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1957-07-03 第26回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年七月三日(水曜日)     午前十一時九分開議  出席小委員    小委員長 三田村武夫君       犬養  建君    小島 徹三君       小林かなえ君    椎名  隆君       長井  源君    福井 盛太君       松永  東君    山口 好一君       横川 重次君    神近 市子君       坂本 泰良君    吉田 賢一君  出席国務大臣         法 務 大 臣 中村 梅吉君  小委員外出席者         議     員 安藤  覺君         議     員 上林山榮吉君         議     員 田中 彰治君         議     員 高橋 禎一君         議     員 花村 四郎君         議     員 松岡 松平君         議     員 山村新治郎君         議     員 横井 太郎君         議     員 田中幾三郎君         警察庁長官   石井 榮三君         検     事         (刑事局長)  井本 臺吉君         専  門  員 小木 貞一君     ――――――――――――― 七月三百  小委員林博君及び佐竹晴記君同日辞任につき、  その補欠として犬養健君及び吉田賢一君が委員  長の指名で小委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  法務行政に関する件     ―――――――――――――
  2. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 これより法務委員会閉会審査小委員会を開会いたします。  この際お諮りいたします。本日は、最高裁判所機構改革問題、暴力問題及び売春防止法の施行に関する調査等につきまして先般委員派遣行い調査を行なって参ったので、その結果に基いて以上の諸問題を検討することになっておりますが、議員田中彰治君、松岡松平君より法務行政に関し一身上の問題について委員外発言の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。  それでは、まず田中彰治君より発言を許します。
  4. 田中彰治

    田中彰治君 本日私がこの委員会において一身上の件について発言を許可されたことを心から感謝いたします。私たちは、国会議員として、社会の人気、信用によって自分政治生命を保っておる者でございます。その者がでたらめなでっち上げ記事によって新聞に報道され、あるいは名誉を傷つけられたのでは、国会議員として一夜でも安心して眠ることができないような状態でございます。同時に、国会議員として日本の政治を預かっておる者でございますから、われわれに対して少しの疑惑でも、あるいはまた法を犯すようなことがあるならば、徹底的にこれを処断していただくことに私は心から賛成しておる者でございます。本日も、事件の概略を申し上げますから、たくさんの委員諸君から質疑下さいまして、この田中彰治にこの事件に対してたとい少しでも疑惑があったり法を犯しているようなことがありますならば、私はこの委員会において代議士を辞職いたしまして天下、国家に謝すという決意を持って私は発言したいと思います。  昨年の七、八月ごろと思います。しばらくの間糖尿病で休んでおりましたので、決算委員会を欠席しておりました。からだもなおりましたので出て参りますと、通産省その他政府の方々とわが党の委員の間に質疑応答が行われておりました。ちょっと聞いてみますと、断層とか地質の件とか、あるいはダムの護山の崩壊、こういうような問題でありまして、わが党の委員も、そういうことに深い経験がないためか、非常に政府人たちからやり込められる、とまではいきませんが、ちょっと逆らわれておるような感じがいたしましたから、私は、当時の決算委員長上林さんに、この事件は一体何の事件かと聞きますと、上林さんは、これは神通川のダム護岸がくずれた問題だ、北陸電力片掛部落との争いである、北陸電力が金力と権力によって農民から田畑をたくさん長い年間で安い値段で借り入れて、そしてそれをダムにつぶしてしまった、それだけならよいが、護岸工事を十分にしておかないから、たくさん土地を取られて少い土地で苦しんでいる農民がどんどん田畑が崩壊して非常に因っているというのでこの委員会に持ってきたのだ。そこで、私は、決算委員長を長らくさしていただきました体験上、それだけでこの事件を調べるのはちょっとおかしくないかという話をしますと、委員長から、そうではないのだ、この護岸工事をするには日本開発銀行から相当な金を借りておる、金を借りるには設計あるいはその他の計画書が出ておる、その計画書通りにやるならばこういうことは起らないはずだ、いま一つダムを許可するには通産省も許可しておる、それだから、農民が迷惑するようなこういう粗雑な工事なら許可しないはずなんだから、そういう点を実は調べておるのだということであります。それならば決算委員会の調べる権限にあることだからというので、私も賛成いたしました。そして陳情書その他の書類、また口頭で簡単な説明を聞いて、私もその後二、三回これに協力して質疑を行なったのであります。それからしばらくすると、現地調査ということになりました。私も現地調査に行くことにはなっておりましたが、その現地調査はやめた。やめた原因は、現地調査などに参りますと、こういうような依頼事件というものは非常に依頼された方と依頼されないでけんかしている方とのいろいろな感情がございますから誤解を招きやすい、また、現地調査などに行きますと、やはり食事とか――いかに正しい決算委員であっても、そこへ行って自炊するわけにいかないから、食事などをごちそうになる、そこで、これは地元三鍋君あるいはわが党の松岡さんたちが選挙区を代表してこれを依頼した事件だから、そういう調査が終えると、やはり食事一つもしないかということになるから、同僚同士だから遠慮なく食事なんかごちそうになる、そういうような場合は、第三者から見て、代議士同士食事だから多少普通よりは大げさになるのではないか、そういう点で誤解を招いてはいけないというので私は断わった。それじゃお前の決算委員長をした時分に実地調査を一体したのかしないのか。たくさんいたしました。――ここにもたくさん当時の決算委員会理事の方もおいでになりますか、私は、決算委員長時代に、そういう現地調査をした場合、宿泊料あるいは食事などは持っていくとか、あるいは自分の私費で立てかえるとかしてやってきたのであります。そういうような関係上、私は実地調査に行かなかった。しかし、実地調査をしてこられた人たち意見を聞いてみると、この片掛部落の人がかわいそうである。そこで私たちもこれに対して全面的に協力したのでございます。すると、通産省あるいはこれを許可したいろいろな関係官庁人たちと話し合いしたのかどうしたのか知りませんが、一応北陸電力片掛部落との間に示談の交渉が成り立つようだ、君どう思うかと言って、当時の上林委員長から聞かれましたから、示談はけっこうなことだというので賛成しておいたのであります。しばらくしてまた委員長から、話がとんとん拍子に進んで、双方示談が成り立つそうだから、決算委員会に中に入ってくれ、こういう話があるが、君どう思うと意見を聞かれましたから、決算委員会はそういう中に入るべきものじゃない、それはやはり会社部落とやらした方がいい、どうしても入ってくれというならば、それは社会党三鍋さん、松岡さんなどは地元代議士であるんだから、その人たちが中へ個人的に入られて話をするのはいいが、委員会がこれに関与してはならぬということを言ったところが、委員長も、私もそれに賛成だというので、われわれ決算委員会はその示談に入らぬことにして、上林委員長から会社の方に、一応決算委員会にかかったことだから、あなた方が示談されたならば、会社及び片掛部落の連名で、示談が成りましたからという、決算委員会報告をしてくれろ、それからまた、金銭などの取引についても、一応その事情をありのまま知らしてくれないかということになって、そういうことを委員長から向うへ申し込んだところが、北陸山田社長及び山本社長委員長に言われたそうでありますが、実はありのまま報告いたしますが、この闘争資金あるいは村の産業資金をそのまま世間に発表されてしまうと、今後ダムを作るのに会社としては非常に不利だから、これを言わないように秘密を守ってもらいたいという申し込みがあったそうであります。そこで委員長はそれを了承されたのでしょう、一応理事会に諮って、それは言わないことにして、決算委員会では、双方の長らく決算委員会に御迷惑をかけたこの事件円満裏に解決いたしましたという感謝状にひとしいような報告書をお読み上げになった。これで決算委員会が一応終了したのが事実でございます。その後、聞くところによりますと、会社部落民との契約書類が作られたそうであります。その作られた書類内容というものは、なかなかむずかしい法律的なものであって、部落人たちが困って、これは弁護士に見てもらうというので、弁護士か何かに相談されたら、五分とか何分の、約百万ぐらいの手数料をとられる、それじゃ困るというので、地元選出代議士松岡さんが弁護士だから、松岡さんのところに泣きついていったら、松岡さんは、僕のうち弁護士がおるから、その弁護士と相談して内容を見てやろうというので、内容をごらんになったのかどうか知りませんが、一応ここで契約ができた。契約ができるときに、きょう契約ができますから、あんたと委員長に来ていただきたいという電話松岡さんからありましたから、委員長電話をかけたのですが、委員長連絡がとれなかった。そこで私が松岡さんの事務所に行きますと、山田社長とかそういう人が来ておりまして、おかげさんで契約ができましたからといってもう契約ができておりました。そこで、松岡さんが、この金については、山田さん、あんたが預かって管理しないと、部落に持って帰ってめちゃめちゃにしちゃうと、せっかくわれわれが骨を折ったことが何もならないから、あんた管理してやって下さいということを申し込んでおられました。山田さんはそれを拒否した。そこで、私は、それはあんたが管理した方が一番いいんだと言いましたが、山田さんはそういうことはいやだということで拒否された。その後どうなったか、私は関知しておりません。  それから二、三時間後かあくる日か、ちょっとそれは記憶にないのですが、私のところに松岡さんから電話がかかってきて、闘争資金の五百万は村に持って帰る、産業資金の千五百万を定期預金して、自分事務所に何とかという弁護士がおるから、その人が通帳とか判を預かる、向うに何か一つやる、どっちかが通帳と判を預かって保管するようにしたい、ついては君いい銀行を知っておらぬかという話がありました。私はその当時住友銀行成城支店長と懇意で、先生顔が広いからいい預金一つ世話して下さいと頼まれておったから、住友成城支店はどうだと言ったら、ずいぶん不便なところだなという話だ。相互銀行なら知っていると言ったら、相互銀行はいやだ、そうかというので、電話がそこで一時切れました。その後一時間ぐらいたって、住友成城でもいいから二つ君紹介してくれ、それじゃ紹介しようというので、私が電話で紹介してあげたのか、一緒に行ったのか、その点がはっきりしておりません。どういうところがはっきりしておらぬかといいますと、住友に行ってから向うから電話がかかって私が行ったのか、あるいは一緒に行ったのかということが、住友に行ったことは事実ですが、ちょっと記憶にないのですが、とにかく住友で一千五百万円の定期預金をした。そこで、一千五百万円の定期預金をしてから、部落人たち銀行に対して、一千五百万円の定期預金担保にして五百万貸してくれと頼んだ。支店長がそれを拒んだらしい。そこで、私に電話がかかって行ったのか、行っておった私が口をきいたのか忘れましたが、千五百万円の定期預金担保にすれば五百万円貸してやったらいいじゃないかというと、支店長が、これは北陸電力横線小切手、つまり銀行渡り小切手ですから、交換所に回して現金化されて私の銀行に来るまでに二日ぐらいかかる、小切手北陸小切手だから間違いないと思いますが、こういうような問題を解決した小切手だから、あと書類が足りないとか契約内容が不備だとかいうと、間違いのない小切手が三日も四日も延びることがある、そこで私が先に五百万円出してしまっては私の責任上困るから二、三日待ってくれぬかという話がありましたから、私はその通り部落の人に言った。ところが、そのうちの五百万ぐらいで株券を買って、それでもって利殖をして、自分たち駅設置の問題で上京する際の旅費や何かにしたいんだ、こういう話があった。それでも君小切手でもいいじゃないかと言ったら、いや長い闘争で上京してきまりがついたから早く帰りたい、五百万円の闘争資金自分の国元に送ったから、何とかしてもらいたいということだった。そこで、銀行支店長に、私が保証するからと言ったら、それじゃ百万だけ現金で四百万は住友銀行小切手を出しましょうという話です。それからその話をしたら、それでいいということになって、一応住友銀行はきまった。そのとき部落の人から松岡君に、まことに済みませんが、先生これを一つ現金化してもらえぬでしょうかということを頼んできました。松岡さんのいわく、僕のうちの金はみな家内が持っておるので、家内に聞いてみなければわからぬが、女のことだからどう言うかわかぬ、君、実業家だし、少しは金があるんだから立てかえてくれという話だった。私もうち金庫状態をよく知りませんので、うちへ帰ってみてあったら立てかえてやるということで別れて帰りました。そこで、私は福岡県の田川郡採銅所村に石灰石の山を持っておりましたが、その一鉱区を、九州で炭鉱を経営しておられる上田清次郎さんに、一千五百万円と五百万円がまじってますが、とにかく六千万円で月賦で売った。その金がちょうど一千万入っておりました。それからいま一つほかから取引の金が少し入っておった。千二、三百万あったと思います。それじゃ立てかえてやろう、待っているから来いと言ったが、しばらくたっても来ない。そのうちに、山本猛夫君でしたか、生田君か關谷君か知りませんが、ちょっと僕に会いたいから国会に来ないかというので、私は国会に行ったのか議員会館に行ったのか忘れましたが、出ていった。出ていくときに、家内が会計をしておるものですから、こういう小切手を持ってきたら四百万円立てかえてやりなさいと言って私は出ていった。それからしばらくして、あとで開いたんですが、林さんだそうですが、部落の人が四百万の小切手を持ってきて現金をもらっていった。家内は何で包んでやったか記憶がないと言ってますが、とにかくやったことは間違いない。あくる日その小切手を見せろと言って見たら住友銀行成城支店振出しの小切手でありましたから、私の名前を書いて、九段の住友銀行から取り立てをしなさいと言って、銀行交換所に回して取り立てをした。これが私の一番事件関係した点でございます。  そこで、その晩松岡氏から、いろいろお世話になったし、委員長とも君とも決算委員会のことであんまりあれしたことがないから、關谷さんあるいは山本君、また社会党理事の方、その人たちに一献差し上げたいから、一つ連絡してくれないかというので、山本君に連絡したが連絡がとれない。關谷君は都合が悪い。私も都合が悪いから断わった。しばらくすると上林委員長から電話がかかってきて、今僕は松岡氏と会食しているんだ、君来ないか、いやおれは都合が悪いからだめだ、そんなこと言うな、せっかく松岡自分の経費でわれわれに一ぱい差し上げるというんだ、君それはちょっとがんこ過ぎると、言うから、それじゃ行こうかなというので行った。それが名前は忘れましたが赤坂のちょっとした小ぎれいな料理屋だった。その部屋に行きますと、芸者が、五、六人と、上林委員長松岡君と、部落の人もおった。そこで私は開き直った。君たちわれわれだけで一ぱい飲むというのに、部落の人がおるのはおかしいじゃないか、僕は部落民と酒を飲まない、食事をしない、先生一回食事を差し上げたいと言うが、今日まで一回も食事したことはない、会社の重役や社長からも先生一回くらい食事して話をしましょうと言うのに話したことがない、おかしいじゃないか、ペテンにかけたのかと言ったら、いやそうじゃない、実は松岡君の話では、僕もこの部落民一緒食事をしたくなかったけれども、上林委員長電話をかけたら、せっかく骨を折っていただいたんだから私らも一つ席にはべらして下さいと部落の人が言っているのだからいいじゃないかと上林委員貝長が言うから実は呼んだんだ。そこで気を取り直して一ぱい飲んで、十分か二十分いて帰った。事件はこれだけだ。  ところが、その後五百万の金が松岡さんのところでいろいろ株にかえられたとか何とかいう問題が起きたりして、われわれ決算委員会松岡さんを呼んで、あなたがそんな株とか何とかよけいなことをするからこういう結果になるんだと言って責めて、松岡さんの言いわけを聞いてそのままにしておいた。そうすると今度は株の方ではなくて闘争資金の五百万が横領事件になった。そんなものこっちに関係ないじゃないかということになっておったんですが、百二十万か百三十万横領した、彼らが領収証が証明できないから供託した、それを引っぱった。そこで、引っぱって、その人たち横領のことを聞くのじゃないんだ。松岡さんに幾ら礼をした、いや礼を出しませんということでがんばっておったが、そのうち警察の署長がその林唯義なる者を連れ出して、お前は松岡先生に対して恩をあだで返すのか。どうしてですか。お前はそんな村の金で松岡さんに頼んで株を買ってもらったとか何とか言えば、松岡さんが罪になる、村の金じゃないか。いや罪にならぬと言いました、松岡先生じゃない、松岡先生うちの何とかいう人だ。それでもいけない。どうしたらいいでしょう。弁護士ということを知っているか。知っています。弁護士だから礼をしたと言ったらいいじゃないか。それはけっこうでございますというので、礼をしたということに調書ができた。その後いろいろ出題がございますので、松岡さんあなた少ししっかりしてそれを早く解決つけた方がいいぞと言って、無関心でおった。  ところが先月の二十三日に私のうち政治事務所家宅捜索を受けた。しかも田中彰治汚職疑い家宅捜索令状だ。この家宅捜索令状は、毎日新聞を名誉棄損で告訴していますから、それにつけて検事総長に出ています。林唯義の贈賄の容疑について田中彰治政治事務所を捜索する、しかし現金はつけて持ってきてはいかぬぞ。ほんとは今の林唯義の四百万円の小切手に関して私の政治事務所家宅捜索したのだという報道ならいいのだが、私があたかも汚職松岡さんから金をもらったというようなことを言っておる。私は判事に、軽々にそういう令状を出すな。ついて来たところの県の警察の者が、田中先生、あなた何と言われたってだめです、あなたの疑いは解けません。どうして解けないのだ、おれに何の疑いがあるのだ。あなた住友銀行小切手をお割りになったでしょう、住友銀行小切手はあなたから現金化してもらわなくても、住友銀行支店は東京中にたくさんあるから、そこで現金化したらいいじゃないですか。ばかなことを言うな、横線小切手となって現金となるには二日間ばかりかかるのだ、銀行取引のない者は一時それを預金するか自分銀行に振り込まなければとれないのだ。そんな不便な小切手がこの世の中にございますか。何が不便だ、落したとかとられたというときにそれだけの時間があるから手配ができる、またどこからだれに金が渡ったということがわかる。不思議な小切手世の中にあるものですねと言っている。そんな無知な警察官が私のうち家宅捜索したのですから、実にその家宅捜索のやり方なんというものはひどい。そのときもちょうど金庫をあけたときに約三百万くらい金がありました。そんなに金があるのはおかしいじゃないか。君は金がないからそう思うが、われわれのところに三百万、五百万あったって何がおかしいか、失敬なことを言うな。ところが家宅捜索令状現金ということは書いてない。それを三百万のやつを一々勘定して、そして家賃のあがったのがあるが、それもみんな勘定して、そして何を持っていくかと思いましたら、秘書クリーニング代の二百四十円という受け取り、秘書が家具を月賦で買っている、それをとった。それは秘書のものだ、名前を見ろと言ったら、そうですかとそれを置いて、林唯義から明けましておめでとうございますと来ておるそれに応答電報を打ったその電報のあれと、それから私が住友銀行取引している普通当座通帳と、何かそのほかにも持っていったらしいのですが、ほとんど何もない。それで今度はどうしてそういう疑いで私のうちをやるのか聞くと、実は赤坂の料亭に行ったときに新聞紙包み三つ松岡さんが上座にすわっていてあった、それが金だと思う、それがいつの間にかなくなったから、松岡先生が一番よけいとって、その余りを私と上林さんに分けてやった、こういうことを言い出した。  そこで、その料理屋状態でございますが、松岡さんがどんなに、えらいか知らないが、われわれを呼んで彼が上座にすわりっこない。私が行ったときに上林さんが床の間の方におった。私が行ったら、まあまあと言って、二人が上座にすわった。松岡さんはお客を招待しているので入口の方におって、横の方には部落の者と芸者がおった。私は十分か十五分で帰った。それが金をもらったということになっておる。その新聞紙包みは金なのかといって聞いたら、それに対して、金だと思いますと言っておる。千円札であるのか百円札であるのか一円札かわからない、包んであった三つは金だと思います。――金だとは言っていない。分けたのを見たのか。いや分けたのは見ませんが、なくなったから三人で分けたのだろう。どういう分配をしたのだろう。松岡先生弁護士だから、一番骨を折ったから一番よけいとった。幾らくらい。三百万か二百万くらいでしょう、それからあとの残りを二人がもらっておる……。私は委員の皆さんの前で申し上げたい。田中彰治が三百万とって、上林さんと松岡さんに百万ずつやったのならともかく、松岡君が先にとって、その余りをもらってくるなんてけちな考えは私は持っておらぬ。しかも私は帰ってきた。それから村の者と上林さんと松岡さんが、上林君が君おごってやろうというので、社会党上林君のことだから、おでん屋に連れていったらしい。おでん屋小原節かなんかやって別れたということだが、もしこんな大きな包みがあるとするならば、彼らがおでん屋に行くときには、とってきて、あと二つ持ってくればいいはずなんだ。何も三つ持ってきて山分けするような性質の金でもない。こういうことの疑惑のために、必ず田中上林松岡を引っかけて見せる、見ておれ、だめだったらわれわれは転任すればいいだけだ、首にまでしっこないのだから心配しない、というような豪語をしておる。  もう一つ私はここで聞き捨てにならぬのは、横領事件林唯義を引っぱっておいて、しかも第一回の公判が開かれた。それでも保釈を許さない。どうして保釈を許さないかというと、今代議士汚職をでっち上げるから、それまで出してもらっては困る……。どんな人権じゅうりんをする裁判所といえども、検事局といえども、横領で引っぱっておいて、しかも横領した金は積んである、横領したことを自白しておる、それを今度は汚職事件をでっち上げるからといって、その事件勾留状でいまだに保釈を許さないなんということは、これは人権じゅうりんもはなはだしい。いま一つ、林の細君を夜夜中に取り調べて、きさまのおやじはもう一生帰れぬ、きさま村におれるか、もう帰さない。相当乱暴に調べて気違いにしてしまった。きょう入院するそうです。それが、林家、何々家というようなものを新聞に書いて、それを三つも四つも底の間に並べて、横になって、そこでもって拝んでおる。夜中になると飛び出して、とうとうこれはいけないから病院に入れちまうというような状態です。  その他、あと村の者が全部過酷な取調べを受けたのみでなく、その電話局に刑事の友達がおる。それがために電話を全部とって、お前はきょうこういうことを取り調べられたろう、呼び出してあるぞ、お前は東京にこういう電話をかけたろう、お前は何しておる、だからあした行くそうじゃないか、全部がその電話によってとられた。電話が他人に漏れるようなそういう行為をすれば、これは法律違反であることは明瞭なんです。そういうことも何ら取り調べない。それのみではありません。今度は、松岡田中では、あれはひっかからないかもしれぬ、上林が一番のろいから、あれがいいだろうというので、わが党の山本猛夫君のところに、もとの法務省の政務次官をした――これは同志だから私名前は言いません。それを警察が頼みに行って――去年、決算委員会山本君が営林署の杉の木か何かの払い下げの問題で上林君をいじめたことがある。あの問題はどうか、何とか事件にならぬか、いや上林をどうしてもやらなければならぬ、何か一つひっかけなければならぬ、自民党なら言えないけれども、上林とけんかというのならいいじゃないか、言ってくれ、そこで田中君や松岡君の事件は終える、上林がひっかかれば、顔さえ立てばいいのだから。だめだ、あれは調べたら正しくなっちゃって、こっちがあやまったくらいだから、だめだ。何かないか、何か出してくれよ、こういうことを山本君の自宅に二回も言ってきておるということだ。  こういうことは一体許されることか許されないことか。しかもわれわれがこういう工合にして汚職だというようなことを報道されて、いかに名誉棄損で告発したところで、入るのは社会部長か編集局長である。われわれの名誉はどうしてくれるのか。ここに法務大臣もおられるし、刑事局長もおられるが、われわれに事件があったら、われわれを調べたらいいじゃないか。またわれわれが法を犯しておるのなら、検挙したらいいじゃないか。人の家を家宅捜索して、今日まで一回の取調べもない。一回の呼び出しもない。上申書を出したのは、私は名誉棄損で告訴するには事件内容を明らかにしなくちゃならぬ、私の書いたのではいけないから、上申書ならいい、上申書を書いてやる、そうしますかねというから、私は上申書を書いてやった。私から申し出て書いた上申書だ。だからもっと頭をよくしろというような大分侮辱したようなことが書いてある。これがこの事件の真相なんです。  こういうようなことで、これは代議士が傷つけられることになれば、今は田中彰治上林君、松岡君で済みますが、ここにおられる委員の方でもやはりりっぱな社会の信用を得ておられる国会の議員である。それがどぶろくのやみ屋をやってそれが検挙されたら、いやこのどぶろくはあの先生が作っていいと言ったから作りましたと言ったら、そこですぐ家宅捜索を受けて、それがすぐ新聞に報道される。そうして代議士というものはだめになってしまう。これは法務大臣にも刑事局長にも申し上げておきますが、田中彰治が悪いことがあったら引っぱってもらいたい。私はその罪を負って、私はそんな人のように自分が暗いところがあって法に引っかかるなら裁判なんかしない。代議士をやめて刑務所に行く。しかし、ないとすれば、警察の署長を転勤さしたり検事正の左遷をしたでは済みません。そんなことで私は済ませません。私は少くとも八万票という三回の選挙に当って選挙区の国民から支持されておる男なんです。その男が謀略によって、内藤隆君か衆議院議長か知らぬが、そういう者の謀略によって、われわれが正しい金を立てかえてやったものが、ああいうことを宣伝されては困る。第一、日本が始まって以来、開闢以来、あるいはこれは近ごろのはやり言葉で神武天皇以来、――金を借りたとか金を預かったとか金をもらったというようなことに対して多少の疑惑があったということは、これは往々あることだ。金を立てかえてやって、無理して立てかえてやって汚職だなんて言われたのは田中彰治初めてだ。これをあなた方がそのままでお済ましになるということなら、私は重大な問題だと思う。しかも利息も取っておらない。それも松岡君の小切手を割ったとかあるいは部落民小切手を割ったのじゃない。住友銀行成城支店小切手を割ったのです。だから、二日くらいだから何もこれを割るのは不思議ではない。こういうことについて私は委員諸君からもしわれわれのやったことに対して何かあるなら徹底的にきょうは質問していただきたい。そうしてこの事件を明快にしていただかなければ、私は検事正を左遷したくらいでは済まされない。次席検事がだいぶひどいことを言っている。調書を直してくれと言ったら、調書なんか直せない。きさまの調書によって国会議員疑惑をかけて、この調書を直して彼らを検挙することができなかったらわれわれは一体どうするか、断じていけないと言ってがんばっておる。今聞くところによると、調書も直さなければいかぬだろうというようなことを言っている。私たちは決して法務委員会のお力をかりて自分の黒いのを白にするとか、自分が有利になろうとは考えておりません。ここでもって皆さんから質疑を受けて、何か政治家としてお前のこの点が悪いということなら、法にかからぬでも私はやめる。しかし、代議士として、同志から誘われても断わり、そうしてそこへ行ってそういう人がおったときにそこで開き直っている。そこで、私は自腹で皆さんを招待するのだというなら、そこで酒の一ぱいくらい飲むことは人間政治家としてこれ以上の警戒はできないはずです。この点について、私は一つ委員長もおられるし、同僚の国会議員の方もおられるし、しかも私は決算委員会理事なんです。この点については一つ私は明らかにしていただきたいと思う。ありがとうごさいました。
  5. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 次に松岡松平君の発言を許します。
  6. 松岡松平

    松岡松平君 本日この委員会で私に発言をお許し願ったことを深く感謝いたします。すでにお手元に「神通川ダムに関連する片掛部落紛争の真相」という一文を差し上げてございますので、その内容はこれをお読みいただけばおわかりになると思いまするが、一通り私からいきさつについてお話を申し上げてみたいと思います。  片掛部落というのは富山県の岐阜県寄りの山間の一小部落であります。鉄道線から申しますると、高山線の猪谷駅と楡原駅の中間にありますので、家数が約五十五、六軒でございます。昔は平家の落ち武者が住みついたと、われる部落でありまして、まことに原始的な場所であります。猪谷駅に約一里、楡原駅に約一里半、それを徒歩で行かなければ外部との連絡がつかないところであります。この部落に、神通川のダムといいまして、北陸電力が神通川にダムを四カ所こしらえてございますが、その第一ダムの沿岸に起った問題でございます。ちょうど昭和三十年の五月、地方選挙の終りましたときに、私ども自分の派の県会議員ではございません佐伯君の派の県会議員の大場という者が病院から私に電話をかけて参りまして、ぜひお目にかかって申し上げたい件があるから来てくれというので、私、自分の派の県会議員でもございませんので、行くべき筋合いはないのですが、病中電話をかけて参りましたので、一応行ってやるのが礼儀かと心得て、嵐山の不二越病院を尋ねました。ところが、その際に参りました片掛部落の代表である林唯義、佐藤、その他二、三の者がおりまして、実はダムが湛水いたしましてから、がけくずれが起り、陥没が起って参りまして、部落の者がその日その日不安に襲われておる状態でございますので、どうか護岸をしてくれるように北電に交渉してもらいたい、こういう話でありました。今までだれが交渉したのかと聞きましたら、県会議員その他にお願いしたけれども、てんで北陸電力会社は相手にしてくれない、どうかあなたは弁護士でもありかつ地元の有力な代議士でもあられるのだから、これを一つ談判してもらって救ってもらいたいという懇願でありました。私は、それから北電側にも当ってみ、かつ現場にもおもむいて、しさいに調査した上で自分の考えをまとめてみよう、こう話しまして別れました。それから私、会社にも行き、さらに、六月の末であったか七月の上旬であったか、今はっきりいたしませんが、現地に参りまして、親しくがけくずれ、陥没の場所を調べてみました。ところが、なるほど二丈からにわたるがけでありまして、六カ所にわたって大きながけくずれができておる。それから、陥没地点というのは低地でありまして、低地で広範に陥没が起っております。これでは、このままほうっておいたならば、――その地質は大体岩盤が非常にもろうございます。その上に全部砂礫層でありまして、砂と砂利で二丈から盛り上った地層であります。でありまするから、一たん水はけが悪くなりますると、これが崩壊する危険もあります。また陥没が崩壊を誘引する場合もあるということを私は自分の常識で判断するのみならず、地質学者斎藤某の意見も徴しますると、やがてはこれは崩壊を生じてこの地域は消えてなくなる時代が来るかもしれない、それが十年後に来るか二十年後に来るかということは自分では判定できないが、今にして完全なる護岸を施しておかなければ危険だという意見でございました。この人は地質学者として京都大学の学歴も有し、すでに役人もいたした人でございまして、権威のある人と私考えております。私から会社に向って、社長、副社長、建設部長あるいは建設の次長等々に十数回会いまして、護岸に対する会社側の意向をただしましたところが、会社では、護岸しないとは言わない、護岸をするには一億数千万の費用を要するのみならず、その間湛水を放流してしまわなければならぬ、そのために発電を中止しなければならぬ、その損害は実に莫大だということを申しておるだけで、一向に話は進展をいたしません。そこで私は、部落の代表に申したのは、この上は民事の起訴を起して争ったらどうか、必ずこれは勝てる問題であると私は思うが、もし訴訟を起すなら私は非常に多忙であるが、せっかく頼まれたことだから自分が訴訟代理人になって争ってもいい、こう言っておりました。それはちょうど三十年十月ごろの状態であったと思います。  ところが、十一月過ぎごろになりまして、村の者が決算委員会にこの事情を陳情したいというようなことを言って参りましたから、それでは陳情してみたらいいだろう、果して取り上げられるかどうか、それは自分にはわからない。ところが、十二月の上旬になりまして――この問題を各委員にお話ししておきましたところが、それじゃ一つ一応質問してみろというので、私は第一回は十二月九日の委員会で質問したと思います。それが事の始まりになりまして、理事会で取り上げられて、本件は大体四回くらい委員会調査されております。現地に派遣いたしましたのが、私と三鍋議員と臼井議員と、それから委員長が現場をごらん下さいましたが、一月の雪の中であります。私どもはみなゴムぐつを買ってもらいまして身支度をして約一里にわたる区域を踏破いたしまして現場を親しく調査いたしました。そのときの状況でも、これは直ちにやらなくても、護母はやらなければ将来危険であるということはだれでもこれは判断のつくことでございます。そこで、会社側の山田社長並びに建設担当者である鵜飼君の説明によりますと、これは完全に護岸をする必要があると鵜飼が承認しておるし、山田氏は再調査をして必要があるならばやりますということを言明しておるのであります。これは委員会においても述べておるし、委員会外においても述べておるのでありまして、それについて、現在の状態では湛水を放流しなければならぬが、周辺の土地を売ってもらえば自分の方は工事の仕方があるということを言いました。それは結局、北電の地所になりますれば、パイプ・コンクリートの方法にもよることができますし、必ずしも湛水を放流しなくても解決がつく問題であります。そこで私は部落側に、こういう争いを長く続けておるということもあまり芳ばしくないし、今電力をとめるということは――電力は公益である、その公益をとめて私益を守るというには、どうも公益の方が多過ぎるから、この周辺の土地を奮発して売ったらどうか、農地はわずかなんだから、その辺を売って、会社に適切な工事を徐々にやらした方が部落のためによくはないか、こう申しましたところが、部落側では――初めから金をとるという意思は部落は持っておらぬのであります。最初に私依頼されたときに寺で部落の全員に会っております。そのとき私は言質をいただいたのであります。この問題で金をとるなら私はごめんこうむりたい、この周辺では電力会社から金をとってりっぱなうちを建てている、山間の労働者が、山に働き野に働いている勤労者がりっぱな殿堂を建てるということは私は決して好まないから、金をとるためならお断わりしたいということを言ったら、そうではないという一札をとっております。その際に、どうすれば村は納得するかと私が申しましたところが、大体昭和三十一年の六月ごろから神岡線の問題が俎上に上っておりますが、その接着駅を片掛駅につけてもらいたいということが彼ら部落全体の願望であります。そうすれば自分たちは汽車の飛び乗りや飛びおりをしなくても済む。現在部落の達者な連中は飛びおりをやるのです。一里歩くよりも飛びおりた方が早いというので、勾配ののろいところでみな飛びおりをやりますが、そうすればわれわれは文明の恩恵に浴するのだ、どうか接着駅を片掛にしてもらいたい、現在の猪谷では非常にカーブがきついし、地積が足りないが、片掛なら六万坪の台地がある、そこでわれわれは台地を寄付して、そうして接着駅をつけてもらいたいという陳情をしておったのであります。ちょうどこの話が昨年の六月から七月、八月にかけて十数回にわたって私は交渉いたしました。ところが会社側も私の事務所へ参りますし、部落側も私の事務所へ参りまして、双方意見を徴してみますると、ようやく会社側では、それでは駅の設置に協力する、今まで使った金は何とか出そうというところまでこぎつけたのですが、部落側では、駅がつくについて十地の買い入れをしなければならぬから、四、五千万の寄付を要求するということが出てきた。それは額が少し多い。そこでいろいろ会社側と協議しましたところが、額をきめてくれということを山田社長からきつい要求であります。無制限の協力をいたしますと、何ぼかかるかわからない、一億もとられるかもしれぬ、そういうことでは困るから、どうか額を一定してもらいたいということで、大体七月ごろから金額の点に入りまして、会社側では寄付金が一千万円、闘争費二百万円ということでございました。ところが、私ちょうど九月初めに生産性視察の団長でアメリカへ行ってこなければならぬから、その前にきまりがつくならつけたらどうかと言ったところが、つきません。そこで私アメリカへ参りました。帰ってきましたら、留守中に田中先生上林委員長のところへも部落の者が訪れたり、あるいは会社の者も行ったというように聞いておりますが、会社では、こういうことで長く争っておってもしようがないから、多少の譲歩はしたいということを言い出しまして、そこで結局三百万円の闘争実費というのはそれまで部落から代表者が借りている金が約三百万と私は聞いております。それは会社でもそれだけ使ったことには議論がないのです。ただそこで林、佐藤らの言い分はこうなんです。私どももすでに三カ年間この闘争をして仕事を捨てております。そのためにずいぶん自分らの雑費も使っております。どうか私どもの費用を見てもらわなければ困るというのが彼らの要求であります。これかこの横領事件に非常に関連いたしてくるのであります。それならは君らの費用として一体幾ら認めろというのか。大体百万円ほど認めてもらいたい、それからこれに関係協力右がある、地質学者なりあるいは事務協力者なりがあるから、これらの人々に謝礼するのに約百万円認めてもらいたい、それだから二百万円を増額してくれということであります。そのほかに、産業開発資金は、大体台地を二万坪買いますと、坪五百円にして一千万円、あと誘致運動をするのに、九カ部落が団結して参りますには、いろいろ上京するたびに費用も要る、従って約五百万円くらい見ておいてもらわぬとその他の費用としては困るというで、千五百万円を強力に主張いたしました。そこで、十月の末に会社の副社長と私との間に、それでは五百万円出しましょう、さらに千五百万円ということで応諾するということになりました。それで、向う側が水利権を放棄してくれと言うから、水利権は、君の方が寄付すればこちらの方は一方的に放棄してもよろしいということに話がまとまりまして、これは相関関係にはならないのであります。これが十三名が理屈を言い出した根本の原因にもなっておりますので、あとで説明いたしますが……。そこで十一月二十日に私の事務所で妥結の調印をいたしました。そのときに、山田社長山本社長、それから秘書課長が会社側で参りました。部落側として林唯義、佐藤利次、この両名が参りました。もちろん金谷という事務補助者もついてきておりました。これで調査いたしましてちょうど調印する直前であったか、田中先生が約十五分ほど顔をお出しになって、山田社長に話がついてけっこうだと言って帰られました。上林委員長にも来てもらいたいと私は言っておりましたが、委員長は用があって来られない。そこで、調印を終りましてから、山本社長が千五百万円の小切手と五百万円の小切手、これはいずれも北陸銀行の横線引き小切手でございますが、これを私に渡されたので、私は代表者の林に直ちにその場で渡しました。それで、話は少し戻りますが、妥結をしたならば五百万円は地元へ持って帰る、千五百万円は山田社長と林の両名で保管をしてもらいたいということを私は強硬に主張しておった。そうせぬと、せっかく駅をつけても金が雲散霧消してしまったのでは非常に困る問題が起るということを言っておりましたところが、ちょうど調印の際にも山田さんは、自分はその共同保管者になることは困るから、あなたがついておられるのだから監督せられたらどうか、こういうことも言うし、また、村の方でも、あなたが監督していって下されば私らは決してこの金は不正なことをいたしません、こう言うものだから、それじゃ私の関係しておる会社の経理部長の下坂順吾という者に傾けておかれれば、彼は金庫を保管しているから、その金庫に置いておいたらいいだろう、私はこれを監督する。そこで、さらに五百万円は株を買いたいということを言い出した。それはなぜかと申しますと、この運動が一年続くか二年続くかわからないけれども、相当費用がかかりますから、そうすると元金を使うということは非常に困るから、株でも買って利殖しておいたならば幾らかでも運動費が捻出されるのではないか、こう申しますから、それでは五百万円の範囲ならばいいだろう、それ以上使うことは私はどうも好まない、三分の一株に投資するということで、それではそうしておいたらどうだ、こういうことでございます。それから、どこへ預金するかという打ち合せもあまりしたことはないと思いますが、北陸銀行かどこかへ置いたらどうだということを私書っておったと思います。  それから、取引が終りましてから、さてどこへ預金するかということになって、結局、田中さんからの言葉があったし、私の方からもお願いして、住友銀行成城支店というものを紹介していただいたので、私が林を連れましてこの住友銀行へ参りました。そこで定期預金の手続をいたしまして、あらためて五百万円を借りたいということを申し出ましたところが、住友支店長は非常に常識的な人で、何になさるのでしょうかと言った。そのときに、部落名前預金帳に書いてくれということを私は言ったのです。片掛部落総代林唯義と書いてくれと言ったら、そんなめんどうなことをせぬでも、先生がついておられるならば村の金であるということは間違いないから、林さんだけでけっこうではないかとおっしゃるから、それならそうしておころということで、林唯義の名義にしたのであります。その借り入れの申し込みに対して、何に使うのかというお話がありましたので、それは私も言い、また林からも申しまして、株の買い入れをするのだ、そうですか、それならばけっこうですと言った。ところが、そのときに田中さんがお見えになったか、あるいは電話でお見えになったか、その辺は私は記憶がさだかではございません。しかし田中さんも間もなくそこへ顔を現わしまして、現金は今ないということであります。百万円だけ都合する、四百万円は明日付の小切手だと言ったと記憶いたします。そこで、本人は、もうすぐ帰りたいのでこれを託していきたい。私は内心では小切手を託されるのは困るという考えを持っていた。というのは、そういう金について私どもが銀行取り立て名前を書くことはあまり好みません。これは現金にして整理しておいてくれた方がいいと私も考えておりましたので、田中さんに、銀行がないと言うなら、あなたもしあったられこを交換してくれないかと言ったら、田中さんは、それでは家に金があるなら、一つ家へ帰ってみて、あれば取りかえてやってもいいということで、私は田中さんと一緒に車に乗って帰りました。私の中で林が帰った。結局林が田中事務所に宿りましてこれを交換してもらった。私は田中さんにあいさつして私の事務所に一足先に帰っておるのであります。そこへ林が参りまして、金谷と三人の間に謝札金のことで非常に険悪な空気がございました。そして林も佐藤も、金谷に対する謝札をきめていただぬとおそろしくて帰れない、殺されるかもしれないと言うのです。ばかなことを言うな、あの男が君らを殺すなんて。いやそうではありません、あの男は大へん欲が深くて私どもを殺すかもしれないから、ここで話をつけてくれと言うので、そういう話を前々に私にしておりましたものですから、五百万円の送金を四百五十万円の送金小切手に直して、住友銀行成城支店から五十万円をもらってそれできておるわけです。そのときに林君が帰ってきましたから、あの五十万円をここへ出せと言ったところが、新聞紙住みのまま私にくれましたから、金谷に、君は不足だろうがこれをとってくれ、君はこの三倍もこれを要求するのだろうけれども、私は地元代議士でもあるし、初めから村のためにやったので一銭一厘も謝礼をとる意思はないのだから、君はしんぼうしたまえと言ったところが、非常に不愉快な、むしろ憎悪を持った目つきで僕を見ましたが、私の態度が相当きつく言ったものと見えまして、そのときいやいや金を受け取りました。後に宿屋へ行ってからまた紛争が起こったそうでありますが、それで私はその金のことはあとで聞いたのであります。林が四百九十万円のふろしき包みを持って下へ行きました。つまり百万円の現金から五百万円の三カ月分の金利を引いております。そうすると九十一万円何がしになるのですが、その金と小切手四百五十万円と、定期預金証書の百預かり証がビニールのサックに入っている。これは私が封印しております。現在差し押えられて富山の警察にありますから、ごらん下さればわかります。この封印を私がやって、林が押しております。それは持って下坂に託して行っておるのであります。  私はそれから外に出ましてほかの用を足しておりまして、田中さんのところに何のために寄ったかと言いますと、先ほど田中さんがお話しになったように、私は上林委員長田中さん、その他関係委員に一献差しあげたい、大へんごめんどうをかけたから、地元代議士として私がごちそう申し上げたいということを申し上げた。田中さんは、おれはそういうことはきらいだからというお話がありましたが、私はぜひ出てもらいたいというので、私が富司林という家へ席を設けてちょうど五時過ぎに参りました。一番先に来られたのは、ここにもおられますが、上林当時の委員長であります。田中さんはなかなか来ない。それではというので、お酌も来ておりましたし、みな始めめたわけです。そこへ上林委長長に金谷という事務補助者が電話をかけてきました。自分らもそこへ寄せてくれということを要求したらしい。それでし林委員長は私にどうかと言うから、彼らはここへ呼ばぬ方がいいのじゃないか、われわれ議員だけでこの席を設けたのだから困ると言ったところが、自分も二年先に会えるかわからないし、せっかく農民のためにやった農民の代表者が来たいというのだから呼んでやってくれと育ってせがまれたわけです。今考えれば、こんな者は呼ばなかった方がよかったのですが、上林君は人がもろいから、ついほだされて、呼んだらどうだろうということになって、金谷が鞠躬如として入って来ました。そこへ田中さんが人って来られて大へんなけんまくなんです。何だ、こんな席へおれが来れるかと言って、いつもの調子でしかられた。それで、村の者がおろうとだれがおろうと、君はそんなことは問題ではないではないかと言ったら、そうかと言って三十分くらいおってお帰りになった。それで、私どもは食事したかしないかわかりません。おなかがすいておってお酒を飲んだので、だいぶメートルが上った。上林さんは今度は自分ごちそうするからと言うので、どんなところでごちそうするのかと行きましたら、すわれないおでん屋です。立っていてお酒を一ぱいもらいまして、それではしょうがないからというので、私は、ウルワシというきわめて雑なキャバレーがありますが、そこへ行きました。今考えま…すと勘定を七千円払ったと思います。そういうわけで、私が家に帰りましたのが十一時半過ぎだと思います。問題は、富山では大へんなうわさです。これが事実の真相なんです。  そうして下坂は十二月に志村化工を一万株、日鉄汽船を一万株買っております。これは山一証券や取引所でお調べになっても、現金決済になっておることであるから動かすべから、ざる事実であります。それからさらに翌年の二月二十日に志村化工の株を二万株買っておりまして、これで四百九十九万円であります。これで一切預かった金は整理がつけてられており、むしろ足りない。それで、林の方から百六十万という小切手を決済前に届け出てきておるのは、新株割当に対する払い込みのために頂けたと言っておるのであります。それでちょうど残るのが約三万円くらいです。その現金も下坂は金庫の中に保管しております。   私の事務所にはほかにもたくさん五、六人の者がおりますが、会社の者もおるし、法律事務所金庫というものは、その中にあるかないかということは全部の者が知っております。それを富山県警察の大沢野署長がどう勘違いしたのか私はわかりませんが、問題は、この五百万円は初めから分配されてないのだという断定であります。これは被告発人の代理である高井弁護士がたきつけたのか、あるいはその背後にあるところの政治的な指導者がたきつけたのかわかりません。おそらく警察署長は何も初めから私にその断定をもって臨んだとも思いません。たきつけた者があったことは間違いないと私は思います。しかし私は会談の場所とかあるいは会合の場所をつかんではおりませんから、明確には申し上げにくい。けれども、署長は、この捜査の初めの段階において、隧道の除幕式の際に来て一ぱい飲みながら、この問題は必ずやっつける、そのかわり自分の首はとられるのを覚悟でやるということを豪語してかかっておるのです。いやしくも警察署長がこういう豪語をしてかかるということは、容易ならざることであります。それから、はっきり申し上げます。内藤派の運動員が私の選挙区全体に言っていることは、松岡は千五百万円横領を企てた、ばれたために株の工作をしたのだ、彼のことき卑怯な者だと一大宣伝をやっております。これは争うべからざる事実であります。果して内藤隆君がこういう運動をしておるかどうかは知りません。けれども、彼を支持する派の連中は、私の選挙区一帯にこの運動を展開しております。はなはだしきにおいては、私と同姓の松岡重三という県会議員が、富山市の市会議員である朝日という人に対して――この松岡という人は私に恩義のある男であります。私が初めて県会議員に推してやった男なんでありますが、これは私の派ではありません。それが上市駅頭において、松岡は千五百万円横領を企てた、しかし彼は法律家だものだから、株式工作をしておいて、様子を見てとろうとした、こういうことを言っておるのであります。この諸般の事実を勘案いたしまして、私が思うには、彼らは大べんな陰謀を企てておるということを私は今から三カ月前に気がついたのであります。しかしながら、やみの力でありまして、私はどうにも手の下しようがございません。そのうちに、二十六国会の会期末に、益谷衆議院議長にあてて、十三名の諸君がこの問題の陳情をしてきたのであります。この陳情書を見ますと、驚くなかれ、この解決金は行方不明なりという理由をくっつけておる。彼らは知らないことは断じてありません。五百万円は村へ持ち帰られて処理されたことも知っておる。手五百万円の金については、私の事務所において管理、監督しておることを百も二百も承知の上でこのものを出した。私ははなはだ遺憾です。いやしくも衆議院の議長たるものが、一議員の疑惑に対して陳情を受けたならば、かりに私が議長なりとするならば――私は益谷議長と三十年来の友人であります私を呼んで、こういう陳情が出ておるが、この内容はどうなのかと一言ただしてしかるべきものであります。また彼は自民党の党員であります。わが幹事長に対しても、あるいは総務会長に対しても、党員松岡に対してこういう問題が出ておるがどうかという問い合せをしてしかるべきものであります。議長も人間であります。彼はこれをなさぬ。反対党の社会党委員長にこれを直ちに回した。いかにも松岡疑惑があるがごとく、不正があるがごとく、そして決算委員会がこれをお取り上げになりました。私は立ってこれを説明いたしました。幸いにして委員の方々に私の説明に対して御了解を得たつもりであります。これも一つの陰謀の流れであります。  この決算委員会の問題になるや、これを契機として、大沢野の署長が鬼のごとく、決算委員会に問題になった以上はこれを徹底的に洗うのだと言って、過去三カ月間片掛部落に刑事を派遣して、一人々々にこの金は分配すべきものだ、林は必ずたたき込む、お前らは林を支持しておったらともに大へんなことになると言って村人をどうかつしております。たくさんの村人がきょうもたすねてきております。先ほど出中委員から、林の夫人が気違いになったと言われましたが、私はおそきに過ぎると思います。普通人ならもっと先に気違いになる。林の夫人が戦っておったから、まだ病気になるのがおくれたくらいだと思います。毎日々々刑事をあんな小さな部落に入れて、はしの上げおろしまで監視されては、人間は安穏な生活ができるものではありません。私に対する家宅捜査を私は受けましたが、林唯義の贈賄容疑について、私の自宅、私の関係会社、私の事務所をやりました。何が出てきましたか。何も出てきません。しかも、令状の中にある保管している物件というものは、五月の十日に近藤航一郎弁護士に引き渡したということは、近藤航一郎の内容証明によって村人全体に通告しておるのであります。これを知らないはずはありません。元吉署長がこれをほおかむりして、判事中田忠雄をだまして令状をとったのであります。私のところにもそんな物件はありません。私の事務所にはありません。いわんや田中議員のうちにあるわけはありません。しかも中田忠雄君は三十年来の私の友人であります。本来はこんな令状に判を押すべきものではありません。忌避の理由になる。友人であるがゆえに断わるべきものである。それを進んで判こを押す。この一連の関係を私勘案してみましても驚いております。ところが、間もなく近藤弁護士に対して富山県警察が、何回かこの写しを警察に提出しておるにかかわらず、差し押えいたしました。その令状内容によって初めて私に対する疑惑の真相というものがわかりました。つまり、四百九十万円を私が収賄してとったというのであります。驚くべき疑惑であります。しかも私を三カ月間にわたって一ぺんも調べてはおりません。呼び出し状も来ません。警官もたずねてきません。第一、林唯義、佐藤利次を横領で起訴する場合に、何がゆえに私を一応参考人に警察が呼ばないのでありますか。なぜ検事局が呼ばないのでありますか。こんな片手落ちな捜査で人を弾劾するということ自体が、私は全く人権じゅうりんだと思います。私は仲介者です。この金はどういうために渡されたものか、どういうためにやったものか、範囲を決定する重大なる因子を私は持っておるのであります。そこで私は大久保長官にお願いして――富山県の警察では、二十名も東京のまん中に来て、私のうちを取り囲み、一軒々々聞き込み捜査をやっております。私のうち家宅捜索の際、事務所でとった領収書を片端から調べ上げておる。銀行は調べる、取引先は調べる。私は疑惑を受けたから仕方がないとはいいながら、これでは一体政治家としての名誉はどうして保たれるのでありますか。先ほど田中さんがおっしゃったように、一銭でも手をつけておったら、私は議員をやめます。何のために私は国会議員としての職責を全うできますか。しかるに、私に対する一回の尋問も行わず林唯義、佐藤利次を起訴しました。しかも、これが東京に相談に来ましたときに、そんなに争いになっているなら百十三万円を村へ返せ、あらためて総会を開いてやがて協議するにしても、この争いはやめなければいかぬといって、百十三万円を積ましたのであります。こんな小さな部落で百出三万円の金というものは大金であります。みんな親戚相寄ってこれは積んだのであります。しかるにかかわらず、林の預金帳、佐藤の預金帳みなとって、生活にも今困っているのです。その十三名というのは内藤隆派であります。署長が内藤隆に加担して、そして四十二名をみな殺しにするやり方であります。だれがこれを守っていただけるのでありますか。私は、議員の皆さんがこの実情を現地についてつぶさに御調査賜わりたい。おそらく片掛部落の四十二名の人たちは半歳を出ずしてあるいは自殺あるいは破産、その部落を去っていかなければならぬ事態が来るのではなかろうかと思います。刑事が来れば、十三名のうちへ行って茶わん酒を飲み、茶わんをたたいて凱歌をあげている始末であります。これでは四十二名の者は生きていけないのであります。林、佐藤というものは全く部落のために二カ年間自分の利益を捨てて戦ってきた。その二人が百万円や二百万円をとることは当りまえですよ。これを領収書の内訳がないといって起訴した。富山地検の検事は涙もなければ血もない人たちです。こんなことで犯罪が作られるなら、全部の人々が犯罪にならざるを得ない。おそらく委員の方々はみな御存じのように、多くのところから鉄道をつけてくれあるいは河川をつけてくれと陳情がありますが、みな二百万円、三百万円、四百万円といって費用を使っておりますが、一件といえどもこんな事件横領として起訴されたことがございますか。あまりといえば元吉署長というものは鬼です。そういう政治的な黒幕に利用されて、そして鬼になって、しかも今また私を討たんとする。それのみではない。田中議員、上林議員までも討たんとするに至っては、これは鬼であります。もはや警察官ではございません。しかも、私はできるだけ検察官というものには信頼を持っておりますが、この事件の捜査に当っても、富山の地検の次席がみずから、林が自分の供述は署長にだまされて作ったんだ、風呂に入れたり散歩に出したりして自分をだましたんだ、預けたと言えば松岡さんが横領になるといってだまして作った供述だから訂正さしてくれ訂正さしてくれと泣いて嘆願しているものを、大坪次席検事が林をどうかつして、大言して、妻が病床にあって半狂乱だということを巡査が通告したのでありますよ。ひどい人間どもです。本来は通告すべきじゃございません。弁護士はみな口を緘して語ってないのに、巡査にわざわざ通告さして、そうして混迷に陥れて、次席みずからどうかつ、取調べをするなどということは、ゆゆしき問題であります。だから、この間も最高の次席の清原さんにも、花井検事長にも私は申し上げた。管轄は東京にあるのです。もし私が収賄しておったなら、東京でお調べ願いたい、私は富山の検察当局を信用しない、もし私にこのことに疑問があるなら、公平無私にお調べ下さい、時、所を問いませんということを私は申し上げているのであります。しかもこの間から下坂順吾を二回にわたって講話を取っておる。しかも、菅原検事が調べておるのに、その後もまた富山の警察の本部から出頭せよということであります。何のために富山まで出ていかなければならぬのですか。富山の検察官が二回調書を取って、なお菅原検事がきのう調べておって、その上はがきで本人に富山に出てこい、これではもはや法律もなければ正義もございません。ただ人間の憎悪の力が大きくこの世の中を支配しているというだけだと私は思うのです。  私は一命を賭してこの問題に戦うつもりであります。人間がはずかしめられて、何のかんばせがあって私は国会議員として勤まりましょう。私が一銭でもこれに手をつけておったら、切腹してお目にかけます。私がお願いしたいのは、大臣もおられます。刑事局長もおられます。国警長官もおられます。元吉署長を呼んで下さい。これは鬼です。こういう者を署長にしておかれることは、人民がひれ伏していかなる恐怖を起すかわからないのです。もうこれ以上は私の気持がたかぶって申し上げられません。以後は賢明なる皆さんにおいて一切御了解願いたいと思います。どうもいろいろありがとうございました。
  7. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 田中松岡両議員の発言は終りました。  質疑の通告がありますので、これを許します。吉田賢一君。
  8. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 松岡田中両君に、また必要があれば上林君にもお尋ねしてみたいと思います。今両君のお述べになりましたことは、これは国会の権威の立場から見て、また司法権の独立あるいは法務行政の観点から見まして、きわめて重大視すべき案件と考えます。ことに、事実の関係がもし疑われるようなことがありといたしましたならば、これまたまことにわれわれとしては重大視しなければならぬし、あるいはまた、一面、今お述べになったように、人権じゅうりんの事実があったといたしましたならば、これまた国会としましてはゆゆしき大事として扱っていかなければならぬと思います。そこで、この件につきましては、決算委員会におきまして、去る五月の十四日に、田中議員の御発言によりまして、松岡君に参考人として出ていただき、そしていろいろと事情を伺ったのであります。伺ったのでありますが、その後、今田中委員からお述べになったように、また松岡委員からお述べになったように、先月の二十三日それぞれ家宅捜索が行われたというような事件の進展を見ましたので、これはまことに重大な情勢の展開とわれわれも実は考えておったのであります。そこで、いろいろな角度から伺わねばならぬと思うのでありますが、要点をできるだけ集約いたしましてお尋ねしてみたいと思うのであります。  第一に、私も決算委員会理事でありますので、この問題については相当重大な関心を持っております。松岡委員にまず伺ってみたいのでありまするが、昨年の十一月の二十日にあなたの事務所において北電の社長、副社長あるいは部落代表の諸君が和解ができた、和解ができた条項を北電の側から公表をしないようにという要請があった、この点であります。なるほど、将来のダム建設等について経済的に悪い影響をするというような理由から公表を欲しなかったというようなことも、今御説明があったのであります。しかしながら、やはり合計三千万円をこえるような金額の授受、それから、いやしくも決算委員会においてあなたのお取り上げになった、いろいろ御質疑になった事件、あなた御自身が国会議員としてそれぞれの重要なる職責にもおありになること、あなた御自身の事務所においてこれが解決をしたこと、しかもこれは立ち会っておられる、あるいは経過についても、今の御説明によってみれば、条件の変更の経緯など相当詳しく御承知である、こういうような経緯にかんがみまして、私は高い常識をもって見るならば、北電からどういうような要求があろうにかかわらず、これを明らかに公表して、言いかえますると、むしろ解決の条項のみならず経緯に至りますまで一切を公表いたしまして、ガラス張りの中に国民に知らすということが、これがやはり議員としての良識でもあり、またそのときとるべきあなたの立場ではなかったか、こういうふうに思うのでありまするが、これを北電の要求によってあえて公表しなかったという点に、私は少し疑問を持つのですが、その点についてはいかがでありますか。
  9. 松岡松平

    松岡松平君 お答え申し上げます。今の吉田さんの御質問はなるほどごもっともであります。ところが、あの当時の北電といたしますれば、この種の沿岸における紛争というものはたくさんある。のみならず、九電力会社各社にもある問題でございます。そこで、山田さんの、北電側の言い分では、自分のところはいいとしても、他社に対する関係が、連合があるために、こういう先例を作ると非常に他社から抗議を申し込まれて因るから、適当の機会に、あまり外部には知られぬように一つこれを始末をつけてもらいたいというのが向うの希望でございました。そこで、私、林唯義、佐藤が帰りますときに、定期預金証書の残高証明をその目にとってありました。これを持っていって少くとも部落の有志にははっきり見せておかなければならないのだと言った。ところが、どういうことか、これがどうも見せたか見せないか私にはまだ判然いたしません。この点は、成城支店をお調べ下されば、定期預金証書を持っていっております。一方私は理事会報告をいたしております。それから、私が一般に公表すべきであったということでございますけれども、これはもともと私が弁護士として地元代議士として交渉された部落会社との難い事でありまして、それを私は議員として決算委員として調査はすでに終っております。会社側が自発的に調査の上護岸をすると言ってる以上は、これをあえて私が議員として公表するというような手続までもとる必要はなかろうと考えたのであります。この点は非常に見解の分るるところでありまして、しからばわれわれ取扱い件数のすべてを一切国民に知らせるということは大へんなことであります。ものの性質によりますけれども、これは部落会社の争いを私一個が仲介をしたので、決算委員会が仲介をされたわけではございません。もしこれを決算委員会がやったとしたら吉田委員のお尋ねはごもっともでございますが、私は三十年の五月からずっと引き続きこれを折衝して参り、双方のために妥結したのでございますから、双方の言い分をしんしゃくしてそういう取扱いをしまして、それで一通は協定書を作りました。ここに関係記録がございますからごらんになって下さい。
  10. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 それはあなたにいただいたからわかっています。
  11. 松岡松平

    松岡松平君 そこで、覚書と協定書の二本を作りまして、協定書は発表いたしました。そうして覚書は伏せてございました。そういう次第でございます。
  12. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 今の御答弁は若干事実が違うのでございます。私の第一に伺うのは、十一月二十日にあなたの事務所でこのような重大な問題を解決したそのときに、直ちに北電の要求を拒否して、これは適当に公表なさるのが必要でないか、こう思うのですが、その点意見が食い違うとおっしゃるから、それはよろしい。そこで、決算委員会理事会報告してあるとおっしゃいますけれども、それは、この問題がわかりまして新聞にも書かれたりいたしましたので、驚いてあなた方にお伺いいたしまして、その結果非公式に理事会で概略お述べになったというだけでありまして、それはそれから数日後になっております。
  13. 松岡松平

    松岡松平君 二十日です。
  14. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 二十日じゃない。これはちゃんと明らかになっております。でありますから、それまでに、事実といたしまして、私自身があなたに実情はどうなっておるのですと言ってお尋ねしましたら、やはり最後の奨励資金千五百万円については、これは秘密協定であるから申し上げることができない、こういうことでありましたけれども、やはりこれは何らかの形で公表なさる方がいいだろう、できるだけわれわれにもお知らせになるのがいいだろうということで、田中委員などとも御相談いたしまして概略の御説明を聞いたのです。けれども、なおそのときには協定書の内容、条件の内容というものはお見せにならなかった、こういうことがあるわけです。しかし、これはこれ以上は問いますまい。けれども、私がやはり若干遺憾に思いますのは、当初におきましてもっと堂々と何もかも発表の態度に出るということになっておったら、この林某にいたしましても今日のこのようなことにならずにきたのではないかということを私は思いまするので、あえて、当初出発の際、つまり解決したときの公表しなかったことについて、あなたもいろいろと御努力になったにもかかわらず、少し御配慮が足りなかったのではないだろうか、こう思うのであります。  その次に伺いまするのは、千五百万円を北電の副社長から林が受け取った、この点につきまして、これもちょっと田中さんに事実の関係だけよく聞くことにしたいと思うのでありますが、五百万円の小切手住友銀行成城支店が振り出した小切手で、これはあなたが裏書きされた、こういうことをおっしゃったのですが、小切手でありますから、金を受け取るときに領収書にかえて手形の裏に名前を書きますが、それはだれになっていますか。
  15. 田中彰治

    田中彰治君 先ほど吉田委員から松岡さんにお尋ねになって、田中さんにもという話ですから……。  この問題が解決ついたときに、委員長に対しては契約書の本写しがみな行っているはずであります。そこで、こういう問題を秘密にするとかしないとかいう取り計らいをするのはやはり委員長でありまして、委員長から、委員会において、委員会のお世話になっておったが解決がついたということで、部落及び会社側の連名で出したものを読み上げられております。そのときに委員の方々が内容を言えと言われたら、委員長も言ったのじゃないかと思いますが、委員長が、それはおれにまかしておけ、おれが時期を見て取り計らうからということで書類を取り上げられたのであって、これは私はその契約内容に立ち会っておらないからそれ以上委員長を責める資格はないし、そういう責任も起らなかった。  いま一つ吉田委員からのお尋ねで、百万円の住友小切手じゃないかということですが、五百万円の小切手というのは、私は立ち会っておりませんからその小切手を見ておりませんが、ただ、五百万円の小切手が一本と千五百万円の小切手が一本、こう聞いております。それで、五百万円は闘争資金であるというので、その部落の人が、今松岡先生から聞いたのですが、五十万を五百万円の闘争資金うちからもらって、それを金谷君に礼をした、――割引料なんか幾らかとられているのでしょう。あとは林さんたちの指定した富山の銀行住友から送ってあるのです。そこで、定期預金したのは、部落資金としてもらった千五百万円を提供した、そのうちから株を貰いたいというので金を貸す貸さないの問題が起きたから、紹介した関係上私は口をきいた。そこで、銀行では、百万円現金を出す、四百万円は住友成城支店の支払いをする小切手でございます。ところが、その小切手現金化されるまでに横線小切手ですから二、三日かかる。それで現金にしてもらいたいと初め松岡さんに頼んだが、松岡さんは奥さんの関係でどうかということでだいぶ疑問のことをおっしゃった。それで部落民田中彰治に頼んでくれと松岡さんに頼んだ、ので、松岡さんが口をきいた。そこで私は、家へ帰って金があったら立てかえましょう、住友銀行小切手だから一日か二日たてばすぐ現金になるのだから、金があったら立てかえてもいい。それで私は、家へ帰ってみたら金があったので、私が電話をかけたか松岡さんが電話をかけたか忘れましたが、立てかえてやるという承諾をして、私は立てかえてあげたのです。そして私のうちの会計が四百万円を渡して小切手をいただいた。それが変な怪しいものなら、田中彰治という名前を書いて違う銀行から取り立てるようなことはしない。部落のだれかの名前をかたって、だれかの預金に入れて金をもらうというようなことをいたすのでありますが、堂々と、しかも利息も一銭ももらわない、お礼のお茶一ぱいもらわずに立てかえてやった、小切手引きかえに四百万円を出してやった、私のはこれだけであります。あとどうなったか、その金の使途は知りません。
  16. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 そうしますと、あなたのお立てかえになったのは四百万円、そして小切手を受け取った、その小切手住友銀行振り出しの小切手ですか。
  17. 田中彰治

    田中彰治君 そうです。
  18. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 そうすると、それは横線小切手であれば銀行を通じてお回しになったのですね。
  19. 田中彰治

    田中彰治君 はい。
  20. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 その際は裏書きは必要ではないのですか、その点を……。
  21. 田中彰治

    田中彰治君 私が裏書きしております。小切手の裏には、私が書いたのじゃないのですが、うちの会計が書いたのか、あるいはまた銀行で親切に書いてくれたのか知りませんが、どっちにしても田中彰治という名前を――私の当歴に入れたわけですから、田中彰治という振り込みの名前を書きましてそれで振り込んで、銀行交換所で交換されて私の当座に戻ってきて、それから私がとる、だからちゃんと田中彰治と書いております。
  22. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 これもわれわれのような金のないやつはやはりあなたとものさしが違いまするが、やはり部落の代表の名前もよく御承知でない方に大枚四百万円の金を立てかえる――もっとも銀行小切手だからそれを信用したというのはもっともでありますけれども、この種の解決の経緯にかんがみて、授受された小切手などをあなたが自分銀行へ入れるような経過をたどることはやはりしない方がよかったと私は思うのです。それは別に直ちに犯罪の嫌疑を受けるかどうかというのじゃないのだけれども、いずれにしましても、あなたの手に入るというようなことであなた自身が落さねばならぬような、そういう御関係はお作りにならなかった方がよかったのではないかと私は今日思うのです。しかし四百万円や五百万円の金は普通どこかにころがっているのだからすぐだれにでも立てかえてやれるのだと言えばそうかもしれません。いずれにしましても、名前もわからぬ人間が持ってきているやつを、あなたの方でお受け取りになるのは、これはどうだろうかと、こう思うのですが、これについてはあまりお考えにならなかったのでありましょうか。
  23. 田中彰治

    田中彰治君 それは、私が住友銀行を紹介してやったという責任があって、それから、住友銀行に実は金がなかったのです。ああいういなかの銀行ですと、夕方になりますと百万円か二百万円しか金がないのです。五十万円は現金をとっていますから――その闘争資金うちから。だから百五十万円の現金小切手定期預金にして、現金は五百五十万円出そうというのですから、だから一銀行でもうあと百万円しか出さぬ、そこでそのとき支店長が、田中さん、あなたが紹介して下さったのですから、うち銀行小切手だから、あなた立てかえてやって下さい――私も吉田先生の言われる通り、これが松岡松平さんの小切手であったり、あるいは北陸電力小切手であったり、部落民小切手なら、私は立てかえません。またその人たちの裏書きがしてあっても私は立てかえません。住友銀行成城支店小切手であるし、千五百万円預金したというのを私が紹介したということは知っておるのです。それに銀行支店長からも口添えがあったし、また私の金庫にあった金が、もしそれが公金であっても私は立てかえてやったと思います。それは現金にしておくよりも小切手にしておいた方が、火事で焼けても、その小切手のことを申し出ればけっこうでありますし、住友銀行小切手ですから、銀行がつぶれない以上は、待ってくれも何もないのです。たとえば北陸電力書類が足りないという問題が起きても、住友銀行小切手ですから、そういうことにも関係がない。これは、吉田先生、まあ人のことはちょっと申し上げられませんけれども、私の家では、金があるときは、――そのことは上田清次郎という社会党の方にお聞き下さればわかるでしょうが、やはり私も何百万円も持っているのだから、ちょっとそういうことを言われると立てかえてやる気になるのです。今度はだいぶしかられたから、今後はそういうことはやらぬようにしますが、私はあなたに言われたように迷惑しておるのです。こんなものを立てかえてやりさえしなければ……。それでも、立てかえてやらなくても、立てかえてやらない何も関係のない上林さんさえ私と同額の金をもらったと言われているのですから、立てかえてやらなくても疑惑をこうむっているのですから、非常に迷惑なんです。私は松岡さんが友達として悪かったかもしれません。そういうことしか考えられません。
  24. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 松岡さんに伺いますが、この千五百万円は、これは小切、手で、どこの振出小切手であったのですか。
  25. 松岡松平

    松岡松平君 先ほど申しました通り、北陸銀行東京支店の横線引きの小切手であった。だから銀行に入れなければ取れない小切手です。  それから、もう一つ委員会報告した書類がここにありますからごらん下さい。これは契約書も一緒委員長に出したのです。これは十一月二十日付で出している。契約書も委員長は見ておられます。ここに前委員長がおられますから、その点お尋ね下さればわかります。
  26. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 それから、この千五百万円ですが、千五百万円の中で株を買った、こういうことになっているのですが、一体この千五百万円は、定期預金は林の名義でしていることは間違いないのでございますね。そこで、千五百万円を林自身の名義でするということは、これはいかがなものかと思うのですが、その点についてはあなたは御注意はしなかったのですか。
  27. 松岡松平

    松岡松平君 その点は、私は部落総代林唯義とした方がいいと言いましたら、銀行は、法人格がないのだから、かえって繁雑だから、林個人でいいじゃありませんか、ことにあなたは立ち会っておられるし、今後も監督されるのですからそれでいいと思いますとしいて言うものですから、まあそれでなくても肩書をつけておいたらどうだと言ったら、いやこれでいいでしょうと言うので、私はあまりそんなことでこだわってもどうかと思って、林唯義の名義にしておいたわけであります。
  28. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 これは逆な常識が一般的でありまして、千五百万円の金が林個人の所有の金でない場合に、預かる銀行預金支払いの債務が生ずるのでありますから、林が部落の多数の人の代表者として銀行預金する以上は、銀行といたしましても相当な委任状とかその他代理関係が証明し得るようなものを添付して受け取るというのが筋であります。これはあなたもお互いに弁護士でありますから、もし将来間違いが起りまして林個人に支払ってしまうということでもあれば、当初の部落の代表、つまり預け主は部落民でありますから、その部落民の代表の何がし個人が受け取って消費するということになりましたら、これは大へんだろうと思います。この点はあなたのお考えよりも逆な方がこの種の法律関係におきましては常識でないかと思うのであります。むしろ銀行といたしましたならば、何名の代表でありますか、あるいは委任状でもおつけになりますかどうか、こういうようにするのが預金の法律関係を定める上におきまして適切な措置であります。支払う力も、預け入れる方も、将来受け出す方も、それが私は正しいのでないかと思うのであります。しかし、それが今のあなたのお話によると逆で、あなたの便宜個人の名前でいいだろうということでやっておられるのは実に奇怪なことだと私は奇異な感じを抱くのであります。そこで、そのような御説明でありますると、やはりこの千五百万円というのは、林氏自身の預金にはあらずして、他の何名かの第三者が預金者であり、また第三者の所有の金であったということに間違いないと思うのですが、その点いかがですか。
  29. 松岡松平

    松岡松平君 それは、委員長のお手元にも書類を出しておきましたが、この付属書類に三十一年十月二十一日の決議録があります。それを読み上げます。「第一号議案の目的完遂並にこれが完成に必要なる資金は北陸電力の協力と相俟ってその運用の妙を発揮し部落に対し負担をかけざることを期す」という決議をし、さらに委任状にはこう書いてあります。「今般吾々は林唯義、佐藤利次を代理人と定め左の権限を委任す。一、北陸電力株式会社の協力と相俟って当部落の福利増進の為に神岡線誘致に必要なる資金運用の妙を発揮し之が貫徹を期する目的を以て必要なる措置を講ずるために採る一切の権限」、この委任状は私のところに提出しておるのでありますから、この点は私は弁護士として別に遺漏がないと信じております。
  30. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 私の伺う要点は、一体この千五百万円というのは、林氏個人の支配し処分し得る金ではなしに、第三者の部落民の何名かがこれを所有し、これを処分し得るものでないか この点なのです それはどういうふうにお考えになっていたのですか。
  31. 松岡松平

    松岡松平君 それはこの委任状の範囲によってきまることでありまして、管理することはもちろん代表者の権限であり、適当に使用することもこの権限の中に入っております。つまり、鉄道誘致ということがこの眼目でありますから、誘致に必要なる範囲において支出することは、私は、差しつかえない、それが当然の義務だと思います。
  32. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 やはり千五百万円は代理人として委任状によって定められた一定の権限の範囲内において管理する、こういうことになっておる。そういたしますると、次に、そのうちの五百万円をもって志村化工の株及び日鉄汽船の株、総計四万株でありますが、これを買っておる。ところが、あなたの御説明によりますと、安い金利で銀行預金しておくよりも、株を買って有利に回す方が保管のためにも適当でないかというようにあなた自身も意見を出しておられたらしい。ところが、株というものは、たとえば先般も公定歩合の引き上げを契機といたしまして大暴落をいたしております。だから、株というものは、どういう株にかかわりませず、やはり一つの経済的価格変動の危険性が伴うということは申すまでもございません。一般われわれの常識といたしまして、他人から現金を保管しております場合、そのものを、普通の会社の株を買う、汽船会社の株を買う、鉄工所の株を買う、こういうようなことはやはり何としましても異例なことでありまして、特殊な事情か特殊な委任か何かに基くのでないととるべき措置でないと私は思う。やはりその点につきましてもあなたは積極的にこれを認めて慫慂なさったような御発言があったのでありまするが、そういうのではなしに、金利がたとい安くても、相手は百姓さんでありまするから、百姓の代表として預かる以上は、一種の経済的危険の伴うところの株を買うというようなことは常識上ちょっとおかしいと思います。その点は、これも所見が違うと言えばそうかと思いますけれども、あなたといたしましては、そうではなしに、やはり現金銀行その他で金利が少々安くても保管するという状態を変えないことの方がよかったのではないか、こう思うのだが、その点どうですか。
  33. 松岡松平

    松岡松平君 その点、お答えを申し上げます。それは吉田さんのお考えも一つの考え方であります。しかし、もう一つ考え方としては、やはり一方において神岡線誘致という出費を要する運動をやっておることでありますから、運動している者としては、やはりできるだけ利潤を生んで運動費をかせぎたいという考えを持ちます。従って、その反面において吉田さんのおっしゃる通り株ですから下るということもある。しかしながら、株というものは下る場合もあれば上る場合もある。カーブがあります。だから、必ずしも下ったから危険なものであるとは断定できない。たとえば銀行が資金運用に当って、貸付金だけでやればいいのだけれども、株式投資をやります。公債投資もやります。ときには不動産投資もやります。これは同様に保険会社等についても言えることでありまして、また農業団体あたりの資金の運用を見ましても、ただ定期預金をしているというところはございません。たとえば株式に投資している場合もあります。公債に投資している場合もあります。ですから、これはそのときの状態とその諸条件を勘案して、まかされた人が決定するもので、それから相談を受けた私とすれば、その状態から見て三分の一くらいを株式投資して利潤を生み出すということもけっこうだ……。千五百万円ですと約一年間九十万円の金利を生むのです。けれども株式利潤が出る場合にはあるいは百五十万も二百万も利潤を生む場合もあります。ですから、それは一概には言えないのではないかと私は考えます。
  34. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 だがしかし、あなたも国会議員であり、有能な弁護士でおありなのだから、弁護士が他人から補償金の保管を委託されておりますときには、簡単に他のものに変えるというようなことは一般にしないことがむしろ常識であります。そういう点から考え、また、あなた自身も株に騰落のあることはお認めになっておる。もしその際これが暴落するというようなことがあったならば、一体これはだれが責任を負うということに約束はなっておったのか、その点はいかがですか。また現在はどうなっておりますか。この二点について……。
  35. 松岡松平

    松岡松平君 現在その株は買い入れのときよりもやや下っております。従って、新株払い込みの場合にその定期預金から借り入れして払うということはどうかということが一月ごろ出ましたから、それは君自身の金を調達して払い込んでもらいたい、なぜかというと五百万円以上投資するということは自分は賛成できないということで、本人は村のために百五十万円を立てかえて新株を払い込んでおります。その点について、責任の所在については、今人の権利関係に影響がありますから、私はちょっと差し控えたいと思います。
  36. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 わかります。ただ、しかし、権利関係に影響のあることでありますけれども、いずれにしましても、保管の措置としてあなたがいろいろと助言をしておられるのでありますから、助言の場合には、ただいまのように株が下っておる、そういうようなために損害が生ずるということは、これは常識上当然なことでありまして、そういうときにはだれが損害を負担するのかということは考えていなくちゃならない。株を買ったらいつでももうかるのだというような考えを発展さしたならば、第一相互べ入れたら一割の裏金利がとれるとか、浮き貸しをしたら何とか、そういうような考え方が世の中に行われる危険があります。やはり、最高度の高い常識と、そうして善良な管理者としての注意義務をもってこの種の金の保管の方法を御指示もしくは助言なさることが適当であったのではないかと私は思うのであります。もっとも、この点、直ちにそうかといってこれが犯罪事実の容疑があるとかないとか、そんなことを申しておるのではないのであります。そういう事実関係の経過を見ると、どうもやっぱりその辺がちょっと考えが足りなかったのじゃないかと思う。あなたはずいぶんと苦しいお立場におなりになっておることも、同僚といたしまして御同情申し上げます。私ども、事実がなければあくまでもないものとして、もしくは人権のじゅうりんがあればあるものとしてこれは究明していくことにやぶさかではないのであります。でありますけれども、神岡線誘致のためにこれを振り返って肯定なさるような態度があったら、これは大へんなのです。やっぱり行き過ぎがあった、あやまちがあった、考慮が足りなかったというようなことがあれば、これはやっぱり率直にお認めになってくる方が、各委員も納得がしやすいのであります。この金の保管につきましては、やはり私は、株を買うことに同意した、株を買わしたというようなことは、何と考えましてもこれは少し行き過ぎではなかったか、どうしてもあなたの御説明では納得できないのですが、重ねて伺っておきます。
  37. 松岡松平

    松岡松平君 行き過ぎとおっしゃいますけれども、私どもはそこまで積極的に意思を動かしてはおりません。第一、この件について林氏は、金の使用についてはすべて山田君に相談をしてやるべきだというので、林氏が三回も山田君を訪れて経過を正しく説明して、支出についても相談をしておりますから、問題は第一の相談者は山口昌作氏で、北電の社長であります。私はむしろ副次的な助言者の立場に置かれておると思います。私がいかにも何か大きく指導し、支配したように言われるのはちょっと困るのです。実際部落人たちがそう言うものを、むげにこれはやめておけということを言うということは、いかにもこっちが金銭に色気でもあるように思われて、はなはだ私どもはそういうことを差し控えたいと思うのです。ですから、吉田さんの言われるように、なるほどそれはそういう考え方も一応成り立つ。ですから、私のとった処置がよかったかどうかという問題につきましては、今私はどっちだともたやすく申し上げにくいと思います。しかしながら、ひるがえって考えてみれば、こういうことが言えると思うのです。この問題について私が一月ごろに部落に経過報告に行けばよかった。その点を非常に私は残念に思っております。当時、御承知の通り十一月以後政変の問題もありまして一月は私も非常に多忙でございまして行きおくれた。そのうちに三月ごろになって騒ぎが非常に大きくなってきた。非常に不愉快を感じた。ついに私はいまだに行っておらないという状態であります。ただ、遺憾なのは、私が一月ごろ行って部落民をみな集めて経過を詳細に説明してやれば、あるいは事なきを得たかもしれません。もちろんその点について私ははなはだ残念であるとは思いまするが、今の管理方法の問題については、吉田さんの言われるほど私こたえません。だだ行けなかったのは残念だと私は思っております。
  38. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 千五百万円の金の問題は非常に重大なことであります。これはやはり元来が多数部落民の所有である。よしんば個人に分配をしないまでも、将来産業開発資金に使うという目的をもって部落民が持っておる。ところが、部落民とすれば、土地を若干買うたとか何とかして二十万円ばかりの金を受けただけで、千五百万円を現実に受けておらなければ、また五百万円も現実に受けておらない。四年かかったか三年かかったか、闘争資金が要ったかどうか知りませんけれども、部落民は現実に金を受け取っておらぬ。そんな奇妙な解決というものは私はないと思う。やっぱりこれは、もし部落のためにしたということであるならば、部落民に一切これを渡して、部落民みなの協議によって、郵便局に頂けるとか、だれそれが代表してどうするというふうに、まず部落民みながこれの協議に参画するというのが方式としましては筋じゃないか。ところが、部落民は金を見たこともない。千五百万円もらったということは報告を聞いたり新聞で見たりなにかしておるか知りません。また委任状を書いたときに知ったか知りませんけれども、金の顔を見ていない。部落のために数年間闘争資金を数百万円使って運動したというのに、部落民が一文も顔を見ていないということは、この種の問題の解決といたしましては、やはり社会に暗い印象を与えるということはいなみがたいと思うのです。やはり千万円であろうと一億円であろうと、部落民のためならば――部落民が十人であっても百人であっても、それを全部渡して、部落民の公正な協議によってその保管の方法をきめる、きめた上であなたが関与なさるということならいいと思うのです。部落民の代表と称する方が来ておるか知りませんけれども、部落民全部寄ってこれを見せるという態度の方が筋だと思うのです。現地においては一銭の金も見ていない。そんなことはちょっと考えられないことなのです。五百万円の金も見ていなければ千五百万円の金も見ていない。二十万円というのは土地の買収金でありまするから、運動の結果収得した二千万円の金を部落民が見ていないというところに、やはり不満が生じた原因があるのじゃないかと思うのです。また、方法といたしましても、公明正大にやるというときにはそういう方法に出なければならぬであろうと思うのです。東京で何とか銀行定期預金するのにどうしたこうしたというようないろいろな手続をするよりも、部落民みんなのところにこれを持っていって、富山で適当な銀行があればその銀行に預ける、銀行がいけなければ郵便局に預けるという方法もあるわけでありますから、その方法に出なかったというところに問題があったのじゃないか、いろいろ思われる原因が生じたのじゃないかと思うのであります。あなたに伺っても、まただれに聞いても、この千五百万円というものは林個人のものではない、やはり部落のものであるという以上は、どうしてもその点で部落民が納得しなかった一つの原因が、金の顔を見なかったというところからも生じているのじゃないかと思うのであります。これは、私にすれば、非常に常識にたけた練達たんのうなあなたが、どうしてこんなまずいことをやったのかということは、ほんとうは同情するのです。その点が私には実に遺憾にたえません。しかし、これはそのくらいにしておきましょう。  五百万円の使途でありますが、五百万円の闘争資金うちの五十万円を金谷某にやったとあなたはおっしゃっておる。五十万円でもなお不満のような顔をしておった……。金谷某がどんな仕事をしたか存じませんけれども、しかし、零細な百姓、米一俵売ったら幾ら、わらじ一足買えば幾らというようなきわめて小さな規模の生活をやっている人たちのために動いた人が、五十万円金をもらって不満だという。一体百五十万円の金を金谷に報酬として渡すというようなことも部落民に相談しなくてもいいのかどうか。そういうことも林などがそういう権限を持っておるのだからいいじゃないかというのか存じませんけれども、しかし、いやしくも五十万円の金を百姓のために働いてくれる人に百姓にかわってお礼をするというときに、こさいにこういうものも相談し、あるいはやむを得なければ十分に結果を報告する、こういう手続は踏んでいかねばならぬと思うのですが、こういう手続は一体とっておるのだろうかどうだろうか。その点はいかがでしょうか。
  39. 松岡松平

    松岡松平君 それは、今おっしゃったように――三十一年十月二十一日の決議録、これはあなたはお持ちになっているはずです。それから、さらに、先ほどの委任状にこの精神が現われておりますので、問題はこの解決した金というものは神岡線誘致のためにつぎ込むというのが精神である。それで大体了解していただきたい。ですから、部落が一銭も顔を見ないというのは、それは一つの理屈なんで、初めから十月二十一日にみな寄って部落全員の署名で決議しているから、初めてこの解決ができたのです。これがなければ解決なんかできやしないのです。  五百万円のうち五十万円金谷某には多過ぎるということですが、東京に出て二百日以上も滞在していろいろ協力しておりますし、それは私が見ても別に高いと思いません。林が佐藤とともに要求したのは百万円やるべきだと言ったが、それは多過ぎる、それでむしろ私は五十万円に切ってやったのです。それは吉田さんは実情をまだ御存じないので、二年間何にもほかの仕事をやらないでそのことのために協力してきた者に五十万の謝礼をやるということは、結局二カ年間にいたしますれば決して高いものではございません、それは少しおかしいと思います。その点はよく事態をおきわめ願いたいと思います。
  40. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 この点は、五百万円の使途というものはやはり大事なことでありまして、北電にしましても国家の財政資金を開発等々を通して相当受けておるはずであります。従って、北竜にしましても、ふんだんに余ってどこへ捨ててもいいという金があろうはずはないのです。みな開発を通じて来るならば国民の郵便局の貯金であります。そういうことを考えましたら、五百万円の闘争資金を林某が代表して受けたというのであれば、やはり金谷某に五十万円やるならば他にもやる人があるのではないか。もう三倍ももらいたいような顔をしておったというのは、どうもその処分の仕方が少し乱暴ではないか。かりにも五十万円ということであり、どういう職業、どういう経歴、どういう実力の人か、それは存じません。二百日おったか何年おったか、それは知りませんが、大体が村のためにやっておるのだと思う。それならば、あなたと同じように一文の金ももらわないということがほんとうの筋ではなかったか。それが、報酬を受けるのに目の色を変えていがみ合ってという場面は実に醜態であります。そんな人に五十万円やるということがおかしいと思う。それならば、この人は最初から五十万円なり百五十万円目当てにこの運動をやったのではないか。ますますけしからぬ。一体もうけたのはだれか、こういうことになります。百姓がもうけたのではなく、仲介人がもうけておる、運動した者がもうけておる、こういうことになりはしないか。あるいは実費弁償ということかもしれませんが、実費弁償ということならまた別問題であります。報酬として五十万円やるということならば、やはりそういう種類のものは、どういう委任状があるか存じませんが、しかし、弁護士が法律事務を扱うときの金の授受なり処分なりをするときは、そんなぞんざいなことはできないと私は思う。やはりこういうように金がそこらにころがっておるような、電力会社はこういうような解決をするときにやはり単位が百万とか千万とか一億、そういうことを平気で動かすような考え方が潜在しておるのではないだろうか、こういうことさえ私は想像をたくましゅうするのです。そんなことになりましたならば、財政投融資の問題も今後考えていかなければならぬとまで実は考えるのであります。そこを考えて参りましたときには、やはり国民の汗をかいた金と一応考えて、金谷へ五十万円やるというのは相当かどうかということは厳密に検討して、どんな苦い顔をしようと、どんなに目を輝かそうと、そんなことはかまわぬと思う。そんなことよりも、百姓のためにほんとうに忠実な代表として努力した、その報酬として相当かいなやということを冷静にお考えを願いたかったと思うのであります。これをしないでおられるということにも、私はやはり松岡さんのアドバイスされましたことにやはり若干どうも不満を禁じ得ないのです。  それから、学者に何ぼか報酬を出したとかおっしゃるのですが、何という学者に何ぼかお出しになったのですか。
  41. 松岡松平

    松岡松平君 私がみずからやったことではないのです。ただ報告を聞いておるだけでありますから、そこまで一々やられたのでは……。どうも私が関与したことではないのです。ただ、報告を受けておるところによりますと、斎藤という地質学者に十万円やったと言うております。
  42. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 もちろん、あなたに伺いますのは、一応あなたがるる事実関係をお述べになっておりましたので、事実関係について要点だけ伺ってみたいと思うのであります。これが全部ではないのであります。やはりあなたがこの委員会においてお訴えになっております人権問題、これはもちろん重大視しております。けれども、やはり事実関係を全く離れてしまって人権問題を取り上げるということは、これはどうも空中櫻閣になる危険がありますので、そういうことはやはり当委員会としてはすべきでない、こう思いますので、よしんば報告であろうと、あるいは仲介であろうと、助言であろうと、何であろうにかかわらず、五百万円の金の行方というものはやはりきちんとしませんといかぬだろと思うのであります。そういう意味においてお尋ねを申し上げた次第なのであります。  そこで、千五百万円の保管の仕方ないし五百万円の使い方という点は、私から考えますれば、やはり結局においてどうも納得しにくい遺憾な事実があまりたくさんにあることを残念に思います。これは、あえて批判をすれば、私が劈頭に申し上げましたごとく、十一月二十日に解決しました瞬間に全部公表してしまって、ガラス張りの中でこれを一切明らかにしてしまわれたならば、今日このこのようなことがなかりしものを、こういうように実は考えるのであります。ことに、今株が下っている、暴落するかもわからぬというようなことを想像いたしますると、百姓は一体どういう心持をもってこの成り行きを見ておるであろうか、こういうことも実は考えるのであります。  そこで、一転して、当委員会の直面する人権問題に移って伺いたいと思うのであります。先に田中議員に伺いますが、あなたの事務所家宅捜索しましたときにいろいろと暴言を吐いたとかいう警察官、その職名、氏名、警察署などはどこなのですか。
  43. 田中彰治

    田中彰治君 来たときの警察官は六名でございました。名前を書けと言ったら、拒んで二時間くらいなかなか書きませんでした。そこで、向うも私のうち秘書名前を書かせたので、うち秘書が頑強に、おれの方の名前をみな書いて君の方の名前はなぜ書けないのかと言いましたら、名前を書いて行きました。きょうここには持ってきておりませんが、事務所名前を書いたのがございます。  それから、われわれがここへ来たのは、あたかも田中彰治汚職事件、あのような重大な事件をもって、ふところに逮捕令状でも入れてきたような態度でやった。新聞にも出ておりましたが、私のうちの留守番をしていた事務員はびっくりして外へ飛び出してしまったし、電話は全部封印してしまったような状態です。
  44. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 その警察官六名というのは、いずれ警察署、職名、氏名などは明らかでありましょうから、当委員会あと報告をしておいていただきたいと思います。
  45. 田中彰治

    田中彰治君 はい。
  46. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 それから、その警察署というのは大沢野警察署でありますか。警察署長は……。
  47. 田中彰治

    田中彰治君 私は地元の争いを知らぬものですから……。私のうち家宅捜索に来たのは富山県の県の警察署の署員であります。あとその他の者は書いてありません。警察署長のことは松岡君に聞いて下さい。
  48. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 田中松岡上林をひっかけてみせる、うまくいかなければ転任してもいいんだというような暴言を吐いたという話がありましたが、それはそうすると今の六名のうちの何がしということになるのですか。
  49. 田中彰治

    田中彰治君 それは、うち秘書名前を聞いているからわかりますが、うしろへ手ぬぐいをはさんだような男が一人、それからもう一人太った男でございまして、名前はわかっておりますが、それが私のうち事務所へ来てうち人たちにひっかけてみせると言った。  それから、山本猛夫君のところへ行ったのは、これは元法務省の政務次官をした者を警察が使っておって、どうしてもひっかからなければ上林君だけでもやりたいから、営林署の問題を出してくれないかと、二回にわたって言っております。
  50. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 その名前を、山本猛夫君のところでも政務次官のところでもいいのですが、一体だれが行ったのかという、それを明らかにしてもらえませんか。抽象的の問答になってしまいますから……。
  51. 田中彰治

    田中彰治君 牧野寛索君を警察が頼んでやったのです。
  52. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 松岡君にお伺いしますが、大沢野警察署長かと思いますが、それは何という名前ですか。
  53. 松岡松平

    松岡松平君 元吉甚一。  それから、今田中さんにお尋ねになった点ですが、近藤事務所へ大沢野署の白田という刑事が参りまして、いよいよお気の毒ながら松岡君もここ一、二日たって逮捕する、田中上林氏もともどもにということを通告してきた。それは近藤弁護士がここにおりますから間違いない。白田という刑事が、もはや遺憾ながらと言って通告にきたのです。
  54. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 そうしますと、次いで林唯義君という部落代表の人、だんだんと決算委員会名前の出てきた人でありますが、同君の細君なる人が発狂して、本日病院に入れたとかいうことを、田中議員でありましたか発言しておられました。この点は、名前あるいは発狂の原因、あるいはどこの病院へいつ入れてどういう診断になったのか、その辺おわかりであれば要点だけ言って下さい。
  55. 松岡松平

    松岡松平君 私の聞いた点でありますが、林唯義の夫人が、林唯義が大沢野署に収監中に呼ばれまして、個人で立てかえた金の取調べをやっていたのじゃなかろうかと思いますが、大体その当時のむすこの報告によりますと、四十数万円の計算書の届けに行っているうちに、朝から調べられまして、夜九時過ぎ、十時ごろまで調べた。そのときに一食も食べておりません。そして、六時ごろか、しなそばをとって、それで、食べろ、食べないと困る、口をあけてでも食べさすというようなことを何か言ったそうです。署長と刑事と交互に調べたそうであります。その晩十一時ごろ自動車で送ってきたそうです。大沢野署と片掛部落の距離は四里あるのです。おそらく十時ごろ終って、それから自動車で送ってきた。山道ですから時間がかかります。それからの様子は、腰巻一つになって、はち巻をしめて、夜の夜中、庵谷の方に行く一里半くらいのところに隧道がありまして、非常に危険なところでありますが、その隧道の山道を歩いたり、目は血走って何を言っているかわからないそうです。それから、楡原に日蓮宗のお寺があるが、そこへ夜の夜中一里半のところを歩いて往復するというようなことで、もう手に余るので、きのうの電話では、きょう入院させるというようなことを言うておりました。ですから、きょう入院したかあるいはきのう入院したか、この点はまだわかりません。
  56. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 そうしますと、それは警察署の過酷な取調べが原因で発狂していると、こういう認定なんですか。
  57. 松岡松平

    松岡松平君 それは、部落民がここにたくさん来ておりますが、みなそう言うております。
  58. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 どうもその程度でははっきりしません。やはりこれは、ああなたの方としては、できましたら――あなたの方というよりも、できますれば、そういう重大な事実でありますから、医者の診断書とか、あるいは発狂の原因とか発狂の状況、つまり病状等についてもう少し明らかにしませんと、村人の伝聞証言的なものでは、どうもわれわれとしましても進めようがないわけであります。  そうしますと、この人権問題の要点は、警察官の暴言並びにそういうような職務を逸脱したような、他人の名誉を棄損するようなことを伝達したような事実、あるいは今のように被疑者でない者の取調べが過酷であったので発狂したといううわさがある、こういうことなのですか。それとも、さらに進んで、犯罪の容疑の事実はないにかかわらず、家宅捜索をやったのが違法であり、軽々に令状を出したことが越権である、これはこういうような点に集約されるのですか。今の人権問題はどういうことなんですか。
  59. 松岡松平

    松岡松平君 これは個々の現象と全体の動きと二つに分けて考えていただきたい。全体の動きは、要するに、私及び田中上林議員に対する一つの容疑を作り上げようとする意図、こういうものが中心になっておる。それで、そのために約三カ月間村へ警官が出かけていって、警察官が個々に調査をする。働き場所まで出かけていく。それから参考人を連日にわたって取り調べておる。被疑者以上の取り調べをやっております。一例をあげると、過酷なる取り調べを受けた者は、水戸、それから佐藤政勝、それから林の夫人、佐藤の夫人、その他部落委員、これは非常な連日過酷なる取り調べを受けて、つまり、勤労に差しつかえを生ぜしめるのみならず、非常な畏怖の念を与えておる。その他、聞き込みと称して村へ絶えず刑事を派遣して、この金は分割すべきものである、総代を林にしておったらおしまいに何もなくなるというような、警察官が介入しまじき民事関係に介入して、それを慫慂して歩く。従って、部落の林、佐藤に対する支持をやめろ、こういった民間の生活に干渉し民間の法律関係に干渉を加えておる。これは越権行為であります。それから、つまり、今申し上げました参考人を被疑者同様に取り調べておる。佐藤政勝に対する取り調べのごときは、検事局警察と交互に調べておる。警察へ二日も置いて、また検事局へ三日も置いて、その間に警察官がまた呼び出す。これでは大ていの者は参ってしまいます。そして、ことに佐藤政勝というのは次席検事が調べた。うそをつくならお前を法廷へ出して宣誓さして、そしてその上偽証でたたき込む……。これは、一体、次席検事であろうとどなたであろうと、取り調べ官が取り調べるべき相手方に対して畏怖の通告をなすべきものではございません。これははっきりした事実です。本人もここにおります。こういうこともあります。その他幾多、現地についてお調べ下さればまだまだたくさんあると思います。ですから、言いかえて申しますれば、見込み捜査、つまり一つの意図を持って、見込み捜査をもって臨んだということは、これは捜査としては違法だと思う。確たる証拠がないのに、犯罪あるかごとく一つの推断を下して、それによって捜査を進めていく、こういう考え方は、捜査の違法であります。それに基いていろいろな現象が生まれてきておるのです。たとえば、近藤航一郎弁護士のところへ白田という刑事が参りまして、まことに先生気の毒だが松岡氏を――某氏と言います。あの某氏も一両日中に逮捕する、田中議員も逮捕する、上林議員もいけない、まだ一人いるかもしれない、こういうことを白田刑事がぬけぬけと近藤弁護士のところに通告に来ておる。それから、新聞社に情報を流しまして、もう一両日中に、先週の土曜日と日曜日と月曜日の間に、松岡に対する逮捕状を持っておる、それで執行するのだという情報を警察官が流しております。これも畏怖の通告であります。脅迫であります。それから、田中議員から先ほど言われたように、上町に陣取っている刑事どもが情報を流しておるというのは、いやもう犯罪は確実だ、逮捕は確実だ、こういうようなことがあるということを言っておるというようなことも、ほかからも聞いております。要するに、十八名からの警察官が東京のまん中へ来ておったわけです。こういうことは異例で、おそらく警察署には今までこういうことはなかったのじゃないかと思います。それほど東京において捜査すべきものであったならば、警視庁にこの事件を移管して調べるのがいいのです。それを、莫大な費用をかけて、宿屋に陣取って、そうして警察費を使うべきものかどうか、私は非常に問題だと思う。そうして大沢野署長がこういうことを言っております。本件を調べるについて、非常にえらい人からわれわれは指図を受けている、こういうことを言う。それを情報をとってみますと、益谷衆議院議長の名をもって大いにこれをやれと言っていった者があると伝えられております。それがだれであるか、まだ私らははっきりいたしません。益谷衆議院議長の名をもって本件は徹底的にやれと言っていった者があるそうであります。これも聞いております。ですから、なかなかたくさんございまして、今ここで一ぺんに申し上げるには数が多過ぎるのです。そういうわけでございます。
  60. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 ここで益谷議長の名をもって大いにやれというような何かが出たと言われる、それから警察署で――大沢野警察ですが、署長も過酷な尋問をしたと言われる。そこで、黒幕と称してあなたがさっきいろいろ御指摘になりました中に内藤隆ということもおっしゃっている。内藤隆といっても私全く存じないのですが、何派に属してどういう経歴の人ですか。
  61. 松岡松平

    松岡松平君 私は内藤隆君がどうこうしたということは申し上げたのではありません。内藤隆派の運動員がこういうことを言うて歩くというのです。内藤隆君は自民党です。現在二回落選しておりますが、自民党です。
  62. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 今の概況及び概括的な御説明の点は大体よくわかるのでありまして、両君のみずからの立場について、捜査が行われたという点、これは御説明の御意向はよりわかるのでありますが、ただ、他のすでに起訴されている第三者の被告人の問題、それから、それを弁護しておられる弁護士関係、その他全く第三者の関係に属しますものは、きょうは全くあまり材料もなしにお話しのように伺いますので、御説明も御答弁もぼやっとしてしまって、伝聞的なお話のようにお伺いしたのであります。御本人の点につきましていろいろと憤慨しておられますことは、その通りであるとするならば、もっともなことであると思うのであります。ただ、私はお二方に伺っておきたいことは、あなたら御自身の人権がじゅうりんされているというので、それできょうは一身上の事項についていろいろと御説明になったわけであります。今お述べになっておる範囲だけでは、どうももう一つ積極的な内容、事実関係及びこれを証する関係がどうもはっきりしにくいのでありますが、これはいずれ何か書面なんかもお出しになると思いますけれども、そういう意味におきまして、今後これをさらに当委員会におきましていろいろな証拠づけたものなどをもってこの委員会の活動を要求せられる御意図になっておるのだろうかどうだろうか、この辺を一つ今後のために聞いておきたい。
  63. 田中彰治

    田中彰治君 私の人権のじゅうりんされたということは、先ほど申し上げました通り、別に林唯義小切手を割ったのでもなければ、松岡小切手を割ったのでもない。住友銀行小切手を、しかも銀行の振り出す小切手を二日かそこら立てかえたものであって、それについては田中彰治というちゃんと裏書をして、田中彰治の当座から入れて、銀行交換所で交換されておるのですから、何も家宅捜索しなくても、私を一回呼んで、この小切手が来たかどうかとお聞きになればはっきりわかる。それを、新聞社に、田中の家を家宅捜索するのだ、汚職で捜索するんだというので、富山県の毎日新聞の記者を同道してきて、東京でそのニュースを流して、ああいう新聞にでっち上げた。まずこれが私の言う一点。それから、捜査令状には現金のことは何も書いてない。帳簿とかそれに関係あるメモと書いてある。それにもかかわらず、私の家にあることごとくの現金を一々勘定して、そうしてそれがために非常に捜査が長くなったので、知られぬでいい人にうんとそれが知られた。現金にさわれと書いてないものをさわったのだから、これはもちろん逸脱行為である。それから、電話などは、私は国会議員ですからいろいろな電話がかかってくる。その電話をふいにして、結局電話を使わせなかった。自分たちは勝手に私のうち電話を使っていた。それから、政治事務所ですから、陳情書とかいろいろな書類がたくさんございます。それを秘書が、これは自分の係の書類、これは自分の係の書類と分けてやっていたので、自分の畜類を見られるときにはそれに立ち会う。そうすると、お前そんなところに立ち会わぬでいいと言って、秘書をみな遠ざけてしまった。こういうことが一つ。それから、金庫を捜索するときに、現金が入っているから、かぎは今ないのですが、かぎを持っている者を探すから待ってくれと言うと、かぎがなければ金庫屋を呼んできてこわしても持っていく、捜査令状を見ろと言ってどなった。それで、私が耐えられぬで、ほとんどふだん着のままで、――養鶏場におったのですが、私が飛んでいった。そうしてかぎを持っている者を探してあけさせたのだが、その金庫の立ち会いも、立ち会ってはいけないと言ったのだが、私が立ち会えと言って立ち会わした。そういう点が一つ。それから、上林田中赤坂の待合で金をもらったことは間違いないのだということを宣伝して歩いた。しかもこれはうち秘書にも宣伝している。あるいはまた私のところへ五十万円で記事を売りに来た。今刑事局長の方に出しましたが、その人にも知らしておる。いやしくも警察の刑事が捜査に来ていながら、自分の友だちか何か知らないが、そういう者にこの事件の真相あるいは家庭状態まで知らして、それを持っていけば田中がびっくりするだろう、――金をとってこいとは言っていないが、それで私のところへ五十万円で売りに来た。私が怒って断わらした。そうしたら読売新聞へ行ったが、読売が毎夕へ行ったらいいだろうと言ったら毎夕へ行って、こてんこてんに断わられて帰ってきた。そういう点が一点。それから、上林君には事件がない。にもかかわらず、そういう関係のない者を警察が頼んで、そうして山本猛夫、これはやはり代議士ですが、そういう人のうちが近いならとにかく、杉並だから相当ある。そこまで行って、上林を引っぱらぬと面子が立たぬ、田中松岡はだめだ、これには君たちは自民党だから協力はできぬが、上林君なら社会党だからいいじゃないかと言って、そういう人を使ってやっておる。しかもそれは元法務省におったような関係の人を使ってやっておる。そういうことは間違いなく人権じゅうりんです。それから、林の細君、これは今三十九度の熱が出ている。これが診断書をとることもできない。手を合せて飛んで歩くために、診断書をとることもどうすることもできない。これは警察がこわい警察がこわいと言って飛んで歩いているのだから、吉田先生など行ってごらんになるといいと思う。今吉田先生から松岡議員に質問がございましたが、なるほどかたい弁護士さんだから無理もないでしょうが、こういう事件の解決をつけたりしてお互いに裁判するとか争うとかいうことなら付でしょうが、お互いが両方で円満に示談にしたということなのだから、やはりそう厳重に一々虫めがねで書類を見るとか、字がこっちへはねているとか、そういうことまでやらぬでもいい。こういう事件になってみると、やはりそういうように言われると、それは松岡さんにも多少の部落民の代表の委任状とか決議文とか信じた点があるかもしれませんが、しかし、それは内容に立ち入った問題であって、松岡さんが今やられてここでもって弁明し、人権じゅうりんされたということは、部落民から収賄したかしないか、したものとして疑惑をこうむっておるから騒ぐのであって、そういう点を吉田委員あたりから御賢察願えれば、私はおわかりになると思う。また、私などは、これはだれもやることなので、委員の方が金を持っておるならば、田中彰治小切手とか人の小切手なら別ですけれども、住友銀行小切手で、金がどのくらい渡ったかわからないが、銀行支店長から、うち小切手だから何とかやってもらいたいと言われて、金があるとすれば、――長い期間なら別です。一日や二日なら立てかえてやるということは当然のことなんです。もしそういうことが吉田さんがおかしいとおっしゃるなら、私は今立てかえた人の名前をたくさん出します。私は一千万円でも五百万円でも立てかえておる。それは個人の小切手ですが、銀行小切手ですから立てかえた。こういうことが商取引という点から行われることは御高察になればわかると思う。
  64. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 なお田中君にちょっと伺いますが、問題はやはり、千五百万円の金を林君が銀行定期預金をした、さらにそれを担保に金を借りるというようなことは、やはり少し罪じゃないだろうか。罪になるとかならぬとかいうことは別ですけれでも、あなたのように金を五百万円とか一千万円とかをむぞうさに立てかえてやるということは、これはよしといたしましても、やはり政界あるいは社会の練達の上でありますから、こまかい百姓の命を預かっておるような、そんなものは定期預金にしておいて、それを担保銀行から金を借りるというようなことはいかぬぜ、やめておけというように、――最初あなたが言われたように、決算委員会示談に介入してはいかぬというようなことはあなた御自身お認めになっておる。それを同じように、百姓のこまかい金を、林が定期へ入れたものを担保に金を借りることは、五百万円を借りる、そんなことはいかんというふうに御注意になっておればその方がよかった。五百万円を立てかえてやるということはよろしいけれども、こういう注意をすべきがむしろ私どもとしては望ましいのです。だから、そういう点はあなたなりあるいは松岡氏なんかが逆に林君の資金活動を容易にしたというようなことになりはしないだろうか。さりとて、別に、これが犯罪の容疑ありとか、そんな考え方でものを言っておるじゃないのであります。とにかく親切が少し過ぎたのではないか。親切が過ぎて、おかげで泥田へはまったような印象を受けないでもありません。千五百万円についてはそういうことです。  もう一つ、五百万円の使い道については、あなたも松岡氏から報告を受けたかしれませんが、あなたのことだからそんなこまかいことは聞かぬかもしれません。あっちこっち金を渡したということについては、それはいかぬじゃないかというように注意をしておいてもらったらよいのではないかと思うのだが、その点抜きにして、かえって何も知らぬ林という人に金を立てかえてやったということをあなたがしておるので、要らぬ疑惑を受けたのではないかと思っておる。これはあなたのために惜しんで聞くのだが、このくらいにしておきます。
  65. 田中彰治

    田中彰治君 私は金を借りるとか株を買うとかということに介入しておらないのですけれども、ただ、彼が百万円の現金、四百万円の小切手をもらって、松岡さんに立てかえてもらいたい、現金化してもらいたい。ところが、松岡さんは、家内が金を預かっておるのでむずかしいと言われた。それで、田中さん、あなたのところにあったらというので、それがあったら立てかえてやろうというので、私が来て見てあったから、私が立てかえてやった。株を買ったとかどうしたとかいうことは関係ないことで、林唯義なんか二回か三回しか顔を見ておらない。食事一回したこともないし、お茶飲んだこともないから、私にそんなことは関係ないのです。しかし、立てかえた金は、銀行小切手で、同僚松岡君から言われ、部落から言われて、かえたいということになれば、あれば立てかえるということがほんとうで、立てかえてやらなかったらおかしいじゃないのですか。  また、こういう理論もあります。それは、村へ帰って、金を現金部落へ持って帰って、千五百万円途中でとられてしまった、あるいは、百五百万円の闘争資金の中からも領収書が出るとか出ないとかいって横領とかなんとか言われているんだが、千五百万円も、お前持って帰って部落にやれよといって持っていったがみんな使っちゃったということになれば、これもやはりそこに親切が足りなかった、君預かっておいてやったらいいじゃないかということで松岡さんに御質問されると思うのだが、吉田先生、僕はいいですよ。僕はそれは四百万円立てかえてやって金をもらったんだから、僕はだれが何と言っても何でもないが、それを松岡さんに、あなたが言われるようなそんな神様のようなことはお互いにできませんよ。
  66. 吉田賢一

    吉田(賢)小委員 ちょっと法務大臣に伺っておきます。今お聞き及びのような経過をたどりまして、この事件が大きく地方的に扱われておるのは、これは事実らしい。そこで両議員から一身上の弁明の趣旨においていろいろお述べになっておる。それからまた、被疑者でない人が発狂したようなうわさがある。こういうような、確証がないから真偽はわかりませんが、でありますから、そういうようなことがこの委員会で述べられておるのです。いずれにいたしましても、正否黒白を明らかにするということは、これはやはり司法権の使命でありますから、そういう趣旨におきまして、どういうふうに今後あなたの方ではお扱いになっていくのか、警察の取締りをどうするのか、あるいは益谷衆議院議長の名前までも出たようなことにもかんがみまして、事いやしくも軽々にすべきでないというふうにも私は考えるが、法務大臣としてどういうふうにお考えになっておるか、どういう方針でこれに臨もうとしておられるのか。同時に、やはりこれは警察を取り締る警察庁長官のお立場も同趣旨において私はその所信を明らかにしておいていただかなければならぬ、こう思います。両方の御答弁を求めます。
  67. 中村梅吉

    ○中村国務大臣 事柄は、国会に議席を持っておる人の名誉に関することでありますと同町に、また若干国会の審議にも関係のある手柄のようでありますから、最も慎重に事件を処理すべきであると思います。従いまして、私どもといたしましては、できるだけ迅速に適正な新論を得るように、問題のあり方を明確にするように関係当局にできるだけ指示をいたしたいと思います。なお、いろ、いろお話によりますと、検察及び警察関係の処置に人権じゅうりんのかどがだいぶあるようなお説も承わりましたが、人権じゅうりんはいやしくもあってはならないことでありますから、今後かようなことのないように十分注意をいたします。  それから、捜査についても手落ちがあるという御指摘もございました。私ども常識から考えますと、たとえば林、佐藤等の横領事件を起訴するとするならば、その闘争資金五百万円というものは一体どういう内容を持っておるものか、たとえば闘争のために何カ月もひまをつぶしたもののある程度報酬の意味も人っているのかどうかというような点が、横領としてきめつける上において最も重要な焦点をなすものだと思うのです。これは私の常識的な抽象論であります。そういう観点から言いますならは、この五百万円の闘争資金をとりきめ、あるいは授受に関係をした人たちをできるだけ警察や検察関係は事実を確かめてから事件の最終的処理をするのが私は当然ではないか、この点を考えてみますと、どうも率直に言いますと、私は、関係松岡氏も調べられていないようだし、北電の社長、副社長あるいはその日立ち会いました秘書課長らが調べられておるかどうかまだ承知いたしておりませんが、そういうような点につきましても、捜査はできるだけ慎重であると同時に、的確でなければなりませんので、具体的な指示は別といたしましても、事件の迅速かつ適正な処理を進めるように私どもとしては万全を期したい、かように考えております。
  68. 石井榮三

    ○石井説明員 およそ犯罪捜査に当ります私ども警察といたしましては、単なる見込み、予想に基く、あるいは先入観を持って捜査をするということであってはならないのであります。特に、ある意図のもとに外部からの働きかけ等によりまして特定の者を目標にして捜査をする、こういうことは捜査としても全く邪道であると思いまして、私、かねがね第一線の諸君にはその点を十分に注意をいたしておるのでございます。どこまでも、犯罪容疑事実を先見いたしました場合に、それを科学的、合理的に掘り下げていって真実を究明する、その結果として被疑者に到達をする、こういう捜査のあり方でなければならぬ、その間におきましては、もとより申すまでもなく基本的人権を尊重しつつ、どこまでも納得のいく合理的、科学的な捜査を積み重ねて真実の発見に努める、こういうあり方でなければならぬと思って、かねがね第一線の諸君にはそういうふうに指導いたしておるつもりでございます。今回起りましたこの富山県の事案におきざして、先ほど松岡田中先生からいろいろ具体的に御例示になりました、あるいは警察官の言動について、あるいは捜査の方法について、いろいろ御指摘がありました。さっそく私は、それらの点につきましては、現地の取調べの実情、捜査の実情と、またこれに関連を持つ警察署の警察官の日ごろの言動がどういうものであったかということにつきまして、詳細かつ正確に迅速にこれを調査をいたしたいと思っております。そして、もしその間に不幸にして行き過ぎがありますならば、これはもとより今後において再びあやまちを繰り返すことのないように十分自粛せしめるとともに、また、その行き過ぎの行為について責任をとるべきものにつきましてはその責任を追究するということもあわせ考えなければならぬと思っております。同時に、事件そのものの全般の取扱いにつきましては、これは先ほど法務大臣のお答えもありました通り、私どもといたしましても、検察当局と十分に緊密に連絡をとって迅速かつ適正に捜査を推し進めるように、第一線をこの上とも督励かつ十分な配慮のもとにやらせるようにいたしたい、かように考えております。
  69. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 上林山榮吉君に質疑を許します。
  70. 上林山榮吉

    上林山榮吉君 関連して法務大臣と警察庁長官にお伺いしておきたいのですが、ただいまの御答弁で大体の方針はわかったわけでありますが、田中松岡町議員の一身上の弁明を聞きまして、われわれは同僚の言としてこれを信用いたしておるのでありますが、われわれとしては、社会から暴力や汚職を追放するのにやぶさかでないし、検察当局や警察当局かその公平な立場から職責を全うすることについても、むしろ御援助を申し上げたいくらいの気持を持っているのであります。しかし、今お聞きの通り、具体的に人権じゅうりんの話をそれぞれ私どもは承知をしたのでありまして、これに対しまして法務大臣から一般的な抽象的な御方針を示され、警祭庁長官からまたこれに対して付隣してのお答えがあったわけでありますが、私はここでお尋ねい、たしておきたいことは、今御所信を述べられた方針に従って、具体的な事実を迅速におつかみになったならば、事件の途中においてでも、それぞれの法に照らして、行き過ぎに対し、あるいは法の違反に対して厳重な処分を行う、たとえて言いますと、単に自粛せよという程度のものではなくて、現実に処分等に対する処置をする、こういうところまでのお考えを持っておるか。そういうお考えを持っていなければ、検察の威信もないし警察の威信もなくなるだろうと私は思う。事件の途中であるからというような意味で穏便なる、普通のありきたりのいわゆる自粛自戒をせしめるというのでは、人権は尊重されないと思う。だから、それくらいの御決意があるのかどうか。あるいは、この事件がもし事件にならなかった場合、私どもは事件にはならないと考えておるのでありますが、そういう場合について、たとえば懲戒免職なりその他のはっきりとした御処置をなさるくらいの御決意を持っておるのであるか。これは調べてみなければわからぬ、こういうふうにあるいはおっしゃるかもわかりませんけれども、それくらいの御決意かなければ法の威信というものは保たれないのじゃないかというように考えるのでありますが、この二段に分けての私の賛同にお答えを願っておきたいと思います。
  71. 石井榮三

    ○石井説明員 私ども日ごろから非常に信賞必罰ということははっきりさせておるつもりでございます。従いまして、今回のこの事件につきまして、先ほどお答えいたしました通り、いろいろ問題点として両先生から御例示になりましたような点につきましては、至急に調査をいたしまして、その結果いかんによりまして、ただいまの御質問のように、迅速にその関係警察官を処分しなければならぬという問題がありますならば、もとよりそれも考慮いたします。また、事件全体の終結いたしました後において、全般的観点から責任者の処分をまた考えなければならぬという事態になりますならば、そのときにも、先ほど申しました通り、信賞必罰の原則に照らしまして十分に善処させるようにいたしたいと考えております。
  72. 中村梅吉

    ○中村国務大臣 今石井長官も申しましたように、私どもといたしましても、もし取調べ上に不都合のかどがあるならば、これはあくまで信賞必罰の原則に基いて処置すべきであると思います。ただいま私の方といたしましては、井本刑事局長も同席をいたして先ほど来のお話は重々具体的に拝聴いたしておりますから、そういう点につきましては、それらの事務当局から十分問題の事実の真相を取り調べるように進めたいと思います。  なお、実は、この問題につきましては、いろいろ行き過ぎのようなことがあっては相ならぬと思いまして、この事件の富山は名古屋高検の管轄でありますから、名古屋高等検察庁から平岡という老練の検事を最近富山に出張させまして、十分万全を期するようにはいたしておりますが、今後ともわれわれといたしましては十分注意をして参ずたいと考えております。
  73. 上林山榮吉

    上林山榮吉君 法務大臣の答弁は私は満足であります。名古屋高検の検事をわざわざ派遣されて慎重を期せられたということは非常に適切な処置であると思いますが、石井警察庁長官に私伺いたいことは、ただいまの御答弁を聞いておりますと、まだ事件の概略すらも御承知でないように聞いたのでありますが、富山警察本部から何らの連絡も過去においてなかったものかどうか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
  74. 石井榮三

    ○石井説明員 事件の概要は、冨山県警察から私ども報告に接しております。しかし、まだ捜査の過程にありますので、その内容に立ち至ってかれこれ申し上げることは控えさせておいていただきたいと思うのでございます。先ほどお答えいたしました通り、この問題につきましては、当委員会におきまして本日このように重大問題としてお取り上げになりましたことにもかんがみまして、われわれ警察として、反省すべき点は十分に反省し、今後十分に工夫をこらしまして問題の処置に誤まりなきを期していきたい、こういう覚悟でおりますことを申し添えまして、お答えといたしたいと思います。
  75. 上林山榮吉

    上林山榮吉君 冨山県の警察本部から横浜の下坂という人を参考人として呼び出しておりますが、こういうことはやろうと思えばもちろんやれるわけでありますけれども、適切なやり方だとごらんになっておりますかどうか。これでいいのかどうか。あるいは警視庁あたりに全権を委嘱して取り調べる、こういうことではいけないのかどうか。この点を明らかにしていただきたいと思います。
  76. 石井榮三

    ○石井説明員 当該県内に住まっておられない遠隔の地におられる方を参考人としてお呼び出しをする場合ですが、通常の場合は、参考人の現住しておられる地の警察に取調べを委嘱する場合もあります。しかし、事柄の性質いかんによりましては、直接捜査をやっております県におきまして、多少遠隔の地でありましても、現地で取調べをする、あるいは現地に来ていただくということをやっております場合もあります。これはそれぞれの事案の内容のいかんによることであります。また参考人自身の御事情等も参酌して考えていくという場合もあり、一がいには申されないと思います。
  77. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 坂本泰良君。――坂本君に申し上げますが、大臣は一時半までということで委員会に出席しておられますので、もう時間が参りましたから、なるべく簡潔にお願いいたします。
  78. 坂本泰良

    ○坂本小委員 二点だけちょっと伺いたいと思います。  まず松岡君にお聞きしたいのでありますが、本件は、あなたは弁護士事件としてお取り扱いになったのか、あるいは決算委員会事件としてお取り扱いになったのか、その点は基本的にはっきりしなければならぬと思います。私たちは、この問題は決算委員会の問題として、片掛部落農民の方々に損害をかけてはならない、これに対しては電気会社は十分の補償をしなければならない、補償しないのはいかぬじゃないかというので、現地調査もやり十分なる審議をいたしました。その後においての解決の問題であります。この「真相」をお読みしましても、先ほどからの御説明を聞きましても、どうも松岡弁護士としての弁護事務としてお取り扱いになったようでもあり、また委員会としてやったというようなことでもあるようですが、その辺はどういうふうにしておられますか。
  79. 松岡松平

    松岡松平君 その点は、昭和三十年五月に依頼を受けたのは弁護士としてであります。国会議員としてそういう部落の紛争の中に交渉に行くということは、弁護士として行っております。それを十二月に決算委員会でお取り上げになりましたから、決算委員としてこの調査に参加いたしました。しかしそれは観点が違う。金銭の要求は初めからいたしておりません。護岸を要求しておった。従って、あとの解決も金銭の補償ではありません。これは普通の事件として私は介入し処理したものであります。決算委員として処理したのではございません。ですから、中間に決算委員会調査はございます。それは決算委員会調査であります。要するに、護岸の資金計画があったかどうか、護岸をすべきであったかどうか、この点について調査を進められたことは事実であります。しかし、この事件はあくまでも両者の民事的な争いであります。その民事的な争いを解決したということであります。
  80. 坂本泰良

    ○坂本小委員 そうしますと、補償が千五百万円、闘争費用が五百万円――産業開発協力金として千五百万円、闘争実費として五百万円。この解決をされたのは、あなたは弁護士として代理事務としておやりになったのですか。
  81. 松岡松平

    松岡松平君 私は弁護士としてその中間に立って双方のためにあっせん協力をしたのであります。調印には代理としては入っておりませんが、双方のために私はとりはからいました。
  82. 坂本泰良

    ○坂本小委員 そうしますと、われわれ決算委員会で取り上げたのは、村民に被害を及ぼしてはいけない、村民のために、部落民のためにしなきゃならぬというので再三審議が行われ、松岡議員は決算委員として非常に御熱心に、北陸電力ですか、これに対しては非常な御質問もあったわけなんですが、弁護士個人としてやったとおっしゃると、上林委員長とか前田中決算委員長とかを招待していろいろやられということも考えられないと思うのですが、やはり決算委員としていろいろのこともあったから解決がそこに緒を見て解決に至ったのじゃないか、こういうふうにわれわれは決算委員会の審議にあずかった者として考えるわけなんですが、そうじゃないのですか。
  83. 松岡松平

    松岡松平君 お答えします。決算委員会がこの問題を取り上げて親切に調査していただいたことが解決の促進になったことはいなめません。従って、その間の調査のためにお骨折り願った同僚議員に対して地元国会議員として謝意を表するのは当然だと思います。その点はき違えないように。私は、代議士だから銭もうけしようとか、決算委員だからどうこうということは考えていないですよ。一つも性質は変らない。最初受けたときは弁護士で、最後も弁護士だけれども、中間に決算委員会が働いておる。非常に大きな役割を持っています。これは否定できません。
  84. 坂本泰良

    ○坂本小委員 どうもはっきりおっしゃるが、しかし、あなたは事件の依頼を受けてほとんど弁護士としての仕事をしておられぬじゃないかと思うんですけれども、これは、決算委員としてこの問題を取り上げて、そうして、この問題が、最初の護岸工事をしてくれというのが、それにかわる産業開発資金の千五百万円、こういうふうにかわって、そうしてはお闘争資金というのが――われわれもあと決算委員会理事会であなたの説明を聞きましたけれども、五百万円というのがなかなかわからないのです。しかしながら、自分が責任を持ってそれをやるのだと言うから、われわれはそうしたわけなんですけれども、果せるかなこの五百万円の闘争資金部落にたった二十数万円の土地の買収費だけしか行っていない。やはりそれは、私は事件の真相は知りませんけれども、代表者であった林、佐藤がこの五百万円についての問題の処置があった、さらに金谷という方に五十万をやった、そういう点がどうも――弁護士の代理としてやったから金谷に五十万円やった、代理事務の範囲内でやったと言えばそれはそうでしょうが、やはり決算委員会も非常な審議をいたしまして、ここに闘争資金の五百万ができて、さらに産業開発資金の千五百万円が出てきた。それに対して、一人の者に対して五十万も個人でやるという点に非常に問題があるじゃないかと思うんです。さらに、われわれは、吉田委員もそうですが、決算委員理事といたしまして、この問題が解決後に、田中彰治氏の配慮によって理事会だけには話そうと言って話されたけれども、ほとんど簡単な結論だけであったのです。その後この部落の方から益谷議長に陳情が来て、そうして決算委員会松岡議員の説明を聞いたけれども、そこでもまだはっきりしなかったのですが、いよいよ刑事問題が展開して、本日「真相」というのを見まして、さらに松岡議員の御説明を聞いて、なるほどこういうような関係で解決し、解決後に株を買うとかあるいは一人の個人に五十万円やるとか、五百万円の闘争資金部落にたった二十数万円しか行っていないということがはっきりしたわけなんですが、そうしますと、松岡氏は弁護士としてこの事務をやったとおっしゃるが、やはり決算委員としてもやられた。そうすると、決算委員を利用してやったというふうにも受け取れるわけですが、それでもあなたは弁護士の事務としておやりになった、そうしてその千五百万円並びに五百万円の処分方法その他についても弁護士としておやりになった、そういうことになるのですか。その点お聞きしておきます。
  85. 松岡松平

    松岡松平君 お答えします。あなたも決算委員ですし、私も決算委員ですが、決算委員会がそういう民事の妥結に介入すべき事柄ではない、このことは初めから問題になった。委員会はそういうことに介入すべきじゃないということになっている。そのときに委員長も、田中議員からその点については自分らは介入できない、だから地元代議士でも弁護士でもある君が、これを親切に処理してやるべきだという意見も述べられております。それから、あなたが今言ったのは非常な誤解がある。村に一銭も返っておらぬと言うけれども、二百八十万円という金が五百万円の中から戻っているのです。もう一ぺん申します。私が報告を聞いたところによりますと、五百万円の金は、三百八十万円は村に戻る、五十万円は金谷に、十万円は斎藤という地質学者、十万円はその土地の所有関係者、百十三万円が林と佐藤、三十数万円は部落に戻して部落の総会において再び報償金としてもらったそうです。そういう経過なのであります。  それから、話がもう一ぺん戻りますが、坂本さん聞いておって下さい。決算委員としてこういうものに介入すべきものではありません。民事の争いに決算委員は介入すべきものじゃないので、民事の争いがたまたま決算委員会に取り上げられて調査をされた場合に、弁護士である国会議員がその調査に参加することはできないというわけはありません。その関係を御理解願えばわかります。ですから、私は弁護士なるがゆえにこの問題に介入した。あなたが弁護士らしい仕事をしておらぬとおっしゃるけれども、弁護士の仕事にはおよそ鑑定……(坂本小委員「それは知ってるよ」と呼ぶ)君は関係しておらぬとおっしゃるから……。関係していますよ。
  86. 田中彰治

    田中彰治君 坂本さんに決算委員として私は申し上げたいんだが、私もこの事件は途中ですからよくわかりません。一体この事件を取り上げたのはあなたの方の委員長です。あなたの方の三鍋君も選挙区だ、松岡君も選挙区だというので、われわれ途中から関与したわけです。そのときに、決算委員が調べるときに、土地の売買とか交換とかがあってはだめだぞ、そのほかに何かあるのかと言ったら、委員長は、このダムを作るときに開発銀行から金を借りている、金を借りるには計画書が出ている、いろいろな説明書が出ているから、その通りやっているなら護山がくずれるようなことはないはずだ、また通産省がこのダムの許可をするにも、そういうものが条件となっているからということで、そういうものが実際計画通りにやってあるのか、やってないがために部落が迷惑するのかということは決算委員会質疑したけれども、これに金を渡せとか闘争資金を出せとかいうことは決算委員会はやっていない。それでも、委員長から示談にしようというがどうかと意見を聞かれたから、部落がやる示談はけっこうだ、決算委員会が中に入ることじゃないというので、決算委員会は切れちゃった。しかし、あなたの言う通り、決算委員会は取り上げたのだから、その事情をありのまま知らせなさい、決算委員会のお世話になったが、お互いに示談になったからお取り下げ下さいということで書類を出して、あなたの方の委員長が読んでおる。それから、秘密事項も、秘密にしてくれと言われるやつも、委員長がそれを取り上げて、しばらく秘密にするように言われた。それはあなたの方から出ておる委員長がお取り計らいになったのだから、よくお聞きになった方がいいと思うのです。別にこっちに責任のないことです。それから、あと松岡さんが契約書みたいなものを出されることについて前にどんな依頼を受けたかということはわれわれはよくわからぬわけです。  もう一つ、私は刑事局長警察庁長官に申し上げますが、私の申し上げたことは、あなた方がお調べになったことでよくおわかりだと思います。田中の金が幾らあるか、上田清次郎小切手をたくさんもらっておりますから、住友銀行に先月の二十日のものもございますし、七月の二十日、八月の二十日、来年の一月まで上田清次郎小切手が続いてあるのだから、この点もよくおわかりになったと思う。そうすると、住友銀行の事情のわかった小切手に対し家宅捜索をされ、汚職のような宣伝をされ、私のうちの養鶏所までもみんな調べておる。一体そういうことをしなければならないのですか。何かおかしいことがあったら引っぱったらいいじゃないですか。田中松岡は引っかからぬ、上林をひっかけなければならぬということで、わずかの営林署の払い下げの問題まで相当の人を使ってやるような、何か自分たちの立場に困るから、何でもいいからでっち上げたいということで今やっているが、そういうことはおやめになったらいいじゃありませんか。何か事件があるなら引っぱったらいいじゃありませんか。私がどんな関係があるというのですか。こんな明瞭な事件をまだ明瞭でないようにあれしてそうして、上林君は金をもらったとか、田中は金をもらったとか、もらったなら引っぱったらよいじゃありませんか。それが事件にならなかったら、あなた方検事総長も全部おやめになればいいじゃありませんか。いやしくも国会議員じゃありませんか。信用と人気の上に立っている者を、汚職だということを先に立ててしまって、事件にならない、何かでっち上げなければならぬ、自民党は政府の政党だから今度社会党へ行こうじゃないかということで上林君のつまらない事件まで今調査している。そういうことはやめさせられないのか。何かあるならここから引っぱって下さい。私は承諾する。あなた方は責任者ですから、一つ納得のいくように説明して下さい。納得いかなかったなら出頭するから引っぱったらいいじゃありませんか。上林君もここにおりますよ。松岡君ならまだ金を預かったとかなんとかかんとかいうことがあるから多少いいですけれども、僕にどんなつながりがあるのですか。刑事局長、どう考えておられるのですか。二人から説明して下さい。
  87. 石井榮三

    ○石井説明員 決して私責任を回避するつもりではございませんけれども、現在の警察の建前といたしまして、日常発生します個々の事件の取扱い処理は都道府県警察がそれぞれ都道府県警察の公安委員会の管理のもとにおいて都道府県警察本部長が最高の執行責任者として処理をしておるので、あります。私が個々の事件について折押する権限は持っておらないのでございます。従いまして、今回の富山県のこの事件につきましても、富山県警察本部長が最高の執行責任者といたしましてこれに当っておるのでございます。私が個々にこの事件をこういうふうにすべしという指揮権を持っておらないのであります。これが現在の警察法の建前でございます。しかしながら、私は全国の警察の全般的な監督の立場にあります。特定の事項につきましては直接指揮し得るものもございます。しかし、今申し上げましたように、ただいまの事件の性質のものにつきましては、私が一々事件の指揮をすべき性質のものでないのでございます。しかしながら、およそ警察のやる捜査のあり方というものはどうであらねばならぬ、捜査に当る者の心がまえは警察官としてどうでなければならぬというようなことにつきましては、私は日ごろ十分指導監督する立場にあるのでございます。その意味におきまして、先ほどお答えいたしました通り、今日この委員会におきましていろいろと御例示になりました点、一々私ども十分に反省をし、また改むべき点は直ちに善処しなければならぬと思われる節が多々ありましたので、至急これが真相を究明いたしまして、改むべきものは改め、今後に処するということをお誓えいたしたのでございます。そういう意味におきまして御了承願いたいと存じます。
  88. 田中彰治

    田中彰治君 この前家宅捜査に来たやつがあまり無礼な者だから、無礼者と言って怒った。そうすると、あなたには別に嫌疑もございません、あなたにつながりはございませんと言う。ないならなぜ来たと言ったのですが、こういう問題も起り、われわれも騒いだので、あなた方が指揮する権限はないといっても、この事件に対する報告は受けているだろうと思う。そうすると、田中はどのくらいの立場にあるのか、上林はどのくらいの立場にあるのか、松岡はどのくらいの立場にあるのかということは、一応向う報告しているし、おわかりになると思う。それを、ああでもないこうでもないと言って、一番不愉快なのは、事件にならなければ承知しない、何とかこぎつけなければならぬということを聞くだけでも、われわれは心外にたえないのです。  もう一つあなた方に考えてもらわなければならぬことは、また社会党委員諸君にも考えてもらわなければならぬことは、これはただ自由民主党の田中とか松岡とか、あるいは社会党上林君の問題ではありません。われわれのような多少権限や権力を持った者でさえもこういうことに侵されるのだから、これが百姓であったり普通の小売商人であったり一労働者であったらどうなりますか。泣き寝入りじゃありませんか。われわれもやはり法律家に研究させたり名誉棄損で告発するし、やはり相手が毎日新聞だから五人も六人も法律家を集めて研究しているから何ですが、そういう発言権のない者だったらここで泣き寝入りじゃありませんか。もう少し事件を早くいいとか悪いとかしてもらわないと、そんなうわさが散らばっているのです。  それから、益谷議長は私の友人だから言いたくないが、益谷議長は内藤隆君の義兄かいとこに当っております。そして松岡君のために二回も選挙を落ちている。まだ証拠がないから言いませんけれども、私は山中温泉に行って調べてこようと思っているが、この事件の次席検事も取調べ検事も、松岡重三と山中温泉で一ぱい飲んでおります。今、国警に聞いてごらんなさい、次席検事が飲み過ぎて腹をこわしているはずです。私はこれは調べてないから言わなかった。しかし、そのうわさがただのそこらにいる人のうわさじゃありません。やはり弁護士や毎夕新聞の記者が向うに捜査に行ったのです。それから、毎夕に出ておりますが、金谷という者が署長におどされて、ありもしないことをでっち上げた手記を自筆で書いている。こういうことがやはり上ってくると、ほうっておけないのです。そういう点は一つよくお取り調べになっていただきたい。私がお願いしておくことは、悪いことがあったら引っぱって下さい。それだけの権利を法律で持っているのだから、応じます。しかし、ただ一回の取調べもせず、呼び出しもせず、しかも田中彰治の捜査令状ではない、林唯議の横領容疑に対する捜査令状を持って田中事務所をやって汚職でございますという。私の子供なんか、今慶応に行っていますが、学校を休んでおります。これが明らかになるまで学校に行かないと言っている。しかも人間としてこれ以上できますか。同僚松岡から一ぱい上げたいから来てくれと言われて行くのは当りまえですが、断わっています。しかも上林委員長から言ってきても断わっている。それじゃ君あまりにひど過ぎるじゃないか、がんこ過ぎるじゃないかというので行ったら、部落民がおったから、こんな連中と飲むのはやめたと言ってて帰ろうとしたら、それをまあまあと上林委員長がとめたり松岡君がいろいろ説明するから、僕はそこで一ぱい飲んでできた。国会議員としてこれ以上のことはできませんよ。人間ですからね。それが疑惑を受けて汚職があるように言われて、どうします。そうして今度は引っかからぬから何かでやらなければならぬ、――私の養鶏場とこの事件と何の関係があるのです。きょうも養鶏場に検事が二人行っている。そしてどこから金を借りて経営をしているとか、そんなことは国税庁のやることじゃないですか。国税庁が、どこから金を出した、どこでもうけたというのならわかるが、それを騒ぎ立てる。一体何ということですか。これは少し刑事局長にも国警の方も考えていただかぬと、今はわれわれの事件だが、代議士なんか葬るならすぐ葬られる。だれかが悪いことをやって、被告になって、岸にもやった、鈴木茂三郎にもやった、あれにもやった、どんなものだったと言ったら、新聞紙にくるんであったから金だと思った、それでみんな引っぱるのですか。それで家宅捜索を受けるのですか。これは決算委員会の問題でも、僕は言わない。上林君があんなにりっぱなおとなしい人だから言わないけれども、こんなことを社会党が言うのはおかしい。自分のところの委員長じゃないか。委員長が取り上げないから、われわれがやった、松岡がやったとか言う。われわれは委員会に諮らないでやったんじゃない。理事会にも出てこないのはその日を忘れたので、それは頭が悪いからだ。自分の方の委員長が取り扱って、自分の方の委員長がやったことだ。そしてわれわれは中に入ってやらぬということを言っている。松岡君が逸脱行為があったかどうか、そんなことは関係ない。  僕がここでお願いしておるのは、国会議員でさえもこんなでっち上げ事件でやっつけられる。上林君は一年半前にわずかのものの払い下げを受けた問題まで、町の警察を使って検察がやっている。そうして事件をでっち上げることは困る。こういうことが人権じゅうりんなんだ。見込み捜査なんだ。昔の強盗か何かやった人間を調べる捜査だ。そういうことが許されるなら、国会議員というものは一晩でも安心して寝られない。国会議員の信用、名誉に関する問題だから、よくやってもらいたい。ただし、われわれに少しでも法を犯す行為があったらお引っぱり下さい。厳重に処分して下さいと言っているじゃありませんか。もう少しあなたの方も本気になってやって下さいよ。そうして、刑事が来て、貴様どうだ、幾ら月給もらうか。秘書が、幾ら月給もらおうと大きなお世話だ。そうして、うち家内をつかまえて、お宅のだんな様は道楽者だから骨でしょうなんて聞く。そんなことをなぜ聞く必要があるか。よけいなことじゃないですか。そういうやり方はいかぬですよ。ぜひとも一つさっそくやっていただいて、そういうことがあるなら引っぱってもらう。ないならこれはなかった、悪かったなら悪かったと言ってもらいたい。松岡君は、それは金を受け取ったとか、預かったとか、契約に立ち、会会っています。私は少くも四百万の金を立てかえただけですよ。松岡君の金を立てかえたり、林の小切手で立てかえたりしているなら言って下さい。住友銀行小切手で、自分が紹介した銀行であり、支店長先生何とかしてやりなさいと言われたからしてやった。当りまえじゃないですか。それで、お礼をもらったとか、利息でももらったとか、一ぱい飲んだとか、お茶でも飲んだとかいうならいい。こんな正しい代議士がありますか。私は実に心外だ。あなたがこれをやっていただかぬことには、私はあしたから街頭演説をやる。私は、警察の信用が地に落ちようが、検察庁の信用が地に落ちようが、あしたから総がかりで街頭演説をやりますよ。私はそういうことをやりたくない。だからやっていただきたい。私は検事総長にもこの告発状を持っていって、私はこう言って告発します。これは人のこと言ったとか言わぬでない。この捜査令状とこの青いたものを証拠にやるのだ。お取り調べ願いたい。しかし、私らに何かあったら、どんなことでもあったらすぐ引っぱっていただきたい。私は厳重に処分していただきたいと申し上げておる。今度は事件にならないから何かないかと養鶏場まで調べておる。どうも家宅捜査で何もなかったから、無理やりに押しつけるなんて、そういうことをやられること自体が間違いだ。一つあなたからよくおっしゃっていただきたい。私はみっともないからあなたにまだ申し上げなかったが、女の子と写真をとったとか、どこのキャバレーに行ったとか、どこの女が出ている写真をとったとかいって、五十万で売りに来ている。そんなこと大きなお世話だ。法律を犯しておるのに、法律に許されている芸者遊びしようが、女を持とうが、そんなことはいいじゃないですか。一つお取り調べ願いたい。それは調べればすぐにわかります。社会党の人ももう少ししっかりした方がいい。上林君だってかわいそうじゃないですか。
  89. 松岡松平

    松岡松平君 私、一言つけ加えておきますが、この富山県の警察の捜査は、一面意図を含んでいると同時に、遺恨がある。私はそれをよく知っております。というのは、かつて二十七年に私どもの選挙に無実の事件をやりました。それが魚津の裁判所で有罪になりました。これも次席総がかりでやった事件ですが、金沢の高裁支部で全部無罪になりました。そのとき、私と対決をしたときに、署長が、誤まっておれば自決しますと言って、やめた。はっきり申し上げますが、検事正も転任になりました。次席も転任になっております。警察隊長も転任になっております。これは当然失敗したらそれだけの処置はとるべきだというのであのときだいぶやかましく言った事件です。それで、そのときの恨みがある。だから、その恨みでどうしても松岡のやつはやっつける、――選挙ではやっつけられないから、私は選挙では倒れないから、どうしても選挙外のやみ討ちを食わせようというのが反松岡勢力の一団の魂胆だ。私は選挙じゃ負けません。しかしながら、こういうやみ討ちはだれでもかないません。実際私はほんとうのことを言うともっと申し上げたいのだけれども、しゃくにさわるのが先に出てしまう。ですから、皆さんにあまりしゃくにさわることをぶちまけてみてもしようがない。  それから、第一、この事件に非常な役割をしているのが、毎日新聞の富山支局の話者、何という男だったかな、悪いやつ、――広瀬、この男は富山の捜査課と検事局の中へまるで忍術使いのことく入って、そうしてこれがあらゆることをやっておる。これは、この事件についてある人のいわく、おそらく三百万円以上も金をかけているだろう、つまり、捜査を扇動しておるやからがこれだけのことをやるには大へんだ……。第一、富山県の警察費の一年分の捜査費を使ってしまったんじゃないか。先ほども申し上げましたように、私の近所を片っぱしから――先ほど田中さんが言うたから私も言う元気になったんだが、あらゆる料理屋に行って、松岡の金払いはどうだ、こういうことを東京中調べておる。これじゃ歩けませんよ。早く引っぱっていただいた方が楽です。ですから、私は花井検事長に申し上げた。私はあなたの所管の人間なんだ、疑惑があったらあなたの管轄だからお調べ願いたい、時と所を問わぬと言っておる。ほんとうに私は真剣なんです。こんなことでヘビのなま殺しで三カ月、五カ月やられたんでは、大ていの者は死にますよ。選挙じゃ負けません。断言しておきます。必ずこの次の選挙には勝って参ります。どんなことをされたって勝って参ります。しかしながら、この人権じゅうりんの前には、いかなる私もかないません。これだけは申し上げておきます。
  90. 坂本泰良

    ○坂本小委員 この問題は国会決算委員会会の審議に関係した問題でもあるし、これは一つ厳重に調べてもらいたい。しかし、調へるについても、やはり人権を無視するようなことは、これは法律上刑事訴訟法で許されませんから、この人権の問題についてはいろいろ出ておりますが、この点は人権の問題として取り上げて厳重に至急にやってもらうと同時に、やはりこの事件の真相は徹底的に究明してもらいたいということを要望しまして、質問を打ち切ります。
  91. 三田村武夫

    ○三田村小委員長 本日はこの程度にとどめ散会いたします。  次会は公報でお知らせいたします。    午後二時三十一分散会