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石橋(政)
委員 政務次官の増員、
事務次官補の新設といったようなものも、結局するところ当初の線からは大幅に
後退して、ほとんどその意義を失ったということになると私は思うのです。
行政機構改革というものをほんとうにやろうとしたのだったならば、ほとんど意義を失ったということになるかと私は思うのです。実際この
政務次官をふやすことによって、いわゆる官僚
政治の弊が是正されるということならば、私たちもこれに賛成し協力するに何らやぶさかではありません。読売新聞の社説、これは非常にその点をついておりますのでちょっと読んでみますが「
政務次官をふやすことによって、実際に官僚
政治の弊が是正されるとか、
行政能率の向上が期待出来るとかいう効果が期待出来るものなら、決してこれに反対するものではない。」ところがそのあとがよろしくない。これが主たる批判だろうと思う。「大体いまの
政務次官がどの程度に
行政事務を掌握して、
大臣を助けて省内を統御し
国会や政党との連絡に実効をあげているか。少数の例外を除いては、大部分が浮上った存在になっている。人数をふやす前にまずやるべきことはこういう状態を改めることである。それがためには何といっても人選に慎重を期し、適材適所主義を貫くことである。
党内の派閥が唯一の選考標準で、次々にまるで利権か何かのように、古参順に人選しているような
実情では、能力のある
政務次官など得られるはずがない。最近の
自民党など
政務次官どころか、
大臣でさえ同じような事情のもとに人選されるので、省内の役人たちから軽んぜられている
実情ではないか。この弊が改められない限り、
政務次官をいくらふやしてみても、
政党内閣が政策実施上効果の上る体制など期待できるものではない。結局は各省に余分の部屋が
一つと、自動車が一台と秘書がふえるだけの話である。」
まことにこれはりっぱな論説です。これを読み上げれば、あとは言うことがないと思うくらいです。
宇都宮さんも今自己批判をされておりました。私もこの意見に全く同感です。われわれも
政党人の一人といたしましてまことに恥かしい。ここをまずやらないで、
行政把握能力を高めるんだとか、
内閣の
責任制の
確立をはかるんだとかいうお題目を並べて、幾ら
トップ・
マネージメントなどというかたかなを掲げてみたところで人は信用しない。結局
自民党の完全雇用政策の一端だという批判を反駁することはできないわけなんです。私は同じ党人として――よその党ではございますが、
自民党の皆さん方もまずここから始めていただきたい。そうしなければ、このポストふやしだという批判を反駁するだけの力は絶対に出てこない。
世論を納得させるだけの力は出てこないということを私は申し上げたい。ほんとうに
内閣の
責任制を
確立するんだというならば、この役をふやすことよりも、まず予算編成の権限を
内閣がほんとうに掌握することにどうしてもっと力を入れないのか。
最初は
予算局を作るんだという意気込みを示しておった。それが骨抜きになって、
予算閣僚会議を作るというようになった。今は完全にパーです。何もない。政党が政策浸透をはかろうとするならば、その根幹は予算編成です。
自民党の諸君が
修正されるなら、こちらの方にもっとウエートを置いて、情熱をたぎらして、体当りでいくべきだと思う。こっちの方を生かして、ポストふやしなどというような批判を受けそうな面を遠慮するというのならばわかるのですけれども、そうじゃない。この
予算閣僚会議の
必要性がなくなったというのは一体どういうわけですか。ここのところを
一つ御
説明願いたい。