○田中(久)
委員 先ほど来、
紀元節問題について大へん御熱心な討議が行われました。これは
質問ではありませんが、新聞、ラジオなどに今の
質問がそのまま報道せられることは、非常に大きな誤解を生むと思いますので、実は私は
提案者の一人になるために準備会に出席しておりますので、社会党の皆さんにも、この機会に御了解を得て、ぜひ全面的御賛同を願いたいと思いますので、われわれの
考えの二、三を申し上げて御参考に供したいと思います。
紀元節の二月十一日を国の祭日として復活をするというふうに伝えられておりますが、自由民主党でこの問題を扱っております者は、昔のままの復活を
考えておるのではないのであります。すなわち、二月十一日は神武天皇が橿原宮で御即位の式をあげられた日である、ゆえにこの日を祝うのだというのが昔の
考えだったと思いますが、私
どもの
考えておりますことは、そういう歴史上にはっきりした裏づけのない日をそのまま
建国の日だというのではない。立春の日か何か、その近くに即位の式が行われたことは大体想像せられる。そこで新しい
考え方は
紀元節ではないのでありまして、
建国の記念を祝う日、つまり日本がその当時国ができた、これをお祝いする日、こういう
考えに立っていこうというのでございまして、その点は社会党の皆さんの中にも、それならわれわれとしても賛成しようと言われる方は個人的に相当ある。ただ昔の
紀元節そのままを復活するということにつきましては、自由民主党の中にも異論が相当ありましたので、この点は昨年来実は再三
検討をしまして、
建国の記念をする日である、こういう
考え方に立っておるのであります。これはきょうの御
質問ではありませんが、新聞にしばしば現われておるものを見ますと、
紀元節を復活することが
軍国主義を復活することである、この点は一般に大へんきつい
反対が新聞に現われておりますが、私
どもはそうは
考えない。かりに昔の
紀元節にしましても、明治七年に
紀元節が制定せられたが、
軍国主義を作るために
紀元節を作ったとは私
どもは思いません。たまたま七十年の歴史の最後において、
紀元節の
行事がはなやかになった、
戦争になったというので、
紀元節が非常に被害をこうむっておることは確かであります。明治七年に制定せられたときには日本の
建国を祝うたのでありまして、被害者は
紀元節であろうと思います。どうぞそういう意味でわれわれは
考えますので、
紀元節即
軍国主義の復活である、原水爆である、こういう飛躍した議論が新聞に現われますけれ
ども、ここはやはり日本人としてお互いにそう飛躍し過ぎないで
考えていきたいと
考えております。それから、たくさんな国の祭日ができておりますけれ
ども、二月十一日ほど
国民の間からわき上ってきておる運動はございません。あるいは勤労感謝の日であるとか、成人の日であるとか、いろいろ
行事がありますけれ
ども、制定せられて日も浅いことでもありますが、さほど熱狂的に沸いてきてない。ところが別に国から指令したわけでもなし、また何にもきまったわけでもないのに、あちらでもこちらでもわいわいとこの日の
行事をやられることは、これはやはり
国民の自然にわき上ってくる
気持であって、これは党を超越してお互いが取り上げるときが来ているのではないか、かようにわれわれは
考えております。なお二月十一日は、
大臣も仰せられましたが、これでなければならぬとは自由民主党も実は
考えておりません。いろいろ研究をいたしましたら、やはりこの日が妥当らしい、そこで
建国記念日としてこれ以外にどうもいい日が見当らないからどうか、こういうことでありますから、どうぞあまりこだわらずに社会党の皆さんは御賛成を願いたいと思います。私、
提案者になっておりますので、これだけ誤解を解くために御了解を得ておきます。