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島居政府委員 それではお答えいたします。
宗谷の
南極における行動につきまして、
皆様方からいろいろ御
心配いただいておることにつきまして、私の方といたしまして深く感謝しておるのであります。私の方といたしましても、幸いなことに今までなかなか困難であった
南極方面との
通信状況も、一応非常にはっきりと聞えるように成功いたしまして、毎日
連絡しておるのでありますが、時折
デリンジャー現象とかオーロラ、その他の支障がございまして、不通になるのは遺憾でありますが、それ以外のときにおいては、できるだけの
連絡をとっておるわけであります。
そこで、二月十五日の
現地時間の十二時半に、オングル島の基地を出発いたしまして、その後すぐは順調に運んだのでありますが、約三十四マイルを航行いたしましたところ、
直径五十一メートル、厚さ四メートル以上の
氷塊の充満しておるところに遭遇いたしまして、一時中止したわけであります。そのときの時間が夜の
現地時間の九時ごろであります。それからというものは、
宗谷の
砕氷能力及び
爆破状況より考えて、いろいろの
方法を試みまして、非常に困難な
状況のもとに
前進を試みたのでありますが、十八日はまた厚さ四メートル
程度の、
直径十メートルから五十メートルの
フローが密集いたしまして、その間にブラッシュ・アイスと申しまして、氷の粉になったのが層をなして盛り上ってきて、ことに変りやすい
天候の
変化によって
氷状が好転しなければならないようになったのであります。十九日になりまして、
宗谷から、現状では
脱出の
可能性がないとの
連絡を受けましたので、われわれの方といたしましては、万一を考慮しまして、
付近の航行の
砕氷船とは
連絡をとれ、万一の場合に備えておけというふうなことを、こちらから指示したのであります。そうして十九日の夜から、幸いに
西南西の微風によりまして
氷盤に多少ゆるみを生じ始めましたので、
現地時間の二十二時五十分
砕氷前進を開始しましたが、二十日の午前六時まで約七時間の間に、やっと一・五海里
前進しました。その後は
氷状の好転の兆が見えましたので、一挙に
脱出を試みたのでありますが、十二時ごろより再び悪化して参ったのであります。そういたしまして、
現地時間の十八時に
前進を中止するのやむなきに至ったのでありますが、なお二十一日は
氷盤にまた若干のゆるみができましたので、午前九時
前進を開始しましたが、十八時までの九時間の間にようやく一・一海里を
前進して、その後もヒーリング・タンクとかトリミング・タンクとか、あるいは
爆破作業または熱い湯を流す
温海水等のあらゆる手段を講じましたが、二十二時間の間にわずかに六百メートルを
前進したのみで、二十二日の十六時、ついに
前進不能となったのであります。二十三日は終日あまりよくない
東寄りの風が十三メートルから十五メートル強く吹き
——よくないと申しますのは、南風が吹いてきますと、いわゆる外洋の方に吹き出すので、クラックができるわけでありますが、東の風が吹きますと、西の方に張っておる
首先の方に当りますので、
リッツォホルム湾にある
氷塊が移動ができませんので、ますますその
通路をふさがれてきたようなわけであります。そこで、ことに船尾の附近に、
フローと申します氷の厚い
板——板というと薄いように聞えるのでありますが、非常に厚い氷の板が押し寄せてきまして、かじとか
推進器というものが危険に瀕する
状態に立ち至りました。それで
爆破作業を実施しますとか、
保船、
つまり船を守ることに全員努力してきたわけであります。そこで今度は二十四日になりまして、
松本船長から、
推進器の
付近に
フローが接着して航進及び旋回が不可能の
状態なので、本船の進路の方を砕氷してくれということを
オビ号及び
グレイシャー号に
依頼したい旨の
連絡があったのであります。また
隊員の
海鷹丸への
移乗、または
脱出不可能な場合の
乗組員の
越冬決意等を
連絡してきました。私の方としましては
隊員の
移乗ということにつきましては、従来
外国においても非常に危険なこともありましたので、またこれは
御存じと思いますが、ことに
南極においてはコンパスも磁気の
関係で使えませんので、大体目の見える
範囲においてヘリコプターで運ぶのが安全である。ことに
天候のいいときが安全であるが、その他の場合においては、なかなか困難である。ことに
海鷹丸の甲板というものはあまり広くありません。しけのあるときはしょっちゅう動揺いたしますので、非常に困難であるから十分注意してやるように、こちらから指示しておるわけであります。人命の安全についてはことに慎重を期してくれということもいってやっております。また私の方としましては、一方
外務省の方とも
連絡打ち合せをやりますと同時に、ソ連の
大使館あてに昨日正式に申し入れをいたしました。また前には
オビ号と
宗谷とは
現場では割合近いので、一日に一回
連絡をとっておったようなわけであります。
グレイーシャー号とは、
御存じのように
南極においては、南北の
通信は割合楽にできるのでありますが、東西における電波というものはなかなかとれない。それで
宗谷から東京の
海上保安庁の本庁を通して
大使館と
連絡してくれ、こういうような
情報もあり、また
グレイシャー号からも
大使館に
連絡がありまして、
南極からいえば、あるいは
通路からいえば大回りでありますが、しかしその方が何といっても確実でございますので、
宗谷から
海上保安庁、アメリカ
大使館、それからまた海軍を通して
現場の方へというような、そういう二
方面からの
連絡をとりまして、
グレイシャー号も向うを出るというふうになってきたわけであります。そうして一時
宗谷から
オビ号の方にずっと一日一回は
連絡しておりましたが、いよいよ
脱出がむずかしくなりましたので
連絡しますと、
ディーゼル油の
関係から少し考えさしてくれ、後刻返事をするというようなことがありまして、昨晩いよいよ了承した。それで
日本時間にいたしますと本日の午後八時でありますが、
現場に到着するという
電報が入ったわけであります。
大体以上要点だけを御
説明いたしました。