○
石谷政府委員 北海道
地域の風倒木の処理
状況でございまするが、すでに先生方も御
承知の通り、大体私
どもが当初から処理し得られるというふうに
考えておりましたものは、
国有林におきましては約六千万石という数字であったわけでございまして、この数字に基きまして、最初は二十九年度発生いたしました年の
計画によりますると、大体三十一年度までの三カ
年間に二・四・四という割合でこれを処理するというように
考えたのでございまするが、その後の調査の結果によりまして、一
地域にかなり多くの風害木が発生しておるという状態が明らかになって参りましたので、その後この
計画を変更いたしまして、三十二年度に至る四ケ年
計画でこれを処理するということにいたしたわけでございます。そこで、いわゆる風倒れいたしておりますものを伐出いたしまして、これを売り払う、あるいは貯材をする、内地の市場に持ってきてこれを処置する、こういうふうないわゆる直接的な仕事につきましては、
昭和三十一年度をもちまして全量の約八一%が進捗をする、こういう
状況まで実はきておるわけでございまして、残りの一九%というのが
昭和三十二年度の処理材として持ち越されておる、こういう
状況でございます。おおむね
数量的に申しますると、
用材、
薪材合せまして未処理材は
立木石数で約千百万石でございます。北海道内七十六営林署の管内に風倒被害があったわけでございまするが、これが一応三十一年度末でうち七十署分は片づきまして、あとの六署というものについてただいま申し上げました全量の一九%の処理を三十二年度中に
実施をする、こういうことでございます。と同時に、一応整理いたしましたあとには末木枝条があるわけでございまして、これらのものの二次
利用というものも
考えまして、これも三十一年度で一応完全に終るというような
状況で進捗をいたしておるわけでございます。ただいま申し上げたのでございまするが、これらの処理を適切にやって参りまするためには、やはり道内に滞留いたすものを極力少くいたさければならなぬというような見地からいたしまして、道内の長期貯材の態勢を確立いたしますることとあわせまして、道外にこれを持ち出して内地の市場に売り払うということをいたしたわけでございまするが、一応三十年度、三十一年度におきまして約六百万石の道内過剰材があったわけでございまして、このうち二百六十万石につきましては、先ほど御
説明申し上げましたように、道外にこれを持ち出しまして、処理をいたしたわけでございます。残りのものが道内の各地に陸上あるいは水上貯材をいたしまして、適当に必要量を売り払っておる、こういうやり方をいたしたわけでございます。
以上が直接的の問題でございまするが、その後の
状況といたしましては、御
承知の通り三十年、三十一年度の両年度にわたりまして、地上散布あるいは空中散布等の方法によりまして害虫防除の
事業をやったにもかかわりませず、
立木のまま無被害木が虫害にやられるというような
状況も最近は出ておりまして、冬期間にそういうものの処置をいたす必要があるということで、
昭和三十年度の冬に現在あります約百八十万石の全量を伐出いたす、こういうことで
事業をやっておるようなわけでございます。
それからあわせまして一番問題になりましたこの風害
跡地の火災の問題でございますが、風倒の翌年度の
昭和三十年度におきましては、まことに好都合に山火皆無という新記録を作ったのでございますが、三十一年度におきましては約二十五件でございます。六百二十
町歩くらいの
地域に二千万円
程度の被害があったのでございますが、本年度は各地に山火事が発生いたしておるわけでございますが、幸いに現在までのところ北海道
地域はまだ異常乾燥の
状況ではない、時期的にそうでない
関係もあると思いますが、火災の発生を児ないような
状況でございます。
それからこれは大体
跡地をどうするかという問題でございますが、二十五万
町歩の風倒
跡地につきまして、三十一年度からこれらのいわゆる
造林計画を
実施に移しておるわけでございまして、そのうちの四割に相当いたします十万
町歩は
人工植栽で、残りの六割は天然更新補整と申しますか、天然更新の助長作業をやることによりましてやって参りたいということで、人工
造林によりまするものにつきましては三十一年度からの六カ年
計画、それから天然更新によりまするものは三十一年度からの四カ年
計画で完了するということでやっておるわけでございます。三十一年度におきましては五千
町歩の人工
造林と二万
町歩の天然更新による更新の完了をいたそうという
状況でございまして、三十二年度におきましては二万
町歩の人工
造林と四万
町歩の天然更新による
造林というものを進めて参るということでやっておるわけでございます。
このことによりまして、
木材価格にどういう動きがあったかということでございますが、北海道
地域の
状況だけをごく簡単に申し上げますと、風害直前は内地の市況が非常に低調でございましたにもかかわらず、北海道はややかたい調子の
状況が続いておったわけであります。いわゆる若干の供給不足という
状況が続いておったわけでございますが、あの風倒によりまして非常に混乱を生じまして、たちまちにして約二割くらいの
木材価格の下落があったわけであります。これが
昭和三十年度の下期に入りまして次第に調子を取り戻してきたわけであります。それが約一年問いわゆる
横ばい状態が続いたわけでありますが、
昭和三十一年の下期からは全体的な経済界の好況の波に乗りまして、次第に強くなって参りまして、
価格はほとんど風害前の状態にまで復帰するということで、従いまして、こういったような環境の中で処理を進めましたので、道内外の風害木の整
理事業を通じましての
影響は比較的少かった、これによりまして倒産したような
業者は非常に少うございましたし、結果といたしましては、
国内に新しく北海道材の市場ができたというようなことで今日に至っておるという
状況でございます。従いまして、この整理が完全に終了いたしましたあとにおきまして相当異常な
価格の変動というようなことがあり得るようには私
どもは
考えていないのでございまして、大量のものがございましたけれ
ども、内地市場に出したり、あるいは道内に備蓄しながら自然にこれを出していくというようなやり方をしておりますので、そのような
意味合いの大きな
影響はないもの、かように期待をいたしておるわけであります。