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曾祢益君 ただいま、
外務大臣の
お話の中に、特に私が重要に
考える点は、
安保条約第四条にああいう規定があるし、また、あることは当然頭に置いておかなければならないが、必ずしもそれが全面的に、いわゆる純粋に、軍事的といいまするか、安全だということばかりにとらわれないで、たとえば、これは私の解釈が間違っておるかもしれませんが、とにかく
安全保障条約ができたときの
情勢と今の
情勢、今後の
情勢、これは、
国内的にも
国際的にも変っているんだから、
情勢の変化にもかんがみて、また、日米の真の永続的
友好関係を維持することを
目的とするならば、
外国軍隊の永久的
駐留ということは、決して
友好関係を促進するどころではなくて、これをまずくすることは、これは
世界の歴史が示しておる。たとえて申し上げるまでもないことでありまするが、
アメリカのすぐれた
外交家でもあるし、歴史家でもあるジョージ・ケナンのごときも、これは昨年の六月ごろの話ですけれ
ども、ピッツバーグの
外交協会において、
安全保障条約及びサンフランシスコ平和
条約の永久
駐留の規定に触れて、あれは、あの状況においては、遺憾ながらああしなけゃならなかったけれ
ども、しかし、
アメリカの今後の施策の
方向というものは、
日本という列島が米ソ
両国の争いの種となるよりも、むしろ和解のかけ橋というか、和解のエリア、地域という性格に
アメリカの
外交を指向していくべきではないかという意見を述べておることは、大臣御承知の
通りであります。まあ、そのことが
アメリカの一般の世論になっておるとか、現在のアドミニストレーションの政策になっておるという
意味ではありませんが、そういうような再検討、反省というものは、時々刻々必要であって、特に
日本の自主的な
立場から
考えるならば、当然に必要だと、まあ、
考えるわけであります。その点において、私
どもは、
安全保障条約を否定する
立場に立って、同時に
国際情勢のもとで、何らかのより好ましい集団的な安全保障が要るであろう、こういう
立場に立っておるのであって、ただ単に、
安全保障条約の廃棄だけで
議論が進むと思っておるわけではございません。そういう
意味において、ただ単に第四条の規定だけで、これを変えられないものだというような
考えではなく、
考えていく必要があろうと思うのであります。そこで、
安全保障条約の
改訂の
方向の問題が
一つ問題になるのでございますが、その前にです。先ほどの
自衛力の
完備ということに触れて、政府の
方針によれば、今後の
防衛力は、やはり量よりも質だという
方向を示されておる。この量より質だということと、今の
自衛力の
完備、少くとも
アメリカ軍の
駐留を必要としないような
日本の
自衛力の質ということになると、これはどうしてもやはり、先般来
国会でも非常に
議論になりました、
アメリカの戦略思想、それから戦略配置というものが
根本的に違っている。いわゆる原子力の機動部隊を
日本に置く置かないについてのいろいろな問題もございました。この点について、
外務大臣が、率直に言って、初めのうちは、まだ現在の問題になっていないから、問題になっていないのに、反対だとか何とか言うのは適当でないという
立場をとっておられたようですが、結局、
アメリカから原子力部隊
駐留の要請がかりにあったとしても、その場合にはこれを断わるということをはっきり言っておるので、一応その問題が済んでいるように見えるんでありまするけれ
ども、やはり私は、その底にその問題がどうしても残っておるように
考える。これはもう当然に、先日の
外務大臣の
施政方針演説の中で、
アメリカと
日本とがいろいろな点で一致しているという問題の中に、
防衛問題についても大きく一致しているということを言われておる。ところが、それはある
意味で
アメリカも
日本も、
日本が他の国、
アメリカからいうならば、いわゆる共産主義国に侵略されたり占領されては困るという、こういう
意味においての一致はあるとしても、いわゆる
防衛戦略という見地に立って
考えると、
アメリカの戦略は、どう
考えてみても、この原子力部隊によるところの、いわゆる、何といいますか、デターレント、
戦争に対する制御力、原子力を
中心とし、また、長距離誘導弾等を大いに活用したところのこの制御力というものによって構成されていると思うわけであります。しかもその場合に、完全なまだ、大陸から大陸への長距離誘導弾あるいは誘導兵器といいますか、そういうもので、きめだま的なものがない限りにおいては、やはり
日本の
防衛というものに対する戦略配置というものは、
アメリカがやる場合においても、これを
日本に期待する場合においても、基本的には同じであってただ単にこの
日本地域を守る、いわゆる戦術的な海軍とかあるいは地上部隊というだけでなくて、それとあわせて、より基本的なものとしては、この原子力を持っているところの、あるいは誘導弾等を持っているところのこのデターレント、制御力というものに重点を置いた、そういう
意味の質的な充実ということに振りかえられていくというのが、これは少くとも
アメリカから見た場合の戦略思想に違いない。そういうことを
考えてくると、この
原子兵器を
日本に入れる場合には、
国民感情上これを断わる、これは私はその
通りであって、まあそうでなければならないと思うのですが、そのことと、戦略上はやはり
防衛上一緒に、
アメリカと共同でやっていくということに基本的なズレが生ずるのではないか。だから、やはりそこを何とか
根本的に
考えていくならば、この
自力防衛ということで、果して
原子兵器等を拒否し得るのか、それで
一体自力防衛が成り立つのか、もし成り立たないのならば、今のところは断わっているけれ
ども、ずるずるとやはりそっちに
引きずられて
日本が持つか、あるいは
アメリカが持ち込むかは別として、
原子兵器を持ち得るような装備というものを
日本地域において許す、こういうことにならざるを得ない。このジレンマにどうしても私は逢着すると思うのです。その点に対する明確な
お答えをいただきたい。