○
参考人(
村瀬直養君) 順序として
業務の全般をお話し申し上げましょう。
まず、
昭和二十九年、三十
年度の
業務の
概況をお話しを申し上げたいと思います。
商工組合中央金庫は、
商工組合中央金庫法に基いて設立せられておりまする
特殊法人でありまして、
中小企業等の
組織体、すなわち
中小企業等協同組合法に基く
事業協同組合、それから、あるいは
協同組合連合会、
企業組合及び
信用協同組合、それから
塩業組合法に基く
塩業組合に対する
金融の
円滑化をはかってその健全な発展に寄与することを
目的といたしておるものでございます。当
金庫の
取引の
対象は、戦前においては
商業組合、
工業組合及び
商工組合でありまして、戦後においては
昭和二十四年までは
商工協同組合法に基くところの
商工協同組合でありましたが、同年の六月、
中小企業等協同組合法が施行せられまして、
事業協同組合、それから
協同組合連合会、
企業組合及び
信用協同組合が
取引の
対象となりました。さらに二十八年の七月に
塩業組合法が制定せられまして、
塩業組合がこれに加えられるに至ったのでございます。なお
取引の
対象は、従来
組合だけに限られておりましたが、
昭和二十六年の十二月に
組合の
構成員に対しても直接
取引ができるようになったのでございます。
当
金庫の
資本金は、設立の当初は一千万円で、
政府と
組合が
折半出資をしておりましたが、前後十回にわたって増資を行いましたこと等によりまして、現在は二十八億四千万円と相なっております。その内訳を申し上げますと、
組合の
出資が十五億九千七百九十万円、それから
政府の
出資が十二億四千二百十万円でありますが、
政府の
出資はさらに
一般会計からの
普通出資十億二百十万円と、それから
産業投資特別会計からのいわゆる
優先出資というものが二億四千万円ございまして、その二つになっております。
政府の
一般会計からの
普通出資の十億二百十万円のうち十億円は、
昭和三十
年度予算によって新たに
出資されたものでございます。なお
政府の
普通出資に対する
配当につきましては、いわゆる
劣後配当という
措置がとられておりまして、現在これに対して
配当は行なってはおりません。
次に、当
金庫の行いまする
業務の範囲は次の
通りになっております。
すなわち、第一に
所属組合、またはその
構成員に対する
貸付、これが一番中心でありまするが、
貸付の
種類は、五年以内の
定期償還の
貸付及び二十年以内の年賦、半年賦、または
月賦償還貸付のほかに、
手形の
割引及び当座
貸し越しでございます。第二に
所属組合あるいはその
構成員のための債務の保証、それから第三は、
所属組合またはその
構成員のための
内国為替業務、それから四番目は、
所属組合またはその
構成員のための
有価証券の保護預り、または
委託売買、第五は、
所属組合のための
出資払込金の
受け入れ、またはその
配当金の支払い、第六は、
中小企業等協同組合、その
構成員、それから
公共団体、非営利の
団体、
主務大臣の
認可を受けた
銀行その他の
金融機関からの
預金の
受け入れ、これが本
業務でございます。
以上の本
業務のほかに、国務大臣の
認可を受けて、国とか
公共団体、
銀行その他の
金融機関の
業務の一部も代理することができることとなっておりまして、現在は、第一には
中小企業金融公庫から委託された
貸付の
業務、それから第二は、
政府から委託された
信用保険の取扱いの
業務、それから第三には、
自転車振興会連合会等から委託せられました
納入金の
受け入れ、それから
金融機関に対する
資金の
貸付、
補助金の
交付、これらの
業務を行なっておるのでございます。
なお、当
金庫は、
貸付資金を調達する
方法として、
債券の
発行が認められておるのでございまするが、その
債券は
利付債券と
割引債券、いわゆる
割商と称しておりますが、
利付債券と
割引債券の二
種類で、
発行限度は、
払込資本金と
準備金の
合計額の二十倍となっておるのでございます。
当
金庫の
目的とか
業務の
内容等は以上申し述べた
通りでございまするが、当
金庫の、ただいま問題になっておりまする二十九
年度及び三十
年度における
業務の成績は次の
通りでございます。
当
金庫の
貸出は、戦後
中小企業の
資金需要の増大に伴って逐年
相当の伸張を示して参りましたが、二十九
年度以降は、いわゆる
経済安定政策の推進及びこれに引き続く
金融緩慢化の浸透によりまして、
貸出の増勢も若干低下して、
貸出残の
増加額も、二十九
年度は七十一億円、三十
年度は六十四億円余にとどまっておるのでございます。すなわち、二十九
年度における
貸出の
実行額は一千三百三十九億円、
回収額は一千二百六十八億円、差引の
増加額は七十一億二千万円で、
年度末の
貸出の
残高は五百三十五億七千万円でありました。また三十
年度におきまする
貸出の
実行については一千五百一億円で、二十九
年度に比べまして百六十億円余の
増加でございまするが、一方
回収額も千四百三十七億円に達しましたので、結局
貸出の残の
増加額は六十四億七千万円にとどまって、
年度末の
残高は六百億五千万円に相なったのでございます。
各
年度末におきまする
貸出金を
使途別に申し上げますと、二十九
年度末におきましては、総
貸出が五百三十五億七千万円でございましたが、そのうち
運転資金は四百七十七億八千万円で、八割九分二厘、それから
設備資金は五十七億九千万円で、一割八厘でございましたが、三十
年度末におきましては、総
貸出六百億五千万円のうち、
運転資金は五百二十四億三千万円で、八割七分三厘、
設備資金は七十六億一千万円余で、一割二分七厘と相なって、二十九
年度に比べまして、
設備資金の
貸出の比率がやや高くなっておるのでございます。この傾向は大体今日まで続いております。
さらに
業種別では、二十九
年度末におきましては、総
貸出金のうち、
製造業が六割四分二厘、
卸小売業が二割三分六厘、それからその他が一割二分二厘と相なっております。
以上申し上げましたのは二十九
年度末でございますが、三十
年度末におきましては、
製造業が六割五分七厘、
卸小売業が二割二分八厘、その他が一割一分五厘と相なっておるのでございます。
それから、この間の
資金の
状況についてちょっと申し上げますと、当
金庫の
資金は、
預金、
借入金のほかに、
債券発行による
資金が主要な
資金源となっております。
債券につきましては、戦後一時その
発行が停止されておりましたが、
昭和二十五年六月から
発行を復活いたしました。そして二十五
年度中の
債券の
発行は五十一億円でありましたが、二十六
年度以降は、
政府の
資金運用部による
利付債券の引き受けが行われることとなりましたために、
発行額も逐年
増加をいたしまして、二十六
年度は六十八億円、二十七
年度は百十六億円、二十八
年度は百八十七億円、二十九
年度は二百億円、三十
年度は二百六十一億円と相なっておりまして、三十
年度末の
発行の
残高は四百三十億二千六百万円に達しておりまして、総
資金の六割八分を占めているのでございます。なお三十
年度末
発行残高のうちに、
利付債は二百七十四億一千六百万円、それから
割引債は百五十六億一千万円と相なっております。
それから
預金につきましては、
昭和二十五年以降は、
資金の大半が
債券発行によってまかなわれてきたことと、また二十八年十二月には六十六億三千万円に及んでおりました
政府の
指定預金が、その後逐月引き揚げられることとなりましたために、総
資金に対する
預金の割合は、二十七
年度が三割七分、二十八
年度末が二割七分・二十九
年度が二割三分、三十
年度が二割二分と・かように
漸次低下を示しているのであります。このうち、
組合等のいわゆる
系統預金は、二十九
年度末が五十二億七千万円、二十八
年度末が六十四億八千万円、それから二十九
年度末が七十九億三千万円、三十
年度末が九十二億三千万円余でありまして、年間十二億円から十五億円程度
増加いたしているのでありまするが、総
資金に対する割合ではほとんど変化がなく、一割五分前後にとどまっている現状でございます。
次に
借入金につきましては、戦後
債券の
発行が停止されていた時期には、
借入金に対する依存度はかなり高く、二十五年三月末には、運用
資金量の三割に及んでおりましたが、以後、
債券発行の復活に伴いまして、
資金源の充実を見ました結果、
借入金に対する依存度は低下して参りまして、二十八
年度末には四十億九千万円で、総
資金に対して八分九厘、それから二十九
年度末には二十六億一百万円で、四分九厘、それから三十
年度末には十二億九千万円で二分二厘と相なっているのであります。なお二十九
年度末
借入金二十六億一千万円のうち二十億円は、従来
一般会計から当
金庫に
貸し付けられたのでありまするが、二十八年九月に
中小企業金融公庫が発足いたしました。その発足に伴って同
公庫からの
借入金に振りかえられたものでございます。同
借入金は、三十年七月に十億円を返済いたしているのでございます。
それから最後に、二十九
年度及び三十
年度の損益の状態を御
説明申し上げますると、二十九
年度の総益金は六十八億三千万円余、総損金が六十五億一千二百万円でございまして、差引剰余金は三億一千八百万円になっております。これに前期繰越金を若干加えまして、当期剰余金は三億二千二百万円ということになっております。その剰余金の処分は、いわゆる
優先出資の消却
準備金に六千六百万円、それから
優先出資の
配当金に二千七百万円、その他諸積立金に一億五千九百万円を充てました以外に、
普通出資に対しましては年五分の割合で
配当をすることといたしまして、その分として六千五百万円を充てまして、四百万円を後期に繰り越したのでございます。
次に三十
年度におきましては、総益金は八十一億四千八百万円、総損金は七十八億一千七百万円でありまして、差引三億三千万円余の剰余金を計上いたしまして、これに前期繰越金を加えて、当期の剰余金は三億三千四百万円と相なったのでございます。その剰余金の処分は、
優先出資の消却
準備金として六千六百万円、それから
優先出資の
配当金として二千二百万円、その他諸積立金として一億七千万円を充てましたほかに、
組合の
普通出資に対しましては前
年度と同様に年五分の割合で
配当を行うことといたしまして、この分として六千四百万円を充てまして、一千万円を後期繰越金といたしたのでございます。
大体
概況は以上申し述べた
通りでございます。
次に
会計検査院から御
指摘になった事柄について弁明をお許しを願いたいと存じます。
検査院ではいろいろの点が
指摘がありますが、一つは貨付先の
北海道の澱粉
協同組合連合会、これに対しての
貸付は不当ではないか、第二は、
北海道の肝油工業協同
組合、これに対する
貸付も不当ではないか、最後に
北海道の札幌
支所の
貸出の延滞の
状況が
相当に多いのじゃないか、これらの点が御
指摘になった点でございます。一応とれらの点について弁明をお許し願いたいと存じます。
まず第一に
北海道の澱粉
協同組合連合会、これは道内の各地区に存在しておりまする十一の協同
組合の連合体で、これら傘下の
組合は千数百の
組合員を擁しているのでありまするが、当
金庫は毎
年度これら業者の原料買付等に要しまする
資金を
貸し付けてきたのでございます。
会計検査院が御
指摘になりました担保
手形振出人の日栄株式
会社、これは
資本金はまことに御
指摘の
通り百万円のものでございまするが、その実態は、小樽の商品
取引所会員でございまして、澱粉水あめ等を取扱い、年商——一年間の商売が五億円に達しており、地元一流の地位にあったために、本連合会は澱粉水あめ等の大口荷さばき機関としての立場から、日栄株式
会社に大口売り込みを行う
関係にあったのでございます。担保
手形はこの両者の
取引から生じたものでありまするが、
金庫が
手形を受け取るに当りましては、主要
取引銀行及び興信所による
調査の結果として、信用状態が良好であり、連合会の
資金繰りも十分検討を加えて
貸付を行なったのでございます。連合会が日栄に対し大量
取引をなす
関係から、
貸付が漸次大口化して参りましたことも、まことにやむを得ない次第であったと存ずるのであります。しかるにその後秒砂糖の輸入の増大等によりまする澱粉の市況が悪くなった、こういうような
関係から、地元の業界はあげて
資金繰りが窮屈になりまして、
融通手形による
資金操作を行うように至ったのでございまして、結局日栄株式
会社が
昭和二十八年五月に倒産するに至って、連合会もまた
資金の返済が著しく困難となって、ついに延滞を生ずるに至ったのでございまして、この点はなはだ遺憾に存ずるのでございます。
次に
北海道肝油工業協同組合の点でございまするが、この
組合に対する
貸付金は、道内の零細肝油粗製業者の精製肝油共同設備の
設備資金として、国庫及び道の
補助金のほか、当
金庫から
貸付けたものでございます。そのほかに粗製肝油の買い取り
資金として
貸付けた、両方でございます。しこうして
会計検査院が御
指摘になったように、担保
手形振出人のローヤル水産株式
会社、これはまことに
資本金が百万円の小さい
会社でございまするが、その実態は、わが国肝油の主要
貸付先の米国五大肝油取扱い業者の一つでありまするところのノブコ・ケミカルと申します
会社の日本の代理店でありまして、またインターナショナル・フィッシャー、この
会社の代理店を兼ねておりまして、
昭和二十六
年度の取扱いの実績は、全国生産量の三割を占めておりまして、
組合の大口売り込み先でありました。当
金庫担保
手形はこの両者の
取引から生じたものでありまするが、当
金庫が
手形を受け取ります際には、
取引銀行等により信用
調査をいたしました結果も良好でありまして、道内産業の維持育成、並びに輸出振興に寄与するところが少くないと考えて
貸付を行なったのでございます。しかるに輸出好調時におきまするところの生産設備の乱設が原料の買いあさりを招きまして、原料高、いわゆる原料高製品安となりまして、これに加えて
昭和二十七
年度下半期に至りましては、濠州の合成ビタミンが米国に進出をいたしまして、日本からの輸出が急減いたしましたため、輸出内需ともに業界は衰微の一途をたどりまして、
昭和二十八年六月にローヤルの
手形が不渡りとなり、ついに倒産するに至ったのでございます。
組合もその結果、これがために
資金の返済が困難となって、ついに延滞を生ずるに至ったのでございます。なおその間に
組合が
運転資金を設備の方に流用固定したという等の事情もありまして、ついにこういう状態に相なりましたことはまことに遺憾と存ずるのでございます。
それから、両
会社の
状況は以上申し述べた
通りでございますが、全般的に札幌
支所の延滞
状況が
会計検査院の御
指摘の
通りに、非常に
相当に悪いことは事実でございますが、これは
北海道における
貸付対象が原始産業に近いものが多く、かつ内地産業に比べまして、地理的にまた経済的に劣勢を免れ、ざるにかかわらず、地方の進展をはかりますためになるべく
貸付をしたい、かように努力して参りましたのでございます。そこで
昭和二十七年、二十八年の両
年度にわたりましては膨大な
資金の需要がありまして、その
資金需要にこたえて、年間の
件数が五千件ないし六千件、
金額がそれぞれ百億円に上る
貸付を行ったのでございまするが、当時としてはわずかに札幌の
支所一店のみをもってこれに対処せざるを得ず、かつ人員の充実も急速にははかることができないような事情にありましたので、
貸付に関する
調査、
管理等に多少不十分な点があったことは申しわけないと考えております。
そこでその事後の
措置はどういうふうな
措置をして参りましたかと申しますると、まず事務的の改善をいろいろ加えて参りました。債権の回収にいろいろ努力して参りましたことは申すまでもないのでありますが、そのほかに事務的の改善と、それから当時の責任者に対してどういう
措置をとったかということを簡単につけ加えて申し上げたいと存じまするが、ただいま申しましたように、
北海道一円は非常に広くて、店舗がわずかに札幌一つでは、なかなか
管理をやるという点についても、
貸出の
調査をする等についても遺憾がありまするので、
昭和二十八年の八月に函館に店を設けました。それから翌年の二十九年の九月には帯広に店を設けまして、今後はできるだけ善処をいたしたいと考えておりまするのでございます。
それから札幌の
支所の陣容の強化について申し上げますると、
昭和二十九年の三月にその
支所長を更迭をいたしまして、札幌の店は商工中金としては一流の店でありますが、そこの
支所長から格のずっと下っておりまする新潟の
支所長に転任をさせました。それから人員の
増加も
相当にはかって参りました。すなわち
昭和二十六年三月から
昭和二十八年の五月に二十名ないし三十七名でありましたが、現在札幌、函館、帯広の三
支所を
合計いたしますと、九十二名程度に増員をいたしておりまするのでございます。特に
調査と
管理の担当者を充実することに努めて参りました。
それから融資並びに
管理の対策といたしまして、
実地の
調査を一そう厳重にいたし、それから
手形事故の予防、特に特定商社振出
手形の集中取り込みによりまする事故の防止、こういう点については格段の注意を払うように
措置をして参っております。それから本所といたしましても、
検査部、この役づきの職員を増員し、その機能を拡充強化いたしました。また新たに本所に
調査部というものを設けまして、一般経済
調査並びに
業務調査を行いまして、随時これらの資料を全店舗に配付いたしまして、経済動向の把握並びに
貸付管理上の参考に供しようと考えて参ったのでございます。
それから当該責任者に対する
措置はどういうふうにしたかと申しますと、ただいま申しましたように、当時の札幌の
支所長に対しては厳重戒告をいたしまして、そして戒告の上に、札幌から先ほど申しましたように、新潟の
支所長に配置がえをいたしました。それからさらに昇給等についても十分に考慮して、減額をいたすような
措置を講じて参りました。
検査院の御
指摘の点は、一応非常に私どもとしても遺憾の点と存じまするが、大体こういうような事情で起ったことを御了承を願いたいと存じます。