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国務大臣(
田中角榮君) われわれの組織に対する
考えはどうかということでありますが、これに対して、私は組合の組織活動をどうこうしようなんて
考えはありません。私はそれよりももう一歩進んで、組合が組織活動をしていることによって、
労働者の権利が向上するのだという
考えを持っております。これは私は昭和二十年に、私の所属しておる会社で一番初めに
労働組合を作らしたという経験者でありますから、私はこういう問題に対して、組織に対して反発をしょうなんて
考えはありません。ただ、円満な
労働組合運動こそ私も大いに発達せらるべきだと思いますが、どうも戦後急激に
労働権が理想的に拡張せられましたので、これは御
承知の
通り、まあ普通からくると何十年かかかってかち得るものでありますが、それは占領軍政策という非常に大きなもので、憲法と軌を一にして非常に
労働権というものが拡張せられましたし、今の
労働法規というものはある
意味において非常に理想的な条文を具備した
法規であります。そういう
意味で、いわゆるその組織活動によって、組合運動の運動史に金字塔を建てたいということはいいのですが、それから逸脱をして、いわゆる団結の力をもってすれば何でもできるのだということになってはいかぬと思うのです。私はだから組合に対してしごく常識的であり、私自身が
労働の体験がありますので、その組合活動に対しては、私は好意を持っておるという
考えをみずから持っておるもので、あります。だから、組織に対してはこれからもより団結をせられて、よりいい
方向に持っていってもらいたいという
考えであります。
ただ、私が書簡を出したことが、前
大臣も元
大臣も何も出さないのに私が出したから、妙に激しいことをやったように言われておりますが、私はそう思わないのです。これはもう出すのが当りまえであって、出さなかったのがおかしいのだ。ということは、私は先ほ
ども言ったように、
大臣の
考え、上部の
考えが末端にまで浸透しておらぬというような事実も、これは認めていただきたい。私のところにも、組合員の名でもって、たくさん手紙が来ております。私
たち初めてだ、こういうふうにお互いにもっと話し合うように、私
たち末端
機構は政府に対してどういう
考えを持っているのだということをどうして聞かないのです、
新聞やラジオを通じて聞くだけじゃありませんか、こういうことも言ってきておるのです。だから、私は
一つの例を言いますと、仲裁裁定をのんで、これを組合員に通告をして、そのときには、中闘と私と会うときには、さすがにやはりわかるなと、こう言って和気あいあいに別れておるのですが、その翌日の全逓
新聞を見ると、どうですか。われわれの団結でかちとったのだ、もっとストをやればもっととれるのだ、こういうことにする。これは正しい表現じゃないと思うのです。私はだから和気あいあいでもってこうお互いが握手した、その写真の一枚をお互いに全逓
新聞に載せてくれれば、もっと組合と私
たちとの間がうまくいくと思うのです。それをやらない。やらないこともわかりますよ。われわれがかちとっておるのだということを言わなければ、組合の団結も、ある
意味においてしぼっていけないのでしょうから、これはわかりますが、私がとにかくまじめな
考えでもって、郵政全従業員に
大臣はこういう
考えを持っておるのです、また世の中にも批判があるのだから、お互いに弊は正して円満にやろうじゃないですかと、こういうふうに一枚くらい出しても、なおそれを突っ返さなきゃならぬのか、全条に対してもっと平たく好意を持って読んでもらえないかということを私は申し上げたいのです。その
意味で、組織に話してもなかなか全員に徹底をしないので、在職中一回くらい全員に私の
考えを言っても、それが他山の石になれば幸甚だと、こういう
考えでやったのであります。だから、組織に対してこれを分断しようとか、いろいろな危険な思想は一切持っておりませんし、私自身も組織に対しては十分認識を深めるとともに、いい
意味の
労働活動に対しては、組織の円満な発達をこいねがっておるわけでございます。
申し入れに対しては、これは先ほど非常に含みのある御発言でありましたが、だれが書いたものであっても、署名があれば最終的な責任は負わなければならぬことは当然であります。しかし、先ほどまあいろいろな、午前中から引き続いて、どうもこの申し入れが過激である、
大臣の反動性がどうも出ておるのだ、もう非常に
労働経験もあるし、いいなと思ったのが、いろいろな面から見てもう期待はずれだ、その時代感覚がこの書簡にも現われておるのじゃないかと言われましたが、それは私もよくお聞きいたしておきましょう。しかし、これは全逓の
方々がお読みになったり、全逓
関係者が読んで、これは不当だと言われるけれ
ども、これは
一般国民にそれを読んでいただいて、必ずしも不当だという議論は出てこないと思うのです。私はその全条に対してじゅんじゅんと自分の思うことを述べておるのです。だから、前段においてはお互いに
協力をして、お互いに円満に
郵政事業のために働こうじゃないかと、その間に対していろいろなことを、一番最後にも述べておる勇気ある行動ということは、私はどういう
意味で表現したか、今手元に文章がありませんのでよくわかりませんが、結びとして、そういう言葉になったのでしょう。それは組合分断という場合にも勇気を持てというようなことを言ったのじゃないでしょう。やはり世論もあるのだし、自分の良心に従ってお互いが勇気を持って
一つ郵政全事業のために働こう、こういう言葉を言ったのであって、ただ、どうも一部何々というどぎつい表現だけでもって全文の、前後を縛られるようでありますが、これは例を申し上げますと、三ヵ月私が
大臣になってからたっております。私は処分を
一つもしていない。向うは二回闘争した。この現実を見ても、私は少くとも常識的に全逓よりも激しいなどということを言われる筋合いのものじゃないと思う。だからそういう
意味で、これはお互いにそういう全く議論のための議論ということじゃなく、私のこれからの実績を見ていただきたい、皆様と協調してやろう、こういうことを言っているのですから、まあこの問題に対しては
一つ常識的によくやってもらいたいということを御了解願えればけっこうだと思います。
もう
一つは、管理者の非違の問題でありますが、これは
新聞には全逓に申し入れたもの、違法行為があったら処分するぞというものがでかでかと出されておりますが、私が
委員会で言っても、その裏には必ず管理者こそなおその非違は正さるべきというのじゃなくて、規律は正さるべしという非常に強い表現言っているのですが、管理者に規律を正せといっても記事にきっとならないのでしょう。そういう
意味で、また
田中にちょうどいいような面だけが
新聞に大きく報道されるということじゃないかと私は思うのです。だから、今までのいろいろなことを総合されて、どうも期待はずれだというような御結論でありましたが、私がここで申し上げた、しかも、私が国会議員として国会の席上で申し上げるのですから、自分の良心に恥ずる発言はしない、その場のがれのことをやろうとは
考えておりません。だから、その
意味で、まだこれから十月の十二日からまた闘争をやろうという、私は何のためにやろうというのかよくわからないのです。わからないけれ
ども、管理部門の問題をひっさげて
一つ大闘争をやろうということでありましたが、きょうまでは、これは少くとも国鉄がやろう、何がやろうといっておっても、全逓は出てこないのです。私は少くともいろいろ今までお互いに角突き合いもしたけれ
ども、腹の底ではお互いが協調して話し合いでやろうという気持がある。いわゆる第三波を中止をしたあの底流が今までもずっと全逓を貫いておるという
考えで、私も非常に安堵をしておるのでありまして、私自身がもしこの安堵をしておる気持に裏切られて違法を含む闘争行為が行われたような場合でも、どういうふうな
態度で出るかということがこれからの問題だと、少くとも過去三カ月の問題は、
新聞にはどう出ても私が行なった行政権というものに対しては、少くとも
労働組合よりも私が行き過ぎたなんというものは
一つもないので、警告を発するぐらいなことでそうむきになられないように
一つお願いを申し上げたい。