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1957-07-10 第26回国会 衆議院 文教委員会 第29号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和三十二年七月十日(水曜日)     午前十時五十三分開議  出席委員    委員長 長谷川 保君    理事 河野  正君 理事 佐藤觀次郎君       小川 半次君    加藤鐐五郎君       小島 徹三君    杉浦 武雄君       田子 一民君    田中 正巳君       並木 芳雄君    櫻井 奎夫君       鈴木 義男君    高津 正道君       辻原 弘市君    野原  覺君       平田 ヒデ君    小林 信一君 委員外出席者         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君         文部事務官         (社会教育局芸         術課長)    宇野 俊郎君         文化財保護委員         会委員長    河井 彌八君         文部事務官         (文化財保護委         員会事務局長) 岡田 孝平君         運輸事務官         (自動車局業務         部長)     國友 弘康君         運輸事務官         (自動車局自動         車道課長)   澁谷 正敏君         建 設 技 官         (道路局長)  富樫 凱一君         専  門  員 石井つとむ君     —————————————  七月十日  委員北村徳太郎君、清瀬一郎君、田中久雄君、  千葉三郎君、塚原俊郎君、徳安實藏君、濱野清  吾君及び辻原弘市君辞任につき、その補欠とし  て小川半次君、田中正巳君、小島徹三君、加藤  鐐五郎君、古川丈吉君、並木芳雄君、田子一民  君及び鈴木義男君が議長指名委員に選任さ  れた。  同日  委員小川半次君、加藤鐐五郎君、小島徹三君、  田子一民君、田中正巳君及び古川丈吉辞任に  つき、その補欠として北村徳太郎君、千葉三郎  君、田中久雄君、濱野清吾君、清瀬一郎君及び  塚原俊郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立劇場設立に関する件  芸術院に関する件 文化財に関する件     —————————————
  2. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 これより会議を開きます。  昨日に引き続き、文教行政に関する調査を進めます。質疑の通告がありますので順次これを許します。佐藤觀次郎君。
  3. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 過日もわれわれ同僚委員からいろいろ問題になりました国立劇場の問題について、せっかく文化財保護委員会も熱心におやりになっておるのに、まだ今日まで具体化していないようでございますが、一体この国立劇場敷地決定しておるのかどうか、それから河井文化財保護委員長お尋ねいたします。
  4. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 佐藤委員の御質問にお答えを申し上げます。国立劇場設立の問題は、最近になりまして非常におくれておりますが、どうしてもこれを進めなければならぬという段階に入っておるのでございます。ただ、ただいま御質問にありました敷地の問題、これは何といっても一番先決すべき重要な点でございまして、すでに昨年の四月に、内閣におきまして国立劇場を作らなければならないという閣議を決定いたしまして、そしてそれに基きましてわれわれの方の文化財保護委員会の案を出しまして、そして結局それでは敷地決定しようということになりまして、大蔵省管財局でもって国有財産中央審議会ですか、その会を開きまして検討したのであります。そのときに問題となりましたのは、三宅坂のあの電車の交差点の角にありますところのいわゆるパレスハイツと申しますか、アメリカの軍用に使っております土地であります。これにつきまして大体それがよかろうというので、委員会の方ではそういう意見を出しておりましたが、結局は国有財産中央審議会におきまして、それが未定になっておるわけなのであります。過日もその問題につきまして当局と話し合ってみたのでありますが、当局は何かまだいろいろ委員の中に反対する者があるので決しかねておるというがごとき態度でありましたが、その場所がいけないということには決定いたしておらないのであります。従いまして文化財保護委員会といたしましては、どうか一日も早くその土地決定してもらいたい、それでなければ他に適当な場所を探してほしい、こういう態度を持っておるわけなのであります。
  5. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 これは事務局長お尋ねするのでありますが、大宮御所場所的にも、交通上も非常によいという話もありましたが、あの交渉はどのようなふうになっておるのか。何といってもやはり敷地決定しなければ、幾ら作ろうといったって作ることができませんので、その敷地の選定がまず大事だと思いますが、大宮御所その他の候補地について事務当局はどのような交渉をされ、またどういうふうな状態になっておるのか、この点を岡田事務局長お尋ねいたします。
  6. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 ただいま委員長から御答弁があった通り、第一候補地といたしましてはパレスハイツをあげまして、そうして大蔵省でもって目下国有財産中央審議会に諮問中でございます。私どもとしては、その懸案の土地がきまれば最も私どもの希望に合うわけでありますが、それが未定の状態である。従ってそれを早く確定いたしたい。もし、どうしてもだめならだめという決定をしてもらう。それに決定をされれば一番私どもの希望するところでありますが、いずれにいたしましても、早くそれをいずれかに決定してもらいたい、かように私どもとしては申し出ておる段階でありますので、それがきまらないうちに、第二候補地としてさらに正式にあちこちに交渉するわけにはいかない段階にあります。しかしながら、第一候補地につきましては、かなりいろいろ大蔵省側に難色があるということを聞いておりますので、どうしてもそれがいけない場合には、第二候補地として青山御所あるいは宮城前広場の一部、あるいはまた日比谷公園の一部というようなところをあげまして、そのいずれかにきめていただきたい、かような考えを持ってその旨大蔵省側にも申し入れておるわけであります。
  7. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 今まで二年間、予算調査費として計上されておるわけでありますが、河井委員長は、今年度建築場予算について、八月ごろにはすでに予算の、編成期になりますが、そういうおつもりがあるかどうか。敷地の問題はただいま御報告の通りでございますが、しかしこれは期日がありませんので、だんだん延び延びになってうやむやになってしまう心配があるわけでありますが、その点について、今年度予算の中にどういうようにお組みになる予定か、この点を河井委員長お尋ねいたします。
  8. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 だんだんのお尋ねでございましてありがたいことでございます。文化財保護委員会といたしましては、すでに国策として国立劇場を作るということになっておるのでありますから、明年度予算におきまして、総額は建設費といたしまして二十八億となっておりますが、そういう額を掲げまして大蔵省と折衝するという考えは持っておるのでございます。すでにそのことが国策としてきまっておる以上は、私どもといたしましてそれに対してもう何らしんしゃくすることはできないのだ、かように考えておるのであります。  それからさきにちょっと申したことにつけ加えておきますが、財務当局は、予算の折衝の問題につきましても、どうも場所がきまっていないんじゃないか、それだからこういう予算を許すことはできないのだというような態度をとり、しこうして、その場所がきまっていないということにつきましては、われわれとしては、大蔵省管財局態度がはっきりしないというところに非常な不満を感じておるわけであります。どうかして、これは大きな国策として進む力をもちまして、土地の問題、また予算の問題を一挙に解決ぜん考えておるのであります。昭和三十二年度予算を要求いたしましたときについて考えてみましても、土地もきまらないのに、その準備費をも計上する理由はないではないかということを主計局が強く主張したのでありまして、そういうようなこれまでの実例に徴しましても、どうしてもこういう問題は国策として、予算でも土地でも一挙に解決していかなければならないということを考えて、その決意をもって臨むつもりであります。
  9. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 先日国立競技場を視察に行きましたが、これは、御承知のように、極東オリンピックがあるので、期日がきまっておる関係上、大体決定をしておる。それからオリンピックのような場合にもやはり使えるようにやっておりますから、こういう問題は期日関係ではっきりしておりますが、一体文化財保護委員会では、国立劇場を始める時期はいつごろで、いつ完成したいというめどがあるのかどうなのか。大蔵省あたりでも、具体的にこういうようなやり方でやるということに押し切れば、そういうふうなことも決して不可能ではない。御承知のように、これは国会でも各議員が超党派的に非常に熱心でございますので、一体そういう腹がまえがあるのかないのか、またいつごろ始めて、いつごろ完成するのか、そういう腹がなければ予算が出てこないと思うのですが、そういう点についての委員長の方針を承わりたいと思います。
  10. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 お答え申し上げます。われわれの初めの予定は、実は本年も準備の経費をいただいておりますが、すでに三十一年度から五カ年計画でこれを実施しようという案であったのであります。ところがすでに三十一年度は過ぎてしまった。でありますから、この土地さえきまりますれば、現在あります千七百万円をもちまして着々準備の方へ入っていきまして、三十五年度には完成いたしたい、こういうふうに考えておるのであります。
  11. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 せっかく河井さんが委員長になられまして——まあ参議院の議長もやっておられましたので、政治的にも非常にうまくいっておるのじゃないかと思いますが、せっかくこういうようなことが国全体として企図されて、今日うやむやになっておることは、非常に残念でありますので、できる限り早く実施されるようにお願いしたいと思います。  それからもう一つ博物館の問題でありますが、関西の博物館、たとえば奈良などの博物館において、御承知のように観覧税関係で、国宝自分の寺へ持ち運ばれるというようなことが起きております。これは御承知のように、文化財関係予算が非常に少いということが一つの大きな原因でありますが、少くとも博物館の中から国宝がだんだん減っていくというような醜態は何といっても恥辱でもあり、やはり自力によってある程度まで博物館が存在を保たなければ用をなさないと考えております。そういう点についておそらく文化財保護委員会の方にもそういう達しがあるかと思いますが、委員長はどういうようなお考えを持っておられるのか、特に予算編成期の前でありますから、委員長のお考えを承わりたいと思います。
  12. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 初めの国立劇場の問題につきましても一言お許しを願います。先月の十二日でありましたが、両院議員の有志の諸君がお集まり下さいまして、これは政党政派を超越した会合でありまして、このままでおってはまたずるずるになって、国立劇場はどういうふうになって進行するや、あるいは立ち消えになるようなことがあっては困るのだというような強い御意見でありまして、われわれもそこへ出まして非常な感激を受けたのであります。そういうふうなことから近く国立劇場促進議員連盟というようなものをお作り下さるということ、それからさらに進んでは、民間一般に対してそういうことを推し進めていく、従いまして、その場合におきましては、まずもって新聞雑誌あるいはそういう世論を動かす方法をとろうというまでおきめ下すったのであります。その後その会はまだ具体的には進行いたしておりませんが、われわれもその力によりましてこの目的をどうかして完遂したいということに燃えておるわけなんでありまして、ちょうど佐藤先生もその会に御列席下さってわれわれを鞭撻して下さった方でありますから、われわれもさらに勇気を鼓してこの問題に当りたいということを考えておることを一言申し添えておきます。  それから奈良京都国立博物館列品についてお尋ねがございました。私も二月の半ばに京都奈良へ参りまして博物館を実地に視察いたしました。お話通り非常に列品が少いのでございます。しかも日本の古文化の中枢であるところの京都奈良、こういうところにある博物館がいかにも列品が少い。それからもっと申しますと、建物ども全く古くなって、しかも今日の陳列には十分でないということを痛感して参ったのであります。そこで今お尋ねの所属の列品数量を、ここに表がありますから、これをちょっと申し上げますが、まことに遺憾ながら、少い。京都におきましては、絵画、書籍、彫刻、金工、陶器、その他いろいろなものを合せまして、千七百三十八点、それから奈良に至りましては四百三十九点、こういう実情なんであります。しかし博物館をああやって運営していきますもとの考え方は、あの京都にしましても奈良にしましても、重要な美術品文化財がお手、神社等にたくさんあります。そういうものをば自然のままに置きますれば、これが災害にかかるとかなんとかいろいろなことがありますが、やはりこれは博物館に保管いたしまして、そして品物の安全を期する、同時に公衆の利益に供しよう、こういうような気持でやったものと考えます。ところが今日となりましては、そうでなしに、たとえばお寺にしても神社にしても、その収入をはかります上に、たといそういうものに対する国の命令があって、博物館へ出せということであっても、なるたけそれは好まない。内分のところに陳列いたしまして、そこで収入をはかっていく方が得だというような考え方が、どうもできておるように見えるのであります。従いまして現在の列品に対する国の補償といいますか、給費というものなどではとうてい応じないというような経済的の関係等もありまして、すでに寄託して列品にしてありますものすらも、だんだんそれぞれの社寺へ返さなければならぬといったような実情がますます出てきておりまして、これはまことに遺憾にたえないのであります。さらにまた一方、今日、東京でも、あるいは大阪でも、あるいは名古屋等、各都市におきまして、いろいろな催しの中に文化財展覧会がある。そういうところへ出品いたしますと、やはり社寺等収入も相当ふえるというような実情どもありまして、私どもといたしましては、何とかしてこの両博物館における列品数量をふやしていきたいということを考えております。その場合にどうすればいいかと申しますと、やはり買い入れをいたしまして、そしてそこに適当なものをそろえるということでありますが、さあ、その予算となりますと、実に困ったものなんです。京都奈良も、たしか年額七十二万円ですか、それはちょっとした品物一点でも買うだけの値打ちはないのじゃないかということをおそれております。文化財保護委員会でも先般、野原先生の御があって、西行絵巻云々、あれは一億円もするといったのですが、昨年の文化財保護委員会の持っております買い入れ額が千六百万円、本年度もそうな人です。今年度は小さな国宝を二点買いましたら、もう千七百万円なくなりましたといったような実情でありまして、ほんとうに困っておりますが、これなども大きな意味においてほんとう文化財を保存するという見地から、もっともっと予算をふやしてもらわなければならぬというようなことを感じております。それから、もう一つは、何かほかに持っている——たとえば文化財保護委員会が持っております品物を回すということも考えなければならぬというようなことなども検討いたしておるのであります。少し長くなりましたが、そういう実情であるということを申し上げたわけであります。
  13. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 文化財保護委員会予算が貧弱なことについては、私もよく知っております。できるだけ予算をとるということが重要だと思います。  それからもう一つ、われわれが心配いたしておりますのは、先日も正倉院を視察したのでございますが、あの東大寺から正倉院の近くを自衛隊の飛行機がこのごろよく通るわけでございます。これはよくおっこちる飛行機で、もし一たびあそこの上におっこちると、どういう結果になるか、それから奈良上空遊覧飛行もこのごろ通るそうでございますが、こういうようなことについて、どういう対策を講ぜられるつもりであるのか、延暦寺が燃えてしまってから、あとでしまったといってもしようがありません。この間三井寺を見たときに、お互いに心配したわけでございますが、こういうような対策について事務当局はどんなようなお考えを持っておられるのか、河井委員長でも、あるいは岡田事務局長でもけっこうでありますが、何らかの対策をお持ちにならぬと、あとでしまったといっても、これはどうにもならないことになりますが、どういうようにお考えになっておるのか、とのことについても一つ御答弁願います。
  14. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 ただいまの御質問でありますが、実は正倉院の問題につきまして、ずいぶん頭を痛めました。それで過日も宮内庁当局と話し合ったのでありますが、ちょうど今お話の点で、あの奈良上空遊覧飛行をやるという計画を聞きまして、それではそれをどうするか、こういう問題であります。航空隊のことは私はそのときは問題でありませんでした。落ちておったかもしれません。宮内庁当局との話し合いで具体案はまだできておりません。けれども、何か法律をもって直接に上空を飛ばないような方法考えようではないかということにだけは申し合せてみたのであります。それをいかなる方法によって、どうするかということになりますと、これは非常にむずかしいことになりますが、まだ検討——何といってよろしいか知りませんが、とにかく直接の上空を飛ばないようにしようじゃないかということだけは考えたのですが、まだその具体案ができません。実はこの間も天長節のときに、宮中に行ってみますと、陛下のお立ちの上をすれすれに新聞社飛行機が飛んでいるのであります。そのときに私ども非常におそろしく感じたのであります。そういうようなことで、何とか方法考えたいと思いますが、いいお考えがありましたら、出していただきたいと思います。
  15. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 いろいろ委員長が気づかれておりますから、あまりくどくどしいことは申しませんが、何と申しましても、文化財というのはなかなかできないことで、燃えてしまえばおしまいでございますから、それに対する適当な処置を講じていただきたいと思います。先ほどの国立劇場といい、博物館といい、非常に重要なものでございまして、特に河井委員長の今後の活躍を期待するわけでございます。  最後に一点、先日保谷民俗学博物館を見学いたしました。あんなような物を集めることはなかなか容易なことでなく、一同感心したのですが、非常に燃えやすい物を持っておりまして、あんなような建物に火の粉が一つ振り落ちましても、すぐ燃えてしまうのじゃないかということが心配になります。特に日本のああいうような文化財は、何といっても木とか竹とかいうものが非常に多いので、しかも燃えれば永久にああいうものは返ってこないと思いますので、何らかの形で保存するような場所はないのか、あるいは文部省当局で倉庫を作るなりあるいは既設の建物でそういうものを利用するような方法はないのか、こういうことを御検討になっておるのかどうか。せっかくでございますから、これについての御感想を承わりたいと思います。
  16. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 民俗資料のことにつきましては、これはやはり文化財保護法の定めるところによりまして、重要なるものはこれを重要民俗資料指定いたしまして、その方の対策を開始するわけでありますが、まだこの方は仕事が手についたばかりでございまして、指定の物件も少く、またその指定の前提となります民俗資料の全国的な実態調査もできておりませんので、いずれにいたしましてもさしあたり全国的な実態調査をいたしまして、その分布図を作り、そしてそのうちから重要度に応じまして各収集資料につきましてそれぞれ指定すべきものは指定してこれを保護していきたい、かような考えを持っているのであります。ところで民俗資料を入れます民俗博物館は外国にはずいぶんございますが、わが国にはない。保谷一つりっぱなものがございますが、ぜひできれば、これは国立民俗博物館を作りたいということで、いろいろ案も立てまして、目下検討いたしておるのでありますが、できますならば国立民俗博物館をぜひ持ちたいものであるというようなことで、いろいろ検討いたしておる次第であります。それで保谷博物館の中には非常に大事な品物がいろいろございますので、さしあたりの問題として、あの建物が非常にいたんでおり、中に入れてあります民俗資料が非常に保存の状況がよろしくないということがございますので、さしあたりその民俗資料を収容いたしますところの収容庫を作ってはどうかという話もありますので、この点につきまして緊急の問題として、予算的にもぜひこの点は大蔵省に要求してみたい、かような考えでおります。この方は文部省大学局と非常に関係がありますので、大学局の方とただいまいろいろ打ち合せをいたしておるような次第でございます。
  17. 佐藤(觀)委員(佐藤觀次郎)

    佐藤(觀)委員 文化財保護委員会仕事は守勢に立つ場合が多いので、予算をとりにくいこともわれわれよく承知しております。しかし一たんなくなれば永久に返らないものをたくさん持っておられるので、われわれ野党といえども予算のことにつきましては、できる限り協力したいと思っておりますが、特に最近こういうような事故が非常に多いので、こういうようなことについては十分に注意をしていただくと同時に、やはり適当な防災施設なり防火施設なりを先にやって、そうしてこういうことの起きないように一つ御尽力を願いたいと思います。  なお国立劇場のことにつきましては、われわれも非常に関心を持っておりますので、委員会で決議でもして、そうして同僚諸君協力を得て積極的に新聞社の方々や、あるいは世論機関その他の有識者に協力を願って、一日も早く完成をするようにお願いいたしたいと考えているのであります。私の質疑はこれで終ります。
  18. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 委員長からも一つ今の国立劇場のことを至急お進めになるように特に希望いたします。  それから保谷民俗博物館を私拝見いたしまして、中の収集品は大へんりっぱなものだと思います。けれども外は実に大工小屋のごときひどいもので、台風が来たらすぐ吹っ飛んでしまいますし、中に入っておるものも虫など食っておりますし、これもすみやかに適当な方法をお講じになるように特にこの際委員長から希望いたします。
  19. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 ただいまから佐藤委員から文化財保護委員会の働きの及ばないところを強く御指摘になりまして御督励いただいたことを感謝いたします。それからただいま委員長から仰せられました国立劇場の推進の問題、民俗資料保護の問題につきましての適切な御意見等、これはつつしんで拝承いたしました。国立劇場の問題につきましてはすでに佐藤委員の御質問に対しましてお答えいたしました通り、どうしてもやらなければならないという立場になっておりますることを申し上げたので、御了承願えると思います。  それから民俗資料保護の問題、これは文化財保護委員会仕事といたしましてはまだ入ったばかりでありまするが、保谷博物館のごときものは実に大切なものでありまして、すでにあれの経営者からも、あの建物自分たちがこれまであらゆる力をもって保護してきたけれども、あれでもうやりきれないというくらいまできております、そういう話を持ち込まれております。私の方といたしましてはあの建物あるいは博物館等につきまして、将来のことはとにかくとして、直接には今その建物をわれわれの方の所管でもってどうしようということはできないかもしれません。しかし本省の当局と相談をいたしまして、この旨を伝えまして、何とかしなければ結局日本の大切な文化財が滅びていくというその観点から見ますれば、われわれの文化財保護委員会の立場と全く一致するものであると考えまするので、そういうことにつきましては努力いたすつもりであれます。そのことをお答え申し上げておきます。
  20. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 高津正道君。
  21. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 文部当局にお伺いしますが、文教委員会で美術行政を扱うということになると、会員の中に貿収運動を始めた者があって、私にそれを文書で持ってきた人がおります。読み上げてみますと「さて文教委員会が美術行政に監視の目を光らせてきたうわさに、ことに日展工芸部、特にそこの第一のボス岩田藤七がふるえ上ったようで、彼らの常套手段たる買収の魔手が僕にも及んできました。ある人物(美術商人)を介して、岩田攻撃のほこをおさめていただきたい、そのかわり運動費として御希望の金額を贈呈するというのです。もちろん僕はそんな卑劣な申し出を断固としてはねつけました。この魔手の裏には岩田ばかりではなく、高島屋の重役」これは川勝重役だと思います。「高島屋の重役と勅使河原蒼風のにおいもするので、よく考えると岩田を中心とした日展工芸部のボス化を追及されるのが恐ろしいとともに、例の日ソ国交回復記念現代日本工芸展にからまる彼らの不正を文教委で追及されるのが恐ろしいのではないかと思うのです。ソ連行きの工芸展は民間外交の第一歩で、神聖なものでなければなりません。また全国の工芸家が心魂を込めてそのために作って応募したのです。それなのにデパートのごとき業者が芸術院会員岩田藤七と組んで、売れ残り品をそこに出した事実は、神聖なる芸術国交に利欲をもって便乗した許しがたい冒漕です。」中略。「今度の文教委で現在日本美術行政の不備を文部当局に昔でも詰問されましたら、それだけでも美術界明朗化のあけぼのが開かれるのです。ぜひお願いいたします。」と、買収の手が及んでおるが、自分ははねつけた。およそ芸術院会員にあるまじき動きだと私は思います。これを、芸術院長は迎えに行っても、何を相談なさるのかまだ出てこられませんから、福田社会教育局長に聞きますが、こういうことに対しては処罰規定はないものですか。
  22. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいま高潔先生からお話になりましたような事柄につきまして、私どもはその事実を存じません。従ってそういったことが行われているかどうかということについては、的確に申し上げることはできないのでございます。そういった工芸展の問題につきましては、昨日の当委員会においてもいろいろ御質問があったようでございますが、これは文部省として別に後援している工芸展でもございません。そういった意味で、文部省としても開催の事前にその内容の詳細について聞いたわけでもありませんし、全然関係がなかったのであります。従ってその工芸展の問題に関しまして、いろいろ世間でいわれているといたしましても、私どもとしては現在それについてこうだということを申し上げるなにはないと思います。
  23. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 私はその答弁では満足できませんけれども文部省社会教育局の芸術課に芸術院の事務所があり、そうして日展の事務所もそこに初めはあり、いよいよ会が始まれば上野の会場へその事務所を移すというように、文部省が事務の担当主任になるのでありますが、芸術課の人で、ずいぶん絵とかその他の工芸作品のようなものをたくさんもらっているんじゃないですか。ひどい話を私は聞きます。責任を持って申し上げるのだが、会員の候補にあげられ、院賞の候補にあげられ、あがれば値段がすぐ出る。今でもそれだけの地位を持っている人で、大へんな人であるが、名前をあげましょう、田崎広介、この作家に対して、名前はあんまり気の毒だから芸術課の人が作品を頼みに行っておる事実がありますが、そういうことは非常に困るのじゃないですか。そういうことはどういうことになりますかね。一番悪いですよ。入学試験に通るか通らないかという家に借金に行くようなもので、かかざるを得ぬでしょう。絵なら絵をかかなければならぬ。かいたら、そのものは大へんなものになる。値段が出ることはわかっている。扱っている当事者がそこに行くのですから。あるいはまた、前の芸術課長に対して、茶道や生花を日展に割り込ませるためには猛運動をしたのだが、宗務課長が新興宗教の認証を扱っておるから、前の課長は非常に問題を起したのでだれも知らぬ者はないのでありますが、今の、田崎広介氏に絵をもらいに行ったか行かなかったか。そこから聞きますよ。
  24. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまの絵の問題でありますが、私はそういうことを聞いておりませんが、そういう課員が絵をもらいに行ったというようなことについては、十分調査いたします。ただ一言申し上げておきたいと思いますが、これは昨日の当委員会でも課長から申し上げたことと存じますが、芸術院の会員の候補の選考なりあるいは院賞の候補の選考につきましては、芸術院自体にいろいろ厳正な選考委員会を設けてやっております。従って事務当局はそれに対してかれこれタッチすべき筋合いのものではございませんので、それは一応別個にお考えいただきたい。
  25. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 勅使河原蒼風という人はいろいろ問題の多い人ですが、あの人を美術工芸部門で今度委嘱作家にして、あの人の作品が日展へ入っていくわけです。それは新しい変った型の生花の師匠としては非常にたくさんのお弟子さんを持っておる日本一の大家かもしれないけれども、美術評論家の立場から見れば、あの人を美術工芸象とは認めていないのであります。もし出品するとすれば、生花は出せないだろうから、オブジェのものを何か出すのかもしれぬが、そのようなことは実に許しがたいことであると思われるのであります。その工作をだれがやったかといえば、自分の第一番のお得意先、数十万人のお弟子さんを持っておって、岩田ガラスの花器を一番よく買ってくれるお得意先の勅使河原蒼風へのサービスとして、岩田藤七氏は審査員ですから、強引にボスの権力を持ってそれをはめ込んだというのはずいぶん乱暴だと思うが、それに対して局長はどういうようなお考えですか。
  26. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまの日展の参加の問題でございますが、その出品につきましては、これは御承知のように事務当局はその出品についていろいろ関与するということはないのであります。日展の運営会というものができておりまして、その運営会の理事会でもって出品に関するいろいろなこまかい点をきめておりますので、そういった日展に対する出品等はすべてそれに従ってやられるわけであります。従ってわれわれとして、専務当局はそういった点でそういう問題に関与するということはございません。
  27. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 いろいろ政府においては省内あるいは閣内あるいは純然たる省等の外に委員会を設けますが、その委員会の事務を政府機関において握っておって、いろいろな資料を出していくのでありますから、その事務当局意見がその委員会に非常に強く影響するということは、知らない者がいないくらいになっておると私は思います。統計であろうと出品数であろうとその他何でもみんな芸術家個々人は知らないけれども、その事務を全部芸術課でとっておるのでありますから、私は非常に影響があろうと思います。影響がないと言い張られるのであるけれども、そういうような妙な行動、策動をする会員が審査をやる常任理事になっておるのだが、そのような場合に、芸術院規則ではそれをどうすることもできないのですか。
  28. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまの御質問は日展の運営会の問題と思いますが、これにつきましては芸術院の第一部の会員が大多数日展の運営会に関与しております。従って人的な関係はございましても日展の運営と芸術院仕事とは別個のものになっております。従ってこのなにができないかとおっしゃいますが、これは技術上の問題でありまして、芸術院として規則その他によってこれを規制するというようなことはあり得ないと思います。それからまたさっき事務当局はいろいろ資料を出して、それが非常に影響するというような御質問でございましたが、日展の問題につきましては事務当局はさような資料を出していないと思います。
  29. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 高津議員に申し上げますが、今高橋芸術院の院長の方から連絡がございまして、本日は前約の用事があってどうしても工合が悪い、明日ならば出席をさせていただけます、こういうことであります。なお福田社会教育局長はやはり社会教育のほかの会合がございまして、どうしても十二時少し前にここを退席をさせていただきたいということであります。できれば明日やっていただけますか。
  30. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 明日はほかのがあるでしょう。
  31. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 ほかのがあるけれども、明日の午後でも少しとってやりましょうか。ここで伺うことはまだ少しけっこうです。
  32. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 日展は上野の美術館で、秋の美術のシーズンの最良の時期に会館を独占して開催されておるのであります。年々その入場者は増加していると認められるのでありますが、入場者の一日平均の数は幾らであるか、全期観覧人の数は幾らになるか、これをお尋ねいたします。簡単にやって下さい。
  33. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 今御質問のように少しずつだんだんふえてはおると思いますけれども、一日平均はちょっと出しておりませんが、大体十七万程度の人間がこの展覧会には入っております。
  34. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 十七万というのは第八回の二十七、八年の数字じゃないですか。現在もそうですか。
  35. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 十二回の三十一年度の実績におきましても十七万以上を数えております。
  36. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 およそ日展に出品する場合、鑑査と無鑑査とを問わず数千名の美術家から書道家を含めてすべて搬入一点に対して五百円の手数料を徴収しているが、その総計の金額は幾らになっておりますか。また観覧料の総額は幾らになっておりますか。
  37. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまその観覧料の総額、それから手数料の総額の資料を持ち合せておりませんので、これもまた必要があれば後刻お知らせをいたしたいと思います。
  38. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 そんなことは中田事務官もおれば、宇野芸術課長もおればすぐわかると思うが、何ゆえに隠されるか。  それでは次に進みますが、文部省社会局宇野芸術課長は担当事務主任として、これらの会計の詳細を日展運営会の総会はもちろん、同じく主催者である芸術院総会に発表し、報告しておりますか。
  39. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 すべて理事会に報告いたしております。
  40. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 このような重大なことを総会には報告しないのですか。
  41. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 総会の場合にも概略の報告を——総会は始終開かれませんので、年一回でございますが、そのときに概略の状況を報告いたしております。
  42. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 確かな筋から聞くところによると、その会計報告は謄写刷りか何かで総会などのときに会員に配るが、——まあこれは理事会のことかもしれませんが、その場でまた一枚残らずそれを回収するそうですが、どうしてそういう風変りなやり方をするのですか。
  43. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 理事会で報告いたしまして、行なっておりますので、そういうふうに扱われております。
  44. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 どうして回収されるか、その理由がわれわれにはわからぬが、その点はどうですか。回収することはめったにないでしょう。
  45. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 理事会の取りきめでそういうふうに行なっておるわけであります。
  46. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 それじゃ責任は理事会になりました。  次に尋ねますが、だいぶ大きい黒字だということはだれも想像するところです。また貧乏な人々が好んでそれを話題にもするところですが、その支出のうちで税金を初め、大口から十項目ほど金額をこの文教委員会に対し、私の質問に対する答弁の形で今お示しいただきたいと思います。
  47. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 今のお尋ねは項目の形でございますか。
  48. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 そうです。税金に幾ら、それから宴会費に幾ら、その項目を……。
  49. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 それはただいまそういうこまかい資料を持っておりませんので、整えまして御報告申し上げます。
  50. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 政府の大臣はそうでないが、局課長においては何を問われてもこまかいのは一括してちゃんとだれかが持ってきているはずなんですよ。見るだけの手数をいとわないで、それはそこですぐ答えて下さい。
  51. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまその収入支出の関係お尋ねでございますが、これは日展の運営会の問題でありまして、まあわれわれがそういう内容を申し上げるのもどうかと思いますけれども、大体のところは一千万以上の収入はあるということは私どもも聞いております。それについてのこまかい、どういう支出ということは、これはまた具体的に尋ねないとわかりませんが、そういう状況でございますので……。
  52. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 それではその数学をあなたに質問しておりますから、だれかがここへ持ってきてもらいたいのです。
  53. 野原委員(野原覺)

    野原委員 ちょっと関連して。これはやはり具体的な会計面についての質問ですから、委員会は国政に関してはあらゆる質問ができるわけなんです。質問されたら答弁はあなた方の義務なんです。それができなければやめてもらう以外にないのです。だから今高津委員から質問しておることに対して正確な資料の持ち合せがないので答弁できない、これはごもっともな点もあろうと思う。それで今文部省にあるでしょうから、あなたが行かなければ書類を持ってとられないならば、委員長にあなたから要請をして、文部省は五分もあれば行ってこられるのですから、その書類を持ってきてやはり答弁をしてもらう。その間高津委員は関連した他の質問を続けていただく。議事進行として委員長においてよろしく取り計らっていただきたい。
  54. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 もっともなことと思いますから、さよう文部省の方で御尽力願います。
  55. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 近年、日展は出品作品のうちから相当部分を選んで地方の大都市にも進出して収入を得ているのでありますが、それらの昨年度収入はどのように扱われておりましょうか。どのように使用されたかという意味でお尋ねするのであります。
  56. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 大体展覧会は、ただいま福田局長から申し上げましたような、一方で入金がありまして、それに対して支出をいたします。毎年若干の剰余金は出ております。
  57. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 その剰余金は芸術院の雑収入ということになっておるのですか。
  58. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 これは運営会の方で扱って参っておるわけであります。芸術院ではございません。
  59. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 初めて明快な御答弁を聞いて私は満足しておりますが、日展審査を受けるべく全国から多くの美術家が自己の作品を搬入するまでには一カ月、二カ月、長きは数カ月も言うに言われぬ苦労をしておるのであります。財政的にもこれは大きい負担です。そこで申し上げるのですが、黒字が出る以上、それを入選者に対しいかに少額であろうとも配分したら、まだ作品で収入を得ていない人々も非常に多いのでありますから、どんなにか喜ばれるであろうかと私は思うのであります。常連というか、古参、作品で収入が余るような人がある、そういう人はその金額などは全然問題にしないことも私にはわかっておりますが、文部省においては、そういうようにしたらよかろう、こう私は考えますが、それに対してはどういうようにお考えでしょうか。私自身は美術国日本という看板もあるのだから、日展の黒字に国家が一千万とか二千万とか追加して、その合計額を全出品者に分配したらなおよかろう、こう考えておるわけでございます。御所見を承わりたい。
  60. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまの御質問、まことにごもっともなお話のように伺いました。日展の運営につきまして、黒字が生じて剰余金が積み立てていかれ、ある額に達しますれば、それはそういった方面に使われるのも一つの方策だと思います。従ってそういった剰余金の処分については、今後もわれわれとしては運営会に対しまして今のお話のような事柄も伝えまして、十分研究してもらいたいと考えております。
  61. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 また岩田藤七ですが、昨年特選は十個しか出ないのに、岩田藤七と久利、この二人でそれを取ってしまったので、二割だけ減ったといって、美術界で非常に問題になっているのであります。しかも岩田は審査員でもあれば運営会の常任理事でもある、そういう地位におる人が、自分の問題だから席をはずすといってそのときには出ていくそうですが、あとに残った人の顔ぶれがわかっておるし、結局本人の希望がわかっておるので特選にしてしまう。自分の地位を利用してずいぶんひどいことをやるものだというのが美術界の一般の定評になっております。そうしてそれはおかしい、あの人はガラスの専門家じゃないか、今度は彫金を出したのだから、それだからそういう意味なんだ、こういう弁解だけれども、たまりかねて芸術院では、今後芸術院会員はその特選はとらない、若いりっぱな人を奨励する意味で出すものなんだから、とらないという決議、申し合せまでした。それならばずいぶん赤面して、入選作品の審査をやるその常任理事などをやめるべきだと思うのでありますが、やめないで、ずっと強引に、ソ連に行く日本工芸展の問題がそのあとで起っておるので、何ら反省の色も見えないのであります。そうしてまた御令息の久利、ひさとしと書きますが、久しく利益を守るという久利……。(笑声)その人のガラス作品は、フランスにあった同じアイデアのものを盗んだのではないかといって、芸術新潮などでは写真まで入れて非常に騒いでおるのであります。親子とも問題があって、その親子が二人で特選をとっていってしまうというような、そういう運営があっても、文部省としては黙っているのですか。
  62. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 これは先刻来申し上げましたように、日展の運営会の問題でございまして、今名前をあげられました方も、これは互選によって出てくる方でございまして、文部省としてはそれにとやかく申す筋合いのものではない。従って今おっしゃったようなことについて文部省として干渉するとか、そういった点は適当でないと思います。
  63. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 それではちょっと方向を変えますが、国立近代美術館の館長、副館長にはどういう人を任命していますか。
  64. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 御承知のように、国立近代美術館の館長には岡部長景さん、次長には今泉篤男さんが……。
  65. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 今泉という姓が思い出せなかったのでありますが、この人の地位は、芸術家にとって展覧会場を借りるということは非常に重大なことであるが、国立美術館に関する限り、その会場を借せる借せないの実権を持っている人であります。第二に、この人は国の金でもって、買い上げ資金を持っております。これも美術家にとっては、憎まれたら自分のものは買い上げをしてもらえない、こういうことになります。第三には、みずからの企画によって展覧会を開く場合、あるいは国立近代美術館において展覧会を開く場合、その選をする。だれを入れるかという、そういう権限ももちろん持っております。さらに、美術批評家はそういう場合の選者のような形、審査員になる人が非常に多いので、あの人も大ていの場合に参加しておるのでありますが、そういうような地位を持った人が評論の筆をとる場合に、非常に感情的であって、そうしてやっておるのは自分の所管事項を批評しておるのでありますが、あるとき川端龍子氏の展覧会にひょっと現われて、業務部長か業務課長かなんかを連れて現われて、松方コレクションの寄付を頼んだ。龍子氏は、信ずるところあって、それを断わった。すると、青龍展を見て、その感想にこういうことを書きまくったのであります。「龍子の画技は、従来とても日本画壇に無意味なものだったとは私は思わないけれど、それにしても、こう手軽に自分の画技にひきずられている態度は何とも歯がゆい。世間では龍子の仕事を達腕だとか、奔放だとか賞めたような賞めないような、いいかげんなことを言っており、龍子また片意地で押し切ろうとしているようだが、ほんとうに龍子のために苦言する者がないらしい。今年の大作も散漫なゼイ弱さ。大ゲサなだけで真の迫力のない画面表情、折角のエネルギーが大幅のうちに空転しているだけだ。その無意味な混濁も気になることの一つだ。こんな仕事を続けていたら、龍子の晩期の作品は何の進展も望めそうもない。このような筆達者というだけの技術は近代絵画の技術でも何でもないことを考えて欲しい」と、こうたたきつけたのであります。そうすると龍子がひどく怒っちまって、「一寸の虫にも五分の魂」という大論文を書いたのです。それは怒るだろうと思います。書いておる長いのを読むのは委員会の皆さんに失礼でありますから、端折って読みますが、「こう手軽に自分の画技にひきずられている態度は歯がゆい」などと指摘されても、私自身は十二時間労働で二カ月くらい苦心して描いているのだ、ちょっとあのとき寄付金をとりに来ただけしか絵も見ていないではないか、ずいぶんひどい男ではないか、こういうのであります。それからまた、氏の苦言なるものも——氏はもちろん今泉氏でありますが、氏の苦言なるものも、果してそれが一画人を指導する誠意に発したものか、批評家としての権威を誇示しようとしたものか、自分としては何か割り切れぬものが感じられる。寄付を出さなかっただけでひどいことを言い出したと、こういう意味のことを書いています。最後に「龍子の晩期の作品は何の進展も望めそうもない」と、これはおみくじの凶を引き当てたような断定を下されたに至っては、いかに今泉氏が批評界の権威としても、これは批評としてはいささか僣越千万といわざるを得ない。何の進展も望めそうもないの一言については、望み得るか得ないかは、要するに龍子一身の精進努力いかんによってのみ決定することである、こういうふうに怒らせておるのであります。そこで私の質問することは、文部省の役人が、そういうもろもろの実権を持っておる役人が、画壇の一方の雄に対してそんなに所管事項に対して犬糞的に書きまくるということは、それは公務員の適当な仕事のやり方でないことはもちろんだが、行き過ぎだとは思いませんか。福田局長は行き過ぎだと思うか思わぬか、そういう点をお伺いいたしたいのであります。
  66. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 大へん詳しいお話を伺ったのでありますが、今泉次長は御承知のようにそういう評論家としても相当な有能な方でございますので、いろいろな美術関係のことに関して批評も書けば、あるいはいろいろな仕事に頼まれると思います。しかしながらそれが全部近代美術館としての仕事と関連があるかどうかということは、よく調査しなければわかりませんが、今おっしゃいましたような事柄につきましては、私の考えとしては近代美術館の公的な仕事としての今泉さんの仕事と直接関係のあるものでもないであろう、こういうように考えております。適不適はこの際は差し控えさしていただきたいと思います。
  67. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 高橋委員長がお見えになったときに、日展の仕事芸術院から分離したら芸術院はりっぱなものになって残るであろう、私は分離した方がいいという考え質問しておるのでありますが、日展はこんなボロが出ておるということを言っておるのであります。日展の審査には師弟関係の情実がものを言っている、それが第一点。第二点は、運動が効を奏するという場合が非常に多い。第三点、わけても大ボスの専横が目立っておる。これは全国の若い美術家の身になって考えましても、日本美術の振興を阻害する点をわれわれが考えてみましても、憂うべき現象だと思います。それだからこそ先年日本画の横山大観去り、最近洋画の梅原竜三郎の脱退をみるに至ったのだろうと思いますが、ここに原因がある。日展の主事を文部省術課長にやらしておる文部省として、こういう弊害があるので、大物が皆去り行くのだ。こうはお考えにならないかどうか。
  68. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 世間でいろいろそういった問題を聞きますけれども、私どもとしてはそうは考えないのでありまして、今度の梅原先生の問題にいたしましても、私は直接お会いしていろいろお話を承わったのでありますが、先生の心境と申しますか、非常に淡々たる心境でございまして、そういう点はみじんもなかったように私は看取いたしました。ただそういう問題はなくても芸術院と日展の開催の問題は、高津先生がおっしゃるように、確かに研究問題であろうと思います。これは文部省といたしましては、終戦後かつての官展がこういう形にでき上りますまでにはいろいろの経緯がございます。現在芸術院におきましては現在のような開催の仕方が非常に意味があるということを認めて開催をいたしておるわけであります。従って芸術院自体でもいろいろ研究される余地があるかも存じませんが、文部省といたしましては今後こういう芸術院一つの国の栄誉機関としての芸術院として、日展の開催という問題については、将来研究していい問題ではないかと考えます。その点はただいまの御意見に私どもは一部同感の意を表したいと考えております。
  69. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 林武画伯が新聞社の求めに応じて談話を発表されたのを見ると、しかもけさの朝刊でありますが、自分に運動すべき人間のリストを持ってきて、そうしてそのうちには書道のだれだれさんの名前もある。そんなところへ運動に行ってまで自分は何も立身出世しようなどとは思わない、こういうことを言っておるのであります。当事者がいうのですが、そういう運動の事実がたくさん行われておるのだ、お参りをするということがたくさん行われておって、その煩にたえないということも理由の一つ——梅原氏の書かれたものの中にもやはりあるのでありますが、そういう運動をするとかしないとか、院賞の場合も、お参りになる場合も、そういう事実をお認めですかどうですか。
  70. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 これは世間でよくそういうことを言う向きもあるようでありますが、私どもはそういう具体的な事実を存じません。さっき申し上げました、院賞の選考の場合も会員の候補の選考の場合も相当多数のものによって選考され、それが公平な投票によってきめられるというな仕組みになっております。かりに一、二のそういう運動がましいものがありましても、結果においてはそういうものは成功してない、こういうように考えております。
  71. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 洋画は学校からたくさん出てくるという関係があってそれほどでもないが、日本画の場合は師弟関係が非常にものをいう。その塾の者、自分のお弟子さんの者をことし通してもらえば来年は君の方の者を通そうというように、師弟関係が非常にものをいうという事実があるのですが、それはお認めですか、どうですか。
  72. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 そういった、交互に談合行為があるようなことは、私どもは聞いておりません。
  73. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 ボスの専横という事実はやっぱり認めないのですか、どうですか。
  74. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 お尋ねの内容、よく推測いたしかねますけれども、ボスかボスでないかは存じませんが、それはやはりどこの世界にも有力者というものはおりますので、そういった方々を中心にしてある程度運営されるということは、これはそう言っても差しつかえなかろうと思います。
  75. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 毎年十月の末から十一月一ぱいにかけてずっとそういうことが新聞でも書かれ、そのころの雑誌にもずいぶん書かれておるのだが、あなたはそれを読んでいるのですか、どうですか。
  76. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 私は全部読んでおりませんけれども、気のつく限りはそういうものにも目を通しております。
  77. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 きょうは高橋委員長に今の分離の問題、私の案を持っておりますから、保留しておきまして、あとでそれをお伺いしたいと思います。
  78. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 先ほどの野原委員お尋ねの件につきまして、大急ぎで調べさせましたので、こまかい数字につきましてはあるいは多少の食い違いがあるかもしれませんけれども御了承願います。調べました資料で去年のだけ申しますと、去年の総入場者は十七万二千四百人ということになっております。そうしてそのうち有料の入場者——承知のように相当大幅に招待関係その他で無料入場者が多うございますので、有料入場者が約十二万九千名でございます。その展覧会収入でございますが、入場料による収入は約七百九十三万円でございます。それから手数料、さっきお話のありました出品手数料でございます。これによるものが二百七十三万円くらいになります。支出の方は、秋の展覧会までまだ間がありますので、その間の準備の費用もありますが、おおよそ千六十余万円くらいの支出を見込んでおります。これは例年に合せましてその数字を見込んでございます。その前の展覧会の場合には支出が千五十八万円を要しました。そういう状況でございます。
  79. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 今調べて報告してもらって、その点はいいですが、田崎広助という問題の作家に、作品をもらいに行った人を局長は十分お調べを願いたいです。
  80. 宇野説明員(宇野俊郎)

    ○宇野説明員 私、その点全く思い当りがないのでありますが、もう少し具体的にお話しいただけませんでしょうか。
  81. 高津委員(高津正道)

    ○高津委員 それは本人の田崎さんがちゃんと言うのでありまして、名前を言っていいと言われても、およそ人の数はわかっておるのでありますから……。
  82. 福田説明員(福田繁)

    ○福田説明員 ただいまの点はよく調査いたします。
  83. 長谷川委員長(長谷川保)

  84. 野原委員(野原覺)

    野原委員 すでに十二時も相当経過しておるのでありますが、昨日の文教委員会の申し合せもございますので、質問を継続したいと思います。  河井文化財保護委員長お尋ねしたいのでありますが、例の、あなたも御承知奈良の肥鉄土会社の問題であります。これはあなたも御承知のように、二つの許可条件を付して認めて参ってきております。一つは、この肥鉄土会社の有料道路、若草山の有料道路を昭和二十九年六月二十六日付で許可をしております。そのときに、三年間の期限を付しまして、六条件を付しておるのであります。もう一つ、四百メートルの道路がいろいろな問題で未許可になっておりましたのが、昭和三十二年、本年の三月三十日付でこれもまた六つの条件を付して許可をされておるのであります。これは岡田事務局長はその経過を詳細御承知のはずであります。しかもこの昭和二十九年六月二十六日付の許可は三年間の期限が付されておりましたから、本年の六月二十五日でこれはその期限が満了するわけであります。従って本年の六月二十五日までに、この昭和二十九年六月二十六日付で許可をした六つの条件が果して完全に履行されておるかどうかという問題が一つであります。それからもう一つの問題は、ことしの三月三十日に六つの条件を付して四百メートルの道路について許可をした。これは私が本年の四月十一日の本委員会においてあなたにお尋ねをいたしました。これは一体期限はどうなるのかと尋ねましたところ、できるだけすみやかにやるのだ、こういうことであります。しかしそれではちょっと主観的になるから、客観的に何月何日ということがあるだろう、こう質問をしましたところ、岡田事務局長は五月三十日で期限満了になるのだ、こういうことであったのであります。そういたしますと、本年の五月三十日でこれもまた期限が満了しておる。第一の許可をしたのはことしの六月二十五日で満了しておる。しかも私どもは、この肥鉄土会社は、ここには並木委員もおいででございますが、並木さんがよく御承知のように、相当問題がございまして、無断で史跡地を現状変更することはけしからぬということで相当強硬に文教委員会で与野党一致して文化財保護委員会に反省を求め、決断を求めたのであります。しかしいろいろないきさつがあって、条件を付して認めなければならぬ。しかもその条件は文化財保護委員会が責任を持って履行させます、こういうことでございましたから、一応私どもはそういう経過もあるしあるいは文化財保護委員会の良識と、あなた方が責任を持つというのだから、その責任の遂行に期待する以外にないというので、遺憾ではございましたけれども、しぶしぶ認めてきておるのであります。従って問題はこの二つの事例における六条件というものが、二十九年と三十二年、これが一体完全に履行されておるのかおらぬのか。それを私どもは聞かなければならぬ責任もあるのであります。どうなっておりますか、お伺いしたい。
  85. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 ただいまの野原委員の御質問にお答えを申し上げます。  第一は、正倉院の西側の道路の問題であります。六月二十五日に竣工させるという条件、それが実施できているやいなや。こういうことが一つ。第二は正倉院の東北にできるところの四百メートルのうちの二百メートルの舗装ですね。その舗装がなるべくすみやかと言ったけれども、実際には五月三十一日を期しておるということで、その期限内に完成したかどうか。こういうお尋ねと了解いたします。それをお答え申し上げます。  第一点の正倉院の西側の道路の舗装につきましては、お話通り今年の六月二十五日ですか、竣工するはずになっております。そのことを条件として認めまして、会社に舗装を許しておるのであります。しかしこれは現状におきましては、百十メートルしかできておらない。これは条件を履行しない、はなはだ遺憾なことでありますが、それにつきまして会社側の申し分は、側溝の必要な場所と側溝が必要でない場所とあるので、側溝の必要である場所は今舗装ができない。それはつまり県によってその道路に側溝をしてほしい、こういう問題がひっかかりになりまして、今停頓しておるのであります。しかしながら、委員会といたしましては、どちらにいたしましても、すみやかにこれを完成しなければならぬということはもちろんでありまするから、一方におきましては、奈良県知事に対しましてその側溝をすみやかに作ってくれということを要求いたしておるのでございます。  それから第二の点は、正倉院の東北隅の外側から二百メートルの道路の舗装でございます。これは五年末日までに舗装を完成しろ、こういうことであったのでありますが、これもはなはだ遺憾でありましたが、六月の十七日に完成して、建設省の検査を経た、こういう報告になっておるのでございます。私はこの両件につきまして、非常によろしくないということは考えております。しかし今もお話がございましたように、四月の十一日の本委員会におきまして、特に野原委員からその点について強い御警告がありましたので、私は、四月十一日の直後でありますが、会社に対しまして文書をもって厳重な注意を喚起しておきました。それのみならず、関係官庁、すなわち奈良県知事及び奈良県の教育委員会に対しましても、こういう態度をもってこれを曲げることはできないということを強く要望いたしますと同時に、それらの出先機関におきまして、やはり強くその推進に努めるように要望をいたしたのであります。それからなおつけ加えて申しますが、この問題の重要性にかんがみまして、私どもといたしましてはできるだけの努力はいたしたつもりであります。五月末までに課長を派遣したこと二回、それから文化財保護委員会の事務局の次長、また六月の初めになりますが局長を派遣いたしまして、会社側及び県知事、または教育委員会等と繰り返し繰り返し、ずいぶん極端なほど努力をいたしました。さらにまた東京において奈良県知事とも面会し、知事とはとうとう面会することができませんでしたけれども、やはりこの問題をすみやかに進行するようにということを要望いたしたのでありました。  会社側からは、この道路の舗装につきまして、それを請け負うところの会社との請負契約をやった。ところが甲の会社と契約したが、その履行がうまくいかないので、乙と契約し直したとかいうようなこと、さらにはまた雨天であるために工事がおくれたとかいうようなことの弁明をいたして参ったのでありますけれども文化財委員会といたしましては、私はすでに三月の三十日に条件をきめて言い渡したのでありますから、五月の末まで満二カ月もあるならば、多少の雨天があろうがどうであろうが、そんなことはこの仕事の進行には妨げないということを私は確信いたしまして、ただいまのように繰り返し繰り返し厳重な催促をいたし、また係官を派しまして、これの推進に努めたのであります。  さらにまた官内庁との関係におきましても、正倉院の保存審議委員会委員に加えられまして、それらの実情を詳しく話し合い、御物の保存につきまして、さらに慎重に周密な手段をとるということをお願いしまして、さらに宮内庁の側においても、宮内庁自身がとるべき手段としてとることもしようというようなこともありました。  さらに進みましては、さっき佐藤委員からのお話にもありましたように、一体正倉院をどういうふうにして保護するかというようなことにも及んだのでありますが、それはまた航空関係ばかりでなしに、一体奈良の都市あるいは京都の都市の美術を守るのにどうしたらいいかというようなことにまで及んだのでありますが、まだそういうことについての具体的の意見はまとめることができない、こういうような状態であります。このことを考えてみますると、私は会社は誠意がなかったということは考えますけれども、しかしおそくはなったけれども、とにかくやったことはやったということで、やむを得ない立場に立っておるということを申しまして、私がこれまで全く無責任に放任しておったのではないということだけは、少し弁解になって相すみませんが、申し上げておきます。さらに私は今後につきましても、まだまだ十分でないという点につきまして、もっとこれを完全にいたしたいということを考えておるものであります。
  86. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 野原委員質疑中でありますが、本日の委員会日程の都合により、この際先ほど佐藤觀次郎君から質疑のありました国立劇場実現に関する件についてお諮りをいたしたいと存じますので、野原委員の御質疑はそのあと続行していただきたいと存じます。     —————————————
  87. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 それでは国立劇場実現に関する件についてお諮りいたします。  その案文を朗読いたします。    国立劇場実現に関する件  文化国家の象徴であり、かつ伝統芸能の保全、振興の中枢機関たる国立劇場創設の緊要性は、既に論議の域を脱したものと認めるから、政府はすみやかに敷地決定し、その建設に必要な予算措置を講じ、その具体的実現をなすべきである。  右決議する。 以上でございます。これを本委員会の決議とし、議長に報告し、関係政府当局に参考送付いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  88. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
  89. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 委員長に一言。国立劇場設立を急速にせよというただいまの具体的の御決議をいただきまして非常にありがたく思います。それと同時に、私どもといたしましては実に責任の重大なことを痛感するものであります。さきにも繰り返し申し上げましたが、この問題につきましてはあらゆる力をもちましてこの実現を期したいということを重ねて申し上げておきます。ありがとうございました。     —————————————
  90. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 では野原君の御質疑の続行を願います。
  91. 野原委員(野原覺)

    野原委員 ただいま河井委員長からるる御答弁がありましたけれども、るる御答弁をしなければならないくらい実はあなた方としてはこれは何とも文教委員会に対しては申しわけが相ならぬことなんです。私はこのことを予見しておったのです。私は念のために四月十一日の速記録を調べてみましたが、私はこういう質問をしました。「五月三十一日まで舗装しなかったからといって、この許可を取り消すようなことは、今日までの文化財保護委員会の実績から見てこれはようやらぬと思う。」と私は丁寧に——あなた方はようやらぬということを予見したからこう言ったのです。河井さん、あなたは責任をもってやれると思うが、今日までの実績というのは、実は過去四、五年の経過を見ればわかるのであります。どういうものか、この奈良の肥鉄土会社にはどういう弱味が一体あるというのです。文化財の事務局あるいは文化財委員会は、前の委員長の高橋さんは、そういうことは断じてないと、顔色を変えて言われますけれども、どうも私が見たところによると、どういうものか、無断の史跡の現状変更あるいはその他、この正倉院の問題にしても実に優柔不断で、やり方が手ぬるいんです。こういうことで一体あなた方は、文化財保護の責任が保てるのか、私ははっきりこれは申し上げたい。ところがあなたは「過去のことについてはちょっとお答えができません。しかし私はこれが実行できるものと期待してその決意を持っておるわけであります。」河井委員長の決意きわめて怪しいものでありまして、五月三十一日になってもこれはやらなかったのだ。三月三十日から四月、五月と二カ月たってもなお二百メートルの舗装はやらぬのです。できるだけすみやかにやるということが条件だった。それをやらないで——これはおそらく五月の二十九日ごろ事務局長はたまりかねて、これをやらなかったら大へんなことになる。これは委員長が文教委員会で約束もしていることだからというので奈良までいらっしゃったという話です。いらっしゃって現地に行って、そうしてこれは大へんなことになるから、やれといって無理やりにこじつけて何とか六月の中旬になって格好をつけたというのが、この本年の三月三十日付の六条件の第一条件の履行状況なのです。あとの五つの条件は一体どうなっているんです。三月三十日付の四百メートルは舗装だけの条件ではなかったと思う。舗装についてもただいま言うように約束の五月三十一日までにはやらない。何回となく督促をしなければやらぬ。実力行使に訴えるようなことまでしなければやらぬという、こういう不誠意きわまりないところのこの会社は、残りの五つの条件については一体どういう状況であるのか。この期限はできるだけすみやかに——できるだけすみやかにということは直ちにやることなんだということを委員長は四月十一日に答弁しておるのですよ。あとの五つの条件の状況を御答弁願いたい。簡潔にやって下さい、時間がないから……。
  92. 河井説明員(河井彌八)

    河井説明員 お話通りなんです。実はこの仕事の完成を期するためにはすべての条件もやはり必ず所定の期日通りにやる、やらせる、こういう決意を持っておりました。また実際私はそれができなかったことを非常に申しわけない、遺憾だと思います。しかし私としては安閑として待っておったわけではないのです。実際できるだけのことをこれはいたしたつもりなんでありますから、おしかりはどんなに受けましてもこれは喜んで受けますけれども、私のごときものが最善を尽したということだけはお認めを願いたいのであります。しかしおしかり下さることにつきましては、私は喜んでおしかりを受けます。やむを得ません。(「喜んではおかしい、甘んじてだろう」と呼ぶ者あり)どちらでもよろしいですが、野原先生一つよろしく……。  それからあと植樹の問題があります。あの頂上に参ります道路の植樹、これもまだうまくいっておりません。実際私も非常に遺憾であります。遺憾でありますが、今さらこれを取り消してしまうわけにはいきませんし、結局督励するという道一つ、そのほかにやり方はないと思います。これにつきましても大いに引き続いて努力するということもさきに申し上げたのでありますが、そういうつもりでおります。大体それで御了承をお願いするほかはない、そういうふうに考えております。
  93. 野原委員(野原覺)

    野原委員 これはますます私は了承できません。去年の秋に、ここにおる並木委員、それから前文教委員長佐藤委員、私がわざわざ国の金を使って出張をして、忙しいのに奈良まで視察に行ったのです。それは去年の秋のことで、史跡地内に五カ所ほど無断で肥鉄土を掘っておる。若草山の山肌が五カ所赤土で荒らされておる。これは史跡地内に無断でやっておる。無断で現状変更をやることは相ならぬと文化財保護法は書いておるわけです。こういうことをやったものには罰則まで実は今規定しておる。私はそれをなぜやらぬのかと言ったら、どういうものか、やれないと言うのです。何か弱みがあるらしいんですよ。あなたはあとから文化財委員長になったから知らぬのだ。私ははっきり言いますよ。どうもあるのじゃないか、私どもに言わせれば、そう見ざるを得ない。文化財委員会というのは、文化財保護法を忠実に実は実践するところなんですよ。そのために法律を国会は作ったはずです。その法律を忠実にやらないで、しかも去年の秋に私ども国会議員が行ったときに清水次長も一緒に来て、現地で実は注意をしたのです。直ちにやりますと言って、今日に至るもなおやらない。しかも本年の三月三十日には文書でもって文化財保護委員長の名前で会社に通知を出してもなおやらない。あなたは最善を尽しておるのです。最善を尽しておるか知らないけれども、相手の会社というものはせせら笑っておりますよ。せせら笑われて、そして私は最善を尽しておるから御了解願いたいと言われても、私どもは法律をじゅうりんして文化財保護しない、こういうような会社のやり方というものを黙認するわけにはいかぬのです。文化財保護委員会は、それはいろいろないきさつがあって、せざるを得ないかわかりません。しかし文教委員会はそのようなことはできません。私はこれは好きこのんでこの問題を何回となくやっているわけではない。これは氷山の一角だと思う。この奈良の史跡地の無断現状変更に対してすら、このような優柔不断な文化財保護委員会だから、今日の日本文化財のこの荒廃の体たらくになったんですよ。今私どもはこうして決議を上げましたけれども、この国立劇場の問題だって、昭和三十一年からやるという報告だったんです。この問題でもことしに至るもできない。スズメの涙のような千何百万円かをもらって、そうして昭和三十五年度までに努力しますとあなたが力んでみてもこれはできやしません。私ははっきり予言しておきます。これはできないです。今日の文化財保護委員会では保護委員諸君を総入れかえをするほかはない。今のような優柔不断な、そういう弱腰では、これは何もできない。私の言うことが過激であり、むちゃであるというならむちゃである点を指摘してもらいたい。奈良の若草山のことは、何と言われても答弁できませんよ。問題はこれだけじゃないのです。これはほんの一例なんです。すべての今日の日本文化財行政というものは、これか如実に示しておるのです。そこで私はこういうようなことばかり申しても何でございますが、これは植樹の問題散水の問題です。五つ条件かあったんでございますけれども、何一つやられていない。しかも、第五の条件には、「以上諸条件実施に関しては、すべて奈良県教育委員会の指示に狂うこと。」会社はその他史跡の保存に関する事項については奈良県教育委員会の指示に従うこと、現地の奈良県教育委員会の指示に従わねばならぬと言っておりますけれども、私の調査したところによれば、奈良県教育委員会の指示に従うどころか、奈良県教育委員会が御影石をもって旧東大寺の境界のそのあとに八十本立てようといったら、持っていった労働者を追っ払っちゃったんです。私は法律を無視した暴力にもひとしいようなこういうやり方が、これは認められていいのかというのです。こういうことを認めるか、認めぬかは文教委員会じゃないんです。文化財保護委員会なんです。だから私どもは去年の秋に参ったときに、実は私ども現地を視察した並木佐藤両氏とも相談をして私ども意見を出そうじゃないかと言いましたけれども、しかしこれは決議機関でありますから、文化財保護委員会に要請勧告だけを出して、保護委員会が行政上の主体であるから、保護委員会にこれはやってもらわなければならぬというので、私どもはあなた方のやることを見ておった。そうしたら本年の三月三十日にそれを出しますというのでそれもがまんしてきたのです。五月三十一日というから五月三十一日まで見て、これでやってくれれば、いろいろ問題はあるけれども、とにかくこの辺でほこをおさめようじゃないか。文化財保護委員会委員長がかわったことだから、相当魂を入れかえてやってもらえるだろうと期待をしておりましたが、何ぞあにはからんや、魂の入れかえどころか、魂はどこに行ってしまったのかわからぬような状態になっておるのです。そういうわけです。  そこでお尋ねをしたいことは、昭和二十九年の六月二十六日に有料道路を許可するときに、あなたの答弁にも、高橋院長の答弁にも、速記録に出てきておるのでございますが、一体これを許可してよいか悪いかということが、やっぱり相当論議をされたのです。文化財保護委員会の事務局でも委員会でも、そのときにこれを許可することに傾いたのは、奈良の奥田知事から副申書が来ておった。だからその副申書というものが、相当文化財保護委員会に、県知事までがこういって責任を持つと言っておるんだからというので、あなた方にそういう心証を与えて許可をしたということであります。四月十一日にあなたもこれはおっしゃっておるのです。高橋院長も何回となく申しておりますし、岡田事務局長の答弁にもあるわけです。だから私は奈良県知事の昭和二十九年六月二十一日付——今から三年前の許可をするときに現奈良県知事奥田氏は、どういう副申書をあなた方に出してきておるのか、会社側の申請書に添えて知事の判こを押して出してきた副申書なるものを一ぺん読み上げてもらいたいと思います。
  94. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 ちょっと先ほどの委員長の説明に補足させていただきます。三月末に認可をいたしました条件のうち正倉院の北側から山に向う約二百メートルの舗装につきましては、王月末日までを目途として完成するように、こういうことで、これは条件ではありませんが、通知書にそういうことが書いてあり、それを私どもの方から厳重に督励をいたしておきました。先ほどお話がありましたように六月十六日になりましたが、その間に何回となく測量を加え、調査をいたしますこと四回、また県の教育委員会においてもほとんど連日のようにいたしたのでございます。ただこれはちょうど雨季でありましたために工事が非常におくれたということが一つ、もう一つは何か請負の関係でおくれた、それから建設省の舗装の認可が四月の十六日にあって、それから工事を始めたというような私どもがあまり予想をしていなかったようなことが起りまして、いろいろな事情でおくれたのでありますが、私どもといたしましては、とにかく申請通りの工事を施行いたしたのであります。  それから散水の方は、とにかく四月、五月はやったようですが、ただ六月に至りまして雨が降ったせいでありますが、あまりはかどっておりませんので、これは条件通り厳重にやるようにということを最近も督励をいたしました。  それから肥鉄土を無断で取り去りましたことでありますが、これもずいぶんやかましく督励しておりますが、二つありますところの山の方は、日嗣近完了したという報告を教育委員会から受けました。もう一つの方はこれからやる、かような状況になっております。  次にお話奈良県知事の副申書でありますが、これは昭和二十九年の六月に当初の路線を認可いたします際に奈良県知事から副申書が参りました。これを読み上げますと、   昭和二十九年六月二十一日      奈良県知事奥田良三    文化財保護委員会御中    新若草山ドライブウェイについて  史跡の現状変更認可申請中の日本肥鉄土開発株式会社々長鍵田忠三郎が新若草山ドライブウェイ建設に関し別紙の通り誓約したのでこの条項を確実に実施させると共に今後同会社をして文化財保護法を尊重し特に正倉院保護協力させることと致しますから至急右申請認可下さるよう願います  かような文書が出ておるわけでございます。
  95. 野原委員(野原覺)

    野原委員 奈良県知事の副申ですが、舗装その他の誓約事項を確実に実現させるから、同時にまた正倉院保護協力させるから一つ認可してくれ、私が責任を持ちます、こういうことは、これは確かに県知事が言うことであるから、文化財保護委員会はやはり相当動かされておると思う。ところがこれを履行していない。昭和二十九年のこれを履行していないが、文化財保護委員会奈良県知事に対して、君はこういう副申書を出しておきながら何も履行させないじゃないか、こういう抗議を何回発したか、また抗議したことがあるのかないのか、それが一体どういうことになっておるのか、お聞きいたしたい。
  96. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 これは直接の所管は教育委員会でありますので、教育委員会に対しましては、この奈良県知事の副申もあることであるから、県と教育委員会は一体となって、そうしてこの問題の善処をはかるようにということは、もう何回、何十回か申しております。また奈良県知事に対しましても何回か——別に回数は覚えておりませんが、私ども会いました際あるいはまた委員長が会いました際に、この点については当初の申請の際のこともあることであるから、県として最善の努力をなしてもらいたいというようなことは、別に回数は覚えておりませんが、申したことは何回となくございます。
  97. 野原委員(野原覺)

    野原委員 それは言ったというけれども言っちゃいないんじゃないか。これは奈良の人たちを喚問します。いいかげんな答弁をされては困る。四月十一日の河井委員長の答弁にこうある。建設省が観光道路を文化財保護委員会に無断で許可することはけしからぬ、それから運輸省は観光バスを通す場合にこれまた文化財保護委員会を無視して通しておるということは、いかに自分の官庁の職責であろうと、こういうところに問題がある。かように河井委員長は明快に問題点を指摘しておるのです。問題点の第二にはこういうことがあるのです。「もう一方申しますると、委員会と、委員会の出先機関であるところの奈良の教育委員会との連繋なども、どうも十分にいっておりません。」これは十分にいっておらぬのです。事務局長はそこのところをごまかしちゃ困るのです。委員長がそう言っているんだから……。「あるいはまた奈良県知事との関係などにしましても、これはこの史跡の管理団体でありまするが、どうもうまくいっておらぬというようなことなどもあとから出まするけれども、そういう事実がある。従いまして、どうしてもうまくいかない。結局時がおくれる。それからだんだん既成事実のごときものができてくる。どうもそういうような状態でありまするから、だんだん文化財保護というものの理想から申しますと離れるかもしれませんけれども、今日におきましては、現状を視察いたしました結果といたしましても、どうもこの条件を履行していくのほかないだろうということに考えたのであります。」これは六条件の問題です。だから六条件にしたんだ、ここのところはわかるんですけれども奈良県の奥田知事がこういう副申書を出しておって履行をしないということは、私は許しがたいことだと思うのです。私の常識から言えば、これは単にあなた方が口頭で注意を喚起しただけじゃない。知事が副申書を出しているんだから……。あなたは文書でとってもらいたい。どういうわけで君は履行しないんだ、文教委員会ではやかましいんだと言って、この次の文教委員会までには相当期間があることだから、奥田知事の答弁を文化財保護委員会では文書でとって下さるようにこれは要望しておきます。  なお私はこの際申し上げておきますが、私のところに前に奥田知事と一緒に奈良県の知事選挙に立った人が、前県会議長でありますが、この鍵田君の問題で陳情にこられたのであります。そう見ると、私の推察でありますが、社長の鍵田君は保守系、自由民主党系の人です。奥田君も保守系の知事、同時に立候補して、奥田氏と争ったその人も保守系の人です。それが何か聞くところによれば、鍵田君は奥田知事を応援しないでどうもそっちの方を応援し、親しくなったらしい。そういうような妙ないきさつから、初めは副申書を書いてやったけれどもおれの方に肩をへれぬのなら覚えておれということで、副申書みたいなものはほったらかしになっているのではなかろうか。これは私の推察にすぎぬかもしれませんが、そういうようなことも考えられる。その辺の事情もあわせて——これは後日でけっこうです、きょう答弁するといってもこういうことは容易な答弁ではありますまい。だから文書による知事の答弁と、なおその間の経緯を詳細に一つお示しを願いたいのであります。  そこで私は時間もありませんから終りたいと思いますが、六月二十六日付の二十九年までの四百米の六条件の舗装ですが、写真が私のところに来ているのです。これを見ると舗装じゃありません。これはまあ前方だけコンクリートを流しておりますけれども、これは穴だらけで、石ころが出て、そして付近の建物は泥を一ぱいかぶっております。これは河井委員長一つ見てもらいたい。あなたの方は舗装したと言うけれども、上っつらだけ砂利を敷いてするするとセメンを流したそういういいかげんな舗装で舗装したと言って甘んじていらっしゃるようなことで、一体文化財が守れるかと私は申し上げたいのです。これは正倉院の北側とそれから西側の道路なんです。  岡田さん、あなたは今人が質問するときに何か耳打ちをしたが、何を話ししたかということは個人の話だから聞かぬけれども、あなたは最近視察に行ったでしょう、これをごらんになってきましたか、それを聞こう。
  98. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 私参りましたのは六月でありまして、今回認可した場所の舗装でございます。今おっしゃったのはずっと前の認可の条件の北側、西側の舗装でございます。そこは見ておりません。
  99. 野原委員(野原覺)

    野原委員 この北側と西側は舗装することになっているのですけれども、これが完全にできていないというのはさっきの委員長の答弁にもあったと思うのです。それから舗装したと称するところも穴があいている。これは一ぺん簡単でもいいからそっと舗装すればこれで一切事が終るのではないでし、う。舗装するということは——六条件というものは、とにかく塵埃の立たないように、正倉院の宝物に影響を少なからしめることであるから、穴があいたら直ちにふさがなくてはならぬ。そして舗装というものはそう簡単に穴があかないように、もしものととがある場合は散水してほこりを静めるとか何とか手段を講ずるための舗装なんだろうと思う。これはどうなんです。
  100. 岡田説明員(岡田孝平)

    岡田説明員 おっしゃる通りでございます。ただ今回認可いたしました方は、これは比較的りっぱと書ってはおかしいのですが、舗装としましては札当程度の舗装をやっておりますが、今お話の北側と西側の方はきわめて不満足なのです。これは現在、県の公園道でございまして、それにつきまして、会社負担でもって舗装さすということ自体が無理ではなかろうかという話もいろいろあったのでありますが、当初二十九年に認可しました際にそういう話もあったのでありますが、そういう条件をつけてやらせるということであったのでございます。実際問題としてこれも先ほどお話いたしましたように県知事側でもって相当やはり努力をしなければなかなか私どもの期待するようなわけにいかないのじゃないかと考えましたので、その点は先ほどお話もございましたように、県側ともよほど打ち合せをしなければならぬことだろうと考えております。
  101. 野原委員(野原覺)

    野原委員 時間がありませんから本日はこの程度で終りましょう。  なお十二日まで文教委員会がございますので、なお建設、運輸の責任者に出席をいただいて、文化財保護法を無視してそういう許可を一方的にどんどん出されることは困りますから、一体どういう考えで彼らがそれをやっているかということも究明しなければなりませんし、なお委員長事務局長におかれましても、この奈良の問題については相当慎重にお考えの上で——今のままではこれは大へんなことになります、私はこれは二年越し警告を発してきているのです。私の警告通りの結果になっている、これはやらないのですから。やらないのはあなた方がお人好しなのか、これを見のがすということは国家の利益を保護するのにふさわしくないと思う。河井さんの財産の問題なら勝手に見のがしてくれてもけっこうなんです。あなたは文化財保護委員長として国の文化財保護する立場にあるわけですから、そういう公けの立場で物事を判断してもらわなければならぬのです。だから私はこの問題は本日は留保しておきます。なお本日の答弁には私は全然不満です。こういう文化財をほうっておくならば、私は何らかの形において文化財保護委員会の責任を糾弾せざるを得ないということだけ申し上げておきます。  以上で終ります。
  102. 長谷川委員長(長谷川保)

    長谷川委員長 本日の会議はこの程度とし、次会は明日午前十時より開会いたします。  これにて散会いたします。    午後一時一分散会