○中村
公述人 私、中村宗雄でございます。早稲田大学で
民事法学、
訴訟法学を専攻いたしております。
本日この
裁判所法の一部改正法案の御審議、――これは大体において
最高裁判所の
機構改革が内容になっております。これにつきまして
訴訟法学の立場からの同答をせよという御
質問でございます。今まで各
公述人が申し上げ、また各位が十分御案内と思うのでございまするが、この改正法案は妥協の案であります。御案内のように、
最高裁判所、法務省、弁護士連合会、それにわれわれ学者の
意見がいろいろ交錯いたしております。
最高裁判所の方でも御
意見が多数説、少数説と分れ、われわれ学究の者にもいわゆる官学と私学とが分れる。それで、相交錯した
意見が最大公約数としてここに出されたのでありますか、不徹底なことは当然のことと私は思います。しかしながら、現在においては、私、
結論から申し上げれば、大体においてこれは
賛成せざるを得ない案、こう
考えております。と申しまするのは、現在
最高裁判所のあり方というものはまことに不安定なもので、いずれ
憲法改正につながる根本的な改革が必要だと、私はこう
考えております。この根本的改心をしない改革案というものは、いずれも暫定的なものであり、妥協的なものであります。この御
質問の事項も、これはどちらにも
解釈できる問題のように思うのでありまして、結局は、この国会の各位の御決定、今後における
最高裁判所がいかにあるべきかというその根本方針からして、これらの条文を
解釈し、また御決定相なるべきであるかと思うのであります。各位においてはもはやこの
最高裁判所の地位またはこの改革案についてのデータは十二分に御存じのことでございまして、今さら私ここで申し上げる必要もないのでありまするが、ただ私多少時間をかしていただきまして、本日のこれらの御
質問にお答えする必要最小限度において、従来のこの改革案の経過と、それから
最高裁判所のあり方についてのきわめて簡単なる分析をさしていただきまして、それに基いて
一つ一つのお答えを申し上げさしていただきたいと思うのであります。
御案内のように、
最高裁判所は英米法の構造である。ことにアメリカの連邦大審院の構造をとっておりまして、
裁判所系統が一本立てになっております。従来の終戦前の
憲法のごとく
行政裁判所のごときものもこれの中に吸収しておる、しかも
法令審査権も持っておる、それから規則制定権も持っておる、また
判事さんには
国民審査が行われる、
判決文には少数
意見を書けというごとく、一から十まで英米法的な構造を持っております。が、しかし、
日本の法体系というものが決して英米法化しておらない、大陸法的である。そこにそぐわざるものがある。それが、根本をさかのぼれば今回のごとき妥協案になるのであります。何もこれは法曹の教養だけを言うのではありません。御案内のように、
日本においては、三権の分割、この国家
機構は英米法のそれと根本的に違っておる。終戦前においては天皇の大権とつながる
行政権がむしろ強大であった。終戦後においては国会すなわち
立法権が国権の
最高機関になっておる。
司法権というものは、決して英米のごとき
司法国家、
司法権優越性の国でない。それをば、
日本に
最高裁判所の形だけを持ってきた。そこに大へんなギャップがあるのでありまして、せっかくの
憲法八十一条による
法令審査権も、言葉はあまりよくないのですが、結局現在の
最高裁判所には振り回し切れないというのが実相であります。この構造だけでは
憲法裁判所になっておりますが、
憲法裁判所として実をあげさせるがためには、
民事、
刑事の
上告事件というものがもっと下級審で片がついて、もっと
裁判官諸子が
憲法問題に沈潜して
判断し得る余裕を与えなければならぬ。ところが、
日本の
最高裁判所はどうでありますか。ちょうだいいたしました資料によると、昭和三十年度における
最高裁判所の処
理事件は、
民事、
刑事合せて七千四百九十件であります。一人当り四百件ないし五百件。これは重労働であります。このような重労働で国の重大
事件たる
憲法問題を扱うことが果してできるかできないか。できっこないのであります。そこに問題がある。また、
民事、
刑事の
上告事件を扱おうとしたって扱えない。結局調査官を使わざるを得ない。これが実相なのであります。このような組織の
最高裁判所ではとうてい車が回り切れないということは、はなはだ口はばったいのでありますが、昭和二十二年
最高裁判所実施以前からわれわれはこれを予言いたしておるのであります。でありまするから、この
最高裁判所の
機構改革というものは、この
法律案の提案趣意説明書によると、昭和二十六年からとありますが、実は昭和二十四年から、
最高裁判所が設けられた翌々年からもらすでにこの
機構改革案に関連する問題が取り上げられておるのであります。
そういうようなこまかいことは今ここでは申し上げませんが、本日お答えするに必要なる程度で申し上げますと、昭和二十四年に
法制審議会において
一つの
答申をいたしたのでございます。それは、要するに、
最高裁判所の
事件の処理
範囲は、これは限定しなければならぬ。とうてい車が回りっこない。だが、
最高裁判所で取り扱わない
法令違反について上訴を取り扱う特別の
法律審を設ける。いわゆる下級
上告裁判所を設けたらよろしいということをすでに昭和二十四年に
法制審議会から
答申をいたしておるのであります。ところが、これはいろいろないきさつがありまして、
最高裁判所の方の
上告審理
範囲をば限定するという方だけは御採用になって、下級
法律審という方は削られちゃったのです。これが御案内のように昭和二十五年の
上告制限特例法であります。最初は
民事訴訟法の三戸九十四条で
上告制限をしようとした。これは、当時私もこの
公聴会に参上いたしまして、その不可なるゆえんをるる御説明を申し上げました。当時の国会ではこれをば恒久
立法にすべからずというので、
上告制限の方は当分やむを得ないというので、二年間の限時
立法にしたというのがこのいきさつであります。そらして、御当局としては、この
上告事件特例法の有効である期間に、何とかして民訴
制度――
刑事訴訟
制度はすでに昭和二十三年の改正でおそろしく
上告を制限されております。それに右へならえをして
民事事件も
上告を制限するような行き方に持っていきたいので、いろいろ御苦労になったようでありますが、われわれとしては、これは絶対反対をいたしました。中には、
刑事訴訟が
上告制限をしておるのだから、
民事訴訟も制限するのは当りまえじゃないかというような御
議論もあったのですが、これはわれわれどこまでも反対の
意見を通しました。国会の方でも、この
上告制限特例法は四年をもって失効せられた。そこで、
民事訴訟におきましては、もはやこれ以上
上告制限ができないということになった。
刑事訴訟の方も
上告制限を緩和せよという勢いがある。そこで、昭和二十九年九月に、
最高裁判所みずから自己の
機構改革の案を御発表になった。私に言わせるならば、昭和二十四年からすでに五年を経過しております。五年間というものは、
最高裁判所の
機構もしくはそれに関連する
機構の改革よりは、
上告制限、これによって
最高裁判所の負担を軽減させようという御努力で費しておる。万やむを得ずして
最高裁判所の
機構改革ということになりましても、これはどれという証拠を申し上げるのではありませんが、
法制審議会において、あるいはその他の各会議、その他の経過から見て、
最高裁判所の現状をなるべく動かさないでいかにしてこれが改革できるかということが、どうも御中心のように見える。だからこれが三年ももめたと私は
考えております。決して法曹が理屈倒れで三年間経過しておったのではない。なるべく
最高裁判所の現在の形を動かさないで何とか新しい改革案を見つけよう。そこで、各種の妥協に妥協を重ねてこれが三年間経過してきたと思う。
そういうような経過でできたのでありまするから、この案は至るところに矛盾がある。これは当りまえの話であります。ことに、
最高裁判所のあり方、
機構を決定するには、
下級裁判所の構造と密接な関係を持っておるのでありまするが、今回の御案は、
下級裁判所の方にはちっとも手をお触れになっておらない。それですから、その
意味においても、まことに至るところ不徹底である。結局、
最高裁判所を何とかしなければならない。そこで、御案内の上らに拡大案と縮小案とあるのでありまして、今回ここに現われております案は、いわゆる縮小案であることは各位が十分御案内のことであります。後ほど御
質問がございましたならば、拡大案――
先ほど小野博士は拡大案の方を御推薦のように、はたから承おりました。私は、この拡大案は採用しがたいのである、こう
考えております。これは後ほど御
質問がございましたら私の所見を申し上げますが、結局この縮小案にいかざるを得ない。
縮小案のねらうところは何かというと、結局、
憲法裁判所的機能を悩む
裁判機関と、
民事、
刑事の
上告裁判所と、これを二つに分けるということがねらいになるのである。そうすると、現在までの
最高裁判所がいわゆる大
法廷という名前でもっぱら
憲法裁判所的機能を営む、小
法廷に
民事、
刑事の
終審の
上告裁判所たるの機能を覚ましめる、こういう御案になるのであります。そうしますと、一体小
法廷というものは
最高裁判所の一部であるのか、一部でないのかという疑問が当然ここに起ってくるのであります。ついに国会に現われませんでしたが、昨年の要綱は、確かに小
法廷をば
最高裁判所の一部にするということが歴々として現われております。この一年間の経過で、今回のこの法案を拝見いたしますると、一応小
法廷は
下級裁判所であるということが現われておるように思いまするが、しかしながら、それまた不徹底であります。この不徹底なところに今回の法案の妥協案たる
性格が入っておるのでありまして、結局、拡大案と縮小案、これのねらうところは同じであります。要するに、
上告裁判所の機能をばどうして充実するかということであります。この拡張案と縮小案とが合体したのが今度の改正法案とも言える。こういうことをまず頭に置いてこの法案を見る必要があるのではないか。結局、妥協案でありまするから、至るところ論理的な矛盾があります。その矛盾をば一体どう
解釈するか。これは、結局、
民事、
刑事の
上告裁判所を
最高裁判所の一部と見るか見ないか、こういうことにとどのつまりは切り詰められるの、であります。この案は一応小
法廷をば
憲法上の
最高裁判所から除外しておる。除外しておるということは、結局
下級裁判所ということになるわけであります。そういう御案のように
考えます。
さて、そう
考えますると、一番の、小
法廷の
性格いかん、(イ)
国法上の独自の
下級裁判所であるか、こうありまするが、これは
国法――
憲法上まさに
最高裁判所の一部ではない。
最高裁判所であるがためには、
憲法八十一条によって
終審としての
憲法審査権を持たなければなりません。今回の改正案によれば、そういう点がすべて省略されて、大
法廷の権限とされております。でありまするから、これは
憲法上の
最高裁判所ではないことは明らかであります。ただ、
民事、
刑事については
上告終審裁判所に対する御案のように見ます。実は、この件は
法制審議会の
民事訴訟部会でも出ましたが、私は、小
法廷は
憲法上の
下級裁判所であり、
裁判所法上の
終審裁判所、言葉をかえて言えば
最高裁判所というふうにでも理解すべきでありましょうかということを
発言したことがあります。と同時に、昨年読売新聞にこの件を問われて書きまして、これはこちらの参考資料の七百二十一ページ以下にございまするが、この小
法廷は、結局、私の見るところでは、
憲法上の
下級裁判所、
裁判所法上の
上告終審裁判所、言葉をかえて言えば
最高裁判所ということになると私は思います。これははなはだもってあいまいじゃないか、けしからぬじゃないかと言いまするが、そこが妥協案でありまして、こうでもしなければ今回の改正案はできなかったろうと思います。ただ、それをば、一部は
最高裁判所の一部を見ようとする案、一部はそうでないとする案でありまして、いわば、よく学生に言うのでありまするが、水一升と酒一升であった場合に、酒っぽい水と見るか、水っぽい酒と見るか、同じでありまして、これは、私の立場から言うと、今申したように私は割り切って
考えておるのであります。また、この改正
法律案をば国会で御承認なり御可決になる場合には、どうもその辺の
解釈で御満足願うほかないんじゃないか、こう思うのであります。
でありまするから、小
法廷は
民事、
刑事の
事件については
終審の
上告裁判所ということになるわけであります。でありまするから、この法案を拝見いたしましても、第十条の四項に、小
法廷の
裁判に対しては
憲法問題に関連することを
理由とする場合大
法廷に異議の申し立てができるということになっている。すなわち、あえて何度の
上告とは言っておらぬ。この辺に
終審の
裁判所とするお
考えが現われていることと私は
考え、またそれでよろしいのではないかというのが私の
考えであります。この点を、(ロ)の、審級をいかに
考えるか、ということに対するお答えといたします。
次に、(ハ)の、小
法廷から
司法行政権の重要部分を奪うことの可否いかん。これは、私は、悪いことだ、こう思っております。小
法廷が
下級裁判所である限りにおいては、当然
司法行政権を持たせなければならぬ。
裁判権と
司法行政権とは切っても切れない縁があるのであります。現在の
最高裁、将来大
法廷となるそのものについての現存情勢温存の
考え方がこういうところにもあるんじゃないか。私は、これは、小
法廷をば国会において
下級裁判所なりとお
考えのしは、当然小
法廷に独自な
司法行政権を与えるべきであろうと思うのであります。
第二の、
上告理由は民訴と刑訴と異なってよいか。これは異なるべきではないと私は確信いたしております。ただ、刑訴は、昭和二十三年の改正のときにいろいろな事情もあったのでありますが、
上告がおそろしく制限されて参りました。
憲法抵触と
判例違反、この二つがある。
上告を制限するなら当然控訴審も制限しなければならぬ。そこで、控訴審というものが、いわゆる事後審、
法律審なるがごとく、事実審なるがごとき、あいまいなものになっております。この控訴審を制限したということが、どうも私は
日本の
裁判をば
国民から遊離さした根本の問題ではないか。
先ほど神近
委員からいろいろ御
質問があった。これはいろいろの面から見られるでしょうが、
制度論から言いますると、
上告を制限した、従って控訴を制限した、控訴審でもって、被告人を呼び出さないで、一審の刑を直す、これは
法律論としては一向おかしくないでしょうが、
国民感情が納得いたしません。私、法学者としてもそう
考えております。弁護士会方面で
上告を拡大せよという御決議が出ております。
上告の
理由、
刑事においては
判決に影響を及ぼすことが明らかな
法令違反あること、これを
上告理由にせよ、こら出ております。これはいわゆる
民事訴訟と同じようにせよということであります。
上告を拡大するなら当然控訴審も拡大しなければならぬ。
民事訴訟は、御案内のように、控訴審では続審主義というものをとっております。控訴審ではさらに事実の点も取り調べ、
法律問題もとより取り調べる、そうして一審
判決について再度の公判をする。これはもとより口頭弁論を開き、
刑事ならもとより被告人を呼び出すでしょう。そうして二度事実問題を扱ったから、
最後は第三審は
法律問題を扱う、こういう建前であります。
刑事においては控訴審を制限し、
上告審を制限しておる。これで
国民が納得しておると思われるのは、これは、私の著書にあちこちに書いておりますが、いわゆる権威思想の過剰というのであります。オートリテート・ゲダンケの過剰であります。この辺に
先ほど各
公述人の御不満をお述べになった根本の原因がある。しかし、これに対して
最高裁判所側の出す
意見として、附帯要望事項として、第二に、
刑事控訴審の構造を続審または覆審としないこと、こう書いてある。従来の
制度がいいとしてある。こういうお
考えをお持ちになることそれ自身が、
先ほど公述人各位がお述べになった御不満の根本原因です。旧旧刑訴は、いわゆる覆審主義をとっておる。一審で
裁判し、控訴しますと、もう一ぺん全部審理し直したものである。しかしながら、それは、予審などというものがありまして、額面
通りには行われおりませんが、少くとも
制度としては、一審で
裁判して控訴すれば新規まき直しというのが建前であり、そうして、
上告は
法令違反、なお間に合わなければ大審院において事実審理ができた、こういう
制度であった。これが一朝にして昭和二十三年の改正でおそろしく
上告を制限した。控訴を制限した。これも、一審の審理が充足しておるなら、これはよろしい。その一審の審理が
国民の納得のいくところまでいっておるなら、これはよろしい。ところが、必ずしも納得しておらないでしょう。と同時に、訴訟
制度というものは常にその国の民度に従わなければならぬ。学者の理論で作り上げるべきではない。
裁判所のお立場のみで御解決きるべきではない。だが、
日本では、
裁判所訴訟法学などが多くありまして、われわれのような当事者
訴訟法学というものはきわめて少い。この辺、
刑事の
上告は今回の御案によると若干御拡大のようであります。これは私の専門でありませんから、そういうことを
公述いたすことはいいか悪いか存じませんが、一国の訴訟
制度という建前から、
刑事の
上告範囲はさらにさらに拡大する必要がある、私はこう思います。
それから、第三、
上告理由としての
判例違反の存在
理由ないし価値いかんであります。これは、
刑事訴訟法で
上告を縛る、制限する、その場合、
憲法違反、もう
一つは
判例抵触、こういうことであります。
憲法違反のほかはこの
判例抵触が唯一の
上告理由であります。結局過去の
判例に永久に縛られるということになる。実は、この制限をば
民事訴訟法の中にお持ち込みになろうという御案もしばしばわれわれは耳にしたのですが、これはわれわれ絶対反対をいたしました。刑訴では
判例違反のみを
上告理由としておる。
判例に従っておる限りは、みな
上告ができない。過去の
裁判というものにくぎづけにされてしまう。幸いにして
民事訴訟法においてはこういうものが
上告理由になりませんでした。
判例違反を
上告理由とするなら、
判例に抵触しないとの
意見もまた
上告理由としてしかるべきだと思う。そうなれば、結局、弁護士会の言うごとく、
判決に影響を及ぼすことが明らかな
法令違反の
主張はすべて
上告理由としていいではないか、こういう
結論に到達するわけです。そのように
上告理由を広めれば、
判例違反というものは
上告理由に特にあげる必要はない。なくても、当然、
判例に
違反しておれば、
判例の本質論からしても、また
法令違反の法理的分析からしても、当然これは
上告理由に入ると思います。
第四審、異議の申し立てが上訴(
上告)と違うものだとするならば、その
理由いかんということですが、これは
先ほど申し上げましたように妥協案であります。異議の申し立て、これは実質的において
上告であります。ただ、小
法廷の
判決に再度の
上告としたのでは、弁護士会方面の御反対が強い。と同時に、小
法廷をば
最高裁判所の一部なるがごとくに見せるには、
上告としては工合が悪い。すなわち、
先ほど申し上げました第十条第四項であります。これは実質的において
上告であります。しかし、なぜしからば
上告なら
上告とはっきり書かないか。この点は私はあえて責める必要はないので、何も不服申し立ての方法は上訴だけではありません。再審の訴えがある。刑訴においては非常
上告がある。現在刑訴の四百五十四条にある非常
上告は検事総長だけしか持っておりませんが、これは当事者のための非常
上告と
考えればいいわけであります。これは異議の申し立てというような新しい実質的な
上告の
制度を設ける。これもあながち非難すべき
理由もない。むしろこの辺にこの法案の起草者の御苦心があった、こういうふうに私は
考えるのです。
それから、六番目の、
上告のあて名人は
最高裁判所であるか
最高裁判所小法廷であるか。これはまことにあいまいきわまっております。だが、私は、この国会において小
法廷をば
下級裁判所なりというふう
性格を御
規定になるならば、
上告のあて名人は当然
最高裁判所小法廷とすべきでありましょう。この改正法案の八条の二に、
最高裁判所小法廷はこれを
最高裁判所に置くとありますが、これはまことにあいまいな言葉であって、
最高裁判所に撒くのだから、
最高裁判所の一部なんだ、こういうようににおわせるかもしれませんが、小
法廷は
最高裁判所の一部にあるのだということになれば、これは単に置く場所をきめただけのことになる。だから、あるいは、この見出しが単に「(
最高裁判所小法廷)」とありますが、
最高裁判所の小
法廷の所存とでも特にお入れになれば、この点ははっきりするのじゃないか、こういうふうに思います。
それから、第七番、
憲法違反の
主張とその他の
法令違反の
主張を含む
上告事件はどこで扱うかという問題であります。この案を見ますと、八条の三の三項によって、当然小
法廷の権限には属しない、こう思います。やはり
事件は全体として見るべきである。
事件の一部に
憲法違反の
上告理由があれば全部大
法廷に回すべきであろう、私はそういうふうに
考えます。そうすると、どんな
事件でも、いろいろ理屈をくっつければ必ず
憲法違反に持っていけます。これも当分の間であって、同じようなカテゴリーの
憲法違反、大体
理由なしということで棄却される
判例ができれば、そう大
法廷にも回らないでしょうが、当座の間は、いろいろ
憲法違反の
理由を探して持ち込むと、全部がこの八条の三の三項によって大
法廷の方に行くということになる。そうなると、あるいは藤田
最高裁判所判事が言われたように、今度の改正法を実施したって、
最高裁判所大
法廷になりますが、この方の
事件は一向減らないだろう、こういうふうに仰せられます。これは、ものの
考えようで、現在のごとく
最高裁判所の審理が遅延しておるならば、当然訴訟を引っぱる方が
上告人としては有利です。これは何でもかんでもみんな
憲法違反に持っていって、
最高裁判所に持っていくでしょう。しかし、
最高裁判所がもう少し能率を上げててきぱき片をつけるなら、そんなにこの
憲法違反に名をかりて大
法廷の方に回してもらおうとする者はないでありましょう。ことに、十条の第五項で、異議の申し立ては
裁判の確定を妨げない、執行を停止しないというのでありますから、これは、
最高裁判所大
法廷がしっかり御勉強になれば、藤田氏の言われたような弊害も起らないことと私は思うのであります。しかしながら、これはあるいは望むべくして行われがたいのかもしれない。そこで、私は、昨年同じく読売新聞に中間移送制を設けよという案を公表したことがございます。というのは、小
法廷に
上告いたします。そのうちに
憲法違反上告論者が現われたら、その点だけを切り離して
最高裁判所大
法廷の方に移す。どうせその点の
憲法違反なりやいなやということは抽象的にも多くの場合は解決できるから、そういう中間移送制を設けて、
最高裁判所の
意見を決定すれば、それに基いてさらに
民事、
刑事の
裁判をば小
法廷が続行して
判決を言い渡す方法はどうかという
意見を公表したことがございます。これまた、
先ほど申し上げました資料の七百二十一ページにございますが、私がこのヒントを得ましたのは一昨々年であります。ドイツに参りました際、同じくこちらの
法務委員会からの御委嘱がございまして、ドイツの
憲法裁判所の
制度をいろいろ調べて参りました。向うでそういう中間移送制をとっております。ただ、少し事情が違いますが、それが
日本に行われたならば、大
法廷の方にあまり
事件が輻湊するということもないで済むだろうという記事でありますが、今の中間移送につきましては、同じくこの資料の四百二十九ページ以下に掲げてございます。以上が八番のお答えになったかと思います。
それから、
最後、九番でございますが、これは結局異議の申し立てが実効性を持つか、
最高裁判所がこの提議の申し立てについて十分審理するか
どらか。これは結局において
最高裁判所の心がまえの問題でありますが、私は、
日本の
最高裁判所があまりに
憲法違反の問題をば
憲法違反なりという
判決はすべきでないと思っております。統計によると二百三十一件の
憲法違反の
判決があるようでありますが、あれは中を洗ってみれば、たしか政令第三百二十五号、それからももう
一つ勅令第三百十一号、あの占領下における政令、勅令は講和条約成立後百八十日間効力を持っておったということの
事件であります。より分けてみればわずか二つの問題にすぎない。私は、
日本の
憲法裁判所の現在の
機構と権限として、そうむやみに
憲法違反の
裁判をされては困る。またできない、この点は
最高裁判所が十分御自分の能力の限界を御存じで、予備隊
違憲事件についても、あのような、われわれ訴訟学者が見ればおかしな理屈でありますが、とにかく
本案審理に入っておられない。この辺から見れば、結局
最高裁判所は
憲法裁判所じゃない。しからば
憲法裁判所の機能を営むか、これもまたなるべく営まないでおるし、またあまり憎まれても困ると私は思うのであります。そういうことになりますと、この縮小案というものは一体どういうことになるか。とどのつまり、
最高裁判所は、実質的にはあまり多く起らないであろうところの
憲法事件だけを取り扱う
裁判所、あまり重大な働きは――仕事は重大であるが、
事件は少い。いわば盲腸的な存在になるのじゃないか。この案をおとりになる限り、将来
最高裁判所は漸次縮小せられ、
最後においてはオーストリアにおけるがごとく非常置の
憲法裁判所でいいのじゃないか。これは将来当然
憲法改正のときに生ずる問題でありましょう。この縮小案の方向は、当然
憲法改正につながる、
最高裁判所、
上告裁判所の根本的改革ということにつながる案である、こら
考えます。
憲法改正は現在なかなか困難であります。ですから、暫定的な案としてはこの案をとるほかはない。そうしますと、今のここの御
質問にありますような小
法廷の
性格というものはまことに明白でございませんが、これは、ただいま申し上げましたように、私としては小
法廷は
下級裁判所なりと
考えております。この辺は国会の御良識でこの
最高裁判所の
性格を明確にせられ、それから、希望といたしましては、将来ほんとうに機能を営むのは小
法廷でありますので、この方をいよいよ拡大されて、十二分に
民事、
刑事の
上告事件を扱う。
上告を制限して
裁判所の能力にマッチさせようというのは、私は根本的に違っておると
考える。
日本は
裁判官が九千万の人口に対してわずか二千人。西ドイツは人口五千万弱で
裁判官の数が約九千人あると私は見ております。これもこの前
法務委員会で申し上げたのでありますが、
上告制限だ、上訴が多ければ乱上訴だということを言う前に、もっとそういう控訴、
上告の道を広げるように、すなわち
下級裁判所の充実に向う必要があるのではないか。この辺も
一つどうか国会の御良識ある御処置によって、下級審をもっと拡大していく、
上告は制限しない、そして小
法廷をさらに拡大する方向におもむいていただきたい。これは御
質問の要項の
範囲外でありまするが、ちょっとつけ加えさしていただきました。
しからば、そういう疑問の多いものならば、拡大案をとっていったらいいではないかというお
考えもございましょうが、私は、この拡大案についてはいろいろな差しさわりがあり、この拡大案がうまくいくならば
憲法改正につながらざる現状をば肯定した案になりますが、これは、今ここで拡大しても、いずれ早晩また問題が起る。私は、その
意味において拡大案をとらないということを申し上げまして、一応御
質問に対するお答えにさしていただきます。