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政府委員(増原
恵吉君) ただいま
委員長のお言葉によりまして、昨日起りました航空
自衛隊の事故につきまして御
報告を申し上げます。
昨日午後六時半ごろ、航空
自衛隊に属しまするC46という輸送機が美保の
飛行場に着陸をいたしまする寸前事故を起しまして、塔乗者十七名でございまするが、現在のところ大体全部の人が殉難をされたと認められる事態が発生をいたしました。まことに申しわけなく、遺憾千万に存じます。事故の起りました
概要を申し上げますると、このC46という飛行機は、航空
自衛隊の美保の輸送隊が持っておるものでございます。もともと米国から相互防衛援助協定に基きまして供与をされた飛行機でございます。だんだん操縦訓練その他ができて参りまして、現在は訓練のために定期便を行いまして、主として定期便としては緊急輸送を要しまする部品類を送る、また定期便という形において必要な人を輸送する、あるいは陸の落下傘部隊の訓練に参加をするというふうなことをいたしておる飛行機でございます。昨日はこの定期便が美保を出まして立川に参りまして、そうしてまた美保に帰って参りました。最後の美保到着の場合に事故を生じましたわけでございます。午後六時半ごろに美保の上空に到着をいたしました。当日は雨が向うの方は降っておりました。御承知のように現在は日没が大体美保の方面で午後六時でございます。雨が降っておりました
関係で、
相当に暗く相なっておったのでございます。雲の高さは大体六百フィートくらいであったのであります。一応視界は、見えまする限りは約三マイルというふうな
状況で入って参りました。美保の
飛行場は盲目着陸誘導装置と申しまするか、電波誘導の着陸装置を持っておるわけでありまするが、通常美保の
飛行場は多くの場合西風が恒風でございます。従って東の方から着陸をいたすというのが通常の事態でございまするが、当日は北東の風が吹いておりまして、大体逆の形になりましたのであります。そうして通常恒風の場合に東の方から着陸をしまする場合には、着陸装置が完全に最後まで作用ができるのでありまするが、西の方から入って参りまする場合には山がありまする
関係で、着陸装置の効用は東のように参らないという
事情のある所であるわけでございます。雲の高さは六百フィート、視界は約三マイルと申し上げましたが、当日の風は大体秒速六メートル余りというふうになっておったのでございます。そうして東の方から入って参りましたこのC46が、そのまま着陸が風の
関係でできませんので、一度西の方へ回りまして、大体六千フィートばかりでずっと帰ってきましたが、
飛行場が近くなりまして、GCAの誘導で五百フィートの雲の下へ出まして、そして風の方向を考えあわせまして西の方へ、中海の方へ入ったわけでございます。中海の方から回転をいたしまして、
飛行場に着陸をしようとして五百フィートよりもさらに高度を下げたのでございまするが、この際は目撃者がおるわけでございまするが、北東の風に押されまして旋回をした場合に若干——旋回をして
滑走路にまっすぐ入って着陸をしようとしたのでありまするが、若干風に押されて南の方へ下りましたので、そのまま着陸ができなくて、
飛行場を通り抜けて東に出まして、北の方へ旋回をしまして、そうした場合の着陸の普通の型に従いまして、北の方から西へ旋回をいたしまして、さらに東へ回って着陸をしようとした際、海の中へ突っ込んだ、突っ込んだ
状況は目撃者も見ておらなかった、見えなかったわけであります。初め東から参りまして、南の方から回って着陸しようとして少し押された際にも、飛行機についておる標識燈等を下で見張っております者が見失ったということが二、三度あったようであります。これは
相当の驟雨性のシャワーが下りた場合と、下の方へ小さい断雲があってそれにさえぎられたというふうに認められるものであります。そうしてうまく
滑走路に入りませんので、一応東に出て北へ回って、さらに東へ旋回をしようとしたところでも、やはり下の方で見張っておりました者が、この飛行機の標識その他を見失っております。その際に
相当の驟雨があったものというふうに下の方では認めておるわけでございます。北の方から最後の形で回って参りましたときには、だんだん旋回しつつ高度を下げまして、百フィートぐらい、あるいはそれ以下にまで下っておったものと認められるのでありまするが、そこのところで、原因は今まだ申し上げることのできる段階に至りませんが、大体海に突っ込んだものである。落ちました所は、まだ
基地の隊長が今参りまして
報告を聞いたばかりでありまするが、水深は、あすこの中海は深い所で四メートルということでございまするが、四メートルよりも浅い所に突っ込んでおるものと思いまするが、旋回をした形のままで、従って左翼を下げまして頭を突っ込んで水の中に入っておる。右翼と尾翼が先に発見されたという形で、そこの海の底は粘土質のようであるということでありまするが、そこへ飛行機を突っ込んだままで入ったという
状況で遭難をいたしたわけでございます。遭難をいたしますと同時に、見張りの者その他で遭難をした
状況がわかりましたので、
自衛隊の方からゴムボートその他を出し、海上保安庁から巡視艇を出していただき、消防団その他から漁船その他の応援を得まして、米軍の方からも機艇その他を出してくれまして、直ちに捜索をし、大体
飛行場の端の所から八百メートル余りの所に突っ込んでおるのを発見をいたしたわけでございます。直ちに救助作業に当り、潜水夫等を入れまして、今朝三時頃までに五体の遺体を収容いたしましたが、この遺体は飛行機の外に出ておって、下の土の所にあったということを、今隊長の
報告で聞いたのでございます。飛行機の窓などは開いておらないので、隊長の推測によりますると突っ込んだ際に機体がどこか裂けて、そこからこの五名の人は外に出たのではないか、五名のうち三名は全然水を飲んでおりません。二人は若干水を飲んでおるということで、やはり遭難としてはショック死ではないか、その後さらに四体ばかり遺体が上っておりまして、現在のところでは九体の遺体が上っておるわけであります。こうした現場の救助のほかに、
防衛庁ではちょうど空幕の水町将補が防府の方に行っておりましたので、即夜この方へ派遣を命じまして現在参っております。今朝事故
調査委員会を、こういう大なる事故がありますると、
組織をいたすのでありまするが、航空幕僚副長
秋山空将を長といたしまする事故
調査委員会を
組織をいたしまして、
関係者を今朝美保の方へ急派をいたしまして、現在その事故
調査を徹底、綿密に行わせておるところでございます。この飛行機は先ほど申しましたように、アメリカから供与を受けたものでございますが、製造年月日は大体
昭和十九年でございます。一、二年のズレはあるようでありますが、大体
昭和十九年、一九四四年の製造にかかるものでございます。そうしてこれを使いまする使い方は、大体機体の方、ボディーの方は、三年に一回くらいの割合で、アイランと申しまするか、オーバーホールをいたします。その途中において不工合を発見しますれば、オーバーホールをいたすのでありまするが、通常の
状態でいきますると、三年に一回ぐらいのオーバーホールをやるわけでございます。そうしてエンジンの方は、米国の方では新しいエンジンを基礎としてのオーバーホールの大体の
基準は、千二百時間を飛びましたときにオーバーホールをいたすのでありまするが、わが方ではいろいろな意味で安全率をとりまして、七百時間でオーバーホールをいたすというふうにいたしておるのであります。この遭難をいたしました機体は、一度オーバーホールをいたしましてからの時間で考えるわけでございまするが、オーバーホールをいたしましてから千二百八十二時間を飛んでおるものでございます。オーバーホールをいたしました時期は、三十年の初頭でございます。そうして発動機の方は、左右違うわけでございまするが、七百時間で大体オーバーホールをいたしまするが、この場合のは、右発動機がオーバーホール後百十三時間、左エンジンがオーバーホール後五百九十七時間を経過をしておったわけでございます。C46は、一度いろいろ部品がうまく間に合わないで、整備が順調にいかないで、稼働機数が少いという御批判を受けたこともありました。現在ばこの機種は新しく製作はいたしておらない機種でございます。製作はもうとまっておる機種でございます。ただし、米国を初め、欧洲方面東洋方面においても、現に使用は至る所でされておる機種でございます。一度部品等も製作が中止されておりましたが、最近では、やはり
相当機数が
世界中で動いておる
関係で、部品等もまた製造を再開をしたというふうなことになっておりまするが、昨年あたりは
防衛庁においてもこの部品の入手が
相当不円滑でございまして、
相当機数が修理にいったまま動けないというふうな事態もあったのでございまするが、その後部品の入手に努めておりまして、現在は三十機、今度の遭難をしましたものを合せて三十機をもらっておるわけでありまするが、三十機のうちで十六機が現在稼働をいたしております。そして二機は整備
学校の教材として使っております。残余のものは、部隊におきまする部隊整備と、その多少上の段階の部隊における野整備という段階で整備をいたしております。二十八機中二機は教材機でありまするが、二十八機中十六機が稼働をしておる。六〇%ちょっとたりませんが、大体その
程度の稼働率を持っておりまして、整備運航の
関係においては大体標準を保っておるものでございます。一九四四年の製作であるので、非常に古い、非常に、いわゆる端的にボロ飛行機だという批評もときどき受けたことのある飛行機でございまするが、米国初め諸外国においてももちろんなお使っておる飛行機でありまするし、機体のアイランを行い、エンジンのオーバーホールを適切に行なっていきまするならば、運航上もちろん支障のある飛行機ではございませんで、
防衛庁において、落下傘部隊の使用なり、あるいは訓練の意味における定期便なりを支障なく遂行いたしておる、そういうふうな形に相なっておるものでございます。この遭難をいたしまするまでの
基地のコントロール・タワーに対する通信は、ずっと最後の段階まで連絡がとれておりまして、機体なりあるいはエンジンなりに不工合があるという通信は
基地のタワーは受けていなかったわけでありまするので、現在のところ、われわれとしても機体、エンジンのための事故でないのではないかというふうな想像をいたしておりまするが、まあ事故につきましては、厳重に
調査をいたしまして、的確な真相を把握いたしまして、かような事故が再び絶対に起りませんように、あらゆる工夫と
努力をいたしたいと考えておる次第でございます。
遭難をいたしました十七名は、美保飛行隊に属して、この飛行機の乗組員が六名でございます。主たるパイロットは佐藤と申しまする三佐、副パイロットは岩本と申す三佐でございます。主操縦者は操縦時間の経験としては三千百時間、これはもとの海軍において操縦経験を持った者であり、
自衛隊に入りましてからさらに基本的な訓練から再訓練を受けまして、計器飛行——夜の盲目飛行の証明の第一級に属しまするグリーン票を持っている、操縦者としては腕のいい操縦者ということを空幕から
報告をしております。副操縦士の岩木三佐は、もとの陸軍の操縦士経験者でありまして、千九百時間の経験者である。これもやはり
自衛隊に入りましてからさらに基本訓練からの再教育を受けましてやっておったもので、これはまあ第二級に属しまする白票を与えられておる操縦者でございます。そのあとは整備員なりいろいろな者が四人、六人がこの乗組員でございます。そのあと七人
自衛隊の者が乗っております。この乗っておりまする者は、美保におりまして、整備のために浜松の
学校へ行っておりまして、業を終えて帰るためにこれに乗り合わしました者が二人、それからこの飛行機に乗りまして疲労度の
検査をするというような仕事をやるために乗っておりますのが一人、パラシュートの整備の実習をするというために乗っておりました者が一人、それから機上における食物の研究のために乗り合わせておりました者が二人、今申し上げたのが六人、もう一人は陸軍の
自衛隊の西部方面総監部の輸送機の三等陸佐でありまするが、これは飛行経験のため、及び打ち合せのためにこの飛行機に乗り合わしたものでございます。そのほかに航空情報の主幹と編集長二人、これは民間の方を乗せる場合には
長官の承認を要するわけでありますが、
基地めぐりをして取材をするということで、
防衛庁としても広報活動の援助という意味で、この搭乗を承認をいたしまして、乗っておられた方が、まことに残念なことに遭難をされたのであります。そのほかに二人乗っておりまするが、これは米軍の中尉、ドナルド・E・デュベエ、三等軍曹のC・M・ボーンという二人であります。これは陸軍の
自衛隊の業務
関係にありますものは、お互いに私事にわたらない場合に航空機に搭乗を認め合うというやり方をしておりまして、この二人は立川から美保において勤務しておるものでございまして、搭乗を承認をして乗せましたところ、不幸、事故にあったということに相なっております。現在までのところは佐藤、岩本正副パイロット、二曹の野村、乗員ではこの三名、
自衛隊で乗っておりました入山二曹、丸山三曹、古渡三曹、川井技手、この四人、それから航空情報の編集長の馬場さん、それから米軍の中尉のドナルド・E・デュベエ、この九人の遺体を先ほどのところで収容をいたしておるわけでございます。一挙十七名の遭難者を出すという、非常なる事故を出しまして、まことに遺憾しごくに存じます。
先ほど申しましたように、
関係者、権威者を、私
どもの方の権威者をすぐって、また技術研究所の権威者をすぐって参加をせしめ、この真相の究明を徹底的に行いまして、再びかような事故を生じないように万全の
措置をいたしたいと懸命の
努力をいたしておるのであります。