○
北原参考人 蚕糸業の抜本策々々々というが、どういうことを
考えておるかというように受け取るわけでございまして、御
承知のように現在の姿は糸値が高過ぎるという姿になっておる。どうしてもこの糸値を安くしなければならない。このように反面に
考えてみますれば、
製糸業者が非常に苦難な道を歩いておる。しからば
養蚕農民が満足しておるか、他の農産物に比べて必ずしも満足しておらないという姿であります。従いまして、国策の見地に立ちましても、お互いが生きていくという見地に立ちましても、容易ならざることでございます。反面外貨獲得の線から見ますと、三分の二が
内地需要だということで、私は幻惑という言葉を使いますが、幻惑されておりまして、
輸出関係を調べてみますと、やせてもかれても第四位を占めておる、国家的に見ても非常な重要産業であると信じておる。従いまして、また中共糸の動きを見まするときに、国家統制によって仕事をしておる、いわゆる中共の
業者間における力プラス
政府の力が加わっているのだ。そこで日本の方程式も、同じ姿では現われておるが、プラス
政府の力という線において薄いのではないかという見方をしておって、もう少し
政府も力を入れてほしいという
希望を持っておりまするが、
政府におたよりすることはするとして、まず自分
たちがこの複雑多岐な形において、先ほど
木下さんからもお話がありましたが、昔ながらの
考え方を根本的に改めなければいかぬのじゃないか。
養蚕者も高く売るという
考え方は一応
是正すべきではないか。また
製糸家の
方々も安く買うという姿は
是正すべきじゃないか。個々の
取引は公正なる価格という限界を置いて、むしろ安く売る、高く買うという逆なコースに行くならば、そこに非常にうるわしい姿が出てくるのではないか。第一に心持の切りかえだということを一応
考えております。そういうように
考えまして、それでは
養蚕者の
立場から
考え、
製糸家の
立場から
考えて、
コストを下げて優良品を作っていくという道がないのか、こういうように
考えると、私はあると申し上げざるを得ない。
養蚕者も国家的に見ても繭を増す道はある。あえて国家的に見て、食糧事情から見て、たんぼをふやすという方向ではなくとも、一反歩当り十六貫ないし十七貫の反当収穫を増す
方法が現にある。この方向へ
養蚕農民われわれが努力するならば、繭そのものの
生産費は下げ得る。現に山梨県の反当り産繭額から見ましても、特例といたしましても、一部反当五十貫というような実例もある。お互いの近くにも、お互いの持つ平均よりも高い例があるのであります。だからお互いの努力いかんによりますればそこにいける。
製糸の
場面で
考えてもそういうことは
考えられる。従いまして、
養蚕の前途あるいは
蚕糸業の前途というものは、社会では
斜陽産業だ、どうだこうだというけどれも、国家的に見ても必要であり、それから農家
経営の
角度から
考えても必要である。従いましてそういう言葉を使われることは心外だ、また使ってはいかぬのじゃないか。
方法はあるというこの
考え方に立ちまして、先般来いろいろと御
配慮を願っておりまするように、まず何といたしましても種、これを繭が
製糸過程を通るというこの前提に立つ
現状から見て、それから種の統一といいますか、よいとか悪いとかいうことはしばらく別として、第一
段階として種の統一及び種から出てくる種を
養蚕が受け入れまして、それを混淆しないように飼育いたしまして、同じ種から同じ形式で出たものを同じ繭の姿へ持っていくという方向への動きが一応大事であるということを
考えますると、かつてお願いを申し上げましたように、種の統一ということを
考える。それにはどうしても管理制度という、これは自由経済を原則としておる
立場から見ると非常に疑義があると思いまするが、さりながらここまで日本の
蚕糸業が追い込まれたからには、暫定処置としてやむを得ない姿としても一応相当の管理統制という言葉を使って悪いというならば、秩序立てるという
意味において、種の秩序立てる道を一つ法律で編み出していただく。それから私
ども養連の
立場に立ちますと、何としても増産しなければならぬ。そして同じものを作らなければ
製糸原料価値として薄いのだという
段階から
考えますると、品質優良のものを増産という
立場から
考えますると、
養蚕農民自体といたしましてやらなければならぬことは、土、桑を作って、その上に今の種を飼っていくという線から
考えますると、その
効果を現わしまするには、大衆
養蚕農民に接する
場面から見て、指導する
場面から見て、先に立っておる村の者が飛び歩いておるわけにもいかない。どうしても指導ということが出てくる。そうするにはどうしても技術員というものがなくちゃならぬ。この技術員というものが非常に力を得て、力を持って
養蚕家に接触しなければならないわけでございますので、この指導態勢ということをどうしてもお
考えを願わなければならぬ。そうして技術員の給料というようなものは原則的にはいわゆる受益者負担、
養蚕者の負担でなければならぬ。もっと言えば養連の運行費は
養蚕者
団体の負担でなければなりませんが、現在は過去の伝統もあり、慣習もあって、そこまで行っておりませんが、そうした線も打ち破っていかなければならぬ。とにかくこの場合どうしても技術員の拡充、身分安定という面をお
考え願って織り込んでいただかなければならない。そうすることによって統一されたよいものがたくさんできてくるという線を
考える。そこで今まさに法律に出てきておりますところの……(芳賀
委員「
北原さん、
養蚕の方だけを……」と呼ぶ)流通面を
考えなければならぬ。これは先ほど来の繭の
売買形態といいますかを
考えていただかなければならぬ。何といっても
輸出の
生糸へ持っていかなければいけませんが、実情は国内で売れば
製糸家はもうかるという
段階である。この線も何としても
輸出を引くことの方が、もうかるような姿にもっていっていただけば、
輸出が盛んになるのじゃないかと
考えておる。こういうことを運行するためには、今までちりぢりばらばらであったから、そこで
審議会というものを作って、一年じゅうの行事をきめていったらどうかというのが、
審議会の生まれてきた理由であります。そこで
審議会を作って年中行事をきめていくということを、法律に編み込んでいただきたいということがねらいでございます。
えらい駄弁を弄して恐縮でございます。