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1957-01-31 第26回国会 衆議院 本会議 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年一月三十一日(木曜日)     ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第二号  昭和三十二年一月三十一日   午後一時開議 第一 議員請暇の件 第二 常任委員長辞任の件 第三 商工委員長選挙     ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件  日程第一 議員請暇の件  淡谷悠藏君の故議員小笠原八十美君に対する追  悼演説  松岡駒吉君の故議員重光葵君に対する追悼演説  内閣地方行政法務外務大蔵文教、社  会労働農林水産運輸逓信建設予算、  決算議院運営及び懲罰の各常任委員長辞任の  件内閣委員長外十四常任委員長及び商工委員長  の選挙  海外胞引揚及び遺家族援護に関する調査をな  すため委員二十五人よりなる特別委員会並びに  国土総合開発についての諸法律案審査及び  諸施策樹立のため委員二十五人よりなる国土  総合開発特別委員会を設置するの件(議長発議)  公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二  十五人よりなる特別委員会並び科学技術振興  の対策樹立するため委員二十五人よりなる特  別委員会を設置するの件(議長発議)   午後二時四十六分開議
  2. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これより会議を開きます。      ————◇—————  日程第一 議員請暇の件
  3. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 日程第一につきお諮りいたします。議員西村力弥君、同三鍋義三君から、フランスの教育状況視察のため、本日から二月二十日まで二十一日間、議員松村謙三君、同竹山祐太郎君から、東南アジア、中近東、豪州方面政治経済文化視察のため、本日から三月二十日まで四十九日間、右いずれも請暇申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。      ————◇—————
  5. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御報告いたすことがあります。議員小笠原八十美君は去る十二月二十七日逝去せられました。また、議員重光葵君は去る一月二十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜至りにたえません。両君に対する弔詞は、それぞれ議長においてすでに贈呈いたしました。  この際、弔意を表するため、淡谷悠藏君及び松岡駒吉君より、それぞれ発言を求められております。順次これを許します。淡谷悠藏君。   〔淡谷悠藏登壇
  6. 淡谷悠藏

    淡谷悠藏君 ただいま議長から御報告のありました通り、本院議員正四位勲二等小笠原八十美君は、旧臘二十七日、病のため逝去いたされました。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表して、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。  小笠原君は、明治二十一年六月、畜産業をもって有名な青森県十和田市に生まれました。君の生家も馬匹育成を営んでおられましたので、君は、幼少から畜産に関する貴重な体験を積まれ、家畜に対する深い愛情を抱かれたのであります。君の長い生涯を貫く畜産業振興発展への熱情は実に生まれながらに持っておられたと申すも過言でないのであります。  長ずるに及び、郷里にあって家業に従事し、馬匹育成改良に専念しておられたのでありまするが、大正十五年に、三本木馬畜産組合総代会議員となり、昭和七年には同組合長に就任し、続いて三本木家畜保険組合長青森県産馬畜産組合会長となり、昭和十五年には東日本馬会会長となられました。この間、青森県における産馬畜産業界指導者として大いに活躍、多大の寄与をいたされたのであります。  次いで、昭和十七年には、中央において日本馬事会評議員となり、同二十一年、社団法人中央馬事会理事、二十三年、同会副会長となって、広く畜産指導に当られました。また、昭和二十二年一には、社団法人日本家畜商協会を創立し、その会長となって、全国家畜商資質向上家畜取引公正化をはかられたのであります。その後、さらに、全国畜産販売農業協同組合補合会長馬事畜産会館理事長等の要職を歴任し、多大の功績を残されました。昭和三十年、社団法人中央畜産会が設立せられますや、君は推されてその初代の会長となり、業界第一人者として各方面の絶大な信望を一身に集めておられました。  君が地方政界第一歩を踏み出されましたのは大正十四年三本木会議員当選されたときでありますが、昭和二年には青森会議員当選し自来引き続き十年間県会在職せられ、地方自治発展に大いに貢献されたのであります。  昭和十一年の第十九回衆議院議員選挙には、君は、県民の輿望をになって出馬し、みごと本院に席を占められ、その後現在に至るまで当選八回、在職実に十八年九カ月の長きに及んでおられます。この間、君は、さきには軍馬資源保護法案委員酪農業調整法案委員等となって戦時下畜産資源保護育成の方途を講じ、戦後、第九十回議会には、旧地方競馬法案提案者となって、これが成立に努力し、当時各地において法規の根拠なしに行われていた競馬軌道に乗せ、その後も常に競馬法改正に尽力し、もって今日の中央競馬及び地方競馬基礎を築かれました。  また、昭和二十二年には、第一次吉田内閣厚生政務次官として、混乱期における厚生行政に参画し、昭和二十四年、第五回国会には、選ばれて本院農林委員長の重職に御就任になったのであります。そうして、第七回国会まで一年有余にわたって在職し、国民食糧確保農家経済の安定、その他終戦後の困難なる農業上の諸問題を解決するための案件審議に、委員長として全力を傾注して精励し、きわめて著しい成果をおさめられました。その後も引き続き農林委員として国政の審議に尽瘁し、あるいは畜産に関する小委員長となって飼料需給安定法案の立案に当り、または肥料対策小委員長となって肥料需給関係の改善に努力するなど、目ざましい活躍を示されたのであります。戦後のわが国農業発達の上に及ぼされた君の功績は、きわあて大なるものがあるのであります。  君は、生来、気宇剛毅にして潤達、はなはだ先見の明に富み、しかも信ずることかたく、断じて行わんとするところ、いかなる権勢の前にも屈せざる気魄をもって終始せられましたことは、かつて、青年時代国会を参観し、国会議員たることを男子一生の仕事と感じ、発奮して素志を貫徹、今日の地歩を築いたことに見ても明らかであります。君の生涯の専業たる畜産業振興も、単に一畜産業者の視野をもってせず、広く国民食糧資源増産確保という見地からこれを唱えられたものでありまして、乳、肉の増産はもとより、厩肥が米麦その他農産物増産基礎要件であることをあらゆる機会に強く主張するとともに、各種の施策にこれを織り込まれたのであります。戦後、酪農振興が叫ばれ、有畜農業の奨励が行われておりますが、これは君が三十年来一貫して説かれたところでございましてその数十年に及ぶ実践によって裏打ちされた雄大な構想と綿密な計画とは、聞く者をして賛嘆おくあたわざらしめたものであります。  また、君は、北の辺地山深く埋もれて長く世に知られなかった景勝十和田湖を天下に紹介してこれを国立公園とし、今日あらしめるために大なる努力を払うなど、常に郷土のため犠牲的献身を続け、厚き人情を尽して郷党知友をいつくしむの温情、義侠に富む行動は、数え尽せぬほどに多いのであります。君の豪毅不屈の態度は、ときに権力の弾圧を受け、あるいは誤解嫉視を受けて若干の敵は作りましたが、隠れたる君が善行、義侠は今日までその信望をゆるがさず、よくその地歩を築き来たったのであります。  近時、君はその人柄にますます円熟味を加え、また、平素至って御壮健で病気を知らず、昭和三十年二月の総選挙に際しましては、厳寒吹雪を冒し、まさに壮者をしのぐ意気をもって善戦を続け、七十才青年説を唱えて軒高たる意気を見せ、たとい政策政見は異にするとも、ともに誠をもって信じるところを貫かんと誓い合った風貌は、今もなお目の前にあります。  みごと当選以来、院内にあっては自由民主党の相談役として、院外にあっては業界長老として、相変らぬ活躍を続けられ、人々の深い尊敬を受けておられましたが、不幸、昨秋病急に発し、御家族の手厚い看護もむなしく、ついに不帰の客となられたのであります。まことに痛恨の至りにたえません。  戦後十年余を経てわが国食糧事情もようやく安定したとはいいながら、領土狭少、人口過剰のわが国にとって国民栄養資源確保と、その半ばを占める農民の生活向上とは、最も重要な政治上の課題であり、われわれ国会議員重大関心事であることは申すまでもないところであります。今、小笠原君の長逝にあい、この課題を解決し、国家百年の大計を確立するについて、その該博なる知識と貴重なる意見とをもはや承わることができなくなりましたことは、本院にとり、邦家にとり、最も大きな損失でありまして、哀惜の情いよいよ尽きぬものがあるのであります。  ここに、いささか、君の生前の功績を追慕し、その風格をしのび、御冥福を心からお祈りして、追悼言葉といたす次第であります。(拍手
  7. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 松岡駒吉君。   〔松岡駒吉登壇
  8. 松岡駒吉

    松岡駒吉君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員従二位勲一等重光葵君は去る二十六日早暁心臓障害のため急逝されまして、まことに驚愕悲痛至りにたえません。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表して、つつしんで哀悼言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)  重光君は、明治二十年七月大分県大野郡三重町に生まれ、長じて第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に学ばれました。明治四十四年七月卒業とともに外交官試験に合格、直ちに外務省に入り、外交官補としてドイツ在勤を命ぜられ、外交官生活第一歩を踏み出されたのであります。その後、ポートランド領事外務事務官パリ講和会議全権委員随員条約局第一課長、上海総領事中華民国創特命全権公使等を経て昭和八年外務次官となり、その後、昭和十一年より、特命全権大使として、ソビエト連邦、英国、中華民国等の各国に駐在し、昭和十八年四月には東条内閣外務大臣、翌十九年七月には引き続き小磯内閣外務大臣兼大東亜大臣に任ぜられました。戦後、東久邇内閣なるや、その外務大臣となり、わが国がかつて経験しなかった敗戦の現実に対処し、日本政府を代表してミズーリ号艦上においてあの悲痛な歴史的任務に当られたことは、国民のあまねく知るところであります。さらに、君は、終戦直後の重大危下にあって連合軍司令部との連絡に当り、マッカーサー総司令官ともしばしば会見し、多くの不幸なる混乱を未然に防止し、わが国再建に支障なからしめたことは、国民の深く君に感謝し、忘却し得ざるところであります。(拍手)  その後、君は戦犯として巣鴨に服役されましたが、釈放さるるや、直ちに政界に進出し、岸君、今はなき三好君等とともに日本再建連盟を結成し、次いで、昭和二十七年六月迎えられて改進党総裁となり、同年十月の第二十五回衆議院議員選挙には郷里大分県第二区より出馬し、みごと当選の栄を得られました。自後、当選三回、在職四年四ヵ月に及んでおられます。この間、君は引き続き改進党総裁としてわが国の政党の発達に多大の貢献をなし、また、昭和二十九年十一月日本民主党が結成せらるるや、虚心鳩山総裁のもとにその副総裁となり、同年十二月には第一次、次いで第二次、第三次鳩山内閣外務大臣として入閣し、副総理となられ、昨年十二月まで満二カ年の間にわたり、ひたすらわが国平和外交の推進に尽瘁せられたのであります。  君は、昨年七月、国民多年の宿願たる日ソ国交回復のために、首席全権として重大なる決意をもって、訪ソし、日夜寝食を忘れて交渉に当り、両国の国交正常化の基を築かれました。  また、十二月には、わが国国連加盟に際し、政府代表として国連総会に出席し、よくその重大使命を全うせられたのであります。私もまた政府代表顧問として列席したのでありまするが、その際、重光君は、加盟承認に対する謝意を表明し、国連憲章に掲げられた義務を遂行せんことを誓うとともに、わが国民の世界恒久の平和に対する念願と大量破壊兵器の禁止に対する要望とを述べ、国連指導のもと、軍縮の重大事業が成功して、人類が悲惨な運命からのがれることを願望すると力説し、次いで、わが国にとり貿易増進がいかに重要であるかを訴え、アジア地域の緊張を解決するには、思想問題を離れ、現実的に対処する必要があり、アジアアフリカ会議において採択された平和十原則は国連の精神に完全に一致することを説き、最後に、東西のかけ橋たり得る地位にある日本はその責任の重大であることを十分に自覚していると結び、わが国外交方針を堂々と中外に宣明せられたのであります。(拍手)  今にして思えば晴れの舞台における君の最後演説となりましたが、この演説が全世界に対しまことに深い感銘と大いなる反響を呼んだことは当然でありまして、数十年に及ぶ君の外交官生活最後のページを飾るに真にふさわしいものであったと言うことができようかと存じます。(拍手)  君は、ミズーリ艦上の調印より国際連合への加盟に至るまで、戦後十余年にわたる困難なる外交の衝に当り、常にその至誠と正義感をもってその任を遂行せられ、広く諸外国の信用を得てわが国国際的地位を高めましたことは、君の努力に負うところまことに甚大であると存じます。(拍手)  この意味において君の功績は、わが外交史上に不滅の光を放つものであります。(拍手)  重光君は、まことに堅忍重厚な性格でありまして事に臨んでは深謀熟慮し、その実行に当っては、不抜の信念をもって、その正と信ずる道を堂々と歩まれました。君は、はえ抜きの外交官として、わが国外交方針については確固たる識見を有し、戦時戦後を通じ、わが外交を正常の軌道に戻すべく渾身の努力を傾注し、着実にその成果をおさめられたのであります。  思うに、君の外交官生活は、一面順境にあったと申すべきでありますが、しばしば奇禍にあうという運命を持たれました。すなわち、昭和七年四月、上海において不慮の凶弾により瀕死の重傷を負い、ために隻脚を失い、あるいはミズーリ艦上に血涙の署名をなし、あるいは巣鴨に投ぜられて幽囚五年の長きにわたる等、真に波乱多き生涯で、常人をもってしてはとうてい耐えがたい試練でありまするが、君はよくこれらの精神的、肉体的苦痛を克服し、三十七年の長きにわたり、ほとんど休息するひまもなく、わが国外交の第一線に活躍を続け、日本外交史上に不滅の足跡を印されました。(拍手)  その気概の壮なる、まさに大丈夫の面影あり、実に現代外交界第一人者と言っても決して過言ではないのであります。(拍手)  君はまた文筆に長じ、「外交回想録」、「昭和の動乱」等の書物を著わされております。この中で、君は、外交上の秘話を語るとともに、政治外交に対する自己の信念を吐露されておるのでありまして、これらは、読みものとしてまた興味しんしんたるものがあるばかりでなく、国際政治史上貴重なる文献であり、また、躍如として人間重光葵君の面目を伝えておるのであります。  今や、全国民が多年念願してやまなかったわが国国連への加盟もなり、いよいよ列国に伍して世界平和の維持と人類福祉増進のために貢献し得べき道が開かれたのであります。しかるに、このために粉骨砕身、最大の努力を払われた君は、卒然として急逝いたされました。まことに痛恨きわまりない次第であります。  現下の国際情勢はまことに複雑をきわめており、この間に処して、わが国が、道義的、自主的平和外交を推進し、ますます友邦の信頼を高め、同時に、貿易、移民その他幾多の外交上の諸問題を解決し、国運の伸展をはかり、内に国民生活の安定を期することは、まことに容易ならざるものがあるのであります。これ、もとより、われわれ国会議員に課せられた重大なる責務であることは申すまでもないことでありまするが、君が今後もなお外交界長老として、国会議員の先頭に立って、この使命の達成に大いなる活躍を示されるものと期待をかけておりましたところ、その急逝を見るに至りましたことは、国家の将来のために哀惜の情ますます禁じ得ないものを覚えるのであります。(拍手)  ここに、いささか、君の生前の事績を回顧し、その功績をたたえ、その人となりをしのび、君の遺志を体して世界平和の確立に邁進すべきことを誓い、つつしんで追悼言葉といたす次第であります。(拍手)      ————◇—————
  9. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) この際暫時休憩いたします。    午後三時十六分休憩      ————◇—————    午後七時四十八分開議
  10. 益谷秀次

  11. 益谷秀次

  12. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって許可するに決しました。      ————◇—————  内閣委員長外十四常任委員長及び商工委員長選挙
  13. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) つきましては、これより右の各常任委員長選挙を行うのでありますが、商工委員長神田博君は去る十二月二十三日辞任いたされましたので、この際内閣委員長外十四委員長商工委員長選挙を行います。
  14. 荒舩清十郎

    荒舩清十郎君 常任委員長選挙は、その手続を省略して、議長において指名せられんことを望みます。
  15. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 荒船君の動議に御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  16. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は各常任委員長を指名いたします。            内閣委員長 相川勝六君   〔拍手〕           地方行政委員長 門司亮君   〔拍手〕           法務委員長 三田村武夫君   〔拍手〕            外務委員長 野田武夫君   〔拍手〕            大蔵委員長 山本幸一君   〔拍手〕            文教委員長 長谷川保君   〔拍手〕          社会労働委員長 藤本捨助君   〔拍手〕          農林水産委員長 小枝一雄君   〔拍手〕            商工委員長 福田篤泰君   〔拍手〕           運輸委員長 淵上房太郎君   〔拍手〕            逓信委員長 松井政吉君   〔拍手〕            建設委員長 薩摩雄次君   〔拍手〕             予算委員長 山崎厳君   〔拍手〕            決算委員長 青野武一君   〔拍手〕           議院運営委員長 保利茂君   〔拍手〕            懲罰委員長 大森玉木君   〔拍手〕      ————◇—————  海外胞引揚及び遺家族援護に関する調査をなすため委員二十五人よりなる特別委員会並び国土総合開発についての諸法律案審査及び諸施策樹立のため委員二十五人よりなる国土総合開発特別委員会を設置するの件(議長発議
  17. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 特別委員会の設置につきお諮りいたします。  海外同胞引き揚げ並びに遺家族援護に関する調査をなすため委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。また、国土総合開発についての諸法律案審査及び諸施策樹立のため委員二十五名よりなる国土総合開発特別委員会を設置いたしたいと思います。右の両特別委員会を設置するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  18. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。      ————◇—————  公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五人よりなる特別委員会並び科学技術振興対策樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会を設置するの件(議長発議
  19. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 次に、公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。また、科学技術振興対策樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。右の両特別委員会を設置するに賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  20. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 起立多数。よって、その通り決しました。      ————◇—————
  21. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) ただいま議決せられました四特別委員会委員は追って指名いたします。      ————◇—————
  22. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 本日はこれにて散会いたします。    午後七時五十三分散会      ————◇—————