話によると、なかなかそんなものではなく、昨年度の物価騰貴よりも高いものが現われてくるだろうというようなことになるのじゃないかと思いますが、その辺をどういうふうにお考えになりますか。
  6. 稲葉秀三

    公述人稲葉秀三君) 政府が、あるいは経済企画庁と申しますか、経済企画庁昭和三十二年度に対しまする物価見通しは、三十一年度基準よりもやや上るという形になっておりますけれども、実は大体この数字の分析を申し上げますと、三十一年の十—十二月の水準昭和三十二年度を通じて全面的に支配をするだろう。十—十二月の水準が三十一年度の平均に対してやや上っているということなんで、十—十二月以降の水準が横ばいになるということは、つまり全体としての生産財消費財を通じる卸売物価、また消費者物価は三十二年を通じて、全年を通じて安定するだろうということに見ているわけであります。その安定の基礎はなるほど国民経済成長度鈍化するけれども、需要面鈍化もある、重要産業投資財政投資増大するけれども、他方では平和産業、中小企業面においては投資マイナスになる、こういうことにおいて、全体としての投資景気はそれほど刺激的ではないという見解によるだろうと思います。ところで私の見通しも、いわゆる全体としての総需要と総供給力は、それほど大幅ではないけれども、ここで何か財政金融上の抑制措置をとらないといたしますと、全年を通じてやや需要超過の傾向になるだろう。しかしそれはそれほど大幅なものではない。しかし今後におきましても、いろいろの部面において予算の補正をしたり金融上のいろいろな措置をとるということもあり得るというので、その場合は例外でありますけれども、一応今度の予算案地方財政及び財政投融資その他を考えましても、やや需要超過になり、全体的な生産財消費財を通じる物価上昇はあり得るだろう。さらに今までの物価の動きを見ますると、もう佐多さんは十分専門家ですからおわかりになっていると思いますけれども、つまり生産財物価が上って消費財物価が横ばいないし停滞の傾向になる、消費財の中には下るかもしれないといったようなものも予想されるという傾向がある。これに対してどういう見通しかと言われますると、私はややそういう傾向拡大をしていく可能性が十分にある。それから第三に、物価の場合において注意をしなければならない点は、いわゆる国際物価の動向についてややこのごろ違った条件が出だしてきたということであります。これも先のことですからよくわかりません。しかしある程度いわゆる日本と違った現象がすでに国際的に出ているということは事実です。たとえば非鉄金属は去年の暮からことしの初めにかけて非常に上ったのですけれども、もはや非鉄金属の国際相場は軟調であります。国内もそういう傾向を示しております。鉄はなるほど日本はまだ強調です。しかし国際的にはやや鉄の先行きというものも軟調になる。それからスエズがある程度予想よりも早く回復してきたということで、ヨーロッパ経済正常化がより早くなり、そうしてインフレとデフレとその両方が出ていく経済が起り、そうしてその結果、国際物価上昇は、ことしは大幅ではあるまい、それどころか逆に、反対に下るかもしれないといったような条件だ。そういたしますると、かりに騰貴の幅が少いといたしましても、国際物価との乖離というものが起ってくる、こういったような点が注目されなければならぬ、もう一つ問題は、実は私は、国内の金融政策が果して均衡財政にタイアップした限りにおいて、健全金融の線で締めれるかどうかということが問題であります。私は、いろいろ矛盾はありますけれども、ぜひ締めをしていただきたい。先になって条件がよければ、ゆるめるということにこしたことはございませんけれども、そういったようなことをしていただきたいと考えております。しかし公定歩合を引き上げれば、支払い準備率を適用すれば、経済は簡単に政府の考えているようにいくのだというふうなことは、なかなか通りにくいことでございまして、この点はやはり相当何べんも措置をとるとか、弾力的にやるとか、そういういろいろなことをやっていただかなければなりません。その点につきましても、見通しといたしまして若干不安の問題があると、こういうふうに申し上げます。  だから、むしろ私の意見では、昭和三十二年度よりも昭和三十三年度の日本経済の方が問題ではないか。できれば三十三年度予算を一体、参議院はどういうふうなつもりでお作りになるのかということまで考えた一つ予算審議というものをぜひお願いをいたしたいと思います。
  7. 岡田宗司

    ○岡田宗司君 一点お伺いいたします。  それは三十一年度の国民分配所得というものは非常にふえた、それから三十二年度に減税をやりますし、おそらく国民分配所得もさらにふえてくると考えられる。そういたしますと、今度は消費財に対する需要が非常に大きくなるだろう、これが大きな影響を与えまして、そうして内需の増加が参りまして国内の物価騰貴させる、特にそれが生産財の方の物価をやはり刺激して騰貴させる、それが逆に今度は輸出品の価格に非常に大きく響いてきて、これがさっき指摘されました国際物価との関係を、本年は政府の予想しているより悪くさせるのじゃないか、そういう危険がある、そうなって参ります、この政府の予想しておる三十二年度における国際収支というものが政府の予想通りいくかどうか。一方において輸入はさらに政府の予想以上に増加する傾向がすでに現われている、一面において輸出増加するでしょう。しかしながら先へいって今の輸出商品価格が上るということになって参りますと、政府の予想通り果していくかどうか。この問題か大きな問題だろうと思うのですが、その点についての稲葉さんの御意見をお伺いしたいと思います。
  8. 稲葉秀三

    公述人稲葉秀三君) 岡田さんの御質問は過剰消費的な傾向になって、それがつまり経済により刺激的な影響を与えて、物価騰貴になり、ひいては国際収支マイナスを惹起せしめる危険ありやなしや、こういう点だと思います。で、私がそれに対してお答えをいたしたい点は、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、今度の昭和三十二年度経済計画は、閣議決定になっているわけでありますけれども、それによりますれば、昭和三十一年から二年にかけてのまず三十二年度の国民消費の対前年度の伸びは七・五%ということになっております。で、昭和三十年から三十一年にかけましては九・四%実質的には八%強ということになっておるわけでありますけれども伸びている。そうすると景気のずれ、それから減税の効果その他からいって、一応特別の措置かないといたしますると、私は七・五というのは低すぎるのではないか、こういう点は考えられます。  さらにもう一つ申し上げたい点は、消費財物価はある程度不安定な現象か起りますと、よりこういったような点が増大をするかもしれないという点があります。しかし他方で考えてみなければならない点は、国際的な面もございますけれども、この消費財物価については先ほど申し上げましたように、繊維その他につきましてややいわゆる安定の傾向かあるだろう。またなるほど運賃は上ると米が上るかもしれないといったようなことで、その部面騰貴はありますけれども、私はまあ全体の収入と消費面から申しますると、それは一部の人々には大きな問題でありましょうけれども、国民経済的にはそれほど大きな問題ではない、こういうふうに考えられます。で、そういったような面から申しますると、急激的に消費増大をしてくるということはないと思う。  そこで私の申し上げたい点は、この際いわゆる物価について安定を与えるような要素かあれば、この政府経済計画見通しよりは総比率は高い。けれども他方においては貯蓄の伸びが起ると。しかし安定性か与えられないといたしますると、実は岡田さんのおっしゃるような問題が起ってくるような点かあると。しかも私どもがまあ全体的な傾向とは申せませんけれども、最近やや痛感できることは、むしろ輸出するよりも国内に売った方がもうかるといったような形で、いわゆる輸出よりも国内に流す。また一部には過剰消費的な傾向も起っているということであります。従ってまあ君から申しますると、そういったような問題が起ってくるのはむしろ三十三年あたりだろう、あるいはあり得てもことしの先にあるだろうと思う。従って当面のいわゆる財政金融政策かしっかりしてもらいたいということになって参るわけでございまして、大体おっしゃったことは全的に否定をするわけではございませんけれども、相当ディスカウントして起るかもしれない、こういうふうに申し上げたいと思います。
  9. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 次には東京大学教授武田隆夫君にお願いいたします。
  10. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) 武田でございます。昭和三十二年度予算について意見を述べよということでございます。いろいろ申し上げたいことがございますが、公述の時間かあまりございませんし、私のあとにもそれぞれ専門の分野の方が公述されることになっておりますので、ここでは二、三の点につきまして私の感じたことを述べるにとどめたいと思います。なお私の前に公述されました稲葉公述人公述と重複するところがございますが、これは偶然そうなったのでありまして、この点は特に予算について力点をおくべき点だというふうにお考え下さいまして御了承をお願いしたいと思います。  第一には予算の規模について申し上げたいと思います。御承知のように昭和三十二年度の予算は、一般会計歳出歳入ともに一兆一千三百七十五億円でありまして、分配国民所得に対しまして一三・九%に当ります。これに対しまして三十一年度の一般会計の当初予算の大きさは分配国民所得の一三・六%でございます。従いまして三十二年度の予算は三十一年度のものに比べまして絶対額において約一千二十六億円増大しているだけではなく、国民所得に対する相対額におきましても僅かではありますが、〇・三%ほど増大をしているということになります。私がこういう皆様御承知のことを特に申しますのは、世間あるいは政府側では、この予算の規模の膨張は国民所得増大に対応するものであるにすぎない。あるいはむしろそれを下回るくらいであるというふうに言おうとしているかに見える節があるからであります。現に昭和三十二年度予算の説明という、これらの二ページのところでは、わざわざ三十一年度の一般会計の規模を(a)、(b)と二つに分けまして、(a)におきましては今私が述べましたような計算をしておるのでありますが、(b)におきましては補正予算第一号を加えましたものを国民所得に対して比べて、それが一四・一%であるから、それに比べると三十二年度の予算比率は僅かではあるけれども低くなっておるというふうに言おうとしているように見えるのであります。しかしながらもし国民所得に対する一般会計比率を求めまして、その点から予算の規模を云々しようというのでありますならば、その一般会計の金額は両方とも当初予算でやるか、あるいは両方とも補正を含んだものでするかどちらかであるべきであろうと思います。ところが三十二年度におきましては将来かりに補正ということが行われるといたしましても、それを含んだ金額を今出しようがないのでありますから、この場合には両方とも当初予算で計算するほかはないというふうに考えるわけであります。ことに補正一号というのは、三十二年度の予算が大蔵原案からだんだん政府案になってくるその経緯から考えましてもわかりますように、いずれかといえば三十二年度予算として組むべきものを、もしくは三十一年度の剰余金とすべきものを補正としたような感があるわけであります。それからまた先ほどの稲葉公述人公述にもありましたように、この支出の多くは三十二年度にいわゆるずれ込んでくるわけであります。そういう意味でも、三十一年度の予算の規模を出すのには、この補正を含めるべきではないというふうに私は考えるわけであります。要するに三十二年度の予算の規模は三十一年度に比しまして絶対的にはもちろん、相対的にも増大しておるということをまず確認しておくことが必要であろうかと思うわけであります。  予算の規模につきましては、もう一つ注目すべき点かあるように私は思うのであります。ここ数年来の慣行によりますと、予算の規模を問題にいたします場合には、一般会計ではなくこれに財政投融資を加えたものがとり上げられてきておるのであります。たとえば少し話が古くなりますが、三十年度のこういう予算の説明におきましては、一般会計予算財政投融資資金計画との純計は前年度よりも約三百五十五億円上回ることとなった、こういうふうに述べられております。そしてそのあとに一般会計財政投融資との合計したものを、国民所得に比べまして、その比率を表示してあるのであります。三十一年度の予算の説明においてもやはり同じように、一般会計歳出予算額と財政投融資額とを加えてさらにこれに民間資金の活用分というのまで加えまして、その規模を国民所得に対して比べて同じように表が出してあるわけであります。そしてそういうことは財政学的に見ましても、一応意味のあることであるというふうに考えられるわけであります。ところが今度の三十二年度の予算の説明というのには、これは故意か偶然か私はよくわかりませんけれども、こういう説明とそういう表というのが省かれておるというふうに思うのであります。そしてそこには単に偶然であるとは言い切れないものがあるというふうに私は思うのでありますが、そのせんさくには立ち入らないことにいたしまして、ただここで財政投融資資金計画を加えたものを三十一年度までと同じような仕方で出してみますると、一般会計財政投融資を加えたものが千七百億の前年度に比べて増加になっておる。そしてそれの国民所得に対します比率は前年度の約一七%に対しまして三十二年度は一七・九%というふうになるのであります。こういうふうにいたしまして前年度までやられておりましたように、財政投融資資金計画を合せて考えますならば、三十二年度の予算の規模の増加程度というものは、絶対的にも相対的にもいよいよ大きいということになるわけであります。これが予算の規模について申し上げた第一の点であります。  そこで第二には、このような規模の予算国民経済ないし国民生活に対して、どういうふうな影響を及ぼすであろうか、という問題が出てくるかと思うのであります。この点は先ほど稲葉公述人が詳細に公述をされたところであります。私のような大学の研究室におります者は、第一統計的なデータを持っておりませんし、それからかりにそういうデータが与えられましたとしても、果してそれが正しいかどうかということを検証するところの便宜も持っておりません。従いまして十分的確なことは申し上げられないのでありますが、ごく大綱的な一、二の点を申し上げてみたいと、こう思います。  三十二年度の予算はしばしばインフレ予算であるというふうに言われております。なるほどこの三十二年度の予算におきましては、食管会計の赤字が特別調査会の結論待ちのまま借入金でまかなうことになっておる。その限りではこれは赤字予算である。それからそういう意味でインフレ予算であるというふうに言えないこともありません。しかし議論はこの点をめぐってなされているのではないように思うのであります。問題は、三十二年度の予算の執行によりまして、生産消費両財貨に対するところのいわゆる有効需要増大して、価格騰貴が生ずるかどうか、この点にあるようであります。ところがこの予算インフレ予算であるとする人の議論の中には、今申しました点を肯定して、予算の執行によって価格騰貴が生ずるであろうということと、それから価格騰貴が生ずればそれがすなわちインフレであるという二つの点とがまざり合っているように思われるのであります。そしてまたこれに対してこの予算インフレ予算でないとする人の側におきましても、この三十二年度予算の執行によって物価騰貴というようなものは生じないということと、それからまたかりに物価騰貴が生じたとしても、それがすなわちインフレであるというわけにはいかないではないかという、この二つのことがやはりまじり合っているように思われるのであります。そしてこの都合四つの論点がうまくかみ合わないために、三十二年度予算国民経済もしくは国民生活に及ぼす影響という、この重要な問題に対する議論が、どうもうまく盛り上らないままに終る、ということになってきているような気が私にはするわけであります。そこでまず必要なことはインフレという概念を明確にしてかかることであろうかと思うのであります。私は、インフレというのはいわば価値の裏付のない通貨が、財政当局または中央銀行の手で経済の中に投入されることだ、と言っていいと思っておるのであります。いささか抽象的な言葉で恐縮でございますが、たとえば財政規模がいくら膨張しても、それが租税その他の経営収入でまかなわれておる限り、それはインフレ予算ではない、インフレ財政ではない。それから銀行貸出がいくら膨張しても、それがいわゆる預金の増加の範囲内でまかなわれていくといたしますならば、それまたインフレでない、こう言うべきであろうかと思うのであります。そういうふうにインフレの概念をきめてかかりますならば、三十二年度の予算は食管会計の赤字の問題を一応除いて考える限り、インフレ予算ではないというべきであろうかと思うのでございます。しかしその場合でも、この予算国民経済あるいは国民生活に対していかなる影響を及ぼすかという問題はむろん残るわけであります。そうして、一度この問題になって参りますと、いろいろな点の考慮が必要になってくるわけであります。たとえば、まず第一には、財政投融資の額は、昨年度に比べまして六百七十数億円増加をしておる。これに加えまして、民間投融資がどのくらい増加するかそして、それを合せたものが生産財に対する需要となって、どのくらいの大きさになるかというような問題。それから、第二には、一般会計歳出増は、前にも申しましたように、千二十六億円でありますが、この中には、恩給でありますとか、あるいは公共事業費というようなものであるとかいうような、消費に回る性格を持ったものが多いのでございますが、減税と相待って、消費財に対する需要をどのくらい増加するかというような問題があります。そうして第三に、こういう生産消費両財貨に対する需要増大に対して、供給の方の増加の大きさはどのくらいになるかというような、そういう点について、詳細な考慮をすることが必要であろうかと思うのであります。こういう点に答えますことは、私にとっては非常に困難なのでありますが、これにつきまして、あまりに楽観的な見解を持つことはどうであろうかという感じを持っておるわけであります。たとえば、第一の点でありますが、民間投融資の増加というものは、それほど大きくないというふうに考えられておりますが、その基礎になる数字は、三十一年度の第三・四半期の水準——この辺でこの民間投融資は少し落ちてきておりますが、その水準を年率換算で伸ばしまして、そして、それを三十二年度の予想に使っておるわけでありますが、そういう予想が果して正しいかどうか。たとえば、資本主義の下では、いろいろな企業が膨大な投融資計画を持っておる。そして競争関係にある同業者の出方を見ておる。そうして、一つの企業がそういう投融資計画を実行すれば、ほかの企業は、好むと好まざるとにかかわらず、自分も投融資を実行していかなければならないということになる。そういうような中で、三十一年度の第三・四半期の少し投融資が落ちてきたところを年率換算して三十二年度の予測をしておる。それをそのまま、その基礎の上に立って議論をしていいものであるかどうかというような点に疑問を持っております。それから第二の、一般会計歳出のに中消費的な経費が多い。それが減税と相待って、どのくらいの消費に対する需要増加になって出るかということについても、正確な計算というものは、私は出されていないのではないかというふうに感じております。それからまた、第三の点、そういう需要増加に対しまして、供給増大がどのくらいの大きさになるかという点につきましても、これは、三十一年度における設備投資増加が非常に多かった。その相当の部分が供給力増加になって現われるであろうというふうに、まあ考えられているわけでありますが、今日の設備投資というものは、投資をしてから現実にその製品ができてくるときまで、かなり時間が長い。いわゆる成熟期間の長い投資であるということを十分考えた上で、やはり供給力増加するという推定を立てておるのであろうかどうかというような点についても、私は疑問を持っておるわけであります。  そうして、それらの点を総合いたしました感じでありますが、どうも正確なことを申し上げられなくて恐縮でありますが、感じといたしましては、私は、昭和三十二年度におきましては、物価の基調というものは引き締ってくると申しますか、物価騰貴傾向が助長されこそすれ、これが減殺されるということはないのではないかというふうに感ぜられるわけであります。もしこのように内需が増大をする、そうして価格上昇傾向というものが現われてくるといたしますならば、先ほどの御議論にもありましたように、貿易の上では輸入増大輸出減少というような方向にこれは作用していくと考えなければならないわけであります。御承知のように、経済企画庁の予想によりまするというと、三十二年度の国際収支は、輸出におきましても、前年に比べて約一三%伸びて二十八億ドル、それから輸入におきましては、前年度に比べて約一〇%ふえまして三十二億ドル、これに貿易外の収支を含めまして差し引きいたしますというと、約五千万ドルの赤字になる。ただし、ユーザンスの増加というようなことや、そのほかのことを考えてみるならば、表面上の収支はとんとんである、こういうふうになっております。しかし、内需の増大により輸出の余力が減るということ、それから価格騰貴傾向によって、コストが上りぎみになるというようなこと、それから、先ほどの公述にもありましたような、最近における海外の景気の動向というようなことを考えますならば、果して輸出において約一三%までの伸びを見込むことができるであろうかどうかという点に疑問を持っておるわけであります。それから、輸入の方でありますが、これを一〇%にとどまるというふうに見ておる。その底には、三十一年度におけるところの輸入のふえ方、これは、三十年度に対して三〇数%の増加でありますが、そのふえ方は異常なものである。そうして、多かれ少かれ在庫を増大するような輸入であったという考え方が含まれておるように思われるわけであります。この点については、非常に極端な議論をする人もございますが、経済企画庁の数字は、それほど極端に考えておらないものと思いますが、それでもやはりそういう考えがあると思われるのであります。しかし、その考え方そのものは否定できないにいたしましても、在庫増大程度をどの程度に見込むかということにつきましては、大いに議論のあるところであろうかと思うのであります。そういうところへ、前に申しましたように、価格の騰貴傾向が生ずるという場合に、輸入伸びが一〇%にとどまるというふうに考て差しつかえないであろうかどうかという点についても、私は疑問を持っておるのであります。もしも輸出伸びが予想に及ばず、輸入増加が予想をこえるということになりますれば、この場合には、国際収支は赤字になるわけであります。国際収支が赤字になりますならば、外為会計は揚超になるわけであります。そして、金融が逼迫するわけであります。そして、そういう段階で日本銀行に対してこの金融をつけるということは、これをそのままインフレだとは言えないにいたしましても、いろいろな背後にある情勢を考えますならば、このとき、インフレに対する第一歩が踏み出される、こう考えていいのではないかと思うのであります。  要するに、三十二年度の予算は、それ自体直ちにインフレ予算であるということは言えないにいたしましても、価格騰貴の基調をさらに促進する要因を持っており、現在の景気の段階において、それを十分に考慮をした上、慎重に組まれた、節度のある予算であるというふうには私は言い切れないものがあるというふうに考えられるのであります。データをあげずに、ただ疑問の点だけを申し上げまして恐縮でありますが、委員の皆さんは、国会にも、それからそれぞれの党にも、優秀な調査機関を持っておられるのでありますから、以上の点につきまして十分調査をされまして、この予算を御審議になりまして、再び二十八年末ごろに見られたような轍を踏まないようにせられたいと、切に希望をいたしておく次第であります。  なお、以上のことに関連いたしまして、もう一言しておきたいことは、中小企業金融のことであります。今申しましたような点を考えますと、この予算の執行につきましては’いわゆる財政金融との総合的な弾力的な運営が必要であろうかと思うのであります。この点につきましては、予算編成の基本方針ではうたわれておりますが、しかし、予算の説明では、これは三十一年度、三十年度にはそれぞれ書いてありますが、どういうわけか、ことしは抜けておるように思うのでありますが、ともかくこの財政金融との総合的弾力的な運営が必要であると思うのであります。そうしてその場合、どうしても金融は引き締るようになると思うのであります。しかし、その金融が引き締りますと、そのしわは中小企業に寄せられがちであります。ことに、いわゆる二十九年度以降のデフレの段階で、系列融資態勢が強化されてきておる今日におきましては、一そうそうなる可能性が多いというふうに考えられるのであります。もちろん、これに対しましては、国民金融公庫とか、あるいは中小金融公庫の貸付のワクを増大するとか、そのほかの措置がとられておるように思うのでありますが、果してその措置だけでこれは十分であろうかどうかということが気になるわけであります。申すまでもなく、中小企業の問題は、雇用の問題を初めとして、いろいろな点で重要な問題であります。そうして、自民党におかれましても、社会党におかれましても、この問題は、かねてから重視されておるように思うのであります。この点につきましても、予算国民経済、国民生活に及ぼす影響という点に関連いたしまして、十分な御検討がなされてしかるべきであろうかと思うのであります。  時間がだいぶたちましたので、第三に、経費の歳出の面につきまして、簡単に一言いたしたいと思います。  一般会計歳出は、前にも述べましたように、約一千二十六億円の増であります。この増は、大ざっぱに言いまして、約半々の割合で、いわば当然三十二年度に増加すべき経費と、それからいわば政策的に増加された経費とに振り当てられていると言っていいと思います。そこで、今、この政策的に増加された経費、千二十六億円の約半分、五百億円強の支出がどうして可能になったかということを見てみまするというと、それは、第一には、言うまでもなく、減税をいたしましても、なお税収入の増があったからであります。しかし、その半面におきまして、第二に、ここ二、三年災害がなくて、災害復旧費をふやさなくても済んだばかりでなく、これを減らすことができたということ、それから第三に、防衛関係費がほぼ前年度並みにとどまったというようなことによるという点を無視することはできないのではないかと思います。もし防衛関係費が、三十年度から三十一年度にかけてぐらいの程度にふえていたといたしますならば、それから、もし大きな災害がありまして、三十二年度の予算におきましては、減少した経費のたしかトップを占めておると思うのでありますが、災害復旧費の減四十二億円というものが消えてしまって、逆にこれがふえるというようなことになっていたといたしますならば、とても五百億円強というような、いわゆる政策的経費の増加というものは不可能であったろうというふうに考えられるのであります。これは、きわめて妙なことでありまして、経費増額の能、不能という点のかなりの部分が天候とアメリカの意向とにかかっておるということにもなろうかと思うのであります。(笑声)災害と申しましても、その全部を天災に帰するわけにもいきませんから、これについても、いろいろ議論をすべきであろうと思いますが、さしあたって私は、ここで問題にいたしたいのは、防衛関係費であります。つまり、防衛関係費というのは、平和論とか憲法論とかというようなものを抜きにいたしまして、純然たる財政上の問題に限ってみましても、今申しましたような意味で、非常に重要な意味を持っているということになるわけであります。そういうことを考えながら、三十二年度の防衛関係費を見てみますると、これは、わずか四億円の増加にとどまっておるのでありますが、このようなことが果して三十二年度限りだけのものでなくて、三十三年度以降もこういうことができるかどうか。あるいは三十二年度に微増にとどまったことが、わずかしかふえなかったということが、かえって三十三年度以降の増加の原因になるのではないかというような疑念が沸いて来るのであります。と申しますのは、予算の継続費、それから国庫債務負担行為のところを見てみまするというと、翌年の三十三年度の年割額、あるいは三十三年度の負担に帰する額が約百六十五億円でございます。国庫債務負担行為の中で、三十三年度と三十四年度の負担に帰するという分は、便宜上半分にして計算をしておりまして、それが百六十五億円になります。これに当りますものは、三十一年度の予算では、つまり三十一年度の継続費、国庫債務負担行為で三十二年度の年割額あるいは三十二年度の負担に帰するという分は百六億円でありましたから、ここで約六十億円ふえておるということになります。ともかくこれだけのもの、百六十五億円というものが、三十三年度の防衛庁予算の膨張となって現われざるを得ないということになっておるわけであります。それからまた、御承知のように、防衛庁予算には非常に繰り越しが多い。過去のものが累積してきておる。そこで、三十二年度におきましては、たとい予算がふえなくてもやっていけるでありましょうが、三十三年度にはそうはいかなくなるであろうというようなことも考えられるわけであります。その上さらに、昨年度予算編成の際に出された日米共同声明というものがございますし、そのほかにもアメリカとの間にいろいろないきさつがあるようであります。それをこの三十三年度以降もずっとたな上げしていくことができるかどうかというような点についても疑問が生ずるわけであります。そこで、予算のどの項目についてもそうでありますが、特に防衛関係費につきましては、三十三年度以降のことも、今申しましたような意味において、十分にらみ合せられた上で、この予算を審議されるということを希望しておきたいと思うのであります。  なお、この点に関連してもう一言しておきたいことは、歳出予算と、それから継続費と、それから国庫債務負担行為、この三者の関係についてであります。前にも述べましたように、三十二年度の防衛関係費か微増にとどまったと言っていると思いましたらば、あたかもそれに対応するかのように継続費や国庫債務負担行為の金額がふえているのでありますが、この点は、歳出予算の欠を継続費や国庫債務負担行為で補ったかのような疑念を抱かしめるものがございます。それからまた、なぜ甲型警備艦建造費というものは、継続費として計上されておるか、それからなぜ艦船建造というのは、国庫債務負担行為として計上されておるか、その区別が必ずしも明瞭ではないのであります。そこで私は、予算を国民の前に明らかならしめるという意味におきまして、この歳出予算と継続費と国庫債務負担行為との間に明確な区別を立てて、そして継続費なり国庫債務負担行為なりが設けられた趣旨に真にふさわしいものだけを、これらに計上をすべきではないかと思うのであります。  第四に、そしてこれが最後でありますが、今度は歳入、特に減税あるいは税制改革について一言しておきたいと考えます。減税につきまして一番問題になりますのは、やはりこの減税の恩恵に浴するのが、国民の中の比較的わずかの層であって、国民の七割というものはこの減税の恩恵を受けないという点にあるというふうに言えると思うのであります。なるほど税を納めていないものに対しては減税のしょうがないのではないかというふうな理屈が一応成り立つでありましょう。しかしそういう理屈は、財務官僚とか、あるいは私のような財政学者が言うことであるならばわかるのでありますが、これは政治家の言としては通らないのではないかというふうに考えます。と申しますのは、前に申しましたように、この予算の執行の結果として、物価騰貴、それから家計費の増大ということが、三十二年度には十分に考えられるわけであります。それからまた国鉄運賃の値上げ、それからそれに追随する私鉄運賃の値上げ、それから、ガソリン税の増徴によるバス賃の値上げというような負担増は、これらの減税の恩恵に浴さない国民も、全部がこれをかぶらなければならないからであります。それからまた、これらの人々も、つまり減税の恩恵に浴さない人々も、全然税を納めていないわけではなく、お酒の税や、それからたばこの税といってもいいでしょうが、たばこの税や、それから砂糖消費税というようなものの、少くとも半分は負担をしておるのであります。そうして三十二年度におけるところのそれらの自然増収は、二百億円をこえることになっております。しかも今日のこういったお酒とかたばことかいう税の負担は、戦前に比べてみますというと、直接税ほどではむろんありませんが、やはり重くなっておるのであります。たとえば昭和十年度の酒、たばこ税を合計したものの、国民所得に対する比率を出してみますると、これは二・八%ぐらいになっております。これに対しまして、昭和三十二年度のそれは三・六五%になるという計算になります。そうしてこんなに重い酒やたばこの税を負担しておるところの国は、世界の有力な国々の中には今日ございません。そうだといたしますならば、今回のような機会に、こうした点についてももっとあたたかい考慮をすべきではないかというのが、私の感想であります。  それからもう一つ、減税について問題になります点は、減税率とそれから減税額との問題ではなかろうかと思います。今回の減税を見まするというと主として所得税に関する減税でありますが、なるほど減税率はおおむね下層所得者ほど高くなっております。しかし減税額は、これもまたある意味では当然なことなのでありますけれども、下層の所得者は少い、上層になるほど多くなっております。たとえば夫婦と子供三人の給与所得者では、年所得三十万円の人の減税率は五三%であります。減税額が三千四百五十円でありますが、年所得一千万円の人の減税率は二一・二%、これは非常に低いのですけれども、減税額は百二十万三千百六十円、終りの方のしっぽにくっついておる額と、三十万円層の減税額とが同じくらいであります。しかし人か減税によって喜びを感ずるのは、これによってふえる所得額の大きさ、すなわち減税額によってではなかろうかと思うのであります。特に下層の所得者ほどそうではなかろうかと思うのであります。もしそうだといたしますならば、下層所得者の減税率をもう少し上げて、上層のを下げてもいいのではないか。そのためには、税率の刻みを、これは五%ずつに刻んでありますが、必ずしもそうしなくてもよいのではなかろうかと思います。特に一千万円以上の高額所得者につきましては、所得の刻みが非常に大幅になっておりますが、これをもっと小さく刻んで、税率の刻みも小さくして、それに対応さしていって、もう少し累進率を上げていってもいいのではないかというふうに私は感じておるわけであります。  それから減税につきまして言うべきことはなおいろいろありますが、最後にもう一つだけ申し上げておきたいと思います。それはせっかく減税をいたしましても、徴税の強化が行われまするならば、これはせっかくの減税が相殺されてしまうということになりかねないわけでありますが、今度の減税によって減税される所得税額は千九十二億円、そういうふうに言われております。しかし、かりに三十二年度における階層別の所得見込額というものを考えてみまして、それに先ほど申し上げました各所得階層における減税率というものをかけてみまするというと、どうもその額は千九十二億円を上回るのではないかというふうに私には思われるのであります。このことは、臨時税制調査会がほぼ同じような減率税のもとに——むろんこの配当控除とかそれから勤労控除とかいうような点では手直しが行われておりますけれども、ほぼこの同じ構想のもとで、自然増収一千億円のときに減税一千億円というふうに考えておる。それが自然増収が約倍になったときに減税が千九十二億円である、わずかに九十二億円しかふえないのはなぜかというふうに言いかえてもいいわけでありますが、どうもこの計算か私にはよくわからないのであります。今もし三十三年度の所得階層別にとって、これに減税率をかけたものが千九十二億円を上回るといたしますならば、その額だけはいわゆる徴税の強化によって減少が食いとめられるのだというふうに考えざるを得ないことになるわけであります。つまり所得階層別に減税率をかけて計算していったものが、かりに千九十二億円よりも百億円多い、実際はそれだけ減税になる、しかし減税見込額は千九十二億円にとどまるということになれば、その百億円だけは何か税率と所得をかけたもの以外の点から出てくるというふうに考えざるを得ないということになるわけであります。しかもこういうような徴税強化の余地というものは、給与所得者については少いわけであります。これはもともとあまりごまかしようがないわけでありますから少い。そこで、このしわはもっぱら事業所得者、言いかえれば中小企業者にかかってくるというふうに考えられるのではないかと思うのであります。この点は、私はかなり重要な問題でありますが、正確な計算かできませんが、そういう感じを持っておるわけであります。もし審議の御段階で明確にされますならば幸いであるというふうに感じておるわけであります。  以上予算の規模、それからその予算国民経済に及ぼす影響ということ、それから歳出の面で一つ二つの点、歳入の面で減税について申し上げたわけであります。時間の関係で必ずしも問題の全部を追うことができませんでした。しかもその反面、取り上げました点については議論かややこまかになり過ぎたきらいもありまして、お聞き苦しかったかと思って恐縮に存じますが、これで私の公述を終りたいと存じます。(拍手)
  11. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 武田教授に御質疑の方ございませんか。
  12. 吉田法晴

    吉田法晴君 ちょっとお尋ねをいたしますが、インフレ要素としていろいろおあげになりましたが、これは木村禧八郎さん等も、武田教授が述べられました——恩給その他もですか、恩給等も含んで——防衛関係費か生産的支出でないという意味において、ふえることはインフレ一つの要因になるのではないか、こういう意見であります。これについてどういう工合にお考えになりますか。  それと、もう一つは、一番最後に所得階層別の所得に減税率をかけて、それが千九十二億を上回るものが徴税強化になるんじゃなかろうか、こういうお話でしたが、私どもが従来考えて参りましたのでは、初めて千億の自然増が見込まれる、それが千六百億になり、あるいは二千億になってきた、その所得増を何と申しますか、どういう計算で出したかわからぬけれども、一千億が二千億にふえてくる。そこにすでに計算上に所得の水増しがあるのではないか。で、言われるような千九十二億をさらに上回る額だけが徴税強化になるのじゃなくて、もっと強化になるのじゃないかといったような感じを持って参ったのでありますが、その辺をもう少し御説明いただけば幸いだと思います。
  13. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) 御質問が二つあったと思いますが、第一の点は、恩給費の増加とか、それから私が申しましたのは、公共事業費のうちの賃金として支払われる部分でありましたが、今の御質問の中には、防衛関係費というようなお話がありました。こういうものの増加インフレ要因になるかどうかというお話でありましたが、私は先ほどの公述でもこの点は区別して申し上げたつもりでありますが、そういう経費か租税その他の経常収入によってまかなわれておれば、その範囲では直ちにインフレ要因にはならないということを申し上げたわけであります。しかしそういう経費の増加というものは、国民の所得増大させてその点から消費財に対する需要を高める、そうして消費財の供給力のいかんによっては、その価格を高める作用を持っておる、そういうことがいろいろの過程、つまり国際貿易関係というようなものを経て、インフレにつながるという点は否定いたしませんが、直ちにこれをインフレ要因と考えるかどうかということは、インフレの定義いかんにもよるわけでありますが、私はそうは思わないということを申し上げたつもりでおります。  それから第二の点は、御質問の趣旨が少し私にははっきりしないのでありますが、私の申し上げたいことをもう一ぺん繰り返して申し上げますと、御質問に答えることになりはしないかと思いますので、もう一ぺん繰り返さしていただきたいと思います。私か申しますのは、自然増収が、臨時税制調査会が減税についての案を練っておる段階では、千億くらいであるというふうに見積もられていた、それがだんだん予算の編成の時期になりますと、それが約二千億というふうに倍にふえてきた、これは私はその千億自然増収があるときに比べて二千億自然増収があるというときには、それに対応する国民所得伸びがあった。徴税の強化というようなことはこの段階では考えないわけであります。国民所得伸びに対応して増収が千億と考えていたものが、その伸びがもっと大きかったので二千億になってきた、そこで、そういうふうに伸びてきた自然増収二千億と考えるようなものに対応する国民所得伸び、それだけ伸びておる、国民所得はもちろん三十万円の階層もあれば五十万円の階層もあるし、百万円もありましょうし、一千万円の階層に分布されておる、それに対して、それぞれの階層におけるところの減税率というものが出ておるわけであります。たとえば三十万円の階層であれば、昭和二十二年度には減税率は五〇%なら五〇%、五十万円ではどのくらい、これはこまかく計算するわけにいきませんけれども、こういうものをかけてみると、それはどうしても千九十二億よりはもっと減税になるのじゃないか。実際はそれをかけて出してみる。もっと減税になるものを千九十二億円というふうに押えておるのは、その超える部分は、これは何か税率も低くなったし、もうそう強く税を取っても徴税の強化と申しますか、重い負担をかけるということにならないから、今度びしびし取るという形でというようなことを織り込んだものではないか、こういうふうに私はいえるのではないかと、そうすると、それは給与所得者についてはそういうような強化の余地というのはほとんどありません。全然ないとはいえないと思いますが、ほとんどない。そこで、そのしわが申告所得をする人々に寄せられていく分が多くはないか、こういうふうに考えておる、こう申し上、げたわけであります。よろしゅうございましょうか。
  14. 豊田雅孝

    ○豊田雅孝君 租税特別措置の整理に当りまして、概算控除制を廃止したことについての御見解を伺いたいと思います。要するに、零細階級は帳簿不備であるから、雑損控除をしにくい。さらに社会保障制度がそこまでいっておらぬ関係から、社会保険料の控除もできないというようなことのかわりとして、概算所得控除制があったのでありますが、これが今回廃止され、それによって八十億捻出することにしておることについての御見解を伺いたい。
  15. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) これはなかなかむずかしい御質問でありますが、私は租税のいろいろな体系をすっきりさせていく、簡単にしていく。そしてなるべく租税を安くするということが一番租税改正の上で大事な点であろうと思います。そういう点から申しますれば、租税特別措置は、私はこれはできるだけなるべく整理をしていくべきであるという考え方を持っております。そういう点に立てば、雑損控除を整理するというのは意味のあることでないかというふうに考えます。しかし、租税特別措置を全部整理するのではなくて、いろんなものを置いておく。そしてそれぞれにはいろいろ理由のあることでもありましょうけれども、いろんなものを置いておく。その置いておくものもあれば、廃止していくものもある。その中で特に雑損控除を廃止して、今回存置されたものもありますれば、さらにその特別措置による恩典が強化されたものもありますが、そういうバランスの上で考えてみますると、雑損控除を整理したということについては、私は割り切れないものを持っております。
  16. 森八三一

    ○森八三一君 先刻のお話で、今回の減税措置というものが一応受け入れられる。しかし、その結果階層別に見るというと問題点が残っておる。そこへもってきて一面に鉄道運賃の値上げが行われる。それがさらにアンバランスを深めている。この点に問題点があるという御指摘があった。そこでお伺いしたいことは、今度の鉄道建設五カ年計画の六千億円という支出の内容がいいか悪いかという点の究明は別にいたしまして、そのことは現在の国鉄の老朽しておる現状から考えれば不可避的たという前提に立った場合、そういうようなアンバランスが起きてくることを考えながら、鉄道運賃の値上げという一点にこの解決の策を求めなければならぬというのか、他に考えられる方法があるのかという点について、何か御意見がありますればそういう点を一つ伺ってみたいと思います。もっと具体的に申しますれば一千億円の減税はやる。が、十三%の値上げで求められている金額は三百六十五億だ、この三百六十五億をマイナスした額で減税をやれは、少くとも三十二年度に関する限りは、鉄道運賃の値上げというものは食いとめられるということも、計算上は言えるのでございますね。こういったようなことについての御見解を承わりたいと思います。
  17. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) その問題も私は準備がございませんので、十分お答えできませんが、今の御質問は、減税をしても他方において運賃の値上げその他によってこれは相殺される、そのくらいならば減税額を内輪にとどめておいて、その内輪にとどめた収入だけをたとえば一般会計からその国鉄の方へ補助をするとか、繰り入れをするとか、そういう措置も考えられるのではないか、そういう御質問でございましょうか。
  18. 森八三一

    ○森八三一君 そういうようなことも考えられるし、そのほかにも鉄道運賃を値上げせずして、この建設事業がやり得るという対策が他にあるのかどうか、それは一例として申し上げたのであります。
  19. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) それは、私は問題点は鉄道の経理の内容をこまかく当ってみないと何とも申し上げられないのじゃないか。ただ、私が公述で申し上げました点は、減税はするけれども、鉄道運貨の値上げというものはほぼ既定のものと考えまして、こういうことがある。従って、これはその減税の恩典に浴さないごく下層の者とそれから減税の恩典に浴する者との中間のところは、そういう運賃の値上げ、こういうようなものによって負担をかぶる、この点についてまあ減税の面からもう少し考慮をしたらいいのではないか。よく一般には戦後においては間接税は軽くなっている。あるいは直接税が重くなっている。従って間接税はもっと重くしてもいいという議論はあっても、これを軽くしろというような議論は非常に書生論のようにとられている。しかし、そういうようなことも、今回のような自然増収が非常に多いというような段階では、やはり考慮に値する問題ではなかろうか、そういうふうに先刻申し上げたわけでございまして、鉄道の運賃の値上げという問題につきましては、これは国鉄の会計そのものを詳細にやってみないと、何とも申し上げられないので、ちょっと今お答えできないのでございます。
  20. 岡田宗司

    ○岡田宗司君 武田さんにお伺いいたしますが、御承知のように食管特別会計がずっと三十、三十一と赤字が続いております。おそらくこのままでいけば三十二年度も赤字が続くし、また三十三年度以降も赤字が続くということは明瞭です。そこで、この食管特別会計をどうするかということが問題になっております。これは食管制度そのものをどうするかということの関連もございますけれども、まああなたはその食管特別会計というものをどういうふうにごらんになり、またこの赤字が累増することに対して、どういうお考えを持っておられますか。
  21. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) これもまあ感じは持っておりますけれども、何しろ大学の研究室におりますと、資料というものは何もございませんので、そういう点について資料に基いた的確なお答えはちょっとできないのであります。私は食管会計というのは、今日ではだんだんできた当時のまあ意義を失いつつあるのではないか。むしろ問題は、もっと食糧の円滑な供給や配給という問題以上に、日本の農業とか、あるいは日本の労働賃金とかというようなものをどう持っていくか、そういう点からこれを検討をすべき問題じゃないか、こういうふうに大ざっぱに考えているわけでございます。
  22. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今の武田先生の公述は、稻葉君もともに今度の予算を研究して特に金融財政との一体的な運営が非常に必要であるという御主張で、ありましたが、それはもっと内容的に言えばどういうことを意味するのかという問題と、従って金融の問題を、今の財政状態、それからその警戒すべき点あたりと関連して運営をするということであれば、やっぱりこれは何といいますか、融資基準を設けて選別融資という方向を強く出していかなければならないし、これは一つ金融統制の方向じゃないかと思うのです。しかし、これには戦時中これで非常に苦労をした池田大蔵大臣、あるいは山際日銀総裁あるいは迫水久常という諸君が、政府や与党の有力な地位にいて、それからまた財界なり何なりでは非常に猛烈な反対があると同時に、一部には賛成があるし、相当いろいろな問題がこんがらかってくる点でもあるのです。そういう具体的な問題は別にして、先生が、これを理論的に学問上どういうふうになる、どういうふうに推知するか、あるいはどういうふうにすべきだというふうにお考えになるか、その辺一つお答え願いたいと思います。
  23. 武田隆夫

    公述人武田隆夫君) これは私の能力を越えた御質問でありますけれども、私は金融財政の総合的、弾力的な運営が必要であるというふうに申しましたが、その裏にある私の感じをもう少し申し述べますと、一つは何かこう金融財政の弾力的運営ということはいつも言われておりますけれども、何か財政財政の方だけで投融資計画とか歳出規模の増大とかいうやつをきめてしまって、金融の方に、お前の方はおれの方がこれだけきめたからこれに対応するような金融攻策と申しますか、融資をやれということを、何か特に今年の予算は押しつけているような感じがするわけであります。もう少し民間におけるところの投資とか、それから融資とかいうようなことと、全体的な資金の計画というようなものをにらみ合せて、財政の方だけはきめて、そうしてそれに金融を対応させるというようなことではなくて、その間にもう少し投融資計画をきめたり、予算を組む前に、そういうことが必要ではないかという感じを一つ持っております。  それからもう一つは、今日のような景気の段階において、産業その他の方面でいろいろ隘路が出てきておる、それを資金を注入することによって解決していこう、これはかなり思い切った、危ない、危険な政策であります。つまりのるかそるかと申しますか、相当大胆な政策である、ぎりぎりなところを歩んでいるような政策であるという感じがいたします。そういう政策を金融とか資金計画とかとにらみ合せて、それでもやろうというのでありますならば、私はやはり選別融資とか、あるいは金融については相当の規制を——これはどういう形で加えるか、これまたいろいろ御議論があると思い、ますけれども、規制をしていくということは必要であり、またやらざるを得ないんじゃないかというふうに考えておるわけでございます。
  24. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 午後一時まで休憩をいたします。    午後零時三十五分休憩    —————・—————    午後一時二十七分開会
  25. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。  再開に当り、公述人の方にごあいさつ申し上げます。  本日はお忙しいところを御出席いただきまして、まことにありがとうございます。公聴会の議題は昭和三十二年度総予算でございます。大体御一人三十分程度で御意見をお述べ願いたいと存じます。  それでは順次御発言をお願いいたします。立教大学教授藤田武夫君。
  26. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) 本日私がここへ参りまして公述いたしまする範囲は、お求めによりまして、地方財政の面から昭和三十二年度の国の予算について公述をするということになっております。時間の関係もございますので、率直に要点を拾って私の考えを述べたいと存じます。  まず第一点は、現内閣が強調しております各種の積極政策というものと地方財政関係の問題であります。御承知のように、現内閣経済基盤の拡大、あるいは完全雇用というふうなことで各種の積極施策を展開しようといたしております。それが三十二年度の国の予算案を見ますると、たとえば公共事業費につきましては、道路整備事業費というものが、三十一年度の三百四十七億円から五百四十七億円に約二百億円、パーセンテージにいたしますと、約六割の激増をいたしております。その他港湾漁港整備費、これが百六億円から百四十八億円、四十二億円の増、これも四割の増加であります。その他食糧増産については、二百四十七億円から二百六十九億円、二十二億円の増、こういった状態で、各種の積極政策を展開されようとしているのであります。しかし、御承知のように、これらの積極政策を実際の現場で実行いたしまするのは、大部分府県及び市町村であります。そして、今申し述べましたような事業費の大半が、地方団体に対する補助金として、たとえば道路整備事業に要する経費の二分の一、あるいは三分の二といったような補助金として交付されるわけであります。従いまして、それに伴って地方団体の負担が、残りの三分の一、あるいは二分の一というものが増加するわけであります。たとえば、地方財政計画に基きますると、道路整備事業の地方負担というものが、昨年の七十一億円から百二十八億円に、五十七億円、約八割という大幅の増加になっております。その他詳しく申し上げませんが、この場合地方財政として問題になります点は、こういうふうな国で計画されている各種の積極政策に伴う地方負担の増加というものが、果して現在の地方団体の窮迫した財政のもとにおいて背負い切ることができるかどうかという点であります。なるほど、地方財政計画を見ますると、その歳入の面において、地方税の自然増七百十一億円、その他地方交付税の増加等を見積っております。そして、これを基礎にしていろいろな各種の国の施策に伴うところの地方負担をまかなおうと計画しているわけであります。しかしながら、御承知のように、今日地方団体の財政の状態は、私も昨年度数府県、また数市町村の実態を調査したのでありますが、非常に窮迫いたしておりまして、今日の必要不可欠な施設でさえも容易に維持できないと、そういう状態で、昨年度において、投資的経費だけでも四百億円以上の削減をしている。しかも、昨年の単年度だけで三十三億の赤字が出ていると、こういう状態であります。従って、地方税の自然増収、これについても後にいろいろ問題があると思いますので触れたいと思いますが、たとえそういうものがあるといたしましても、そういった増収は、これは今日の地方の実態から見ますると、現在の必要不可欠な施設の維持、あるいは地方財政の健全化のために必要になる収入である。従って、そういう増収によって先ほど申しました国の積極政策に伴うところの地方負担を背負うということは、非常に困難ではないかというふうに、私は地方の実態から考えるわけであります。こうなりますると、国の方でははなはだしく積極政策を打ち出しておられても、それを現地において手足となって担当するところの府県や市町村の財政の方か腹かすいておったのでは、実際実行できないのではないか、こういう点に非常に大きな危惧を抱くわけであります。それから一歩譲りまして、先ほど申しましたような積極政策に伴うところの地方負担が一応地方でにない得ると仮定いたしましても、すでに御承知のように、国庫の各種の補助金の交付の仕方というものは、たとえば二分の一、あるいは三分の一の補助率を適用する場合のいわゆる補助基本額というものの見積りが、単価その他によって低い、あるいは補助すべき対象の範囲が実際に必要とするよりも狭いといったようなことで、実際上はたとえばその三分の二を国が補助する、従ってあとの三分の一だけを地方団体が背負い込めばいいという、のであっても、それは法律上そうなっておりましても、実質的には三分の一以上を負担しておるというのが実情であります。一昨年私が山形県の財政の実態調査をいたしましたが、そのとき調べました六十七種類の補助金のうちで、三十種類というものは法定の補助率よりも事実上の補助率が、今申しました理由でかなり下回わっておる。つまり三分の一だけ地方であと足せばいいというのでなくて、もっと足さなければ実際上仕事ができない、これを普通に超過負担と呼んでおりますが、そういうものが非常に多い。はなはだしいものは超過負担か補助率の三〇%を上回わっておるというのが現状であります。しかも、こういった超過負担につきましては、御承知かと思いますが、地方財政計画歳出の面には含まれていないのであります。だから、それを実際上必要とするだけ経費を支出すると、それが結局地方団体の赤字を増大せしめる、こういう結果になるのであります。従いまして、積極政策と地方財政関係の問題は、まず第一点は、積極政策に伴う地方財政の負担か現在の実情からして果して背負い切れるかどうか。また、その補助金の交付の仕方において実際上不足を生じて、地方団体が超過負担をしておるのか実情である。従って、その点からも積極政策の実施の上にはいろいろ問題か残っておるのではないか。こういう点を十分参議院の方においても御審議を願いたい、これが第一点であります。  それから第二点は、国の民生関係の経費と地方財政関係の問題であります。民生関係の経費と申しましても、いろいろあるわけでありますが、まあ生活保護事業というものを取り上げてみますと、昨年の三百六十三億から本年度は三百六十五億で、約二億ふえております。この生活保護費のふえ方は今年は非常に少いのですが、生活扶助の単価はその内容を見ますると、引き上げておりますが、要保護人員というものの増率を非常に低く見積っております。今年は前年度に比べて約一%だけしか要保護人員の増を認めておりません。三十一年度では前年度に比し二・九%、三十年度は五%をみておったのであります。まあこれは政府の考えでは、雇用増加して要保護人員が減少するであろうという見込みによるもののようであります。しかしながら、これも私が昨年来方々の地方へ行きました実情からいたしますると、政府のそういった方針に基きまして、府県なり市において、この保護の対象を非常に強くしぼっております。これはその人員か政府の方で限られてくるので、どうしても地方団体ではそうせざるを得ない。それで私が調査しました東北のある都市等では、保護されるかあるいは保護されないかという、いわゆるボーダーラインの、そのまぎわの人か、実際に保護されている人の三倍くらいある、だろうというふうなことを、その都市の生活保護の関係者が言っておったのであります。こういうふうに、現場において、実際に必要な保護を非常にしぼるということになると、保護人員は政府の方針に結果として一致するかとも思いますが、しかし、それでは実際の生活保護の目的は達し得ない、そういう意味において、生活保護人員の一%の増加ということでいいのかどうかということに、地方の実態から見て疑問が抱かれるのであります。それに関連いたしまして、失業対策費か、本年度は昨年の三百五十三億円から三百四十八億円に、四億円減少しております。これも雇用増加によって、吸収すべき人員を一割減に見積っております。果して経済界が好況に向い、雇用増加によって——こういうことでいいのかどうか。これも生活保護の問題と関連いたしまして、いささか疑問に思う点であります。  それから民生関係の第三点は、義務教育費の国庫負担金でありますが、これは昨年度の七百六十九億円から、本年度は八百四十七億円に増加しております。しかし、その内容を見ますると、この国庫負担金の大部分は、御承知の通り教職員の給与に関するものでありますが、中小学校の児童数の増加を三十一年の五月一日現在と比較して、十一万人の増と見積っております。そうしてそれに対して教職員の増を千四百六十五人というふうに見ております。実は一学級当りの教員の数が最近大分減少しております。これは大蔵省の資料によってもそういう数字が出ておりますが、昭和二十七年度には一学級当り教員の数が一・二五、それが昭和三十年には一・二〇、今度の三十二年度のそれを見ますると、地方財政計画資料で見ますると、一学級一人の増加ということに見ております。こういうふうに教員の配当数が減少するということは、教育能力の低下を伴うわけでありまして、果してこれで重要な国民教育として、十分であるかどうかということが疑問になるのであります。  第四番目の点といたしまして、住宅対策についてでありますが、今年は昨年の十七万六千戸に対して十九万九千戸と、ある程度増加しております。予算は百三億から百六億、ところが、その内容を見ますると、市町村、県等の公営住宅の戸数というものは昨年と同様でありまして、もっぱら住宅金融公庫あるいは住宅公団によって、増加する住宅対策をやっていく、その結果といたしまして、どうしても家賃の安い住宅よりも、比較的家賃の高い住宅の方に重点が移るおそれがあるわけでありまして、地方団体といたしまして、この住宅対策というものは、非常に重要な現在問題になっているわけでありますが、果してこういう状態でいいのかどうか。  それから災害復旧の問題でありますが、災害復旧も、昨年の四百四十一億円に対して本年度は三百九十九億円、四十二億円減少しております。これは最近一、二年間あまり大きな災害がなかったということも影響していると思いますが、しかし、御承知のように日本の災害復旧というのは、なかなか災害があったからその翌年に復旧するというわけではないので、過去数年、またはそれ以上の古い災害の復旧が絶えず行われているわけでありまして、今年の三十二年度の予算を実行しました結果の三十二年度末の復旧率を見ましても、昭和二十八年の災害の八五%が復旧されるにすぎない。復旧率がその程度であるという数字が、これは国の予算書にも出ております。こういうことから見まして、また現地の災害復旧などを私が見て回りましたことからいいましても、昨年に比べて災害復旧の経費が約一割程度減少しているということは、一つの問題になろうと思うのであります。  その他いろいろありますが、一般的に見まして、民生関係の経費につきましては、一方には社会保険が四十一億円増加したとか、あるいは遺族及び留守家族の援護の費用をふやしたとか、そういう改善された点もあるにはありますが、先ほど申しましたように、生活保護、失業対策、義務教育、住宅、災害復旧等において見られますように、全体として、積極政策と比較いたしまして、民生関係の経費が決して十分だとは言われない。これは地方の実情を見ますると、地方では御承知の地方財政再建促進法による財政の圧縮のために、かなり民生関係の行政を縮小しております。そういうこととあわせまして、国の方の予算のこういった動向というものが実際の国民の福祉の上からいってどうであろうかというふうに強く考えられるわけであります。そうしまして積極政策が強力に展開されますると、その方に財源を食い込まれて、ますますそれが地方財政を圧迫して、民生関係の行政に影響を与えるのではないかというふうなことが気づかわれるわけであります。  第三点といたしまして、これは主として収入の方の問題でありますが、国税の自然増、あるいは国税における減税政策と地方財政関係というものを取り上げてみたいと思います。  まず、国税の自然増収と関係のあります第一の問題は、地方交付税の問題であります。御承知のように地方交付税につきましては、いろいろ今年度の予算について問題があったわけでありますが、結局、今までの繰り入れ率の二五%というのを二六%にふやし、それによって一千八百六十八億円という地方交付税を計上する。結局一%繰り入れ率がふえて、昨年と比べますると約二百四十億円ふえたわけであります。しかし、この場合に問題になります点は、実を申しますると、国の方で所得税の一千億円の減税に伴いまして、機械的に計算いたしますると、一千億円の減税がすぐにこの二五%分だけ地方交付税を減少するという結果になるのであります。従って、それを補いますためには、どうしても交付税の繰り入れ率を三・〇五%——正確に言いますと三・〇五%引き上げなければ同じ額が維持できない、これは地方交付税法の第六条の三項に地方交付税の額が、基準財政収入額と基準財政需要額を比較して、基準財政需要額がオーバーしたその不足額を十分に満たし得ない場合には繰り入れ率を変更する、そういう規定に基いているわけであります。ところが、この三・〇五%を引き上げないで一%にとどめておくということについては、国の方で所得税あるいは法人税、酒税というものが昭和三十二年度においては自然増収になる、所得税は少し減るかもしれませんが、これは減税の結果、総額で減るかもしれませんが、法人税、酒税の増収によって、この三つの国税の収入がふえる、従って、そのふえる分でカバーができるから一%の引き上げでも間に合うのだ、こういう理屈でもって一%にとどめられたようであります。その結果、昨年と比べて二百四十億円ふえたわけですが、しかし、これは昨年とことしを比べました一時的な国税の自然増収によるもので、それが回って幾らか増加になったというにすぎないのでありまして、結局は、やはり三・〇五%引き上げなければならないところを一%しか引き上げなかった、実質的にいいますと、二・〇五%は少くなったということであります。従って、現在では二六%になろうとしているわけですが、この二六%でもって将来も果して貧弱な地方団体の財源を補足するのに十分であるかということには非常に疑問が抱かれるのであります。昭和三十二年度はたまたま自然増収のおかげで、まあ、これも地方団体では不満のようですが、何とかカバーできるとしても、これは制度としてはやはりそこに大きな欠陥があるのではないかというふうに考えられるわけでありまして、これは特に多数の貧弱府県、市町村にとってはきわめて重大な問題であります。  次に、国の減税に伴う地方の増税の問題でありますが、御承知のように、国で約一千億円の減税をいたしましたので、それで、これは地方の住民税の課税方式には三種類あるのでありますが、第一課税方式、すなわち国の所得税に対して、今までは百分の二十一、これは府県民税と市町村民税を合わした標準税率なんですが、百分の二十一の課税をしておった。ところが国の方で一千億円の減税が行われるために、当然に収入が減少する、だからそれを埋め合わすために、三十三年度は二六%にする、そうして、三十四年度以後の平年度においては二八%に引き上げる、こういうことをやったわけであります。ところが、ここで今非常に問題になっておりまして、私も、これをもって地方税が増税したのだということをある雑誌に書きましてたたかれたことがあるのですが、果して増税でないかどうかということを議会の方でもお考えを願いたいと思うのでありますが、なるほど、第一課税方式で平年度を問題にしたいと思いますが、百分の二十一から百分の二十八に下ましても、今までの、昭和三十一年度までの所得税に対して百分の二十一を取っておったのと比べますと、平年度においても百十六億円地方税、住民税の収入は減少いたします。しかし、その百十六億円の減少の内容が問題になるのでありますが、百十六億円というのはどうして出ましたかと申しますると、もし、現在の住民税の百分の二十一のままで据え置きますると、所得税の減税に伴って地方税の減が二百二十八億円減少するのであります。これはつまり、地方税を上げないと、それだけわれわれ住民税の負担か軽くなる。ところが、それでは地方団体も困るというので、住民税を、先ほど申しましたように百分の二十一から百分の二十八に引き上げる、それで百十二億円カバーができる、そうすると差引百十六億円減少する、こういう計算になるのであります。しかし、この百十六億円の地方税の減ということは、これは私の考えによりますると、何も地方税自体として減税をしたのではない、つまり所得税が減って、そうしてそれの影響を受けて、一方住民税を引き上げているにもかかわらず、国税の方の減税の影響で百十六億円の差というものが減になったということであります。もし、地方税を増税しないでそのままにしておけば、先ほど申しましたように二百二十八億円減少するわけであります。その二百二十八億円減るべきものを百十二億円だけ増税をして、結局百十六億円に減が縮まったというわけであります。従って、地方税自体としては、やはりこれは百分の二十一から百分の二十八への増税であります。ただ、たまたま所得税の方が減ったために差引、結果として百十六億円減ったということでありますが、地方税自体としては、税法の上からいっても、明らかにこれは増であります。今のままにおいておけば、二百二十八億円われわれの負担が減るはずのものが、百十六億円しか減らないということであって、百十二億円は増税となるのであります。地方税と申しまするのは、国税と結びついておりまして、非常に関係がややこしいのでありますが、私はそういうふうに考えるのでありまして、従って、国税の影響でたまたま結果として減収になったということによって地方税が増税されたのではないというふうに結論を持っていくことはできない、国税の方のそういう動きがない場合を考えれば、明らかに二一%から二八%に増率されるという結果になるのであります。  これで国の自然増収と減税政策と地方財政関係の問題を終りたいと思います。  それから第四番目に、地方税の自然増収と地方財政計画の問題について申し述べたいと思います。  昭和三十二年度の地方財政計画を見てみますると、地方税の自然増に七百十一億円というものを見込んでおります。これは三十一年度の地方税総額に対して約一八%の自然増が見込まれております。そしてこの大幅な七百億をこえる自然増というものが、地方財政計画歳出をまかなう非常に重要な基礎になっております。ところが御承知のように地方団体は、約四千の財政主体からなっておりまして、国のように財政主体が一つではありません。従って、個々の府県、個々の市町村において、それぞれ非常に財政の事情が異なっております。地方税の自然増が七百十一億円だというのは、これはまあその通り実現されるといたしましても、地方税全体の問題であります。ところがこの自然増収の大半というものは東京、大阪その他の富裕団体に帰属するのでありまして、貧弱団体においてはそういう調子でなかなか自然増は見込まれない。場合によっては何ら増収にならない。一方税制改正をやっておりますので、増収にならない場合も出てくるかと思います。ここに地方財政問題の非常にむずかしい点が実はあるのでありまして、地方財政計画が全体として七百億円以上の増を見ておっても、それでもって各個個の府県や市町村の昭和三十二年度の財政運営が、うまく運営できるということが保障されているかというと、決してそうは言われないのでありまして、四千の地方団体はおのおのその具体的な財政事情を異にしております。東北や九州の端の方の弱小団体もあるわけでありまして、そういうところで果してその自然増がどういうふうに現われて、一方必要とされる経費と一体どういうふうにそれがマッチしていくのかということが、実際の問題としては重要な具体的な問題になるわけであります。従って地方財政計画につきましては、私として注文したいことは、もちろん全国の府県や市町村について一々そういうことを計算するのはむずかしいと思いますが、大体事情を同じくしたような弱小団体とか、まあ中ぐらいの団体とか、富裕団体とか、そういうところで果して自然増と経費の増がどういうふうに見合っていくものかというくらいのことは、地方財政計画を権威を持たせるためには、ぜひそういった計画を立ててもらいたい。それでなければ地方財政の運営ということが、結局年度末になって計画と非常に、まあ従来食い違っておりますが、非常に食い違ってくるわけであります。従って地方税の自然増収を総体として問題にして、その上に一つ地方財政計画を立てて、それによって問題を考えていくということには十分検討の余地があると思われるのであります。それからもう一つ地方財政計画についてお願いをしておきたいことは、もちろん地方財政計画というのは、厳密な意味でなかなか主体が違いますので計画と言われないかと思いまするが、たとえば自治庁が最初に地方交付税について三・〇五%の引き上げを要求しておったのであります。それが先ほど申しましたように一%の引き上げに終ったのであります。しかし一%の引き上げに終っても、その一%の引き上げでもって財政計画歳出歳入のバランスが合うような計画が作られている。こういうふうに、つまりこの地方財政計画というものが、実際上も非常におそく、まあこれは技術的にも国の補助金がきまらないと立てられない点もあると思いますが、非常におそく、衆議院の予算審議が八分通り終ったような時分に出ておりますが、まあそういう関係もありまして、どうも国の財政政策に追従したような形で地方財政計画が立てられている。従って財源の面からどうしても地方団体はこれに拘束をされてくるという結果に事実なっているのであります。従って地方財政計画というものを、前に申しましたようにもっと具体的にこまかくするとともに、その財政計画をきるだけ早く立てて、そして国と地方全体を通じてバランスのとれた予算バランスのとれた財政というものを慎重に国会で審議されたいというのが私の希望であります。  最後に地方債の問題にちょっと触れたいと思いますが、地方債は今年度、昨年に比べてかなりそのワクが大幅に縮められております。昨年は、これは公営企業関係も含めてでありますが、一千二百八十億であったものが今年度は一千七十億で二百十億円のワクの縮小であります。地方債は申すまでもなく地方団体の借金でありまして、できるだけ借金をしないで財政を運営するということが理想であります。で、特に教育とか、あるいは土木とか社会保障といったような一般行政についてはなるだけ一般財源でまかなっていって、借金収入でまかなわないということが望ましいことは、これは財政のいろはでありますが、ただここで問題になります点は、先ほども触れましたように地方財政計画で考えております地方税の自然増収というものが、果して弱小団体でどれくらい増収になるのかどうか、そこにかなり心細いことが考えられるのであります。また地方交付税にいたしましても先ほど申しましたように十分に繰入率が引き上げられていない、わずか一%の繰り入れの引き上げである、そういうことからいたしまして、特に弱小団体では一般財源において不足を来たすのではないか。そうなりますると、借金をすることはもちろん奨励すべきことではありませんが、一般財源が十分補足されない場合に、かつこの起債のワクが縮められるということになれば、結局各種の民生事業に影響を与える、さらにまた現内閣の唱えておられる積極政策の実施にも影響を与えるのではないかというふうに思うのでありまして、起債のワクを縮めることは、一般論としては賛成でありますが、それに対応する一般財源の強化がこれに伴わなければならないというふうに思うのであります。  それからさらに地方債の問題に関連いたしまして、地方団体側からかねてから地方債の元利補給ということを要求しております。これは公共事業関係あるいは失対事業、教育、災害復旧等のうちで、国が一般財源で見るべきものを地方団体の借金にしょわしているものがある。そういうものについて元利の補給として約百九十五億円が必要だということを要求しておったわけであります。ところがそれに対しまして九十五億円だけ手当をしたわけであります。この手当も決して国の方からそれだけの金を出したというわけではなくて、昭和三十一年度の地方交付税の自然増収分の一部を繰り上げて一時使用したということであります。従って地方団体としましては自分の方に入ってくるべき収入を、まあ自分の足を食っているようなもので、決して地方団体全体として補給されたということにはならないのであります。この地方債の費用というものは現在、御承知でしょうが非常に増加いたしまして、昭和三十五年度には一千億円に達するであろうというふうに見られています。これが今日府県や市町村の行政の上に非常に大きな影響を与えて非常に重い財政負担になっているのであります。従ってこの公債費に対する政府の対策というものも何かもう少し具体的なめんどうをみる必要があるというふうに思うのであります。  以上五点にわたりまして、まず第一点は政府の積極政策と地方財政の問題、第二点は今度の予算における民生関係費と地方財政の問題、第三点は国の自然増収及び減税政策と地方財政の問題、それから第四点は地方税の自然増収と地方財政計画——もっと広く言いますると地方財政計画そのもについての問題、第五番目は地方債の問題であります。今日ここで申し述べたいと思いましたことは以上五点でありまするが、私が一番心配いたしまする点は、実際の現地を見まして、地方団体の今日の現状から見まして、国の非常にはなはだしい積極政策というものに対して、果してそれを現場でやる地方団体に対して十分な財源の手当ができているかどうか、かなりその点に大きな危惧が抱かれる。そしてもしその手当ができないということになれば、それが結局は地方の大切な教育、社会等の民生行政にしわ寄せをされる、あるいは地方の住民の増税の方向に動くのではないか。これが第一点と、それから先ほど申しました地方税の自然増収の見込みに現われておりまするように、地方財政計画というものがかなり抽象的なものであって、もっと地方財政の運営を健全化するためには具体的な計画、具体的な掘り下げが必要であるというふうに思うわけであります。時間の制限かありまして、少しかけ足でお話ししたと思いますが、何かの御参考になれはと……。(拍手)
  27. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 藤田教授の御公述に対して御質疑ございませんか。
  28. 中田吉雄

    ○中田吉雄君 昨年度六団体の要請ですか、何かたくさんの専門家が参加されて実態調査をやられたようですが、大体再建法の適用もほとんど済んだわけですが、たとえば徳島県のようなところは再建法の期限が十五カ年というような長いものもありますが、手直しをせぬと実際やれぬじゃないかと思いますが、どうでしょう。実態調査と、あの適用団体の現状と考えてどういうふうにお考えでしょうか。
  29. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) 今中田さんからお話かございましたように、昨年全国知事会で八つの府県について地方財政の実態調査を専門家と申しますか集まって、昨年の夏から秋にかけてやったのであります。私もその一人に参加をいたしたのでありますが、まあ私はできるだけ第三者的な——府県は府県としてのいろいろ自分の立場に立った要求もあるわけですが、そういうことにとらわれないようにと心がけながらその実態調査を進めたわけでありますが、今もお話がございましたように、まあ大体財政再建促進法の適用団体もきまって、そしてその再建計画に基いて財政の運営、あるいは行政の運営が着手されております。しかしこれは全く文字通り着手されたところであって、まあ短かいのでも五年、普通は七、八年か再建の期間で、長いのは——徳島は多分十五年だと思いますが、十五年にもわたる再建期間であります。従って問題はむしろ今後に出てくるというふうに思っております。それについて今後その再建途上において、一体今のような全体の財政制度、これは広く税制から地方債、補助金、交付税、全部含めての意味ですが、財政制度で七年なり十年なりの間に再建が実現し得るであろうかという問題でありますが、これは今割合にその赤字の少いところでは、あるいはその運営の方法によって再建し得る場合もあるかと思いますが、しかしこれもかなりドラスティックな行政の切り詰めをやって、私が実際見ましたところでも、傾いている校舎も改築に手をつけられない、そういう状態であって、これは決して望ましいといいますか、普通のあるべき姿でもって再建がそういう場合ですら実現され得るものではない。かなり地方の民生行政に深い影響を与えながら再建していく、やむを得ずそうやっていくのだと思われます。もちろんそのうちには今までの冗費が節約されるといったようないい面も見受けられることはあるのでありますが、全体としてそういう印象であります。ところが十五年とかいったような非常に赤字の多い、再建計画を立てることすら実際は非常に困難だというふうな府県市町村等もかなりあるわけでありまして、そういうところではおそらくこれはもう想像の問題でありますが、今の財政制度のままではとうてい救済し得ない、一応再建計画というのは、これは自治庁から再建債の金を借るわけですから、一応再建計画を立ててはおりますが、しかし実際にそれが実行できるかどうか、また実行して果して巨額な赤字が解消できるかどうかということを真剣に客観的に考えますると、相当に大きな疑問が抱かれるのでありまして、これは何とか——ことしはいかなくても、来年度でも真剣に考えていただいて根本的な——財政制度だけの問題でないかもしれませぬが、行政制度もあわせて根本的な再検討をしていただく、そういう必要が起るように思うわけであります。
  30. 豊田雅孝

    ○豊田雅孝君 事業税について御見解をお伺いしたいと思いますが、御承知のように農業と商工業のバランスがとれておらない点については、これについて農業に事業税を課すべきか課すべからざるか、もし課してはならぬということならば、どういう方法で農業と商工業のバランスをとったらいいかというような点について御見解を伺いたいと思います。
  31. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) 農業事業税の問題は、これはかなり前々から議論されている問題でありまして、また政治的ないろんな問題とからむ問題でありますが、御承知だと思いますが、農業に対して事業税を免税するという考え方は、昭和二十四年のあのシャウプ勧告の中のアドヴァイスによったわけであります。その場合のアドヴァイスの内容は、日本のその当時の——昭和二十四年当時の状態ですが、日本の農業は、これはまだ食糧自給が十分できてない、当時アメリカからいろんな食糧の補給を受けておった時代でありますが、従って農業を税制の面においても保護して育成しなければならない。これが一つの理由。それから第二の理由は、農産物の価格、その当時は一そう統制が今日よりも範囲が広かったわけですが、農産物の価格は公定されておって、いわゆる自由価格ではない、従って公定価格から上る収益をもって他の商工業の収益と同じように見るわけにはいかない、これが第二の点であります。それから第三の点は、御承知のようにシャウプ勧告によって固定資産税というものが約三倍くらい増税されたのでありますが、ところが農民は土地が生産手段であって、従ってこの固定資産税の増徴が非常に強く響く、だから事業税の方は減税といいますか、免除すべきである。この三つがシャウプ勧告のアドヴァイスであります。それによりまして農業に事業税を課税しないという方針で今日まできているわけであります。ところでその後いろいろ社会、経済情勢も移っておりまして、もちろん今日でも農業を保護する必要はあると思います。いろいろ農業改良についても必要な点もあるし、またいろいろ考えるべき点もあると思いますが、米の価格の引き上げその他から見まして、また、その後の農産物の増産というふうなことから見まして、昭和二十四年当時における農業保護の必要と比べると、今日は、まあシャウプのいう意味での、食糧の自給という意味での保護は、若干薄らいでいるのではないかというふうに思います。  それから価格の統制の問題でありますが、これも昭和二十四年から見ますると、かなり統制のワクがはずされまして、今日は米だけであります。まあそういう点もあります。それから農業が、固定資産税が非常にふえて、そうして負担が重くなる。従って、事業税を免除すべきだと、この議論は最初から私も少しおかしいと思っておったのですが、つまり固定資産税の増徴ということは、もちろん比較的にいうと、土地を生産手段としている農業に重くかかるわけですが、しかし、ほかの商工業者であっても、その営業用の建物、土地その他についてはかかるわけで、これは程度の差であって、それによって免税すべきだと主張するのは、少し行過ぎのように思ったわけですが、今日でもそういうふうに思っております。そういうことをいろいろひっくるめて考えますると、商工業者の、特に中小企業者などの負担とのバランスを合わす関係からいいまして、農業に対してある程度の事業税を課税することは、妥当性があると思いますが、しかし、その税率は、これは他の商工業と同じであってはならない。これは農業の場合は、いわゆる勤労所得的な負担が非常に重いので、そういう意味で、税率の点では半減するとか、何か相当手かげんはすべきだと思いますが、それ以外において負担の均衡というふうなことから考えますると、理論的にいえば、農業に事業税を課するということには、軽減して課するということには、否定すべきことはないと思います。  ただ、しかし、御承知のように、農村の住民というのは税金の負担以外にいろいろな、協同組合とか、いろいろないわゆる租税負担以外の公課というものを背負っております。これが、私の調査しましたのでも、農民の地方税負担まではいきませんが、地方税負担を少し下回るぐらいに、非常に重い負担をしております。そういう都会の住民にないような負担が相当あるのであります。そういう点も十分考えて、そうしてその税率等は考えるべきだと思います。しかし、原則として、農業にも軽い税率でもって事業税を課税するということには、私としては異議はないと思うのであります。これもしかし、先ほど申しましたように、非常に政治的な問題が強いので、それは私が直接関係はないわけでありますが……。
  32. 岡田宗司

    ○岡田宗司君 二つお伺いしたい。  第一点は、町村の合併が行われまして、大体大部分済んだのであります。これらの最初の目的は、財政上の問題から出てきたのでありますが、その効果ですね、地方へおいでになって調べていられると思うのでありますが、上っておるかどうか、その判定が一つ。  それからもう一つは、富裕と申しますか、とにかく富裕県とか、あるいは財政上豊かな県と、それからいわゆる財政上の貧弱な県、これを見ておりますと、大体商工業の発展している県は地方の財政も非常に豊かである、まあ農業だけ、主として農業のところは悪い。こういう状況です。先ほど中田君も言われましたが、徳島なんかその例なんですが、この商工業の発展しているところと、農業だけしかないというところとの差ですね、これはまあいろいろな点からそういう差ができてくるのですが、それがずっと続く限りは、なかなか地方財政上における府県間のアンバランスというものは除かれない。この場合に、一体今の地方財政制度を、どういうふうな方法でもっていって、このアンバランスを除く方法に進めていくか。それについて何かお考えがあるか。この二点について一つお伺いしたいと思います。
  33. 藤田武夫

    公述人(藤田武夫君) お答えいたします。  最初の町村合併の問題でありますが、今お話のように、町村合併は、最初主として財政的な理由で、合併をすれば、行政施設その他が合理化されて、また、ある程度の地方団体も大きさを持たなければ、大きな財政力もなく、従って行政能力もない、従って近代的な地方自治がうまく展開されないと、こういうことで出発をしたわけであります。そして、御承知のように、かなり政府の意図するような計画に近づいた成績を上げております。町村合併についても、数回調査をしたこともございますか、これは一律に合併が失敗であったか、あるいは成功であったかということを申し上げることは、実際問題として困難だと思います。これは合併の事情、あるいはその町村が合併して、ちょうどそれが一体化してうまく運営されるような事情のもとに合併されたかどうか、あるいは、その合併に際して、県なり、上からといいますか、ほかの方の干渉というと語弊がありますが、ほかの方の力が少し強く加わり過ぎているかどうかというふうな、いろいろな条件によって、結果も、まあ私が調べたところでも相違しております。  しかし、この町村合併というのは、私の今持っております考えでは、二つの面を持っておりまして、一つは、なるほど従来の人口三千や五千程度の町村では中学校一つも維持できない。まして、診療所とかその他いろいろな社会保障等、気のきいた近代的な地方自治はできないので、そういう意味で、町村合併によって、一方あるいはその程度の大きな団体にまとまったということは、そういう近代的な地方自治を展開する基盤ができたということにおいては確かに意味のあることであり、またそういう方向に向っている町村も見受けるのであります。しかしまた、一面から申しますると、その町村合併が、その住民の、各地域の具体的な社会経済条件に即応しないで、無理押しに町村合併が行われたとか、あるいは、その内部の一部の勢力によって動かされたとか、そういう場合には、このでき上った合併町村の団結力も、ともすると乱れがちであり、またそういうことであれば、せっかくねらった地方自治の発達もむしろ妨げられるというふうな例もあるわけでありまして、従って、町村合併は、まあ合併されたところで、一応近代的な地方自治を展開する基盤が与えられたという意味では、一応の意味があると思いますが、それを今後どういうふうに運営していくか、その住民がよほどそういう場合に地方自治に目ざめて、民主的に、それを土台にして近代的な地方自治を展開していくということになれば、この町村合併というものが非常に意味を持ってくる。しかし、住民がそういう気持にならないで、またそういう条件もうまく成熟しないでいると、これは全く政府や県の出先機関のような、上の統制の中継機関のような形に実質上堕してしまう、そういう危険の見られる団体もあるのであります。そういう意味で町村合併を、今後意義を発揮させるかどうかということはむしろ今後の住民のそれに対応する仕方、あるいは指導者の指導の仕方ということが非常に影響するのではないか、こういうふうに思うわけであります。  それから第二点の問題でありますが、ただいま御指摘のように、この弱小団体と富裕団体との間の財政のアンバランスということは、これは根本的には国内の経済力の非常なアンバランスでありまして、たとえば東京は都民所得が一年一兆円近い都民所得が上っている。ところが青森とか、秋田とかいう方向へいきますと、今正確には覚えておりませんが、大体四百億程度である。こういったようなアンバランスがあり、それが年々ひどくなる。こういうことに、基本的な問題に基いてこの地方財政のアンバランスができているわけでありまして、この財政のアンバランスを緩和するためには御承知のような地方交付税、まあ主として地方交付税にたよっているわけであります。従ってこの地方交付税を、きょうも公述に申しましたように、できるだけ合理化し、配分の方法も合理化し、またできれば国家予算の許す範囲で総額をふやすということが必要だと思います。しかしこれは、つまりアンバランスができたあとからいわば追っかけているようなものでありまして、根本的にはやはり経済力のアンバランスというものに対して何らかの手を打たなければ解決し得ない問題ではないか。この問題になりますと、これはもう財政政策の領域をこえる問題でありまして、国の全体の後進地域の開発というふうな経済政策の問題に発展するわけでありまして、従って地方財政問題の解決ということについては国全体のそういった後進地域をどうするかという経済政策をあわせて十分に考えていただくということになるのではないかというふうに思うのであります。   —————————————
  34. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 次には京都大学教授桑原正信君にお願いいたします。
  35. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) 私は主として農林予算に問題を限りまして申し上げてみたいと思うのでありますが、申すまでもなく予算というのは、この場合農林予算でありますが、これは農業政策のいわば財政的な表現なわけでありますから、そういう予算の根底をなしております農政的な立場、あるいは観点というものを主として私の考えを申し上げてみたい、そういうふうに考えるのであります。  従来の日本の農業政策の基調は申すまでもなく食糧増産であった、これはほとんど食糧欠乏の時期におきましては無上命題といっていいほどの、そういう強さをもって取り上げられ、従って農業政策の全体がこの食糧増産の問題に対して一つの体系付をなされておったというふうに見ることができるわけであります。ところがその後外国食糧輸入などによりまして、次第にこの無上命題であった食糧増産という問題がくずれかかってきている。たとえば本年の予算編成についての資料を拝見しましても、重要施策として農林漁業関係について、これは大蔵省が出されたものでありますが、それにあげられているのは新農山漁村建設事業、農林漁業試験研究の拡充、休種の転換による人工造林、それから漁港の施設、農林漁業金融公庫の貸付拡張というような幾つかの施策を通じてねらうところは、農林漁家の経営の安定である、こういうふうに出されているのであります。おそらく数年前の事情でありますならば、当然これは食糧増産という一つのフオーカスをもって、その焦点に合せられてもろもろの政策が打ち出されるはずでありますが、しかし現在の段階におきましては、もはやそこには食糧増産という具体的なものは表面には出てきておらない。ここにいわゆる農業政策のかなり大きな変り方というものが見られるのではないかと思うのであります。ところがそういう変り方、あるいは今申し上げましたような幾つかの基本的な線を取り上げましても、いかなるものを生産することによって終局のねらいとする農林漁業の経営の安定を達成するかというようなことについては全然表面的には打ち出されておらない。もちろんこれは農林省の関係のものについてはそれはこまかく出ておるわけでありますが、大蔵省の立場において全体の予算編成をされる場合にはそのことは表面には出ておらない。むしろ私は今日の農業政策がいわばバツク・ボーンを欠いておる。で、その施策のねらいが抽象的であり、あるいはまた総花的となっており、従ってそのことがまた予算面にもかなりはっきりと現われてくるのではないかと思うのであります。そういう意味の代表的な政策は、いわゆる昨年から取り上げられております新農山漁村建設事業だと考えるのであります。  そこで問題は、果して今日の日本の農業、あるいは国民経済の全体の中で考えまして、食糧増産についての位置をそのように考えていいかどうかという点であります。で、結論的に申しますならば、私は少くも現在の日本においては食糧増産を農政の背骨からはずすべきではない。むしろこれを中核として全体の農政を体系付けることが必要ではなかろうかという考え方を持つのであります。その理由を申し述べたいのでありますが、まず経済的な立場で問題を取り上げますならば、一つはよく言われますように食糧を増産するならばそれによって輸入食糧が減り、従って外貨の節約になる。いわゆる三十年、三十一年において起りましたような豊作によってそのことが現われるわけであり、また逆なことは二十八年の凶作において現われたわけでありますが、そういう国際収支の上から食糧生産を、あるいは食糧増産を意味づけるということはもちろん重要な点でありますが、しかし、私はさらに次のような二つの事柄をつけ加える必要があるというふうに考える。その一つは、農民の持ついわゆる国内購買力の点でありますが、今日農民の持つ購買力は、決して全部とは申しませんが、きわめて多くの部分が食糧の販売によっていることは疑う余地がないのでありますが、ところが、それに対して戦後あるいは最近においても行われております議論の一つは、日本食糧生産というものが、いわば非能率である。従って、その食糧生産を他のより有利な農産物にかえることによって、いわゆる食糧生産というものの重さを低く考えて差しつかえない、こういう意見があるわけでありますが、しかし、抽象的な議論は別といたしまして、果して今日、米麦というような日本の普遍的な農産物の作付を減らして、そしてなおかつ、それに代替することによって農民の所得を確保し得るような、そういう一体農産物があるのであろうかどうかと、具体的な点になりますと、多くのものが口をつぐんではっきりした答えを出しておらないのでありますが、私はこういう問題は、抽象的な論議ではなしに、具体的な形で示されなければいけないと思うのでありますが、そうなりますというと、今日農民の購買力というものが、今申しますように、食糧生産、それに基いて得られておる部分が非常に大きい。そしてその購買力は、言いかえますならば、日本の工業製品、あるいはその媒介者としての商業者、そういうものにとって大きな影響を持つのでありまして、これは農民の数が三千数百万に上るという、その数の点において一つの巨大な購買力をなしていると考えられるわけであります。そういうふうに考えますと、食糧による所得の確保という問題は、ただ農民がそれによって経済的ないわゆる盛衰を感ずるというだけのことではなくて、国民経済全体の循環の中において、いわば他産業、言いかえますならば、商業なり工業なりの、そういう面の発展のためにも、やはりこの巨大な購買力を一定の水準に維持するということが必要になってくるのではないか。よく貿易中心の見解が述べられまして、日本は貿易国として立たなければならぬということが主張されるのでありますが、その一面を認めることにやぶさかではありませんけれども、しかし、同時に、国内のこの一つの巨大な購買力というものを無視することもできないのではなかろうか。そういう意味において、食糧増産、それに基く所得の確保という問題は、ただ農民のエゴイスティックな立場から主張されることではなくて日本の全体の経済発展の立場においてもまた肯定されなければいけないのではないかというふうに考えるのであります。  それから第二の点は雇用の問題でもりますが、世をあげて神武景気というような言葉を使われておりますが、しかし、その神武景気と言われる中においても、都市において顕在的な失業者の存在することも、また潜在的な失業者の存在することもきわめて明瞭な事実であります。この場合、農業がいわば人口あるいは労働力の包容という点において、きわめて大きな役割を果しておる。で、言うまでもなく、今日あの程度に顕在的な失業者が食いとめられているという事実は、言いかえれば農村における過剰就業という事実を土台にして初めて成り立っているのではなかろうか。そうしますというと、政府が標傍しておられますいわゆる完全雇用への道という場合に、それはただ単に農業を切り離して、農業においては過剰就業あるいは潜在的大量の失業をかかえたままで、しかも他産業における雇用の問題を解決するという形では、ほんとうの意味の完全就業の問題の解決にはなりにくいのじゃないか。しかし今申しましたように、今日の段階においてさえ、農業以外の他産業において失業群があるという場合に、一挙に、あるいは短かい期間において農業の失業者さえも解消できるという確信なり、あるいはそういう可能性があるというふうには私には考えられないのであります。そういう意味で、やはり農業が雇用拡大していく、農業それ自体の中においても雇用拡大するという努力、あるいはそういう政策的な仕向けというものが必要になってくるというふうに考えるのであります。  以上あげましたような国際収支の点から、あるいはまた、この購買力の確保の問題、さらに雇用の問題、こういうことからいたしまして、国内における食糧自給の態勢の確立ということが必要だと感ずるのでありますが、なお、以上の経済的な見方を離れて、政治的な立場と申しますか、そういう立場をとるならば、日本は独立国になったということをよく言われるのでありますが、しかし、民族のほんとうの意味の独立というものは、日本のような場合においては、やはり最低限、ある程度食糧からの独立という問題が確保される必要があるのではないかというようなふうに考えますと、経済的に見ても、あるいは政治的な立場から見ても、食糧確保の道が、今日の農政においてもなお基調とならなければならないというような主張を持つのであります。ところが、そうだからと申しまして、私は決して食糧増産ということを、いわゆる食糧欠乏期の、具体的に申しますならば、米麦、イモという、そういう段階のいわゆる食糧増産とは、今日かなり実質が変ってきている、また、変えることが必要ではないかというふうに考えるのであります。それは敗戦に伴って、きわめて乏しくなつた日本の土地の高度の利用、それからできるだけ、先ほど申しましたような農業内部での労働の完全利用の途を開くこと、あるいはまた、農業における資本の効率化という問題、そうしてこれを通じて農家の所得を高めるということが課題なわけでありますが、そういたしますというと、この段階での食糧増産というものは、決してかつてのように、いわゆる米麦、イモのみの食糧生産はでなくて、それにいわゆる集約的生産、私はこの言葉によって高級の蔬菜であるとか、あるいは果樹であるとか、あるいは牛乳であるとか、その他の畜産物というようなものの生産を含ませておるつもりでありますが、そういう意味の集約的生産、すなわち食糧生産と集約的生産というものを総合的に調和的に発展せしめる、そこに私は日本農業の今後の進路があるのではないかというふうに考えるのでありますが、ごく最近農林省振興局が主催されまして、全国各府県から一名ずつの代表的農家を選抜して、いわゆる営農設計の実績発表をやられたのでありますが、その発表を通じて見ましても、そこに現われている——これは四十六人やったわけでありますが、その報告者の一人としていわゆる米作を縮小する、そういう経営の方向に向っているものはないのでありまして、すべての従来の米あるいは広い意味での食糧と、そうして先ほど申しますような集約的生産というものをいかに結びづけるか、こういうところに苦心の跡が見られるのでありますが、たとえば日本の西南暖地においての最近の注目すべき一つの土地利用の形態は、水稲の早期栽培、そうして従来の裏作の間にさらに一作を入れていく、あるいは田畑の転換的な利用というようなことが新しい時代の技術として頭をもたげているということはきわめて注目すべきことであり、そうしてこれが今後の日本農業の進むべき道として考えられるのではなかろうかと思う。従いまして、従来言われているような米か、しからずんば、たとえば乳牛、あるいは米か、しからずんば蔬菜というのではなくて、そういう二者択一的な考え方ではなくて、米と乳牛、あるいは米と蔬菜、こういうふうな一つの総合あるいは調和的な経営形態というものが打ち立てられなければいけないのではないか。従って、新農村建設の中心の命題になっておりますいわゆる適地適作というようなことも、その意味がもし米麦からの脱却、そうして米麦以外の新しい作物にということであるならば、私は全く日本の農業の新しく進むべき方向を示すものではないのではないかと思うのでありまして、それは今申しましたような、従来の米麦と他の集約的生産との総合的、調和的な発展という形で理解されるべきものではないかと、こういうふうないわゆる新しい農業の進路というものをはっきり見通しをつけて、基本的な構想の上に農業政策が打ち立てられ、そうしてそれによって予算の編成が行われるべきではなかろうかと思うのであります。で農林関係予算を拝見いたしますと、いずれもまことにけっこうなことが並べてありますが、私はそういう平面的、羅列的な予算の取り上げ方ではなくて、今申しましたような重点を持ち、一つの体系づけられた農政として、そうしてそれに基く予算として組み立てられる必要があるということを感ずるのであります。  そこで、そういう立場で私の希望を申し述べさしていただくならば、結局その基調は、今申しました方向に沿って生産性を高めること、それから農民が不安なく生産を続ける条件あるいは環境を作るということが、この政策上あるいは予算編成の上の重要な課題になると思うのでありますが、そういう立場でまず一つの問題は農地についてであります。農地改革は終ったというふうに言われておりますが、私は農地改革はむしろ今後さらに進められなければならないという考え方を持つのであります。それは一つの点は、今日とうとうとして他産業あるいは農業以外の利用のためにきわめて豊沃な土地が荒廃しているという事実、この事実に対していわゆる農業地域を設定する、そして農業用以外の用途に対してはその利用を簡単に許さないということが一つのワクとして設定される必要があるのではないか。それから同じ問題の中の第二点は、いわゆる惰農的な耕作者の耕作に対する抑制の問題を取り上げる必要があるのではないか。農地改革は確かに耕作者に対して土地の所有権を認めるというある意味での画期的な改革をやったわけでありますが、しかし、そのことをよく考えますというと、それは一方において土地所有の権利を得たということは、地面において善良なる耕作者の義務を果すという、そういう権利とともに義務を負うという意味に解釈してこそ先般の農地改革というものは私は是認されるのではないかと思う。そういう社会的に見て生産力を高めるもの、そのにない手がいわゆる自営的、あるいは自作的耕作者であるというような社会的な要請というものが根本にあり、その限りにおいてそういう機能を失った地主の退歩というものが要求されたのではないかと考えるのでありますが、ところが、次第に、一たんそういう土地所有の権利を持ちました者が、今度は、ことに都市近郊などによく見られる例でありますが、きわめて不十分な土地の利用をやって、そうしてやがて土地の値上りにときをかせいでその耕地を高く売り飛ばすというような傾向が全面的に現われているのではないかと思う。そういう意味で惰農的耕作者に対する耕作権の制限という問題は、これは私は今後皆さんの御研究と、また、これをある意味で具体化していくことが必要ではないかと思うのであります。イギリスのたしか農業法だと思いますが、その中にははっきりこういうふうな規定を取り上げ、しかもその法律に基いて抑制を受けた統計的な事例まで載っておるのでありまして、これらは一つの参考とすべき点ではなかろうかと思うわけです。  なお、土地の問題にしましては、一毛作田の全面的な解消の動き、運動、あるいは灌排水施設の徹底というような事柄、これらの事柄はもちろん農林予算の中にあげられておりますが、しかし、私の先ほど来申しましたような、いわゆる重点をここに置いて施策を行うべきであるという考え方からいたしますというと、その予算額というものは決して十分なものではないというふうに考えるのであります。  なお、二十八年を境といたしまして災害復旧費が非常に減っておるのでありますが、これは災害がないという意味ではまことにけっこうなことではありましょうが、しかし、従来の日本のこういう意味の予算というものは、常に災害のあとを追っかけたといううらみがあるのでありますが、むしろ災害に先立ってこの手を打つということ、そしてまた、災害が忘れられたころに来るというようなことを考えますならば、こういう意味の、たといそれを災害復旧費と名づけなくても、そういう意味の予算というものは決してゆるがせにすべきものではないであろうということを感ずるのであります。  以上が農地、広い意味での農地を取り巻く問題点でありますが、で、第二の点は、以上のような、新しい農業の動きに対しまして、いわゆる技術の研究なり普及、こういうことがもっと予算的にも強く打ち出されてしかるべきであろう。従来とかく農業経営の問題と申しますと、経営のいわば客体的な条件、あるいは客体的な問題だけが取り上げられておったのでありますが、しかし、最近の傾向として、いわゆる戦後百姓、言いかえますならば、戦後に初めて農業についたそういう戦後百姓の中に、きわあて高い水準の農民が出ておる。そういう高い経営が打ち立てられておるということを考えますというと、いわゆる経営主体の問題というものが、従来とかくおろそかにされていたのではなかろうか。そういう意味で今申しますような研究、普及の問題というものが、今後もっと力を入れられなければならないのではなかろうか、こういうふうに思うのであります。  それから第三番目には、先ほどのような新しい方向に向って生産性を高めるためには、やはりいろいろな意味での協同的な組織、あるいは運営というものが必要になってくるわけでありますが、そういう点から考えますと、いわゆる農業協同組合というのはこれは農業協同組合法の線に沿って育成され、あるいは発展しておらなかったということが言えるのではないかと思う。その意味は、農業協同組合法に掲げられましたかなり多くの、あるいはかなり重要なポイントは生産を基調とするということでありますが、ところが、その点において今日の農業協同組合は非常に欠けておるわけでありますが、こういう農業の新しい方向に向って営農生産の体制を確立して、そして協同組合の広い意味での経済活動というものをそれに結びつけていくという動き、それを助成する予算、そういうものが打ち出さられる必要があるのではなかろうか、こういうふうに考えます。  以上三点が、いわゆる生産性を高める問題として、また、その基盤として必要になってくると思うのでありますが、さらに今日農民の最も大きな不安は、いわゆる食糧の管理についてでありますが、この点については狭い意味での食糧といわず、とにかく重要な農産物については、価格安定の政策をはっきり打ち出していくということが必要になってくると思う。ことに、一方において増産を取り上げながら、他方においてこれをくずすような施策、たとえば輸入農産物によってその価格をくずしていくというような処置は、きわめて大きなロスを持ち、また、農民の生産に対する意欲を減退させるという意味において、厳重に慎しまなければならぬ点ではないかと思うのであります。  最後に、このような施策が進められます場合に、農村あるいは農民の間においても、階層的な差異というものが次第に高まることは否定できない。そういう場合に単に農業政策の範囲としてではなしに、広い意味での社会政策的な施策というものが、農村において欠けているのではないか。とかく農村社会は相助隣保の社会であるというようなことから、そういう施策が取り残されがちでありますが、しかし、それはそうであるからといって、軽視されてよい事柄ではなくて、もっと農業政策の中に、従って農林予算の中に織り込まれなければならぬ性質のものではなかろうか。  以上、生産性の問題について三つ、それから価格安定について一つ、それから階層分化に対する処置としての希望が一つ、以上が私のいわゆる日本の農業の進め方をどう見るかというその基盤に立って、要望いたしたい点なのであります。(拍手)
  36. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 桑原教授の公述に対し御質疑はございませんか。
  37. 羽生三七

    ○羽生三七君 お話しのうちのこの最後の方の価格政策に関してのことでありますが、御承知のように価格支持は農民の生活を擁護するために必要ではあると思います。しかし、問題はアメリカでもそうだと思いますが、価格支持政策のために非常なたくさんな金が要って、しかも消費者といいますか、国民大衆の税金で、無限にこのプライス・サポートを続けては困るというので、かなり前のブラナン長官からベンソン長官に変って政策の転換の際に、非常に大きな問題を起したのである。そこでアメリカよりはるかに弱い日本では、当然この価格支持政策で農民を守らなければならぬし、また、その限りにおいては、われわれも御説の通りだと思いますが。しかし、日本消費者も非常に弱いので、事実現に外国の安い食糧なり、あるいは農産物がある場合に、日本の農産物がそれに比べて高い。その差を昔の食糧の補給金みたような形でプライス・サポートをしていく場合には、日本財政上なかなか困難です。そこで、財政上に困難をあまりかけないように、しかし農民にも得になり、消費者にも迷惑をかけないという立場を考えますと、結局において私は農業における生産性の向上ということになると思います。これはよく言われる国際競争力を、日本農業の中につちかっていくということになると思います。そういう面で農業生産力向上ということなくしては、これをただ単純な価格政策だけでは、非常に困難なことと思うのでありますが、桑原先生のお話しの中には、当然今の農業生産力の向上といいますか、農業生産性の向上を含めておると思うし、それをまた必要な条件とされておると解してよいかどうか、この点をお伺いいたします。
  38. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) お答えいたします。アメリカの農産物価格支持政策をお取り上げになって、そのもとにおいては増産が非常に進み、それがやがてこのアメリカ財政的に一つの問題を巻き起したという点でありますが、その点においては、もちろんこれは価格のきめ方いかんにありますが、アメリカのような、いわゆる作物転換の容易な地盤と日本のような場合では、かなり事情か違うのではないかと思うのであります。従ってもし再生産確保というような、農民の再生産確保というような点をねらって価格がきめられておる場合においては、決して価格安定政策をとったがために、この非常な増産を来たすというようなことは、日本の場合には私は考え得ないのではないかというふうに思うのでありますが、まずその点が一つ、それからそれに結びつきまして、いわゆる消費者の立場及び生産者の立場をどうして調和するかという問題が一つ含まれていると思うのでありますが、で、この問題は今カレントの問題となっておりますいわゆる食管の問題にかかわるわけでありますが、私は消費者の大衆の生活を安定させ、一面において生産者に対して生産に対する安定的な経営を可能にするという、その両面から言いますと、たとえその食管のああいうやり方について赤字が出ても、それはある意味で、広い意味で、私は社会的な負担として考えて差しつかえないのじゃなかろうか。もし、そういう見方ができるとにれば、私は非常にある意味で安上りな政策になっているのじゃないか。少くも米価か安定されているという意味において、この消費者の満足あるいはまた、生産者もそれによって満足できるというならば、その負担を国が負うということは、決して全面的に否定さるべきことじゃないのじゃなかろうか。しかし、もちろん私は現在の食管の運用がそのままでいいということを申し上げるのではありませんか、その根本の点については、以上のように考えるのであります。  それから第三には、いわゆるそういうふうな進み方において、あるいは段階において、生産の合理化とか、あるいは生産性の向上というものが、当然に予定されておらなければならないかというお話しでございますが、それは全く私も同感でございますし、また、先ほど申しましたような、たとえば土地の問題にいたしましても、それはそういう、私の申し上げたような意味の土地政策をとることによって、やはりそれは生産性を高めるということであり、また、その後にあげました農業の技術の研究あるいは普及というような問題も、それを通じて生産性をも高めていくということにつながる問題でありまして、もろもろの施策がやはり生産性の向上、あるいは一面においてはコストの引き下げというような点に集約されて現われてこなければなるまいという点については、全く私も同じような考え方を持っております。
  39. 海野三朗

    ○海野三朗君 桑原先生にちょっとお伺いしたい。アメリカのあの農業の状態を見ますというと、農産物、そういうものが非常に豊富なんであります。そうすると、わが日本の状態つまり日本の農家というものは、将来どういう方向に進んでいったらいいのでありましょうか。これが第一点。  もう一つは、先ほどちょっと災害のことに触れられましたが、災害の復旧工事が何年もかかってやっておる。半分くらいでき上ったときに水に流され、また、もとのもくあみになっておるというのが、日本の現状でありまするから、災害復旧費か減ったということは、減らしてはいけないので、やはりこれは河川の状況なり、治山治水のことに、前もってこれを防いでおく、風水害があっても、大丈夫なようにやっておくという方向に持っていくべきじゃないか。そうしてこの災害復旧費が減ったといっていることは、未来に対して、少しも未来を考えない予算あり方ではないかと、こう思うのでありますが、桑原先生、どういうふうにお考えになりますか。この二点について、どうぞお教しえを願います。
  40. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) お答えいたします。まず第一点は、アメリカの農業生産力の飛躍的な伸び方に対して、それと競争関係にある日本の農業あるいは農民の今後が、どうあるかというお尋ねだと思うのでありますが、確かに生産力それ自体を比較いたします場合に、そこにかなりの違いのあることを認めなければならぬのでありますが、しかし、私はただアメリカの麦と日本の麦、アメリカの米と日本の米、それを、そのものだけを比較してそして多少とも安いものがあれば、アメリカのものを買わなければならぬという考え方を持つならば、私が先ほど来かなりくどくどと申し上げました、いわゆるいかなる意味において日本の農業あるいは食糧生産、農業というものが、国民経済的な意味を持つかということをいわば抜きにしての考え方になってくると思うのです。そういう意味で私は先ほど申し上げたような筋道で、ただ単にこの米と米、麦と麦を比較するというようなことじゃなくて、やはり国民経済全体の立場でそれを考えていかなければならぬ。従ってその過程においては、ある場合においては保護的な措置をとるということも、これは私は当然なことであろうと思う。考えてみますというと、日本の工業におきましても決して最初から明治初頭から自由貿易の中にさらけ出されたのではなくて、いろいろな形でそれは国家の手厚い保護助成を受けて、私は今日の段階に達していると思うのです。そういう意味で農業に対してそういう措置がとられたとしても、何も否定すべき事柄ではないのじゃないかというふうに考えるのであります。  それからいま一つのお尋ねの点は、この災害の問題でありますが、これについて私も先ほど申し上げましたように、従来日本では災害がありますと、そのあと追いかけて復旧ということをやって参りました。従って常に災害のあとを処理していくという以上に出なかったと思うのでありますが、そして多くの場合、それは自然的災害であると、いわゆる人力を越えたものであるというふうに片づけられておったと思うのです。しかし、今日いわゆる天災とか自然的災害というものの中には、私は非常に多くの部分がいわゆる社会的なものであり、いわゆる天災ではなくて人災であると考うべき要素が強いのではなかろうかと思うのです。従ってもし災害に先立って資本を投じ、その自然に対する抵抗力を強化しておけば、弱いときにおいては災害になったであろうものが、その強化された段階においては災害としては表われないと、こういうことになると思うのでありまして、そういう意味では、ただいまの御意見のごとく、私は災害の少い段階においてこそ災害に対する予算を取り、そして災害に一歩先んじていわゆるその装備を強化しておくことが必要ではないかと、そういうふうに考えておるわけであります。
  41. 天田勝正

    ○天田勝正君 桑原先生のお話は、日本農業のあり方及び将来の方向を差し示して、それにあてはまるように予算を考うべきだと、こういうお話しであったと存じます。そこで、私がお聞きしたいのは、そういう大まかの方向もさることながら、三十二年度の予算においてお話しの、重点的に施策すべき、いわゆる予算をつけべき点はどの点から始めたらよろしいとお考えになっているのか。これは必ずしも、予算規模の範囲内においてあんばいするという方法もございましょうが、そういう形でなく、もし予算規模をはみ出すという形でございましても、農業政策の上においては、これとこれとこれには予算をさらに優先的につけべきだ、こういう点についてのお考えがありましたら、お示し願いたいと思います。
  42. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) お答えいたします。まず当面の予算に関してでありますが、たとえば農林関係予算といたしましては、農林省の説明書を見ますというと、三つの大きな問題を掲げて、その一つに新農村建設の問題があるわけです。私も新農村建設そのものに異議を唱えるものではありませんが、しかしそれらのいわばねらい、構想というものが、私の冒頭に申し上げましたような、少くも日本の農業が今何が必要であり、何をねらうべきか、それと調和させるという形において新農村建設という問題が取り上げられなければいけないのではないか。新農村建設のプログラムを見ますというと、きわめて豊富な、ほとんど日本の農業経営及び農民生活の全面にわたるメニューが出ておるのでありますが、しかし、そういういわば総花的な問題の取り上げ方ではなくして、それをもっと今日の新しい農業の方向に合わせるという形で、あの予算を使うことが必要ではないか、こういうふうに考えるのであります。
  43. 天田勝正

    ○天田勝正君 先生はどこへそれを……。
  44. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) 私の申し上げるのは、まず第一は土地の整備の問題です。もちろん土地関係予算も昨年に比べて若干の増加はありますけれども、しかし先ほど来申し上げましたような意味では、もっとあれを強力に打ち出していくことが必要ではないか、こういうことであります。なお、いま一つの問題は、今日いろいろと叫ばれながら、協同組合のかなり多くのものが不振な状態にある。そういう中において、私がさっき農協が営農的な活動面を取り上げなきゃならぬというようなことを申し上げましたけれども、そういう点について非常に混乱が多いのではなかろうかと思うのです。そういたしますと、そういう面で、国家予算として、いわば営農指導的な職員を配置するような措置を講ずるというようなことも一つの重要な点ではなかろうか、こういうふうに考えますし、また技術の研究、普及など、いわゆる新しい、従来の米麦オンリーでなくて、米麦とそれから集約的生産というものの総合的な形の、いわゆる研究なり普及という意味においては、確かに日本の農業が一つの曲りかどに来ているということが私は言えると思うのです。それだけに、やはりそういう面にもっと予算を重点的に使っていただくことが必要になってくるのじゃないか、こういうのが私の考え方なのであります。
  45. 岡田宗司

    ○岡田宗司君 先ほど羽生君の質問に対しましてのお答えのうちに、まあ現在の食管制度の問題にお触れになりまして、今のように二重価格政策をとって、一般財政から赤字を埋めるという形でいくのは安上りである、社会政策的な意味に見て安上りである、こういうまあ御見解であったように思います。今後の趨勢を見て参りまして、もし桑原教授の言われるように、農業における生産性が、特に米などの生産性が高まりまして、そして日本の米の生産費か全体として下る、そしてそれによってだんだん政府生産者から買い上げる米の値を上げていくことができるというふうになって参りますれば、これは財政上から見ましても大したことはないと思います。しかし、どうも今の状況を見ておりますと、逆のようであります。だんだんと、生産者のいわゆる米の生産費というものも上る傾向にある。これは単に技術的に生産費が上るというだけでなくて、まあ農民のいろいろな政治上の力も加わっておると思いますけれども、現実にはそういう形になって参ります。そうなって参りますと、これはだんだんとどうも米の価格——生産者価格と消費者価格の間が離れて参ります。財政負担もどんどん大きくなってくる、こういうような傾向になってきて、これは財政上の負担が結局大きくなって参って好ましいことではない、こういうことになって参るわけであります。そこで米の価格をどうするかということが、これは自民党でも、私どもの党としても、問題になっておりますが、この米の生産者価格が問題でありますが、これがだんだんと高い方向に行くということになって参りますというと、それじゃ一体農民にどういう影響を及ぼすか。これはもう私が申し上げるまでもなく、十分御承知だと思うのですけれども、これは供出する農民、特に相当供出量が多い農民にとりましては非常に有利になって参ります。しかしながら、日本の零細農家の面から見ますというと、供出しない農家が非常に多いのです。この農家、これは米を全然供出しないどころか、もう買い入れなければならないような農家が多い。この農家にとりましては、これは米の高いということは、農村全体に対する心理的な影響は別といたしまして、実際上の問題から見ますというと、かえって農家にとりましては大きな負担になって参る、こういうような面があるのでありますが、これとの調和の点について何か別の考え方を持たなければならぬのじゃないか、こういうことが私どもでも考えられております。その点について何かお考えがありましたら、お教え願いたいと思います。
  46. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) お答えいたします。まず岡田さんの御意見前提になっておるものは、生産費は下らない、こういうお考えだと思います。その場合に、生産費というのは、単なる経済的な概念じやなくて、それに一つの農民の政治力という裏づけをされたものになって出てくるというふうにおっしゃるのでありますが、そのことは事実そうでありましょう。しかし経済的な意味での生産費というものは、私はこれを下げる努力というものが、いわゆる農業技術あるいは農業経営の方法というものが進むということは、言いかえれば、そういう形で今の問題を多少とも克服していくというところに意義があるじゃないかと思うのでありますが、そういうことから考えますと、政治的な意味ということを一応抜きにして考えれば、私は生産費を下げる方向に持っていく可能性というものが全然閉ざされておるというふうには考えにくいのであります。たとえば、先ほど申しましたように、いわゆる米作は——米作と申しますよりも、むしろ水田利用の高度化というような問題は、少くもその限りにおいては、生産費中に占める地代の割合というものを引き下げる方向に働いておるということは間違いないと思うのでありますが、そういうことで直ちにそれが生産費の引き上げになるという前提でのお話に対しては、私はいささか疑問を持つのであります。  それからなお、農村あるいは農民といっても、その中には米を売る、言いかえれば、高米価によって益する農民と、それからむしろそれによって害を受ける農民層がある。これは全くその通りだと思いますが、しかし私は、そうであるからといって、米価政策というものを曲げるべきではなくて、むしろ、そういう政策によってマイナスの面を受けるものがあるとすれば、それは別個な立場で処理をしなければならない。言いかえれば、血が出るという理由で手術をしないということは意味がないので、やはり血が出たら出たという別個な形で処理をする必要があるのじゃないか。そういうふうに考えられるといたしますと、今の問題も、私はやはり、先ほど最後に申しましたような、結局そういう階層においては、純粋の農業政策の対象であるよりも、より強い、いわゆる農村社会政策的な措置というものが必要になってくるし、またそれが非常に農業面においてはおくれていたのじゃないかというようなことを感ずるのであります。
  47. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 今度の予算で、従来予算のバック・ボーンであった食糧予算関係を比較的薄くしたということに関連しての御批判があったと思うのであります。終戦以後、日本食糧増産というものに一つの大きな意味合いを与えて、これを、バック・ボーンと申しますか、農政上の一つの旗じるしとして進んできたことは御承知の通りであります。簡明に言いますと、その内容は、米麦中心であって、しかも米にあったと思います。そうして財政資金を農地の開発等に重点的に国が投下してきたということであります。それはそれで相当大きな効果を上げてきたと思います。一方、農家経営の観点からいうと、この旗じるしのために相当悪い条件のもとに経営を展開せざるを得ない、一方において相当大きな制約が必然的にあったように思うのです。これは、今の食管制度とどうしても見合って考えるべきものだと思います。その点は桑原先生御指摘の通りであります。一方において食糧増産が強行された、一方において米麦は国の管理制度のもとにあったわけであります。お話によると、現在の管理制度において、これはまあ農産物安定の支持制度とも関連しますけれども、米麦の管理制度、特に米について考えますると、一面において生産者の再生産の価格が保障されておるという見方もできますけれども、これまでの十数年の経過を見ますると、これはどういうふうに先生は御判断されるかは別といたしまして、私は、何といいますか、消費者価格の安定というところの方にむしろ重点が置かれて、生産者面の価格は牽制されてきたと思うのであります。これまでの経過ですよ。もちろん、インフレ激化の過程を通ってきたのですから、そういうふうな結果に現実的になってきたことは、それはそれで、私は非難するつもりはありません、肯定されていいだろうと思うのです。  ところで、現在のああいう管理制度のもとにあって、価格が全国的に一本で、生産の状況が非常に違い、いろいろの条件があるにかかわらず、一本でできるだけ押えておる。二重価格でその間の差を財政上埋めていけばいいだろう、安上りだというお話でありますけれども、国の財政にも限りがあって、そうはいきません。必ずこれは、一般会計でもっても牽制は生産者の方にかかってくることは、おそかれ早かれ、そうなってくるだろうと思います。それから、一面において、こういう管理下において、果してほんとうの意味での生産費が安くなる、あるいはほんとうの意味での生産性が向上するというふうなことが期待し得るかどうか。私は非常に疑問なんであります。そこのところが相当ゆがめられていく懸念が私にはあるのであります。先生は、農業のお話もありました。農業が本来の線に沿っての活動が不十分だという御批判があった。私もその通りだと思う。しかし、今のようにできた米を右から左に政府に持って行く、しかも価格は、高い安いは別として、一定しておって、品種が悪かろうがよかろうが、持って行く。麦もその通りなんです。そういうことが農業の運営の大部分なんです。そういう主要な農産物のあり方をそういうところへ置いておいて、農業の本来の活動を期待するといっても、私はなかなかむつかしいじゃないか、こういう感じがいたします。従って、まあ海外農業との関連性、これはしばらく別としましても、価格支持政策、これは私はどうしても必要だと思います。それは、日本の農業はどうしても保護されなくちゃならぬ、これは当然のことであります。しかしながら、現行の管理制度のもとにああいうやり方を継続していけば、言葉は悪いですけれども、安きに流れるといいますか、そういうことになりがちであって、ほんとうの農政というものがそれから生まれてこようとは実は思えないのであります。これは私の感じでありますけれども、先ほどの先生のお話に関連して私の感じを述べて、御批判を受けたいと思うのであります。
  48. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) むしろ私が御意見を聞かしていただいたような次第でありますが、その御意見に対して、どうも私からどうこうというあれはないのでありますが、お話の中で、価格支持をやることは必要であるが、しかし今のようなやり方については問題があるというお話でありますが、これは十分検討すべき問題を含んでいると思います。しかし、御意見の筋では、何か非常に今日、米価がいわば農民にとって有利に決定されているというようなお考えが根底に含まれているのではないかというふうに……。
  49. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 それは逆なんです。
  50. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) そうですが。そうすると、もし今その統制をかりに解くといたしますと、解くといっても、完全に自由ということは考えられませんでしょうが、その場合には、お見通しとしてはもっと価格が上る、こういうようなお見通しですか。
  51. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 今のこの現実をどうするかということには、いろいろ問題があると思います。しかし、かりに過去十年は長過ぎるとしましても、五、六年を考えましても、この五、六年の間の段階の米価のあり方というものは、私は低目だったと思います。去年、今年の二カ年間の大きな豊作はあります。これは必ずしも、はずしたからすぐ上るとかいうような結論をつけることは困難であります。従って、私は現実の問題でどうこうというのじゃなくて、一つの制度として考えて、過去におけるあり方、将来におけるあり方等から見まして、この行き方というものが、日本の農政というものを現実に伸ばしていって、農家の経営というものを安定さして、生産向上性を増して、生産費を下げていくという方向に沿っている線であるかどうか、こういうことなんであります。
  52. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) それは多分に私はいわゆる生産者価格の決定それ自体に問題があるのじゃないかというふうに思われます。私は生産者価格の決定は、やはり再生産を確保するということを基調にして、そして望むらくは、いわゆる農業者に対する農業者らしい、まことに雑駁な言葉でありますが、そういう利潤が与えられるような程度生産費というものを考えて価格決定をやるべきじゃないか。このことは価格安定政策が必要だということをお認めになる以上は、利は少くも価格決定、あるいは価格安定の一つの重要なやり方として当然問題になってくるのじゃないかと思うのです。ですから広い意味で価格安定をやるということになればパリティでやるか、あるいは生産費ないし所得保証の考え方を入れてやるか、いろいろやり方はありますにしても、やはり今申しましたような再生産の確保ということが少くも一つの必要な条件として考えてこなければならぬ。そうすればそういうことを基調にして価格が決定されるということになれば、そういうやり方でやっても必ずしも生産が萎縮するとか何とかということにはならないのじゃなかろうか、要は価格のきめ方いかんにあるのじゃなかろうかというように私は考えるのであります。
  53. 中田吉雄

    ○中田吉雄君 梶原さんの御質問から一つ感づいたのですが、間接統制で今の米作農家を擁護するような政策ができますか。
  54. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) 間接統制と一般にいわれております場合に、具体的に私の考える間接統制は、かつて日本の米穀統制法に基いてやられたいわゆる価格の最高、最低をきめて、そしてマーケット・プライスを常にその値幅の中に追い込む、こういう措置をかりに間接統制といたしますならば、結局問題は、日本米に対する代替性あるいは消費者がそれをどの程度に代替するものとして受け取るかどうかということにあるのじゃないかと思うのです。その場合に、かりに価格が最高限を突き破って市価が騰貴した場合に、もし日本の米でそれがコントロールできない、その場合に外米を使う、少くもこの場合の外米というのは、私は日本の米を米というならば、あれは米でなくて「こね」といった方がいい性質のものかと思うのです。その米に対する需要を「こね」でもってカバーできるか、こういう点にあるのではないかと思うのでありますが、消費者の性向というものが簡単にそういう代替性をもつかどうか、もちろん一方には麦もありますし、これは簡単に断定できないことでありますけれども、しかしかなり代替性の狭いものであるということはいえるのじゃなかろうかと思うのです。そういう点で多少の見通しが出てくるのじゃなかろうかというようなふうに考えます。
  55. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 議論をするわけではありませんが、それに関連して一言だけ伺いたいのであります。私は別に間接統制論者でもございませんけれども、農業経営の観点から間接統制はどうかという、それに対してはどういうふうにお考えになりますか。消費者の立場はしばらく別にして農業経営の観点から間接統制というものはどうだろうかという質問であります。
  56. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) それは結局先ほど申しましたように価格の決定——私の解釈しますような間接統制でお答えを申し上げるわけですが、その価格決定が、いわゆる最低が生産者の再生産を確保する線において決定されるということであれば、少くもその限りにおいては、いわゆる生産者の経営の立場からは、それを目標としていわばそれに合わせると申しますか、あるいはその価格に対して相対的に有利な生産をやっていこうという経営の努力が生まれてくるのだと思います。それ以上のものではないのではないか、こう考えます。
  57. 森八三一

    ○森八三一君 先刻立大の藤田教授の公述の中に、農家の負担が公けな税金にほぼ匹敵するような額が存在しておる、これが一つ問題点であるという指摘があったのです。団体の負担なんかも、そういうようなことが大きな要因をなしておるというお話がありました。  そこでお尋ねいたしたいことは、農村における各種の生産、あるいは技術、もろもろの関係の団体というものが民主的に組織されなければならぬ。そうしてまた農民の自然発生的な自由な意思によって組織されていかなければならぬ。基本観念はそうでなければならぬと思います。しかし現実はいろいろ法律に基いて団体が構成されているという事実も否定はできないと思う。そこでそういうような農民の当然再生産に用いなければならぬというなけなしの費用というものか負担として租税にも匹敵するほど過重になっておるという事実も考えなければならぬことでありますので、そういうことを考えた場合に、一体農民団体というものがどういう姿であるべきか、そうしてまたそれを法律的に考えた場合に現状でいいとお考えになるのか、そういう団体問題についてどうお考えでございますか、承わりたい。
  58. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) 農業団体は今日非常に各種多様になっておりまして、そのことが結局終局的には農民の直接、間接の負担を高めておるという点については御指摘の通りだと思うのであります。しかもその団体かお説のふうに必ずしも民主的に組織され、運用されておるとは言いがたい点があるわけでありまして、で農民団体の中で一番大きなものだと考えられます農業協同組合をとってみても、法律上の規定は別として私は農業協同組合というものは、いわゆる民主的に下から盛り上る力で作ったものだといわれるのですが、しかしあの経過を見ると、これはむしろ当時の食糧集荷、それから乏しい物資を農業者に配給するという国家事務を担当するために、いわば下から盛り上った団体でなくて、上から命令で作った団体ではないかと私は考えるのであります。従ってそういう生い立ちをもっておりますから、法律の規定かいかようであろうととにかく現実としてはそこに非常に非民主的な要素を多分にもっておるという事実は否定できないと思う。そのほかの団体においてもいろいろ問題があろうと思われるわけであります。  そこであるべき姿はどうかということでありますが、私はそのあるべき姿は経済団体を一つ強力に打ち出すということである。一方においては農民の政治力を結集するための団体というものを一つはっきり打ち出す、こういう非常にすっきりした形で政治と経済の二面にわたって団体の構成が望ましいというふうに考えております。
  59. 森八三一

    ○森八三一君 よくわかりましたが、その場合に、経済というものと政治というものは不可分なものでございますね。それを先生のお話のように、二つに分けていくということがいいのか、そういうものはやはり農民の総合的な一つのものとしていった力がいいのか、そういう点についてはお説は二つでございますか、その点どうでございましょうか。
  60. 桑原正信

    公述人(桑原正信君) 多分に個人的な見解になりますが、私は経済団体というものはあくまで経済事業をやるべきものでありますから、もちろん私の考えます経済という意味はその中に生産を含めているのでありますが、従ってその限りにおいていわゆるそれと直接結びつく農政的な活動は別といたしまして、少くも政治団体としての本質を持つような、そういう団体であるべきじゃないじゃないか、その意味において私は政治団体と経済団体というものを分離することが望ましいというふうに申し上げたわけであります。
  61. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 東京都商工信用金庫理事長、川端厳君。
  62. 川端巖

    公述人(川端巖君) 私は中小企業対策につきまして当面しておりまする諸問題について陳述いたしまして、御参考に供したいと存じます。  まず、一般的な問題と、それから金融問題と税制と、それから組織法、または団体法というような四項目に分けまして申し上げることにいたします。  一般的な問題といたしまして申し上げますことは、中小企業者の近年の経済的地位は年々他の職業者と比較しまして低下しておると存じます。大企業は独占的な大資本の形によりまして、また組織労働者は組織の力をもちまして経済的地位を向上しておりまするか、中小企業におきましては団結かできません。漸次に低下して参りまして産業の劣弱労働となり、大部分の者がだんだんと経済的苦難に陥りつつあると思いますので、どうかこの場合におきまして適切な振興策と保護策とが講ぜられていきますようにお願いいたしたいと思います。また中小企業者は人口的には農業に次ぐ全人口の約三分の一が中小企業者となっております。主として都市に居住しておるわけでありますが、農村にもまた入っておるわけであります。また貿易の点から申し上げますと、輸出品の七割か中小企業の製品であるということでありまして、こういう特殊事情をもちまして、戦後の輸出事情かだんだんと変化をして参っておりまするけれども、しかしながら、なおこの部品製造とか、あるいは下請生産、間接加工等におきましての付加価値の割合におきましては決して退歩しておりませんで、ますます重要性を加えつつあると存じます。最近この最低賃金制か問題となりましたがしかしながら中小企業ではなかなかこの最低賃金ということはむずかしい問題であります。まず企業の収入が——つまり収入の所得格差と申しますか、こういうものが非常に低いのでありまして、従って中小企業者ももうけるようになりませぬと、結局最低賃金もできない。先ほど申しましたように経済的地位がだんだんと低下しておりまする上におきましては、非常に最低賃金ということがむずかしい状態である。賃金格差という労働省の調査によりますると、大企業の月額賃金か大体二万五千円前後、中企業か一万五千円ぐらい、小企業か一万円程度となっておりますが、さらに使用人四、五人未満の最小企業では七千円程度のものも少くないのであります。また三千円程度のものもまれにはあります。家庭内職等におきましては、とうていその生活か自立できないというような状態であります。これらの統計か示すところによりますと、総理府の統計によりますると、昭和二十六年におきまして、全国事業所総数か三百十九万余りであります。それに対しまして従業員五人未満のものが二百六十四万で大体八二%でございます。五人から三十人までのものが大体四十九万でありまして、これが一五%これを二つ合わせまして三十人以下の小企業者が全国企業総数の九割八分であります。また他に従事しておりまする従業員か大体一千万をこえておるわけであります。従業員総数の全国の統計を見ますると、大体従業員が一千三百三十万、その中に中小企業と申しますのが、大体卸売業が三百九十三万、二九%、それからサービス業が三百九万、二三%、製造業が三百七十五万六千、二八%、合計の従業員の数を見ましても、大企業を差し引いて八一%か小企業の従業員であると、かように考えるわけであります。  大企業におきましては、従業員の採用検査はかなりきびしく採用されておりますか、中小企業におきましては、そういういとまがございません。従って完全雇用という題命におきましても、大企業において失業した虚弱者あるいは性能の低い人、あるいは老年幼年、婦人等の人たちの生きるためにはどうしても職業が必要であります、その職業はほとんど大部分が小企業に集まっておるという関係におきまして、社会政策と産業政策との調和をお願いしたい。  中小企業ということにつきましての一般の定義によりまするというと、従業員か三百人、資本金が一千万円となっておりますが、そういう大きなのはむしろ日本では大企業であると思います。自由経済下におきましては、十分に大企業と競争し、労働者に適正な賃金を支払う能力があると存じます。従って中小企業政策は、中企業政策と小企業政策との二つに分れることがだんだんと必要になってくると存じております。  最近中小企業振興法と小売商振興法が出て、主としてこういう程度の人の振興をはかるということであるように伝えられておりますが、零細企業はぜひともこの意味において保護を加えていただくような組織にしていただきたいということを考えるのであります。これらの小企業では、大体企業者と申しますのは勤労者でありまして、勤労者と申しますのは、大体資本の活動がごくわずかで、主として勤労から生ずるところのものでありますので、これが一般の企業と一緒になりますと、勤労所得であるにかかわらず、税法その他におきましてこれが一緒になって区別されておらないと存じますので、どうか勤労者企業に対しては、ここに掲げましたイ、ロ、ハ、というような方法によって特別の対策をお願いしたい。  まず労働基準法によりまして非常に中小企業者は、法律上は困った形になっておるのでありますけれども、しかし、これを外国の例を見ましても、大体徒弟養成の形で除外例が設けられておるようであります。日本にもこういう形が中小企業振興法の中に織り込まれるということでありましたが、ただいまはそれがないようでございますが、これを一つお願いいたしたい。  それから口の「下請企業のため大企業との関係を公正な取引に是正すること。」、取引が支払いその他におきましてどうも公正でないということは、すでに新聞等で十分御承知のことでありますので、どうぞ公正な取引に直してもらいたいということであります。  それから今の小さな勤労者企業の税制に基礎控除その他の特例を設けて、これは一般の企業とは切り離して特別の税制にお願い申したい、こういうわけでございます。  以上が一般的な中小企業の一般論でございますが、次に金融の問題について陳述申し上げます。  金融の問題につきましては、まず財政投融資とそれから信用補完制と、それから預金者保護制という三問題について私見を申し上げたいと思います。近年、先ほど申しました中小企業の地位がだんだん低下していくという理由につきましては、金融経済の形によりまして、中小企業の金融難という形になって現われておりますが、その金融難という意味は、これはその原因を私考えまするところによりますと、大体預金者の預金というものは大部分大銀行に預けられる、それから大銀行はこれを中小企業には貸し出さないで、非常に手数といろいろめんどうのない信用のある大企業にこれを貸し出す、そういたしますると、国中の金というものはみんな大企業に集まる、従って、金融経営は集中性が利益である預金コストと申しまするか、一般に預金コストでも大銀行は七分になっておりません。地方銀行が七分ぐらい、それから信用金庫、相互銀行等は九分、大体九分程度の預金コストがかかっておる、こういう金でありまするから、自然貸し出しも貸付も高くなります。利用者の中小企業者の預金負担というものが高くなります。これを緩和するのは、財政投融資によっていくよりほかに、経済の今後の進み方としてどうしてもそういう傾向を持つと信ずるのであります。ところが、従来の財政投融資というのは大企業にはたくさん出ておりますが、中小企業には割合に少くて、ここに統計がございませんが、ごく、非常に少い数字である。それがために先刻来申し上げますような、中小企業全体が金融難に苦しむのみならず、日本経済国民経済全体が、やはり今日の苦しみがここに現われてくるというように考える次第でございます。統計では資本金を千万円、もしくは従業員三百人というようなことを一つの線として、それ以上を大企業、それ以下を中小企業として統計が現われております。そして中小企業にも銀行協会その他で六割の融資がなされておると発表されておりまするが、実際は百万円程度の金が一番の対象でもりまして、一千万円というのはもう実に大企業である、大企業の大金融であると、かように考えまするので、これを中小企業の金融の統計に加えるということがどうも当っておらないというわけでありまして、しかもまた、この百万円程度の統計におきまして、先年日本銀行の統計によりますると、ただいまは千万円ということになっておりますが、一時三百万でありましたが、それ以下のものが件数では大体八割、しかるに、金額では二割であるというような非常にびっこな形でございまするので、この点が日本経済全体としてもよほど重大視する必要があると存ずるわけであります。  三年前に中小企業金融公庫が設立せられまして、そして中小企業の近代化資金とか、合理化資金などに貸し出しをされました。非常に好成績をおさめられた。まことに近年の中小企業対策としましては、私はいつもこの中小公庫の設立は非常によかったと存ずるのでありますが、従って、また申し込みも非常に多いということでありまして、三十二年度においては大体千万円前後の申し込みがあって、そうして供給は、運用部資金等によりまして借り入れと自己資金とによりまして大体四百数十万円ということでありまして、大体半分に足りない。私ども信用金庫として申し込んでおりまするのは、大体申し込みの三分の一くらいが貸し出されるというようなことであります。この中小公庫、国民公庫、商工中金等に対する財政投融資はもっと増加していただきたい。国民公庫の方は大体一件二十万円程度の貸し出しによりまして目下非常にたくさんの申し込みがありまして、財政投融資増加を要請しておるということであります。これらを三つ、この中小公庫、国民公庫。それから次に商工中金等を合せまして、大体千五、六百億円程度の貸し出しがなされておる、自己資金を含めての——財政投融資はそんなにありませんが、自己資金を含めてそれくらいあると存じますが、しかし、国民所得と比較してみまして国民所得は八兆円、それから全国銀行その他の全部の預金が大体五兆円ということでありますからして、こういう大きな数字と比較しましたら二千億円以下というのはまことに、ごくわずかであります。それがしかも、工業生産額の七割、商業取扱いの八割を占める中小企業に対する財政投融資の緩和でありまするから、とうてい足りないことはもう御想像ができると思います。昨年の暮れ第三・四半期分としていろいろ資金の需要がありましたときも、第四・四半期分を繰り上げをして若干貸し出しをされたということでありますが、なかなかこんな程度ではとうてい緩和するという程度ではなかったものと存じます。  それから財政投融資はまたこういう政府関係の、政府直営の公庫ばかりでなく、全国にございますところの中小企業の金融機関にもこれは流す必要がある。と申しますることは、公庫の窓口だけではとうてい数が足りない。公庫の窓口は幾らございますか、百かそこらでございましょうか、相互銀行と信用金庫だけでも約六千の窓口が全国にあるわけでございまして、この窓口に代理貸し付けとしてこれが及びますようにいたしたいと、かように預託の形をもちまして、これを全国に普及するようにお願いしたい。そのことは同時に、借り手の貸し付け利子が高いということに対しまして、預金部資金をつぎ込むことによって預金コストが下るようになります。預金コストが下れば、自然貸し出し金利も下げられるということになるわけであります。そういう意味合いにおきまして、金融機関の健全化をはかり、また借り手の預金負担を軽減するという意味合いにおきまして、こういう既存の市中の金融機関に対しても預託の必要があと存ずるのでございます。大体が中小金融は大銀行ではどうしても採算に乗らない、そろばんに乗らないので引き合わない、引き合わないから貸さないというのが戦後の現象でありましので、そこで中小の金融機関として信用金庫でありますとか、相互銀行というような金融機関が新たに設けられまして、設けられたのでありますけれども、金利が高いというのが輸出その他におきましても、また国民生活におきましても、非常に差しさわりとなるので、いかにして金利を下げるかということは、結局コストを下げる、コストを下げるにつきましては、預託のような形をとるのが一つの方法であろうと思います。  次に、信用補完制度の充実と整備ということについて申し上げます。信用補完と申しまするのは、銀行あるいはその他の金融機関に対して借り入れを申し込んだけれども、残念ながら信用が乏しいから貸せないという場合に、信用保証と信用保険とによりまして、その人の信用力を保証していく、これによりまして中小企業者の金融難が緩和されるというわけでありますが、この点につきまして、信用保険というのは国営でやる、また信用保証というのは地方庁の保護のもとにこれがやられておるわけでありますが、大体元来が中小企業者の信用補完をするという一つの同じ目的を持っておるわけでありますからして、これはしかるべく調整も必要であろうと存じます。先般信用保険だけについて特別の公社を作って、信用保険公社のようなものを作って、そうして信用保証と信用保険とを合せてやるということになるということが新聞に出ておりましたが、ついに実現を見ておりませんようでありますが、ぜひともこれは必要なことと存じますので、お願い申し上げたい。で、ことに信用保証ということだけではいかない、信用保証に対する再保証は信用保険の形をもってやっておられるということであります。それから、この現在の統計は次の裏に書いてございまするが、現在の統計によりますると、信用保証と信用の再保証と再保険、信用保険の融資保険というので、合せまして五百九十億円、約六百億円の保証と保険とが行われておるのにかかわらず、国家の保険基金というのはわずかに二十億円足らずでありまして、二十億円では約三十分の一でありまして、何か一朝事があった場合にはこれは一体どうなるのだろう、六百億円の中の一割もし間違いがあったら、もうとてもどうにもならないのだ、五分で大体一ぱい一ぱいということになるのですが、そういうような状態でありますからして、もう少し予算をお願い申し上げたい。新年度予算ではまた信用保証に対して十億円を預託するということになっておりますが、これはまあ保証協会に対して、保証協会の運用資金として出されるということでありますが、どうしても、しかし十億円程度ではこの二つの保険制度に対しては足りないと思いますので、少くとも五十億円以上の基金を必要とするように存じます。またこの保険料は今日の低金利政策というものと比べますと、従来年三分という高率でありましたが、現在は二分程度に下げられておるようなものの、これはしかし金利の上に——先刻申しましたこの金融機関の金利の上にさらにこれだけのものが加わるのでありますからして、非常に高率となりますので、一分五厘くらいに下るようにすることが必要だ、かように存ずるわけであります。  それから次は預金者の保護制度、ただいま金融制度調査会によりまして案ができまして、法律案を準備中であるということを伺っておるのでありますが、その内容は、大体信用金庫の経営管理に強権を使っていくということ、それから保障基金として損失があったら金融機関の出損でこれを埋めていく、それから導入預金の禁止ということが内容のようでありますが、導入預金などに対しては問題はございませんが、一般金融機関の経営といたしましては、同業連帯主義というので、損失をたとえば相互銀行とか信用金庫の間におきましては、その機関の業種の中で幾つかの不始末になった同業者の損害を分担するようにと、こういうことに案の内容がなっておって、その分担金は一時政府が債務補償の形で運用部から借りてやると、こういうように伺っておるのでありますけれども、まあ大体の形といたしましては、戦後に始まりましたこれらの新しい金融機関に対して目下その成長過程と申しましょうか、だんだん発展しようとする過程におきまして、こういう方策が必要であるということはまあ当然のことと存じまするが、ただいかにもこの出捐金が少し大きいということがいわれておるわけです。と申しますのは、出捐金は預金量に対して千分の一を出せということになっておる。千分の一と申しますと、信用金庫の例をとりますると、三千六百億円でございますので、千分の一と申しますと三億六千万円ということになりますが、年々三億程度のものを出して十年間で三十億円、三十億円あったらこういう不始末は大体解消ができるだろうという見込みのように伺っておりまするが、しかしながらこれを逆算しまして、利益金ではどうかと申しますると、全国に五百五十ばかりありまする信用金庫の一カ年間の利益金が、前年度におきまして二十八億円であった。二十八億円という預金量から三億を引かれるということになりますると、自然、もしそれを出損しなければ配当ができた。あるいは赤字にならなかったというような例が、いろいろな例が起きてくる。従って、その成長過程の信用金庫といたしましては、これらのことによって成長が非常におくれるというような場合がありますので、これらの点につきまして政府は信用金庫と同額の半分を、万分の五を出して、そうして信用金庫も万分の五を出し合って解決ができるように、この新しい金融機関の成長のためにお願い申し上げたいと存ずるわけであります。  以上金融を終りまして次は税金の問題でございます。税金の問題につきましては、中小企業はいつも不利益な立場に立っておる、特に法人税におきましても大企業では特別減税措置というものが引当金でできております。しかしながら、中小企業はそういうような特別減税措置がなかなかとれない、規模が小さいためにとるような会計経理にならないということか非常に不利益な立場に立っておる。また本年度の予算におきましては軽減税率が、法人の軽減税率が適用範囲を五十万円から百万円に拡張するということになっておりますが、なおしかし、事業税が特に非常に重圧になっておりますので、中小企業者の、ことにまた、小企業に対して過重でありますので、できるならば事業税の撤廃をお願い申したい。  それからこれを農業と比較して参りまして、農業と中小企業との比較を、これはばく然とした比較でございますが、一応比較して参りますると、大体一戸の農家の所得税の年額は二万円か三万円が普通のようであります。十万円というとだいぶ大きな方で、ごく少数になってくる。ところが、商業の方におきましては、従業員が二人か三人で年に二十万円、三十万円と納めているのが非常にたくさんある。で、こういうことを私は目撃しておるわけで、これに対しては別に統計はございませんが、一応私の個人的な目撃ということでお聞きとりを願います。ただここにありまする、この予算案の中に書いてございまする租税及び印紙収入予算の説明というのの十四ページに申告所得税のところでちょっとこれを比較いたしますると、営業の方では納税人員が百一万でございます。農業の方は四十九万、人間の数で大体半分以下であります。それから総所得金額は、営業の方で三千七百六十億円、それから農業の方で千四百十五億円ということになっておりますが、一人当りが営業の方で三十七万一千円、農業の方で二十八万六千円、これだけを見ましても、数字では営業の方が負担していると思いまするが、さらに戸数の方で見ますると、全国農家戸数は、昭和二十九年農林省調べによりますると六百十万戸であります。そのうちの納税しておる人が先ほど申しました四十九万、それから全国事業者数は三百二十万であります。そのうちの納税する人が百万人、割合は、農業では百人中八人が納税をしておるし、営業では百人中三十一人が納税しておるということになっておると思います。ここに頭数におきましても非常に差があるように、私の想像で、そういうようにここに統計的に現われてくると思います。  税制につきましてはこれだけにいたしまして、次に組織法または団体法が非常に問題になっております。これは私各種の団体に一つ関係しておりませんので、ただ私一個の個人的な見解にすぎないのでありますけれども、要するに組織というのは、あまりに組織が限界をこえますと能率を低下する、いろいろの手数やらいろいろなことでもって。限界が大事だ、この限界程度を越えては、大きな組織はよくない。それからまた、この組織法は、先ほど申しましたように、小企業だけ保護するための協同組合が必要なのであって、二百人、三百人というような、一千万円というような人に協同組合を作るということは、カルテルになり、また独占禁止法の精神にも合わないことになる。あくまでも弱者としての小企業者に対して、保護するための一つの機関としての協同組合であるべきであろう、従ってまた強制加入とか、員外強制ということにいたしましても、たとえばここに製造業者がある。それから卸商があり、それから小売商があったといたしまして、もし卸商が強制加入によって価格をつり上げあるいは取引方法を独占いたしますれば、自然供給するところの製造工業者も不利益でありますし、またそれを買い取るところの小売商も不利益をこうむる、こういう意味合いにおきまして、これは特別の場合に特別の措置として許さるべきことであって、ただいたずらに中小企業者の経済的地位が低下したから、団体的にこれを向上させるためにという意味では、目的を達することは不可能であろう、かように存じますので、一応私の陳述は、この四問題にいたしまして、終ることにいたします。
  63. 吉田法晴

    吉田法晴君 川端さんにお尋ねをいたしたいと思います。実は、私ども先般三十一年度の予算の執行状況調査ということで大阪に参りました。そのときに、商工会議所に出られました中小企業者の代表という方の御陳述を聞いたのですが、これはさっきお話の通りに、中小企業といっても商工会議所の役員をしておられるのですから、上の方だろうと思います。実際にあなたの言われるような問題の大部分を占めております小企業の声、事情というものは聞けなかった。これは非公式でありましたけれども、この間、江東の金融公庫の世話で四、五軒見せていただき、五、六軒集まっていただいて話を聞いたのであります。ところがこれも国民金融公庫から融資を受けている方で、あとから考えますと、融資を受けてちゃんと返すことができるというようなのは、小企業でもどちらかというと信用がある方のような感じがいたします。そこで、三十二年度予算に関連をして、あるいは一千億減税とか、一千億施策といったようなものが、どの程度に中小企業も一番下のところに、何というか、関係するのだろうかということをお尋ねしたのでありますけれども、それでもって中小企業の三十二年度予算との関連というものは、私どもの頭の中に正確には実は反映いたしませんでした。そこで、せっかくのいい機会でございますから、お尋ねするわけでありますが、国民金融公庫その他の言われましたような資金増、これはそれぞれ若干はございますが、国民金融公庫その他でも同じだろうと思いますが、一般に公募して融資をするほどの資金には一向ならぬように思います。お話しの通りに、国民所得の八兆あるいは預金の五兆に比べて何パーセントにしかならぬという実態は、依然として変らない。従って千億施策というものも、個々の中小企業に対しては縁がないかのような印象をそこでも受まました。税金問題については、事業税その他について御意見がございましたが、どの程度影響があるか、それから所得がふえるとして、増収になるということでありますが、あるいは徴税強化といったようなことが中小企業に出てくるのではなかろうかという実は心配も持ったのでありますが、それらの点について、大阪あるいは東京の江東に参りましても、それを正確に見聞きすることができませんでした。それらの点についてお見込みといいますか、あるいはお考えを承わることができれば幸いだと思います。
  64. 川端巖

    公述人(川端巖君) ただいま伺いますことは、千億減税がこれらの小企業者にどれくらいの影響を及ぼすかということのお尋ねであると存じますが、まことに御質問と私ども同感に考えておりながら、これにはっきりした御答弁を申し上げることができないのを残念に思うのであります。しかしながら、千億減税になって、その中の何割かが小企業者の減税であるということだけはその通りであると存じますので、それだけは小企業者は助かる、かように存ずるわけであります。
  65. 吉田法晴

    吉田法晴君 融資については、資金源が若干ふえても実態はどうであろうかということを私ども多少見て参り、あなたもさっき述べられたようでありますが、資金と資材とよく言われるのでありますが、資材面においてはどういう工合に現在——去年から今年にかけてなっているか、それから三十二年度においてどういう工合になるようにお見込みでございましょうか。それから価格。
  66. 川端巖

    公述人(川端巖君) 資材がどうなっているかということと、それから価格が騰貴しはしないかという御懸念だろうと思いますが、ただいまのところ、価格につきましての物価統計に出ている程度以上には、消費財が若干上っているということ程度以上には、御答弁申し上げかねますし、それから国民金融公庫がいろいろと十万円、二十万円から最高五十万程度までの金を出しているのが、それでどう潤うかということに対しましても、国民金融公庫では非常に申込みが中小公庫と同様にたくさんございまして、それがとうてい応じきれない、やはり三分の一程度より応じきれないようでありまして、自然その方に回ってくる。  それから資材、材料等につきましては、戦争中には非常にそれが中小企業の一番大きな問題でございましたが、最近では資材については中小企業にはさして問題はないと、資料供給、配給には問題はないと存じます。また価格におきましても消費財が若干上っておるという程度で、さした影響はただいまのところないと存じます。
  67. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今お配り願った資料で四ページの一番初めのところに、全国信用金庫の預金現在高三千八百万円とありますが、これはおそらく、ミスプリントだと思いますがどれくらいですか。
  68. 川端巖

    公述人(川端巖君) 見つかりませんが、全国信用金庫の預金は三千六百億円でございまして、ミスプリントでございます。
  69. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 三十年、三十一年、この神武以来の好景気と言われておりますが、そのいわゆる好景気が、信用金庫の預金の伸びあるいは貸し出しの状況に一体どういう影響を及ぼしたかということ。  それからもう一つは、従ってまた今度は三十二年度、今年それらの伸びなり、貸し出しの状況がどういうふうにになるとお考えになるか、これが第二点。  それから第三点は、政府金融機関、中小企業金融公庫あるいは国民金融公庫、そういうものとあなた方の金庫との競合関係なり何なり、そういうものが相当あるのかどうか、そういう政府金融機関の位置なり動き方というようなものを、あなた方の方からごらんになるとどういう工合にお考えになるか、その三点だけ。
  70. 川端巖

    公述人(川端巖君) 信用金庫だけにとりまして預金の増加を申し上げますると、正確ではございませんけれども、大体三千二百億程度でありましたのが、ただいま三千六百億円になっております。本年度はどういうことになるかということにつきまして、ただいま全国信用金庫協会でいろいろ研究をいたしまして、信用金庫拡充三カ年計画というものを立てまして、ただいまの三千六百億円を三カ年間に八千億円に増加したい、それによりまして信用金庫の内容を充実すると同時に、中小企業者の金融に役立つような有力な機関にいたしたいという計画をもって進めておりますが、さようにいたしまして、大体三割程度の——三割と申しますと千五百億、五千億円くらいになるだろうという予想をもって、金庫の経営者はいろいろと努力をいたしております。  それから政府金融機関と在来の信用金庫等で競合しやしないか、政府金融機関が貸し出したために、民間金融機関が困るようなことはありはしないかというような御質問に対しましては、これは全くそういうことはございません。中小企業金融公庫にいたしましても国民金融公庫にいたしましても、代理店を通じて出しておりまして、中小公庫の方は大体大部分が代理店経由でございまして、それから国民金融公庫の方は約半分くらい、いずれも信用金庫といたしましては両公庫に対して三割二、三分から、五分ぐらいな程度に、この公庫の金を代理して中小企業者に貸付の中間機関をやっておりますので、競合するというようなことは懸念がないものと思います。
  71. 森八三一

    ○森八三一君 今の佐多先生の質問に対してのお答えで、中小企業金融公庫、国民金融公庫の仕事と、自主的な組織である信用金庫の関係でありますが、今お話のように、実質的には、形の上で民主的に組織されておる信用金庫を通して、あるいは信用組合を通じていくということでありましょうが、そうすることは、結局資金コストの面において関係があると思うのです。だからむしろ直接にいった方がコストの面では非常に安くできるのではないか、そしてまた中小企業を振興するという問題は、これはほんとうに大きな社会問題であり、国民経済発展の上からも重要な問題であるわけですが、根本を考えて参りますると、やっぱりこれは業者それぞれの反省と自覚との上に立った自主的な中小企業等協同組合法による結束を堅くしていくということでなければならぬと思う。その場合に、一番重要な点は、金融の問題であろうと思うのであります。その金融の問題が、お話のように中小企業金融公庫でもいい、何でもいい、金さえくればいいということであってはならぬのじゃないか。またみずから民主的に組織をしておる組織を通じて金が流れてくる、しかもそれがコストの上に関係するとすれば、そういう組織が強化されていかなければ、ほんとうのものではないと思うのですが、今佐多先生に対する御答弁では、どっちでもいいのだと、こういうような御答弁のように伺ったのですが、それでいいのですか、もう一ぺんお伺いしたい。
  72. 川端巖

    公述人(川端巖君) 私の説明が適当でなかったかと存じますが、まずコストとそれからコストを高めやしないかということでありますが、コストは代理店貸しによりまして、現実の例を申しますと年九分六厘ということになっております。で、中小公庫も国民公庫も、年九分六厘ということに規定できめられておりまして、その範囲内で、その約三分の一を、代理貸しをしておりますところの信用金庫等に、手数料として供給されるということになっておりまして、まるまるこれを取りましても、三分の二は政府関係で取られるわけであります。三分の一だけが手数料として渡される。また、これによって信用金庫やその他の相互銀行等で非常にもうかっているかと申しますと、それほどはもうかっておらない。ただ在来の市中の金融機関におきましては、とうてい長期資金をまかなうことはできない、預金と貸し出しの関係におきましての短期資金ばかりでありまして、それが中小公庫と国民公庫の政府機関によりまして、中小金融長期資金がまかなえるというのは、全くこの商工中金を加えまして、三庫の及ぼす利益、それで非常に中小企業者の金融難を緩和しておる実情であると存じます。  それから次に、政府機関にばかりたよらないで、民間金融機関が自主的に、もう少ししっかりとやったらどうかという御意見に対しましては、まことにその通りだと存じます。まことにその通りだと存じますが、戦後いろいろとこう中小企業の金融難がありまして、そして銀行でありますれば預金者が全部窓口に預金を持って来ますが、信用金庫、相互銀行におきましては、集金人を雇って、そうして集金の費用を払って、そして集金をいたしております関係上、どうしても費用がよけいかかって参ります。それらのことからいたしまして、まだこの制度が定められましてから、まる六年でございまして、全く成長過程にあるので、これから漸次内容を充実して、そうして日本経済のために役立つような機関になりたいと一同さように考えておるわけであります。
  73. 森八三一

    ○森八三一君 さきの質問が、私の説明が足りなくて十分御理解を願ってないと思うのですが、と申しますのは現在の中小企業等協同組合が民主的に運営されておるかどうかという点は別問題にいたしまして建前上はこれは相互組織のものであり、どこまでも民主的な運営がなさるべき本質を持っておるのです。そういうものに非常に弱小である中小企業者が組織をせられていくということが、中小企業振興のために一番好ましい姿であり、そうなければならぬはずである。そこでその中小企業振興のために一番ポイントになる点はと言えば金融の問題だ、その金融の問題がその本筋でなきゃならぬ、相互組織の信用組合の制度から離れていって、別の国家組織のもとにおかれておるという姿でよろしいのかどうか、しかもそれがコストの上に影響を何がしかは持っていることは間違いないのですから。と考えますれば、むしろ中小企業金融の体系というものは、やはり民主的に運営されるべき組織に集結せられていくという姿が好ましいのではないかと私は考えるが、お話によれば、コストもそう違わぬし、いろいろな点を考えて公庫であろうが何であろうが、金さえくれればいいというような工合に承わりますので、それでよろしいのかどうかという基本的な問題についての御意見を伺っておるということでございます。
  74. 川端巖

    公述人(川端巖君) だいぶ複雑な問題になっておりますので簡単にはちょっとお答えしにくいかと存じますが、協同組合を通じての金融ということにつきましては、商工中金が設けられまして商工中金がこれを自主的に、また政府の援助によりまして資金源を確保してやっておるということでありますが、金さえあれば何でもいいというわけではないと思いますけれども、金融政策では金融機関の組織の体系が整ってくれば、おのずとその点は解決されるのでありましょうけれども、現在におきましては預金が少い割合に資金の需要が非常に多くて、現在特に金融逼迫ということは御承知の通りでありまして、これらの大体この預金に対しまして、相互銀行が九割程度、信用金庫九割弱、八割五分程度に貸し出しをいたしておりまして、なおかつ長期資金はまかなえないというわけでありまして、自然それが金融経済産業経済との調和の点から申しまして、どうしても政府資金にたよらざるを得ない、政府資金にたよって漸次日本経済が力がついて参りますれば、預金と貸し出しとの調和が均衡がとれるようになる時期がくるであろうとかように存ずるわけであります。
  75. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 中小企業の団体法ですか、組織法に関連して簡単に伺いたいのですが、これらの問題に対する川端さんの御見解私非常に参考になったと思います。この団体法なり組織法で想定されております団体というものは、相当区域が広範になって、一面において非常に強力な権能を持ち、と同時に経済的な活動ができる、こういう建前になっておるようであります。先ほど来お話のように、どうしてもそういうふうな零細な中小企業者の振興の最大の問題は、やはり金融だと思うのです。ところで私の伺いたいのは、今考えられておるこの組織法なり団体法の想定しておる中小企業の団体、それに対する金融というものはどういうふうに考えるであろうか。実はなかなかそういう非常に新しい大きなこれまでなかったような機能の団体が生まれるといたしまして、しかもその構成が非常に明白である、権能は一面において非常に強いぞと、そういう金融経済機能でありますと、どういうふうにこの金融というものを考えていくのか、果して正常に中小企業の金融は考えられるかどうか。もしそれが考え得ないとしますと、考えることが非常に困難だとすれば、その団体というものは何と言いますか、ほんとうの機能を中小企業振興のために出せないというようなことになりはしないか、こういう懸念を私は持つので、その金融関係一つお伺いしたいと思います。
  76. 川端巖

    公述人(川端巖君) ただいまの梶原先生の農業関係から非常にうんちくの深い経験をお持ちになっての御質問でありますが、商工関係では幾分違う点もあるかもしれませんが、大体似た点もあると思います。ことに複雑な関係もありますが、商工組合中央金庫でこの金融を全部やっていく、その中で組合の金もあるし、組合の転貸もあるし、それから個人の関係もこれからあるかもしれませんが、まあそういう関係でありまして、これはここで何とも申し上げかねます、商工中金の営業方針で協同組合の組合金融が遂行されていくという程度一つごかんべんを願いたいと存じます。
  77. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ちょっと最近、去年の暮から最近、金融逼迫、非常に金融が詰っておる。大蔵大臣は三月まででこれからは相当ゆるむと言っても、なかなかそうじやななくて、少くともことしの上半期ぐらいまではこの状態が続くのじゃないか、こういう状態が信用金庫にはどういうものとして現われていくか、どういう影響として現われていくか、その辺をお聞きしたい。
  78. 川端巖

    公述人(川端巖君) 当面いたしまする現在の金融逼迫と申しますることが、大体四月から緩和するという意見の方もたくさんあるようであります。またなかなか半永久的にはとうてい緩和は見込みはないと、この二つ見解が専門家の間にかわされておって、そうしてそれは結果を見なければわからぬ、しかし結果を見るときじゃおそいと、今はっきりした予想を立てろというお話しでありますが、これはやはり私の一個の考えから申しますれば、輸出の増進いかん、輸出がふえれば外為関係関係金融はゆるむし、また輸出が思ったようにふえなければこの金融逼迫はさらに続くだろうと、かように存じます。それで財政投融資関係から言えば、新年度はゆるむということでありますけれども、貿易面から見ればそういうようになりましょうし、しかしながら残念なことには、輸出は結局輸入の見合いであると思いますが、その輸出日本国のある程度自由になるべきものでありながら、自由にならないが、輸入の方が自由になる、この輸入の規制ができないというところにこの金融の問題が非常にかかってくると思います。信用金庫がこれらの金融逼迫の際にどういう状態にあり、またどういう考え方をしておるかというお尋ねに対しましては、信用金庫の前に一般銀行におきましては昨年十一月ごろからこの徴候がはっきりと現われております。銀行が非常にもう貸す金がない。現在はコールにおきましても非常に金利が高くて、そのコールの金利に、銀行が担保——コールは日本銀行の証券が担保になっておりますが——その担保さえないけれども、銀行の手形でコールを集めたいというふうな銀行の非常な困難な状態が、どうしても信用金庫と関係なしには済まないわけであります。信用金庫は銀行から見ますると三、四カ月おくれておりますけれども、銀行でももう貸せない、だからいたし方がないから信用金庫へ行こう、信用金庫へ行っても信用金庫もあるうちは出せましたが、信用金庫ももうなくなりましたというような現状でございまして、大体銀行より四ヵ月おくれて銀行と同様の徴候が現われておるということを御説明申し上げます。
  79. 海野三朗

    ○海野三朗君 ちょっとお伺いいたしたいのですが、各国に比べて日本の金利は高いように思うのですが、その金利はいかなるものですか。このただいまの九分六厘というようなことだが、銀行の方から借りると年一割二分というような、その金利が非常に重大なる根源をなしておるのではないか。世界銀行あたりは五分だというところから見まして、一体この日本のただいまの金利はこれでベストなんでありましょうか、どうなんでありましょうか、それを一つ伺いたい。
  80. 川端巖

    公述人(川端巖君) まことにわれわれも同感の点でございますが、残念ながら安い先進国に比べますと、ちょうど約二倍程度の金利の状態であるということは事実でございまして、これがどうしたら直るということは私どもちょっとなかなかどうも難問題で、しかし全体の貯蓄をふやす、貯蓄をふやすことによってこれが漸次解決する、しかし貯蓄がなくて底の浅い日本経済たのめだというように私一個としては考えてお答え申し上げる次第であります。
  81. 海野三朗

    ○海野三朗君 この金利はつまりどの辺ぐらいまでいけばいいとお考えになっておりますか、そのお見込みを一つ承わりたいと思います
  82. 川端巖

    公述人(川端巖君) ただいままあ大企業であります会社等の配当、積み立て等の関係からいたしましても、一般金業は年一割ぐらいの利息は払うという格好でなければできないのじゃないか。しかし一割というような非常な高率のものが供給されたのでは、日本産業は外国の産業に負けてしまう。だからもっと下げなければならないというのは全く御意見の通りで、私も同感でありますが、社債の七分三厘というのが長期金利として企業の重要な部分になっておりますけれども、七分三厘では応募者がない。証券会社が手持ちになっている七分三厘に対してもう少し考えなければ、余裕金で債券に応ずることがなかなかむずかしいのじゃないかというふうに思っております。
  83. 左藤義詮

    理事左藤義詮君) 本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十四分散会