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久保等君 今の問題についてもいろいろ問題があるのですが、
結論的には、政務次官の御
答弁で、私も一応現状に対する
処置の
方法としてはそういう方向でいかざるを得ないと思うのですが、当初この問題が問題になったとき、あれは日銀側でしたか、大蔵省側の
答弁でしたか、住宅関係だから、住宅
事情があって、それはなかなか簡単に出られなかったのだという
答弁だったのです。ところが、いかに住宅
事情が困難であろうとも、十年になんなんとする形で居すわらなければならぬという
事情は、どうしてもこれはわれわれ
納得がいかないのです。同時にこれはいろいろ資料を出していただいて、手元にもあるのですが、この十八名の方々の中で、ほかへ転職されなかった方は一名もないのですよ。こういう
人たちは、十八名が一人残らず、これは全部
一般社会的に
考えれば非常にしっかりした会社、大会社あるいは公団関係の
理事、重役におさまっているんですよ。ここに実は私
どもが
指摘しなければならない問題がある。やめてすぐ路頭に迷って、実は一時金ももらえなかった、退職金もきわめてわずかだ。買えといっても無理だし、出ていけということも無理だということで、それがかりに四年が五年になり、六年になったにしても、それこそそういう
人たちについては住宅
事情があり、個人的な
事情があって、出ようとしても出られないのだという
人たちについては、これは私はそれこそ十分めんどうを見てやってしかるべきだと思うのです。ところが出していただいた資料を見ても、私が劈頭にちょっと申し上げた日銀の封建性というか、日銀の非近代性というものが、住宅
事情に対する
扱い方についても出ている。ということは、二十二、三年ごろに入って、いまだに入っている方が事実いるようですが、わずかに一年に全国を通じて一名ずつくらいの人だったら、これは確かに私は
事情やむを得ないでおられるのだということは推測がつくけれ
ども、十八名が枕を並べて昨年まで入っているという
事情については、いかに私
どもが温情主義でいくとしても、これはとても
納得できない。十八名のうちで、ただいま就職をしておられない、遊んでおられる方は一名おるようです。しかしこの一名の方も、実はやめられると同時に就職はしたんだが、今は遊んでおられる。十七名の方は厳として、いろいろ職種は変ったにしても、なお公団その他の会社関係の実は重役をしておられるのです。私はこの
人たちが、住宅
事情がやはり相変らず非常にむずかしいので出られないという
事情はどうも
納得いかない。今日四名の方がなおかつ残っておるという問題なんです。ところがこの四名の方々はそれぞれ就職をして、りっぱにせられておる方々であります。だからこの方々が出られなかったという
事情についても、私
どもはちょっと
納得がいかない。ただ
先ほど岩間
委員も言われたように、従業員の場合には二、三そういった――特にその問題ばかりではなかったかもしれないけれ
ども、まあ自殺をした原因はおそらくそういう問題ではないかといわれるような形で
処理をされておりながら、片方においてこういう十八名の諸君が、とにかくぬくぬくと十年近くも居すわっているということについては、私は非常に遺憾に思うのであります。従って、私は運用の面については、そういう
人たちについては特殊な、それこそ個人の家庭の
事情あるいは経済
事情によって出られない方があると思うのです。それをすらとにかく引っ張り出せ、引きずり出してでも出しなさいということを、私
どもは申しておるのではないので、やめられて、しかもしかるべき重要な会社なり公団に勤めておられて、なおかつ日銀当時の役職なるがゆえに入られた人だと思うのです、
一般職員ではないのですから。重役といいますか、本店の
理事なり部長なり、あるいは局長等をやったゆえに百何十坪あるいは数十坪の住宅に住まわれたと思うのであります。私はそういう意味で、全く役得としてこれは日銀が貸与したものだと思うのです。そうだとすれば、これは
一般の民間における貸借関係、賃貸関係とは性格がおのずから違うと思う。そこを私は問題にしている。みそもくそも一緒にした形で、一従業員の家庭の
事情のいかんを問わず、それから部局長は皆退職金をもらい、大きな重要な会社に入っている。千編一律にやりなさいとは私も申しておらない。だからあくまでもそういう温情主義を生かすなら生かすようにしてやりなさい、しかし日銀の
規定を見ますと、この前も御説明を伺ったのでありますが、実は今何カ月たったら出なければならぬという
規定がないかということを質問いたしましたら、それはやめたらすぐ出るのが
建前だと言うから、それこそ非常識だ、むしろ三カ月なり半年なり一年なりという猶予期間を置いて出るような形でこの行舎の運用
規定を作るのが実情に沿っているのに、むしろやめたらすぐ出るのだという
建前で作っている
規定だから、私は、逆に役員の人は十年も居すわるし、それからそういう役付のない、ほんとうの
下級職員はすぐにも出て行けというような圧力を受けるものだから、みずからの生命を断たなければならないという悲劇が起ると思うのであります。だから私は、こういう
規定はもう少し精密に作っていただかなければならぬと思うのですが、その実情に沿ったように、また、ある
程度運用の面で確かに血もあり涙もあるように運用していいと思うのですよ。とにかく社会常識からいっても、いかなる温情主義をもろてしても、温情主義をもって
考えれば
考えるほど、実は私は義憤を感ずるのです。こういう問題については、
先ほど政務次官の言われた中には、いわば戦後の払い下げで、払い下げでもしなければならぬようなものであったと言われたけれ
ども、それだって私はその人になぜああいう低額で払い下げなければならぬかということについて、やはり問題が残っております。
先ほど行舎の問題でいろいろ問題が言われておった。だからといってあの価格で払い下げるということが正しかったか、あの価格で払い下げられたことが正しかったとはいえない。従って私は、昨年の十四件を一括して片づけられるこの
処理の
方法は、まことに遺憾だと思います。特に私は大蔵当局のおひざ元の問題である、しかも切っても切れない関係にある日銀の問題であるだけに、私はぜひ
一つこの問題についても
十分一つ善後
措置を
考えていただきたい。と同時に、
先ほど劈頭に申し上げた日銀の運用についても、きわめて非近代的な非民主的な行内における実情のあるという点も、大蔵当局は十分に
一つ管理、監督の
立場から御
反省を願いたい。またいずれこの
委員会にぜひ
一つ私は日銀の
責任者、総裁なり副総裁に御
出席を願って、行内における運用の問題についてぜひとも
一つ、たまたまこういう問題から私も
事情を若干伺ったのですが、非常に今の常識からいって、全く苦笑を禁じ得ないような事実が今日行われておる。そのことが今言った行舎問題なんかの
扱い方の中にも、私はやはり
一つの具体的な事実として出ておると思うのです。今の世の中で一本店の
理事が行くのに、天皇陛下のようなスケジュールを作って、そして一女子従業員のごときは、お前はお手ふきを持って行け、便所へ入ればこの係はだれさんだといったような形で、雨が降ったときにはだれがこうもりがさをさす、車のあけ締めをだれがするのだというようなことまで行われておるということは、
一つ一つの事柄は全くくだらないことだと思うのです。そういう形で日銀というものが運用されておるのだとするならば、これは私は
国民からそれこそ日銀の格式どころではなく、嘲笑を買うと思う。嘲笑どころではなく、
国民から反感を買うと思う。日銀の権威を高め、私は日銀の格式を高めるならば、それこそ今言う行舎関係なんかをこういう形で
処理されることくらい日銀の権威と格式を下げることはないと思う。と同時に、地方に行って従業員にそういう形の
扱い方をさせることくらい人間を、何と申しますか、それこそ基本的人権の多少侵害にもなるのじゃないかと思われるような、全く奴隷的な形で従業員を使うというようなことは、これは日銀という非常にレベルの高い、何といいますか、事業体であるだけに、それからまた日本の金融関係の総本山であるだけに、私
どもは強くそのことを繰り返して申し上げているのです。この点については、管理、監督の
立場にある大蔵当局並びにその当面の日銀そのものに対して、私は非常な
反省を
一つ願いたいと思っておるのです。そういうことでなければ、日銀の何と申しますか、ほんとうの明朗化、それからまた日銀のほんとうの意味の格式と権威を保持することは困難だと思う。私は実は聞いて非常にあぜんとしたのだし、おそらくここにお聞きになっている方でも、私のただいま申し上げたようなことは、そんなばかげたことがという
気持の感じを受けられる方々もおありになると思う。私も実は戦時中くらいまでは日銀のそういう
事情も若干は耳にしておったのですが、これは当時の社会構造なり、あるいはまた当時の空気からいって、ある
程度は、そういうこともあってもまあまあ普通あり得ることだといって見のがせる問題だと思うのですが、今日なおかつそういう一
理事の地方旅行なんかの場合に、全くどうも聞いてちょっとあきれるようなことが現実に行われるようじゃ、どうもやはりこれは根本的な問題があると思うし、そのことがたまたま行舎問題においての
扱い方については、全く主客転倒したような形で、役得のある諸君に温情を無制限に行われている。それでむしろ下の方の従業員の諸君には、
国会で問題になったからお前たちはすぐ出ていけ、あるいは
国会で問題になろうとしているから宿舎なんかはそうは建てられないというような形で、
一体、日銀の内部の運用について、
一般職員が、どの
程度まで知識があるかということに対して、私は疑問を持っている。いわば行内においても、おそらく上部のことを、
一体銀行そのものがどういう形で運用されているかということは、従業員諸君はつんぼさじきに置かれて、ほとんど知らないと思う。私はこの
機会に
一つ大蔵当局の方に二十九年度の予算と
決算、それから三十年度の予算と
決算、それから三十一年度の予算、これを
一つ大蔵当局の方から予算書そのものを出していただくのも大へんでしょうから、もし何か余部でもあれば、そういう形ででも出してもらっていいのですが、もしそういうものがなければ適当に
一つ項目をある
程度まとめた形で、そうあまり大部の資料にならないような形でお出しを願いたい。特に問題になっている行舎関係のものだとか、それから給与、人件費、そういったようなものが、どういう形で使われているのか、そういうことがもし大蔵当局でお気づきになった点があるならば付記をしてもらいたい。もしなければ、その事実のままを資料としてお出しを願いたい。ぜひ
一つこういう問題について、私は特に事をかまえて、問題を荒立たせようとは思っておらない。しかし少くとも近代的な今の社会において日の当らないような、何か変な形のものが日銀等においてあるとすれば、これはやはり明朗化していかなければならぬ。私はそういうただ一念でありますし、しかもこのこと等については、あまり大蔵当局なり、
会計検査院が従来から調査をやられたこともないようですから、そういう点で私は特にこの際にこの問題を取り上げることによって、日銀が若干でも従来よりも明朗化していく、さらに内部の運用というものが、民主的になったという形になるならば幸いだけれ
ども、きょうはまだ銀行局長
もとうとうお見えにならなかったようですが、これについての当局としての銀行局長、あるいは大蔵大臣等にもいずれ後日
機会があると思うのですが、ぜひこの問題については真剣に、私は誠意をもって
処理をしてもらいたい。本日のところは時間もあまりないようですから、私はこの前の資料に基きまして、若干気のついた分を
指摘申し上げたのですが、政務次官もまだ十分
事情がおわかりにならない点もあると思いますから、十分な御
答弁をいただかなくてけっこうですが、その点だけは
指摘を申し上げて、十分に
一つ関係の方々に御連絡等御
報告を願って、いずれまた御
答弁をお題いしたいと思います。