○
説明員(
武藤勝彦君) ただいまの御質問にお答え申し上げます。
まず第一に、
地理調査所の沿革を申しますか、できましたこと、それから前の、
地理調査所の前身であります
陸地測量部のやったことにつきまして、それからまた現在大体どんなことをやっておるかというふうなことについて申し上げたいと思います。
地理調査所はいかにして発足したかということを申し上げます。
地理調査所は
戦前の
陸地測量部の
仕事を受け継いで、戦後の情勢に即応しこれを発展せしめたものであります。
陸地測量部の五万分の一
地形図や
三角点、
水準点などが
日本の
国土の実態を明らかにし、
国土の
開発、経済の再建の足がかりを与える
基礎資料として、軍が残した数少い
文化的遺産の一つとして考えられていることは御
承知の
通りであります。陸軍でやりました数多くの
仕事がありますが、それらについて私
たちは何一つ現在残っているものを知りません。ただ私の方に残っておりますこの
測量の結果の
三角点とか
水準点、あるいは
地図というものが唯一の文化的の
遺産ではないかと考えておる次第でございます。しかしながら、
戦前地図を作るということは、その
目的が軍事的なことに向けられておりましたので、五万分の一
地形図を中核といたしまして、比較的小さい縮尺の
地図に
測量が限定されておりました。で、各種の
建設事業に伴って今日われわれが必要としている大きなスケールの詳細な
測量にはほとんど手を着けておりません。またその
技術は全く外部に対して閉されていたのでございます。ですから、前には
陸地測量部がどんな方法でどんな精密さでどうしてやってきたかということは、外部の人にはほとんど知れないでいたのでございます。そうは申しますものの、その
技術は実際には非常にすぐれておりますし、またそれをやっておりました
技術家たちは非常に良心的でありましたので、その結果は五万分の一図だけではなくて、地盤の変動、たとえば
地震等が起りますと、前に
測量のやってあった
地域を再び
測量して見る。そうしますと、
三角点や
水準点が動いておることがわかりますが、こういうことは非常に精密な結果を出しておりまして、これは世界的に非常に高く買われているのでございます。一九五一年に私がブラッセルの
国際測地学会に出席しましたときに、特に
水準測量の
委員長が、
日本はこういうふうな地盤の
変動調査に対して非常な貢献をしている。これは世界の国でほかの田に見られないことであって、われわれは
測量の結果からこういうことが得られることは非常にうれしいことである。これは
日本の
調査所に深甚の敬意を表するということを言われました。そのくらいに各国から認められているのでありますが、これと申しますのも、
測量部が正直なりっぱな
仕事をやっておった結果であると私
たちは考えております。
このようにわれわれが受け継いだ
遺産はどんなものであるかと申しますと、
三角点が三万八千五百七十八点、内訳が一等が九百一二十五点、二等が五千一三十四点、三等が三万二千六百九点、
水準点が九千七百九十七点、こういう結果になっております。五万分の一
地形図は千二百六十三面でございます。それから二万五千分の一
地形図が、
戦前できましたのが千百四十七面、一万分の一
地形図が二言三十四面、二十万分の一、これは
編算図でございますが、五万分の一から編算した
地図でありますが、この
地勢図がただの百十二面でございます。このうち五万分の一
地形図と二十万分の一
地勢図は
国土の全域をおおっておりましたが、二万五千分の一
地形図は、たとえば師団の所在地とかあるいはその周辺など、軍事的に重要な地点に限られておったようでございます。一万分の一
地形図は
要塞地帯と三
大都市に限られておりました。
経済開発を主眼とする今日から見ますと
地区の選定は必ずしも適当ではないのであります。また五万分の一図にいたしましても、
昭和の初めから外地の
測量に重点をおいたため、
満州事変の勃発以来ほとんど内地の
仕事は認められないでおりました。これらの結果従って内地の
地図は
経年変化の
修正はほとんど
実施されておらなかったのでございます。同様にまた
河川改良やそれから
排水計画の
基礎資料として一ミリメートルまでの正確さで地面の高さを定めていくような精密な
水準測量も、
国道に沿った所だけで、今日われわれが必要とするような山の中というようなとこまではとうてい選んではおらなかったのでございます。
これが大体
測量部でやっておりました
仕事の概要でございますが、次に戦後に
地理調査所はどんなことをやっておったかということを申し上げたいと思います。
地理調査所は
終戦直後、八月の十五口に
終戦になりまして、八月三十一日に廃庁、九月一日にすぐ発足したのでございますが、
終戦というようなごたごたのときに出発しましたので、最初の
仕事は現在のように整った形にはなっておらないのであります。それですが、まず第一に私どもの着手いたしましたことは、戦時中に秘密として
発行をとどめられておりました
地図の再
発行で、一般に対しての
発行でございます。この
事業は
昭和二十三年から二十四年ごろまでに一段落を遂げております。しかしその
内容は
戦前のままで別に
修正は加えてはございませんでした。また中には二十万分の一図のように原版が戦災で失われたものがありまして、これは大へん惜しいことでございましたが、疎開の途中新宿駅へ搬出しておりましたものを爆撃のために焼けてしまったのでございますが、戦後二十万分の一図がすぐ必要になりまして、これを応急的に作らなければならないということになりました。従来ありました
地図を複写して急速にこれを作って参りました。しかしこれはなんと申しましても、できている図から複写したので、しかも色わけすることができませんでしたので、一色で出したので非常にきたない図でございます。今でも幾分残っておりますが、最近はほとんどこれを新らしく改めまして、きれいなものにしてあります。その上また当時は
占領下という
特殊事情のために、そのほかにいわゆる
指令作業がございました。で、
米軍の要求に応じて大部分の力をそちらの方に振り当てざるを得なかったのでございます。しかしながら、
地図はこれは生きているものでございまして、今日の姿を表わしておかない
地図はわれわれは使うことができません。
歴史図としては別でございますが、
地図は古くてはほとんどその価値が半減されるのは自明のことでございます。で、戦時中並びに戦後に、
道路の
整備や
都市の発展がきわめて急速に
計画されたのにかかわらず、
地図の大部分は
昭和初年の状態を表現しておりましたので、これを急速に
現状に近づけるために、
指令作業による
クラシフィケーション、これは
三角点や
水準点の位置を再調べする
仕事、それから
道路や橋梁というふうなものを
調査する
仕事でございますが、その
クラシフィケーション調査の
成果と、それから
米軍からもらいました
空中写真によりまして、まず応急的に五万分の一図の
経年変化の
修正に着手しました。そうして
昭和二十四年にこれを完了しております。しかし、これはあくまでも応急的なもの、でありまして、きわめて細部に至りますと、手の届かない点も実はあるのでございますが、とにかくできるだけ、たとえば
道路であるとか、それから
都市の発展であるとか、そういうふうなものを直せということで応急的に直したものでございます。まあ
測量部では非常に良心的にやったのでございますが、当時の
測量法が平板
測量でございましたので、平板
測量と申しますと、よく町の中でやっておりますが、三脚の上へ板を載せてその上に図を置いてかいていくあのやり方でございますが、あれでもって全国をやったので、山のような部分になりますと、相当狂っているところもございます。これは
空中写真を見ますと一目瞭然でございまして、そういうふうなところも、手の届く限りは
修正いたしております。しかしながら、現在まだ、たとえば日光の奥であるとか、あるいは南アルプスの付近であるとかいう所には、まだ多小遺憾な点が残っておるのでありまして、これらの点につきましては、なお急速に
修正するようにいたしております。
次に、経済再建のために国及び
地方公共団体の
利用に供するために、
米軍から貸与されました
空中写真を配布する
仕事をいたしました。水力資源の
開発とか
土地改良、あるいは
都市計画などの戦後経営に対しまして、在来ほとんど正確な大縮尺
地図がなかったために、
空中写真の配布の効果はまことに大きなものがあったと考えるのであります。このことは、佐久間ダムや只見川などの
調査資料としてこれらの
空中写真から作った
地図が
調査の最初の資料の一つとなったことを申し述べれば十分だと考えております。で、これらのことを御存じの方は、よくこれらの
空中写真がいかに有用なものであるかということを御認識なさったことと考えておるのでございます。
しかしながら、どのようによい資料がありましても、それを生かす
技術がなくては、資料の価値は著しく減殺されます。また、同じ場所に対して違った機関がほとんど
内容の似通った
測量を重複して
実施することは、国及び地方の
経費のむだ使いになることはこれは明らかでございます。そしてまた、その隣合った
地区を
測量した
地図をつなぎ合せて
利用できるようにしておけば、広い
地域の総合的
開発のために大きな役に立つのに違いないのでありまして、このような観点に立ちまして、
測量事業の重複の排除、それから座標系の統一、作業規程の
承認による
測量作業の企画の
合理化、
測量士及び
測量士補の試験による
技術者の能力の検定の四点を主要な
目的といたしまして、
測量法を制定さしていただきました。そしてこれを今
実施しておるところであります。
ここに注意しなければならないことは、この
法律による作業規程の、審査と助言並びに
測量士試験を通じまして、各省
技術者はもとより
市町村に至るまで、旧
陸地測量部においてつちかわれ、
地理調査所においてさらに一段とみがきをかけられました
測量技術が一般に開放されてきたということであります。ですから、現在では、うちの方でやっております
測量の
技術がそのまま、区域は小さくても、それと同じような手法によって外でもだんだんと行われるようになってきております。それで、その
測量法による
調査と助言の件数並びに
測量士、
測量士補試験の受験者数はどんなことであるかと申しますと、審査の件数は、
測量成果が三百三十五件、それから作業規程の審査を受けて来たのが百六十八件でございます。それから
測量士、
測量士補の受験者数は、三十一
年度一万六千二百名ほど、三十二
年度は一万六千四百名ほど、最近ほとんどこの数は似通った数になっております。毎年一万四、五千から六千くらいの程度に落ちついておるようでございます。
ここで注意しなければならないことは、
測量事業の究極の
目的は、
国土の実態を科学的に把握することであります。で、この
目的のために、地表面の状態を
地図として確認することはもちろん大切でありますが、それと同時に、地下資源
開発のために、地下の構造を明らかにし、また、狭い
国土を合理的に活用するためには、
土地利用の状態を確認しなければなりません。また、国あるいは地方の状態を知るためには、比較的小縮尺の
地図を
利用して、
交通、人口等の重要な要素を総合的に理解しなければなりません。
で、このような
目的のために、戦後
地理調査所が
実施した
事業に次のようなものがあります。まず、
国土全域にわたる重力
測量と地磁気側壁でございます。地下資源
調査のための最新の手段としては、重力探査、磁気探査、あるいは地震探査など各種の方法が実用化されておりますが、これらはいずれも重力あるいは地磁気の局地異常をとらえて、それから地下資源の有無を推定するものであります。しかし、局地異常をつかまえるためには、
国土全般にわたる平均的密度をもってそれを
調査しなければなりません。で、このために、全国的に重力あるいは地磁気の
測量を
実施する必要があるのでございます。この
目的のために、
地理調査所は
昭和二十八年以来、重力及び地磁気の全国的
調査に着手いたしまして、
昭和三十三年にその第一段の
調査を完了する予定でおります。しかも、この測定に使用し、その精度と能率増進に大きな力となった
地理調査所型地磁儀と重力計は当所職員の設計になるものでありまして、その性能については国際的にきわめて高く評価されているものであります。たとえばこの重力計でございますが、これは重力振子は、時計の振子のような振子を振る機械でございますが、これは一昨年ワシントンへ持っていきまして、ワシントンの原点に持っていきまして比較したのでございます。今世界の重力の原点は、ドイツのポツダムとそれからアメリカのビューロー・オブ・スタンダーズ、これは
日本の度量衡検定所のような役所でございますが、そこにございます。そこで
日本の重力の価を世界的に統一するためには、ドイツのポツダムか、あるいはワシントンにつながなければなりませんので、一昨年ここへ持って行って比較したのでございます。で、ワシントンではビューロー・オブ・スタンダーズに世界原点が一つありまして、それから海岸及び測地
測量局に弔う一つのアメリカの内の重力の原点がございます。しかしながら、このアメリカ原点の方はビューロー・オブ・スタンターズの原点から海岸
測量局が自分のところの機械でもって取りつけてはかった価でございまして、最近グラビメ一夕ーと申しまして、ごく狭い範囲を非常に精密に重力をはかる機械がアメリカにたくさんできております。これは石油の探鉱によく使われる機械でございますが、広い範囲に使うことは不適当でございますが、狭い所は非常に精密にはかれます。たとえば一ミリガール、これは重力の単位でございますが、センチメートルの千分の一のところの単位でございます。そのミリガールの百分の一程度まで精密にはかれるものでございます。それで、ビューロー・オブ・スタンダーズの原点とそれから海岸及び測地
測量局の原点をつないでみたところが、どうも海岸及び測地
測量局のやった原点の価に何ミリガールぐらいかの違いがあるということが推定されておったのであります。ところで私の方から持っていきました重力振子でビューロー・オブ・スタンダーズで測定しましたら、海岸及び測地
測量局でぜひ自分の方もはかってくれということで、海岸
測量局に持って行ってはかりましたところが、その差がぴしゃっと出てしまったのであります。従来重力振子でこの程度の違いがわかるということはほとんどなかったのであります。普通重力振子の精度は、プラス・マイナスの三ミリガール程度が今まで限度とされておりました。それが百分の一あるいは十分の一程度まで明らかになったというので、非常に驚いている次第でございます。去年の秋にパリの国際測地学連合の重力分科会の集りがございました。私の方から測地部長の奥田技官が参ったのでございますが、その席上でも
日本の器械が非常にいいということをケンブリッジ大学のブラウンという教授、それからアメリカのライスという技師、そういう人
たちから非常に賞賛されました。それで、そのときにぜひ、この会長はフランスのルジエーという人がやっておりますが、ルジエーがぜひとも今度
日本が南極に行くなら、
日本の行く南極
地域には重力の測定が一つもないから、
日本の器械を持って行ってやってくれないかということを希望されたそうでございます。しかしながらこれに対しまして、アメリカとイギリスの連中は、ああいうふうなりっぱな器械は、南極のような所に持って行って、ぶちこわしでもしたら大へんなことになるから、これは考えなければいけないということを申し入れたそうです。そうしたら、それは必ずしもあの器械でやってくれという意味ではないのであって、まあ
日本のようなすぐれた
技術を持っているものが行って、そういうところのものを何でもいいから一つ出してくれないか。これはリコメンドではない、ウイッシュであるということを申したそうでございます。それで、また最近重力の中央局から私の方へ、
日本でもってベイルート、それから豪州の南の方の重力の測定をやってくれないかということを申して参ったのでございます。これはどうも金のかかることで、われわれの
日本の金を使って、そういうところまでやれるかどうか、私まだよくわかりませんが、とにかくそのくらいに重く見られているものでございます。
それから南極へ行く途中に、シンガポールとそれからケープタウンはぜひ
日本の器械ではかってほしい、これは地球の形をきめるために地球上の各種の重力を調べる必要がある。精密な測定が欠けているので、その器械によって補足してくれということを要望されております。果してわれわれの重力班が今度の南極探険に参加できるかどうか、はっきりきまっておりませんが、行ける場合にはぜひ
実施したいと思っておる次第でございます。
そこで今
国際測地学会のことを申しましたが、これは従来
測量会議のありますたびに
測量部長あるいは所長が出席しておったのでございますが、今年は九月にカナダのトロントでこの総会があることになっておるのでございまして、私
たちは去年あたりからもうすでにそれに参加するために予算を出してくれということを実はお願いしておったのでございますが、どういう行き違いでありますか、ことし本省の会計課長が申しますのには、ことしは旅費がないということを申し渡されたのでございます。これは私としては非常に遺憾なことであります。私個人が行くとか行かないとかいう問題でなくて、
日本の
測量界における地位というものは世界的に非常に認められておるのでございまして、
日本から行かないとすると、これはどういうわけであろうかという疑問をおそらく持つだろうと思います。これは何としても
日本の文化のために惜しいことで、何とか行けるようにいたしたいと努力をしておる次第でございます。
だいぶ話が横道にそれてしまいましたが、次に
土地利用の
高度化をはかるための手段としまして、まず第一段階として、現在の
土地利用の形態を確認し、次いでそれが果して最も合
目的に
利用されているかいないかを判断する
基準として、
土地あるいは地形の実態を把握しなければなりません。この趣旨に沿った
事業として当所が
実施しておりますのは、
建設省
計画局と共同いたしまして、国庫の二分の一の補助によって、各府県が
実施しておる
土地利用調査であります。これはすでに数カ年やっておりまして、全部では二百四十三図葉を完了しております。これは県で
計画して、そうしてうちの方でこれの指導とそれから監督をやっておるのでございます。これは本来こういうふうな
仕事は各国とも
測量部そのものが受け持っておる
仕事でございまして、私
たちもこれについては大蔵省に初め強く私の方で直接やれるようにお願いしたのでございますが、どういうわけか、予算をつけてもらえませんで、現在のような形になって、はなはだ不明瞭な形でこれは進行しておるのでございます。しかし、このできました結果は、非常にすぐれておりまして、たとえば一昨年でしたか、イギリスのスタンプ、これは地理学者としても世界的な男でございますが、来ましたときに、
日本のできております
土地利用図を見て、非常に賞賛をして、これはイギリスでやっておるものよりも非常にりっぱにできておる、おせじかもしれませんが、非常にほめていただいたわけでございます。
次に
土地の持っておる潜在力の
調査は、
日本では従来
実施されていなかったのであります。従ってその方法論も確立しているとは言えないものでありますが、
調査所では
昭和三十年以来
国土調査事業の基本
調査として
土地分類
調査の
実施を経済企画庁から委託され、また独自の見解に基いて、最も
利用度の高い平野地帯の構造を明らかにするため沖積地
調査を細々ながら
実施しておるのであります。で、この沖積地の
調査は、たとえば地震のありましたようなときに、同じような
土地にありながら非常に破壊度の高い所がありますし、またそうでない所もあるという工合で、上から見たのではほとんど同じように見えていて、実際の被害の程度が非岩山に違っておるのであります。こういうふうな所は、おそらく下に何らかの違いがあるであろうということを考えまして、これは一応沖積地帯についてもう少し
調査しておいた方がよかろうという考えがありましたので、これは企画庁の
仕事と関連しまして、これをやっておった次第でございます。
次に湖沼等の内陸水面の
調査でございますが、これは干拓等農地造成、それから淡水漁業資源の確保等のために役に立つものでありますし、また山岡部にあります湖沼でありますと、その水の
利用ということはこれは大切なことだと思いますので、この
調査を始めたのでございますが、これは数年予算を提出しましても、いつも削られてしまって通らない
仕事の一つでございます。しかしながら、
地図の上には湖水は書いてありますが、その水深等は記載してございませんので、これは
修正測量の一部と解しまして、
修正測量費予算の一部をさきまして、細々ながらやっております。従来までにやりましたところでは、琵琶湖の一部、それから浜名湖の一部等をやっております。まあしろうと考えでございますが、たとえば平野地帯にあります大きな浜名湖とか琵琶湖とかいうようなものは、単にさきに申しました干拓とかあるいは漁業とかいうものばかりでなく、船を通したり何かするためにもその深さ等は知っていないと困るということをしばしば言われるのでありまして、そのためにもやる必要があると考えているのでございます。それから山間地の水のようなものは、しろうと考えでありますが、水は現在では
日本のような貧乏な国では有力なエネルギー資源だと考えられるのでありまして、湖水の深さとそれからその周囲の地形というものを関連さして
調査しておきますと、この湖の水を最大限に
利用することができるのではないかと考えるのであります。で、現在やっておるかどうか私知りませんが、たとえばサイフォン式か何かで深いところまで湖水の水を外へ導き出すようなことができたならば、たとえば冬の渇水期のようなときにもかなり有意義に
利用されるのではないかというようなことも考えている次第でございます。
国土、それから地方の総合的把握に対しましては、当所は
昭和二十二年の
米軍指令による
土地利用図を最初といたしまして、発電所とそれからその配給経路を明らかにするための電力図、それから農村経済の自給度と
都市の機能の関係といったようなものを
調査した一連の
国土実態図を出しております。しかしながら、これはわかる人には非常に評判がいいのでありますが、最近も本省の監査がございましたときに、こういう
地図は作るのはよくないのではないかといったような意見を実は聞いたのでございます。しかし、たとえば統計局ではいろいろな統計を出しておりますが、あれを見てすぐわかるような人
たちは比較的少いのではないかと思いまして、われわれはああいうふうな統計を図に表わして、一目瞭然だれにでもわかるようなものを一つ作ってみようということで、これは試作的に従来作っておったのでありますが、これは今後も私としては続けて各種のこういうふうな統計的なものを八十万分の一のスケールで統一的にやっていきたいと考えておる次第でございます。しかしこれについては、本省あたりではかなり疑問があるように聞いておるのでございますが、まああっさり申しますと、よくわからないのじゃないかといったような感じがしないでもございません。
次に、ごく局地的に具体的な
調査を遂行するためには、今までは私の方で持っております
地図はせいぜい五万分、
都市で一万分、平野部で二万五千分といったようなものでございますが、こういうふうな具体的な
調査を遂行するためには一千分の一あるいは二千五百分の一といったような大縮尺の正確な詳細な
地図を作って、また
土地の高度の正確な
測量がぜひとも必要であることは言を待たないところでございます。しかるに
戦前の三角
測量や
水準測量は精度的にはきわめて高いものでありましたが、五万分の一の製作を直接の
目的としていましたためにその密度が荒く、とうていそのままではこの種の大縮尺
測量にすぐさま使える状態にはなかったのであります。それでヨーロッパ諸国では例えばスイスのごときは一方キロに二点、ドイツでは一方キロに一点の
三角点を置いておって、数千分の一の正確な
地図を作っておりまして、あらゆる工事と
調査の資料として使っていることは、わが国に比較しまして格段の相違があるのでございますが、この立ちおくれを少しでも克服するきっかけとなったのは
国土調査法の施行でありまして、この
事業の一翼を分担することによりまして、さしあたり二方キロに一点の四等三角を設置することを目標として、
昭和二十六年以来この
事業に参加し、まだ実験的
規模を脱することはできませんが、愛知用水に関連して半田市周辺の五千分の一の
測量を
実施しております。また
国土調査事業がさしあたっての目標として、主として一筆地
調査を主題としておりますために、用排水工事等にどうしても必要な二等
水準測量の
実施が困難であることは、これははなはだ遺憾に考えているところであります。またその四筆三角
測量も農耕地を第一次目標としているために、
日本の七〇%をおおい、また水力資源として欠くことのできない森林地帯に現在の
調査法では拡張できないと思われますが、これはまことに遺憾であると思います。
地図の縮尺についても同様なことが考えられるのでございまして、現在の五万分の一図が各種の工事や
調査の資料として非常に有用であることは、すでに事実が証明しているところでありますが、
国土の徹底的な再
開発のために、また
測量法の重複排除の精神に最も合う方法は、五千分の一程度の大縮尺の
地形図を全国的に
整備することにあると考えます。しかしこれを実行するとなりますと、現在の五万分の一の
地図の百倍に近い
地図を作らなければならないことになりまして、その実現はほとんど現在の私の方としましては不可能であると思います。このためさしあたって実現できる目標として
昭和二十三年以来、
調査所では二万五千分の一の
地図の
地域の拡張と、旧図の
修正を企画して、
実施に移しているのであります。そうしてその
測量地区の選定に当りましては、各省の要求に沿わせて、たとえば自治庁の要望に上る奄美大島その他の西南諸島の
測量、あるいはまた根釧原野と申しますか、北海道の根室、釧路の付近の原野でございますが、あそこの
開発のための
測量等に協力している次第でございます。
以上、大体現在やっておりますことのあらましを申し上げたのでありますが、まず、これからの目標としましては、二万五千の完成を主体として考えたいと思っている次第でございます。このためにまず平野地帯で約千面くらいを作らなければなりません。今ありますのが千二百面程度でありますから、あと千面くらい作ろうと思っておりますが、それが年にかりに二百面やるとしても五カ年かかります。ところが現在の能力では約百面程度であろうと思われます。そうしますと、約十年の歳月を要してしまうことになりまして、これは大へん期間が長くかかり過ぎるのではないかという意見が多いのでございまして、できれば五年くらいでやってしまいたい。しかしこのためには相当人をふやさなければならない。たとえば測図において二百人近い—これは本所で使うばかりでなく、私の方には支所が七カ所ございます。札幌、仙台、富山、名古屋、広島、高松、福岡、こういったような所に支所がございますが、こういう所にさらに人を配置するものを加えますと、二百名くらいの人を増員しなければならない、そうしてこの
地図の製作を円滑にやるためには測図の方に五十名くらいの増員が必要である、これは主として四等三角の拡張に要するものでございますが、それから今度は
地図の製作に約百名くらいの人間が要るであろう、それから印刷に五十名くらいの人が必要であろう、とにかく四、五百名の人がこの
仕事のために要るのではないか、このくらいのものをぜひいただけたらということを実は考えている次第でございます。
まあそのほか、最近は
測量の方法が大へん変って参りまして、たとえば今までは地上の長さをはかるのにテープを引いてはかったのでありますが、これを光の速度でもってはかるというようなことが考えられてきております。で、こういう方面の問題、それから今まで計算は人の力によりましてやっておったのでございますが、これは三角の計算と申しますのは、御存じのようにアジャストメント、平均計算に非常な労力を要するのでありまして、非常に大きい三角形の計算になりますと、一年から二年かかるものがある、ちょっとしたものでも半年くらいはかかってしまいます。こういうふうに時間をかけておっては、はなはだ時代の要求にマッチしないということで、できれば電子計算機のような毛のを備えつけて、そうして早く片づけるというようなことも実は考えている次第でございます。そうして今
年度はそれの試験といたしまして、それを使う費用を実はお願いしたのでございますが、これもお認めをいただけなかったのでございます。たとえばまた私の方の
測量器械でございますが、これは
測量部が古かったものですから、その当時買った器械は今でも完全に使ってはおりますが、非常に古くなっているのでございます。しかしながら諸国を回ってみまして、私の方で使っているような古い器械を使って
測量をしているところは私の見た限りではございませんでした。大がい
測量博物館のようなところに陳列してあるような器械、それを現在われわれは使っているのであります。しかしこれにつきましては、大蔵省でも非常に御理解をしていただきまして、最近逐次、毎年わずかずつでありますが、これを交換するようにして下すっております。
それから
測量技術の点につきましては、測図にしましても、あるいは三角
測量、
水準測量等にいたしましても、これは外国にほとんど劣らないばかりか、その
技術そのものは非常に進んでおると思っております。ただ私
たちが現在最も困っておりますのは、
地図をかく、清書する作業でございまして、これは各国とも困っているようでありますが、これはいかにエレクトロニックスが発達しても、機械的に自動的にできるようなことはまずおそらくないのじゃないかと思います。これはどうしても人の手によってかかれなければならぬ、たとえば山の等高線のようなものは一つ一つみな違っておるのでございまして、これを統一してかくなんというようなことはとうていできないことでありまして、従ってこれをいかに早く、しかもきれいにやり上げるかということは、私
たちの目下負わされている大きな課題の一つでございます。これにつきまして、最近特にスイスあたりで非常に発達して参りましたのは、合成樹脂の面にフィルムを塗りまして、その上へとった
地図を焼きつけて、そうしてその上をのみでもって削っていく方法がありますが、スクライビングと申しておりますが、この方法によりますと、割方初歩の人、大して練習しない人でもきれいな線が出て、そうしてりっぱな
地図ができ上るのでございます。で、これを取り入れたらどうかというので、目下これは試験中でございます。おそらく近い将来において私の方の
地図の作製は、製図はほとんどこのスクライビングに変っていくのじゃないかと思われるのであります。
それからさっき光波の速度でもって長さをはかるということを一申し上げましたが、
日本におきましては非常に面積が狭いものですから、長い基線、たとえば私の方で使っておりますものは四キロから六キロ程度の長さでございますが、これを直線上にそれだけ求めるということは、近ごろでは非常に困難になってきております。たとえば東京の近所の相模野にも、これは
日本の一番古い基線がございます。しかしながら今はその中間を小田急が
通り、またアメリカの駐留軍の兵舎等、いろいろな工場などができておりまして、もうとうていあれを再びはかることはできないような状態になっておるのでありまして、それでどうしてもテープではかるのでなく、光速度を
利用する器械のようなものを使わない以上、たとえば地震のあったときに長さがどう変化してきたかというようなことを
調査するのにも、従来のようなやり方ではとうていできないのじゃないかと考えております。現在スエーデンで作っておりますジオデメ一夕ーというものがございますが、これを昨年一台買いまして試験しておるのでございますが、これはまだ試験の時期中でありまして、実際にはかりました四キロメーターの基線と比較してみましたのですが、まだ一サンチ程度の違いが認められる、これがぴったり合うようでないと実際には使えないのじゃないかというので、庁内でもってその誤差のくる原因がどこにあるかということを鋭意研究しております。これらにつきましても、近い将来におそらく三角
測量は、極端なことを申しますと、もうセオドライトを使わないで、経緯儀を使わないで、おそらく光りでもってきめてしまうというような日がくるのじゃないかと実はわれわれは夢みておる次第でございます。そうしてこういうような、
測量に関するいろいろ新しい事柄は、さっき申しました
国際測地学会、ことしトロントにあります学会のようなところで持ち寄りまして、討論して発達をはかっておる次第でございます。
そのほか申し落しましたが、
国際測地学会の使命としては、その国でやった
仕事を報告して、それから今申しました
技術の点と、それから国際的に協力する、たとえば重力とか磁気とかのように国際的にはからなければきまってこないようなものの
仕事を、これからいかようにあんばいしてやっていくかというようなことの相談をするのでございますが、そういうところにおいても、行くたびに新しい方法ができておりまして、近ごろでは三角
測量のかわりに三辺
測量という言葉がすでにでき上っておる次第でございます。
概略以上で
測量部以来の
仕事の由来、また
地理調査所でやって参りましたこと、これからやりたいことのきわめてかいつまんだお話を……。