○御手洗
参考人 私は
相撲が好きで、
場所が始まり
ますと十五日間欠かさず見に行て、それだけのことなんでありまして、職業が
評論家であり
ますから
相撲のことも評論すると思われては困るので、別段特別の知識があるわけでございません。ただ普通のいわゆる
相撲ファンよりは
幾らか私は古い
相撲好きであり
ますから、
力士あるいはいわゆる親方衆などに知り合いがたくさんあり
ます。従って
幾らか普通のファンよりも知っているかもしれませんが、決して専門的なことを知っているわけでない。いわんや
協会の
内部のことなんか知るわけはないのでありまして、ただ
相撲好きの一人といたしまして、
協会の
現状に対しての私の
考えを簡単に申し述べ
ます。
相撲というのは、これはずいぶん古いものであり
ますから、いろいろな弊害が累積していることは間違いありません。私ども見ておりましても、まことに不愉快なことがたくさんあると思う。たとえば都度
制度のごとき、これによる取り組みなどはずいぶん無理がある。また昇進などについても、ちっと無理じゃないかと思うことが毎
場所あると思う。あるいは判定について、どうもおかしい、不都合だと思うことは、ほとんど毎日のようにあり
ます。それに伴う
行司制度、こういったものは改めなければいかぬことがたくさんあるのであり
ます。しかしそういう
協会内部のことは別として、見物に
関係のあることは改めてもらいたいのは言うまでもないと思う。この
委員会で
相撲のことが問題になっておるということは聞いておりましたけれども、別段私は
関係ないので気がつかずにおったんですが、お呼び出しを受けたものですから、大急ぎと新聞の切りぬきなどを引っ張り出して調べてみ
ますと、大体
財団法人、
公益法人としての
相撲協会の
あり方が問題になっておるようで、その中で一番おもな問題は、これが果して
公益法人らしく経営されておるのか、どうも非常に利潤追求がはなはだしくないか。特にその中でも
茶屋制度が問題になっておるように伺っており
ます。また
力士の生活とか
給与の面、こういうことについての封建性といい
ますか、そういうようなことがやはり
協会運営についてお取り上げになっておるようであり
ます。ほかにもあるかもしれませんが、新聞の切り抜きを調べたところではその程度であり
ます。それらについて簡単に申し述べ
ます。
第一に、
財団法人としてのこの
協会が、
公益法人らしく運営されておるかというと、これは確かに疑問があり
ます。ずいぶん激しい利益追求の面があるのでありまして、命ぜられており、条件とされておるような、いわゆる
寄付行為に基く運営ということとは、かなり離れておるように思い
ます。一番大問題は、いわゆる武士道の本義によって国技である
相撲を普及する、こういうことだろうと思うんですが、そういうことについての努力が非常に少いことは確かであり
ますから、もしこれが
財団法人として続けられていき
ますならば、第一にこの点をきびしく、どこから命ずるものか知りませんが、お命じになるということは当然だろうと思い
ます。その他の点におきましてもいろいろ不割合なことかあるように思うのですけれども、しかし一面から見
ますと、
協会は古くは、たとえば水難救済会の
相撲であるとか、赤十字の寄付
相撲であるとか、児童福祉の寄付
相撲とか、あるいは近ごろではオリンピックの旅費の寄付といったようなことに、
相撲を通じて、多少そういう公益面に貢献いたしておることもまた事実なんで、決して何もやっていないということはないと思い
ます。ただ本来の
事業をやるのに大へん怠慢であったということは疑いないと思い
ますから、もしこういう経営形態続けていくとし
ますれば、これはこの
委員会であるか、文部省かは知りませんが、
一つきびしく命ぜられることが適当であろうと思い
ます。
それから
茶屋制度の問題ですが、これは廃止論が非常に多いのであり
ますけれども、私ども長年
相撲を見ており
ます。私は大正六年に
社会部記者となりまして、最初の
仕事は、天気予報をとりに行りたり、あるいは
相撲の
興行中に行って雑観
記事を書く走り使いの記者、これが始まりなんであり
ますから、ずいぶん古くから
相撲は見ており
ます。そのころのことから
考えましても、
茶屋制度というものがかなりな弊害があることは確かであり
ます。しかし、ではやめられるかというと、これはなかなか実際問題としてむずかしいと思うのです。なぜむずかしいかというと、一番の問題点は、不景気になって入りが悪いときに、一体だれがその責任を負ってくれるか、こういうことだろうと思うんです。
財団法人としましても、赤字の場合にどこからか補給してくれる人、入りの悪いときに補ってくれる人がないと、八百四、五十人という普通の人よりはよけい飯を食う人間がおるんですから、むずかしいのじゃないか。そういうことを
考えますと、
茶屋制度が
協会の運営、
力士を養っていく上において大へん役に立ってきたと思うんです。大正以来、私がちょっと
考えてみましても、大震災の
あと、昭和初めの例の大不景気時代、それから先般の戦争の終るころから戦後のしばらくの間、こういうピンチにどうやらこうやら
協会をささえて、その経営の基礎を維持してきたのは、
茶屋制度のおかげだったと思い
ます。これは
協会当局者もずいぶん苦心し、努力もしたんでしょうけれども、
茶屋制度というものがあって、中には何十年というお得意を持っており、その人々に不景気になっても
切符を買ってもらう。これは無理に押しつけて買ってもらうのでありまして、そういうように押しつけられても、別に迷惑だと思うような連中ではありません。そういうことでもって、不景気の場合でもある程度の
収入を
協会に確保してやる、これが
茶屋制度の
協会にとってはなかなかやめられない点だろうと思う。これは人のことですから想像であり
ます。私が見ておってそうだろうと思うのです。もしこれをやめましたときにどうなるかというと、不景気になるとおそらく
協会はその経営に非常に困るのではないか。これが
一つ。また
茶屋制度をやめまして全部に
切符を
開放する。たとえば
プレイガイドを通じて売るとか、あるいは
茶屋でその当日に売るとか、その他の
方法で
一般に
開放するということは、今日の時勢として好ましいことには相違ありませんが、それでやっていけるかというとむずかしいのでありまして、第一今の
茶屋制度以上弊害が起きはしないか。第一皆さん御承知の
通りの
ダフ屋であり
ます。おそらくこれに買い占められて大へんなプレミアムがつくのじゃないか。私は買ったことはありませんが、友人の話を聞き
ますと、ひどい人になり
ますと、百円の大衆席の
切符が三百円、五百円ときには千円というようなプレミアムがつくこういうことになるのでありまして、もしこれが全部
開放されることになり
ますと、やはりそういう危険がある。従って大衆のためにはかつて、かえって大衆に不便を与え損害を与える、こういうことになりかねないのであり
ます。といって今のように、
さじきの大部分、座席の八割か九割までを
さじきとして
茶屋に属せしめるということになりましても、これはもちろん大衆を締め出すのですから、いかがかと思い
ます。このことについては、
協会の幹部に私も折々、あまりひどいじゃないか、少し大衆席をもとのようにふやしたらどうかと言い
ますけれども、その話を聞き
ますとまた無理のない点があり
ます。どういうことかと言い
ますと、そうあなたがおっしゃるけれども、まあ南風の日を見て下さい、大衆席なんていうのはがらあきになってしまう。つまり当日売りの客というものは来ないのです。だからこれじゃ
協会もやり切れない。ごく単純に申してもそういうことですから、これが不景気になったらとてもやり切れません、こう言うのであり
ます。
協会が経営的に安定するための
一つの安全弁としての
茶屋制度、こういうものはやはり残す必要がある、こういうことなんでありまして、私も今のように八、九割までそれでやるのがいいとは申しませんけれども、ある程度
茶屋というものを残して、長い得意にすがって
協会の経営の基礎を保障してやるというやり方も必要である、こう思い
ます。結局私のは妥協案なんですが、妥協でいくより仕方がないのじゃないか。まあ三十年、五十年先、世の中が変り
ますと、もちろんこういうことも変るでしょうけれども、当面のやり方としては、一ぺんに廃止なんていうことは危険でもあるし、同時に大衆にとって決してプラスにならない、こう思い
ます。ただしこの
茶屋を通じて
飲食物を売っており
ますが、これが非常に高いのです。もっともあそこで
飲食する人の大部分は、
自分で買う人はそうお金に困らない人、それからまた買わないで招待される人が多いようですけれども、これは人のふところですから一向かまわないかもしれませんが、実際自前で行っている者にとってはかなり不愉快なことです。また
力士諸君が真剣に命がけで
相撲をとっているときに、酒を飲んだり物を食ってわあわあやっているなんていうことは、ずいぶん失礼な話です。スポーツをけがすものですから、ああいうことはやめた方がいいと思い
ます。長時間朝から非常に熱心な前
相撲、序の口あたりから見るような人は、これはまたにぎり飯も持っていくでしょうし、ちょっと外に出れば買って食えるのですから、中で
飲食を無制限にやらせる。そして中には大きなおみやげの包み、一人前何百円という愚にもつかぬおみやげですか、ああいうものをうりつけるというのはよろしくないんで、こういうことはあまりこまかに衆議院の
委員会が御介入になるのはどうかと思い
ますけれども、しかしあまりおもしろいことじゃない。私の見聞からきた感じを率直に申し上げ
ます。
それからもう
一つ、
力士の待遇とか老後のことであり
ますが、これは非常に大きな欠陥があると思い
ます。今日の
力士の
収入というものは非常に不確定なもので、一種のサラリーマン生活のようでありながら、実際は
自分の給料が
幾らもらえるか毎月わからない、ことしは
幾らになるだろうかということがわからないといったような、それも商売へでありましたら、不確定であっても
自分の努力によってどうでもなるのですが、
力士諸君は
協会まかせでいくのですから、どうにもならぬでのありまして、これはどうもひどいと思い
ます。こういうことは、
財団法人というようなりっぱな形でいく以上は、やはりもう少し近代的な明朗なものにすべきものであろうし、それはごく簡単にやれると思い
ます。一番いかぬと思い
ますのは、若瀬川関は現役の大長老で上から一人目か二人目でしょうが、引退のときの引退料、老後の
養老金ですが、これはひどいです。私は承知しており
ます。近ごろの皆さん御記憶の
名寄岩という
幕下時代から私は二十何年のつき合いであり
ますが、まことに愛すべき男です。非常な努力家なんですが、これがやめたとき
協会からちょうだいしたものは、何年もかもで百万円に足りないのです。二十三年の土俵生活、大関を二度もやり、約十年間ぐらいというものは多分
協会の屋台骨を背負うぐらいの人気を持っておった。それがやめるときに、今ごろの金で百万円に足らないというのはあんまりひどいのじゃないか。極端なことをいうと少し他人のふところに干渉するようになり
ますからやめておき
ますが、ちょっとひどいと思い
ます。常識はずれじゃないか。もっと知るべしですから……。こういうことは改めようと思えばすぐできるのですから、これは改めるべきであると思い
ます。この、
委員会でお取り上げになっておられる問題のおもなものはそんなことであろうと思うので、それについての私の
考えを申し上げたのです。
最後に一言つけ加えさせていただきたいことは、
財団法人として何か大へん特別な恩典があるのかと思っておったのですが、よく聞いてみると大したことはないのです。一番の問題は、税金をまけてもらうぐらいのことだと思っておったのですが、一向まけてもらっていないようで、これは不思議に思いましたが、大急きで聞いてみ
ますと、昨年の売り上げが一億九千万円、その他の
収入を合せて三億円ぐらい。そこに固定資産税から始まって各種の税金が合せて四千二、三百万円も払っておる。これでは
財団法人なんといって何か特別に恩恵を受けているように
考えられる方がばかじゃないか、こう思うのであり
ます。ですから、
協会として何のためにそんなことにいつまでもしがみついているのか、私は不思議に思い
ます。もしそういう税金が払えるのなら、そんなことはやめたらどうかと思い
ますが、ある取締りにそのことを聞きましたところが、株式会社になったのでは、どうも陛下からいただいておる賜杯がなくなるおそれがあるだろう、そんなことはないよ、それは君勘違いだ、ほかにも出ている例があるんだから、そんなことはない、心配しないで、がみがみ言われないような株式会社か何かでやったらどうだ、その方がいいぞ、第一、三億円もある売り上げのうちで四千万円も五千万円も税金をはらうのなら、堂々として普通の営利会社でやっていけるじゃないかという話をしたことがあるのですが、私は
自分の
考えとしてはそう思い
ます。ちっとも特別の恩恵は与えられていないのですから。ただ、これは御異論があるかもしれませんけれども、私ども
自分が好きだから申すのでありませんが、あらゆるスポーツの中で、やはり何といっても
相撲というものは日本国民にとっては生活から離れられない
伝統を持っていると思うのです。どこがいいかと言われてもちょっとわかりませんが、やはり、レスリスグとかボクシングとか野球などは非常に普及して参りましたけれども、ああいうもののやり方と
相撲とは違うのです。どこが迷うかちょっと一口には申しにくいのですけれども、どことなく日本人の趣味、感情、好みにぴたっとくるところがあるから、子供からおとなまで好かれるのです。そういうことを
考えますと、やはり国技として国家がこれに多少保護を与えるというようなことはあってもいいのじゃないか、なければならぬことはありませんけれども、あった方がいいと思い
ます。ただ、今のように
相撲が隆盛であり
ますればそんな必要もあり
ますまいけれども、もし、たとえば不景気であるとか、そういうようなことで非常に
相撲がよくない、経営が思わしくないというようなことになりましたならば、皆様の力でしばらくの間を切り抜けるために、特別減免税措置ですか、何かそんなようなことででもしばらくの間保護をお与えになることがあってもいいのじゃないかと思い
ます。ふだんはそんな必要はな、と思うのであり
ます また、いつも保護を与えなければならぬようなものは国技でも何でもない、つぶれるのが当りまえであり
ますが、やはり波があるのですから、波の底のときは
幾らか助けてやるということが必要ではないかと思い
ます。その程度のことにして、
協会としても世間や
国会までからいろいろ騒がれることはあまりありがたくないから、いいかげんのところで
公益法人なんていう窮屈な衣は脱いだ力がいいのではないかと思い
ます。
お尋ねに答え得たかどうか知りませんが、
相撲好きの一人、ただの見物人の一人としての
自分の感じを率直に申し上げました。