○
井堀委員 職業教育の問題あるいは技能養成の問題について、新しい
計画をなぜ出さなかったかということを
お尋ねしておるのでありますが、あなたの抽象論は、私よくわかっております。
雇用問題はもっと具体的でなければいかぬのです。ですから
雇用の問題は、さっき言っていたように、
大蔵大臣は
産業規模を
拡大すると言う。要するに
経済の自然な経過の中で
雇用を
増大しようとおっしゃっておられる。しかしこれは、あなたがおっしゃられるように、
経済規模の
拡大という、そういう財政、
産業、
経済政策だけで
雇用が
増大していけるという
考え方は、これはものの一方だけしか見ていない。これは具体的に積み上げていかなければいかぬわけです。だから私は具体的に聞いておるわけです。抽象論はわかっております。だから
大蔵大臣、これはよほど教育しなければいけませんよ。問題はこういうことなのです。ここで今
雇用の
増大をはかり得る限界というものがあると思う。私
どもは何も立場を変えたり、あるいは
政策の基本的な相違の上から
お尋ねしておるのじゃない。あなた方の立場に立って、すなわち保守党の
政策の中でできることをなぜやらぬかということを聞いておる。それができぬというのは、なぜできぬかというと、
——現在の
状態で満足するということは、今の
統計も示すようにできないでしょう。新しい
雇用を
増大することもできぬし、それから
潜在失業を
完全雇用に吸収するということも、なかなか重大なことでできぬ。その深刻な姿を認められたら、それをできるだけすみやかに解決するような道が、具体的に立てられなければならない。そのことを聞いておるのであって、それじゃもっと具体的に
お尋ねしましょう。
労働時間をどうするかという問題もあると思う。ただどんどん商売を繁盛しさえすれば
雇用は
増大するというものじゃありません。
労働時間の
統計を見てみますと、この
数字も、時間がかかりますから割愛しておるのでありますが、ほんとうはそちらからわれわれに示して
予算の
内容を説明すべきなのです。分科会で一、二
お尋ねしてみたのでありますが、見れば見るほど、ボロが出る。それは
労働時間の点を見てみましても、あるものはむやみに
労働時間の延長をやっておる。基準法に違反しておる、深夜業を続けてやったりしておる。ある部分はまったく短時間。ここに驚くべき
数字が見えますが、
就業時間の点で見ていきますと、毎月
就業日が一定しているものと、一定していないものがある。この問題なのです。
労働時間が一定しないというようなものは
雇用じゃありますん。
雇用条件を備えていない。そういうものがかなりたくさんある。そこで
就業口が一定しているものの中から見ていきますと、季節
関係その他もいろいろありましょうけれ
ども、三百六十五日のうちで百日以下の者が九十一万人ほどいる。それから百日から二百日以下の者が三百三万。もったいない話じゃありませんか。三百六十五日を二百日しか働けない、あるいは百日しか働けない、そういう者が三百四十万。二百日以上の者が五百八十七万でありますが、しかし二百日でいいわけではありません。もっと高い率ほどいい。さらにこれを
労働時間で見ていきますと、一週十九時間以下の者が百二万人、一週二十時間から三十四時間の者が百八十二万人、三十五時間から四十八時間
——すなわち四十八時間というのは、今の基準法のいう一口八時間、週四十八時間制度であります。三十五時間から四十八時間以下の者が九百三万人もおるわけです。そうかと思うと、六十五時間以上も働いておる者が三百四十八万もおる。こういうように全く
労働時間、
就業日というものから見ていきますと、
日本の
雇用というものは乱脈です。安定した
雇用じゃありません。こういうものをほったらかしておいて、
経済規模を
拡大して商売が繁盛すればみな
就職できるだろう、そういうものはなくなるだろうという
考え方は、まことにこれはびっこな政治である。だからこういうものと見合った
予算というものが出てこなければ、
雇用問題などここにあげて
国民を喜ばしてはいけません、罪なことをしちゃいけませんよ。だから問題は、こういう問題を解決するためには今後の
予算案の中には最低限度のものとして、
労働時間を平均してみればわかるように、
日本の場合は一週四十八時間は長過ぎます。欧米では三十六時間をどんどん取り上げている。これを四十二時間くらいに縮めてやっていくような
労働政策と、それに見合うような
予算を組んできて、初めて新しい
雇用問題が解決されると思う。あるいは最近は生産性
向上の問題がいろいろ出てきておりますが、これなんかも何を見当づけているかわからない。
労働強化になったり、あるいは一九三〇年当時の
産業合理化や能率増進のような、資本家の搾取を援助するような生産性
向上連動のような
考え方、行き方をしておられる。非難があり、反対があるのは当然なのです。近代的な生産性
向上運動というのは、資本と
労働の
関係に対する
考え方が変っているのです。資本主義の国々においても、資本万能じゃないのです。資本が人間に優先するというのではなしに、人格がやはり資本の前に君臨していくという形に変ってきておる。ところがこの
予算の組み方や
政府の
考え方は、全く転倒しておられるじゃありませんか。こういう
統計から示されるように、
労働時間が不均衡だ。それを均衡化していくということがやれるのじゃないですか。またやらなければならぬ。そのためには幾分でも
予算をさくべきなのです。あるいは二部制、三部制の問題も出てくるわけであります。
日本は今資本の蓄積をやかましく言いますけれ
ども、
日本の場合見当通いをしておる。資本の蓄積をしようといっても、血の出るような
国民からの搾取をこれ以上やろうなんということは無理なのです。あるものをやはり有効に切りかえていくということが、最も必要なことじゃありませんか。今生産性の問題について、アメリカのように物の豊富な国でさえ、一台の機械を二交代、三交代にしてフルに使っておる。
日本ではオートメーションを入れて、それを昼間だけ使って夜は遊ばせておく。高級なオート・マシンなんか入っておりますけれ
ども、それが八時間
労働のときには八時間しか使わないで、あとの三分の二は遊ばしておる。ところが
日本よりもっと粗末な低級なマシン・ツールをアメリカでは使って、それを三交代で三倍に使っておる。こういうところにも問題があるのであって、そのためには結局具体的のものが必要になってくると思う。そこで
お尋ねしますが、それをやろうとすれば、
日本のようなところでは二部制、三部制は困難でしょう、通勤の事情が悪かったり、住宅が思うようでなかったりするでしょうから、そういうものを解決するために
予算を組んでくるべきじゃないですか。それがちっとも新しいものが出てこないじゃないか。通産大臣にちょっとお尋しますが、現在の設備をフルに便っていくような方針をお持ちじゃありませんか。またそういうことをやろうとすれば、
労働政策にも、あるいはそれを具体化するために
予算の上にも影響があると思う。こういう点に対して何かお
考えを持ったことがありますか。あなたのところは生産性
向上運動の指導機関にかなり力を入れておられるようですが、この点について
一つお尋ねいたします。