○受田
委員 私は
日本社会党を代表いたしまして、
国民の
祝日に関する
法律の一部を改正する
法律案 すなわち
建国記念日を新たに制定しようとする自由民主党の諸君の
提案されたこの法案に対しまして、
反対の討論を試みんとするものでございます。
そもそも
国民の
祝日が制定せられました終戦直後の社会情勢をかえりみまするならば、長期にわたり
日本の国が特定の
軍国主義者
たちによって指導せられまして、反動的方向に向わせられ、極端なる
国家主義者あるいは
軍国主義者
たちの横行する社会情勢となって、その結果大東亜戦争の悲劇が招かれまして、
日本歴史始って以来の悲惨なる情勢に追い込まれた。その祖国を再び敗亡の中から再建せしめるために、
民主主義国家として新憲法のもとに誕生していた
日本は、
国民の総意のもとに新しく生まれかわる
日本にふさわしい
お祝い日を作って、平和と
民主主義の芽がすくすくと伸びる
国家を祝い、
記念したい、こういう
趣旨のもとに終戦直後の国会におきまして、この
国民の
祝日の法案が提出せられ、半歳にわたる日月をけみしまして、昭和二十三年七月二十日、
法律第百七十八号をもって公布されたことは与党の諸君のよく御承知の通りでございます。ところが、この
国民の
祝日を制定いたしました目的は、従来の
皇室中心主義、極端な
国家主義、こういう形の
祝日を改めて、
国民大衆がこぞって祝い励ます形の
祝日への転換が目的でございました。ことにこの
国民の
祝日に関する
法律の目的は、第一条にはっきりと、「自由と平和を求めてやまない
日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに
国民ごぞって祝い、感謝し、又は
記念する日を定め、これを「
国民の
祝日」と名づける。」かように規定してあるのでございます。だからこそ、この
祝日に関する
法律を制定いたしましたときには、その審査の標準の中に、明らかに
国民全体がこぞって祝い励まし
記念する日であること、
皇室中心主義あるいは超
国家主義的な
祝日はこれを入れないこと、その他
国民的な行事として大衆に溶け込むことのできるような
祝日であること、これらを勘案いたしまして、九つの
祝日が制定せられたのであります。従来の
祝日を、当時を顧みまして経緯を
考えてみますと、明治の六年に太政官布告で天長節と
紀元節が制定せられ、新年を加え後に明治節を加えて四大節となり、さらに大祭日ができ上りまして、
祝日大祭日として、
国家はこれを休日として、
国民があげて祝いお祭りする日として定められました。ところが、この明治初年に制定せられた
国民の大祭日、
祝日というものを顧みますると、その中身は、
皇室中心主義的な
お祝い日がたくさんあり、かつ大祭日を検討いたしましても、元始祭、春季皇霊祭、あるいは
神武天皇祭、神嘗祭、新嘗祭、あるいは秋季皇霊祭などと、少くとも特定の神道につながりを持ち、
皇室特権主義的な要素を網羅した
祝日ばかりでございました。
国民全体の
お祝い日としてはあまりにも極端な、一部の
皇室の方が
お祝いをし、あるいは神道主議者が
お祝いをしていいという
祝日を
国民全部に押しつけた。これが明治以来大東亜戦争の終未まで続いた
日本の
祝日大祭日であったのであります。しかもそれは一片の太政官布告で、国会における
法律として生れたものでなくして、時の権力者
たちの命会でできたのが明治
時代の
祝日大祭日であったのであります。時の権力者
たちによる一方的な、この極端な
国家主義的な神道
中心の形に行われた
祝日大祭日に対して、
日本の運命がどういう方向に導かれたかは御承知の通りであります。ことにその中で最も著しい特例といたしましては、戦争末期に
紀元節をもって
建国祭と銘を打ち、いわゆる
軍国主義者
たちのために奉仕し、あるいは
国家主義者
たちに奉仕するために全
国民が動員されたことは、忘れもできない事実でございます。従って、こうした悲しい姿の権力者奉任の
祝日大祭日を改めたい、
国民全部の中に溶け込んだ
祝日でなくしてごく一部の人のために奉仕するような
祝日を改めたい、これが戦後ほうはいと起った
平和主義、
民主主義の基調に立つところの新しい
祝日制定の
趣旨であったのであります。
私
たちは、この
法律改正案をながめるときに、終戦直後に制定せられました
国民の
祝日に関する
法律の
趣旨と著しく隔たりを持つ結果が現われていることを悲しみます。当時
国民の
祝日制定に関して種々論議せられた中に、
紀元節を長期にわたって論議し、多数の時間を要したことは、
提案者の御説明を待つまでもございません。しかしながら、結論は、
日本の国の
国家主義者
たちや、あるいは神道主義者
たちに奉仕するような形の
紀元の日であってはならない。ことに二月十一日という日取りが、その悲しい
思い出をよみがえらせるためにはまことに格好の日であるだけに、二月十一日という日取りについてはこれは納得できないというので、この日取りは十分検討する、しかし国始めの日を祝うという率直な
国民の感情を育てることには異議がないという結論であったのであります。その後長期にわたりまして、この新しい
国民の
祝日は
国民の間にようやく浸透せられ、九つの
お祝い日はそれぞれ、この
法律の第三条の休日とするという規定に基きまして、
国民はこの日を休んで
お祝いを続けて参りました。
しかしこの九つの
お祝い日を
一つ一つ検討してみますと、なお九つの
お祝い日そのものの中にも再検討すべきものもあるという批判もあります。けれ
どもこの九つの
お祝い日を
一つ一つ拾ってきた場合に、元日、成人の日、春分の日、
天皇誕生日、憲法
記念日、子供の日、秋分の日、
文化の日、勤労感謝の日と網羅された中に、ただ
一つ皇室中心主義的な要素があるというのが
天皇誕生日、しかもその
天皇誕生日も従来の天長節としてでなくして、率直に
天皇の誕生を祝う
天皇誕生日と、新憲法第一条の規定を十分表象するような形でこれが
お祝い日に制定されております。その他子供から大人になり、あるいは
文化を祝い、勤労感謝を祝うというような、きわめて大衆的な、民衆の中に溶け込んだこの
お祝い日を顧みますならば、その中にここに
一つ旧態依然たる
紀元節がどっかりと生まれたとしたならばどういう形がここに
考えられましょう。私は率直に申し上げて、
建国記念日と銘を打って御提出なされた
提案者たちのその背後に、いにしえの神国
時代、神話
時代の姿を
日本に再びよみがえらせて、ここにいわゆる復古調豊かな
祝日を制定をして、いわば憲法改正につながる新しい皇国
日本を再現しようとする意図が、全然ないと断定できない要素のひそんでいることを悲しまざるを得ないのであります。なんとなれば、この二月十一日の根拠としては、
提案者はしばしば言われております、
日本書紀巻第三に明らかに、辛酉の年春正月畝傍山の東南麓における
橿原の宮で
即位されて開国の詔書を発布されたりっぱな根拠があるじゃないか。しかしこの根拠は後世辛酉革命説その他で非常な批判をされている日であり、しかもこれは伝説の日として取り上ぐべきであるということを、
提案者たちに同調せられておる学者の方々でさえもここの
委員会で証言せられております。伝二千六百十七年と、伝という
言葉をもってしてもいいとはっきり指摘せられておるほど、この根拠は伝説でしかないのであります。伝説による日取りをもって根拠として定められるのには、これははなはだわれわれは遺憾の意を表さざるを得ないのであります。従って根拠があるという
提案者の御説明はわれわれを納得させません。そういう説明の仕方でこの法案を出されたことには、私は自由民主党の
立場の方々でさえも納得されない方々が非常に多数あると思うのです。根拠があるということを言うよりは、むしろ変った
立場で御説明された方がよかったのではないか。伝説の上においても、こういういにしえの
思い出として、こういう日を
建国の日としてもいいじゃないかという形で御説明されるならば、もっとこれに対して
反対意見が押えられたかもしれないと思う。それほどわれわれは、この二月十一日を
歴史的に根拠ある日として御説明された
提案者のその
提案の説明の仕方には、はなはだまずいものがあったことを指摘せざるを得ないと
思います。
従ってわれわれ社会党の
立場をもっていたしますならば、できるならば
建国の日というものは、与党と野党が一本で、みんなで納得できる形でこれを制定したい。自由民主党の
立場で一方的にこれを提出せられて、野党の
反対特定の
軍国主義者を押し切って、強引に国会を通過せしめたとしても、
国民の総意をもって
お祝い日としてはこれは不適格であります。
祝日の
法律第一条に規定された
国民こぞって祝う目的を達成し得ません。
国民の中に三分の一以上の旗を立てない
国民がある、そういう
お祝い日を強引に制定するということは、これは
民主主義国家のとるべき道ではございません。
しからばこの際二月十一日という日取りについては、単に伝説として、ことにあいまいもことした
時代を描写した、
日本書紀であり
古事記であることを省みるならば、これをあこがれの、
日本の肇国の
時代の
一つの基礎的な憧憬として
考えるという形で、自由民主党の
立場で
紀元の日をお作りになろうというならば、これは保守党の
立場では私
たちは納得できることだと
思います。
そこでわれわれはそうした自民党の
立場も
考え、またわれわれ社会党が二月十一日以外に適切な
紀元の日はないかと種々検討している段階等を考慮せられましたならば、この単に伝説にすぎないこの日取りを強引にお定めなさることを遠慮せられまして、野党との間において審議機関でも設けて、適当な期間を置いて、国始めの日をいかにすべきかということを十分検討して、総意を持って両党の
意見を一致せしめて国始めの日を制定する
法律改正案をお出しになる、こういう形に切り変えられることが妥当ではないか。われわれ野党の
立場からも、先ほど申し上げた通りに、
紀元の日を作ることに
反対しているのではございません。新しい
立場から、
民主主義の
立場から、平和を愛する国の
立場から、新しい
記念日を作ろうとする意欲は私
たちも同様に持っております。そうした新鮮な感覚で、新鮮な
お祝い日を設けようとする率直な野党の
気持、
国民大衆の
気持を十分尊重せられまして、与党の諸君がこの際この改正案を撤回せられて、そして新しく両党の話し合いによる納得のいく
祝日制定という形に持っていかれたならば、
日本の国の新しい
祝日としてはまことに適格性を具備したものだと
思います。
この
委員会にこの法案を提出せられて、これに充当した審査の日取りがはなはだ少い。しかも公聴人としておいでいただいた学者の中にも
賛成反対の
意見が
二つに分れている。多数の学者はほとんどこの根拠ある二月十一日に賛意を表しておられると
提案者の御説明でございましたけれ
ども、実は多数の学者は伝二千六百十七年ということを捨てて、現実に
日本にあるべき姿の
立場の
建国記念日を定むべきであるという説に傾いておられる。従って二月十一日説というものはごく一部の復古調豊かな学者のとられる
一つの学説あるいは主張であると、われわれはここに言明せざるを得ないような状況にあるのです。
そこでこの際私
たちといたしましては、今や会期まことに迫れる現段階において、この法案をせめて衆議院だけでも通して面目を通したいと
考えられておられるさびしいお
考えを改められて、どうせ参議院へいっても、審議の日取りは迫っておるのだから流れるんだ、流れるのはわかっておるが、衆議院の面目だけ立てさせてくれろというさびしい
気持をお捨てあそばしまして、この閉会中にでも
一つ野党と十分話し合いの機会を作るというおおらかな態度に転換されることが、三百名を擁する
民主主義国家の大政党としての
一つの雅量、度量ではないかと思うのです。従って私
たちは、今この
委員会において、自由民主党の方々が多数決をもって採択されようとする、この改正案の通過に対する強引な御意欲に対しては、徹底的に
反対を申し上げ、
国民こぞって祝い、感謝し、かつ
記念するというまじめな意味の新鮮な国初めの日を作ることに御協力あらんことをお願いいたしまして、
反対の討論を終りたいと思うのであります。(拍手)