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山本参考人 このたび
宗谷南極洋行動中は、
皆様方から多大なる御激励をいただきまして
船長以下
乗組員一同深く感謝申し上げております。
観測隊の
輸送任務に当っておりました
宗谷乗組員にとりまして、最も困難であるということを予想して、
事前にその
研究と
準備をやったことは、それはとりも直さず
氷海にいかにして進入するかということでございます。それからまた
任務を一応終りまして、
氷海をいかにして脱出するかということでございました。
御存じのように、
相当の力を持っておる自然が相手でございますから、まず自然の姿と力というものをわれわれはよく知りまして、その上で
宗谷の
砕氷能力、
自分の力を十分に認識して、
自分の力にふさわしい安全であるような
行動をとらなければならない、こういうことでございます。ところが
御存じのように、
日本の国におきましては
砕氷船というもので運航しましたところの経験も非常に少うございます。また
南極におけるような氷の
資料というものも
日本には非常に少うございます。そういう点からしまして、
研究その他あらゆる場合に非常な不便はあったのでご
さいますが、ただこの話が出ましてから、
船長、
機関長、
航海長の三人は、
宗谷乗り組み
予定者として
事前に
南極洋におけるところの
調査を命ぜられて、
捕鯨船で行って参ったのであります。幸い、
船長に任命されました現在の
松本船長は斯界に、認められました優秀な
技術の持ち主でございまして、幸い最も近い
エンダービーの――先ほど
隊長から第三
候補地にあげました
エンダービーでございますが、この
付近を航行するところの
捕鯨船に乗船しまして、
リュツォ・ホルム湾そのものの
調査はできなかったのでございますが、あの
付近に流れてくるところの氷は
エンダービー付近の氷でございまして、その点からしまして、あちらへ派遣されまして、
調査期間中におきましては、
松本船長は心血を注いで
調査研究に当られたわけでございます。なお帰国されましてから諸
準備に当る際につきましも、諸外国の
資料を十分検討されまして、
南極に
事前調査のために出発する当時におきましては、事の成否ということについては
相当の不安は持っておられたのでありますが、
研究するごとによりまして次第に
自信が出てこられた。ことに
宗谷でもって東京を出港するときにおきましては、十分な
自信を持たれておりました。
乗組員であるわれわれも
船長の
技術に非常に信頼を置いておりましたものですから、われわれも深い確信を持って臨んだわけでございます。先ほど
隊長からも御
説明がございましたが、
南極洋に着く前に、われわれとしましては、まず自然の姿と力というものを十分に
調査しましてから、この姿を知って進入するという必要がございます。そのために、まず
エンダービー・ランドに向けて参ったのでございます。この
エンダービー・ランドに向けたということは、先ほ
ども申し上げました
通り、大体
吹送海流という氷を運ぶところの流れがこういうような格好で流れております。ですから、第一墓地の
候補地であるところの
リュツォ・ホルム湾北辺にくる氷は、ほとんどこちらの氷が移動してやって参ります。そういうような
関係でございましてまず
リュツ・ホルム湾の
北辺に流れてくるところの氷の姿を見ておきたいということも、第三
基地の
候補地に当っておるものでございますから、その
付近の
状況が
基地の
候補地として果して適当であるかどうかということもあわせて見ておきたい、こういう
意味でそこに向けたわけでございます。そこに向けたのでございますが、
南極洋に近づくに従いまして、
海水の
温度が底下しております。それからまた
気象の
状況もだんだんわかってくるわけでございますが、その氷を
最初に見る前に、すでにわれわれとしましては、水温が
例年よりも少し低いのじゃないか、また
天気も比較的安定している傾向が見えましたので、これは
例年よりも氷は多いという予測を立てたのでございます。われわれは一月の八日に
エンダービー沖の氷を見る
予定でございましたが、七日の午前七時半ごろすでに
氷海に接しております。さっそく
ヘリコプターを飛ばしまして、その
付近の氷の
状況並びに
大陸の
露岸の
状況などを
偵察したのでございますが、
距岸大体四十マイルございまして、その前年に
松本船長が
調査されたときよりも倍以上の
距離にあったわけでございます。
エンダービー付近の
大陸そのものの
偵察は、
ヘリコプターの
行動半径からしまして、直接これを
写真におさめたり、あるいは肉眼で確認するという
程度まではいきませんでしたが、先を急ぐ
関係上、そのまま七日、八日と、
大陸の
偵察、
氷状の
偵察をやりまして、
リュツォ・ホルム湾の方面に向けて、
パック・
アイスの外縁に沿いながら
調査しつつ向ったのでございます。この
調査する
期間は、
最初大体十八日ぐらいを
予定して、それから
パックに進入するという
計画を立てたのでございますが、先ほど
隊長からも御
説明のありました
通り、
天気が予想以上に非常によかったということでございまして、そのために
航空機を全幅的に利用できまして、われわれとしては、何ら不安なく
パックの中に突入できたということでございます。また一方、
天気がいいということは、逆にいいますと、氷が
陸岸よりも
割合遠いところまで張り出しているという結果にもなります。氷は太陽の輻射熱を受けて溶けるのでございますが、この溶ける量というものは非常にわずかなものでございまして、
あとはしけによって北方に
パック・
アイスが流されまして、暖かい
海水の
温度によって溶けるという率が非常に多いのでございます。ですから、われわれとしては
飛行機は飛ばせたのでございますが、まず進入する前に
基地の
決定をしなければなりません。これは
隊長の方でいろいろ
飛行偵察その他によりまして最終的に
基地の
決定をやられるわけでございまして、その後その
基地に入っていくところの
進入水路を捜索するというのが
建前でございますが、この
パックの外から
セスナを飛ばして
基地の
偵察をやるには
距離が長過ぎたものでご
さいますから、それができなかったのでございます。それで、まず
パックの中に入りまして、
セスナが飛べるような水域を探して
基地を確認しよう、こういう
行動計画を立てたのでございます。
それで、大体先ほど申し上げましたように、天候が非常によかったために
パックの外線で外側から
パックの
状況を克明に
調査するという必要も少くなってきたわけでございます。それでまず
基地の
偵察を先にやる必要があるということになりまして、一月の十六日に
パックの中へ進入しまして、
ヘリコプターによりまして、
セスナ機が飛び得るような水面があるかどうかということを探したのであります。そのとき幸運にも、幅約千メートル、長さが約二千メートルのプールがございまして、ここべその夕方着きまして、
基地の
偵察が
セスナによって行われたわけでございます、
基地の
偵察ばかりではなくて、それに至るところの水路の全貌もつかんできておりました。これによりまして、これはそのまま突入して
基地近くの接岸地へ行けるような情勢が察知されましたので、十七日についに突入の態勢をとったわけでございます。
その結果は、一月の二十日にすでに定着氷の外縁に着きまして、
基地が正式にきまってから、いよいよ
最後の着岸地であるところの地点に向けるというような
最後的な態勢をとったわけでございます。
予定よりもそれは大体八日ぐらい早かったのでございますが、かくのように
予定よりも早く一応着岸の態勢を整え得たということは、天候が非常によかったことと、
飛行機を全幅的に利用できたことで、
一つの例をとってのみますと、七日に初めて
パックを見ましてから十六日に至るまで大体四日間
ヘリコプターを使っております。それから、十六日にいよいよ
パックに進入しましてから二十日に一応定着氷の外縁に着きましたときは、毎日
ヘリコプターを二回か三回にわたって飛ばして水路の教導に当らしておったのであります。こういうように
セスナと
ヘリコプターとの共同作戦といいますか、水路を教導するための
ヘリコプターの活躍というものが非常に有効にできたということでございます。
なお先ほ
ども隊長から御
説明がありましたが、入るときにも
相当困難は感じておりました。しかし
乗組員は一致協力しまして、必ずわれわれでやってみせるという意気込みを持っておりましたし、
セスナの
偵察によりまして、目的地も近いという前途に明るい希望を持っておりましたものですから、諸困難を突破して、あるいは
氷海中の航行ということになりますと、見張りとか操船に
相当の困難を来たすわけでありますが、そういう諸困難を一致協力して克服していったということでございます。
接岸中その他につきましては省略させていただきまして、離岸でございますが、これは御
承知のように二月十五日というように一応
予定できまっておりました。しかしわれわれは接岸中においても天候の変化あるいは脱出水路の
状況はどうであるかということを機会あるごとに
調査しまして、たとい二月十五日以前においても脱出に困難な徴候が現われればすぐにでも出るという態勢は常にとっておったのでございます。しかしそういう
調査の結果は、まだ大文夫だといういろんな
資料がそろっておりましたので、
予定通り二月十五日の十二時に離岸したのでございます。その離岸当時の
状況といたしましては、それまでにも船の保安に差しつかえない
程度の人員を派遣して、それぞれ
基地の建設あるいは氷上の輸送というものに協力を申し上げたのでございますが、いよいよ二月十五日間近になりましてからは、安心して越冬隊に残っていただくという態勢をとるために、
乗組員も
隊員も全力をあげて輸送と建設に当らなければならないような
状況でございましたので、われわれといたしましてはその点にも十分御協力を申し上げておったのでございます。十五日に離岸いたしましてからは、
氷海に入るまでには約三十六マイルのオープン・シーがございました。これは十三日の
飛行偵察によって確認されておったわけでございますが、この三十六マイルのオープン・シーを航行中、三十マイルのところに参りましたときに、十三日には見なかったところの
パック・
アイスの四マイルほどの幅のものが出て参りました。それでこれを突破するのに、われわれとしては早く
最後の
氷海を突破したいという気持で
相当先を急いだのでございますが、そこで多少時間をとったために、いよいよオーブン・シーの北側に参りまして
パックに入る間近になりましたときには、すでに日没後一時間、ちょうど夕方の十時ごろだったのでございますが、
相当暗くなっておりましたので、これから
ヘリコプターを飛ばして再び
氷海の水路を確認して
パックに突入していくということもできませんでした。それからなお離岸前に輸送その他に全力をあげたために、船の
準備といたしましては、
氷海に入っていくための万全の指置もなお不安な点がご
さいましたし、それに加えて低気圧が近づいておりましたので、多少天候が悪くなり、そして風も若干強くなって参りました。こういうような
状況でございましたので、いたずらに水路の
偵察をやらすにそのまま
氷海に入るということは、氷の抵抗の多いところへわざわざ入るような結果にもなりかねないのでございまして、当時の
条件としては、そのまま入るには非常に無謀であるといったような
状態でございました。それでその晩はいろいろ船内の整備あるいは
乗組員の休養ということも考えまして待機して、あしたの朝天候の
状況を見計らってさっそく出よう、こういう態勢をとったのでございます。十六日に至りましてからはますます風が強くなりまして、そのまま出るには困難な
状況で、とうとう待機せざるを得なくなったのであります。
次ぐ日の十七日になりましてから、朝のうちはまだ
相当風も強うございまして、視界も悪くて
ヘリコプターも若干無理があったのでありますが、先を急ぎましたわれわれとしましては、多少無理をしても
ヘリコプターを飛ばすということで、一たん八時五十分ごろ
ヘリコプターを飛ばしまして、船はその間に
パック・
アイスのふちまで来ておりまして、
ヘリコプターからの無線電話による報告を待って、九時半ごろから
パックの中へ突入して、待機地点からオープン・シーと
パック・
アイスを合計しまして大体ニマイル半ほど進みました。午後の三時ごろに至りまして
パック・
アイスがだんだん濃縮になってきまして、今まで氷盤と氷盤の間に若干水面が見えておったのでありますが、そのときには次第に水面がなくなりまして、氷盤と氷盤の間にあるところの一メートル以下の小
さい氷のかけら、さらにこまかいところのフラッシュ・
アイスと称しております非常にこなごなになった氷がございまして、これ
あたりが非常に
パックの氷盤のために盛り上りまして全然水面は見えず、その間を押し分けていくことが不可能になって、これは一時ここで待機をしまして天候の変化によって起るところの
氷状の好転する時期を待つ以外にはないということになりました。でありますが、その晩は十一時近くまでそこで努力はしたのでありますが、ほとんど前進は不可能であったという
状況でございます。
それから十八日、十九日も午前中ずいぶん脱出に努力をしたのでご
さいますが、わずか五十メートルあるいはほとんど一メートルぐらいしか進まなかった場合もございました。十九日の夕方なりまして、大体三時ごろから南西の風が吹いて参りまして、今まで緊縮されておりましたところの
パックに若干水面が見えてきました。これは見えてきましたのが大体夕方の十時ごろでございまして、それから船はいよいよ砕氷前進する
行動をとったのでご
さいますが、今まで全然水面が見えなかったのが若干ずつふえて参りまして、直接
自分が向おうとする方向には参りませんでしたが、抵抗の弱い氷を伝わりながら大体基準水路の方に向いつつあったのでありますが、次ぐ日二十日の十時ごろには直
距離にして二・九マイル進んでおります。これは北方の外洋へ向けて直接
距離でございます。それまでにずいぶん迂回してご
さいますので、実際走った
距離はそれよりも
相当多くなっておりますが、直
距離にして大体三マイル
程度の
距離を走っております。そして海面の
状況もよかったものですから、あるいはそのまま脱出できるのじゃないかという希望的な
観測もしたのでありますが、いつの間にか抵抗の多い氷盤の間に入りまして、
自分が向おうとする進路になかなか向け切れなかったわけでございます。その間に一時間くらいしまして急に氷、が締って参りまして、これは大体氷が締って参ります風の方向というのは、北東または東北東の風でございます。これは氷が流れてくる方向と一致しているイーストに近い風でありますが、こういう風が吹くときは必ず氷が締って参ります。大体そういう風が吹き始めましてから二時間ないし四時間くらいしますと、急に締って参ります。それからまたそれに反対な南西の風でございますが、この風が吹きますと氷が
割合ゆるんでくるわけでございます。そういうような
状況で、一時はこのまま脱出できるという報告まで長官にやったのでございますが、その後一時間にして急激に変ったために、またここで動けなくなりました それから続く二十一日にも朝の九時ごろから若干よくなりまして、再びそこで
行動を開始しまして一マイルほど北方に進んでおります。しかしこういったことでございますと、十七日に
ヘリコプターで
偵察した現状からしますと、もうほとんど船から外洋が見える
程度の
距離まで来たのでございますけれ
ども、そのとき外洋でわれわれの脱出する
行動に協力中でありました海鷹丸の報告によりますと、次第に北へ北へと北東から流れてくる氷が伸びて参りまして、われわれが四マイル進んだにもかかわらず、さらに外洋の方までは同じく七マイルあるいは十マイルというような
パックがだんだんと北の方へ移動して参ったのでございます。二十二日に至りましていよいよ大きな氷盤にはさまれまして動きがとれなくなりました 二十二日の夕方から風が強くなりまして、二十三日、二十四日と
相当の風を受けております。この間
パックが
相当移動しまして、今まではそういうことはなかったのでございますが、船尾の方に大きな氷盤が流れたためにかじに当りまして、これは一時はかじ、推進器も危険に瀕するのではないかという不安も出ましたが、これは
パックその他をやることによりまして、
最後の被害を受けずに済んだけでございます。一十四日には、これは自力をもってしてはほとんど不可能であるという判断をしまして、オビ、グレイシャーに連絡をして前後の砕氷を依頼したのでございます。その後
天気がずっと悪うございまして、二十五日には一時小康
状態をたどったのでありますが、二十六日から再び風が強くなりまして、そのときに視界がよくなりまして、今まで全然見えなかった視界が、急に二十六日の三時ごろ突然視界が若干よくなりまして、そのときに本船の南西方に大きな、約七マイル半というふうに
観測してございますが、長い、巨大な氷山が現われまして、これが本船の南測を通ってちょうどこっちの方でありますが、こういうふうに移動したわけでございます。こういうふうに移動しまして本船を中心として西から南へ下りまして、それから北東の方へ回っております。これが今まで全然氷ばかりでご
さいましたところへ大きなオープン・シーを作ったのでございます。視界がよくなりましたものですから、オープン・シーのあるところにはウォーター・スカイという現象が現われまして、その大きさあるいはその
距離というものがおよそ
見当がつくのでございます。そのインド洋の外洋に生ずるところのオープン・シーとこの巨大な氷山が作ったオープン・シーとが非常に接近しあるように感じられたわけであります。そうしてオープン・シーまでの
距離は、
宗谷の南方に約一マイル、あるいは西北方に約一マイル
程度の
距離でございましたので、まず北方へ向けて氷を割っていくということはほとんど不可能な
状況でございましたが、たまたま南方あるいは南西方につきましたは若干氷の抵抗が弱かったのでございまして、二十七日にいずれにしてもオープン・シーに出るのが先決であるという決断をしまして、夕方から氷のよくなったのを見計らいいまして、オープン・シーに脱出したのでございます。そこで海鷹丸とも共同し、あるいは
ヘリコプターを飛ばしまして、オープン・シーから大洋に至るまでの
距離と
氷状というものを確認したかったのでご
さいますが、その当時は南東の風が非常に強くございまして、
ヘリコプターを飛ばすには危険が
相当あったのでございます。それからなお日没後でございましたので、暗かったしいうようなことで、ついに
ヘリコプターを飛ばすことができず、その晩は船自体でこのオーブン・シーを東西に航行しまして
パックの幅とそれから
氷状というものの
調査に努めたのでございます。この大きなオーブン・シーはちょうど幅が約十マイルほどございます。東西の長さが十九マイルほどございました。それでわれわれとしましては二十八日の朝に至ったのでご
さいますが、まだ天候の
状況からして
ヘリコプターによる
偵察が不可能でございましたが、非常に外洋までの
距離と
氷状がいいという確信をしました
場所で、九時ころから再びこの
パックに突入しております。突入しまして、大体
パックの幅は八マイル
程度と
調査したのでございますが、ちょうどその中間のところへ行きましてオビ号に前導砕氷してもらいまして、その船尾について二十八日の二十三時四十五分に脱出をしたのでございます。このとき感じましたのでございますが、これはもう少し馬力があればよかったのじゃないかという
一つの希望を持ったのでございます。現在は現地の実情を担当の上司にいろいろと報告しまして、われわれの希望は申し上げてございますが、しかしそれにはいろいろの
条件がございまして、われわれもわれわれの希望することがそのまま実現するとは考えられない点が
相当多いのでございます。でありますが、われわれは与えられた船でもって最善を尽してやったということに、ある
程度の満足を持っておりますし、また結果はああいう結果になってございますが、われわれは与えられた
宗谷というものの全
能力を発揮してやっております。またそれに乗り組んでおりましたところの
船長初めわれわれは、あらゆる力を出し切ってついにああいう結果になったということで、いろいろと御批判もございましょうけれ
ども、
乗組員は今は
相当満足をして、いかなる御批判も甘んじて受ける覚悟でございます。簡単でございますが、以上でございます。