○島田
公述人 ただいまの
委員長の御命令によりまして、順次私の
意見を申し上げたいと
考えます。
在野法曹の側から見た
意見ということになっておりますが、大体在野法音の
意見であろうと思うのでありますが、あるいは、大ぜいの在野法曹のことでありますから、必ずしも反対の人がないとは限らないのでありますが、その点はあしからず御了承をお願いいたします。
第一に、この
法律案を一読したときの感想でありますが、これは
先ほどの
公述人三名の方が述べられたのと大体私は同じような感想を持つのであります。この案によりますと、
最高裁判所の機構が非常に複雑であって、
一般国民には
最高裁判所の機構がどうなっているのか容易にわからないであろうと思われるのであります。かように複雑な規定の内容は、主として
最高裁判所内部の
事件処理の事務的な規定のように思われるのであります。大体
裁判所法というような
国民一般が特に周知する必要のある重要な
法律は、その内容が簡明率直でわかりやすいことが望ましいと私は
考えておるのであります。しかるに、この
法案では、
国民一般がこの内容を理解するのはほとんど
不可能ではないかとさえ思われるのであります。
これは
法案の形式についての私の見たところでありますが、その内容を見ますのに、
改正案第一条、第二条、第五条等によりますと、
最高裁判所小法廷という
下級裁判所が設けられております。これによると、
最高裁判所小法廷が第三審で、
最高裁判所が第四審になるのであります。しかし、現在の三審
制度を四審
制度に改めるのでは、
裁判所法改正の目的はとうてい達せられないのであって、改正の
趣旨に反するのではないかということを憂えるのであります。
裁判所法改正の目的は、
最高裁における
裁判を迅速にして、
国民の期待に沿わしめるということがまず重要な目標であると
考えるのでありますが、現在の三審
制度において、すでに
事件の停滞が著しく、四、五千件の
事件が
最高裁に堆積しておるというのに、無条件に四審
制度にした場合には、
裁判は一そう遅延する結果を来たすということは火を見るより明らかなことであります。もっとも、
刑事訴訟法の
改正案の四百十五条二項、それから四百二十八条の二の二項によりますと、
異議申し立てば
裁判の
執行を停止しないことが原則になっておりますが、
最高裁判所または小
法廷では、この
執行停止の決定をなして、
最高裁判所に対する
上告を牽制しておるように思うのでありますが、もしこの
執行停止をしないということが原則であるならば、これはむしろ小
法廷の
裁判をもって終審とするのがまさっておるのではないか。また、この
執行停止が容易に許されるということにしますと、これは
最高裁判所に対する
異議申し立てが非常に多くなって、
最高裁判所の未済
事件はますますふえるということになりはしないかと思うのであります。
死刑については特に
改正案に規定がありますが、そのほかに、たとえば
選挙法違反あるいは連座して議員の人が資格を失うというような場合に、小
法廷での
判決に対して
最高裁判所に
異議中し立てをする。この場合に
執行停止をしないということになると、即時失脚するということになるのであります。こういう重大な事柄について
執行を停止してもらう、その事由を上申すれば
裁判所はあるいは
執行停止をするのじゃないか。そのほかいろいろな具体的事情によって
執行を停止するということが多く行われるようになった場合には、これは何もかも
最高裁判所に
異議申し立てをして、
最高裁判所が
事件の輻湊に困るということになりはしないか。そうすれば、結局これは、
執行停止をするしないいずれにしても、この小
法廷の
裁判をもって打ち切って、四審である
最高裁判所は必要ないのではないか、こういうふうに
考えるのであります。いずれにしてもよい結果にはならないのではないかと思うのであります。
改正案の第八条の二によりますと、小
法廷は
最高裁判所に付置されております。第八条の三によると、同じ
事件の
裁判権が第四審の
最高裁判所と第三審の小
法廷とに共属しておる
関係になっております。つまり、同じ
事件をどちらの
裁判所がさばいてもよいような規定になっておるのであります。これは、
裁判を受ける者の側から見ますならば、はなはだ公正でないというような感じを受けはしないか。第四審と第三審が相談ずくで
裁判をするのでは、
上級審、
下級審の区別を設けた精神を没却するというふうに
一般の人は思いはしないか。かようなふうに
一般の人が
考えるならば、
裁判の威信を傷つけることに相なると思うのであります。
裁判所の管轄という
審級的な三審、四審ということになりますと、三審の
事件の管轄はこれだけだ、四審はこれだけだというふうに両者に画然たる区別を設けて初めて
意味があるのであります。これは、三審でやってもよい、四審でやってもよい共通な
部分がある。
なお、
裁判官会議その他
司法行政の面において、小
法廷は
最高裁判所の決議といいますか決定といいますか、その命令に服するようなことになっております。こういう面から見ましても、この小
法廷の存在というものがはなはだ明確を欠くのであります。この四審
制度にするという点につきましては、十分な御研究を願わなければなりません。この案が成功するかしないかの重要な問題であると
考えるのであります。
それから、次に、
改正案の第八条の三、それから第十条によりますと、
憲法違反の
事件だけを
最高裁判所で
裁判することになっております。大体
上告趣意書にはいろいろな論旨が書かれるのが普通であって、第一点が
憲法違反、第二点
法令違反、第三点量刑不当といったようなことが書いて出されるのでありますが、この場合、第一点の
憲法違反の点だけを
最高裁で
裁判して、
法令違反の第二点は小
法廷で
裁判するということにするのであるか、もしそうであったら、
一つの
事件が
二つに分れて別々の
裁判を受けることになるのであるかどうか、また、
一つの論旨の中に
憲法違反も書き、
法令違反も続けて書いてあるという場合には、これを分断して
最高裁と小
法廷とに分けるのであるかどうか、これらの点ついて
改正案の規定では明らかにされていないように思うのであります。つまり、
最高裁の管轄と小
法廷の管轄とが不明瞭であります。こういう複雑な機構によるよりも、
一つの
最高裁判所で悪法違反も
法令違反も一括して審理、
裁判するということの方が望ましいと
考えるのでございます。
それから、
改正案の第九条によりますと、
最高裁判所は、
最高裁判所長官及び
最高裁判所判事全員の合議体で審理及び
裁判をすることになっております。これはただいま
真野公述人からるるその
理由を述べられたのでありますが、不平にして私は
真野公述人の御
意見に賛成しかねるのであります。
憲法の七十六条でありますが、ここに、「すべて
司法権は、
最高裁判所及び
法律の定めるところにより設置する
下級裁判所に属する。」と書いてあるのでありますが、「及び
法律の定めるところにより設置する
下級裁判所」というのは、高等
裁判所、地方
裁判所、簡易
裁判所、家庭
裁判所というような
裁判所の名前を一々あげることを省略して、
法律の定めるところによって設置する
下級裁判所に
司法権が属すると書いただけであって、
最高裁判所と
下級裁判所とを別に扱ったものとは私は解しておらぬ。この規定は、
国法上の
意味の
司法機関を書いておるのであって、
国法上の
意味の
司法機関をここにあげておるのであって、それはワン・ベンチで
裁判するという
司法権の行使についての規定ではない、これは別に定めるべきものである、かように
考えるのでございます。それから、八十一条に、「
最高裁判所は、一切の
法律、命令、規則」
云々「決定する
権限を有する終審
裁判所である。」これも、終審
裁判所と書いておるだけのことであって、ワン.ベンチでなければならない、全員合議制でなければいけないという
意味のことは、この規定の上には出ておらぬのであります。でありますから、これも七十六条と同じように、
最高裁判所の数人の
裁判官が
一つの部を構成して、そうして
事件の審理、
裁判するということを決して妨げるものではない。それから、七十九条をちょっと触れておきますが、七十九条の「
最高裁判所は、その最たる
裁判官及び
法律の定める員数のその他の
裁判官でこれを構成し、その長たる
裁判官以外の
裁判官は、内閣でこれを任命する。」ここで長たる
裁判官及び
法律の定める員数の他の
裁判官で構成するというこの規定も、これは七十六条と同じように、
国法上の
裁判所を書いておるものであります。この規定においても、
最高裁判所の
裁判官全員合議でなければならぬという
意味のことは少しも出ておらぬ。こういうような規定は
憲法の他にもたくさんあるのでありまして、たとえば四十二条に「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」、これはやはり同じように、衆議院及び参議院の人たちが
一つの部屋に集まって審議するのでは両院
制度の
意味がない。六十六条に、内閣は総理大臣及びその他の国務大臣をもって構成するとあるが、これだって、やはり各大臣が各省行政を全部
一つの場所に集まって行わなければならぬという
意味のことにはならぬのであって、すべてこれと同様であります。
最高裁判所の
裁判官が数人をもって小
法廷を構成することができるのであって、現在の
最高裁
裁判所小
法廷は、すなわちこれは
最高裁判所の一部である、これは
最高裁判所そのものである、私はさように
考えておる。大
法廷だけが
最高裁判所で、小
法廷は
最高裁判所でない、かような解釈には私は首肯できないのであります。また、この八十一条でありますが、これは違憲
審査をする終審の
裁判所であるというだけのことで、本米
下級裁判所がすでに違憲
審査権を持っておって、現に違憲
審査の
裁判をしておる
最高裁判所はその
最高の
判断をするというにすぎないのであります。でありますから、違憲
審査ということが
最高裁判所だけの特権であるというふうな
考え方も往々にしてありますが、これは私は間違いである、こう
考えております。
それから、さきにも他の
公述人から
意見か出たのでありますが、
憲法違反の
事件については小
法廷に管轄権がなく、第二審からすぐ第四審の
最高裁判所に係属するように
改正案でできておりますが、他の
法令違反の
事件は、すなわち小
法廷を通って
最高裁判所に行く、つまり四審を経過することになります。ところが、
憲法違反の
事件だけは小
法廷を省略して、控訴審からすぐ
最高裁判所に行くということになりますと、これは
事件の種類によって三審になりまたは四審になるということになって、はなはだ不公平ではないか。かような不公平な扱いを受けるということは一体どういうことになるか、
憲法の
趣旨ではなかろうと思う。
以上申し述べましたことを通して、私は、
最高裁判所大
法廷、
現行法では大
法廷、
改正案では
最高裁判所ですが、
現行法の大
法廷をやめて、現在の小
法廷をふやして、
憲法違反を含めたすべての
事件の審理、
裁判をすることに改めるのが一番正しくて、そして能率的である、かように
考える。在野法曹の多くの人の
意見もかようであると私は
考えておる次第であります。
それから、次の御
質問に移りますが、現在の
上告の範囲は狭過ぎるのであります。これは原則として
憲法違反、
判例違反、そして
法令違反ということが書いてない。これは現在では民与
訴訟法との権衡から申しましても、不権衡であるのみならず、
法律生活をする
国民にとっては、
法律に違反した場合の
救済手段が
法律に書いてないということは非常な手落ちであると私は思うのであります。でありますから、この際現在の
上告の箱囲を広くする必要がある。それについてでありますが、この
改正案では、「
判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があって原
判決を破棄しなければ著しく正義に反することを
理由とするとき」とありますが、ここで私は、
判決に影響を及ばすことが明らかな法令の違反があるとき、こういうふうにして、破棄しなければ著しく正義に反するという条項は必要がない、こう
考えるのです。かようにすることによって、控訴の
理由を規定しておる
刑事訴訟法の規定、それから民事
訴訟法の
上告理由の規定とちょうど文句の上において同じようになるわけであります。そして、著しく正義に反するか反しないかというようなことは、これは
裁判所できめるので、
裁判所が著しく正義に反しないと言って審理をしてもらえないというようなことになったならば、これははなはだ憂うべきことであるのみならず、その点については
裁判所も十分心がけておられると思うのでありますが、
刑事訴訟法の四百十一条に、すでに法令に違反してそれが署しく正義に反する場合には
上告審において原
判決を破棄することになっておりますから、特にこの条文に署しく正義に反するということを置かなくてもよかろう、こう
考えるのであります。
それから、
最高裁判所は、今まで長官初めその他の方から、
最高裁に
事件が輻湊するのは第一審が弱体だからである、そこで第一審強化ということが非常に熱心に
主張されておるのでありますが、この第一審強化ということが重要であるということは、以前から私の持論であります。しかし、現在行われておるような年の多い
判事を第一審に持ってくるとか、あるいは官等のしの
裁判官を第一審に移すとかいうようなやり方だけでは強化されないと思う。私は、理想としては、第一審は三人の合議制にする必要がある。現在のような単独制の第一審ではやはり
裁判機脚としては不十分である。これはなかなかたくさんの
事件を一人で背負い込んで
裁判するということはむずかしいことであります。だから、やはり三人の合議制にする必要がある。それから、ご存じでありましょうが、現在の
裁判というものは捜査中心主義になっておって、公判中心主義ではないので、警察官あるいは検察官の調べた供述調書が
裁判の主たる証拠になるのであって、公判で直接審理によって得た証拠というものは、どちらかというと第二次的なもの、あるいは顧みられないものになるのが普通であります。これを、公判中心主義で、公判で被告人の面前で取り調べたその証拠によって
裁判をするという行き方にしない限りは、第一審の
裁判でおるから、これで満足するという
国民の満足を得るような
裁判にはならぬと思う。多くの人が、警察では拷問を受けた、検察の調べは無理であったということを
主張しておるのですが、それをすぐそのまま証拠にとって
裁判する
制度では、ただ人数をふやすというだけでは強化できないので、この
裁判のやり方というものが
一つ改められねばならぬ、こういう
意見を持っておるものであります。
それから、控訴審は昔のような覆審は必要でないと思うのあります。初めから控訴審で被告人の住所、氏名、年令等を聞き返す必要はないと思う。しかし、被告人あるいは弁護人から証拠調べの請求があったときには、これは原則として取り調べるべきものである。東京及び大阪の高等
裁判所は、割合とその点については弁護人、被告人の
意見を入れて事実審理をしておられるようであります。ずっと地方に行くに従って書面審理が多くて、事実の調べはされないのが原則のようになっておりますが、これはやはり控訴審で事実の取調べをするということがいいと思う。ことに、第一審で無罪の言い渡しを受けた与件を控訴審で有罪にするというような場合には、少くとも職権をもって事実の調べをする必要がある。これは
真野公述人も平素の御持論をチャタレイ
事件の反対
意見で詳しくお述べになっておりますが、その説には全く同感であります。そういう場合には必ず事実の取調べをしなければならぬ、こう思うの、であります。
かように、第一審、それから控訴審も改革の必要があるのでありますが、まず
最高裁判所から順次
下級裁判所に及ぼすという順序でこれを改めていきたい。というのは
最高裁判所に最も
事件がたくさん輻湊して停滞しておりますから、これを何とか早く片づくようにまず改めて、その範を
下級裁判所に示すというやり方を私は選んであるわけであります。
それから、最後に、増長論でありますが、
最高裁判所の
裁判官を増員せねばならぬということは必然的な問題であります。御存じのように、終戦前の大審院においては四十五人の
判事がやっておられたのでありますが、現在十五人、三分の一の
裁判官でありますが、
事件の方はどうかというと大審院時代の三倍にふえておる。人間は三分の一になって
事件は三倍になっておるのでありますから、全く
事件の数と
裁判官の数とは反比例しておる
関係になっております。これは、いかなる人を選んでも、この少数の人で
事件を処理することはできませんから、どうしても増員する必要がある。それでは何人増員すべきかというのでありますが、これは、
裁判所の内部のこと、仕事のやり方等について私は経験がありませんから、何人をもって適当とするかという最終の決定をするわけには参らぬのでありますが、これは
事件の数とにらみ合せて妥当な数を
考え出すということはできないことではない。そうしてまた、
改正案にありますが、
最高裁判所裁判官任命諮問審議会という
制度を設けて、最も適任とする人を選んで
裁判官にするというこの案に対しては、私も賛成であります。これは初めからそうあるべきもの、今日すでにおそい感があるのでありますが、これは、ぜひそういうふうにいたしたい、こう
考えております。
大要以上申し上げた
通りでありますが、なお御
質疑に応じたいと
考えます。