○柴谷要君 今、はしなくも語るに落ちるということが出てきたと思います。ということは、土木
関係にはそういうことは行われておらぬけれ
ども、建築
関係にそういう方針をとってきた。ところが、その建築
関係に、
国鉄の建築
関係を調べてみると、新築工事を行なって一年足らずで、すでに雨漏りがして再修練をしなければならぬという事例がたくさん出てきておる。私
ども建築
関係で現実にそういう事実を知っておる。そういう所が出てきたということは語るに落ちるで、いわゆる土木
関係にそういうことはやらなかったけれ
ども、建築
関係でそういうことをやった。そうなってくると、今日までの
国鉄の建築行政にいたしましても、長い間育て上げたりっぱな建築士に設計をさせ、仕事をやらせた、こういうところには無理がなかった。ところが、手を抜いてやるために一年足らずで雨漏りがして、再修繕で莫大な金を使っているという事例がある。そういう所がどこにあるかといえば、所から場所から何から何まで私
どもの所で全部貸料を持っておりますから
お話してもよろしいのですが、そういう事例がある。そういうことを予期して、しかも
国鉄五カ年
計画を、皆さんが念入りに五カ年
計画を立てたことは私
ども承知をしておる。ところが、仏作って魂入れずで、いわゆる五カ年
計画というりっぱなものはできたけれ
ども、これに対応するりっぱなものは備わっておらないということなんです。ところが、
運賃一割三分なり一割五分を上げるためには、この方向にばかり顔を向けて重大なことを忘れた。ところが、
国鉄従来の使命であるところの、
国鉄は何をやらなければならないかということを真剣にその道を考えてくれれば、それは当然専門家を養成しているのですから人を増すべきだ。これを使うべきだ。また足りないところはこれを補うべきです。この
要員事情も解決がつかないで
運賃値上げに目をとられ、五カ年
計画に理想をとられて議論しておったのでは、
国鉄は将来えらいことになってしまうと思う。それと最近の
国鉄は、とにかく新規採用をしませんから、何年かたつと優秀な技術者が全部いなくなってしまってほんとうに困る時期が来ると思う。
要員を
計画的にやっておりませんから、そういうことで将来
国鉄は、皆さんがいるうち、中年層がいるうちはいいが、あと十年して、この
人たちがいなくなったらどうなります。こういう問題も考えて、本年
あたりは十分一つ技術者の養成のために人を入れるべきだと思う。一例を申し上げますと、
昭和二十九年度に
国鉄は四十四万七千七百二十五人いた。ところが三十二年度の予算
単価を見ましても、四十四万七千七百八人、マイナス十七という
数字が出ておる。ところが皆さん、電電公社を見ますと、二十九年度は十六万六千二百三十四人、三十二年度はどうなっているかというと、十八万一千九百五十四人、どれだけふえておるか。一万五千七百三十人もふえておる。これはどういう事情でふえたかというと、電話局が開設されたというので
要員を採っておる。明らかに新設された電話局だから
要員が採れる。ところが
国鉄はどうか。とにかく
国鉄は戦後は三十何線か着工して十六線が完成しておる。ところが、これに対して一人でも
要員がふえておるかというとふえておらぬ。こういう事情では今日
国鉄労働者が過重労働にあえいでおるということが
数字の上で明らかに現われておる。しかもいわんや五カ年
計画も立て、予算ももらった。しかしその予算を遂行する上においてほんとうに大半な必要
人員が補充されない、こういうことであってはならない。そのときに
当局者がストライキをやるような決意をしなくては採れるものか。(笑声)それをやらなかったら、今の運輸省のような
状態では採れっこない。副
総裁はみずからの責任を十分果されて
——われわれはごりっぱな副
総裁であると認めておるのに、だからやめていきますなんていうようなことを新聞でいっているじゃないか、そんなことでどうして
国鉄が採れますか。もっとしかりした
要員対策を立てて、一千億円の工事を十分に国民に示してやるべき時期がきていると思う。
国鉄の威力を発揮する時期が到来していると思う。そういうときに皆さんがやらなければ、ますます
国鉄が国民の批判をこうむることになってしまうと思う。そういう意味において皆さん方がどうしても
要員事情が苦しくて困るというのであれば、
運輸委員会の皆さんは理解ある人ばかりですからさっそく決議して、
国鉄に
人員をふやすような決議もしようと思いますから、ここで十分披瀝してもらいたいと思う。特に施設
関係にはたくさん質問したいのですが、きょうは時間がないから、運輸
大臣が来ますれば質問をしたいのですが、副
総裁にお尋ねをしたい点があります。というのは、二十三日の事件なんです。二十三日といいますと、御承知の
通り業績手当が十五日の晩に
組合と運輸
当局の間に協定ができて、協定というものは国でいえば憲法のようなものですね。この憲法を二十三日の日に履行しないという形が出てきた。そこで
組合が、憲法を守らぬなら一つ何とかやろうじゃないかということになったところが、その際に
当局がいわれたことは、二十六日のストを回避をしてくれなければ支払いはしない。こういう
当局から
組合に通達があった。そこで私
どもは少くとも二十六日にかこつけて二十三日に支払いをしないというならばけしからぬじゃないか。二十六日はまだ二日間もあることで、これからいろいろ
組合にも考えてもらうし、われわれもまた二十六日というものが問題で、二十三日の約束を果すことにするなら、われわれは二十六日の問題に責任を持とうじゃないかということで、
当局にも話し、
政府にも話した。ところがなかなかどうも支払いしそうもない。そういう情勢の中で二十六日の問題にどうしてそんなにこだわっているかと思ったら、二十六日の問題じゃなかった。この問題が、これはまあ議事録に残ることは好ましくないから申し上げませんが、そのような事情にあるのに、二十三日に支払いをするという先に約束しておったこの約束をほごにするために勝手な理屈をつけたとしか私は考えられない。こう今私はとっているわけです。この問題は実際にどこに責任があるのか、運輸省にあるのか、
政府にあるのか、それとも
国鉄にあるのか、これを一そ副
総裁の口から明らかにしていただきたいと思う。そうでないならば二十三日の問題は、痛くも、労働
組合も国民から批判をかった。足を奪われましたから批判をかった。そうなってくると、ひとり
国鉄労働
組合だけがばかをみる形になるのですが、この憲法を守り得なかったという事情についての責任が、いわゆる
国鉄にあるか、運輸省にあるか、これを明らかに一つきょうのこの席上でお願いをいたしたいと思う。