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滝井委員 問題の推移によって今後御検討いただくそうでございますが、やはり現実に紛争になり、そして
鉱害問題も片づかずに残っておるという問題は、いろいろだくさんございます。たとえば採掘をしておる部分よりも非常に離れたところに
鉱害らしいものが起ったという場合、今まだ残って問題になっておるのはこういうところです。それから井戸水の渇水というものは、現実にその地区を
炭鉱が十年前に掘った、現在掘っていない、従って井戸水の枯れたのは私の
責任じゃございませんということで井戸水の渇水の原因がわからない。さいぜん申したような田面における湧水の問題、これは一体どこの
炭鉱のためにこんな湧水が出てくるのかということがはっきりいたしません。それから耕地に田の水を注いでも水がどんどん減ってしまう、一日に三回も四回も田に水当てにいかなければならぬ、大体どの
炭鉱のために水がこんなになくなってしまうのか原因がわからない、肥料の入れ損だ、こういうのがある。それから重複鉱区、鉱区が重複している。たとえばAという
炭鉱が上層だけとる、しかし下層はBという
炭鉱がとる、こういう場合にどっちの
鉱害かということは、具体的に
あとでその問題を尋ねますが、わからない。それから鉱業権をAからBに移譲したような場合には一番問題である。特に
鉱業権者が租鉱権を設定した場合には、これはどこでも問題です。至るところに問題が起っております。それから
炭鉱を廃止した後の
鉱業権者の態度です。こういうように実に問題が山積してにっちもさっちもいかぬというのが今多いのです。現実に
鉱害賠償が進行しておるのは、臨鉱法と
特鉱法の
関係か、現実に非常に景気よくやっている
炭鉱以外には進捗していないのです。今五つ、六つあげましたが、それらの問題をぴしっと解決していくためには、国の権威ある
機関が認定さえしてくれればいいのです。認定さえしてくれればそれから先は
被害者が何とかして加害者との間で解決をしていく。ところがまず行ったところであれはおれの方の
炭鉱でやったものじゃないといって一言で突っぱねられて、おれがどうしてもやったというならば裁判に持っていきたまえという、裁判の一語で片づけられているところに問題がある。そうすると気の短かいものは何くそといって暴力になる。暴力になると警察が出てくる。結局
鉱害問題は、紛糾してくると警察権で片づけているというのが
現状です。ある
炭鉱のごときはわれわれに面会をしないのです。われわれ国
会議員が刺を通じて直会を求めても会わないのです。しかも
被害者と加害者と会う状態を見ると、まるっきり裁判所で検事と被告が会う格好なのです。机を隔てて、まるで加害者の方が王者の立場で
被害者の方が奴隷の立場です。そしてそういう立場で
被害者が腹を立ててすわり込みをやると警察が出てくる。われわれが中に入ると面会をしないのです。こういう実態というものが現在の、特に日本の
鉱害が集中的に現われておる筑豊炭田の姿なんです。しかも官庁に、われわれが要請をして積極的に入ってくるだけの勇気があるかというと、それだけの勇気と自信がありません。そこで私はやはり国の
機関が出ていって問題を解決するためには、これは
鉱害であるという自信と確信を持ったところの国の立場が必要なのです。それがないところから現在の
地方の
鉱害部が、その日その日お茶を濁しておる格好になってしまう。問題がむずかしくなるとわれわれのところに問題が持ち込まれてくる、こういう格好です。従って今申しましたように、これは事態の推移を見るのではなくして、速急に勇気を持って
局長さんの方で作ってもらわなければならぬと思うのです。この問題ができればずっと解決していきます、もっと早く
鉱害問題は解決をすると思うのですが、今私が五つ、六つあげた実情から見るとそういうことが必要だと思いますが、推移を見なければならぬでしょうか。