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1957-04-03 第26回国会 衆議院 文教委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年四月三日(水曜日)     午前十時十七分開議  出席委員    委員長 長谷川 保君    理事 赤城 宗徳君 理事 高村 坂彦君    理事 坂田 道太君 理事 米田 吉盛君    理事 河野  正君 理事 佐藤觀次郎君       今松 治郎君    川崎 秀二君       杉浦 武雄君    塚原 俊郎君       永山 忠則君    濱野 清吾君       牧野 良三君    木下  哲君       小牧 次生君    櫻井 奎夫君       高津 正道君    辻原 弘市君       平田 ヒデ君    柳田 秀一君       小林 信一君   出席政府委員         文部事務官         (社会教育局         長)      福田  繁君  委員外出席者         参  考  人         (武蔵川)   市川 国一君         参  考  人         (佐渡ヶ嶽)  永井高一郎君         参  考  人         (天龍)    和久田三郎君         参  考  人         (若瀬川)   服部 忠男君         参  考  人         (評論家)   御手洗辰雄君         参  考  人         (保健体育審議         会委員)    岩原  拓君         専  門  員 石井つとむ君     —————————————  四月三日   委員野原覺君、根本龍太郎君及び濱野溝吾君   辞任につき、その補欠として柳田秀一君、川  崎秀二君及び今松治郎君が議長の指名委員に   選任された。 同日  委員松治郎君及び川崎秀二辞任につき、そ  の補欠として濱野清吾君及び根本龍太郎君が議  長の指名委員に選任された。     ————————————— 三月三十日  農業又は水産に係る産業教育に従事する国立及  び公立高等学校の教員に対する産業教育手当  の支給に関する法律案赤城宗徳君外七名提  出、衆法第二一号)  公立学校施設費国庫負担法  の一部を改正する法律案櫻井奎夫君外三名提  出、衆法第二二号) 四月一日  学校教育科目の補正に関する請願原健三郎君  紹介)(第二六五五号)  学級児童定員適正化に関する請願原健三郎  君紹介)(第二六五六号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  社会教育公益法人相撲協会)に関する件     —————————————
  2. 長谷川保

    長谷川委員長 これより会議を開きます。  本日は社会教育に関する件(公益法人相撲協会に関する件)について調査を進めます調査の進め方について申し上げます。すなわち午前は市川国一君、永井高一郎君、及び和久田三郎君より公益法人としての相撲協会のあり万について意見聴取した後、質疑に入ることとし、服部忠男君、御手洗辰雄君及び岩原拓君よりの意見聴取は午後に行うことといたします。  それではこれより参考人よりの意見聴取に入りますが、委員長よりごあいさつを申し上げます参考人各位には御多用中にもかかわりませず御出席をいただきありがとうございました。近時世評に上っております公益法人としての相撲協会あり方について、文教委員会において調査を進める次第でございますが、参港人各位にはどうかそれぞれの立場から忌憚のない御意見を御開陳下さいますようお願いいたします。御意見の開陳は時間の関係上、それぞれ三十分以内にお願いします。まず市川国一君より意見聴取いたします市川国一君。
  3. 市川国一

    市川参考人 御説明申し上げます。  このたび相撲協会公益法人としての問題につきましていろいろと社会批判と、また過日衆議院予算委員会におきましてこの問題が出まして、文部省からも御注意もありましたので、私の方としてはいろいろと極力このために善処する意味におきまして、去る大阪場所の七日目に理事会を開催しまして、さしあたりこの五月場所から行いますことについて、過ぐる二十三日に協会から発表をいたしたのであります。  何分にも御承知の通り伝統の古いわれわれでありまして、寄付行為その他の字句におきましても、現在の世情とはおよそかけ離れた言葉を用いてあります。ついてはさっそくに寄付行為等その細則改正に現在取りかかっております。ではさしあたりまして五月場所からいかなることをやるのかと仰せられますが、それにつきまして今御説明申し上げたいと思いますのは、さしあたり寄付行為と同じく細則改正、これは早急に行います。  次に指導普及部強化、この問題は従来も巡業その他の面において、ある場合は、大会その他にその近接地区から派遣いたしましてこの指導にも当っておりました。昨年より蔵前の国技館内部指導部を設けまして、これは一般外部青少年あるいは中学、高校青少年者指導を行なっておりますが、これも時期的に非常に消極的なときと、非常に大勢集まる場合がございまして、まだ年間どのくらい指導したというはっきりした数字はとってございませんが、夏季は昼夜におきまして約三回、これを交代で行なっておるようは次第で、今後ともこの面の強化をすることは十分考えております。なおまた地方の団体あるいは個人にかかわらず、この辺にも積極的な援助に乗り出そう、こういう考えでおります。  三番目の力士給与規程制度、こういう問題は、今まで何か力士給与がはかったようにお考えのようでありますが、これは当然ございました。しかしながらわれわれの方は事業所得でありまして、一般勤労所得と違います関係上、社会保障制度の問題、これに乗ることができませんでした。これは過ぐる二十六年にも私は労働省に参りまして、例の労災保険の問題もずいぶんいろいろとお願いもし、また研究もしましたが、従来通り給与の体制ではとうていこれに加入できない、こういうことで、今後からこれを月給制改正しまして、健康保険あるいは厚生年金その他に加入いたしたいと存じております。なお労災保険の面は、ただいまのところまだ加入できる見込みがございませんので、これは一般保険会社傷害保険の契約をいたし、国家の労災保険に入れるまでの暫定の行き方といたしたいと思います。次の力士退職金及び保障制度、確立の問題、これは従来からも、力士には一般にいわれます退職金制度にならった養老金という制度がございました。ただここに言葉の違いから、何か退職金もないというようにお考えになられたようですが、従来は力士養老金、今次退職金として支給いたします。昨年度の決算におきましても、一応この積立金制度を取り入れまして、それに約五百万円の積立てをいたしまして、今後力士養老金あるいは年寄行司、その他すべての退職金の問題を一本にいたしまして、退職金制度に進んでいきたいと思います。  力士数の整理の件、これは従来明治以来相撲協会力士を淘汰したことはいまだかつて一度もございませんのです。しかしながら現在の情勢からいきますと、収入においてすでに最大限度の頭打ちで、年々膨大な入門者がふえる。これではいかようにしても経済を確立していくことはできません。それによりまして、今後入門規定を従来よりも体重において一貫目、身長において一寸高める制限を加えまして、なを入門後二十場所にして幕下に昇進しない者は淘汰の規定にはめる。従来なお三段目あるいは序二段におります者もやはりその規定で順次これを淘汰し、理想としては大体五百名ないし六百名までにとめおきたい。これによって内部力士行司、その他の生活程度あるいは福利の増進、こういう方法考えております。  次は茶屋制度の問題でありますがこれが一番今回のガンのように思われます。皆さんの御批判を聞いても、協会としても、これは率直に、何とかこのままに押し通すというような考えは毛頭ございません。これはしかしながら今一挙にこれを廃業さす、あるいは停止さすといいましても、なかなかいろいろの事情もございますので、十分今後も検討したいと思います。さしあたり五月場所に席の開放と、一部売りものの値下げというものは断行させまして、今しばらくこの問題については時間の猶予をいただきまして、十分検討の上善処いたしたい、こう考えております。  次の大衆へのさじき開放、先ほど申し上げましたが、今回五日間、初日は全館開放でありますあと四日目、七日目、十日目、十三日目、これは各今までの通しの十五日間でお買いになったお客さんから、そのうちの二日間だけを抜きまして、あとの四日間はちょうど半数ずつ、全部を半数ずつの切符を全部開放いたします。この切符のいろいろさばき方も現在なお研究しておりますが、従来からも非常に切符の問題ではとかくの批評もありまするし、なおまたやり方に非常にむずかしい点があるのです。これは前場所までやっておりました番付発表後五日間前売り制度をやりまして行なっておりますが、実際にはこのためにダフ屋に相当な切符が流れ込み、またプレイガイドその他に出した切符も、全部協会の窓口で売るよりも、プレイガイドの場合なんかそのまま一冊流れておる場合があるのです。これは現にわれわれが見ておるのですから、いかにして公平に切符の回るようにというような考えも現在研究しておりまして、何とか一番最善な方法でいたしたい、こう考えております。  次の協会経理整備の件、これは従来の給与方法、あるいはそれに伴ういろいろな名称で給与が雑給的に支給されておりましたので、これを一本化せば一般社会給与と何ら異ならないと思うのですが、これはいろいろと伝統もありまして、その中に古い惰性で行いますあるいは雑用割とかあるいは食料だとか、いろいろな雑給的な支給が重なっておりましたので、何かこれをちょっと一般がお考えになってもそぐわないという事情は、十分ございましたので、今後どなたがごらんになっても、横綱の給与幾ら、あるいは幕内給与幾らという方向に持っていきまして、これによって自然協会経理整備も行われると思うわけであります。まず以上を五月場所から実施いたしまして、なおその後におきましても脱皮すべきことは当然私の方におきましてこれを整備していきたいと思います。早急にこれを行うことは、いろいろな事情がありまして至難でありますが、どうかいましばらくの時間を御猶予願えれば、御期待に沿うべく努力と善処をいたしたいという覚悟であります
  4. 長谷川保

  5. 永井高一郎

    永井参考人 私はかつて相撲協会理事として十四年間、しかも理事長補佐というような協会における重職にありました。従って、今回のこの社会問題、また最高権威たる国会の問題にまで悩みをかけたということに対して、心からその責任の一端を感ずるものであります。  さて、今回の相撲協会の問題に対しては、自分協会在職中にすでに感じておったものであります。従って、理事会においても数回にわたって指導問題——ただいま武蔵川君は茶屋問題が第一ということを言われましたが、財団法人たる責務を果すということが第一の相撲協会のなす仕事だと自分は感じておるものであります。その法人事業に対しては、理事会の機会あるごとに自分は始終申し述べたにかかわらず、何らこれに対する反響がないのであります。一言半句の受け答えがなかったということは、実に今なお遺憾に感じておる次第であります。まず財団法人事業公益法人事業を第一義に置いて、その後に茶屋問題にかかるべきが相撲協会のなす仕事、こういうことを考えておる次第で、まず協会員たる思想はどういうものであるかということを一応検討する必要があるので、そのことをここに申し上げて御参考に資したいと思います。  力士は十五、六歳にして、小学校卒業程度の教養と、何ら社会的素養を持たずに力士になるのであります行司も呼び出しも、ことごとくそうであります。従って、社会というものをよくわきまえておりません。私初め、社会常識というものをわきまえておらないのであります。それに、この協会内の依存主義といいますか、ひいきにたよって、ひいきに家を建ててもらったり、着類を恵んでもらったり、祝儀袋をいただいたりするということを、唯一の収入の道として考えておるのであります。このような空気と思想の中に養われた相撲協会というものは、今回のような相撲協会のこれほどの問題も、さほどに大きく感じていないということを断言できると思います。今の協会改革案に対して一々お聞きしましたけれども、これらは百不可能なことであります。従来行なったそのものを形を変えたというようにしか自分は感じてないのであります。これも今申し上げた依存主義による、何とかなるのだろう、だれか何とかしてくれるのだろうというような考えがかくさせるものだ。またそのようなことが従来往々あったのであります。昨年において主務官庁から相撲協会に非常に注意があった。すでにこの際に自重し、自粛して、今日のことに至らないようにするということは、協会としてなすべきことであったと思います。今日に至らしめたというその原因は、相撲協会依存主義による結果だと自分は感じておるものであります。従って社会もまたその点はよく御考慮になって、十分これを判断されることを希望申し上げるものであります。昨年も、三月二十日の読売の夕刊記事にありました。ある大臣の方が圧力をもって主務官庁をどうとかこうとかいうような記事を拝見しました、これはその一つの例であります。またこのたびのこの問題に対してもそのような姿がここにもし生じたとすれば、この問題は永久に絶えることがないということをここに申し上げておきたいと思います。真の慈悲協会に下さるならば、真の改革をもって初めて真の慈悲だということを御参考までに申し上げておきたいと思います。  指導部の非常に強い今の武蔵川君の話がありました。これも、相撲協会がどのような方法でやるかということに対しても、一言申し上げたいと思いますが、時間の関係でそれは省略させていただくことにいたしまして、法人事業として第一に相撲協会の使命とするところは、相撲を究明し、相撲史をよく検討し、相撲指導方法をよく検討し、後に指導部指導ということに当ることは当然でありますが、その大事なる相撲史を顧みもしないで、そしてただいたずらに興行本位であったということは十分に反省すべきだと思う。その理由は、現在においても相撲史学者として自他ともに許されている彦山光三君でありますが、この彦山光三君を協会は冷遇し、しかもそれを協会から追い出したということに対して、実に協会考え方がどこにあるか、法人義務を十分に果すという意思がどこにあるかということを疑わざるを得ないのであります。  なお指導部を云々しましたが、自分がなぜ相撲協会を去ったかということを一応申し上げます。それは先ほど申し上げたように、理事会のあるごとに自分指導部必要性とその拡大ということを盛んに提案したのであります。それにもかかわらず、何の受け答えもなくて、最後のその答えとするところは、理事長自分に対し、永井君ちょっと来てくれというので立ちましたところが、取締室理事室通路における立ち話において、先代おやじ——それは先代の出羽ノ海総代のことでありますが、先代おやじは、君の仕事によく理解を持っておった。これは僕の仕事じゃないのです。相撲協会法人事業であります。しかし今日年寄りか大半かわった、従ってその仕事理解がない、なお協会営利団体であるから一銭の金も社会事業に消費することはできない、同時に指導部は解消するから承知してくれ、こういう言葉でありました。実に意外な、何という暴言かというふうに自分は聞きましたが、しかも通路においての立ち話によってこれが解決されたのであります。そこで自分としてはこのような団体の中に身を置くことをいさぎよしとせず、直ちに自分はやめましょうと言ったのが、自分協会を退く理由でありました。  一言事情を申し上げた次第でありますが、大へん粗雑なことを申し上げて失礼いたしました。(拍手)
  6. 長谷川保

  7. 和久田三郎

    和久田参考人 私は相撲を愛し、相撲の正しい発展という点に生涯をかけておるものでありますが、今回公益法人として財団法人日本相撲協会あり方について国会がこれを取り上げられましたことは、まことに意義のあることと存じます。先般協会改革案なるものを発表いたしましたが、これを拝見いたしますと同時に、先ほど協会代表としての武蔵川理事説明を聞きましても、これはまさに旧来のいわゆる陋習を一そう強化せんとするむしろ改悪案であります。ちっとも改革の具体的な案もなければ、茶屋制度も存続する。もう一つ私が一番突かんとするところは、今永井君も申しておりましたが、財団法人日本相撲協会施行細則、いわゆる寄付行為事業実施の中に、協会寄付行為のための趣旨にのっとり相撲専修学校を設く、次に、相撲専修学校規定は別にこれを定む、という意味のことがあります。これが、大正十四年十二月二十八日に財団法人に認可された公益法人としての最も重要な面と私は信じております。自来三十三年の年月を経ましても、いわゆる相撲専修学校を設くるその規定協会が作っておるでしょうか。ちっともそれに手をつけておりません。ということは、いわゆる公益法人性格協会がまだ生かそうとしていないと思うのであります。しかも先般発表された協会改革案によりますると、寄付行為及び同細則改正としてありまするが、私いわゆる公益法人性格を生かすために忠実に実施をすればいいのであって、今になってから細則改正至急取りかかるとしてありますけれども、三十三年もほっぽらかしておいて、今ごろになって至急取りかかかるということは、いかにも私は協会幹部諸公がずるいと申しますか、その場のがれの考え方で、こうした文書を、文面的に見ますると何か盛んに改革をするようなことを言っておりますけれども、結局ほっかぶり主義で、人のうわさも七十五日で、そのうちまた何とかなるのだろうというような甘い考えで、この改革案発表したのではないかと私は察せられるのであります相撲専修学校、すなわちこれは相撲指導者養成所であります佐渡ヶ嶽理事、今の永井君が指導部長としておられた当時、相撲研修会というものを設けまして、盛んにいわゆる体育としての相撲指導に当っておられましたが、その指導部も先ほどの永井君の説明にありましたように、協会が廃止した。これは全く逆なことでありまして、私はこの際協会寄付行為改正なんというなまぬるいことを言わないで、すなわち相撲専修学校の設立にさっそく取りかかるということをなぜすなおにはっきり言わないかということを、むしろ協会に問いたいのであります。そしてこの案によりますと、幕下力士を転職さして指導に充てるとありますけれども、私の考えでは幕下くらいの力士では、技術的におきましても また社会に出て先生になるだけのいわゆる修業も積んでおりません。ですから私は十両以上、いわゆる関取格以上の力士の引退した者で適任と認めた者に、相撲指導者養成所に六ヵ月なり八ヵ月なりの期間で体育学を教える。そして根本的な相撲指導理念というもの、指導方法、これを徹底的に教えまして、いわゆる体育相撲先生として育て上げて、そして社会に送り出すということになれば、これはまさに一石二鳥でありまして、引退した力士がそういう方向に向って進み得るならば、勉強もしましょう、まじめになります。しかし現在ではそういう方針はありません。年寄株を買おうとしても、養老金が少くて年寄株が買えないという現状では、社会に出てだれかに取りすがって自分の生計の道を立てなければならないということになっておる現状を打破するためには、まずそうした指導者養成所というものを協会で作って、そうして人格的に見ましても、あるいは技術面から見ましても、りっぱな相撲先生社会に送り出すという方法をとることが、私は協会の今日における第一の義務と存じます。しかしそれにはおそらく協会として相当な経費が要るということをもちろん申すでしょう。  そこで茶屋問題が出てくるのであります。端的に私が説明するとおわかりと思いまするが、時間がありませんので、数字的なこまかい点は申しませんけれども、現在一番いい例は、一昨年でしたか引退いたしました名寄岩君、彼は大関になりまして、あれだけ協会に尽して、あれだけ人気のあった力士が、引退したときに協会から四十万円、力士会から四十万円、八十万円の退職金が入ったのであります。八十万円の退職金で、当時年寄の株が百二十万円しておりました。その百二十万円の年寄株も買えないというので「人情に訴う」という短文を名寄岩君がパンフレットにしまして、全国のファンにまきました。そうして一口百円の寄付を集めたのであります。そうしなければ年寄株も買えないという状態だったのです。現在幾らか上ったと思いまするが、たとえばそれが百万といたしましょうか。そうすると現在の年寄株——もう売る人もないそうですが、いわゆる相場といたしましては、大体二百万円ということをいっております。約倍であります退職金をもらいましても、その倍の金がなかったら年寄株も買えない。そうして茶屋権利金と申しまするか、茶屋売買相場が一体幾らしていると思いますか。現在七百万円です。年寄株が二百万円、幕内力士の引退が百万円、茶屋のいわゆる権利金というものは七百万円もしておる。いかに相撲茶屋というものが利益をむさぼっておるかということはこれだけでもわかるのである。しかもその茶屋を、協会は堂々と存続するといっております。これを認めたならば、私はおそらく協会は今後大いばり茶屋というものをどんどんふやして——現在大阪でもって二軒の相撲茶屋をふやしております茶屋の問題を取り上げられた現状において、すでにまた二軒の茶屋をふやしておるような状態であります。だからこれはおそらく、協会は、茶屋というものは存続するとはっきりいっておりまするけれども、それで私が最も疑問に思うのは、一割のリベートを全廃するとしてあります。これはまさに逆です。一割のリベートを全廃して飲食物を売るとしてある。高い飲食物を……。私はむしろ相撲茶屋の今までの人たちが長い間かかって切符を買ってくれる相撲愛好者というものをたくさん持っておられまするから、一割の手数料は当然です。一割の手数料をとって、そうしてお得意さん切符を売るということが、協会は、興行いわゆる経営面におきましても、能率の上ることですから、これは大いに売っていただきたいと思うのです。それで一割の手数料を当然もらう。あとは出方によって、飲み食いの、弁当を持ってくる、酒を持ってくる、おみやげ持ってくる。あの狭いますへそういうものを持ち運んで、しかも力士は土俵上でもってほんとうに真剣な勝負をしているのに、ひどい人はうしろ向きになって酒盛りをしてやっておる。これはスポーツを冒涜するもはなはだしいと思うのであります。私は少くとも相撲協会は、さじきにおける飲食は原則としてこれをやめなければいかぬということは、もう前から秀ノ山理事を通じて、再三にわたって申しております。しかし非常にもうかるものですから、なかなかやめようとしておりませんが、(笑声)これは結局、茶屋制度はやはり全廃いたしまして、現在持っておるお得意さんは、林家なら林家、四ッ萬なら四ッ萬というところにおけるお得意さんに対しては、前もって切符を売り、その一割の手数料、たとえば現在百ます持っておるといたしますと、最小限度見積りまして一まず平均二万五千円として、百ますで二百五十万円、その一割二十五万円、奥さんの仕事として一場所二十五万円、東京におきましては一年三場所、七十五万円の年収がありますれば、どうやらこうやらめしが食っていけると思うのであります。それ以上に飲み食いの利益まで得ようということは、私はこの際やめてもらいたいと思います。  なお飲食物の問題でありますが、これも協会といたしましてはいろいろ利益の関係等を見まして考えておると思いますが、飲食物等の売上高の五%を協会に返すと言っております。ずいぶんもうかると思っておりますが、こうしますと、とにかく協会に五%やるのだから、もっと高く売ってもしようがないのだということになるのです。だから、ぜひとも飲み食いしたい人は、一番なり二審、三番なり相撲を見るのをやめて、勝手に協会直営の食堂でうんとたらふく飲み食いしてもらってけっこうですが、さじきにおける飲み食いだけはこの際断然やめていただきたいと私は考えます。  それから大衆への切符の解放としてあります。これももちろんけっこうだと思いますが、当日売りをいたしまして、当日これだけの切符を解放いたしましても、当日売りではおそらく全部売り切ることは困難だと思うのであります。やはり前売りをして初めてこれが確実に売れるのであって、当日売り出しても、全部売れることはとても困難だと思うのであります。そうすると、これをやった、結局売れなかった。そうすると、協会はやはりこうして解放してみたけれども、切符が売れない、協会の収益が上らない、上らなければ公益法人としての仕事もできない、やはり茶屋が必要でございますということを言わんとするための一つの作戦だと私は思うのです。必ずそれはそういうことになってくるのです。これは全部売れればけっこうですが、出品売りではおそらく売れますまい。先ほど、プレイガイドに出した切符ダフ屋に回ったということでありましたが、それはおそらくたまたまそういうことがあったかもしれません。そこで売ったものかたまたまダフ屋に渡ったかもしれませんけれども、これは、私どもが相撲切符茶屋に高い金を払って、出方にチップの心配をしながら、あまりうまくないものをうんと飲まされ食わされたりして多額の金を使うよりも、むしろダフ屋から買ってそのまま入った方が安く上る。私は決してダフ屋を認めるのじゃありませんが……。ですから私は、大衆にすぐ切符が手に入るということのためには、やはりプレイガイドあるいはデパートとかいう、大衆が行ってすく切符が買えるというような制度を設けて、そこに切符を置く。茶屋ももちろん今まで扱ったお得意さんはそのままいかしていくというようにしていけば、相撲切符というものが大衆にも手に入る。現在の茶屋の連中もすぐまんまの食い上げにならないということで、ぜひ私はこの際茶屋制度というものは撤廃をいたしまして今のような方法をとれば、別に現実の問題として困ることはないと思うのであります。  要約いたしますれば、相撲指導者養成所を至急に作ってもらいたい。その経費というものは、多分に茶岸に今まで利益が逃げておりますのを、全部協会の収益にしていけは、力士の待遇改善の問題も、あるいは退職金の問題もおのずから解決つく問題であると思うのであります。  以上私の所信の一端だけ申し上げます。(拍手)
  8. 長谷川保

    長谷川委員長 以上述べられました参考人市川国一君、永井高一郎君、和久田三郎君の意見に対し、これより質疑を許します。質疑の通告がありますので、順次これを許します川崎秀二君。
  9. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 本日は相撲協会改革に関連をして、協会、並びにかつて相撲の世界におられた両君にお出ましをいただいて公述を拝聴したわけであります相撲か今日ほど国民大衆から愛されているということは、いまだその歴史になかった広範なものでありまして、これは主として最近におけるマス・コミニュケーションのおかげであると私は思っておるのであります。先般同僚辻原君が、予算委員会の舞台におきまして、この問題を公益法人と国政との関連におきまして取り上げられ、これがために世論が喚起をせられたわけでありまして、その質問の重要性は、スポーツの歴史におきましても特記すべきものだと考えているのであります。本日、私は相撲道を愛するがゆえに、またスポーツを愛するがゆえに、相撲協会あり方はいかにあるべきかということに重点を置いた質問をいたしたいと思うのであります。  協会改革を断じて行わなければならないということは、もはや世論のきまったところではないかというふうにさえ考える。ただ改革のやり方については、資料を集め、またその底流にあるものなどをいろいろ拾ってみますと、必ずしも一様ではないのであります。私はこの質問を開始するに当って、ややもすれば今日まで相撲とか、あるいはスポーツとかの問題は、たとい先覚者が質問をいたしましても、まず国会における一種の座興的なものとしか取り上げられなかった。はなはだ遺憾であります。私はきわめて真剣に、スポーツの発展を企図するの余り、まじめな立場に立って、改革方向を誤まらしめないために、幹事長とも十分打ち合せをいたしました結果質問をいたしているということをまず前提にいたしまして、質問の具体的な要項に入りたいと思うのであります。  ちょうどだだいま公述がありました。そこで大上段に承わりたいのは、財団法人日本相撲協会寄附行為なるものが、岩原体育課長のもとに、戦前に承認をされた。これはその第二条に「武士道ノ精神ニ則リ」などという言葉が残っておって、今日の教育基本法あるいはその他の問題と、今日の日本の教育の大きな方向と間違っているではないかという辻原君の質問もありましたか、そういう一点にしぼってのあげ足とりはやめにして、とにかくこの財団法人日本相撲協会の寄附行為というものをまじめに解釈するならば、少くともその目的の第一条にあげた相撲専修学校をいかに設立をしてそれを維持するか、これは第一条の規定になっている。しかしながら、今日武蔵川君を相手にこの質問をするのは非常に恐縮です。なぜならば、あなたは今日は実力者ではあるけれども、当時からの引き続きの責任者ではない。本日出羽ノ海理事長が出なかったということに対しては、われわれ議員は非常に残念に思っています。一番の責任者、今日協会改革をすべきやというのは、あるいは問題の発展するところ、出羽ノ海理事長の責任というものに対して世間は非常な疑惑を持ち——また中には嫉妬をも持っている者もあるかもしれぬが、疑惑を持っていることだけは確かである。武蔵川君は相撲をやめられてから非常に勉強されて、そうして今日理事者として着々その地歩を固めている人であるということは知っているが、この協会設立のときの責任者ではないから、少しあなたに対しては酷です。酷であるけれども、しかし聞かなければならぬ。今日代表者として来ている以上は、伺わなければならぬが、いかにこの設立をして維持をしているのか、しかも今天龍君のお話によると、細則さえきめておらぬ。なるほど資料を求めても専修学校の細則というのは出ておらぬ。三十年間も細則をきめなかったのはどういう理由か、この点をまず承わりたい。
  10. 市川国一

    市川参考人 御答弁します。ただいま仰せの通り理事長の責任の問題であるのですが、本日実はここで御答弁をいたしたく、私もそういう手酌にかかったのでありますか、大阪場所の後半よりからだを痛めまして、現在療養しておりますので、皆さんにお答えのできませんことを、私がかわっておわび申し上げます。  次に、先ほどもお話の出ました寄付行為改正でない、改悪、これとただいまのお話とやや関連すると思いますが、これは改悪では決してありません。その冒頭の武士道精神云々ということもこれは目的の一つでありますから、当然変えなくちゃなりません。このために私ども寄付行為並びにその細則改正を急いでいる理由であります。  それから相撲専修学校の問題でありますが、これはただいま川崎先生もおっしゃいましたが、私は当時このことに——決して責任はのがれませんか、関知しておりませんでした。当時ただいまの部屋制度を、一般の本来の力士の養成と、あるいはそのほかに指導部を持ちまして、将来は相撲専修学校の設立に持っていく意思のもとに、この寄付行為に掲げたのであろうと私は解釈いたしておる次第であります
  11. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 初めに私の態度を申し上げたので、言葉が強かったかもしれませんが、具体的にお聞きしますからゆっくりお答えを願いたいと思います相撲専修学校というものは今できていないわけですね。
  12. 市川国一

    市川参考人 まだできておりません。
  13. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そこで相撲専修学校の設立は、あなたは協会の代表者として必要だと考えておりますか。
  14. 市川国一

    市川参考人 相撲専修学校のことは、私も先ほどよりいろいろ御批判あるいは皆さんの御意見を承わりまして、もちろん寄付行為にうたってある以上は自分は必要と考えます。しかしながらその行き方が、私自分考えましたが、学校制を設けまして、それを卒業した者を幕下あるいは十両とやりましても、一つここに矛盾が生じますことは、そういう制度で行いましても、なかなか力士の養成というものはそれ一方では完成できないわけです。完成できないということは、現在プロ・スポーツの中で、プロとマチュアの差の激しいのがわれわれの相撲社会でないかと存じます。この学校を卒業した者が、果してそれでは幕下なりあるいは十両の位置に持っていきまして、も——もちろん技術は低下してきます。そのために相撲としての本来の目的の一部もそぐというような形式になりますので、将来この相撲専修学校と、現在われわれの行なっております部屋制度の問題と十分かみ合せまして、しかるべく御期待に沿うような方法でいきたいと現在考えております
  15. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 あなたは相撲専修学校あり方についていろいろ議論があると言われたのですが、その思想さえ今日まで統一を見ておらなかったということだけは言えますね。
  16. 市川国一

    市川参考人 はあ。
  17. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そうしますと、少くとも大日本相撲協会を大正十四年に設立をして、第一条に相撲専修学校を設けるといったときの思想というものは——あなたはその当時の責任者じゃないというから仕方がないけれども、これはそのときにはやはり一つの目的かあったと思う、むしろその点では永井さんなんかその事情を知っておるのではないか。相撲専修学校というのはどういう構想で作る。たとえば今問いておると、武蔵川さんの説明だと、学校を卒業した者を幕下なら幕下へ入れる。そしてだんだん大成をさせるというのも一つの目標でしょう。しかしながら、私は相撲専修学校を設けるということは、指導者の養成ということに主眼点があるように思う。すなわち相撲というものを全国にわたらせたい。単に国技館相撲をとっている、プロ専門だけではない、全国に相撲を発展させて、体位向上を通じて一般のスポーツと同じように国民体育に奉仕をしたい、こういう気持ではなかろうかと私は思うのですが、そういう点でどうだったんですか。その当時の設立の事情はむしろ永井君の方が知っておるのではないですか。
  18. 永井高一郎

    永井参考人 財団法人認可当時、自分はちょんまげ生活をしておりました。そのときに春日野さんの養父である入間川さんという取締が力士会に来まして、今度財団法人になる、諸君はこれに賛成するかというような意見を聞かれたのです。自分たちのちょんまげ生活は、先ほど申し上げたように、社会にうといものですから、どういうものかをわきまえずに、ただぼう然と聞いていたのであります。そのときの説明は、従来は寄付金割という協会制度による利益配当をいたしたものだが、これからは月給制度になる。従ってこれは確実に収入が保証される。もし協会の金が足りなければ政府が補助してくれるのだ。自分らは実にこれはうまいことだというような考えを持っておりました。今考えれば実に大した噴飯ものだと思います。そして専修学校はもちろん設立して、そこで専門家になるならぬということを問わず、相撲指導をして、その中で優秀な者に限って専門家にする。あとは各地の青年団や学校の指導者に当てよう、こういう目的で専修学校の設立趣旨というものができていると私たちは聞いておるのであります。その後はお話だけで、その形、話題さえも生じなかつたのであります。何年か後だったのですが、昭和に入って小田急沿線に電車が開通したばかりだったと思うのですが、あの沿線に相撲専修学校の前提となるような計画はしておりました。これは小田急の沿線で専修学校予定地だったと思いますが、ちょっとした役目をいただいて、土地も提供してもらったりして、私たちも参加しておりましたが、これは数カ月でやめました。あとは、財団法人認可当時の事業としては、これは協会でなくて、先代出羽ノ海さんが個人の立場において、自分の弟子たち、門下生を各大学、各地方に派遣して、また行司を派遣したり、大会がありましたなら、はそれらに大会の賞品を贈ったりして、法人事業の一端を出羽ノ海個人としてやっておった。協会がやったのではないのです。その後私はこれら先輩たちの話を聞き、自分らの持つ責任は何かということを痛感しまして、ちょんまげ当時から、震災の翌々年川口市に焼け出されて、その土地の青少年を相手に指導に当ったのですが、これが川口青少年相撲体育会であります。その後東京の……。
  19. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そのくらいでいいでしょう。この相撲専修学校の問題を一番先に私が聞いておりますのは、この問題が辻原君によって提供されたことは、公益法人たるべき日本相撲協会の政策が営利本位に走り過ぎているのではないか、むしろ公益法人としての使命を全然忘れてしまって、相撲株式会社としての性格だけが世の中ににじみ出ており、しかもその反面力士の待遇は悪いし、老後の保障も全然行われておらぬということから端を発したものだと私は思う。だから公益法人としての相撲協会を今後残そうとしても、これはあるいは政府が勧告してやめろという結論が出るかもわかりません。もし相撲協会公益法人として残すならば、第二条の目的は、認可のときと性格が変ってない限り、われわれはこの性格に基いて、あなた方の目的を補助しなければならぬというふうに考えるのです。しかるにこの相撲専修学校の問題について、武蔵川さんは先ほどいろいろ答弁されたが、非常に要領のいい答弁ではあるけれども、それは目的にはずれているわけです。今日この目的から考えて言うのですが、冗談じゃないですよ。これは阿久津川さんの昔の説明を聞いても大体そういうことだろうと思う。ここには協会の代表者といっても、ほんとうの代表者でないのだから困ったことですが、ほんとうにやりますか。国会の議論がそういう方向にいって、文部省が勧告した場合は、相撲協会は、つまり専修学校の設立は本年度の予算を調べたけれどもないのですが、かりにきまれば、早急に九月なら九月、下半期なら下半期を期して設立するくらいの気持がありますか。
  20. 市川国一

    市川参考人 ただいまのお話よくわかりました。決して要領いい答弁を私はしたのではありません。事実行うべくして、われわれの先輩もやっておったのでありますが、そこに行い得なかったという事情もございます。これは決して三十年間ほうりっぱなしにしておいたというような考えは毛頭ありません。ですから先ほど私がお話し申し上げたように、十分そういうこともお聞きしまして、今日の結果をなお判断し、そして理事会にかけまして、——私は早急に五月からやろうということはもちろん断言できませんけれども、これは場所前の緊急理事会をやりまして善処することに、私熱意を持っております
  21. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 大へん誠意ある答弁でけっこうです。  そこでもう一つ伺いたい点は、協会のあなた方の方で出してきた改革案によると、学校もそうですが、全国の相撲指導の責任者には幕下力士を転職させるよう努める、こう書いてある。ところが私が最近見ておると、相撲というのは、今プロとアマとは非常な差だということをあなたは言われたが、その通りだと思う。野球の方はアマチュア・スポーツの方から発達したので、プロ野球とアマ野球は最初非常に差がなかったがそれがだんだん最近はプロ野球の技術が発達して技術の差が開いて来たように思う。相撲の方は承わるところによると、これは相撲協会内部にいる人からも聞き、力士自身からも聞いておるのだけれども、昔は幕下でも大学の選手を手玉にとった。ところが今日は違うという、かなり実力も接近してきて幕下と大学選手ではあまり差がないという、果して相撲指導員に幕下力士を転職させることで十分かどうか。これは市川君からもお答えを聞きたいし、天龍さんからも聞きたいと思う。
  22. 和久田三郎

    和久田参考人 どうも武蔵川理事の言っておることはちょっとピントがはずれておるように思います。部屋の弟子の養成をするということがすなわち学校の形態になるというようなことを言っております。しかし私どもの考えは、いわゆる力士が土俵上において、あの真剣なけいこ真剣な勝負を多年やっておって、そうしてある強さとある人格というものができ上った者を、今度は一般存少年のいわゆる体育としての相撲指導員にする、そのための相撲専修学校である、私はかように解釈しております。従って幕下力士では、私どもの見た目では、技術面においても、また人間的な面から見ましてもまだ若いのですから、そういう人が社会指導者になることはとうてい無理です。やはり十両以上の力士の、しかも引退した者を学校に入れて指導員に育て上げるということが主眼だと私は思います
  23. 市川国一

    市川参考人 ただいまお話がありましたが、先ほど申し上げましたのは、弟子の養成の問題にのみとらわれてお話ししたわけではありません。やはりそこには外部の指導の面も十分含んでお話し申し上げたつもりですが、少しその意味が抜けたよう感じがあったようでした。しかしながら今回の改正案には現実に幕下以下というように入れてあります。今和久田氏のお話をお聞きいたしましたが、十両あるいは幕内、こういうところへも進んでいくとは思われますが、まず最初は幕下の者を転職させるということで一応そこに打ち出してあります。この点は十分一つ検討させていただきたいと考えております
  24. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 私の伺いたい点はさらにこういうこともあるのです。たとえば相撲専修学校を設ける際に幕下力士がかりにこれの指導に当っておれば、これはプロ競技者としての立場というものは明らかになってはおりますものの、指導を受ける者がアマであるわけですから、プロ選手によって指導を受けるということについては相当な疑義が出てくるわけであります。今日の体育協会などが作っておるアマ規定によると、これをプロ選手が指導するということはたしか禁ぜられておるはずです。またそうでなければならぬ。そこに問題があるので、むしろ天龍さんの言ったように、引退した力士で、引退してからあまり時間のたっていない選手、たとえば、かりに吉葉山なら吉葉山が引退した場合、四十や四十五、六まではからだが動くでしょうから、その間に、こういう権威のある人がやっていくということの方が誤解も生じないじゃないか。これもプロでしょうか、柔道の師範というのと同じでしょう、こういうことが言えるのじゃないか。そういう点からも、ぜひ相撲専修学校を作るということでありますならば、はっきり寄付行為にのっとった政策を実行して、そうしてその際にあやまちのないように進められるようお願いしておきたいと思います。私はむしろもっともっと深く掘り下げて問題を聞きたいと思いましたが、あなたが現在の相撲協会の最高責任者でない関係上、あまりいじめるような質問をしてみても、かえってこちらが笑われるわけですからこの程度にとどめておきますが、この相撲専修学校の設立ということについては寄付行為の第三条にある。しかも多くの人々が望んでおる指導部強化ということは非常に大きな問題です。今龝吉定次君——元双葉山がその指導部の部長だそうでありますが、そんなことはだれも知っている者はいない。初めて書類を見て知ったわけです。一般の大衆は今日、公益法人たる相撲協会性格などというものはみな忘れて、これは辻原君が質問したから、なるほど公益法人であったのか。もとの起りといえば、大日本体育協会すなわちアマチュア総合団体に一千万円の補助を出して、これからずっと出していくでしょう、そのことに関連して公益法人相撲協会は国庫の補助を受けるといったときにどうするか、こういう質問が出るのは当然のことであります。今日は相撲協会などに補助してはとても政府の財政は保っていくものではないし、またすべき筋合ではないと私は思うけれども、そういう疑義があるということを申したのが最初の始まりでありますから、どうか公益法人としての性格を堅持されるならば、十分なこれに伴うところの具体策を立てなければならぬ。相撲専修学校は私は一つの焦点だと思う。  そこで問題を、むしろ今日非常に営利本位になっておる協会内部に目を向けて御質問をしたいと思います。  茶屋制度というものは果して絶対必要なものかどうかということの質問であります。私は、今日多くの大衆が疑惑の目を持っておるのは——公益法人たるの性格という問題は、これは識者の関心であって、むしろ商業本位に走り過ぎておる協会内部、ことに大衆が相撲を見ようと思っても、とうてい今日の経営制度では近づくことができない。さじきを持っておるところの大きな会社、あるいは顔役というものにぶら下って見に行かなければ相撲というものは見ることができない。そういう建前というものに対してメスを入れるべきではないかということが、今日の多くの大衆の願いであろうと私は思うのです。そこで質問をいたしますのは、茶屋制度というものは、あなたや協会の幹部によるならば、これは協会が非常に困っておったときに茶屋というものを通して切符を売りつけた、それがようやくにして今日の相撲協会を築く原因になった。決して相撲が発展し、また隆盛であったときばかりでなく、昭和二十二年、国技館のあの破れ屋根のもとで安芸ノ海が活躍し、備州山が優勝したときの場所などは実にさんたんたる場所であったのです。そのときに茶屋というものは非常に働いた。それは功労者でしょう。功労者ではあったでしょうけれども、そのことが今日茶屋制度を廃止しなくていいということには私はならぬと思う。その相撲協会会が最低の、リスクがあったときに救った功労者であっても、今日大衆のものとして相撲が発展していくときにおいて非常に大きな弊害があるならば、これは私は当然廃止すべきものだと思うけれども、あなた方の考え方ではこれを廃止することができない、こう言っておる。しかしまだまだ説明は非常に不十分たと思う。なぜ廃止することができないか、永久に廃止することができないか、それを承わっておきたい。
  25. 市川国一

    市川参考人 茶屋問題でありますが、これは私は廃止しないとは申し上げません。ただしばらくこのまま、この五月場所に速急に廃止しろと言われてもこれはでき得ないことです。しかしながら茶屋の行き方、先ほど和久田氏が話されたことも聞いておりましたが、例の切符を売りさばくとかそういう面によってこれを転換させるとか、あるいは内部において食事をさせちゃいかぬ、こういう問題も十分研究をし、なお今後ともその問題を考えまして、いずれ速急のうちに一つこれをまとめあげたい、こう私は考えております
  26. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 五月場所に廃止は間に合わないけれども、将来これが弊害が続出するということになれば、それに対して対処しよう、こういうことですね。  それではその建前に立って今日の茶屋というものを少し分析してみたいと思う。これはあなたに分析してくれといっても無理らしいから、私はむしろお二人に聞きたいと思う。現在のさじきの一ますというのは最高が一場所五万二千円ですか、それから最低が一万二千円、一日、上の方は一人九百円ずつで三千六百円、それが十五日間で五万二千円、こんなもので一ます買えるものでしょうか。私はそう思わないのです。これか十五日間五万二千円でどの大衆にも手に入るというなら、われわれでも何とか工面して行きたいけれども、行けないから嫉妬心を起して質問しているのでもないが、故大麻先生に笑われるかもしれませんが、そういうことです。ですから問題は、正しくこれが厳守されているかどうかということについて、茶屋の内情を知っている方に伺いたい。たとえば私の聞いたところによると、一ます最高五万二千円ではあるけれども、大きな会社だと十万円くらい出すとか、御祝儀を出すとかということもある。それだけじゃなしに、見に行ったお客が相当な飲食をして、それに対してのチップというものも相当なものだ。そういうものを出さないと、初めはいい席だったのか次の場所には悪い方の席にだんだん変らされるという話も聞いているのですが、それらの問題について一つ御両所から承わっておきたいと思うのです。
  27. 和久田三郎

    和久田参考人 茶屋の問題は、私が昭和七年のときに大きな改革案一つとして取り上げたのですが、現在まで続いているということは、今川崎先生のおっしゃいましたいわゆるマル公で手に入るならば、それでは茶屋がつぶれているはずです。茶屋が今まで生きてきているということは、おそらく切符の金も、これは御祝儀ですからその会社なり個人なりによってどの程度出しているかということは、これははっきり申し上げませんけれども、いろいろな会社の庶務課長あたりに聞きますと、五万出したとか十万出したとか言っております。個人といたしましても十五日間の通しのますを取れば、最小限度一万円の祝儀を持っていかないと茶屋のおかみがそっぽを向きまして、ますがどんどん上のすみの方へいってしまう。これは昔からそうなんです。武蔵川君は四ッ萬という茶屋を奥さんが経営しております。御本人は、女房がやっているのでおれはそんなこと知らないとおっしゃるかもしれませんけれども……。私はいわゆる茶屋の功績も認めますけれども、茶屋のできたときから現在までの歴史を振り返ってみると、そのときの協会の権威者の奥さんが一番茶屋の勢力を持っているのです。最初私どもの恩師でありました故常陸山の出羽ノ海が高砂家を経営しておりまして、これがそのとき一番勢力を持っておった。その次の先代出羽ノ海が林家を経営しておって、これがそのとき一番の勢力かあった。現在は現理事長の出羽ノ海が藤しま家を経営し、その娘さんが白豊を経営しております武蔵川君は協会経理の方の実力を持っております。がその奥さんが四ッ萬を経営しております。この藤しま家、四ッ萬が現在の茶屋で一番の隆盛をきわめている。こういう点を私は茶屋問題にからんで申し上げていいと思うのであります。まずマル公で入ることはとうていございません。  それからもう一つは一軒の茶屋に出方が十人ないし十五人おります。それが二十軒あるのです。しかし案内するだけならば出方はそんなに必要ありませんが、酒を飲む、ものを食べてもらう、みやげ物を持ってくるということで、一軒十人としまして二百人の出方が、相撲の一番のクライマックス、幕内相撲のときにうろうろ持って歩いているのです。これは非常にじゃまになります。そういう点から考えましても、協会が直営の食堂をやればそういう出方の人たちは要らない。また協会が直営の案内所を作って、親方がたくさん余っているのだから、親方たちが監督して、案内ガールを使って気楽に自分場所で、チップも何も心配せずに飲み食いの心配も何もせずに相撲をたんのうできるようにしていただきたいと思います
  28. 永井高一郎

    永井参考人 自分茶屋制度に対しては、在職中に整理に着手しました。中の売店は直営に整理しました。それと茶屋の方も、これを直営にすべく着手し、なお年寄りの制度、こういう点まで手を伸ばしたのです。今、和久田君がお話になったように、時の勢力者が茶屋を経営するということが直営にする一番のガンであります。その人たちの一言半句は、協会を左右する力を持っております。従って、これを直営にすべく努力したのですが、中途にして挫折してしまったのであります。今社会的に問題になっておるのは茶屋制度であります自分理事の時代でさえも、親戚や関係者を中に招待してますを一ますとった場合、どういうふうないわゆる茶代、チップを出していいのか、中にいながら、よく様子を知っていながら、こればかりしかよこさなかったという言葉も多いし、またあまり多過ぎるのもふところ勘定で考えなければならぬ。実は自分は当事者でいながら、自分で悩んだほどの内容であります。なお近ごろ聞くところによりますと、帰りには、極端に言えばリヤカーでも持っていかなければみやげものでちょっと扱いに困る、しかも注文しなかった、そういうような暴利をむさぼることは、これは相撲愛好者を遠ざける一つの原因になると思います。  なお茶屋問題が社会問題としてこのような騒ぎをしておるさなかに、相撲協会大阪茶屋を二軒もふやした。あれだけの面積で、今まででもひざが痛くて帰りになかなか立てないというような狭さの中に入れておきながら、そのます数の中に二軒の茶屋ますをふやした。これは社会の世論やこの国会の問題をどういうふうに考えておるのか、自分らは非常に憤慨せざるを得ないのであります。荷物でもそのような扱いはしないだろうと思います。皆さんがおいでになってあのますの中に入って、帰りにひざがしらがどんな感じになって帰られるかよくおわかりだと思う。それをさらに縮小して、九十九もその中に割り込ませた。九十九というと、千人近い人間をそこに座らせるわけです。これだけ相撲協会の将来を考え国会なり社会なりか心配していてくれるそのさなかでさえも、かくのごとき傍若無人なる政策をとるということは、全く相撲協会の反省がない、今日の態度でも欺瞞的だというように断じて差しつかえないと思うのであります
  29. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そこで茶屋の問題でもう少し掘り下げて伺いたいのですが、一体茶屋制度というものを今日全廃するか、ある期間をおいて全廃するかは別にして、これが今日の相撲協会の営利主義の源になっておるということは、もうだれもが指摘しておるところであり、協会当事者自身も一応認めておるところであります。ところが実際にはそれが廃止できないという原因は、やはり今両氏が指摘をしたように、茶屋の持ち主というものは協会の役員または年寄り本人、ないしはあなたの方の協会改革案というところには、非常に世間体をおもんじてか、直接本人が経営している者はないというのですけれども、みんなこれは奥さんが経営しているのですから、本人が経営しておるのと同じことだと思うのです。そうでなければまた養子縁組みの関係で、なるほど年寄りそのものあるいは奥さんそのものではなくとも、その縁類者ということに大体なるのじゃないかと思う。私もこれを全部調べてくる余裕がなかったのですが この株式会社すもうを経営しているところの二十人の株主の中に。山野辺シズヨ、これは常ノ花、現在の出羽ノ海の奥さん、それから中田くらというのは栃木山じゃないですか、ということは春日野さんもおありになる。もっともこれが代表者の古川四郎という人は何か協会に直接関係したのかどうかは存じませんけれども……(和久田参考人「そうであります」と呼ぶ)そうするとみんなそうということになるのですね。ですからそういうものが持っておるから、茶屋制度改革しろ、外部にそういう意見があっても、実際協会内部でこれを最後的にきめるというときには非常な障害になりやしないかというようなことが、今日多くの人が憂えておるところです。そういうことに対して武蔵川さんは、かりにそういう方向に世論がなった場合に、協会としてはそれだけの対策をとり得る最後の断定を下す自信がありますか。
  30. 市川国一

    市川参考人 いろいろ姻戚関係というものもありますが、その中に純然たる策三者もおるわけです。たとえば姻戚関係におきましても、これが役員になってその茶屋を接収したというような理由の異なるものもある。たとえば私のような場合には、当時まげをつけて相撲をとっておりました場合で、今日こういう答弁をすることは夢にも思っておりませんでした。そういう関係から生じた場合もございます。しかしながらそういう問題はさておきまして、この改革に対しては私は少くとも熱意を持っております。これは先ほどから再三申し上げておりますが、至急に今場所変える、こんな無理なことはとうていできません。これは断言されます。しかしながら次の機会、九月場所あるいは来年の一月場所、一、二場所の期間をおいていただいたら、必ず私はこの改革をやりたく、自分も一昨年の秋ごろからこの問題については非常に考えておったのです。たまたまこういう問題と合致しましたけれども、自分はそれだけの熱意をもって必ずこの改革をやっていこうという自信と、また内部的にいかに取締りがやっておりましても、その点は私自分でやりたい、こういう考えを率直に申し上げます
  31. 長谷川保

    長谷川委員長 川崎さんに申し上げますが、午前中はあと三人質問者かありますから、簡単に願います
  32. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 それでは簡単に少しずつ聞いていきますから、答弁も簡単にしていただきたい。もう一つの問題は、相撲を酒を飲みあるいは飲食をしながら見る、これだけは私は本年からでもやめさせたいと思っておるのです。プロ野球でもビールを飲んで見ている者はありますけれども、あれは自分で買いに行ってラッパ飲みにしておるという状態です。ですから酒を飲んで、ことに一献いこうというので土俵の方にしりを向けておるというような、これほどスポーツに対する冒涜はない。これは天龍さんと同じ意見です。ですからぜひその点は変えて、少くとも今の歌舞伎程度までは改めたらどうかと考えるのですが、これらの問題についてとう考えられるか。同時に私は非常に不衛生じゃないかと思うのです。外人客などもずいぶんふえてきて、相撲を非常にたんのうしようという人もふえてきておるのだから、これは将来の早い機会にいす席に改めるとかしたい。私の方から一つの解決案を出せば、大衆席はスタンドにするとか——スタンドの方が人がうんと入るのですよ。そういうふうにして観客の衛生も考えてもらいたい、観客の健康も考えてもらいたいと思うのですが、これらについて協会当局の御意見を伺っておきたい。
  33. 市川国一

    市川参考人 場内で物品、飲食物を扱うことは、決して客の求めに応じないで無理じいにこれを売りつけるというようなことはいまだかつて一回もないとわれわれは思います茶屋も監督をしておりますし、これは客の求めに応じて出すことはもちろん自然でありますし、なおみやげ物の問題もさっき出ましたか、会社あるいは招待された方の要求によりまして、帰りにこういうみやげを提供してくれ、これは言われれば商売ですから、これを出さないわけにはいきません。そういうような過程で出しておりますので、決して飲食物を強要したとか、あるいはみやげ物をほしがらないのを持たしてやったというような事情は決してありません。
  34. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 私はこの相撲協会の組織というものはもっと本質的に考え直してみたらどうかと思うのです。これは私の考えです。今日、力士が八百二十何名いるということは数字によってわかっていますが、その他にも呼び出しあるいは世話人ないしは行司、床山というものを入れると千人近い世帯で、これを運営をしていこうと思うから非常に骨が折れるのじゃないか。現に相撲は暗いうちからやっている。これは昔からの伝統だと言えばしまいですが、どのスポーツでも一日じゅう興行をやっておるというものはないわけなんで、これはできれば私は部屋制度改革というものを考えたらどうかというふうにさえ考えておる。最近ある雑誌にプロ野球との比較が載っておりましたが、必ずしもプロ野球と比較することはできないであろうけれども、プロ野球の選手というものは今日平均少くとも、三万円以上の月給、多いものは十数万円もらって楽に生活をしておるのです。このプロ野球というものは一チームが全体で大体四十五人ないし五十人で終りでしょう。それで年間に多ての試合をするわけですから、勝数が非常に多ければ順調な経営になっていくだろうと思うのです。ところが八百数十名の力士、さらに千名近い集団を擁してこれを経営していくところに大きな難点があるのじゃないか。これらの点については協会の中でも改革論者があるという。天龍さんなんかにも相当な考え方があろうと私は思うのですが、そういう点でどうか。  それからもう一つついでですから、もう十分くらいで私の質問を終りたいと思うのです。実は六十問ばかり用意してきたけれども、二十問くらいしか発せられないで終るのは残念ですけれども、また午後にでも回すことにして伺いたいのは、私も不聞にしてこれは知らなかった。各部尾に行司というものがいるのですな。各部屋に行司がついている。(「それはそうだよ」と呼ぶ者あり)それを知らなかった。こういうことは一体審判制度の厳正化ということからしてどうか。重大な問題だと思う。ほかのスポーツならこんなばかなことはないですよ。こういう問題についてどういうふうに考えるか。  また今日、五場所制というものに対して非常な批判があるのです。少くとも今日、十二日以後の幕内上位の相撲というものはだれている、相当な八百長くさいものあったということを私は聞いておる。これは一つ午後聞きたいと思っておる。午後、御手洗さんにも力士にも聞きたいと思って、あなた方にはあまり聞こうとは思わなかったのですが、それらの問題を総合してどういうふうに考えられるか。協会、天龍さん、しこうして永井君、次々御答弁願いたい。
  35. 市川国一

    市川参考人 行司が各部屋に所属しておりますのは、これはただいま承わりましたが、審判制度からいけば、当然これは審判というものは確立しなければならないと思う。しかしこれも従来から各部屋によって行司を幼少のころから養成し、そういう一つの行き方によって今日なされておるわけであります。ですからそういう面がいろいろと審判の制度の確立、これでなければならないというような感じになれば、これはまたわれわれの方でも大いに研究しまして、後日そういう線に向けていきたい、こういう考えでございます
  36. 永井高一郎

    永井参考人 審判の問題は、戦争前すでに独立さしたのであります。二、三年だと思いますが……。行司部屋、これもしばらくの間でしたが独立さしたのであります。それがいつの間にか現在のような形に戻ってしまった。売店も直営としましたが、それもまたいつの間にか戻ってしまったというような状態であります。  なお部屋制度ということですが、部屋は現在の場合は、一人でも多く置いた方が、師匠の立場として経済的に豊かになるのじゃないかと思うのです。従って何でもかんでも引っぱって自分の門下に入れるという傾向がだいぶあるのではないかと思います。見込みがなくても見込みがあってもというようなところがあると思います。これは十分に御検討願う方がいいと思います
  37. 和久田三郎

    和久田参考人 今の先生の質問にお答えする前に、ちょっと協会代表に御注意申し上げたいのでありますが、飲みものも食いものもおみやげも、お客が注文するから持っていっているので、決して無理に売っていることはない、こういうことをはっきり言っておりまするが、出方が、とにかく十人以上の者がしょっちゅう御用はございませんか、御用はございませんかと言って、何も取らなければ幾らでも来る。わずらわしいからついに取るということになる。もう一つは、会社の招待ですから、これはもちろん会社の人たちが弁当も出せてあれも出してくれということを注文してこられます。しかしそれも必ずしもさじきでもって、狭いところで飲み食いする必要はないと思うのです。食堂を利用すべきだ。これは武蔵川理事考え方はあるいは協会の代表的な考え方かもしれませんが、注文するから当然持っていって、飲んだり食ったりしておるのだ——一向に改める意思がないようであります。しかしこれはほんとうに不衛生でもありますし、もし注文があったならば食堂を利用してやる。それからおみやげは引きかえ券によってあとで渡すとか、何らかの方法をとりまして、あの狭いところへいろいろなものを持ち運はないように注意してもらいたいと私は思います。  それから協会の今の部屋制度の問題でありますが、これも親方がりっぱな弟子を多く養成することにおいて協会というところは勢力ができるわけです。いかに頭がよくて、いかに才能がありましても、弟子のいい者がたくさんなかったならば、その親方は勢力がふるえません。発言権もありません。従って一生懸命でりっぱな弟子、りっぱな力士を作ろうとして血眼になって全国の有為な新弟子を集めております。私は相撲を盛んにし、相撲をよくするためには、これは一つの長所だと思っております。がしかしこれは、そう言っちゃ語弊がありまするけれども、弟子が協会にパスすれば一日三百五十円という食糧が入るのだから、百円で食わそうと百五十円で食わそうと、これは親方の自由なんです。そうすると、弟子さえ多くなればその実入りによって自分の生活も潤ってくるというような考え方で、何でもかんでも弟子をうんとふやそうという人もあるやに聞いております。しかしこれはやはり親方の相撲を熱愛するところの良心に訴えて、各部屋の力士を養成するということと、もう一つ、私は部屋はもちろんそういう意味で認めていいと思うのでありますが、総当り制をとるならば、少くとも独立した部屋というものを持った以上は、部屋別総当りということを取り上げてもらいたいと思う。立浪一門と時津風部屋が合わないとか、あるいは出羽ノ海と春日野と合わない、これなら部屋は独立しなければいい。独立した以上は、部屋別総当りということをやってもらいたい。それから行司の部屋の制度、これも行司の部屋制度だけではありません。いわゆる審判制度、検査役制度、これは相撲くらい審判制度があいまいなものはほかの競技にありません。ほかに何にもありません。行司がうちわを上げましても、そのうちわを木村庄之助が上げましても、審判、検査役が間違っていると言えば、庄之助でさえも黒星を認めて上げかえさなければならない。七十のじいさんが満座の中で恥をかかなければならぬ。こういう審判制度の問題は根本的に考え直さなければならぬと私は思います。審判制度というものは、行司部屋の独立ということも、もちろん一応考えられますけれども、今武蔵川理事が言いましたように、いわゆる小さい時分から育てなければならない。これはやはり部屋の子飼いとして育てることが必要ですが、十両格になると一人前ですから、審判部を設けて、部屋から審判部に入れて、審判部の独立をするということが必要だと思います
  38. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 最後に一問だけ質問をいたします。総じて茶屋制度というものは近い将来に廃止をすること、それは茶屋の今日の生活権を奪うものではなくして、既得せられたるもののうち、たとえば将来さじきをいすに変えても、ある種のものは——これはどのスポーツでもそうですが、後援会組織とか、特別の顔というものはあるわけです。しかしそれを最小限度に押えて、従来茶屋が持っておったものと連結して生活権を確保するということは、私は協会のためにもいいことだと思う。しかし茶屋が今日のようにさじきを膨大に持って、そこで低利本位の協会の一番の源になっている、今日ある意味では協会のガンになっておるということを考えますと、ぜひともこれは改めていただきたいということが一つ、さらに場内での飲食物をやめてもらいたいというのが私どもの希望であり、かつ審判制度の確立であるとか、あるいはいろいろな問題がありましょうが、その他の問題につきましては午後伺うことにして、最後に多少自分も経験のあることでお尋ねをするわけですが、大体相撲協会の営利性から発したものと思うけれども、最近では三場所がいつの間にか五場所になった。昔は一年を十日で暮すよい男、こういう江戸甚句があったものです。しかし今日の時代とは違いますから、だんだん場所がふえるということもやむを得ない傾向ではあろうけれども、五場所といえば七十五日であります。しかも地方の巡業を何日されておるか、平均しておそらく百数十日やられておるだろう。これをこすとおそらく二百何日というものはプロ野球とか、あるいはその他のスポーツに当てはめていくと、しょっちゅう試合に出ているということになる。そういうスポーツは絶対にない。これは力士の非常なハード・ワークになる、オーバー・ワークになることは必定で、力士の休養期間を無視するということは非常に重大で、私は労使関係に立っても、労働者に対する大きな圧迫じゃないかということは言えるわけです。そこで問題は、何とか休養の期間を多くするために、どうしたらいいか。私はかりに五場所はやむを得ないにしても、今日の相撲状態を見ておると、十二日以後は八百長が多いというのがしょっちゅうみんなから言われておるのです。これをもってしても、五場所をやるならば十二日制にするとか、あるいは地方巡業を将来非常に圧縮したものにして、多くの休養期間をとるべきだと思うのですが、それらについてそれぞれ御意見を承わって、私の質問を終りたいと思います
  39. 市川国一

    市川参考人 ただいま五場所制のお話がございましたが、従来の巡業は、最近テレビ、ラジオ、こういうものの発達によりまして当然本場所そのままの実況が見られるわけです。従って従来のように地方巡業へ出ましても、もちろん本場所相撲を見て地方の巡業を見たならば、これは当然対照になりません。そういう関係から、やはり力士自体も、もう一場所福岡をふやした方かよろしいというような意見で、決して協会の一方的な考えから今の相撲の時間を重圧するというようなことはございません。そのために、現在五場所制度をやりまして、この秋は当然福岡で決行されますが、それには力士の休養期間は十分考慮に入れなければならぬと思います。私はこの問題で交渉いたしましたが、その節力士会にも今後場所前、あるいは場所が済んで後の休養というものは十分与える、最近は東京の本場所か済みましても、完全に後の五日間というものは休ませまして、後そこに寄付相撲その他いろいろございまして、済んだあとも休ませます。大体十日前後の休養は与えております。そうしてまた場所前のけいこ期間も十分考えまして、決して過重にならないような方法考えておりますし、なお、ただいま伺いました御意見等を参照しまして、そういう協会自体の問題につきましても、今後いろいろと検討さしていただきたい、こう考えます
  40. 永井高一郎

    永井参考人 自分は、三場所から四場所にする場合に、力士会によく話しまして、四場所にした責任者であります。その場合に、京都の場所でしたが、四日間にわたって百数十人の力士行司に話しました趣旨は、君たちが大きなからだで祝儀袋に頭を下げておるような形は実に醜い、君たちの人格を高めていこうとするのには、みずからの力でみずから立っていけ、それにはしっかり働け、今ちょうど日本も独立した、その際に一人々々がしっかりやらなければ、われわれ相撲も滅びるぞ、ちょうど本場所を一場所君たちが努力して四場所としてやることはどうだというような話をしました。ところが力士諸君はこれに非常に同調しまして、進んでそれはやると力士会の方から協会へ申し出たことでありました。同時に、地方巡業というものが、今話がありましたが、テレビがあるから、ラジオがあるから入らないというのじゃなくて、土俵そのものが真剣味が少い。相撲に真剣味を欠いたならば相撲の価値はありません。これはどんな地方の人でも見てあくびが出るのは当然だと思う。そういう点から地方巡業が赤字になっている。地方巡業をやめて本場所を一場所ふやして、岡の休養期間を十分に研修に努力しろということで説得したのであります。なお、ここに五場所ということに対しては、力士諸君の負担が相当加重されるということは感じられます。しかしその方法としては、病気で休養するとか、けがしたとかいう者の番付の編成に対してのしんしゃく、これらにかげんを加える、その方法協会考えてやったならば、一場所足らず休めば地位が落される、そこで病気を押して出る悲惨な姿がなくなるのじゃないかと思います。五場所も決定された以上は、これを決行する。しかしその際には、病気、けがというものを十分考慮に入れて番付編成に当る、こういうような方法によって地方巡業も、ただいま川崎先生からお話のようにやめてもいいのじゃないか、こう思います。  〔川崎(秀)委員「だれか十五日と十二日の話もしておいて下さい」と呼ぶ〕
  41. 和久田三郎

    和久田参考人 私は一昨年の五月場所の初日の朝日新聞の論壇に、協会に対する四つの要望の中に大場所にしろと言っております。ということは、いわゆる一年を二十日で暮すよい男なんて、のんきなことをいって飯が食える時代ではありませんので、二ヵ月に一回真剣勝負をやって、それによって生活の安定が得られるような方法に持っていく、そのかわり、だらけ切った地方巡業は原則的にやめる。これは力士の休養期間であり、トレーニングの期間であるというように書いたことを記憶しております。従いまして六場所——現在五場所でありますが、五場所になって毎場所状態を見ておりますと、なるほど十五日というのはちょっと多いように思います。少くても昔の十三日御くらいのところでやるということが非常に妥当じゃなかろうかと思います。それから地方巡業は、御承知ない方も多いかと思いますけれども、協会の統率下にやっておりません。各部屋てんでんばらばら、自分勝手に売り込みが方々に行きまして、そして食うだけでもいいからやらしてくれ、地方のボスをたより、地方の勧進元をたよってやっておる。だから私は、地方巡業をやることは、力士の品格を下げていくものだと思う。甲の組合が十万円で契約すると、乙の組合は、おれのところは七万円でいいからやらしてくれ、こう言って、だんだん下げていく。こういう狭い日本に六組も七組も分れて、そうして食うだけでもいいということのせり合いを現在やっておる。これはむしろ相撲というものの品格を下げることであって、私は何にも利益がないと思うんです。しかも力士はきょう相撲をとって、その晩は汽車に乗って次に乗り込んで また翌日とって、その晩は汽車に乗る、いわゆるはね立ち、はね立ちということで、力士は疲労こんぱいなんですよ。けいこをするなと言うけれども、とにかくけいこはしましょう。午後の勝負は真剣にとれといっても、とにかく疲れ切ってしまってとれやしません。それで苦肉の策として、甚句とか何かやりまして、いわゆる相撲万才をやって喜ばしている。それから初っ切り。これはほんとうに一つの見せものです。まじめな考え方からすると、地方巡業はまことに哀れな姿なんです。ですから六場所にして、二月に一ぺん本場所をやって、その間は大いに午前はけいこをして、午後はうんと休養して、本場所に臨むだけの態勢を整える。従って収入も、私は大場所をやるならは相当多くなると思います収入か多くなれば、力士というものの待遇も改善されます。働かざる者食うべからずで、力士も大いに土俵上でがんばってもらって、そしてうんと食えるようにしてやりたいと思います
  42. 長谷川保

    長谷川委員長 辻原弘市君。
  43. 辻原弘市

    ○辻原委員 先刻から協会を代表されて武蔵川さん、それから従来協会改革問題に意見をお持ちになっておられたお二人から、それぞれの所論をお伺いしたのであります。特に私は、かねてから問題になっておる協会改革改革と申しますよりも、スポーツ、体育として、いかなる形において相撲社会的に寄与するか。寄与するためにはどういうふうに協会がなければならぬか。少くとも寄与するということを前提において公益法人ということが認められている以上、果して今日の運営が妥当なりやいなやということで、若干これを国会の問題にいたしたのであります。その後協会の方から、先刻武蔵川さんが御説明になりました改革案を提示されたのでありますが、川崎委員から指摘せられましたように、また天龍、佐渡ケ嶽両氏から御指摘になりましたように、いずれもこの改革案には、誠意は認めますけれども、しかし内容に至っては非常に不満であるということを申し上げざるを得ないのであります。特に核心になる点は、やはり茶屋の問題であろうかと思います。先ほどの武蔵川さんの話によりますと、いつまでも茶屋の問題を現状のようにしていく考えはない。暫時の時間をかしてほしいということでありましたか、正式に発表せられた改革案を見ますと、これは明瞭に今後存続していくということを決定せられておるのであります。しかもこれは個人武蔵川さんなり、あるいは個人出羽ノ海さんが作られ、発表せられたものではなく、正式の理事会にかけられて発表せられたんだと私は承わる。そういたしますと、今日ただいまにおける協会の意思は、少くとも茶屋については、存続しようという意思が非常に私は強固であるようにお見受けするのであります。従ってそれではならぬとするわれわれの意見との間、また世論との間に非常に大きな食い違いかあり、ギャップがあるということを冒頭に申し上げておきたいと思います。しかもその説明によりますと、次のようになっております茶屋制度は、協会として一定の収入を確保し、その収入によって協会本来の事業を行う、協会はその収入源に依存するということであります。ところが私がしさいにこれを決算面等によって検討いたしましたところ、これは間違っておれば武蔵川さんから御指摘していただきたいのでありますが、今日茶屋から協会に入っている金というものは、年間千五百万円であります。これは今度の改革案によりますと、この千五百万円の一定額を歩合制度の五%に改めようというのでありますが、額は大同小異であろうと思います。しかりといたしますると、協会茶屋から事実上公式に入っている金は、わずかに千五百万円。協会発表されておる三十一年度決算は、三億一千二百万円であります。これを対比いたしますと、わずか五%の収入しか、この面から上っていないということになります。それをもって主たる財源をこの茶屋に仰がなければならぬという理由は、納得がいかぬと申し上げたい。この点が私の疑問とする一点であります。  それからその後付加された御説明等によって承わりますと、茶屋を通してでなければ切符の販売が非常に困難である、売り上げが悪くなる、こう言われた。また先ほどのお話で承わったように、ダフ屋の手に渡ったような経験もある。私は天満さんの申されたように、ダフ屋の手に渡るようなこともあり得ると思う。しかしながら、それをおしなべて全体をはかろう、相撲においてそういうことであれば、歌舞伎においても、プロ野球においても、プロレスにおいても同然であろうと思う。おしなべて現在大衆を相手にする興行というものはそれを問題にしては成り立たないはずであります。ところが今日相撲を除いて、野球にいたしましても、プロレスにいたしましても、歌舞伎にいたしましてもりっぱにやっておるという事実が、何よりも雄弁に物語っておると思う。この点について武蔵川さんはいかにお考えになるか、いま一度はっきりした答弁を承わりたい。
  44. 市川国一

    市川参考人 ただいま切符の販売等について一部協会でのみ扱わず、一般に出した方がよろしかろう、あるいはまたダフ屋に入る云々のお話を承わりましたが、これはお手元に差し上げました改革案なるものは、決して今後の全般的な行き方とは考えておりません。まず五月場所をやるにつきましての、それも私個人の考えでありません、理事会で決定したことですから、必ず実行いたしたい、こう考えております。  それからただいまの茶屋から協会へ繰り入れる金の問題でありますが、これは一千五百万円と申しますのは、それのみでなく、ただいま辻原先生のお話しになった切符の売りさばき、それによって一応の財源をつかむ、こういうことがその中に加味されておるわけです。従来のように前売りをし、一定の収入源を持って本場所興行のふたをあけるということが、われわれとしますれば、一枚々々の切符を当日売りでさばいて、万一予定額の収入のなかった場合のことを考えますと、やはり従来の方法をとった方がよろしいわけです。しかしながら今後切符の売りさばきの問題とか、そういうことに関しては、なお十分われわれの方も、ここに一つの行き方を変える方法なんですから、早急に私がただいまここで、それじゃかくかくしましょうという言明はでき得ませんです。今後変える方法としてのことは、何分にもこれから持っていくことですから、十分その点は検討いたしまして、御期待に沿うべくいこう、こういう考えを持っております
  45. 辻原弘市

    ○辻原委員 混同をせられてお考えになっては、非常に誤まると私思うのであります。それは、切符の売りさばきというのは、協会が直接売っても、茶屋が直接売っても、その金というのは同じであります。もちろんその売りさばきの状態というのは、あるいは変ってくるかもわかりません。ですからこの問題は、茶屋がなければその収益が上らぬという、いわゆる茶屋から会館の貸し料として徴集している一千五百万円の金とは、これは性格が違うのであります。ですから問題は、切符の売り上げどうこうというのは、結局切符の売りさばき方法を研究すればいいのです。茶屋がなければいいかどうかという点は武蔵川さんはよくお考え願いたい。賢明なあなたならば、この点については分析が可能だ、これはお教え申し上げておきたい。  それからもう一つ、その茶屋と同じような性格のものに株式会社すもうがあります。先刻から、ともかく中で物が高い、こういう批判かある。極端な場合には三倍、四倍、五倍にもなっておる。まあいろいろ言われておりますが、さだかなる値段すらわからない、こういう状態であるわけです。一体何がゆえにそういうことになるか。ここに図表にしたのがありますが、ちょっと見たって、その関係がなかなか複雑でわかりにくい。高くなるはずなんです。先ほど天龍さんあるいは佐波さんもおっしゃいましたが、協会が直売したとすれば、これは年寄り、出力その他の方々の将来の身分の保障にも役立つであろうし、また値段も下るであろうといわれておる。これはだれが考えても、五常をすれば安くなるにきまっておる。ところが中に茶屋があり、「すもう」がある。その場合に、少くとも表面に呪われているものだけでも、こういうような手数料が要っているわけです。あなたの方の資料の御説明によりますと、「すもう」の方は物品の委託販売を茶屋にさせる。そうすると、その委託販売料として約三割の手数料を「すもう」から茶屋に支払う。そこで一約三割というものが結局相撲茶屋の方に入っていく。それから相撲茶屋は、協会に対して今後五%のものを支払うということになれば、それだけのものがまた余分に入る。それから、それ自体販売してもうけるのですから、相撲茶屋御自身もそこにもうけるということになる。だから、もうける方が三つになるから高くなるのですよ。だから安くしょうと思うならば、直売にする以外にないという結論になるのは当然であります。先ほど佐波さんから、何か直売をやった御経験かあるようなお話を承わりましたので、この機会に私は聞かしていただきたいと思います。  こういうことをわきから聞いたこともある。何か話によると、昔直売をやっておった当時、これは今と社会情勢が違うから、にわかに同一に考えるわけにはいかぬと思いますけれども、しかし何か協会で売っている物の方が安いから、両国の近くの小売屋さんが国技館に物を仕入れに来た、こういう極端な話まで聞いておる。一体そういう程度に安く物が仕入れられて、安く物が売られたかどうか、協会の直営によって実効が上ったかどうか、こういうことについて経験があれば、この機会にお話を承わっておきたい。
  46. 永井高一郎

    永井参考人 先ほどちょっと申し上げましたが、中の売店、茶屋、この設備は観衆の便宜をはかるために中に設備してあるものと自分は判断しました。そこで観客に対しては少しでも安くこれを買っていただくというところから直売——これも長年の習慣といいますか、中の売店の人たちも数十人のものが非常に強固な反対をしました。しかし、それは君たちの生活も考えなけりゃいかぬが、協会としてはまず第一に客の立場を考えなけりゃいかぬ。このために、どうか諸君ら、協会の趣旨に賛成して、ほかに何か職を求めて生活の安定をはかるようにしてくれということを切に希望しました。相撲協会制度というものは、ちょうどサル回しがサルを回す。三番叟をやらしたりいろいろなことをサルに踊らして、サル回しはそのサルの働きによってうまいものを食べて栄養をとるというのと同じように、相撲取りや相撲協会年寄はサルで、第三者の茶屋とか売店とか、周囲におるものがサル回しです。先ほど和久田君からお話があったように、組織の中心たるべき相撲年寄の株が、百二十万までいきましたが、ぼくは八十万——つむじ曲りなもので、変ったことをやりますから、八十万。それにもかかわらず。相撲茶屋の株は六百万、七百万、数倍のものであります。これはだれもが、道楽で茶屋をやる者はありません。やはりこれは営利というものを中心として価格が高低するんだと思います。そこで、その売店の人たちもよく理解してくれました。協会直営にする。その場合に、従来売店の人たちが仕入れて持っていた品物は、原価と倉敷料と金利と、君ら言うままのに協会が払うぞといって、払ったのであります。そして一場所——今直ちにここで君らの生活を変えるということも困難だから、それにはすべて君らは手伝ってくれ、そのかわり純益は折半して、半分は君たちに渡すということで、この売店の人たちはよく理解してくれ、協力してくれました。この趣旨を、品物を仕入れる間屋、生産地の方へ話しまして品物を仕入れようとしたところが、相撲協会がそういうことなら非常にけっこうです、将来ともに協力しましょうというので、普通価格よりもむしろ安く仕入れることができたのであります。それで協会にはその二割をかけていきました。従来は、権利金として全体で四千五百円か五千円程度の金を協会に払ったのですが、直営にしましたところが、二十六万幾らという驚くべき数字が利益として上ったわけであります。そこで半分を売店の人たちに渡して、十三万ばかりを協会の財源にしたわけです。その際、今お話のように、両国の駅から国技館の間にヤミ市が出ましたが、そのヤミ市の業者が木戸銭——その当時四階が五十銭でしたが、その木戸銭を払って、国技館の中のミカンを仕入れたり、いかを仕入れたりして、普通価格で販売ができたのであります。それでもなお今申し上げたような大きな数字の利益があった。そのときにはちょうど国技館が七、八方の欠損だったのですが、それに対して売店の利益を振り向けてこれを補ったというような体験を持っております。  なお相撲茶屋に関しては、無役の年寄衆が大場ぜい、からだのやり場に困っておるほどおります。それで、お座敷を売ることが茶屋に限るということならば、この人たちが直接お客さんのところにますを買ってもらうべく回れば、茶屋の出方が行くよりも、会社にしろ個人にしろ、元のだれだれだというような、ちょんまげ時代の昔を忍びながら、親しみを持って気持よく買ってくれるんじゃないか、これも国技館の新設当時において、年寄が全体で全国的にこれを売り歩いた経験があるのであります年寄衆がこれを実施しならたば、今の茶屋よりもさじきがよけい売れるのではないかと思います。なお年寄衆の……、。
  47. 長谷川保

    長谷川委員長 なるべく簡単でけっこうです。またあとで伺いますから……。
  48. 辻原弘市

    ○辻原委員 今伺った通り、これを直売にして協会としてもそれによって相当収益を確保された、また観客に対しても不便を与えなかったというような例がすでにあるわけですから、茶屋問題の改革に当っては、そういうような、観客も喜ぶし、協会自体としても、率直に申してその方が利益があるというような方法考えられることは当然だと思うのですが、武蔵川さんは、茶屋改革に当ってこういった過去の協会の実績等もにらみ合せて改革をお進めになる御意思があるかどうか、承わっておきたいと思います
  49. 市川国一

    市川参考人 また茶屋のお話になりますが、先ほどから御答弁しておりますが、当然これを変える意思はあるということは、先ほども申し述べた通り間違いありません。しかし過去において、ただいまお話のそういう方法をやったかやらないか私は一向に一記憶がないわけですから、今後は、当時の情勢とも違いましょうし、今後に処した行き方でいきたい、こういうつもりでおるわけであります
  50. 辻原弘市

    ○辻原委員 先刻も指摘されましたように、この問題が世論の中で非常にやかましくなってきておる折、大阪でいずみというのと一力、この二つの茶屋が新設されて、合計十六戸にふえていったというようなことは、これは協会としては世論に対して少し考え方がなさ過ぎるのではないか。この問題が今中心の問題になっておるわけですから、どうか誤解のないように、武蔵川さんのおっしゃるように、現状では放置しないのだという方針であるならば、少くとも茶屋は将来において改革し、これを廃止していくのだという方針ぐらいは明確にすべきだ。これは協会としての、好角家に対してこたえられるあなた方の態度であろうと思います。  さらに、これは川崎委員が触れましたが、さじきの問題でありますが、茶屋制度さじきの問題は切っても切れない関係にある。従って茶席を改革するならば、私は当然さじき制度改革する必要があると思います。くどくは申し上げません。真剣な土俵を飲み食いをしながら見られるということに対する力士の気持、これも先刻お話がありました。あるいは衛生的な見地、もう一つ、私の手元にある好角者が寄せられた文面の中にこういうような事柄があるので、これも一つ参考までにあなた方にもお考えおきをいただきたい。それは治安、火災の面から、こういうことを言っておりますさじきは直ちに火の移りやすい粗末な木やござ、ふとんでできている。通路は一人やっと通れるだけである。みなくつをぬいで床下にしまっている。それにもかかわらずたばこは自由である。以上のような点は映画館、劇場に対する取締りと実に不公平きわまる取扱いである。見物をしていてどこかで火を失したならば、その恐怖による騒動のため大混乱を生じ、おびただしい死傷を起すだろうと考えればりつ然たる感を禁じ得ません。こうあるのであります。私は、このさじき制度は、衛生面から、あるいは観客が実際見るという立場から、力士の立場から、またこういった治安消防の面から考えてみても、いずれも不合理な面か多いと思う。どういうような形にするか、いす席にするか、川崎さんの言うようなああいう一つのスタンド式にするか、それらは今後の問題であろうと思うけれども、しかしながら現状の、ああいうさじき制度にして詰め込むという形は、これはあまりにも当を得ていないと私は思う。従って、茶屋改革の中に切っても切り離せない問題としてこの問題をぜひともこの機会に手をおつけになるべきが至当であろうと思います。これは先刻からしばしば答弁を承わっておりますのでこれ以上承わりませんが、一つ積極的にお考え置きをいただきたいと思います。  それから、改革を進められる場合の参考一つ聞いておきたいのでありますが、現在茶屋が二十軒あるそうでありまして、その権利が売買されているようでありますが、先ほど天龍さんのお話によると大体時価で七百万円くらいの権利であるということであります。かりに七百万円といたしましても、これが二十軒あれば一億四千万円でありますから、現在の協会経理状態、今のような状態かにわかに落ちてくるということは今の社会情勢からはちょっと考えられない。そういたしますと、これらの権益をかりに全部協会が逐次買い上げていっても、これは協会運営の可能な範囲に入ると思う。これは初めて相撲茶屋がそういうことをおやりになるのではなしに、歌舞伎の例を見れば、ますます可能ではないかという印象を深めるのであります。歌舞伎も、それぞれ持っていた芝居茶屋の権益を株式会社である歌舞伎が買い上げて、そうして逐次その茶屋を整理して、さじき一般席に改め、またその当時あった出方その他も全部それぞれの所を得せしめて、失業問題等の発生しないような処置をとって、今日りっぱにあの歌舞伎が運営されているのであります。そういう前例にも徴して、これは可能であると私は判定をするのでありますが、武蔵川さんか、あるいは出羽ノ海さんか、また理事諸公が、今後廃止の方向改革をお進めになるときに、そういった過去の経験、他の社会でやっておった等の経験にかんがみられて、十分おやりになる必要があると思うのでありますが、そういったような腹案を今日何がしかお持ちになっておられるかどうか、一つ武蔵川さんに承わりたい。
  51. 市川国一

    市川参考人 ただいま辻原先生のお話で、いろいろと今後の改革の問題に触れまして、かくかくといういろいろな問題で示されまして、これは私としましても非常に参考となりました。今後、今申されたように、あるいは協会がそれを買い取るとかいう方法も十分織り入れた考えをもちまして改革方向に持っていくということは、先ほどから再三申し上げておりますので、それには変りありません。ただその行き方によって、直ちにこれを停止してそれだけの失業者も出し、あるいはまた生活を奪うということも、これはまた大きな問題ですから、そういう点を十分かみ合せましてできる限りの善処をいたしたいと考えております
  52. 辻原弘市

    ○辻原委員 時間もありませんので、次に指導部強化の問題について伺いたいと思います。  これは先ほど川崎委員もちょっと触れられましたが、根本的な問題があると思います。それは、いわゆるプロがアマを直接指導するという形、これが体育的にいかなる効来があるかという問題、これはスポーツ関係の右識者がずっと以前からかなり問題にして、医学的な立場でも検討されているようでありますが、そういう観点からながめてみると、今日協会がおやりになっている相撲道場が、そういうような社会的に指導するということを目的としてこの相撲道場をやっておられるならば、そこに何か問題があるのではないかというふうに考えるわけです。施行細則でいう専修学校を作って、そこで、社会的に体育的にりっぱな効果のある形にして、新たな技術としてその指導をやるということであるならば、これは問題はないのであります。しかしあの真剣な、あの激しいいわゆるプロの相撲の形をそのまま青少年指導する、果して体育的効果ありやいなや、こういう点について一つ簡単でけっこうでありますから、御所論を承わりたいと思います
  53. 和久田三郎

    和久田参考人 双葉山が体育相撲のりっぱな指導者になるかというと、やはりそうはいきません。相撲が強いからいい指導者になれるかというと、そうはいきません。相撲は弱くても、人格的にもあるいは学問的にも、とにかく人体組織くらいのことは自分で勉強しておいて、そしてどんな場合でも、骨折とか捻挫の場合にもその応急処置ができるというくらいの指導者にしなければいかぬと思います。やはりそれは先ほど来るる申し上げておりますが、関取り格以上で引退したものの適任者をその学校に入れて、そうした方向にいわゆる指導方向をきめて、体育としての相撲指導者を相撲協会では養成する、これがつまり専修学校である、そう考えております
  54. 辻原弘市

    ○辻原委員 そこで武蔵川さんに伺いたいのですが、発表されたこの改革案では、現在の形の相撲道場を中心にその指導強化をはかって、その具体的なことは各都道府県の体育課と連絡してやる、こういうふうに書かれておるわけです。これだけ見れば、ちょっとりっぱに見えるのであります。しかし、都道府県の体育課と直接連絡するといっても、都道府県はかなりとまどうだろうと思う。それは片方に体育協会のアマチュア相撲連盟あり、あるいは佐渡ヶ嶽さんがやっておる相撲研修会があり、いろいろな形で指導されておる。また協会も直接都道府県に行く。私は都道府県の体育課あたりでは、これをなまでやられるとかなり困った問題が出ると想像しておるわけです。それで、今までの形の相撲道場を強化されていけばいくほど、どういうことになるかというと、もちろん指導者はりっぱな方だろうと思いますけれども、しかしそれ自体プロとしての相撲の力量、実力をお持ちになっておっても、果してこれが体育的効果のある形に切りかえられてその指導をおやりになれるかどうかについては、いささかの疑問がある。そういたしますと、せっかく善意でもって強化をしていこうと考えても、結果としてはそれは強化にあらずして一つの問題をかもすということにもなりかねない。そういう点、私はこの指導強化ということについて相当検討を要するということを考えるわけであります。これも時間の関係で私から申し上げますが、相撲は非常にけがの多いものなんですね。実際におやりになっておる場所々々を見ても、非常にけがが多い。これは真剣なるがゆえにけがが多いわけなんですが、そういう形のものを何すればけが人が続出するというような格好になって、これは体育的にはマイナスです。だから、そこに何か体育的な指導性というものを加味した形における指導というものかなければなりません。しかしこの改革案には、そういうことは考慮されていないわけです。だから先ほど同時さんなり天龍さんが言われたような、いわゆる専修学校というパイプを通して、新たなる相撲指導者を作りなさい、こういう点が一つの積極的な議論として出るわけです。この点、武蔵川さんはいかにお考えになりますか。
  55. 市川国一

    市川参考人 ただいまの相撲専修学校のお話でありますが、これは先ほど私も申し上げました通り発表事項にあるいはそれをごらんになってそぐわない点は重々あると思います。そのために私もいろいろ皆さんの御高見を拝聴いたしまして、今後それによって軌道に乗っていくようにしたい、こう存じております
  56. 辻原弘市

    ○辻原委員 きょうはいろいろ追及するというのが主眼ではございませんで、御意見を承わることでございますから、承わることにいたしておきます。  次に私は力士処遇の問題について一言申し上げ、お尋ねをいたしたいのでありますが、武蔵川さん、こういう批判があるのですよ。それは今後の待遇の問題で、今まで歩方金とか養成費、食料費、車馬賃、いろいろあったものを寄せてきて十二分の一にした、それが月給制である、一体どこに待遇の改善があったのだ、こういうのが批判なんです。幸いに午後若瀬川さんが見えられて、力士の立場で御意見を承わることになっていますから、一体どう感じておるか私も聞きたいのですけれども、端的にいっていわゆる待遇は上ったのですか。この点をお伺いいたします
  57. 市川国一

    市川参考人 ただいま御指摘の給与の問題でありますが、これは現在まで支給していたものを全部一緒にして十二分の一という趣旨のようにお話しですが、現在の行き方としては、現在五月場所に行う場合にはこれに限っておるわけです。しかし今後九月場所あるいは来年においていかに上げていくかということはわれわれも努力したい。その数字は現在まだ未定でございますから発表できない次第で、その点御了承願いたいと思います
  58. 辻原弘市

    ○辻原委員 五月場所はそのままやるというお話でありますが、この改革案の中にも給与制度は別に定めるとありますから、その別に定める中で今のお話によりますとかなり引き上げられるお心組みであるように承わりました。そこでそれを見て、そのときまことにお言葉通りよくできておると申し上げるか、あるいはまた十三分の一だと申し上げるかはただいまは保留いたしておきます。  それから、力士の問題はそれでありますが、かねがね私どもが耳にいたしておりますことは、これまた先ほどのお話の中にも出ておりますが、自分の一生を相撲のためにささげて、そして引退された後の生活が非常に不遇であるという人、大ざっぱに申せば、私は年寄りの中にも三割くらいの力はあまり恵まれた状態に置かれていないということを聞くのであります。私はだれがどうしておられるかということもじかに知っています。そういう不遇な年寄りに対する処遇の問題を協会として真剣にお取り上げになっておられるかどうか。極端にいえば、かつてあった両国の国技館は、何十年かの間にそれぞれ心血を注いで相撲のために尽された人の所有なんです。だから国技館の運営によって生まれた一つの利潤というものは、そういう人々のところに何がしか公平に渡るようでなければ、私は相撲社会として円満に、しかも将来力士、親方、年寄り等が一致団結して大衆とともに相撲道の振興をはかるというととはあり得ないと思う。そういう意味で私はこういった人々の処遇ということを真剣に考えていくということでなければならぬと思う。そういう意味からも、先刻言ったような直売の問題も年寄りの方々の処遇の問題の一手段とすべしというような意見参考として申し上げておるのであります。今度の機会にこういった年寄りのみならず、行司、呼び出し等々の人々にまでそれぞれの処遇の方法考えておられるかどうか、この点もあわせて承わっておきます
  59. 市川国一

    市川参考人 ただいま一般年寄りの給与、並びに引退後の生活の問題をお聞きしましたが、これは現在からのことはよくなると私は自信を持って申し上げられます。顧みますれば終戦後あの国技館を接収されまして、どこにも相撲をやる場所がなく、なお相撲をやるためには一応浜町、現在の蔵前にも二回仮設を建てましたが、これによって経費は非常に膨大にふえまして、なおまた火災その他の施設にも再三注意とか勧告を受けましたので、いかようにしても国技館がなければ、相撲興行面ばかりでなく、発展性に欠けるという考えから、現在の蔵前国技館の建設に至ったわけです。しかしながらこの負債も返還できまして、協会経理もいろいろと数段に分れてそういう内部整備ということをいたしますれば、当然それだけの余剰は出ると思います。これによってやる以外に方法はございませんから、その暁には当然年寄りの待遇の問題も、これは力士ばかりでなく、協会員全体の問題として大きく浮び上ってくる、私はこういう考えでおります
  60. 長谷川保

    長谷川委員長 辻原君に申し上げます。午後もありますので、なるべく簡単にお願いいたします
  61. 辻原弘市

    ○辻原委員 あと一、二問で終ります。次に力士数の整理の件が力士年寄り等の処遇の問題にからんで出ております。これは協会経理が持ちこたえられないから整理をするのだ。私は淘汰ということも、こういう勝負の社会においては、指導を進めていくためには、あながち必要でないとは申しません。しかし金が非常にむずかしくなるから整理をするのだということは、今日の協会の実態から推して私は当らないと思うのです。私はきょう詳細に協会経理の状況をここで申し上げるわけにはいきませんが、またお伺いするわけにもいきませんけれども、ごくその一端を見ても、私はむずかしくないと思う。なぜかなれば、三十一年度の決算でも剰余金が約三千万円、三十二年度の予算を見ても約七千万円剰余金がある。公益法人ならば剰余金の必要はありません。しかも、たとえば三十一年度の決算の中では、再評価積立金か一億一千百四十九万円、減価償却引当金が七千五百十万円、これだけの金がそれぞれ引当金あるいは積立金として積み重ねられておる。健全なる経理内容において、しかも剰余金があり、また過年度からの剰余金がどんどん繰り越されておるという状態の中で、私は若干の給与の改善その他が協会運営の致命的な問題にはならぬと考える。しかも今度の八項目の中で協会経理整備、あなたの御説明によりますと、給与がいわゆる雑給式でいろいろな形で入っておるから、その面を整備すれば、協会はすっきりするのだとおっしゃるけれども、給与だけではございません。その他いろいろな諸経費を見ても、これは当然整理される必要のあるものが幾多見受けられるのであります。ですから私は待遇の問題と取りかえに、俗にいう首切りが行われるということは、あまり感心しないのであります。そういう問題とは切り離して、もう少し合理的な形でこの入門をセレクトされるというふうなことをお考えなすった方がよろしかろうと思います。しかしこれは私のしろうと意見でありますから、必要がないとは申し上げません。しかし御説明によれば、この協会財政の都合によって、そういうことにしなければならぬ、こういうふうに言っておりますから、この問題についても一言書っておくのであります。簡単でけっこうですから、その点の御意見も承わっておきます
  62. 市川国一

    市川参考人 ただいま剰余金の話が出ましたが、実際に昨年度におきます剰余金は三千九百余万円あります。そして前年度の剰余金を入れまして、そのうちから五百万円退職の積立金をやっております。それからもう一つ決算書のお話で一億二千万円というお話一は、われわれの方は現在法人としての経理のあれをやっておりますので、法人が創立以来剰余金が数字として累積された数がここに一億二千万円であるわけです。この現金を持っているわけではありません。これがただいまの建物あるいは資産設備、そういったものに変化しておることに間違いありませんです。
  63. 辻原弘市

    ○辻原委員 時間が参りましたので以上でやめたいと思うのでありますが、私どもはしばしばこの問題について申し上げておることは、ともかく相撲は大衆によってささえられるのでありますから、大衆の希望するがごとき方向改革を進められることが、協会にとっても、また力士、いわゆる相撲それ自体にとっても、将来の発展のために大きな利益となるという点から、いわゆる大乗的な見地からお考えいただいて、そうして今日われわれか申し上げるがごとき方向改革をお進め願いたい。私たちもスポーツ振興、体育振興、また相撲の振興をこいねがうために、あえて歯にきぬを着せず申し上げているこの真意をあなた方はよくお知り願っておきたいと思うのであります。  以上でもって私の質問を終ります
  64. 長谷川保

  65. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 今、同僚議員の辻原君から相撲改革の話が出まして、また、きょうは川崎君からも熱意ある相撲改革意見がありました。私も大正六年から相撲を見ておりますから、ちょうど国技館の燃えたときも、中学生で知っておりますので、非常に感慨無量に考えております。ただ、時間がありませんので、またあと柳田君が質問しますので、四、五点にわたって御質問したいと思うのですが、御承知のように公益法人として文部省の管轄下にある関係上、いろいろの制約を受けるということは事実でありますが、ただ関越は、今までいろいろな相撲制度改革が叫ばれ、きょうここにおられます天龍さんか昭和七年に大ノ里などと一緒に改革に当られて、頭を切られてまで非常に苦労をされて、満州あたりにまで行かれて非常に苦労されたわけですが、茶屋制度にしましても、またいろいろな制度にしましても、相撲一つの関連があってできておるわけで、私たちはこの伝統ということは、やはり必ずしも全部が全部悪いことではないということも考えますが、しかし何といっても利益法人でありませんから、ある程度まで社会的制約を受けるということは事実であります。そこで私はまっ先に天龍さんにお尋ねしたいのですが、いろいろ弊害がありますが、この弊害を直すために、何らか今までの場所制度を、先ほど大場所制度というお話がありましたが、そういう制度相撲の経営が実際に成り立っていくのかどうかということについて、天龍さんいろいろ意見を持っておられますので、最初に一つ意見を承わりたいと思います
  66. 和久田三郎

    和久田参考人 先ほど私申し上げましたように、巡業はおそらく昔からほとんど利益はありません。あっても、給金割りと称しまして百割った場合にしても、六千円ぐらいにしか収入になっておりません。従って地方巡業というものは、おそらく各組合が食べていく、勧進元に食わしてもらうという程度だと思います。不況な時代には、さか割りと申しまして、逆に親方がふところから金を出さなければならないような状態であったのでありますが、とにかく私が年六場所制度ということを一応考えたことは、自分が現役当時、地方巡業で非常な苦しい思いをした苦い経験を持っておりますので、二ヵ月に一回の本場所も、現在の好況時代に協会があげております収入考えますれば、これによって協会の経営はりっぱに成り立っていくと私は考えます。現在におきましても、本場所前後を通じまして、たしか四十五日と思いますが、協会から各部屋に一人三百五十円あての養成費を出しております。四十五日というと、一月半だから、もう半月養成費を出せば 二ヵ月間巡業せずに、少くともりっぱにやっていけるはずであります。現在さえやってきておるのですから、この点私は間違いなく経営ができると思います。  それからついでに、私はもう一つ重要なことを申し上げたいのは、先ほど辻原先生が、相撲はけがが多くていかぬと言われました。これは重要なことですからちょっと申し上げておきます。なるほど専門家が真剣勝負をする場合にはそういうこともありますけれども——ここに永井さんもおられまするが、永井さんは相撲研修会青少年体育的の相撲指導をやられる。私も過去八年間満州国で満人の子供たちにまで相撲指導をした経験を持っております。そうしたりっぱな指導方法さえ確立してりっぱに指導していけば、相撲くらいけがの少い体育競技はございません。国会相撲が、けが、あやまちが多くて困るということを言われますると、相撲指導、普及という面に大きな影響があると思いますので、この機会にその点を申し上げておきます
  67. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 地方巡業で非常に損をされたということは先代の出羽ノ海からいろいろ聞いたのですが、昔は御承知のようにラジオやテレビがなかった関係上、地方で宣伝をする必要があったと思うのです。ところが今日では非常に宣伝機関が進んでおりますから、地方巡業をやめた方がいいのじゃないかというように考えますが、協会の方の意見としてこういうものを、やめる意思があるか、何らか形を変えてやるような御意思があるかどうかということを武蔵川さんに。
  68. 市川国一

    市川参考人 ただいまの地方巡業の問題でありますが、これはただいま申されるまでもなく、すでに協会もこういう地方巡業を現在のまま続行させていくことは不可能であるということは十分認識しております。それについて何らかここで方法を設けなくちゃならぬという一つは、先ほど申し上げました力士給与の問題とか、地方巡業がいかにしてそういう問題になってくるか、以前は地方巡業というものは相当見物も大勢収容し、また興味ある相撲もできたのであります。これが現在巡業は各五班くらいに分かれまして、ところどころで行われますが、協会収入、あるいは一日のギャランティが安くなるという問題は、要するに巡業先が狭くなったわけです。戦前は満州でも九月の初旬まで行われましたし、台湾その他で巡業の範囲が広かったために、相当な成績が上ったわけです。それが非常に狭くなった関係上、先ほどの五場所制の問題とも関連しまして、このためには本場所を行い、そして力士の休養を十分とらすという考えから、地方巡業の再検討は十分やっております
  69. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一点武蔵川さんにお尋ねしたいのですが、先ほど辻原君からも強く要求されましたが、相撲をやめたあとで悲惨な生活をする場合があると思うのです。これは事実だと思うのです。御承知のように横綱は八百人に一人、大関は六百人に一人くらいの割合でしか出られないので、三役以上になる人は非常にまれだと思うんです。ところが三段目から十両ぐらいまでいってやめる人も相当あるのです。そういう人に対して何らかの救済的な措置をしなければいけないのじゃないか。これは御承知のようにほかのスポーツの打球などと比較されてきておりますから、そういう点で何らかの形で保障制度とか、あるいは相撲を途中でやめる人の救済とかいうことまで考えられておるのかどうか。また考えられる気持があるかということを一つお尋ねしたいと思います
  70. 市川国一

    市川参考人 ただいま力士が廃業した後の問題についてお伺いしましたが、これは従来の十両一以上の退職金、私の方で現在まで使っておりました養老金制度、これは当然退職金というように名称も変えますし、これの支給も続けていきます幕下以下の退職金制度考えております。それから、ここで混同してお考えになられると困るのは、一応この社会におきまして例の退職金もとり、また年寄として一度年帯を勤め、またそれの退職金、功労金というものをとり、なおそれから第三者の社会に去った者、これらの人まで、いかに生活が落ちぶれても協会が全部そのことを考えなくてはならぬ、これは当然私はでき得ないと思います
  71. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 それまでの要求はしておりませんが、とにかくほかの野球なんかも非常に待遇がいいですから、そういう点でよほど検討していただきたいと思います。それから相撲公益法人としてあるのは、一般相撲や学生の相撲などの指導的な立場にあるので、たとえば笠置山などは早大の相撲部から出た人であります。先ほど川峠君もちょっと触れておりましたが、今大学の相撲部などと現在の協会とはどういう関係になっているのか。だいぶ衰えたんじゃないかと思いますが、そういう指導をやっておられた佐渡ヶ嶽に伺いたい。
  72. 永井高一郎

    永井参考人 大学の打撲部連盟の人たちは、私が協会にいる当時、協会から指導者として力士を派遣しておりました。しかしプロの指導を受けるといことがアマチュア規定によって否定されてからは、学生は学生同士の練習においてやっております。なおそれまでは行司も審判として派遣しておったのですが、審判も学生連盟で工夫して、独自の立場で審判に当ることになりました。以上であります
  73. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 今まで相撲改革は内からきたのですが、たまたま国会でこういうふうに取り上げられまして——これは辻原君たちの勉強の結果でありますが、一つだけ天龍さんに聞きたい。昭和の初めに相撲のえらい大革命のような大きな事件か起きたのですが、それがために天満さんは非常に苦労され、また相撲協会もこれがために非常に打撃を受けまして、ほとんど見物人がないような悲惨な状態になりました。そういうときを今顧みて、いろいろ苦労された天龍さんが——新しい現役の力士の方が来ておられますから、あとでまたお伺いしたいと思いますが、そういう点についての時代的な感覚といろいろな関係——あのときはどういうところに欠陥かあった、現在の協会はどういうところに欠陥があるかということについて、できるだけ簡単に御説明願いたいと思います
  74. 和久田三郎

    和久田参考人 私の恩帥の常陸山は、力士はほうかんじゃない、いわゆる力の士、さむらいだということをやかましく言われました。従って座敷へ行ってもお祝儀もらっちゃいかぬ、踊り、歌もやっちゃいかぬというようなしつけを私はされて相撲に当ってきたのでありますが、昭和七年当時なぜ協会に対してああいうむほんをやったかといいますと、その前大正十二年に三河烏事件と申しまして、幕内力士が籠城して協会改革に対して気勢を上げた。そのときはすったもんだの末、歩池警視総監が出てもみ消してしまいました。そのとき残ったのは、大錦が憤慨してまげを切ったというだけで、協会改革はほとんどなっていない。自来十年たって、われわれの昭和七年当時を振り返ってみましても、力士協会からのいわゆるあてがい扶持だけでは生活が保っていけない、体面は保っていけない。勢い後援者のそでにすがる。そでにすがれは頭を下げざるを得ない。羽織を着せろ、ふろへ行って背中を流せと言われても、涙を流しながらも、それをやらなければ御祝儀くれないから、やってきたのです。そういうことで力士の生活はますます堕落するばかりだ。この際協会の大改革をやって、力士あっての相撲で、親方の相撲じゃない、力士の生活が安定して、安んじて土俵を踏み、熱戦をやれるように組織を変革せにゃいかぬ。そのときにも茶屋問題をまっ先に取り上げております。その他いろいろ問題はありますけれども、要は力士が安んじて自分の真剣な勝負に打ち込めるような組織にしてもらいたい。当時は大福帳でありまして、決算報告などももちろんわれわれには見せてくれませんでした。そういう会計制度の確立、剰員の淘汰、あるいは茶屋制度の廃止というような問題を当時出してやったのでありますが、それも姑息な返答だけいただきました。最後に私どもは何とかして茶屋制度だけでもこの際解決してくれたら帰ると言ったのでありますが、協会は当時の関東国粋会という右翼団体を私どもの中に入れまして、天龍一派は手も足もぶち切ってしまえというようなことを言われましたので、私は断髪をして申し開きをしたのでありますが、決して私はハイカラで髪を切ったのではない。国粋会に追い詰められてやむを得ずに髪を切っておわびのしるしとしたのであります。それから今日に至っておりますが、なおまだ茶屋の問題も残っておりまして、世問からやかましく言うと、ある程度の改革をするような形をしますけれども、また日がたつに従って逆戻りする。私は今日においてもそれを武蔵川理事は腹の中にはっきり入れてもらいたいと思うのであります武蔵川君はかなり現代的の知能と理想を持った人で、昔の古い親方ではないのですから、よくわかっているはずです。どうか今度はあと戻りをしないように、この際ここまできた以上は協会あり方を鮮明にする改革をしてもらいたい。  それからもう一つ力士が引退して協会から社会に出た場合の問題も、もちろんそれは協会の言う通り、そんな者のめんどうまで見切れません。しかし私どもは、あの土俵で真剣な修行をしてきた者が社会に出て、社会人たちと同じようにその苦労に耐えていくならば、私は、だれのお世話にならなくても、りっぱに生活はやっていけると信じます。私自身やってきております。先般も大阪で私どもの同志二十名ばかり集まりまして、ずっと見渡しましたけれども、だれ一人として人の厄介になっておらない。他力本願ではなく、自力本願でそれぞれの職についてりっぱに生活を悩んでおります社会に出て堕落するのは、力士時代の道楽のことしか考えないから失敗するのでありまして、まじめにやれば必ずりっぱな社会人としてやっていける、それがすなわち土俵における力士の生命だと思います。そういう力を作らなければなりません。ただ強いだけでは何もならぬと思います
  75. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 実は先ほども川崎君や辻原君も触れておりましたが、衛生上の問題もありますけれども、火災の問題が相当あるのじゃないか。御承知のように、たばこをのみながらわきに座ぶとんがあるという状態で、私は東京と名古屋以外は知りませんが、とにかく今の相撲をやるところは相当火事の危険があるのじゃないか。一昨日も明治座が燃えて世間的にも惜しいことでありますが、そういうことについて協会はどういうふうにお考えになっているのか。また日本の相撲場所の制限があるから、坐って見る方がいい。腰かけて見るというようなことを簡単に言っても、なかなか実行できない点がありますが、こういう点についての何か新しい考えがあるかどうかということと、もう一つは文部省が大体監督していることなんで、これは次の機会に文部省の方に質問をしますが、そういう連携がうまくいっているのかどうかという、この二点だけ武蔵川さんから御意見を聞いて、私の質問を終ります
  76. 市川国一

    市川参考人 ただいま客席の問題でいろいろ伺いましたが、これは先ほどからお話申し上げております場内の茶屋の問題とか、あるいは切符の扱いとかいうことにすべて関連があることですから、まずその方から是正していけば、こういうことは当然成果を得られると考えております。  それから文部省からいろいろ御注意を承わっておりますので、これについては私の方も改正の問題とかそういう面で今後十分打ち合せまして御了解願う。またわれわれの伝統といった面でいろいろ理解の順える点は十分御理解いただいて、今後国民大衆の支持を得た相撲道の行き方に持っていきたいと私は考えております
  77. 長谷川保

  78. 柳田秀一

    柳田委員 時間も大へんおそくなりましたし、川崎、辻原、佐藤の各同僚諸君から聞くべき点は大体尽しましたので、あまりないと思うのですが、私は一つ観点を変えまして伺いたいと思います。  今までの議論はすべて大正十四年に財団法人日本相撲協会という公益法人ができた、それに関連して公益法人としての相撲協会あり方を追及したわけです。ところがよく調べてみると、公益法人になったのも、元は当時の摂政官のちょうど御誕生日に御下賜金をいただいて、それで賜盃とした。その上の字がないのはどうもおかしいのですが、賜盃ということにしておやりになったが、それと平仄を合すための財団法人であったというふうにわれわれも理解しているわけです。その前には東京と大阪にありまして、それが一本になって協会を作り上げたのでしょうが、その時代と今日とでは非常に変っているわけです。そこで問題は、財団法人をそのまま就けていって、それに見合うように相撲協会改革していくという一つ方法と、もう一つ財団法人を思い切ってあきらめて、完全な営利事業としての株式会社にしてやっていく方法の二つあると思うのです。この点はほかの諸君がつきませんでしたので、多少お尋ねしたいのであります。  第一の立場の、財団法人を続けていくとして改革していくという点では、これは文部省がいろいろの民間団体に不当に干渉することは、厳に慎まなければなりません。また辻原君が予算委員会でもその点は慎重に発言しておりますが、だからといって文部省が監督権を持っているところの公益法人に対して、従来のごく無放任にほったらかしておいたのでは相済まぬと思う。しかもこの問題は何度となく協会の幹部を呼んで、特に秀の山理事をしょっちゅう呼んで何かやっていたが、いつの間にか大麻君が出ていって、何やら知らぬが、また元に戻ったというようなルーズな監督の仕方もいけない。と同時に協会——なるほど協会は御苦労であった、特に今の理事の双葉山さんが十両から一足飛びに幕内に入ったりされて、そして粒々辛苦して今日まで作り上げた、あるいは戦後両国国技館を接収されて、あの寒い浜町、蔵前、私も行きましたが、それこそ火事でも起ったらどうするかというようなところから今日の隆々たる相撲協会を作り上げた御苦心はわかりますが、甘えてはいかぬ。その他相撲茶屋の問題、力士の待遇改善の問題にしても、すでに昭和七年に天龍さんがのろしを上げられたときからの懸案が一向解決しておらぬ。と同町に海軍大将竹下何がしというような人がひげをぴんとはやして威張っているとか、あるいは大麻さんがでんとすわっているとか、右翼の背景があるとか、また国技という文字にも協会は甘えておったと思う。これは両々相待っていかなければならぬ。しかし両々相待っていこうが、文部省がいかに監督しようが、協会自身が内部から反省しようが、現在のお相撲が完全に営利行為であるからには限度がある。いかに財団法人にしたところで限度があるから、財団法人のワクをはめたところでこの営利行為を規制することはできない。それをやらなければ協会はつぶれる、力士は食っていけない、老後の保障も得られないということになってくると、思い切って株式会社にするよりほか仕方がない。これはどっちかにしなければならぬ。この二つの問題が出てくる。そこで株式会社にすると、心配する者はこう言うのです。現在公益法人であるのに、あの程度のことをする協会を、株式会社にしたら何をするかわからない、こういう心配が出てくる。私は率直に申し上げます。同時に今度は公益法人にしてやるならば、いわゆる公益法人では、文部省が監督し、協会幾ら反省しようがこれには限度がある。そこに非常に悩みがあるわけです。そこで私は、先ほどからつくづく皆さんのお話を聞いていると、天龍さんは、今現役を退いておられる方で、常陸山のむちを受けて今残っているのはあなたくらいだと思うのです。最もきつい封建的な出羽ノ海部屋ではたかれながら、なおかつ民主的な精神からあなたは抜け切っておらなかった。だからこそあなたはそういう一派の旗頭として、気骨隆々たるところが今日まで残っておる。佐波ヶ嶽さんは、理論的に相撲体育として青少年に教えて、あの相撲体育といわれた当時こういう図解まで出たのを私知っておりますが、その理論家としてのあなたの風格が出ておる。それから武蔵川さんは、出羽ノ花時代の相撲を私知っておりますが、今日まで協会理事として、しかも四ッ萬の経営者として隆々たる地位を築いておる。これは辻原君へ市川のある人の投書によると、あなたの家には自家用車が二台あって女中が三人いるということです。これははなはだねたみの多い投書でありますが、あなたの答弁を聞いておると、同僚諸君は大臣以上だと言っておる。おそらく普通の人で青いものをつけて国会議員の前に参考人として呼ばれますと上るものです。そしていいことを言ってみたり、答弁もなかなかうまくいきませんが、あなたの答弁を聞いてみると大臣以上です。実にりっぱな答弁をされておる。むしろあやまって相撲界に入られたのか惜しいくらいです。(笑声)しかしながら、それくらいな明晰な頭脳を持っておられるあなたが——若瀬川君も現役の代表として今ておられますが、相撲社会は、非常に封建的な社会である。ただ一切相撲のことしか知らぬ、いわばかわいらしい坊ちゃんなんだ。そういう社会であなたのような非常に明敏な頭脳の方が——この改革というものがいわゆる権力者の方向に持っていかれようとするならば、その組織は非常に封建的なものであって、それを構成しておる間は社会から隔離されて育ってきておりますから、あなたみずからがいろいろ御意見があったような改革の線に乗り出してやるならばやれる。私はあなたは非常にりっぱな、むしろ相撲界に珍しい優秀な頭脳明晰な方であり、同時にあなたが、相撲をやめられてから簿記を学ばれ、また私立大学に学ばれて研さんされたことを知っておる。そういう意味において私は、御手洗さんあるいは最初に財団法人の認可に当った君原さん等にもお伺いしたいのですが、今協会理事であり実力者のあなたは、どっちの道をとっていくのか。その一つの前提のもとに、前ぶれ長かったのですが、そういう点を考えられて、どっちの道をとられるか、これをお聞きしたい。
  79. 市川国一

    市川参考人 ただいまの公益法人として出発するかあるいは営利法人として出発するかという御説でありますが、もちろん現在の私の考えでは財団法人として将来ともにやっていきたいという考えであります
  80. 柳田秀一

    柳田委員 天龍さんからでも佐波ヶ嶽さんからでも、どちらからでもけっこうですから一つ……。
  81. 和久田三郎

    和久田参考人 私は現在のような状態を続けていくならば株式会社でやるべきだと思いますが、今では日本の国技とまでいわれてきておる相撲のことですから、でき得べくんばやはり財団法人日本相撲協会として公益法人性格を生かしつつ内部改革をやっていって、ほんとうに正しい国技としての相撲道の発展を期していきたいということを念願しております
  82. 永井高一郎

    永井参考人 財団法人がよいか株式会社がよいかという御質問ですが、その当時は時代の影響で相撲というものが唯一のスポーツであったので、従ってこれを公益法人としても社会は何の不思議も感じなかったと思いますが、今日においては各種のプロ・スポーツがある。これらの角度から見まして、ひとり相撲だけが公益法人であるということは少し変な解釈だと思います。まず年に動かす金が三億、四億ということを承わりましたが、これは失礼な話ですが ちょっとした会社でも年額で四、五億くらいな金は動かすのじゃないか。またスポーツとしても相撲に最高の人気があるといわれるが、野球その他のスポーツに対してもまた大衆の非常な希望があるだろうと思います。その相撲協会が法人らしく返付をされるならば、だれもがこれを信用するのは当然ですが、これが社会問題になったり、また国家の最高権威たる国会の問題にまでなって醜態を演ずるということに対して、協会自身が十分に自粛し自省して、社会批判に心から謝罪して、将来これにこたえるべく真心をもって臨むということならば、これは財団法人でけっこうだと思います。しかし今の武蔵川君の革新のお話をお聞きいたしますと、先ほど和久田君が言われたように、将来再びこれな、蒸し返すようなことが今お話のような状態では必ずあるということを考えなければならぬと思います
  83. 柳田秀一

    柳田委員 今のお二人のお話で、天龍さんと武蔵川さんからは、ほんとうに相撲を愛されておる上から今の財団法人の形のままがよいだろうと言われるが、そこにはまた郷愁、ノスタルジアもあるだろうと思います佐渡ヶ嶽さんの方からは、今のような形ならばむしろ株式会社の方がよいというような御意見もあったわけであります。そこで、かつて昭和二十九年十二月に各紙が報道したのですが、引拠趣味の会というのがございますね。この相撲趣味の会の方で、いっそのこと解放して出直して株式会社でやれというような申し合せというか決議をされたように新聞記事に出ておった。その言い分を聞いてみると、相撲博物館を運営すると言ったってなかなか広範囲には公開されない、また相撲学校をやれといっても現実問題としてプロの指導がアマ規則に触れるとか、その他いろいろあげられて、この際一ぺん出血して、そうしてあらためて株式会社組織の新協会を作って其の力士のための協会にしたらどうかというような意見が出された。これは横綱審議会の会長の酒井さんや、彦山光三さんなどがそのメンバーになっておられるようでありますが、そういう相撲を愛好し相撲社会の実情を第三者として正確に批判する立場にある人が、こういうような決議をされておるのですが、これに対しては協会としてはどういうふうにお受け取りになっておりますか。
  84. 市川国一

    市川参考人 従来からのこの法人の問題について、そういう相撲趣味一の会などから株式会社にした方がよいというような御意見があったということについては、私今日聞くのが実は初めてなんです。そして株式会社に持っていくということがいとも簡単のようにお考えのようでありますが、私の考えといたしましては、これはやはり日本の民族の伝統でありまして、株式会社とすれば——現在でさえ営利に走る、あるいは営利の問題だとことごとに、実証は別としても、そういう問題が出ております。これは一般法人といたしたならば、なおさらそういう声も相当高くなる。しかしながらその声ばかりでわれわれは法人として将来貫こうという考えではありませんが、今後名実ともに備わった財団法人としていきたい、これはもう間違いもなくそういう念願であります
  85. 柳田秀一

    柳田委員 時間がありませんので、もうこれでやめます。今も承わりましたが、確かに相撲は日本の国技であり伝統のあるものだということはわかるのです。これはただ私の意見を言ってやめますが、昔は確かに相撲は国技であった。ほかには野球も日本に入ってきてない、何も入ってきてない。確かに国技であった。今はいろいろなスポーツというものができた。かつては相撲もスポーツと言わなかった。しかし今となってはスポーツの範疇として考えてくるわけです。スポーツというものが日本に初めて入ってきたころには、アマもプロもなかった。それか今はスポーツはアマとプロに分れてきた。そういうふうに時代というものは変ってきたのであって、相撲だけが伝統々々と言っている安易な時代ではなくなってきた。また今日相撲を非常に繁栄さしているところの大衆というものは、どういう目で相撲を見て、いるかというと、プロ・スポーツとして見てきておるわけです。アマの相撲には、弱いのであまり行きませんよ。大衆は正直ですから、強いところに集まるわけです。だから今日あなた方の繁栄を来たさした大衆というものの変り方も頭に入れなければならない。いつまでも古米の伝統々々では相ならぬのであります。日本の国技であり伝統である相撲というものにも、一つアマチュア相撲協会もあるわけです。また学校相撲もあるわけです。だから、プロの相撲がそういう株式会社になったからといって、日本の国技というものが消えるものではない。これは佐波さんなんか現在やっておられるが、消えるものじゃない。むしろそっちの方へ育てていった方が健全であり、すっきりするのです。はっきりとプロ・スポーツにし株式会社にして、堂々とやった方が、こんなところに参考人として出てきて、半分つるし上げみたようなこともなくなって、もっと楽でいいのです。株式会社の利潤によって、どんどん力士の待遇もよくする、老後の保障もする、健康保険にも入れてやる、いろいろな福利施設も作るというようにおやりになった方かいい。私は率直に言って、その方が筋か通ると思うのです。なまじっか、賜杯なんかの関係で、こういうように財団法人になったからこそ悩みが深い。株式会社にしたところで、今日の民主的な皇族のあり方としては、陛下の賜杯をいただいたってけっこうだ。そんなことは御遠慮になる必要はない。競馬にだって出ておる。賜杯を召し上げられるなんて、そんな心配をなさらなくてもいい。しかも単なる賜杯でなしに、天皇が国技館にお出ましになって、優勝した相撲取りが堂々と天皇から賜杯をいただいたらいい。そういう心配は一つも要らないのです。そういうふうにはっきりと筋を通されたらいいじゃないか。今日の姿を守るために非常に悩まれている現状は、ほんとうのところ見るに忍びない。私はそういう意見でありますが、意見をあなたと討論したところで始まらないし、午後は第三者的な立場の方が来られることになっているので、この点はもう一応聞いてみたいと思っております
  86. 長谷川保

    長谷川委員長 以上によりまして、午前に予定せられました参考人市川国一永井高一郎君、和久田三郎の三君の御意見の開陳、及びこれに対する質疑は終りました。参考人への各位には、長時間にわたり、それぞれの立場から貴重な御意見の開陳をいただき、非常にありがとうございました。午前の会議はこの程度とし、午後の会議は、すでに参考人諸君もお待ちいただいておりますので、正二時より開会いたします。   暫時休憩いたします。     午後一時二十五分休憩      ————◇—————     午後二時七分開議
  87. 長谷川保

    長谷川委員長 休憩前に引き続き会議を再開いたします。  午後は現役力士会代表の服部忠男君、評論家御手洗辰雄君及び保健体育審議会委員岩原拓君よりの意見聴取及びこれに対する質疑を行います。  この際委員長より参考人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多用中にもかかわりませず御出席をいただきありがとうございました。本委員会として調査を進めております公益法人としての相撲協会あり方に関する件について、何とぞそれぞれの立場から忌憚のない御意見の開陳を願いたいと存じます。なお時間の関係上、意見の御開陳はそれぞれ二十分以内にお願いしします。  それではまず大日本相撲協会服部忠男君より意見聴取いたします服部忠男君。
  88. 服部忠男

    服部参考人 僕は現役の力士でありまして、今の協会の行き方というものははっきりわかりません。しかしいろいろな人から聞きまして、こういうようにしなければいかぬということを力士に言われた場合は率直にそれは認めて、いいと思ったことはどんどんやっておる次第でございます。しかし協会のことに対しては僕はまだわかりませんので、それ以上のことは申し上げられません。(拍手)
  89. 長谷川保

  90. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 私は相撲が好きで、場所が始まりますと十五日間欠かさず見に行て、それだけのことなんでありまして、職業が評論家でありますから相撲のことも評論すると思われては困るので、別段特別の知識があるわけでございません。ただ普通のいわゆる相撲ファンよりは幾らか私は古い相撲好きでありますから、力士あるいはいわゆる親方衆などに知り合いがたくさんあります。従って幾らか普通のファンよりも知っているかもしれませんが、決して専門的なことを知っているわけでない。いわんや協会内部のことなんか知るわけはないのでありまして、ただ相撲好きの一人といたしまして、協会現状に対しての私の考えを簡単に申し述べます。  相撲というのは、これはずいぶん古いものでありますから、いろいろな弊害が累積していることは間違いありません。私ども見ておりましても、まことに不愉快なことがたくさんあると思う。たとえば都度制度のごとき、これによる取り組みなどはずいぶん無理がある。また昇進などについても、ちっと無理じゃないかと思うことが毎場所あると思う。あるいは判定について、どうもおかしい、不都合だと思うことは、ほとんど毎日のようにあります。それに伴う行司制度、こういったものは改めなければいかぬことがたくさんあるのであります。しかしそういう協会内部のことは別として、見物に関係のあることは改めてもらいたいのは言うまでもないと思う。この委員会相撲のことが問題になっておるということは聞いておりましたけれども、別段私は関係ないので気がつかずにおったんですが、お呼び出しを受けたものですから、大急ぎと新聞の切りぬきなどを引っ張り出して調べてみますと、大体財団法人公益法人としての相撲協会あり方が問題になっておるようで、その中で一番おもな問題は、これが果して公益法人らしく経営されておるのか、どうも非常に利潤追求がはなはだしくないか。特にその中でも茶屋制度が問題になっておるように伺っております。また力士の生活とか給与の面、こういうことについての封建性といいますか、そういうようなことがやはり協会運営についてお取り上げになっておるようであります。ほかにもあるかもしれませんが、新聞の切り抜きを調べたところではその程度であります。それらについて簡単に申し述べます。  第一に、財団法人としてのこの協会が、公益法人らしく運営されておるかというと、これは確かに疑問があります。ずいぶん激しい利益追求の面があるのでありまして、命ぜられており、条件とされておるような、いわゆる寄付行為に基く運営ということとは、かなり離れておるように思います。一番大問題は、いわゆる武士道の本義によって国技である相撲を普及する、こういうことだろうと思うんですが、そういうことについての努力が非常に少いことは確かでありますから、もしこれが財団法人として続けられていきますならば、第一にこの点をきびしく、どこから命ずるものか知りませんが、お命じになるということは当然だろうと思います。その他の点におきましてもいろいろ不割合なことかあるように思うのですけれども、しかし一面から見ますと、協会は古くは、たとえば水難救済会の相撲であるとか、赤十字の寄付相撲であるとか、児童福祉の寄付相撲とか、あるいは近ごろではオリンピックの旅費の寄付といったようなことに、相撲を通じて、多少そういう公益面に貢献いたしておることもまた事実なんで、決して何もやっていないということはないと思います。ただ本来の事業をやるのに大へん怠慢であったということは疑いないと思いますから、もしこういう経営形態続けていくとしますれば、これはこの委員会であるか、文部省かは知りませんが、一つきびしく命ぜられることが適当であろうと思います。  それから茶屋制度の問題ですが、これは廃止論が非常に多いのでありますけれども、私ども長年相撲を見ております。私は大正六年に社会部記者となりまして、最初の仕事は、天気予報をとりに行りたり、あるいは相撲興行中に行って雑観記事を書く走り使いの記者、これが始まりなんでありますから、ずいぶん古くから相撲は見ております。そのころのことから考えましても、茶屋制度というものがかなりな弊害があることは確かであります。しかし、ではやめられるかというと、これはなかなか実際問題としてむずかしいと思うのです。なぜむずかしいかというと、一番の問題点は、不景気になって入りが悪いときに、一体だれがその責任を負ってくれるか、こういうことだろうと思うんです。財団法人としましても、赤字の場合にどこからか補給してくれる人、入りの悪いときに補ってくれる人がないと、八百四、五十人という普通の人よりはよけい飯を食う人間がおるんですから、むずかしいのじゃないか。そういうことを考えますと、茶屋制度協会の運営、力士を養っていく上において大へん役に立ってきたと思うんです。大正以来、私がちょっと考えてみましても、大震災のあと、昭和初めの例の大不景気時代、それから先般の戦争の終るころから戦後のしばらくの間、こういうピンチにどうやらこうやら協会をささえて、その経営の基礎を維持してきたのは、茶屋制度のおかげだったと思います。これは協会当局者もずいぶん苦心し、努力もしたんでしょうけれども、茶屋制度というものがあって、中には何十年というお得意を持っており、その人々に不景気になっても切符を買ってもらう。これは無理に押しつけて買ってもらうのでありまして、そういうように押しつけられても、別に迷惑だと思うような連中ではありません。そういうことでもって、不景気の場合でもある程度の収入協会に確保してやる、これが茶屋制度協会にとってはなかなかやめられない点だろうと思う。これは人のことですから想像であります。私が見ておってそうだろうと思うのです。もしこれをやめましたときにどうなるかというと、不景気になるとおそらく協会はその経営に非常に困るのではないか。これが一つ。また茶屋制度をやめまして全部に切符開放する。たとえばプレイガイドを通じて売るとか、あるいは茶屋でその当日に売るとか、その他の方法一般開放するということは、今日の時勢として好ましいことには相違ありませんが、それでやっていけるかというとむずかしいのでありまして、第一今の茶屋制度以上弊害が起きはしないか。第一皆さん御承知の通りダフ屋であります。おそらくこれに買い占められて大へんなプレミアムがつくのじゃないか。私は買ったことはありませんが、友人の話を聞きますと、ひどい人になりますと、百円の大衆席の切符が三百円、五百円ときには千円というようなプレミアムがつくこういうことになるのでありまして、もしこれが全部開放されることになりますと、やはりそういう危険がある。従って大衆のためにはかつて、かえって大衆に不便を与え損害を与える、こういうことになりかねないのであります。といって今のように、さじきの大部分、座席の八割か九割までをさじきとして茶屋に属せしめるということになりましても、これはもちろん大衆を締め出すのですから、いかがかと思います。このことについては、協会の幹部に私も折々、あまりひどいじゃないか、少し大衆席をもとのようにふやしたらどうかと言いますけれども、その話を聞きますとまた無理のない点があります。どういうことかと言いますと、そうあなたがおっしゃるけれども、まあ南風の日を見て下さい、大衆席なんていうのはがらあきになってしまう。つまり当日売りの客というものは来ないのです。だからこれじゃ協会もやり切れない。ごく単純に申してもそういうことですから、これが不景気になったらとてもやり切れません、こう言うのであります協会が経営的に安定するための一つの安全弁としての茶屋制度、こういうものはやはり残す必要がある、こういうことなんでありまして、私も今のように八、九割までそれでやるのがいいとは申しませんけれども、ある程度茶屋というものを残して、長い得意にすがって協会の経営の基礎を保障してやるというやり方も必要である、こう思います。結局私のは妥協案なんですが、妥協でいくより仕方がないのじゃないか。まあ三十年、五十年先、世の中が変りますと、もちろんこういうことも変るでしょうけれども、当面のやり方としては、一ぺんに廃止なんていうことは危険でもあるし、同時に大衆にとって決してプラスにならない、こう思います。ただしこの茶屋を通じて飲食物を売っておりますが、これが非常に高いのです。もっともあそこで飲食する人の大部分は、自分で買う人はそうお金に困らない人、それからまた買わないで招待される人が多いようですけれども、これは人のふところですから一向かまわないかもしれませんが、実際自前で行っている者にとってはかなり不愉快なことです。また力士諸君が真剣に命がけで相撲をとっているときに、酒を飲んだり物を食ってわあわあやっているなんていうことは、ずいぶん失礼な話です。スポーツをけがすものですから、ああいうことはやめた方がいいと思います。長時間朝から非常に熱心な前相撲、序の口あたりから見るような人は、これはまたにぎり飯も持っていくでしょうし、ちょっと外に出れば買って食えるのですから、中で飲食を無制限にやらせる。そして中には大きなおみやげの包み、一人前何百円という愚にもつかぬおみやげですか、ああいうものをうりつけるというのはよろしくないんで、こういうことはあまりこまかに衆議院の委員会が御介入になるのはどうかと思いますけれども、しかしあまりおもしろいことじゃない。私の見聞からきた感じを率直に申し上げます。  それからもう一つ力士の待遇とか老後のことでありますが、これは非常に大きな欠陥があると思います。今日の力士収入というものは非常に不確定なもので、一種のサラリーマン生活のようでありながら、実際は自分の給料が幾らもらえるか毎月わからない、ことしは幾らになるだろうかということがわからないといったような、それも商売へでありましたら、不確定であっても自分の努力によってどうでもなるのですが、力士諸君は協会まかせでいくのですから、どうにもならぬでのありまして、これはどうもひどいと思います。こういうことは、財団法人というようなりっぱな形でいく以上は、やはりもう少し近代的な明朗なものにすべきものであろうし、それはごく簡単にやれると思います。一番いかぬと思いますのは、若瀬川関は現役の大長老で上から一人目か二人目でしょうが、引退のときの引退料、老後の養老金ですが、これはひどいです。私は承知しております。近ごろの皆さん御記憶の名寄岩という幕下時代から私は二十何年のつき合いでありますが、まことに愛すべき男です。非常な努力家なんですが、これがやめたとき協会からちょうだいしたものは、何年もかもで百万円に足りないのです。二十三年の土俵生活、大関を二度もやり、約十年間ぐらいというものは多分協会の屋台骨を背負うぐらいの人気を持っておった。それがやめるときに、今ごろの金で百万円に足らないというのはあんまりひどいのじゃないか。極端なことをいうと少し他人のふところに干渉するようになりますからやめておきますが、ちょっとひどいと思います。常識はずれじゃないか。もっと知るべしですから……。こういうことは改めようと思えばすぐできるのですから、これは改めるべきであると思います。この、委員会でお取り上げになっておられる問題のおもなものはそんなことであろうと思うので、それについての私の考えを申し上げたのです。  最後に一言つけ加えさせていただきたいことは、財団法人として何か大へん特別な恩典があるのかと思っておったのですが、よく聞いてみると大したことはないのです。一番の問題は、税金をまけてもらうぐらいのことだと思っておったのですが、一向まけてもらっていないようで、これは不思議に思いましたが、大急きで聞いてみますと、昨年の売り上げが一億九千万円、その他の収入を合せて三億円ぐらい。そこに固定資産税から始まって各種の税金が合せて四千二、三百万円も払っておる。これでは財団法人なんといって何か特別に恩恵を受けているように考えられる方がばかじゃないか、こう思うのであります。ですから、協会として何のためにそんなことにいつまでもしがみついているのか、私は不思議に思います。もしそういう税金が払えるのなら、そんなことはやめたらどうかと思いますが、ある取締りにそのことを聞きましたところが、株式会社になったのでは、どうも陛下からいただいておる賜杯がなくなるおそれがあるだろう、そんなことはないよ、それは君勘違いだ、ほかにも出ている例があるんだから、そんなことはない、心配しないで、がみがみ言われないような株式会社か何かでやったらどうだ、その方がいいぞ、第一、三億円もある売り上げのうちで四千万円も五千万円も税金をはらうのなら、堂々として普通の営利会社でやっていけるじゃないかという話をしたことがあるのですが、私は自分考えとしてはそう思います。ちっとも特別の恩恵は与えられていないのですから。ただ、これは御異論があるかもしれませんけれども、私ども自分が好きだから申すのでありませんが、あらゆるスポーツの中で、やはり何といっても相撲というものは日本国民にとっては生活から離れられない伝統を持っていると思うのです。どこがいいかと言われてもちょっとわかりませんが、やはり、レスリスグとかボクシングとか野球などは非常に普及して参りましたけれども、ああいうもののやり方と相撲とは違うのです。どこが迷うかちょっと一口には申しにくいのですけれども、どことなく日本人の趣味、感情、好みにぴたっとくるところがあるから、子供からおとなまで好かれるのです。そういうことを考えますと、やはり国技として国家がこれに多少保護を与えるというようなことはあってもいいのじゃないか、なければならぬことはありませんけれども、あった方がいいと思います。ただ、今のように相撲が隆盛でありますればそんな必要もありますまいけれども、もし、たとえば不景気であるとか、そういうようなことで非常に相撲がよくない、経営が思わしくないというようなことになりましたならば、皆様の力でしばらくの間を切り抜けるために、特別減免税措置ですか、何かそんなようなことででもしばらくの間保護をお与えになることがあってもいいのじゃないかと思います。ふだんはそんな必要はな、と思うのであります また、いつも保護を与えなければならぬようなものは国技でも何でもない、つぶれるのが当りまえでありますが、やはり波があるのですから、波の底のときは幾らか助けてやるということが必要ではないかと思います。その程度のことにして、協会としても世間や国会までからいろいろ騒がれることはあまりありがたくないから、いいかげんのところで公益法人なんていう窮屈な衣は脱いだ力がいいのではないかと思います。  お尋ねに答え得たかどうか知りませんが、相撲好きの一人、ただの見物人の一人としての自分の感じを率直に申し上げました。
  91. 長谷川保

  92. 岩原拓

    岩原参考人 私、岩原でございます。実は、きょう参上しましてどういう立場で私はものを申し上げていいのかわからなかったのでございます。それでちょっと文部省にも聞きましたが、文部省もよくは知らぬというようなことでございまして、ちょっと自分自分でわからないというようになったわけでございます。いずれにしましても、財団法人相撲協会を認可したときは私が文部省でその仕事をやっておったことは事実であります。ただ、課長ではなかった、いわゆるお役所流で言えば、一係長にすぎなかったわけであります。それで、こまかいことは知っていなければならぬはずでございますが、何しろ今から勘定いたしますと三十年あまりたっているのでありまして、その当時の事情幾ら考えましてもわからない。どうも忘れている点が多い。たとえて申せば、文部省内でこれを承認するにはどういう人と相談してやったか、あるいは当の相撲協会からどういう人に来てもらって説明を求めたかというようなことを振り返ってみますると、とんとわからない。そういうようなわけではなはだ申しわけないのでありまするけれども、はなはだ不完全な記憶のままでその当時を振り返りながら申し上げるのであります。が、その点を一つお許し願いたいと思います。  相撲協会の認可事務を取り扱ったであろうという想像は、これはまことにごもっともな想像でありまして、おそらくそれに聞違いないと私も思っております。ところが大正十四年といえば、今から三十年あまりも前のことでありますので、どうもはっきりした記憶がないのです。そこで、申し上げることもはなはだ不十分なことが多いと思うのでございますが、それはお許しを願いまして、覚えていることだけを申し上げるわけであります。  記憶がそういう工合にはっきりいたしませんので、どうも話も自然そう上手にはいきかねるのでございますが、いずれにいたしましても、相撲協会財団法人となるということは、私の気持でもちょっと珍しいことだと思ったのであります。どうも相撲というものが財団法人になるようなものではないと、実は思っておった。それがはからずもそういう書類が出てきた。これはだれか知りませんが、当時の相撲協会関係者を呼んで聞いてみますと、ぜひ財団法人になりたいのだ、事業はかくかくのことをするのだ、目的はこういう目的だ、こう言われた。それで言われるところを聞いてみると、まことに財団法人になりたいということがよくわかる。どうしてわかるかといいますと、一番初めには相撲の専修学校というものを作る、そして第二には指等者の養成を大いにやる、それから第三には力士の養成もやる、それから出版物の刊行をする、また国技館の維持もやる、こんなようなことがありました。それが事業でありますが、そういうこととして見れば、これが公益法人となりたいというのはもっともだというので、公益法人にしようという気になったのであろうと、今から実は想像するのです。そのときの心持は、どうもはっきりしないのです。多分そうであろうと思っておるわけであります。  以上のようでありまして、認可したことは何としても事実でありますが、そのときもやはり相撲興行のみをするものとは思っていなかった。これはするはずるでしょうけれどもつけたりのことで、ほかに相撲道発展のため、あるいはもっとむずかしく言えば武士道発展のために学生や青年団に普及するという大方針があったと思えるのです。そういうような気持で財団法人に許したよなわけでございます。  では認可後の監督はどういうふうにやったか、これは当然申し上げなければならぬことであります。当時は、アマチュア・スポーツが非常に盛んになった。川崎さんなども大いに振興には御努力に相なったと思うのでありますが、そこでそういう仕事が非常に多かった。でありますから、こう申しては失礼でありますが、財団法人相撲協会についてはまあこっちに片づけてもらい、普通のアマチュアの方のスポーツを大いにやる、こういうように州なってしまったわけであります。従って認可後の監督が不行き届きであったと、こういうことを言われますればどうもやむを得ません、そうでございます、こう申し上げるよりほかはないのでございます。そういうことで実は十河年間が経ってしまった。そうして、昭和九年でありましたか、私がそのときに体育課長に実はなった。でありますからなったときに、文部省では今までどういう仕事をやってきたかという歴史を一応調べてみたいというので、いろいろ書類的に調べてみて、そのとき相撲協会のことを、こんな定款を出してこんなふうにしようとしているのだということを承知したようなわけであります。承知してみれば別に悪いことが書いてあるわけではなし、これはだれか見ても公益法人にしていいのだろう、そういうようにそのときは思いました。それであとの追及や何かもあまりしませんで、アマチュア・スポーツの方のことをもっぱらやっておったわけでございます。そういう事情でございまして、いろいろ官庁としてなすべきことの全部をよくやったかというと、これは申し上げかねるわけでございますが、とにかく全部に近いようなことをねらって、そして大いに努力してやったということだけは申し上げて差しつかえないと思います。大体その程度のことでございまして、あとまた質問等がございましたならば率直に申し上げたいと思います
  93. 長谷川保

    長谷川委員長 以上参考人服部忠男君、御手洗辰雄君及び岩原拓君よりの意見の開陳がありましたが、これより参考人に対する質疑に入ります。質疑及び答弁は時間の都合もありますので、なるべく簡単に率直に願いたいと思います。質疑の通告がありますので、順次これを許します佐藤觀次郎君。
  94. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 力士会を代表された若瀬川関にお尋ねしたいのですが、きょう午前中いろいろ意見を聞いたのですが、現役の相撲として現在とっている十五日制、それから今までの四場所から今度五場所になったのですが、そういうようなことで相当今までよりはからだがえらいというような意見もあるし、小さい力士はなかなか勝つことができない、黒星が多くなったというような意見もあるのですが、現役としてどういうようにお考えになっておるか、率直にお話ししていただきたい。
  95. 服部忠男

    服部参考人 僕はこの十五日間のときは若いときでさほどに思いませんでした。このたびの五場所制の問題のときにはいろいろ聞かれまして、そして力士会でもいろいろな意見が出ましてずいぶん考えましたけれども、しかし現在の社会の波に乗るためにはどうしても五場所制を実施しなければいけない、ファンの要望にもごたえなければいかぬ、それにまた地方巡業がこのごろはあまりよくない、地方巡業につきましては汽車の旅もしなければならないので、非常にからだがえらい、そこでもう一場所ふやして木場所をとるのがえらいか、夜昼継いで強行軍の地方巡業をしてその成績も上らない、それがえらいかということをいろいろ検討しまして、まあ百人近くおりますから、満場一致というわけにはいきませんけれども、いろいろ審議しまして、結局やはり本場所の方がいいのじゃないか、本場所十五日間やった方がからだも楽だし、そして地方にあまり重きを置かずに本場所に重きを置いて休養期間を多くしてやった方が結局われわれ力士の生命のためにもいいのじゃないかということになりまして、五場所制を承諾したのです。決して協会から無理にやれということを押しつけられたことはありません。そのときの大体の責任者として僕はいろいろ協会とも折衝しました。そういうわけで、ではやろうということでやりました。しかしこれまでにない新しいことをやることに対しては不安と希望というものはつきものでございます。だから年寄りの人は不安もあるでしょうが、若い人は一時も早く強くなりたいためにやろうじゃないかということになりまして、大体一致してそれを承諾したようなわけであります
  96. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 地方巡業ということは午前中の問題にもなりましたが、まず第一に地方巡業の一番つらいところ、第三に、本場所における心の持ち方と地方巡業における心の持ち方というのはどういうふうに違っておるのか、その点をお伺いしたいと思います
  97. 服部忠男

    服部参考人 地方巡業のつらいところは、大体汽車に乗って一時間ないし二時間ぐらい次々とできたときには非常にわれわれも楽でけいこもしやすいのでありますが、十時間、十五時間という長距離の旅をする場合は、相撲が済みまして夜行に乗って次の場所に朝着いてそのままけいこ場に行ってけいこをする、幾らわれわれからだが大きくて体力があるとはいいながら、夜行で四人すわって次の朝着いてけいこ、これは不可能であります。それよりも本場所を多くして、本場所前のけいこ期間を多くして、午前中のけいこで昼から休養をとって休んでやっ方がからだにもいい。しかし昔みたいに二場所制よりも——場所というときは約半年間あります。そうすると結局若いために酒も飲み、不摂生な生活もする。つまり気をゆるめるということは、知らず知らずに自分のからだを弱らせてしまうということであります。それで五場所にした場合は、本場所が済んだ次の日には、さあ、場所前だぞということをお互いに言い合って次の場所に備えるわけであります。そうすると人間の心にはひまを作ることができません。そうすれば自然と緊張をして心身の鍛練をするために、かえって長持ちするのじゃないか、僕はそう思うのであります
  98. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 相撲の給金というのはなかなかむずかしいことで、一般の常識と違うのですが、現在の給金制度にどんなような不平があるのか、これじゃ困るというようなお話と、あなたは現役の力士では一番古い力士なんですが、こんなことは聞きたくありませんけれども、参考のためにお聞きするのですが、入幕して何場所目になって給金はどのくらいのものか。同僚の力士諸君に現在の給金制度を何とか変えてもらいたいというような意見があるか、これを御発言願いたいと思います
  99. 服部忠男

    服部参考人 ただいま僕らの給金の問題が出しましたが、幕内の、上ったばかりのものも僕らみたいに古いものも幕内の給料は大体同じです。ただそこに退職金の問題で差が出ますが、給料の問題としては変りません。給金は勝ち星によって上げますから古いものは多いです。だから幕内でも三役より多い人もおります。中には大関級の人もおるわけでございます
  100. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一つ一般に給料、給金という制度がなかなか問題になっておりまして、一般の俸給制や麻かのスポーツ、職業野球などと違うのですが、私らが非常に心配しておるのは退職金制度が確立していないことです。先ほど御手洗さんも言われましたが不安定な仕事だと思うのです。そこで現在皆さん方が協会に対してこういうようにしてもらいたい、自分たちが引退したときにもこういうようにしてもらいたいというような一般の声が、力士会にあるのかどうか、これを一言お話願いたいと思います
  101. 服部忠男

    服部参考人 今給料か不安定と申されましたが、現在のところでは決して多いとは申しません、少い。人に聞かれてあまり大きな顔をして言えるだけの給料はいただいておりません。しかし給料は大体安定しております。それでこういうようにして厳しい、ああいうふうにしてほしいということは、毎場所協会と折衝して協会もそれを快く受けてくれまして、話し合って徐々に向上をはかっておるつもりでございます
  102. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 御手洗さんに伺いたいのですが、四十年相撲を愛好されておりまして、相撲のことに非常に詳しいので、また相撲協会のいろいろの苦難の道のことも知っておられるのですが、この問題は辻原君が提起したのですが、協会を糾弾しようというような考え方でなくて、文部省の管轄であるのですが、現状ではやはりいろいろの弊害があるということも認められておりますが、具体的にこれくらいのことぐらいは協会はやれるだろう、これくらいのことをやらなければ相撲が衰えるのではないかというように、私たちも考えておりますけれども、具体的にこのぐらいなことはやらせたいというような奉れな御意見があればちょっと伺っておきたいと思います
  103. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 第一番はさじきをほんとうに相撲好きの大衆に開放すべきだろうと思います現状は、割合を知りませんけれども、私ども下から上を見上げて、さじきの工合を見ますと、せいぜい二割ぐらいじゃないかと思いますが、せめて半分くらいを大衆に開放する。しかしこれはやはりさっき申し上げましたように、ダフ屋などに買い占められて、むしろ損をするようなことになっては困りますから、売り出す方法考えなければいかぬと思います。たとえば相撲茶屋を通じて当日売りをするとか、あるいはばらにして茶屋から売らせるとか、協会が直接売るとかプレイ・ガイドに配るとかいったようないろいろだ方法があると思います。そうしないと今のような固定した人だけでさじきのほとんど大部分を長い間占めてしまっておるのでは、好きでもきらいでも、義理だからさじきを買っておこう、そうして見ていますと、さじきにせっかくいい場所かありながら、だれも来ないでがらあきのままにしているというようなのもあるので、ずいぶん力士に対しても失礼な話で協会も損じゃないかと思うのであります。ですからまあ半分ぐらいは何とか大衆に開放したらどうか、またそれはやろうと思えばできると思います。現在座席が多分定員が一万八千ぐらいだろうと思います。これももう少し何か工夫して、収容力をふやすというような方法はあるのではないかと思います。一万八千人で十五日では二十五、六万人ですか、そんなものですからとても需要に応じ切れぬだろう、それが野球だとかほかの大きなスポーツと違うところで、相撲の古いところではないかと思います。芝川などを見ましても、歌舞伎座は一つですけれども、似たような芝居がいつも開かれて、それも二十九日間毎月あるのですから、やはりそういう点が相撲と迷うのであって、相撲はやはり東京では一年に四十五日しかないのですから、三回やってみたって七、八十万人しか見る機会がない。そういうことから見ましても収容力をもう少しふやしてやる。そのふやした分については、大衆席をもっとふやして開放してやる、こういうことはぜひ要るんじゃないかと思います。それから相撲協会内部の問題になりますと、いろいろありましょうけれども、そんなことは私どもが言うべきことでもない。ただ見物人、相撲好きから申しますと、行司制度とか判定制度、こういったようなものは今のような不合理な無理は一つ早くやめるように、これはだれが言えばいいのかわかりませんけれども、大衆の声としてこれは協会に迫るべきだろうと思っているのであります
  104. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 もう一点茶屋制度の問題がだいぶ午前中も問題になったんですが、芝居なんかも、御承知のように、昔は茶屋がありまして、茶屋から行った。今は芝居茶屋はありません。相撲は現在やっておるのですが、これはいろいろいい点もあるけれども、弊害もあるということで、茶屋制度切符との関係がいろいろ出ておるわけですが、そういう点で何か参考になるようなこういうようなことをやったらどうかというような御意見——茶屋制度については、あとで辻原君や柳田君、川崎君あたりから質問があると思いますが、何か茶屋制度について今は存続させるとしても何かそういうものとも関連して改良する道があるのではないかと思いますが、どういう御意見ですか、お考えを承わりたいと思います
  105. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 なかなかむずかしいと思います。さっきから申し上げますように、茶屋制度で長い得意を茶屋の主人がみな持っておりますから、その人たちが努力することが、不況のときや、不入りのときの保証になるわけなんです。これを改めてしまうと非常に危険、不安があるだろうと思います。しかしやはりさっき申すような弊害があるのです。一番弊害の大きいのは、率直に申しますと、協会の幹部が茶房をたくさん経営しておる。そこで非常にもうかるという。事実は知りませんよ、人のふところはわかりませんが、そういううわさがある。われわれ自分の経験から見ましても、茶屋というものはあまり損をするものではなく、かなり実入りのいいもんだということはわかるのです。そこで私見としましては、茶屋を残すということは前提でありますが、協会へ長いこと勤めておった力士とかあるいは行司とかいう人々に組合でも作らして、その人たちでもって茶屋をやっていく、そうしてその人たちがふだんから客との間の連絡をとって、不景気になっても切符が買ってもらえるようにする。つまり個人経営でなくして、協会の古くなった人々の養老制度の一部にでもする。しかしそれは努力しなければ、不景気のときとか、雨風の日に切符を買ってもらえません。けれどもそういうことをふだんから努力するようにすれば協会内部改革にもなり、また見物の不便も除かれるし、あわせて協会が今一番心配するであろう不況のときの切り抜けにも役に立つ、その辺がやり得る当面のあれじゃないか、これは私のほんのしろうとの私見であります
  106. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 岩原さんにお尋ねするのですが、岩原さんは体育課長として非常に有名でありまして、ちょうど係長のときに相撲協会が初めて公益法人となったという話を今初めて聞いたのですが、その当時はわれわれも知っておりますが、職業的なものはなかった。ほとんどスポーツは学生に限って大体あれだったんですが、あの当応相撲は特に国技と言っておりましたが、国技といわれておる相撲財団法人になったということについて、その当時でも、また今日そういう点が問題になってきておるのは、この公益法人としての相撲がいろいろ問題になり、今御手洗さんが言われるように、四千万円も税金を取られておる。何で公益法人になっておるのかと言われますけれども、しかしその当時の考え方とすれば相当進歩したものだと思われるのですが、そういうものについて何か昔を顧みて現在に及んで、御感想がありましたら一つお述べを願いたいと思います
  107. 岩原拓

    岩原参考人 ただいまの佐藤さんからのお尋ねでございますが、まことにごもっともなお尋ねだと思うのであります。そういうことが、なければならないような情勢にある、しかし私が認可した当時にこれを公益法人にしなければならないという条件があったか、こうおっしゃられると、やっぱり私は覚えていないと申し上げるより仕方かないのです。その意味を少し敷衍いたしますると、何もそういう力はなかった、こういうふうに申し上げることができると思います。ただ、今のよう思い出してというお話で思い出してみましたが、いわゆる国技館相撲なるものは、どういうわけか存じませんけれども、海軍の将星が相撲協会長になり、何か陸海軍と相撲協会との間には一脈通じるものがあったではないかと思われるような現象があったことだけはその通りでございます。そのことだけ一つ申し上げて私の説明を終りたいと思います
  108. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 いろいろお聞きしたいことがありますが時間がありませんから——われわれはこの相撲を愛する意味でいろいろとお尋ねしておるわけですが、岩原さんにもう一つだけお尋ねしておきます。  今は文部省の管轄になっておるわけです。それでわれわれ文教委員会でいろいろ参考人を呼んで、相撲改革ということをやっておるわけですが、現在先生保健体育審議会委員で、保健行政についていろいろ識見を持っておられるのですが、今の場合としてむしろ社団法人なんかよりは、株式会社のようにやったらどうかというような意見もあるのですが、そういうことについて何か御意見はございませんか、お尋ねします
  109. 岩原拓

    岩原参考人 ただいまのお尋ねでございます。これは個人としてはいろいろの意見もあります。それで差しつかえなければ申させていただきたいと思うわけでございますが、株式会社がいいかあるいは財団法人がいいかという根本問題になりますと、なかなかすぐさま申し上げかねる事情があると思います。とにかく今やっている相撲協会のやり方が百点かと申しますと、それは百点でないと申すことができる。ことに公益法人としては百点でない。でありますから、公益法人として相撲協会がいかんとするならば、大いに改善が必要じゃなかろうかと私は思います。そういう改善をしてどこまでも財団法人でいくのが、要するに国技たる相撲の隆盛の上にいいか、あるいは思い切って株式会社でスタートする方がいいか、そういう問題になりますると、むしろ私なんかよりは皆さん方の御意見を伺いたい、こういうような事情でございます。率直に申し上げます
  110. 長谷川保

    長谷川委員長 辻原弘市君。
  111. 辻原弘市

    ○辻原委員 若瀬川さんにちょっと伺いますが、私どもがこの問題を取り上げたのは、一つはやはり真剣な土俵の上で精進をされていく力士の方が必ずしも十分な処遇を受けていないというような意見をしばしば今まで聞かされたのです。今場所大阪などでもこうした問題が社会的に問題になって、一体われわれの待遇がよくなるのだろうかというかなりの関心を寄せられておった力士の方がおられたことも耳にいたしております。ところが先ほどお答えになられた点では、決して多いとはいえないけれども、安定しているということであります。もちろん多いか少いかということは比較の問題ですから、何と比べて多いのか、何と比べて少いのか、これはその尺度をあなたにお伺いしなければわかりませんけれども、しかし総じてファンの側から、また一般の側から見た場合に、家庭をいなかに置いておられる方もありましょうし、そういう場合に家庭送金もしなければいけない、また今の制度からいくと、部屋の後輩の力士の方々の指導もしなければいかぬ、そういうことになれば、幕内、三役であってもかなりこれはやはり出費を伴うものであるし、また一面はなやかな立場に置かれるのですから、そういう方面の出費もかさむであろうし、普道のいわゆるサラリーマンとは違った意味の経済的な問題があるであろう、こうわれわれ考えておるわけなのです。そういたしまして、飜って協会等から出されておる資料、またそれぞれその他の方々から聞いたあれによると、待遇がそうはなやかな力士という仕事のそれにふさわしいものではないというようにわれわれは考えたわけです。だから、十分安心して相撲をやっていただき、安心して相撲の振興をやり、また一般に対する指導もやっていただくためには、ここらで、協会の不況の時代なら、いざ知らず、かなり今は好況の時代に恵まれておるのですから、こういう段階にはかなりのことができるはずなんだ。言いかえてみれば、これは株主があって、そうして株式配当をしなければならぬ、またいろいろな金を将来積み重ねておかなければならぬという株式会社なら別なんです。そうでなしに、あなた方の所属されておるいわゆる協会というものは、これは公益法人として利益がなくともいい、しかしその任務があるのだ、その任務とは一体何かというと、りっぱな力士を育てるごとなのだ、また社会的に相撲というものを多くの人に理解してもらう、また長い伝統を持つ相撲の歴史を後世に残す、こういうような目的のもとは置かれている。ですから一方においていわゆる興行があって、そうして経済状態がよくなればそういう目的にお金を使ってもらわなければならぬという考えをわれわれも持つし、国民が持つのは当然なんです。その中に力士の方々の処遇の問題というのは大きく浮び上っているわけです。ただこれが、力士の方々が、いやこれでいいのだとおっしゃるならば、第三者がものを申すことはないのです。しかし従来われわれの知った範囲においては、少くとももう少しあなた方に安心してやってもらうだけの処遇が必要ではないか、これは第三者としてわれわれは考えるわけです。そういう意味で、もう一度そういう点について率直に一つおっしゃっていただきたい。お互いに人間ですから、私は別に数字を申せとかあるいはこれだけのものにしろとかいうことを、具体的にあなたにここでしゃべってもらうつもりはないのですけれども、自分たちが一生懸命にやるためには、やはりそういうものか必要でなければならぬというような理由が、私はあるだろうと思います。そういうようなことについて参考になる意見をお持ちなら、今ここでおっしゃっていただきたいと思います
  112. 服部忠男

    服部参考人 先ほど僕が給与は安定していると申しましたのは、僕らの給料が安定していると申したのではないつもりです。この場所幾らもらえるかわからぬということを力士が心配していることを言われましたので、この場所はもらうということは安定していると申したのであります。現在の僕らの給料で満足しているという意味ではございません。それでわれわれが——幕の内あるいは大関、横綱の力士が大きな顔をして道を歩けるようにしていただきたいということを協会と毎場所話し合いをしているのでございます
  113. 辻原弘市

    ○辻原委員 今度の協会の御改革の中で、いろいろ今までの給金制というか給料制といりか、給金といえばこれは歩方金の問題になりますが、全体の給料というのはいろいろな形で出ておりまして、それを一まとめにして基礎を月給に置いて、その上に歩合を加えていく、こういう式の一つの形に改められたわけなんですね。これは私たちは非常にけっこうだと思うのです。それはあなた方も多分そう考えられると思うのですよ。いろんな込みのものが入っておっても、やはりどういう時代になってもこれだけは自分の最低の生活をしていくために必要なんだというその額が保証されているということは、これはどういう職業にあっても、人間が生きている以上は私は必要な制度だと思います。そういう意味からいって、月給制という形で最低のものをまずそこで、これはどんな月でもまたどんな興行のときでもちゃんと定まっておるという制度——これはもし私たちが同じ立場であってもそういう形のものをやってやろうということであれば非常にありがたいと私は考えるのですが、これは力士の方々はどういうふうにお考えになっておられますか。従来のような形のものか、そういうふうにある一定額を最低として保証しているという一つ月給制、こういうものについてあなた方はこれを改善だと見られておりますか。
  114. 服部忠男

    服部参考人 今度月給制になった場合、僕らは小学校を出ましてこの社会に入って二十二年同というものは外の社会は全然知りません。それに今度新しく月給制度はどう思いますか、こう言われてもまだそこまでは僕らにはぴんとこないのであります月給制度、これも新しい世の中へ入っていくためにわからないのであります。しかしいろいろ家庭もありますし、このくらいならやっていける、これはまあ最低の線だ、これから上へ伸びて——世の中もそれだけ進歩しているのでわれわれの生活費もかさむのでありますから、これより上へ伸ばさなければいかぬ、まあ今度の場合の改革というのも僕らの場合にもあまりはっきりきていません。これを最低の線としてこれからまだ上へ伸びるということは、考えておりますが、これで満足しているわけではありません。
  115. 辻原弘市

    ○辻原委員 岩原さんにちょっとお伺いいたします。先刻から協会公益法人になった当時の経緯を言外に込めてお話がありましたので、あなたのおっしゃる意のある点は了解をいたしております。従いまして立ち入ってお伺いをする必要はないかとも思うのでありますが、協会公益法人であるという問題について二論現在あるわけなんです。私はそれを御参考にお聞きをいただきたいし、またあなたのお考えも先ほど佐藤さんにお答えになりましたので、大よそのことはわかりましたが、伺っておきたいのであります。それはともかく初めから公益法人という形が無理なんだ。しかし許可されてづっときているから、やはりその形のものでできるだけ運営していこう、こういうような運営をいたさなければならぬという一つ意見。これはまたもっともであります。初めから無理であったのだから、本来の姿に立ち返った方がいいのじゃなかろうか、それの方がさっぱりするのじゃなかろうか。協会も何もむずかしいものをいろいろくっつけてみても、もともとくっつきにくいものだからくっつかぬので、だからそういうことはこの際根本的に考えた方がいいのじゃないか。これは御手洗さんから先ほどそういうお話がありました。この二論があるのでありますが、しかし少くともやれるならば公益法人としてりっぱにやられた方がこれは私はいいと思うのです。しかしこれはあなたの御意見によっても大体想像されますが、特別にいろいろな要件が積み重なって公益法人でなければならぬという決定的のものでもなかったようです。私どもも当時の記録とかあるいは人の話とか、いろいろなもので知る範囲内におきましても、また個人的に推察いたしましても、大正十四年と申せばこれは関東大震災のあとであります。これは相撲のみならずいろいろなものが非常に成り立ちにくい時代下に置かれた、経済的にも非常に困った。その中にやはり伝統を持つ相撲というものを長く伝えていきたい、そうするには一体どうしたらいいかということは、私はおそらくだれもが考えたことだろうと思います。そのためには国家が保護を与える一つの方式として、これは公益法人として取り扱っていく力が経済的な成り立ちが早いのじゃないか、こういう時代的な非常な大きな変動下にささえとして置かれたものであって、従って根本的にそれ自体が公益法人であるというものとは意味合いが違うと、私は率直に考えるわけです。こういう私の議論に対してあなたはどういうふうにお考えになりますか。
  116. 岩原拓

    岩原参考人 ただいまの御質問でございますが、現在の相撲協会のやっている状況を見ますと、普通の言葉で言えばあれがスポーツであるならばプロフェッショナル・スポーツ、いわゆる職業スーポツと申すべきものであります。それからほかのスポーツはアマチュア・スポーツというものでありまして、同じスポーツではありますけれども、プロフェッショナル・スポーツの行き方とアマチュア・スポーツの行き方とは根本において違っておる。一方は食うためにやる、一方はおもしろいからやるというものでありまして、本質的に違うわけであります。そういうことでありまして、昔相撲協会の認可を申し込んできましたときには、そういうことすら実は問題にならなかった。これはいわゆるアマチュア・スポーツの問題であるか、あるいはプロフェッショナル・スポーツの問題であるかということをさえ研究する余地がなかったのです。それでとりあえず法人としてきたものであって、法人になれるかなれぬかというところだけをおもに見たわけであります。見ますと、先ほどもちょっと申しましたように、あるいは相撲学校を作るとか、あるいは指導者の養成をするとか、あるいは博物館を作るというような、いろいろなよいことが書いてあるので、こういうことをするならばこれは公益法人として差しつかえがないのだ、こう思って認可をしたというわけなんです。それでありまして、その他いろいろ親切に言って下さいましたが、事情はほとんど考えなかった。あるいは国家が補助すべきものであるか、そうでないかというようなことなんかは考えたことがないと私は思う、しかし先ほど来申しましたように、どうも当時の記憶なるものが非常にあいまいになっておりますので、確言をしがたい。しかしどうも今の点は私なかったように思いますので、それをはっきり申し上げておきます
  117. 辻原弘市

    ○辻原委員 当時はそういった基礎的な諸条件があるから、法人にするとかしないとかいうような議論でできしったものではない、確かに私は当時のいきさつから推察いたしましたらそういうことだろうと思いますが、今日はそれではいけないと私は思いますし、また岩原さん個人の立場におかれましても、あなたが文部省の諮問機関である保健体育審議会の委員をなさっていらっしゃる、これはいわゆるスポーツを含めて体育全般に関する、さらに加えて保健という面から社会的に寄与される一つの機関であるわけなんですから、従って十分この点は掘り下げて御検討いただかなくちゃならぬと思います。  あわせて、なぜ私は今度の機会にこの問題を取り上げたかということを一つ申し上げておきたいと思いますが、それは従来は体育協会であろうと何であろうと、補助金を出すことが国の法律によって許されておらなかった。ところが今度初めて体協に対して一千万円の金を出して、国際的、国内的に稗益するそういう体育団体に対しては、国が積極的な体育振興のための意思表示をした。しかも障害となった法律の改正を行なって援助することができるようになった。それは体育協会のみならず、広く社会教育全般のそれぞれの公益法人に適用されるべきことしなんです。従って相撲協会も当然その範疇に入るわけなんです。ですから先ほども御手洗さんから不況の時期についていろいろお話がありましたが、われわれ確かに長い時代の流れの中においてそういうこともあろうと思います。だからいわゆるもうからない——もうけることを主体にしない法人なればこそ、国は援助するということを積極的にやっているわけです。しかしそれはあくまでも営利が主体でないのだということが条件なんですね。従って公益法人であるとするならば、やはりその姿に立ち返ってもらわなければ、これは同じように将来国が援助をしていこうと思ったって、片一方でそういう営利が主体のような形に運営されていたり、あるいはそれで非常にもうかったりしているということでは、そこに援助したくてもできない、一つの道が閉ざされるということを、この機会に分明にする必要があるというのが、私の一つ考えでもあったわけです。ですからあなたにこの機会に承わっておきたいのは、昔の事情はともかくとして、今日この段階では、やはり当時のいきさつを最も知っておられるあなたとして、また長く指導の地位におられたあなたとして、私が申し上げたような意味合いにおいて、これは十分御検討をお願いしたいと思います。そういう点について何か具体的な御意見がありましたら承わっておきたいというのが一点。  それからいま一つは、あなたが出されました問題で、私も先刻触れたのですが、プロとアマチュアの違い、これも非常に重要なるポイントだと思います。先刻私が申し上げたのですが、午前中の証言の中で天龍さんあるいは川崎さんが相撲研修学校を細則通り作るべし、こういう御意見があった。私もその真意は、やはり相撲をプロでおやりになると力量が非常に強くなる。ところがそのままをいわゆる指導するということにおいては、そこにもう一つ欠ける点があるんじゃないか。それは強いということと、技量が非常に進んでいるということと、もう一つ指導性の問題あるいは保健体育あるいは医学的なこと、これらを含んでの指導性をそれに付加すれば、これは鬼に金棒で、そうして初めてりっぱな指導者たり得るのだ、こういう意味合いにおいて、プロが直ちにアマを指導するという形は、これは不適当じゃないかという御意見だった。私もそれを考える。ほんとうに体育の振興を考える場合には、これは文部省おたりにおいて従来よりももっとそういうととは考えておかなければならぬ。ところが実際はやっていないからお伺いするわけですが、そういう意味合いにおいて、いやしくもプロのアマに対する指導というものはどういうふうにあらなければならぬか、これはあなたは御専門でいらっしゃるから、そういう点について御意見を若干承わっておきたいと思います
  118. 岩原拓

    岩原参考人 ただいまの御質問でございますが、率直にお答えをしたいと思います。実はこのアマとプロとの問題は、これは非常に簡単であるがごとくにして非常にむずかしい問題で、この問題が俄然としますと、今の相撲協会の問題のごときも直ちに結末がつく、結論が得られるという問題に相なるわけのものでございます。それにつきましては、事実上文部省の中にあります保健体育審議会の特別委員会で、そういう問題を大いに調査をして研究するということにすでにきまっておるわけなんです。幸か不幸か、私もその委員の一員に加わりましたからして、今日の重要なる御意見はその際に一つ伝えまして、そういう御意見にも十分熱をもって一つ研究を進めるようにするべく、これは私として責任を今感じておるような次第でございます。そういう事情を申し上げておきます
  119. 辻原弘市

    ○辻原委員 御手洗さんにお伺いいたしますが、先刻先生がお述べになりました問題の中で、特に茶屋の問題については一つの妥協的な考え方かもわからぬが、という前提を置いてお話しになりました。それによりますと、茶屋はやはり存続した方がいいんじゃないか、その理由等々におきましては、これは御手洗さんが述べられておりますような御意見に近いようなところもございましたし、また非常に不況期の問題を理由とされる人々の持っておられる意見とも一致をしておりました。確かにそういう点も考慮の余地があると思いますが、ただ突き詰めていきますと、結局切符の売りさばきを、ひいき客と申しますか、長い顧客を通じてやらなければ、常にバランスのとれた一定した一つの経営が成り立ちにくいというところに、その理由の大半が置かれているように私は考えるわけなんです。  しかし翻って、確かに私は非常に不安があると思うのです。長い間そういう形でずっと運営されてきたのですから、そこから脱却されるためには非常な不安があると思うのですが、しかし先生もおっしゃられたように、現状はともかくさじきをふやすごとに大衆席が少くなる。これは大阪の例を見てもわかると思います。今場所さじきをふやして一般席は少くなった。また収入においても先生のおっしゃる通りです。さじきから上る収入一般席から上る収入と、これは月とスッポンである。しかし一般席が極端に少いということは、一般の人々が非常に相撲を見たいという希望があってもなかなか行けない。ほんとうは私はその見たいという人にできるだけの機会を与える——常に理想的にちょうどこの切符の数だけ全部ぴしゃりと入るということは、これはなかなか何様の経営をやっても、それはむずかしいと思います。しかし今の相撲の状況からいきますと、これはにわかに相撲にみな行かない、関心を持たないという時代がやってくるとはちょっと想像しがたい。相撲の不況期というのは、歴史的に見ても、先生の御存じの通り、大震災のあとあるいは戦争というような国家国外騒乱の際に、これは相撲のみならず、もし今後そういういろいろな天災地変が訪れたとするならば、あらゆる興行は、やはり非常な苦境に追い込まれると思います。ですから、これは相撲だけの問題ではないのでありまして、そういう大きな一つ社会の動転の中に置かれたスポーツというものの位置なのです。ですから私はそのことを理由に、この茶屋制度がなければならぬということは、非常に相撲を愛される立場としてよくわかります。よくわかりますが、しかしもっとわれわれ大衆に近づけたいという気持から申せば、ここらあたりがちょうど協会とされても、また世論の側としても、双方力を合わせてこの改革のよりよい方向に持っていくべき時期ではなかろうか。そういたしますと、やはり茶屋さじきというものは切っても切り離せぬ関係にある。そこで茶屋さじきがあれば必ず出方からくるところのあの飲食物の提供というようなものも、やはり茶屋と結びついてくるのでありますから、だから先生さじきの一部開放、それから飲食物はやめろとおっしゃる。しかし飲食が現在の茶屋の姿というものと結びついていく限り、今後とも私はなかなかやめられにくいものだと思う。そういう意味合いにおいて、やはりこの際すっぱりとした方がいいのじゃないか。そしてダフ屋の問題もあろうと思います。しかし切符の販売方法は、十分検討すればかなりの成案が得られると思います。こういう方法がいいなどと私どもがおこがましく言うよりも、実際おやりになる人はわかるわけですから、他のいろいろやっておられるプロ・スポーツの例も徴されればいいと思いますが、そういうものを参考にしてよりよいものを築いていく。また茶屋というものが持っている顧客——茶屋はなくしても、その経営していた人を協会として何らかの形で掌握していくと、現在持っている顧客とのつながりができるわけですから、百パーセントそれを捨て切ってしまうわけではない。そうすればかなり茶屋をなくしても、経営上にバランス・シートのとれる、また切符の売れる方法が生まれるというふうに考えるのですが、いま一度先生の御意見をお伺いできれば仕合せだと思います
  120. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 辻原さんにちょっと申し上げておきます。私は茶屋を置いた方がいいとは言っているのではないので、それはやはりなくした方がいいのです。けれども、現状でそういう飛躍したことをやると、かなりの不安、危険を伴うのであろう、そういう心配をするものでありますから、妥協的な案でありますけれども、さっき言ったようなことで一応やっていく、これが適当じゃないか、こう言うのであります。よく芝居茶屋との話が出ますけれども、芝居茶屋の廃止の場合も、かなり芝居の経営者は不安がったのですけれども、やってみると、これはしかし何年かかかりましたが、時期もよかったと思うのですが、あれは数が多いのと、それから大震災後急激に東京の人口がふえて芝居見物をする人口が急にふえたのです。そういうことがあって、消化することが割合に楽であった。そういう事情があります。今日はちょっとそれは事情が違うでありましょうし、あまり急激なことをやって、元も子もなくしてはかわいそうだと思いまして、これは協会としても考えておるだろうと私は思いますけれども、まあまあ一つステップ・バイ・ステップでやっていただいたらどうかと思います。決して私は置いた方がいいと言うのではありません。なるべく早く、こういうことは、ことに飲食物は見物している者から見ましてもはなはだ迷惑で困ったことであります。やめた方がいい。それからこれを半分くらいという妥協をした。あとはさっき申しましたように、協会内部の養老制度とか互助制度、そういったようなものと結びつけてやったら、とにかく一応はいけるのではないか、こう思うのであります。ただ、はなはだおかしいと思うのは、公益法人という建前を残しておきながら、その一番中心的な幹部がこれを経営して、協会協会所属の力士その他の利益と反するようなことをいつまでも続けているなんという行き方は、実際問題として、よくないのじゃないか。こういうことを改めていけば、むろんこそくな改革ではありますけれども、あまり危険を伴わずにやっていけるのじゃないか、そう思うのであります
  121. 辻原弘市

    ○辻原委員 先生の真意がわかりましたが、ただ今度の改革案によると、たとえば先生のおっしゃるような形での改革が非常にむずかしいように私お見受けするのです。というのは、茶屋が何によって存立しているかといえば、従来は前売り切符手数料と、株式会社「すもう」から委託を受けた物品の販売による収益、この二つなんです。その他巷間いわれるような収益金というものは、これは公表されているものではありませんから、それは別にいたしますと、そういうことなんです。今度の改革案によれば、茶屋に渡す前売券の歩合はやめようというのです。そうするとこれは茶屋収入はなくなるのです。そこへ持っていって、われわれも指摘いたしましたし、先生も今指摘されたように、ああいう形で売るものはやめようじゃないかということになる。ところが委託販売ですから、三割は株式会社「すもう」に対して納めなければならぬ、それから協会にも納めなければならぬ。これは高くなるのは当然なんです。おまけにそれもやめてしまおうというと、茶屋は存立とか何とかいうことでなしに、収入はなくなるわけなんですね。だから私は先生のおっしゃる御意見の妥協案をもってしても、根本の問題に触れてくると思うのです。ですからこれは中途半端な改革ではできないということを私はこの席で申し上げておく。相関連するものになるのですから、片っ方を切れば、そこには血が出るのです。ですから相関関係を持っておるものですから、それをやはり根本的に考えて、先生のおっしゃる漸進的な方法をとらなければならぬことは、確かに私どもよくわかります。従ってたとえば二十ある茶屋が、ある場合においては、これをやめようということで、権利が売りに出されるかもわからない。そういう場合においては、その権利を適当に協会が買われるということも一方法であろうし、私は私見として、そういうことはできないかどうか、ちょっと武蔵川さんにもお伺いしてみたのでありますが、そういうような方法論等はわれわれが申すべきことではありませんから、立ち入って申し上げることを、はばかりますけれども、何かそういうような方法論を考究されていけば先生の御意思のように、無理なくして到達される根本的改革の道が開けるのじゃないか、かように私は考えますので、そういう点について、特に阿部先生はかつてかなり新聞紙上にも発表されておりました。幸い本日先生からもその点をお伺いする機会を得ましたので、やはり何といってもこれは公正な世論の上に立って、協会もお進めになる御意思をお持ちになっているようにお見受けいたしておりますので、一つそういう点について、さらに世論の上で、今後のあり方を御指導願いたいというふうに考える次第であります。いろいろ申し上げたいこともありますけれども、他に質問もあるようでありますから、これをもって私の質問を終ることにいたします
  122. 長谷川保

  123. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 午前中、茶屋制度の問題、ないしはさじきの問題、協会の組織の問題について、かなりえぐって質問が各委員から展開されたものですから、午後はむしろ力士の当事者である若瀬川君ないしは批判的な立場にある御手洗先生に、内外——相撲内部と、外から見た相撲の姿というものに対して、こういう機会を利用して、質問してみたいと思います。私、あまり自分意見を申し上げないで、質問だけ申し上げますから、お答えになっていただきたいと思います。  まず若瀬川さんに伺うのですが、五場所、七十五日相撲をとっておられるのですね。それ以外に巡業が、大体平均して、あなたの部屋や出羽ノ海部屋なんかでは違うでしょうけれども、どのくらい出ておりますか。巡業に出ておる日数です。
  124. 服部忠男

    服部参考人 それは各部屋によって違います。まあ勢い大きな組合はよく巡業するのじゃないかと思われます場所から場所の間は大体四十日ないし五十日くらいじゃないかと思います。一月から三月の間はちょっと寒いし、興行の方もよくないので、その間は短かいと思います
  125. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そうすると、どうしても二百日、かりにそれを少し割り引きしても百四、五十日は巡業に出ているということになりますね。私は昔陸上競技をやっておったのですけれども、こんなに長く——巡業というものは八百長だという人があるけれども、八百長にしても相撲の土俵には上るわけですから、多少の緊張感はあると思うんです。ですから七十五日真剣に相撲をとって、あと半分八百長にしても、とにかく二百何日というものを試合に出ておるというスポーツはないので、その面からする疲労感というものはないのですか。もっと休養したいという感じはありませんか。
  126. 服部忠男

    服部参考人 それは皆さんが申されるまでもなく、僕らは緊張で精神的な負担が非常に大きいので、休養期間をもう少しほしいということは言っております
  127. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そうすると、けさ協会の責任者である武蔵川氏も天龍氏も、それから佐波ヶ嶽氏も言っておるのは、やはり本場所を多くして——場所はリミットは六場所だろう、うんと今度ふやしても六場所だ。そのかわり巡業というものをなくなす方向に行った方がいいという意見にだいぶ集約されてきたのですけれども、そういう点で、力士の古参であるあなたの希望としては、将来、五場所が大場所になっても、巡業というものはだんだんやめてもらいたいというお考えはありますか。
  128. 服部忠男

    服部参考人 現在のところ五場所で、まだ六場所のことは僕らも聞いてもいません。しかし五場所にするときも、できるだけ巡業を少くして、本場所一本でやってほしいということは、力士会一同がそういう希望を持っていることをここで申し上げます
  129. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 御手洗さんに伺いたいのです。相撲を愛するファンとして、今どうも五場所でも十二日目以後の横綱同士の相撲は半分が真剣で半分が八百長くさい、というのはつまり七番か八番か、幾らあるか、そのうち半分はほんとうで半分は八百長くさいという評判が今日あるのです。そういうふうに思われるかどうか。またもう一つの点は、五場所でもいいけれども、十二日以後は非常にタイトである、窮屈である、ヘビーであるという感じで、テレビで見ておっても、どうも十日目くらいまでは全部が一生懸命であるが、あとは非常に疲れている。また星の借り貸しをしているのじゃないかというような印象を受ける勝負が多いように見受けるわけです。そういうようなことについて御感想を承わっておきたいと思います
  130. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 どうも困った御質問ですが、十二日というのはどうですか、まあ十三日くらいからがおっしゃるようなくさい相撲がちょいちょい見受けられます。十日以後にたくさんそういうことがあるということは感じたことありませんが、十三日ごろからは、場所によりますね。そのころの星の工合でどうもきょうの相撲はくさいぞというような場合が折々見受けられますが、それを八百長と断定するわけにはもちろん参りません。それだけです。
  131. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 露骨に申して名前は預かりますが、今場所で相当期待をされておった力士と相手方の相撲にはかなり八百長くさいものがあったということは言われておるし、横綱は四人あるのですが、言えば大体わかるが、場所によって星の借り貸しをしておる。こういうことがもっぱら言われておるのです。これは非常に重大な問題であって、そういうことになってくると、私は相撲は人気を失すると思うのです。私は相撲の専門家じゃないけれども、やはりスポーツの勘でややわかる。どうもおかしいなと思うことがしばしばあるのですが、こういうことがあっては大へんです。若瀬川氏に対して伺いたいが、あなたは何でも出場の記録を作られて、ちょうどプロ野球でいう南海の飯田君——今日は国鉄にかわった飯田君であるとか、あるいは川上選手のような、非常なまじめな、節制をされてああいう記録を立てられた優秀な力士であると思って非常に敬意を払っております。しかしそういうことが間々あるんじゃないかということの風評に対しては、今日国会へ出てこられた力士会の代表者としても、相当世間の意のあるところは伝えなければならぬと思うのですが、そういうことに対してどういうふうにお考えですか。
  132. 服部忠男

    服部参考人 僕ら相撲取りが今聞かれたような十三日目以後は八百長だとか、そういうことを聞くだけでも頭の痛くなるような、僕らの一番いやがることであります。それはその人が自分の心の持ちようによって、見るものも自然と変ってくるんじゃないかと思うのであります。この相撲は初めからくさいと思って見られれば、それはあるいは——くさくないと僕は断言しません。その人の気持の持ちようであります。しかし僕ら青年時代を相撲いちずに生きてきたものは、そういうことは聞くにたえないことであります。われわれ力士は天下の関取りでございますと言って大きな顔をして道を歩けるのも、日本古来の国技の相撲で、八百長というものが全然ないと断言できるから大きな顔をして歩けるのであります。しかしどういうのを指されたのか知りませんが、そういうことを言われるということは、現在われわれ力士会の不徳のいたすところでありますから、僕は力士会へ帰った場合は糾明するつもりでおります
  133. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 今の信念を伺って、あなたに対しては非常に敬意を払いますし、そういうふうにだんだん全力士がなるような雰囲気を作って、ますます発展されるように祈るわけであります。きょうは質問でありますので、いろいろ非常に気持の悪くなることも申し上げなければならぬのは非常に残念でありますが、いろいろ問題点を洗ってみたいと思うのです。今関取の収入のことについていろいろお話があったのでありますが、これは私は非常に同情して申し上げているのですけれども、横綱は月割にして十三万円、大関が九万円、三役が六万円、幕内が四万円、協会から支払われる額はこういうことになりますね。そうすると、これだけの収入で実際生計が成り立っているのでしょうか。
  134. 服部忠男

    服部参考人 現在のこれで、最低の生活は僕はできるんじゃないかと思います。僕は家庭を持っておりますが、これで最低の生活をしていけるんじゃないか、ここまで来たんですから……。今は生活できないということは、終戦後今まで生きてきたのが不思議ということになりますから……。
  135. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 なかなか名答ですな。これはどうですか。たとえば横綱は今百五十万円——あなたの生活のことについて深く質問するというよりは、あなたが周囲のものを見られて御答弁いただけばいいんですけれども、たとえば生きていることはだれでも生きているのですが、それが借財をしたり、あるいはそれだけの収入でなくして、むしろ他の収入力士自分の給料でやりきれないものだから御祝儀をはずんでもらう。御祝儀をはずんでもらうためにはいやな宴会へも行かなければならぬ。宴会へ行けば酒を飲まされるし、ひどい、言葉で言えば男芸者みたいな扱いも甘受していると、角界の評論家で書いている人もある。私の言うことではない、そういうような状態もあるわけですから、たとえば横綱千代ノ山は今日一番の人気力士であるけれども、とにかく百四、五十万円ではとうてい足らぬと、毎日新聞の相馬君の書いた原稿でいっている。千代ノ山とは特別親しいと思うから間違いのないところをついておると思う。私の見た或る評論では横綱百四、五十万円の収入では足らぬ。実は三百万円なり四百万円は千代ノ山の生活費には要るのだ。そうすると結局前場所優勝はしたけれども、そのあとで後援会などに顔を出さなければならぬ。それでなければたとえば場所ごとに床山に対して心づけが五千円要るとか、あるいはつき人など若い者に小づかいを含めて十万円とか、そのほか交際費を含めてざっと年間六、七十万円要る。それからチャンコ代とか、あるいは巡業の際の祝儀を横綱が払う場合でも相当なものが要って、どうしても百七十万円は年間には要る。この億か生活費は別に必要である。その差額はひいきの御祝儀によるのだ、こう言われておりますが、それらについて大体そういうことは当っておるかどうか、これは客観的なことですから、忌憚なく答えて下さい。
  136. 服部忠男

    服部参考人 現在の状勢で給料が安くてわれわれは食っていけないと言われましたが、人のことは知りません。現在の相撲ひいきから、収入を得て食っている、一部では男芸者みたいなことをしているということを言われますが、今の場合僕の話をしますと、僕ら古くて後援者というのじゃなしに、ファンというものも数は相当あります。しかしひいきとか祝儀をくれるとかいうファンではありません。昔からのつき合いで、相撲のことをいろいろお話し合いする人は多いです。しかし僕らの場合、ファンから祝儀をもらわずにやっていけるのであります。しかし今言われたように、男芸者みたいなことをする、これはその人の性質でありまして、幾らもらっても、自分が金が余るほどあっても、その人の性質ならそれはやる。しかし金がなくてやるのじゃなくてその人がやるのであって、僕らはその辺のことは言い切れません。
  137. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 私の発言で多少速記録を修正してもらいたいのは、千代ノ山がそうだというのではない。千代ノ山が男芸者だというのではありません。千代ノ山の収入はこれだけで支出はこれだけかかるという端的な例で、私は申し上げているので、そういう意味では非常に力士の生活には不安定な要素があるということは、あなたも言外に認められておると私は思う。ただそれならばそういうことはやらないかわりに、こういうこともありますね。たとえば力士収入だけではやれないので、奥さんに何かほかの業態をやらして生活をしのいでいくというようなことがあるんじゃないでしょうか。たとえば横綱吉葉山にしても、おすし屋さんをやっているようだし、今のお相撲さんには、自分の家内に他の副業をやらしているというようなことが相当あるんじゃないですか。
  138. 服部忠男

    服部参考人 それはあります。しかしわれわれの収入が少くてやっているというのじゃないと思います。みんな少かったらみんながやるのだけれども、それをやらずに一部の者がやっているというのは、老後の生活の安定というようなことじゃないかと思います。といって、僕は決して今協会からもらっているもので満足しているというわけじゃございません。
  139. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 だいぶきょうは用心して話しておられますが、正直に言った方がいいのです。そしてだんだんに相撲の生活を給料によって安定していくというふうに振り向ける方が私はいいと思うから申し上げたので、これ以上詳しいことについて質問することは困難だと思いますから、その問題はこの辺でやめます。  この機会に技術的なことを少し聞いてみましょうか。それは、僕はことに相撲のファンとして不愉快なのは、時間制限後に待ったを二回も三回もやる。ことに横綱で待ったをやる。あれは今までの規定に反しておるのじゃないか。このことについては御手洗さんからも御意見を承わりたい。
  140. 服部忠男

    服部参考人 これは申されるまでもなく、僕らでも非常にいやなことです。しかし気合いが合わずに——まあ故意にやる人も中にはあるでしょう。しかし自分は時間だから立とうと思っても、故意に気を抜かれて手をおろさなかった場合は、一人で立つことはできません。そして今度自分が相手の動作を見ながら仕切りに入ろうとした場合に、相手が先に手をおろしてしまう。これはもう飛んで火に入る夏の虫で、全然相撲にはなりませんから、どうしても三度目くらいになってしまうのであります。それは皆様に言われるまでもなく、僕らでも力士会では再三言っておるところであります
  141. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 どうも相撲の技術のことはちょっと困りますが、見ておってよくないですね。時間一ぱい後に何度もやり直すのはよくないと思うのです。それからあなたが今お話にならなかったけれども、それと同じようなことは、手をおろさない仕切りですね。どうもほとんどの力士諸君がそういうことをやっておる。あんなことをやっておると、だんだん相撲がきらわれるようになるだろう。そういったようなことは力士会も気をつけておるのでしょうが、協会改革すべき大事なことだと思います
  142. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 次の問題は改革案が出ておりまして一これは相撲協会もよく考えたことであって、私賛成しておるのですが、相撲に診療所を作るということになったからいいようなものですけれども、今までは力士はけがをしたり病気をしたりする場合に、病院に行きますね、それはみんな自分持ちですか、それとも親方が持っているのでしょうか。
  143. 服部忠男

    服部参考人 十両以上の資格者は、医療費は自分持ちです。幕下までは師匠が持っております
  144. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 これは非常に重大な点であったわけですが、今度の改革案にはこの点を非常に明示してきましたので、世評で今度の改革案のうちの改正案と見られるものはその点だけだという批評さえある。この点は改革案がまともに実施されれば非常にいいことになりますので、それらはもうあえてお尋ねをいたさないわけであります。  それから御手洗さんに伺いますが、本質的な問題に入る前に二つぜひ伺っておきたいことは、私はけさ相撲協会の幹部にも質問したのですが、審判制度というものを独立したらどうか。各部屋に行司がいるのですね。これは私も知らなかったのです。今度調べてみてわかった。私がいかに通でないかということはそれでわかるのですが、もっとも考えてみると、前には一度行司を部屋からはずしたことがあるそうです。いつの間にかまた復活しておるということかわかりましたが、当然審判制度というものは独立すべきじゃないか。それから審判判定の方法も肉眼の方が正しいなどというばかな話はないのであって、判定が人間で困難な場合には何らか早いスピード映写でとったものをすぐ材料にして判定をするというやり方も、今日はNHKあたりのテレビではできておるわけですから、そういうようなものを参考にしたらどうか。  もう一つ第三者の立場から御批判をこの際下していただいたならば、相撲協会に対しても非常にいい材料だろうと思うのですが、番付の作成において大きな部屋が非常に利点を持って、小部屋が非常に圧迫をされる傾向がありはしないかというような点ですが、これらについて総合的な御意見を伺っておきたいと思います
  145. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 だんだん専門的な御質問になって迷惑をいたしますが、知っているだけをお答えいたします。  第一の点は、行司はもう当然協会直属にして独立させなければいかぬと思います。これは私は報知というスポーツ新聞に数回書いたことがあるくらいで、あんな今の状態ですと今の木村庄之助さんは出羽ノ海さんの弟子だし、先代の庄之助は時津風の弟子というような、弟子でも何でもないんですけれども、そういう関係になっている。そんなことではなかなか公正な審判はむずかしいと思いますから、おっしゃる通り、これは協会直属にして独立さすべきものだと思います。  第二に、しばしば起る問題で、今度の番付にもそういうことがあるように見受けます。たとえば、名前はよしますけれども、ある昇進力士の最近の平均点数は大割に達するか達しない勝率でありながら昇進した、ある力士は大割九分何厘という、七割に二、三厘足りない勝率を過去四場所を通じて持つておるのにこれを昇進させない、こういったことが今度発表されるであろう番付に現にあるのです。これはいつのときでもあるのです。いつのときでもあるというのは言い過ぎですけれども、往々にして見受けられる、こういうことを角界としては改めないとやっぱり大衆にきらわれるようになると思います。これはお話の通りだと思います
  146. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 そこで先ほど辻原君と御手洗先生との問答において明らかにされましたが、御手洗先生も将来は茶屋制度というものは、やはりできるならば廃止をした方がいい、その廃止を全面的にするまでにはいろいろな前提の要件がある、それから徐々に前進をした方がいいという御意見でありますとすれば、私も大体同じような意見であるのです。しかしながら今日午前中の質疑応答を通じて明らかにされたのは、相撲協会の当事者といえども、茶屋制度に今日の相撲の大きな弊害があるということを認識をしておる。従って五月場所茶屋制度を廃止するというならば、自分はできないということを断言するけれども、ある期間を置いてそうして徐々にこれをはずしていくということにおいては異議がないということまで、本人も言明をしておるし、また同時にこの委員会に出ていただきました天龍、佐渡ヶ嶽両氏も茶屋制度の廃止という点について強い意思表示をせられたわけであります。私もなるべく早い機会にそういう方向へ進むべきであろうと思うけれども、しかし問題は不景気になったときの危険というものに対する保証をだれかするかということについては、これは相当に今日から考えておかなければならぬことであろうと思うのです。  そこで午前中、同僚の柳田君がこういう意見を吐きました。すなわち今日の相撲協会というものをむしろ株式会社にして、そうしてもうけるだけもうけたらいいじゃないか、しかしそのもうけ方は、合理主義であって、他に迷惑を及ぼす、また力士の待遇に対していささかでも不安を感ぜしめるものであってはいかぬという意味で徹底せる論議をされたのですが、そうすると、これは公益法人たるの性格を全然一擲をしておることになって、全国にまたがる相撲道の普及ということは——まさか小さな国技館の中で行うものを、全国にいかに中継しても、それは相撲道の正しい普及がこれではかれるということにはならないと私は思う。そういう意味では、やはり日本の相撲というものは、現在の柔道講道館というものの性格を一方において持ち、一方において商業ベースに乗った、営利本位ではないが、実際に営業が成り立ち得るような性格を持つ株式会社の二つの性格、すなわちこの点では講道館の性格とプロ野球の性格と両面を持っておるというところに非常な困難性かあると思う。  これは私の議論ですか、現在の方途としては株式会社だけにしぼることは困難じゃないか、公益法人性格を持ちつつ一方において現在の弊害というものを排除していく、そうして商業ベースにも乗る、この両面をうまく調整するか、それともこの性格を二つに分け——これは岩原さんにまず質問をしているのですが、たとえばイタリアのプロ・サッカーみたいに、とにかく大へんな大衆を一挙にして集める、そうして純益の三分の一だと思ったのでありますが、これは同じアマチュア・サッカーに献上する、そして他の三分の一は、オリンピックその他のアマチュア競技に献上する。ところがイタリアではアマチュア・スポーツが最近では成り立つ。アマチュア・サッカーが成り立つ。アマチュア・サッカーはもうけておるし、プロ・サッカーはさらにもうけておるというのが実情でありますので、大体においてオリンピック競技に遠征するスポーツのみに対する補助にしぼられてきたようでありますが、そういうことが考えられるかどうか。たとえば株式会社相撲協会というものが一つあって、それは商業ベースにのっとったものをやっておる。それがもうけた金を、今度は公益法人である大日本相撲協会というものに寄付をして、そうしてこれは今日の理事者のようにもうけ主義だけの人に経営させることはできませんから、これは違う、純粋な——これはたとえ話ですが、天龍さんなら天龍さんにやってもらうというような二分論というものの可能性もあるのじゃないか。その二分論というものの可能性がないとすれば、やはり公益法人としての性格を持ちつつ、その胎内において商業ベースにのっとった政策もやらなければならぬ、こう考える。保健体育審議会の委員として今日はどういう意見を持っておられるか。これは一つ明確に意見を申し述べていただきたいと思います
  147. 岩原拓

    岩原参考人 ただいまの御質問でありますが、実は保健体育審議会にプロ・スポーツとアマ・スポーツを研究する委員会がごく最近にできましたので、まだ私のごときは想を練っておるひまがない、そういうような意味で、今この席で明確に申し上げることはできないわけです。ただ常識から申しますと、一つ団体ができて二通りの目的といいますか、性格をあわせ持つようにするということは、現在の場合はむずかしいのではなかろうか、不可能だとは申しませんが、なかなかむずかしいことじゃなかろうかというような気がいたしますが、これは一つ将来の研究に回していただきたいと思うわけでございます
  148. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 私はこの問題について意見を示唆したことだけで、おいておきます。もっとお尋ねしたいけれども、委員の一人である以上は、そう全体の責任を持っての御発言もできないかと思います。  そこでもう一つ御手洗先生に伺っておきたいのは、私はあらゆるスポーツは、やはり後援会組織というものがなければできないと思う。先ほど言われましたように、一つの解決の方向としてこういうものはどうであろうか、たとえば組合みたいなものを作って、そして今日茶屋を持っておるものもその中に包含して、そうして今日まで持っておった生活権をあまり脅かさないで改革を行う。すなわち今までもうけていた、さじきの全体のますの八分くらいを今日、茶屋が持っておるというようなことは全然改めさせて、一つの案としては協会の経営というものが成り立たない、非常に脅威にさらされる場合を顧慮して、全体の観覧席の二分の一なら二分の一、三分の一なら三分の一はその後援会組織が持つ。そして最小限のリスクだけは、いかなる悪天候の日においても保ち得る。人気が多少出れば満員になるというような仕方にしていくことが望ましいのじゃないかと思う。実は相撲協会は今日非常に隆盛です。野球も隆盛だ。ところが私どもが一番力を入れておる陸上競技は、わが国においては非常に微々たる力しかない。今度は国立競技場ができてオリンピックが将来くるようになれば、これは何といっても中心のスポーツですから、やがては隆盛になる日もあると考えて、私はその方に力を入れておるのですけれども、陸上競技の不人気の解決策としては、やはり陸上競技のその当日の競技場の借り賃ないしは選手を集めるに必要な車馬賃というようなものだけは、ぜひ最小限でも後援会組織で受け持ち、そして入場料は陸上競技連盟の運営に充てるということも今日考えて、東京陸上競技協会あたりは、そういうやり方をやっておるのです。従って茶屋を廃止するといっても、われわれの言うのは、茶屋飲食物を提供してさじきを独占しておるこの姿、このシステムを打ち破れということであって、茶屋そのものの生活権を奪うというのではないのです。われわれの考え方もそうだと思うのですが、とにかくこういうようなときに、さじきを少くとも三分の一ないしは二分の一に茶屋の持つ権利を圧縮していくことが一つの解決策ではなかろうか。それから飲食物の提供をやめるというふうに、だんだん問題がしぼられてくると思うのですが、それらの問題に対する御意見を承わりたい。
  149. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 川崎さんは相撲がいつまでも隆盛だというふうな前提を持っておられるようですが、それが危険だと思うのでありまして、私が茶屋制度改革に大へん卑怯な議論をいたしますのも、それを心配するからなのでございます。今のお話の改革なんですが、後援会組織で茶屋をやれということはなかなかむずかしいのではないか。むしろ実際的の方向としては、お話の半分くらいを開放するということは、私もさっき申した通り全く同意見であります。そして残した茶屋も今のような一部の人がこれでうまいことをやるのではなくて、力士あるいは年寄とか、相撲協会に功労のあった人とかいう関係・者以外の人はやめた方がいい。そこで私の言う組合というのは、力士とか行司とかいうような人々の老後にそれを備えるような組合を作ったらどうか。そしてそういう者に扱わせる。それによって協会もまあまあある程度の保険つなぎになる。こういうことになるならばどうかと私は申したのでございますが、あなたの御意見のように、大衆の組合、後援会の組合のようなものを作ってやれといっても、ちょっとむずかしいじゃないですかね。そういうことは部屋別に後援会が違いますし、いろいろ人も違いますから、利害、感情、伝統も違うのでむずかしいのではないかと思います
  150. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 私の名称のつけ方が間違っていたのでありますが、後援会であっても、あるいは力士のやめられた方で養老の制度意味で、それが権利を持つというやり方でもいいわけです。ここでちょっと思いついたのですが、今日体育協会の運営は非常に困難で、国家から一千万円の補助費が出るばかりでなしに、オリンピック後援会というものが組織せられて、これにはもちろん体育協会の先輩の諸君が入っているわけであります。しかしこれはプロとアマですから組織の方法が違いますが、そういう意味で申したので、大体同じようなことではないかと思うのです。その場合の最小限度の安全弁としての組合組織といいますか、あるいは後援会組織ないしは今日の茶屋の転化したというものが持つ安全弁としてのものを、どの程度に考えておられるか。たとえば半分とか三分の一とかいうような程度の問題は、どういうふうに考えておられるかということを伺いたかったわけです。
  151. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 大体あなたと同じでありまして、半分くらいを茶屋制度で古いお得意さんに買ってもらうというような組織を残せばやっていけるのじゃないか。半分くらいを大衆に開放するということは、今の状態から見れば相当な飛躍でありますから、このくらいならさしあたりできることじゃないか。協会の人の中には私よりももっと進んだ意見を持っておる人があるということを聞くのでありますが、行えればそれでけっこうでありますが、私どもわきから見て心配いたします
  152. 川崎秀二

    川崎(秀)委員 もう一つ最後に伺っておきたいと思いますのは、これは午前中にも話が出たのでありますが、相撲さじきというものをやめたらどうか、つまり茶屋制度と関連して、すわって観覧するという方式は今日は時代おくれではないか。これは観客の健康状態にも大きな影響を持ってくる。あの狭いところに、私などのような巨体で太っているものは非常に窮屈で見に行っても起居動作に窮屈な思いをして長時間見なければならぬということになります。外人もそうだと思います。環境衛生の部面から見ても飲食物の提供をやめると同時に、ます席というものをやめて、そうしていす席にするか、いす席を少くしてスタジアムのように、ずっと中段から上の方は野球のスタンドみたいにすれば人がうんと入れます。そういうようなやり方をして収容能力を増してやったらどうかというような考え方を持っておるのであります。それについての御意見一つ承わりたいと思います
  153. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 これは大賛成であります。いす席を作り、うしろの方をスタンド式にすれば収容力のふえることは間違いないと思います。同時にそれをやられると今の飲食物の問題も大体片づけられるので、一拳両得というより一挙三得くらいになるのじゃないかと思うので、非常によい案だと思っております
  154. 柳田秀一

    柳田委員 私はもう同僚諸君が尋ねましたので尋ねることがありません。ただ午前中に協会の責任者並びに天龍さん、佐渡ヶ嶽さんにも尋ねたのでありますが、そもそも国会財団法人日本相撲協会の今日の隆盛をきわめておる大相撲の問題が予算委員会で問題になったということは、私は予算委員会理事なんですが、しかもわが党の辻原君が質問したので、私も相談を受け理事としてそういう質問をせしめた関係者なんですが、問題のあるのは、やはりこれが一つ財団法人であり、しかも文部省の監督、許認可事項になっておるというところから問題が発足してきておるのです。私は今日の相撲協会財団法人の形を続けるならば——文部省も民間会社に不当に干渉することはいけませんが、といって設立後三十年になるのに、三十年間ほとんど何等それに対して監督らしい監督もしないで放任しておった。しかもそれが財団法人たるに値しないような二十年であったのに、それを放置しておったということは文部省の責任であると同時に、協会は、国技であるということ、あるいは不況であったというようなことに甘えて、その寄付行為の目的に反するようなことを平気でやっておった。はなはだしきは相撲専修学校の問題でも、それをさらに逆行せしめておるというような態度である。これは両方から、文部省が正当な監督をするとともに、協会もそれにこたえて自粛しなければならぬが、しかしこれにもおのずから限度があるだろう。多くの力士をかかえ、さらにそれを養成し、それを食わしていき、そして老後の保障まで与える、それには限度があると思う。結局やはり観客から寄付を受けた形にして、それが入場料というような形では限度があろう。いっそのこと、すっぱりとあっさり株式会社にして興行したらどうか。現在のプロ野球のようにやったらどうか。その方がわざわざ国会に呼ばれて半つるし上げを食らうような、参考人として呼ばれるよりあっさりしていいんじゃないか。それで御意見を聞いたのです。佐渡ヶ嶽君はむしろそういうふうにされた方がいいじゃないかというふうに私は伺いました。天龍さんは、天龍さん一流の、すべてに自分が体験されているので、革新的な意見のように思いますが、さすがに御自身の相撲に対する郷愁からか、やはり財団法人の方がよいというか、財団法人の形で行けるならばこれを残しておきたい。しかし改革せんならぬことは改革せんならぬけれども、財団法人で行けるものならば残しておきたい。それから武蔵川さんは、一つ財団法人で行きたい、こういうような説と承わりました。先ほど御手洗先生のお話を伺っておると、今公益法人として幾ら税法でまけてもらっても大したことはない、こんなことなら今まで通り行け、こういう御意見と承わったのであります。そこで私考えますのに、やはり問題は税法上確かに違います。三〇%あるいは片方は三五%、ところが今度は所得税の評価額そのものが違ってくると思います。また固定資産税そのものも違ってくる。結果に現われておるものは三〇%、三五%だけじゃなしにいろいろなものが違ってくると思います。違ってくるとは思いますが、これは御手洗先生に聞きたいのは、相撲という興行なんです。特に五場所にしろ、四場所にしろ、あるいは将来大場所にしろ、やはりこれは本場所興行なんですが、本場所興行というものが、財団法人、公益法上というソクをかぶせながらそこに矛盾なしに将来やっていけると思われるか、これは相撲協会の立場を離れて総括論として矛盾なしにこの姿で伸びていけると思われるかどうか、この点一つ御見解を示していただきたいと思います
  155. 御手洗辰雄

    ○御手洗参考人 お話のように、相撲のような興行を主とする団体公益法人としてずっと続けていくということは、私は無理だろうと思います。しかし協会が非常に希望し、また文部省からの条件を誠実に実行するならば、これはやっても差しつかえないのではないか。たださっき冒頭に申し述べたように、財団法人というようなことでありながら、大した保護は実際は受けていないのです。現状はごらんの通りです。今あなたのお話の通りに、若干あれはありますけれども、大したことはありません。たとえて申しますと、協会財団法人というフロックコートとシルクハットをかぶせられて行儀よくしておれと言われながら、懐中には一銭も入れてもらえない。一銭もというのはちょっとあれですが、一万円入れてもらうところを千円か二千円しか入れてもらえない、こういうような状態だと思います。シルクハットにフロックコートを着せてやるならば、それにふさわしく、ふところにも一万円くらいは入れてやるとかいうようなつり合った保護を与えるというのでなければ無理じゃないか、こういうことを思います。そこで協会自身としてはずいぶん行動が不便だろうと思うのです。たくさんの者を抱えて、実際水物の興行をやって養っておるのですから、これを今のような窮屈なワクをかぶせられておって実行せえということは無理があるんじゃないか。そこでもし皆様この相撲を国技だというふうにお考えになるならば、そして大きな男が寄ってはおるのですけれども、興行的にはすこぶる弱体でございます。ですからほんとうはこういうものは滅さない方がいいという御判定であるならば、何かの方法で国が一つ援助してやる、いつも援助してやる必要はないと思いますが、危険な場合にこれを救ってやる。自力で行けるというようなことにする。それにはやはりもう財団法人というようなかみしもとフロックコートを脱がして、株式会社というような率直な形に持っていって自由にやらせる。ただし自由にやっておっても、ときによれば国が援助、保護をしてやるというようなことにしておいて、無軌道なことをやらせないだけのひもはつけておく、その程度に行かないと、今のようなことで行きますと、おそらく、協会は今度は改革をすると言いましても、改革などというものは拝見しませんが、どうせ大したことじゃない。あなた方がお考えになるような財団法人としての本筋の改革などということは、言うて行われないだろうと思うのです。ただ強い力士を養って、それを全国の巡業に連れて歩いて、そうしてそのときそのときに相撲指導をやる、そういうようなことで辛うじて何かお茶を潤しておる程度じゃないかと思うのであります。ところが、こんなことを言うのはおかしいのですけれども、相撲改革などをそう急にやろうと言ったって急速にできるものじゃないので、ここに関取がおりますが、ごらんの通りちょんまげを乗っけておる。このちょんまげが相撲のシンボルですよ。これと同じで、協会の運営もやはりそういうようなところがあるので、あまり急にやりますと、まげを切りますと大騒動が起る。ここにおられる天龍さんは、かつて大改革をやられてまげを切って相撲を取られた。まげを切ったことが失敗のもととは思いませんけれども、そういう急激な改革精神で実際にやる、そこに蹉跌の原因があった、まげだけではありませんが。ですからこういうことを申しますと変ですけれども、まあ相撲という社会は、まげで象徴されるようた古い型のものなのですから、あなた方の改むべし、それから財団法人というような規定にそむいてやっていないかという御指摘はもっともだと思いますが、徐々に改めさせるように、根本的にはこれはやめた方がいいじゃないか、協会はあまり好まぬようですけれども、私どもはそう思います。そうして自由にしてやった方がいんじゃないか、こう思うのです。
  156. 柳田秀一

    柳田委員 私も大体そういう意見なのですが、大体こういうことを言いますのは、みな今日はこうやっておりますが、国会も予算も通って少しひまになっておるのですが、比較的こうして相撲の好きな一着ばかりがやっておるのであります。実際にプロレスリングを財団法人に認可した場合に、理論的にはこれは拒否する手はないと思うのです。今の相撲をこのままにしておけば、お前プロレスリングは舶来ものだからいけない、相撲の方はちょんまげを乗っけているからよろしい、それじゃ理論が通らない。理論的には困るのです。そういう場合が起ってくる。これはそこにおられる体育課長、あなたが一番先に困るのですよ。そういう場合に、やはりこれは実際に相撲を愛好する者がそういうことは真剣に考えるわけなんです。そこで今協会の方でやはり財団法人のままやりたいと言うのは、税率は三五%、三〇%と言っても、やはりここはだいぶ違うと思う。固定資産税の評価だけでも違ってくると思う。たとえば、両国の今残っておる国際スタジアム、あるいは蔵前の、これは完成になりましたか未完成か知りませんが、この評価額がみな違ってくる。これは公益法人でやるとあたたかい見方が出てくると思います。それからまた収入の見方が相当違ってくると思いますが、一つには、戦後スポーツ、スポーツと言うと、われわれは相撲だけじゃない、川崎さんも言われるように、確かに古来の国技であった相撲。講道館と後楽園をチャンポンにしたようなものだ。そういう普通のスポーツじゃございませんことはわれわれ率直に認める。われわれは賜杯をいただいておる、こういうようないわば一つの誇り、普通のサッカーや野球や、そんなバタくさいものとは違うというような気持は多分に残っておると思う。しかし時代はだんだん進んできて、相撲を愛好する大衆は、片方においてはプロ野球を愛好し、片方においてはプロレスを愛好し、片方においては相撲を愛好するというように、広くスポーツを愛好しておる。ただ相撲だから、国技だから愛好するというような——御手洗先生はさような残党の一人か知りませんけれども、新しい多くの高等学校の学生、小学校のわあっと喚声をあげるような連中は、そんな感覚は持っておらぬと思います。そういうように相撲を愛する大衆の見方はずいぶん変ってきておる。スポーツもプロとアマチュアの区別がはっきりしておる。こういうことになると、よい加減に国技々々ということじゃなしに、国技はいつまでたっても国技ですから、そういう国技を売り物にしなくても、相撲はやはり国技として十分残るでしょう。それから景気の波、浮動はありますが、これだけマスコミュニケーションでテレビというものはどんどん北海道にもできる、あるいはチャンネルがたくさんできる、あるいはマイクロウエーブになりまして、どこでもテレビになってくるとますます盛んになってくる。決してそう下火になってこないということになってくると、私はむしろあっさり株式会社にしてしまって、そうして公共と興行とそれから国技の相撲道を維持育成することは切り離してもいいのではないかというふうに考えるわけです。また問題の相撲茶屋の、先ほど御手洗先生がおっしゃいましたような問題点はあると思うのです。天龍さんは相撲茶屋を廃止せよという論者ですが、きょう午前中の話を聞いてみますと、非常にはっきりしていると思うのです。相撲茶屋を廃止せよという天龍さんの意見を聞いても、もっともだと思うのです。現在協会相撲茶屋に売上金の一〇%をリベートとして渡している。天龍さんは今度の改革案でははずしたのですが、一〇%やれというようなその理論は実に徹底している。相撲茶屋を廃止するのはいいけれども相撲切符というものを当日売りにしたらみんなの手に入らない。雨が降ったらなおさら当日は入らない。前売りにすればダフ屋に占められる。これは佐渡ヶ嶽さんも同じ意見だったが、やはりこういうような相撲茶屋を通じて切符をお客さんに買ってもらう、そういうある程度の安全弁を作ってもらう、それに対して当然リベートとして切符手数料を払う。ちょうど今日国鉄の切符を交通公社が売りさばいていますが、それに対してリベートがふる。こういう形にすればいい、実にはっきりしていると思います。問題はそういうような切符の売りさばき、あるいは入場に対してある程度安全弁を持たせる、同時に茶屋が、先ほど申されるように飲食物、小物を提供するということとはおのずから別になってくる。そういうふうになると茶屋制度を残す。そしてその茶屋制度を、御手先生のおっしゃったように現在の明朗会なら明朗会というものが御経営なさってもよろしい。そして力士の諸君がそこに共済制度を打ち立てるのもけっこうだ、そういう意味茶屋なら残されてもいい。そういうものの経営と、それから株式会社でやるところの相撲興行とは別個にしていったらどうかというふうに私は考えるのです。大体御手洗先生のお話は午前中私が尋ねた意見とあまり違っておりませんし、時間がありませんので、先生は将来は相撲協会内部改革されるときにいろいろ御相談相手になられる人でありましょうし、先生の発言力は相撲協会に対してウエートがあると思うので、この機会に私の意見だけお聞き取り願って、お答えは別にいただきたいとは思いません。ありがとうございました。
  157. 長谷川保

    長谷川委員長 他に御質疑はありませんか——なければ、参考人服部忠男君、御手洗辰雄君及び岩原拓君の意見の開陳並びにこれに対する質疑は終りました。  参考人各位には御多用中長時間にわたり、それぞれの立場から貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。  これをもちまして公益法人としての相撲協会あり方に関する件についての参考人よりの意見聴取を終ることといたします。  明日は午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十四分散会