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近藤鶴代君 さきに行われました
首相代理の
施政演説でも、また、
大蔵大臣の
財政演説の中にも、
遺家族の
処遇問題には少しも触れておいでになりませんでしたので、私は、この
機会に
政府のお
考えを伺いたいのでございます。
遺家族処遇の問題を、戦後十二年を経ました今日になっても、なおかつ
お尋ねしなければならないということは、まことに遺憾にたえないのでございますが、大切な基本的な問題を残したまま、
遺族問題の解決が遅々として進まない
状態にありますので、この際、
遺族処遇問題の二、三の点について承わりたいのであります。
遺族の団体は、本来、英霊の心につながれて、相携えて祖国の再建に尽して行くという精神的な使命を
主眼としたものであったと思うのでありますが、ここ数年の動きを見ますと、
恩給、年金、
扶助料等の獲得または
増額の
運動にのみ没頭しているかの感を与えられるのであります。しかし、これは
政府が戦後の
国内問題処理に当って、その序列を誤まっていたことの
一つの証左ではないかと思うのであります。最近の世相は、確かに、求めずんば与えられずの感があり、
賃金要求の
組合運動が年中行事となっている
時代とは申しながら、
遺族の
処遇は、その
特殊性からいっても、求めざる前に、感謝をもって合理的に処置すべきものであります。
遺族処遇の基本的な問題は、まず
公務扶助料があ
まりにも不当な取扱いを受けているということであります。御
承知の
通り、
昭和二十一年
勅令六十八号をもって、
軍人と
遺族に対する一切の
国家補償を停止して、二百万の
遺族世帯を苦境のどん底に陥れて以来、
昭和二十七年
援護法が制定され、それに基いて、翌年
恩給法の一部が
改正されたことによって、ようやく旧
軍人等に対する
恩給法が復活いたしましたが、その際にも、七
年間の
受給権の不当な停止に対して、
政府は
財政上の責任をとり得ないということであり、
遺族もまた決してこれを追及しなかったのでありますが、この復活した
恩給法は、
仮定俸給においても、号俸のとり方においても、また
公務扶助料算出の大きな要因である倍率の決定におきましても、
文官恩給に与えられるものに
比較して、まことに低い線にとどめられたのでありましたが、このことについても、
遺族は、再建途上にある国家
財政の重大さを認識し、あえてこの不平等をも甘受したものであります。そうして、時の
政府としても、国家
財政の許す限り、文官のそれと同一水準まで
引き上げる約束をいたしたのであります。
昭和三十年に至って、号俸と給与ベースが改められました際、兵にして約二万七千円が三万五千円に、確かに金額の上では
増額になりましたが、大切な扶助料算出の支柱である倍率は、兵にして二六・五割に、依然として据え置かれたのであります。試みに、この間の
文官恩給の状況を見ますと、戦後の
財政困難な中にも中断されることなく、倍率も逐次上昇して、今日四十割が適用されているのであります。私は、このこんとんたる戦後の
時代にもかかわらず、文官だけでも、その
状態が続いてきたことをとやかく申すわけではありません。がしかしながら、一片の赤紙で召されたことを誉れとして、勇ましく国難に殉じた兵士たちが、最後の瞬間までおそらくは心を残したであろうと思われる妻子、老父母たちだけが、戦争と、それに敗れた責任を背負わなければならぬ道理はないと思います。(
拍手)にもかかわらず、たまたま、占領下における勝者の敗者に対する懲罰的精神で貫かれた指令による
恩給の停止に端を発して、十年余り、このような不平等を
遺族の上にのみしいてきたことは、時世とは申しながら、あ
まりにも片手落ちに過ぎるものと言わざるを得ません。それならばこそ、国家
財政も立ち直り、史上空前の好景気をうたわれる今日、
遺族が、
公務扶助料の倍率を四十割に、せめて文官の
人々と同じようにと、血の叫びを上げているのに対し、
政府としても、愛情を持って真剣に耳を傾けるべきであります。
第二次大戦における
軍人軍属の犠牲は、二百万の多数であったため、その
遺族の数も膨大なものでありましたが、年とともにその数も減少し、
昭和三十年六月の
調査によれば、扶助料の受給者は百五十万人、そのうち約百万近い者は兵長以下の下級
軍人の
遺族であります。また一面、
遺族の年令構成を見ますと、老いたる父母の平均年令は六十七、八才、遺児のそれは十七、八才と推定されております。これらの
人々は、ここ二、三年の間に、加速度的に受給の権利を失って行くわけであります。従って
政府は、本年度において六百五十五億の扶助料予算を計上いたしましたが、この
数字は、現行の扶助料を持続する限り、本年度を頂点として著しく減少して行くのでありますから、今日四十割の倍率を認めても、将来
財政上にさまで大きな
負担にはならないと思います。もしまた、それによって
財政の破綻を来たすならば、そのときこそ、そのときこそあらためて文官も
遺族も平等に
恩給を引き下げて、国家
財政を助けることが合理的であり、だれしも納得のできることではないでしょうか。今年度予算における扶助料
増額は、すでに
改正された
法律の不備を是正した結果に基くものであって、
遺族全般にわたっての基本的問題解決の予算は、毛頭考慮されていないようであります。私は、
減税もベース・アップも喜ばしいと思いますが、これとあわせて、
遺族問題の基本線について何らかの処置を講じ、この問題に正しい解決をつけるべきときは今であると思うのであります。
次に、戦没動員学徒、被徴用者等、国家総動員法によってかり出された
人々の犠牲が、適正に償われていない点を申したいのであります。若き学徒が、有能な報道班員が、経験に富んだ技術者が、
軍人と同一またはそれと非常に近い義務を負わされて、その生命を祖国防衛、戦力
増強のためにささげたことに対する弔慰は、十カ年年賦の三万円だけであります。人間の生命は、もとより金品によって償いきれるものではなく、評価し得るものでもありません。がしかしながら、
軍人と同じ立場で職域に殉じたこれらの
人々に、三万円の弔慰金が果して当を得たものでありましょうか。しかもこの
人々の死が、第一線における戦時災害によるものであるときに限るのであって、公務の疾病は弔慰金支給の対象となっていないのであります。推定対象者総数七万と言われるこれらの殉国者に対しても、
政府は当然弔慰の内容を改善すべきであると思います。なおまた、傷痍
軍人に対する
処遇につきましても、長きにわたって不適当なままに放置されているのでありまして、
遺族の
公務扶助料倍率の問題と、国家総動員法によって徴用された
人々への弔慰の問題と、あわせて解決の方途を講ずべきであります。
遺家族処遇に関する問題は、その対象が老人、未亡人、遺児たちが大部分でありますだけに、あたたかい国の施策を待つものが多く、たとえば
遺族金庫とでもいったものを作れば、世事にうとい
人々が繁雑な手続にわずらわされず、高利の金を借らなくて済むであろうというように、大小幾多の内容を持っておりますが、何と申しましても、さきに申し述べました三つの点を合わせますと、一応かなり多額の予算
措置を必要とするものでありまして、
大蔵大臣の勇断を待つわけであります。
わが国は独立回復以来、国運は繁栄の一途をたどり、昨年末には待望久しかった国連加盟も実現し、名実ともに国際社会の一員として立ち直りましたが、反面には、以上申し述べましたように、いまだに戦争の創痍がいやされない
人々がなお多数存在することも事実であります。私は、こうした問題こそ一切の国内戦後処理諸
政策に優先して、道義と人道と国家の名において、急速に解決されなければならない課題であると信じますが、
政府はどうお
考えになっておられるのでありましょうか。道義の頽廃を嘆き、祖国愛の欠如を憂える為政者は、
時代を問わず、国家のために最大
最高の犠牲を払った英霊に対して、国の続く限りは、民族の続く限りは、敬虔な感謝をささげるべきであり、靖国神社を国費によって護持する信念と、
遺家族処遇問題の解決を、だれはばかることなく、最優先する決断とが望ましいのであります。以上申し述べました
公務扶助料倍率是正と戦没準軍属に対する補償並びに傷痍
軍人処遇の問題は、今において解伏しなければならない、もはや遷延を許さぬ問題であると思い、ここに首相並びに
大蔵大臣の御所見を承わりたいと存ずるのであります。(
拍手)
〔
国務大臣岸信介君
登壇、
拍手〕