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大友参考人 大友でございます。
委員長から十五分以内というのでありますが、十五分以内でおさまるかどうか、できるだけ端折りながら申し上げます。
日本で
合板が生産されましたのは、五十年前でございまして、本年はちょうど五十年祭に当るので、大々的な記念祭を催すことになっております。
そういうことで、相当長いのではございますが、対
米輸出の方は比較的近年でございまして、逐年増加の一途をたどってきておるということで、一九五一年すなわち
昭和二十六年にはわずか千二百万平方フィートでございますが、それが一九五六年すなわち
昭和三十一年では五億五千四百万平方フィートになっております。すなわち一九五一年を一〇〇としますれば四六六八%という躍進ぶりをたどってきたのであります。
それで、
アメリカの方から見た
合板の
輸入状態は、一九五二年には、
日本が千七百万平方フィートであるのに対し、第一位のカナダは五千七百万平方フィート、それが翌年の一九五三年には、
日本が一躍してトップを切り、一億六百万ということになり、カナダは五千万ということでございます。さらに一九五四年には
日本が二億八千九百万と躍進したのに対して、二番目に落ちましたカナダは七千一百万、こういうような状態で今日まで
輸出の増進を続けてきておるというのが、
日本の
合板の
状況でございます。それでは、一体どうしてこの
日本の
合板のみが、こういうような躍進を続けてきておるのかといいますと、
アメリカにおける
合板需要の中心は、何といっても住宅建築であります。
日本の
合板の
輸出が非常に少かった一九五〇年におきましても、住宅建築は千四百万戸ありました。その後も毎年百万戸を割らないにもかかわらず、
日本の
合板のみが需要増加を見たというのは、つまりドアの構成が違ってきたのであります。皆様ごらんの
通り、その辺にあるドアは、大体パネル・ドアというのでございますが、その後の流行というのがフラッシュ・ドア、と申しますのは、薄い
合板を二枚で中の桟を包んでいく、障子の上に
合板を二枚重ねる、これが非常な流行になってきました。
日本人というのは、非常に器用な国民でありますから、薄いものを作ります。これが流行にマッチしたから、
日本の
合板の需要が増加したということで、言いかえれば、これは
アメリカにおける新しい需要であります。われわれは
アメリカにおける新しい需要を開拓したのであります。従いまして、カナダと
日本との位置が逆転したと申しましたが、それはカナダその他の
輸出国の犠牲において
日本の
輸出が前進したのではなくて、新しい需要を開拓したために
日本の
輸出が伸びたのだ。従って、
アメリカの
合板の製造
業者としましても、この新しい需要によって何ら
損害は受けていないということが
実情なのでございます。
そのような状態において、
日本の
合板輸出というものは躍進に躍進を続けてきたのでありまして、本年一月から六月までの
米国向けの
輸出を見ましても、六カ月で三億三千六百万平方フィートで、依然好調を持続しておるのでありますが、
アメリカにおきましても近年金利が高く金融が引き締っており、住宅には金の回りが悪いというようなことで、住宅の建築がスロー・ダウンいたしまして、ただいまのところ、
アメリカ向けの市況は若干弱含みという状態になっておるのであります。
かように、
日本の
合板 特にドアに使います
合板が急激に伸びましたので、一九五四年九月に、
米国硬太
合板協会という、これは
アメリカの製造
業者の団体でございますが、これが
関税委員会に
関税引き上げを
申請しました。一九五五年三月に
公聴会が開かれたのでございますが、やはり協会としても向うの
輸入業者と協力して、全力を傾到して、さらに外務省を中心とします方々並びに
政府の方々の非常な御
指導によりまして、この
公聴会におきましては、
日本の
合板は
アメリカの
産業に打撃を与えてないのだ、こういうことで、私がただいま申し上げましたような理由のもとに、六名の
関税委員全員一致でもって
申請を却下した、こういう
事情になっておるのであります。
次いで、五五年の七月と思いますが、向うの製造
業者は財務省に、今度は
ダンピングの疑いがあるから
調査してくれということで要求されて、その間、財務省の役人がこちらに参りまして、三カ月くらい
調査したのであります。これも
ダンピングの事実なしということの言明が一九五五年十二月に下されたということになっております。われわれは一応小康を得たという考えでありましたが、われわれもこの情勢は楽観すべき状態でないということでございまして、その後も引き紳きましていろいろと、
エスケープ・
クローズの条項によってもいかぬ、
ダンピングはいかぬ、そうしたら一体どうしたらいいのかということで、向う側といたしましては、特に製造家の
委員会をワシントンに結成して、そこでいろいろと構想を練っていたのでありますが、本年の二月の十一日でございましたか、いわゆるメンヒスで大会を開きました。その大会で立法による
輸入制限ということに決定をしたのであります。その一番着手として現われましたのがトルソン議員の包括
法案でございますが、これは包括
法案じゃ
——ということで、今度は
合板単独の制限
法案が提出されました。これは上院におきましてはサーモンド外二十一名の賛成議員でございます。マッカーシーが死にましたので二十一名となっておりますが、それが
法案について賛成いたしました。同時に下院におきましては、サィクス議員が引き続いて、ほかに二十四名の議員が二十四通の
法案、つまり合計で二十五通の
法案が出される、こういうことになっておりまして、その
法案の
内容は、
中山次長から先ほどお話があったようですから省略いたします。
議員の方には、かようにして働きかけて落々として立法面の方は進行しておりますが、さらに国内の一般に対しましては、特に労働者団体なんかに
合板輸入の脅威だとか、あるいは外国
輸入合板に関する話とかいうようなポスター、あるいはパンフレットを配布いたしまして、もっともらしい数字には基いておりますが、その結論的なものは非常に違った歪曲したもので、悪質な宣伝をやっているというようなことになっております。
それで、このほかに、先ほども話がありましたが、カルフォルニア州のこれは
サンフランシスコの近所でありますが、パロアルトという市におきまして、
日本の
合板を使えないようにするというような目的がありはせぬかと思われる防火建築条例というものが出されまして、これが通過し、さらにそれがカルフォルニア州の議会に防火建築条例
法案というものが出されたというようなことかあり さらにまたオレゴン州のポート・ルイスと申しますか、これは陸軍の家族住宅の建築でございましたが、それに関連しまして、
日本の
合板を使うことがバイ・
アメリカン・アクトに違反するのだというような運動も起ったりして、それからそれへとわれわれの
合板輸出に対していろいろな動きが向うにあったということで、今日まで来ておるのであります。
かような状態にありましたので、われわれとしましては、できるだけ向うの
合板の製造
業者を刺激しないように、しかしながら、
アメリカという市場は非常に大きな市場であり、われわれの考え方としますと、ある意味における新市場みたいみなものだということで、向うの動きを警戒しながらも、われわれは
輸出振興の線に沿うて、今日まで
輸出の計画を立ててきたということでありますが、さてそれならば向うを刺激しないようにどんな手を打ったかということでありますと、それにつきましては、実は一九五五年の五月に、問題になっておりますドア
合板の三、四等の品物を禁止する。それは、向う側に三、四等といったような悪いものがいきますと、自然値段の安いもので向うの製造される
合板と競合するといいますか、なんといってもじゃまになるということと、われわれが長くこの市場を維持するには、品質の成果を保たなければいけないというような意味合いから、品質に関しまして、一九五五年の五月に三、四等の
合板を禁止した。続いて同年の七月に
価格協定をやりまして、いわゆるチェック・プライスを作りまして、値段の維持に努める、それをさらに劾果的にするため、一九五五年十一月以来、米英に対する数量
規制をしておるということで、その間、いろいろと変遷はむろんございますが、ただいま申しましたように
輸出振興の線とからみ合わせて、われわれは向う側の動きをチェックしたいのだ、一見矛盾したような、しかし
実情に即した政策をとって、今日まできたということでございます。
それで、ただいまの数量
規制の協定も、
合板の
輸出組合としましては、九月までということになっておりますので、十月以降の数量
規制をやっておりまして、実はきょうその総会を開くことになっておるのでございますが、これにつきましてはちょっとあとにしまして、今度の
米国の
輸入制限運動に対して、われわれはどういうふうに対処しているかということをちょっと申し上げたいと思います。
そこで、先ほど
中山次長からお話が出ましたように、現在上下両院に提出されております
法案が通過すれば、
日本の
合板輸出というものは、
日本の生産量の一割にもならぬ、ただの五分に減ってしまうのだということは、申し上げるまでもなく
日本の
合板産業の壊滅ということでございます。従いまして、われわれは最も利害
関係のある生
産業者、具体的には
日本合板調整組合というものと連絡をとりながら、何とかしてこの
法案をつぶしていかなければならぬ。さらにまた、一般民衆に対するカウンター・アクションをやらなければならぬということで、役所の方の御援助、御協力を得まして、猛然と立ち上って闘いを展開している、こういう状態であります。
日本側としましては、生
産業者が非常な重大な利害
関係を持ちます。また
輸出組合としましても当然でありますので、この
合板調整組合と
輸出組合と、この両団体をもって
日本合板振興会というものを作り、その振興会は両団体から出される
委員によって、
委員制で仕事をし、その中に対米特別
委員会というものを作りまして、向うからの情報に即応して直ちに
対策を決定する、機動的な動きもできるような形にやっております。
一方、向う側でやっているのは、これは
アメリカの国内問題でありますので、われわれが直接向う側の生
産業者あるいは向うの
政府と話し合いをするわけにいきませんで、うっかりすると、先ほど通産
大臣からのお話もありましたように、アンチ・トラスト法にひっかかるということもございますので、われわれとしては、当面向うでの相手方は、われわれの利益を代表する
輸入協会ということにいたしまして、さらにその
輸入協会は、以前の、ただいま申し上げました
エスケープ・
クローズに関する
関税委員会に対する
申請、あるいは
ダンピングの
調査、こういう場合に、われわれのロビイスト
——われわれといってはいけませんが、向うのインポータンスのアソシエーションのロビイスト、それからパブリシティの代表が頼みましたシャープ・ボーガンという弁護士の事務所でありますが、その弁護士事務所に今回も依頼しているということは、今日までの経過を十分に知っているというようなわけでありますが、あくまでも表面に立つものは、向うのインポータンスのアソシエーションであり、さらにこの問題が起りましてから、向うの使用者の組合が結成された。もう
一つは
ニューヨークにありますインポータンスのアソシエーション、この三つが大体一体となってシャープ・ボーガンを委嘱し、それによって一般に対する
新聞あるいはラジオ、それから議員さんに対するいろいろなロビイングということをやっておりますが、われわれとしても最も
関係の深いだけに、データをこっちから出す、あるいはいろいろな経費で必要なものを出さなければならぬということで、大体三万ドル十二月までかかるということになっているので、われわれはそれに対して、やはり六割ぐらいはコントリビュート、寄与しなければならぬとか、あるいは多少上回ることになるのじゃないか、こういうことでやっている次第でございます。
今日まで向う側のそういう大衆に対する呼びかけあるいは議員に対する呼びかけに対して、同じようにわれわれの利益代表者も向う側でやっておりますが、今日までの経過としましては、だんだんわれわれの方に有利に展開しつつある。もっとも議会の問題につきましては、先ほど来お話があったようでありますが、ことしはどうせ会期も少いことだし問題にならぬ。来年になれば、
互恵通商協定法の延長という問題もあり、さらに向うの中間選挙の問題もあり、そういった場合のやはり選挙区に対する公約の意味も持つと考えられますので、来年に問題が持ち越された。来年こそはこれが決戦の年ではあるまいかというふうに考えておりますので、その心がまえを持って、対米の
輸入制限に対処していきたいということでございます。
さて、先ほど申し上げました十月から来年三月までの数量の
輸出規制でございますが、
輸入制限の問題もありますので、やはり
日本からはこれだけしか
輸出はしないのだということを打ち出す必要がありますので、従来ワク外といいますか、数量
規制の外にあったものも全部入れて、そして
日本からはこれしか出ないのだという線を打ち出すような形において、十月以降の数量
規制の案ができ上り、本日総会でそれをきめたいと思っております。
時間がどうかと思いましたので、だいぶ急ぎまして恐縮でございました。