○
説明員(
藤永元作君) それでは、簡単に
オツトセイ会議の
内容を申し上げます。
オツトセイ会議は一昨年の十一月二十八日から開かれまして、約一年がかりでようやく
条約が結ばれた、非常に長くかかったものでございます。それで、この
オツトセイ問題は、御
承知のように、一九一一年に
条約が結ばれまして、その際に、当時は
北太平洋の
オツトセイというものは、多年にわたりました乱獲の結果、わずかに二十万頭程度にすぎなかったのであります。それで
日本と
ソ連と
アメリカと、当時はイギリスでありますが、その四カ国が
ワシントンに集りまして、何とかしてこの
オツトセイの絶滅を防ごうというので、いろいろ折衝しました結果、一九一一年から
海上における
オツトセイの猟獲を全面的に禁止いたしまして、
陸上におきましてもわずかに雄だけを選択的にとるというような
方法をとりまして、今日に及んでおるのでございます。この
海上猟獲を全面的に禁止して、
陸上においてはわずかに三才または四才の雄をと
つて繁殖をはかったのでございますが、それが効を奏しまして、自来四十年間にわたりまして、現在では
北西太平洋の
オツトセイは約二百万頭といわれるように
なつたのでございます。
それとともに、また一方では、
オツトセイがあまりにふえ過ぎたために、特に
日本の
近海では、この
オツトセイがふえ過ぎて
漁業に相当な
被害を与えるように
なつたということも、やはり事実だろうと思っております。その間、
日本はたしか
昭和十四、五年だったと思いますが、どうも
日本近海では
オツトセイがふえ過ぎて
日本の
漁業に相当な
被害を与えるから、もう一ぺん
一つオツトセイ条約の改正をやろうじゃないかというようなことを三カ国に通告したのでありますが、どうもうまくいきませんで、
昭和十六年には、
日本が一方的にこの
オツトセイ条約から脱退するということを通告しまして、十七年から、
日本は独自の
立場で
海上猟獲を始めたわけでございます。その後、
終戦になりましてから、御
承知のように、吉田・
ダレス書簡によりまして、再び
海上における
オツトセイの猟獲が禁止されるように
なつた次第でございます。
その後、無
条約のまま現在に至ってずっと来たのでございますが、これではいけないというので、
アメリカの主唱で、一昨年十一月から
ワシントンにおきまして、もう一ぺん四カ国間の
オツトセイ条約を結ぼうじゃないかというので開いたわけでございます。
会議に私は
出席いたしましたが、様子を大体見ますと、
日本だけは
海上猟獲を
主張する、
ソ連と
アメリカと
カナダは何とかして
海上猟獲はやらせたくないという、
二つに大体分れたようでございます。この
見解は、
会議の
冒頭におきまして
各国の
代表者がそれぞれ
ステートメントを発表しましたが、それによく
各国の性格が出ておると思いますので、それをここでごく簡単にお話ししてみたいと思います。
アメリカは、この
開会の
冒頭におきまして、
ステートメントを発表しましたが、それには
オツトセイに関する五
原則ということを言っております。それを見ますと、このたびの
会議は、
北西太平洋における
オツトセイ群の
最大の
持続的生産性をはかるために、
条約をもう一ぺん結ぼう、ただし、
オツトセイ群があまりにふえて、商業的に重要な魚族に
被害を及ぼす場合には、また別に考慮しよう、これが第一。それから第二は、
オツトセイは、
条約締約国各
政府の
管理下にある
陸上だけで
オツトセイをとる、
海上猟獲をやると、どうも
オツトセイの
最大持続的生産性というものとは相反する、これが第二
原則。ただし
アメリカは、その第二
原則の中で、今度集ま
つた国の中には、
海上猟獲をぜひやりたいというような国もあるから、それもまた大いに討議してみようと、こういうことを言っております。それから第三は、
オツトセイの皮の
配分は、一九一一年の
条約によって樹立された一般的な方式をそのまま踏襲しよう。それから第四は、これは罰則でございますから略します。それから第五番目は、これが
アメリカが最も強調したところでございますが、それは
管理の
方法が一九一一年とは違う。なぜ違うかといいますと、
アメリカの考えでは、一九一一年におきましては
陸上で屠殺する、あるいは
管理しておることは、
陸上を持っていない国が何ら容喙することができなかったのでありますが、このたびの
条約の中には、この四カ国が
委員会を
作つて、その中に
共同の
研究テーマを持って、その
研究によって得た結果によっては、あるいは
各国の
政府にいろいろな勧告をすることができる。つまり
日本は、具体的な例をと
つてみますと、
日本は
コマンダー、あるいは
ロベン、あるいは
プリビロフというような所の
繁殖場の
オツトセイについても、いろいろ
発言権があるというようなことになるわけであります。以上が
アメリカが
会議の
冒頭に述べた五
原則であります。
次に、
ソ連はどのようなことを申しましたかと申しますと、これは徹底的に
海上猟獲
反対であります。
ソ連も四
項目あげましたが、第一
項目は、べーリング海、オホーツク海、
日本海を含む北緯三十度以北の
太平洋における
オツトセイは、
条約国市民は
海上においては絶対にと
つてはならない。二番目は、これは
アメリカと同様でありまして、
オツトセイを殺す、屠殺することは、
条約国のうちで
繁殖島を持っておる国だけがやる。ただし、
アメリカと違うところは、
ソ連領内にある
プリビロフと
ロベンの
オツトセイを合せて十万頭以下に
なつた場合には、商業的猟獲を禁止しまして、従って皮の
配分も停止するということであります。三番目と四番目は、これは
取締り関係でありますから、これは略すことにいたします。
それにつきまして、
日本はどのようなことを申したかと申しますと、一九一一年の
条約によって大体
オツトセイの
繁殖ということは
目的は達した、現在においては
日本はむしろ
オツトセイがふえ過ぎて困っている。そしてまたこの
オツトセイが集まる所は
日本で最も大事な漁場であ
つて、
日本の
漁獲高の約三〇%はこの
三陸沖の
オツトセイの集まる所で魚がとれておる。それだけに、
オツトセイの
被害というものは相当重大に
日本人としては考えておる。それにまた目の前に
オツトセイがきているのに、これをとらないということは、あるいはまたこれをとらせないということは、
国民感情からしてもどうも納得いかない。さらに、この
東北の
三陸沿岸の
漁民というものは、大部分は
零細漁民であ
つて、特に
オツトセイの集まる冬期においてはほかに
仕事はないのであるから、従って、
日本としてはどうしてもこの
オツトセイがとりたい。ただし、とるといいましても、無制限にとるというのではない。よく統制をと
つて秩序ある、それからまた
政府も厳重に監督して、一定の
オツトセイをとる。そうすることによって
日本としては、
北太平洋の
オツトセイの
資源が減少するということは少しも考えないということを、るる
説明したわけであります。
それから、また
カナダはどのようなことを希望したかと申しますと、
カナダとしては、
オツトセイに対しては非常に関心が薄いのであります。つまり、
オツトセイの
繁殖島は持っていない、また
カナダの
漁民も、一部の現住民を除きまして、
オツトセイ猟獲をやろうというような
漁民はいないのでありまして、ただ
アメリカからなるべく多くの
オツトセイの皮の
配分をもらえばもうそれで十分だというような国でありますから、きわめて消極的でありまして、
カナダは
ステートメントをことさらには述べないで、
カナダの
意見はこれからあらゆる機会にときどき申し上げようというにすぎなかったのであります。
このように、
日本だけが
海上猟獲を
主張し、
あとの三国は
海上猟獲を否定するという、もう初めから根本的に
意見が食い
違つてお
つたわけであります。それで
会議は総会を一日、二日開きまして、すぐ
二つの小
委員会に分れたわけであります。
一つは
原則及び
起草委員会というものと、それからもう
一つは
生物委員会、この
二つに分れました。それから
原則及び
起草委員会というものは、別に
仕事はないので、つまり
生物委員会が、
海上捕獲がいいのか、あるいは悪いのか、あるいは
陸上捕獲、
海上捕獲合せてや
つたら初めて最高の
持続的生産性があるようになるのか、とにかく学問的なものをもう少し
生物小委員会で突き詰めて、それから
原則及び
起草委員会を開こうということになりまして、結局
生物小委員会がそれから
毎日会議をや
つたわけであります。
その
生物小委員会に課せられた問題というものは
二つありまして、
オツトセイに関する今日の
科学的知識の
吟味ということ、二番目は、将来引き続き基礎として求められる
共同調査の範囲と性質という、この
二つの問題が
生物委員会の
仕事になって参りまして、そしてこの一番の、
オツトセイに関する今日の
科学的知識の
吟味という中には、これを
四つの
項目に分けまして、一番は、
最大の
持続的生産をあげるためには、
オツトセイを
陸上だけで
とつた方がいいのか、あるいは
陸上と
海上と合せて
とつた方がいいのか、これを
一つ吟味してくれということ、それから二番目は、
オツトセイが他の
海洋生物にどのような
影響を与えるかということ、三番目は、
オツトセイの
回遊状態はどうであるかということ、四番目は、各
繁殖鳥における
オツトセイの分はどのような増加の傾向を示しておるかということ、この
四つについて科学的に
一つ吟味してくれ。そこで、
原則及び
起草小委員会は、
生物委員会としての
報告を出してくれということに
なつたわけであります。従いまして、
生物委員会は純科学的な問題を討議することに
なつたわけでありますが、しかしながら、そこに列席しておる者はそれぞれ国の
利害を背負
つておりますので、必ずしも科学的な論議ばかりではなくて、科学的という名に隠れて
相当国の
利害というものが反映したわけであります。従いまして、
ソ連はあくまで、いろいろな
資料をもちまして
海上猟獲絶対
反対を唱え、
日本は、またこれもいろいろな
資料をもちまして、
海上猟獲をや
つても
資源に
影響はないのだということを立証しようとする。
アメリカと
カナダとは、
日本と
ソ連の両極端の間に立ちまして、まあま
あといってなだめるというような
状態でありました。そこで、この
報告を書く役になりますと、それぞれ
意見が違うので、いつも
アメリカと
カナダとは
一緒になって
報告を書く、
日本はまた別な
意見を書く、
ソ連は
ソ連でまた
ソ連の
意見を書く、こういうようなことに相なっております。
それで、第一番の
オツトセイ猟獲は
陸上がいいか、あるいは
陸上と
海上を合せてや
つた方が合理的であるかという回答につきましては、ある程度
日本と
アメリカと
カナダの三国は
意見が一致しまして、純理論的、純生物学的にいえば、現
段階においては
陸上のみによる場合と、
陸上と
海上捕獲を
両方を合せたものとにより、どちらがいいかということになると、どちらがいいともいえない。つまり、これは純生物学的に見た場合はどちらがいいともいえない。しかしながら、
海上猟獲というものには大きな
ロスがある。というのは、
海上では
鉄砲でとりますので、どうしても皮に傷ができるわけであります。また、たまに当
つたもの全部をとるわけには参らないのでありまして、約
日本の
沖合いでは六%海に沈んで、とれない。
あとの六%はたまにあた
つたまま逃げてしまう。つまり
日本の
沖合いにおきましては、約一二%の
ロスができる。これを
アメリカの側で見ますと、約二〇%から二二%くらいの
ロスができる。それからまた、
オツトセイの皮に
鉄砲の跡のある皮は、値段が大体そうでない皮の四七%くらいきりにしか当らない。この
両方を考えてみると、つまり
陸上でとる場合に比べて、約三分の一しか皮に
価値がないんだということは、
アメリカも
カナダも申すわけであります。それから、もう
ソ連は申すまでもなく絶対的に
反対で、
海上猟獲をやれば、たちまちにして
資源は激減するということを盛んに言いまして、
一つも協調の
あとはないわけであります。
日本側としましては、そのとき
日本側が
主張したのは、現在特に
プリビロフでありますが、
プリビロフの
オツトセイ群は、大体今百八千万頭ぐらいになっておりまして、十年以前から
頭打ちになって、もうふえてこない。つまり、それは非常にむだが多いわけです。
頭打ちになって、ちつともふえないということは、どこかにむだがあるわけです。そのむだに比べれば、
日本が
海上でと
つて、一二%や一三%の
ロスがあるのは大したことではないではないかということを盛んに言
つたわけでありますが、とにかく
海上猟獲というものは、たとえ
資源に
影響がなくても、
皮そのものに非常な
ロスができるということを、盛んに米・
加ともに強調したわけであります。
それから
日本の周りに
オツトセイが何頭くらい来るかということになりまして、
日本側の
主張としては、二十万頭から三十万頭の間であろう。まず二十二、三万頭と見ても、決して過大な評価ではあるまいということを申しましたら、
アメリカは、大体十二、三万頭である。しかも、この十二、三万頭の
オツトセイは、七〇%が
アジア系の
オツトセイである。わずかに三〇%だけが
アメリカから来るものである。従って、
日本沖で
海上猟獲をや
つた場合には、
アジア系の
オツトセイに致命的な打撃を与えるに違いないというのが、
アメリカも
カナダも
ソ連も一致した
見解でありました。
日本側の
主張は、
日本沖に二十万頭から三十万頭の
オツトセイが来て、そのうちの七〇%が
アメリカ系である。わずかに三〇%だけが
アジア系である。従って、
日本沖で少々
海上猟獲をや
つたところが、
資源にほとんど
影響はないだろうというようなことをまあ言
つたわけであります。
それから
漁業に対する
被害でありますが、
アメリカも
カナダも
ソ連も、
オツトセイは少しも
漁業には
被害を与えない。
オツトセイの食べる魚というものは、経済的にはあまり
価値のないものを食べる。また少々経済的に
価値のある魚を食
つたところで、それがその
魚そのものの
資源に
影響するとは思えないんだということを盛んに言いました。
日本側としましては、いや、そうではないんだ、確かに
オツトセイが
日本沖ではふえ過ぎて、
漁業にずいぶん大きな
影響を与えておると言いますと、それではその
証拠を出してくれ、数字的な
証拠を出してくれ、まあこう言うわけであります。そこでわれわれといたしましては、それは
証拠を出せといった
つて、それは無理だ。しかしながら、
漁民の
感情としては、目の前で自分のとりたいと思う魚をじやんじやん食われれば、
被害があると思うのは当然じゃないか。つまり
日本沖で
とつた
オツトセイの胃の
内容物を調べてますと、ランタン・フイツシユというのが五〇%以上になっております。これはあまり直接には
漁業の対象とはならないものであります。その次は
イカでありますが、
イカというものは
日本人にと
つては非常に大事なものであるということを言いますと、今度は
ソ連が
日本の統計を持ってきまして、
オツトセイがどんどん食うといいながら、
イカの
漁獲高というものは毎年ふえておるじゃないか。確かに
イカは、
終戦後最もふえたものの
一つなんであります。それで私どもは、それは確かに
日本全体として見た場合には、
イカはふえておる。しかし
東北の
三陸沿岸においては、あるいはふえておるかもしれませんけれども、それとは別問題で、つまり
漁民の
感情として、目の前で競合すれば、必ず
オツトセイというものはけしからぬじゃないかと思うのは当然であ
つて、つまり
東北の目の前に来る
オツトセイを、しかもその
オツトセイは、だれのものともいえないような、それを目の前に来るのをと
つてはだめだといったところで、それはそういう
条約というものは決して守れるものじゃないんだから、つまり
条約を守るためには、どうしてもある程度の
オツトセイというものを、
三陸沿岸の
日本の
漁民にとらせないことには、どうにもならないというようなことを盛んに言い合いまして、一月のたしか三日だったと思いますが、今度は
日本がもう一ぺん
ステートメントを出したわけであります。それは、
日本に今後三カ年間、毎年二万頭の
オツトセイをとらしてくれ、これによって、果して
海上猟獲が
オツトセイの
資源に
影響を与えるかどうか、これを判断してみようじゃないか。そうしてまた
生物委員会でも言っておるように、
陸上猟獲のみがいいか、
陸上と
海上猟獲とを組み合せたものがいいかということは、なかなか理論的、生物学的にはどちらともいえないというような判定を下しているじやはいか。つまり
海上猟獲がいいとか悪いとかいうことは、現
段階においては、学問的な証明というものは何もないのであるから、とにかく試みにやらしてくれ。しかも、ただいま申し上げましたように、
日本の
国民感情としても、あるいはまた
オツトセイの生息する
三陸沿岸の
漁民の
立場から考えてみても、どうしてもある程度
オツトセイをとらないことには、
日本としてはおさまらないんだというようなことを盛んに述べたわけであります。特に
東北沿岸漁民の零細なこと、また
オツトセイの三万頭くらいといわれるもの、その三万頭の
オットセイをとるということが、
漁民の生活にどのくらいプラスになるかということを、るる述べたわけであります。
この
日本の声明に対して、これはもう
まつ向から三国とも
反対いたしました。今まで割合同情的に
日本を見ておりました
カナダも、この三万頭という数にびつくりして、とてもそれはだめだ。
カナダあたりが予期しておったところは、大体
日本は、
日本沖でまあ五千頭くらいは要求するだろう、
あとから聞きますと、こう腹で思ってお
つたそうであります。ところが、三万頭とらしてくれと言
つたので、びつくりしまして、一ぺんに
ソ連と
カナダと
アメリカが
一緒になりまして、盛んに
日本を攻撃したわけであります。つまり
ソ連は、もう初めから終始一貫して
反対しておりますから、
ソ連のことは申しませんが、
カナダでさえも盛んに
反対しております。しかしながら、
カナダも
アメリカも、その
反対のうちにも、ある同情は持っております。つまり
日本の
沿岸漁民が非常に苦しいということは割合知っておるわけでありましょう。とにかくそれは、
日本が
沿岸漁民のために
オットセイをとらしてくれという気持はよくわかる。しかしながら、これをやれば必ずもう
太平洋の
オットセイというものはだんだん
減つて、もう一ぺん一九一一年のような
状態にならないとも限らない。そうすれば、むしろ
漁民のためにもならないのではないかということを盛んに言います。
ソ連の
反対には、その
沿岸漁民の何といいますか、貧困さというようなことには全然触れませんで、ただ
まつ向から
反対しておるというような
状態であります。特に
アメリカが、何といいますか、
反対のうちにも割合同情的な目を持ちながら、
反対をしておりました。
アメリカの
反対理由を簡単に申し上げてみますと、つまり
海上猟獲というものは、たとえ
資源に
影響を与えないといっても、
皮そのものが
陸上の場合に比べて三分の一きり
価値がない。従って、むしろ分け前だけもら
つた方が
日本としては得じゃないかということを、盛んに言うわけであります。それからまた、沿岸の漁師というものはとかく目先ばかり考えて、永久なことは考えないのではないか。これは教育とそうして
研究によって、長い間かかってなだめられれば
承知してくれるというようなことを申しておりました。そうしてもう
一つ、
アメリカの発言のうちで注目されるのは、
沿岸漁民がそんなに困っておる、その
沿岸漁民のために何とかしなければならないということが
日本政府の腹であるならば、何も
オットセイだけについて、とらせるということだけが唯一の
方法ではあるまい。つまり
アメリカあるいは
ソ連から分けてもらう皮の分け前の半分でもいいから、その
東北の
沿岸漁民に還元したらどうだろう。そうすれば沿岸の
漁民は、みずから
海上でとるよりも、むしろ喜ぶのじゃないだろうか。そうすることによってこの
オットセイ資源を守
つていこうじゃないかというようなことを申しております。そうして
アメリカが申したことは、つまり
アメリカからもらう、あるいは
ソ連からもらう皮の価格の半分を
沿岸漁民の利益になるような何とか
方法をとる、そうしてまた
あとの半分を別な
仕事に使えばいいじゃないか。そうして合衆国の例をあげまして、合衆国では、
プリビロフの
オットセイの皮の総売上高の六〇%は、
オットセイの
研究費とそれから
プリビロフの島のいろいろな諸経費に使
つておる。
あとの二五%はアラスカの
漁業の
研究に使
つておる。
日本もそれにならいなさいと言わんばかりに、そういうことを申したわけであります。
それから、これでまっ向から
日本は
反対になりまして、これで
会議は決裂した
状態になりましたが、結局
カナダの首相が、この今度の
条約は
一つ暫定措置として、
調査するための
条約にしようじゃないか、とにかく
オットセイの知識というものが現在は非常に貧弱であるから、約六年間くらいは
一つお互いに
研究して、六年後にもっと科学的な基礎に基いてはっきりした
条約を作ろう。つまり、このたびの
会議は、
保存条約というよりか、
保存条約は
保存条約でも、むしろ
調査研究というものに重きを置く
条約にしようじゃないかということを申し出まして、これに
日本も賛成し、
アメリカも賛成したわけであります。
ソ連はずいぶん長い間これには賛成しなかったわけでありますが、結局
ソ連もそれに賛成しまして、このたびの
条約は
調査するための六年間の
条約ということになって、ようやく幕を閉じたわけであります。
私どもが
オットセイ会議で述べましたことは、
カナダや
アメリカ、あるいは
ソ連の人たちは、ずいぶん無茶を言うと思われたかもしれませんが、私どもが考えてみましても、ある程度の
オットセイの
海上猟獲というものは、決して
オットセイの
資源に
影響を与えるものではあるまい、このように確信しておりましたから、
会議でもわれわれの
主張を強く言
つたわけであります。と申しましても、むやみに
とつたら、必ず一九一一年前のような
状態になることは明らかでありますが、とにかく統制があり、秩序のあるとり方をすれば、決して
資源が枯渇するようなことはないと、今でも思っております。しかしながら、
条約ではこの六年間というもの、
海上猟獲というものは、
調査に使う約四千頭余りのもの以外は、絶対に禁止されましたから、これからは、この禁止の条項というものは厳重に守らなければならないと、かように思っております。と申しますのは、これは
ソ連が盛んに言
つたことでありますが、また前にも申し上げましたように、
日本では
鉄砲で
オットセイをと
つておりますので、どうしても皮に穴があきます。それからまた逃げるものも出てくるわけであります。そういう手傷を負
つたオットセイが
ロベンや
コマンダーにずいぶん上るそうであります。これも盛んに言っておりました。
日本は密猟は絶対にしないのだ、こういうことを
主張しましたら、
ソ連が言うのに、そんなことはない。
日本とはあえて言いませんが、とにかく
オットセイが通過する所で、どこかで
鉄砲で撃たれた形跡が十分にある。それは、
ロベンや
コマンダーに上ってくる
オットセイが、みな手傷を受けている。これが何よりの
証拠だ。それで私どもが、それでは一件
ロベンや
コマンダーに上る
オットセイの何パーセントくらいがこの手傷を受けているか、数字を見せてくれと言いましたら、数字は今手元にない、しかしとにかく相当な数に上ることは確かだ、こういうことを言っておりました。従って、ことしあたりからはおそらく
鉄砲にあた
つた数を正確に調べるだろうと思います。そうすると、もしことしあたりでもなお
オットセイの密猟があるとすれば、ことしの十一月にまた
会議があると思いますが、そのときには、もう顔色ないまでにやられてしまうのじゃないか。
日本は相変らず密漁をするじゃないか、この
証拠を突ざつけられますと、今度は返事に窮するようになる、かように考えおります。従いまして、ことしからは密猟というものはほんとうに禁止して防いでもらわぬことには、国際的に頭が上らないことになりはしないか、かように考える次第であります。はなはだ簡単でございますが……。