○田畑金光君 岸総理の今の御
答弁は、しどろもどろです、全く体をなしていない、こう申し上げたい。ことにただいまの
答弁を伺っておりますと、
自衛権の名において学問や
科学の
発達に応じていかようにしても
自衛権の裏づけある力を持てるような御
解釈でありますが、しかし、一方第九条には明確に陸海空軍その他の戦力、これを保有しないとうたっております。またがっての吉田内閣のもとにおける
自衛力の
解釈は、いわゆる近代的な戦争遂行の能力を持たぬ限りにおいては
憲法違反に該当しない。その近代的な戦争遂行の能力は何かというと、ジェット戦闘機と
核兵器であったわけであります。
原水爆であったわけであります。お話を承わっておりますと、将来の学問や
兵器の
発達等を
考えた場合に、いわゆる
核兵器の中でもこの
憲法の
禁止する戦力概念から、はずされるものがあるような
解釈でありますが、むしろ
兵器の
発達とかあるいは
技術の
進歩というものは、ますます
小型化して、しかも大量殺戮の
目的を最高限に強化する、それこそ今後のやはり武器の
発達であり、
技術の
進歩であろうと思います。ますます
科学兵器の
発達というものは、
核兵器を
中心として
憲法で
禁止する戦力の方向に強化発展していくことは明らかなんです。むしろ岸総理の
答弁の方向とは大よそ異なった方向に発展していくことをわれわれは予測しているわけなんです。そこで私は第一にお尋ねしたいことは、吉田内閣のもとにおいて、元の木村
防衛庁長官がお答えになりました近代的な戦争遂行の能力、すなわち原爆とかジェット機を持たぬ限りにおいては
憲法違反にならないのだ、というこの
解釈を一歩飛躍されておると思いますが、その点はどうでありましょうか。それからもう
一つ私は岸総理に
考えていただきたいことは、四月の十二日に西独の
科学者がアデナウアーの原子武装宣言に対しまして
一つの声明を発した、その中にこういう一項目があります。現在の戦術的
原子兵器がいかに
小型であっても、その一発の
破壊力はかつて広島に投下された一発に相当することを思えば、その
国民に及ぼす害悪については区別はない、こう述べております。それからもう
一つ防衛庁の方で作っておられる
防衛年鑑一九五七年版、その中にこういうことが書いてあります。いわゆる総理の、
攻撃的な原爆と
防御的な戦術
兵器の区別についてでありまするが、「
一般に比較的
小型の原爆をもって主として戦場において武装兵力や軍事目標に限定して
使用するのを戦術的
使用といい、広く後方地域において軍事目標や戦略目標(例えば交通要点、軍需
生産工場、政治
中心都市等)に対して
使用することを戦略的
使用というように解せられているが、これも決して厳密なものではない。」実際は、今日の
兵器の
進歩は、事実上戦略原爆と戦術原爆との区別をあいまいにして、戦争哲学も混迷の状態に陥っておる、はっきりこううたっております。少くとも
核兵器に関する限りは、戦略
兵器にいたしましても、戦術
兵器にいたしましても、その境はあいまいである。
防衛庁のこの一九五七年版にちゃんとうたってあるじゃありませんか。西独の
科学者も明白にうたっておるじゃありませんか。わが国の
原子力基本法にもはっきりと、わが国の原子
科学者は将来このことあるを予測いたしまして、平和的
目的に限るということをうたっておるじゃありませんか。もし学問あるいは真理に忠実であるといたしますならば、総理の先ほどのような
答弁というものは許されないと
考えております。私は、もう少し謙虚に
科学者の教え、学問の
発達に忠実に従われる方が、これはやはり
政府のとるべき態度だと、こう
考える。
憲法を堂々と改正して、この戦力規定をはずして、それから、今言ったような
解釈をなさるのが当然でありまするが、そうでなくして、現行
憲法のもとにおいてこのようなことをやるということは、私は許すべからざる
憲法を侵すものであり、
国民に対し
法律を尊重しろと言っても、
国民は
法律を尊重するわけに参らぬと
考えております。また、私の
質問に対しまして、
アメリカに行っても、東南アジアに参りましても、あるいは
世界の世論に対しましても、今後とも
原水爆の
核実験禁止を訴えるということを言われましたが、やはりその訴えには、道義的な力を持つことによって、初めて
世界の世論もこれに耳を傾けると
考えております。私は、道義的な立場を
日本があくまでも堅持することが正しいことだと思う。すなわちそれは、
憲法を守ることだと思う。
憲法の
解釈に忠実であることだと思うのです。総理の先ほどの
答弁というものは許されません。もう一度明確に御
答弁願いたいと思います。