○
野原委員 内々で済ますということが私には解せないのです。あなたは、これは
文化財保護委員会に勤めておる者同士のトラブル
——本間課長と
松原正業氏はともに
文化財保護委員会に勤めておる。だから、この間に部外者はいないのだから、何とか
局長が中に入ってまとめたい、その気持はわかります。しかしながら、その気持はわかるけれ
ども、中に入ってまとめなければならぬというあなたの考え方の底には、こういうことが対外的に出ると
文化財保護委員会が
国民から批判される、
事務局は腐ったのではないかと国会で追及される、これはがまんできないから、ここで糊塗しようというとんでもない量見ではないかという気も私にはするのです。そこであなたは保坂氏の一件をそういうふうに申されますけれ
ども、
芸術新潮の八月号に堂々と、今日もなお籍のある
松原正業氏が書いておるのです。あなたはこの書いておることに対して、その後
松原正業を呼んで、君けしからぬじゃないかと言って
抗議をされましたか。してないでしょう。しかも
本間課長は
昭和二十五年からこっち、八年間も九年間も
書類を紛失した
責任がだれにあるかも調べないで、この所蔵をあいまいにしておった
責任は一体どうなるのか。
昭和二十五年から
文化財保護委員会は
発足しておるのですから、この
埴輪鷹狩男子像という
日本の
国宝が、だれのものか明確にならぬ状態のまま置かれてきた
責任は一体どうなるのか。これをほったらかしにしておる
責任は、私はゆるがせにできぬと思うのです。簡単ですから、書いてあることを一ぺん読んでみましょう。「保坂氏は
解決案を持って来た。」あなたの
答弁によれば当時保坂氏は
松原氏の上司だったということです。これは上司の圧力で来たのかどうか知りません。「そしてそれは、
中島未亡人に十万円だけやってくれといふのでした。氏の言ふには、「これは
本間課長を抜きにして、
局長から頼まれたのであり、いはば至上命令でもあるのだから、拒否すればあなたも
文化財に居られなくなるだらうし、それに仲介者たるぼくの顔もたててくれ」、といふことでした。私は
局長がさういふ依頼を保坂氏にした意味がわからなかったのと、勿論案の内容が承服し難いのとで、その場で拒否しようと思ひましたが、保坂氏の労を多とする気持から、返事は暫く考へた上で、と答へておいたのです。二日程たつと保坂氏がまたまゐりまして、前回同様の案を承知するやう、なんとしたことか、まるで脅迫にも等しい熱烈さで要求したのでした。そればかりではありません、氏は「ぼくが半分の五万円を出すから、これで
解決としてくれ」全然
関係外の保坂氏が、おれが半分の五万円を出すからお前があと半分の五万円を出して
解決してくれ一これは二百万か三百万になるものなんですよ。事実、
中島氏のものであればどうですか。十万円くらいで承知すると思いますか。事実、
中島氏の
秘書のこの人のものであれば、
自分が五万円出すからお前も五万円出せ、これで
解決してくれととんでもないことに発展してきておるのです。「これには私も驚いた、保坂氏はこの問題の
責任者ではないはず、いかに
局長から頼まれて来たとは言へ、
文化財全体のためを念じて私財を寄進するなどと、私にはなんとしてもその気持が何度できなかったからです。」それはそうでしょう、
関係のない保坂氏が五万円寄進するということはそんたくできませんね。しかもその人はあなたが使いにやっている人なんです。だからあなたもその間の
事情を知らぬわけはないですよ。ますます奇怪じゃないか、「勿論、「あなたに五万円出してもらふ理由はないから」と言って、その案を拒絶しました。ところがことしの一月
文化財で保坂氏と会った際やはり前回の案を繰返すので、「それ程
文化財が困るなら、
中島側に渡す意志は毛頭ないが、十万円
文化財へ寄附しよう、その代り領収証を貰ひたい」と私が言ったところ、保坂氏は、公文の領収証は出せないが
局長個人の領収証なら出すと言ふ。私は
局長が個人的な領収証を書くといふことがおかしいと思ったので、これも拒否しました。」とある。あなたはこの中に入ってそうして五万円はだれが出すのか知らぬ、五万円まで出して問題を
解決しようとした、
松原氏は十万円は
文化財保護委員会に寄付しよう、
博物館が二百万円で買うなら
文化財保護委員会に十万円寄付してもいい、だから領収証をくれと言った、公文の領収証は出せぬけれ
ども局長個人の領収証なら出せる、こういうことをあなたは言われましたか。お聞きします。