○片岡
文重君 宮澤運輸
大臣の私は
お話を伺って、今までの
大臣にないところを
一つやはり私は伺いました。その今の
お話で、私はやはりその伺った
大臣のお気持を十分了としてこの御質問を続けたいと思う。ということは、大体今までの
大臣というのは、責任をとれといえば、やめるというのがこれは常識のようでした。しかし、
政府をつぶしても払う、こういう決意をもってこの交渉に当って下さったということを、私は実は今初めて知りましたが、そういうお気持をもってこの二十三日の事態をながめておりましたならば、なるほどそれは労働組合の諸君がわからなさ過ぎたとお
考えになったかもしれない。けれ
ども、それだけのお
考えがあるならば、もう一歩進んで、なぜこれだけの気持が組合員にわからないだろうか。労働組合の幹部といえ
どもやはり人間ですから、これは人間の気持のわからぬはずはないんです。なぜこれだけの気持がわからぬのだろうかということをお
考えになって下されば、従来保守党内閣がとり来たったところの労働政策というものに、一応御検討の目を向けていただかなければならぬと思う。さっき
大臣がいみじくもおっしゃったごとくに、従来の内閣では、
仲裁裁定の取扱いに当って、予算
措置を講じたことは、ただの一ぺんもなかったはずです。これはそこにおいでになる労働
大臣も、この
委員会の席上でおっしゃった。今まではそういうことはなかったが、今度は予算
措置を講じますといって、ここで言明をされた。ところがその言明は、はしなくも、閣内では相当大きな問題になったということを、私は
あとで伺いました。それほどに今までの内閣というものは、この公労法というものをじゅうりんしてきている。ですから、しかもそのじゅうりんするに当ってね、いつも公労法をじゅうりんするといってじゅうりんしたためしはない。公労法の精神に従って、これをできるだけ尊重しますという言葉を残してじゅうりんをしてきているのです。ですから労働組合としては、
政府の言うたことは、目の前に現実となって現われてこなければ信用することはできなかったのです。そういうことをやはり十分にお
考えになっていただきたい。
それからもう
一つは、ここで二十三日の話を私はまた繰り返そうとは思っておらなかったんですけれ
ども、今、
大臣から御
説明ですから、この際せっかくの
機会ですから、
一つ労働者の家庭経済というものの状態もやはり知っておいていただきたいと私は思う。二十三日に払うということであれば、二日や三日おくれても、また、賞与とか業績手当というものはおくれても、これはわれわれの
生活の常識だとおっしゃいましたが、国鉄の給料は、今八日と二十三日に支払われております。そうして八日の給料では、前半の全部が払われる。これには税金も引かなければ、購買その他でもって買った物品の代金も引かれない。月賦のものも引かれない、全部が渡ってくる。ところが、二十三日の給料では、税金から、共済組合の掛金から、購買物品の月賦の代金から、一切を差し引かれるのです。極端なものになると、二十三日の給料では、袋だけもらうんです、中身は入っておらない。さらにひどいのは、二十三日の給料袋に、赤字で書いた
数字が書き込まれる。これはつまりマイナスになってしまったんです。ですから八日の給料でこのマイナス分を支払うことになる。そうでなければ、その日にこっちから持っていかなければならない。二十三日の業績手当、期末手当というものは、新しく進学する小学校の子供のランドセルや服やくつの金、あるいは中学や高校の進学、入学等の子供たちのものを買わなければならぬ。従って、二十三日に支払われるということの業績手当は、前々からもう十分に予算の中に組まれておる金なんです、職員にとっては。しかもこれが払われないということになっておれば、そこまでは厳格には
考えてなかったでしょう。けれ
ども、これは
大臣もご存じでしょうが、総裁と労働組合
委員長との間に取りかわされた協定によって、三月二十三日に支払うよう認可の手続をとるということをはっきりいってある。二十三日に支払うようにということをいってあるのです。従って、組合では、また、当局も二十二日の給料袋に一緒に入れますよという約束をしてあるのです。そこで職場に出る
人たちは、特に二十三日に明け番になる者は九時か十時には職場はひけてしまう、それまでに手に入らなければ三時、五時に渡されても、それはその日に入らない。二十五日に出ていかなければ経理
関係の者が出てこないのです、手に入らない。当然従来の例からいえば、二十三日の日に支払うといわれるその二十三日の朝に、それがもらえるものとして職員は出ています。二十二日の日に、二十二日の朝出勤するに当って、その小学校に入る子供たち、中学に入る子供たちには、明日の朝お父さんは何時ごろ帰ってくる、十時ごろには帰ってきて、お前たちを連れてランドセルを買いにいくよ、くつを買いに行くよという約束をして職場に出てきておるわけです。しかもそういう
人たちに限って、給料袋の中にはその業績手当がなければランドセル
一つ、くつを一足買うような金はないのですよ。そういう状態で出てきた者が、きょうは当局の手落ち、
政府の手違いによってもらわなかったということで、果してその父親たちがわが子のところへ帰っていけるでしょうか、こういうやはり職員の苦しい家庭経済というものをやはり御認識いただきたいと思うのです。そういう状態の中に
生活をしておる職員が、いつもいつも誠意を持って尊重すると言いながら、じゅうりんをされてきたこれまでの
事情をやはり御検討いただき、お
考え下さるならば、労働組合のみを責めるということにはお
考えがならないのじゃないかと思うのです。確かに
大臣がおっしゃるように、私は
政府ばかりが悪いと言っておるのではありません。労働組合も
政府もともにやはり
日本の経済の発展のために、
日本の発達のためには、ともにやはり手を携えてやっていくべき
考えは持っております。また、そうでなければならぬと思うのです。そういう気持を持っておって、なおかつそれが実施、実行できないからには、そこに実行できないだけの問題があるに相違ない。その実行できないということは信頼をすることができないからということです。双方が円満に労使の慣行を樹立しようとするならば、やはりそこに信頼がなければならぬ。信頼はやはり誠意によって生まれると思うのですよ。現実に誠意を示さないで、そうしてしかも実力行使をすれば、一方的に権力を振り上げて処分する、こういうやり方では残念ながら円満な何は、労使の慣行というものは樹立できないと思います。で、先ほどから予算
委員会あるいは運輸
委員会あるいは
衆議院の各
委員会等においても宮澤運輸
大臣は二十二日のいきさつについてはしばしば御
説明になっておられます。また、ここで御
説明になられました。その御
説明を伺っておっても、少くとも運輸
大臣の御
説明になっておる点は、国鉄並びに運輸
大臣、大蔵
大臣という当局と
政府間のいきさつであります。つまり二十三日の所定の時間に支払いできなかったといういきさつを述べておられる。これはです、明らかにその所定の十時なり、十二時までに支払いできなかったという事態を引き起したいきさつを述べておるだけであって、それが労働組合に少しも責任を負わすべき責任であるということには私はならないと思う。そのいきさつはあくまでもいきさつであって、そういう事態になったところの責任というものは、やはり
政府として負わなければならないでしょう。当局としてやはりこれは
考えるべきだと思うのです。しいて法規上そういう責任がないとおっしゃられても、少くともそういう事態になった、たとえば今
大臣は支払い時期も御存じないし、そういうとにかく
大臣もそういう詳しい
事情を御存じなかった、大蔵
大臣も二十三日になるまでそれを知らなかった。こういう手違いというものは明らかにこれは
政府部内における手違いである。従って、そういう手違いを来たしたということについての道義的な責任はやはり負わなければならないでしょう。私は当然これは組合を処断する以上、むしろ権力を握っている立場としては、組合を処断する以前にまずみずから反省をし、その反省の実を示すべくその責任を負うて、しかる後に組合処断の挙に出すべきが心ある政治家の態度であると思う。しかるに、再三再四その経緯のみを
説明されて、そういう経緯をたどるのやむなきに至った責任というものを
大臣は少しもお
考えになっておらない。これはせっかく
政府をつぶしても支払ってやるという、その男一匹の気概をもって臨まれたその
大臣としてはなはだ不可解だと思う。将来円満なる労使の慣行を樹立していこうというお気持がもしおありになるならば、この際、私は率直にお気持を披瀝されて、組合に対しても遺憾の意を表明されてしかるべきじゃないかと思うんですけれ
ども、
大臣はまだそういうことにはお
考えにならぬでしょうか。