○米田
委員 私の知っておる範囲では、外国に
教職員の
組合があるというところもそうたくさんは知っておらぬのですが、
日本の日教組のような性格で
教職員の
組合があるということを寡聞にして聞かないのです。日教組の性格はくどく申し上げるまでもなく、一方的の
考え方であって、しかもそういうような一方的に偏向した
考え方の指導的立場のグループがあって、これからいろいろの指令が出る。これはかなり行き過ぎた指令が出るのですが、内部から批判して反省するというようなことも、
全国の教員全体の中に有効に展開されない。結局少数の、一握りの丹頂ヅルの指令に盲従しておるという姿が、大観した
日本の
教育界の姿です。個々の先生についてはりっぱな、穏健な、識見も豊富な人がありますが、一たび団体行動として現われる場合は、五十万と号するだけの者が動員せられたというのです。このことは私は
教育界の由々しき問題だと思います。こういうようなことを
考えてみまして、私は
学校の先生には
学校の先生らしい倫理を一般国民以上に要求すべきものだと思うのです。一体、人間には職域倫理というものがあると思うのです。裁判官に対しては一般の国民よりも、裁判官なるがゆえに特に公平でなければならぬという職域倫理があると思う。かりに軍人にたとえてみれば、軍人は特に勇気がなくてはいかぬ。先生についても特に着実な倫理を持っており、誠実に事をやらなければならぬという職域倫理というものが倍加されておるものだと思うのです。そういうところから見ると、この日教組幹部のやり方というもの、指令というものは乱暴きわまる、非常識なものだと思う。堂々とすわり込みをやる、これは暴力です。
文部大臣の部屋や廊下へすわり込んで、何百人という者が——一人、二人の気違いがやったのなら別ですが、何百人という、しかも先生の代表として選ばれた人がそういうようなことをやって、警察官の世話になって出される、こういうようなことは私は暴力だと思う。そうして階級的エコイズムだと思う。こんな暴挙を堂々と先生がやりますから、生徒がこれを見習うわけです。だから戦後の
子供の状態を見ると、暴力を肯定するような不祥事件が非常に累積しておるのです。こういうような無秩序な状態に先生の団体を置くべきではないと私は思う。これが法に触れるとか触れぬとかいう問題以上に、私は先生という特別な職域倫理の立場からこういうことを容認できないわけなんです。この点について
考えますときに、今日の
文教行政の一番大きな問題は、日教組をまじめに、本心に、正しい立場に立ち返らすことが、私は
文部大臣の最大の仕事だと思う。こういう点はどうも憲法でいろいろの自由が保障されているんだから仕方がない、こういった単に
法律だけにとどまらないで、文教
関係の特別な職域倫理の立場から、私は適切な、効果のある
方法を一つ
考えられなければならぬと思っております。こういうように日教組は性格が非常に激しく、御承知のように何でも闘争を
目的として執拗にやるわけです。賃金にしても人事異動にしても、少しでもかみつくかどがあれば峻烈に闘争を展開していく。なまやさしいことで平和裡に事をやるというような
考えは初めからない。結局最後は法廷闘争にまで持ち込んでいごうという
方針を明確にしておる今日の日教組なんです。そしてこの
方針を実行するための莫大な資金を裏づけとして持っておるわけなんです。これに対して今の
教育委員会は五人の
教育委員、貧弱な
予算である。私はよほど
教育委員会というものは勇気もありまた識見豊富な卓越した
教育委員でなければ、この日教組を相手にはできない。従って
教育委員会の指導というものはなまやさしいものではないと思います。すぐ法廷闘争に持っていく、何かあればすぐに言いがかりをつけるというようなことでありますから、
教育委員会が中正厳正に有力な指導を行うためには、よほどこれは
考えを根本において改めなければならないのではないか。こういう点について、
大臣としては
教育委員会が厳正な処置のとれるような方策を何かお
考えになっておるかどうか、この点一つ承わりたい。