○赤松
委員 次にこの国際
労働大臣に鉄の問題と関連をいたしまして一点お伺いをいたしておきたい点があるわけです。
さっき
中川委員からとんでもない御質問があったわけですけれ
ども、小川
委員から、なぜ
政府の方がもっと積極的に介入しないのであるかという御
発言がありました。私は社会
労働委員会の中におきましてああいう
発言があることは、はなはだ遺憾に思うわけであります。言うまでもなく、
労使は対等の立場にあるのだ、そうして対等の立場から団体
交渉を行う、そして公正なる調停あるいは
仲裁を求めることが法の建前であるわけです。従ってそこから出て参りました裁定をばどう
実施していくかという問題につきましても、いろいろそれは問題が起きるでございましょうけれ
ども、それと、
政府が介入しなければならぬとか、なぜもっとしっかり介入しないのかという議論とは、私はおのずから違うと思うのです。もしその裁定の
実施の過程においていろいろ見解の相違が出てきた、あるいはそれに伴って紛争が起きてきたと申しましても、それは治安問題ではないと思う。あくまでそれは
労使の問題、
労働問題でありまして、やはり憲法二十八条の範疇に属する問題だと私は思うわけです。従って
政府の方から
国鉄当局に対してああしろこうしろというような容喙がましいことをするのは、明らかに憲法違反の行為だと思います。私は前に二十六
国会において岸総理
大臣に言っておきました。それには岸内閣総理
大臣も同意を示しておりますけれ
ども、御
承知のように電産の争議な
ども、後に至って最高裁などで無罪の判決が出ているわけなんです。それで解雇処分に関する問題、つまり労法違反であるかないかといような問題についてすでに
労働組合側も訴訟をば提起し、またあとからいろいろな訴訟をば提起しようとしている。これは裁判所によって最終的にはきめられる問題である。その間にもし
労働法規からはずれた、つまり
労働組合法によって保護を受けることができないような事態が発生した、つまり刑事犯に属するようなことが発生したということになればこれはおのずから別個の問題になります。従ってどういう面からいきましても、
政府の行政権力というものが
労働争議に介入するということは許されないと思う。ただ
国鉄を担当する立場にありますから、輸送の円滑等について運輸
大臣等が心配することは当然ですけれ
ども、
労働大臣がこの
労働関の中へ入っていって、そうして、絶対妥協を許さぬとか、政治的生命をかけてもおれは反対する、そういうような
態度をとるということは、
公労法に反するというよりも、私は憲法の
精神に反するのではないか、こういうふうに考えているのでございます。
こういう点につきましては先ほど来しばしばよき
労働慣行をば作りたい、こういうふうに言っておられます。従ってよき
労働慣行を作るためには
——あの
公労法という
労働法規の中で行われているところの紛争なんです。従って
政府は容喙する権限もなければ、また介入することは不当である。それはだれによって解決されるかといえば、その場合、もし
国鉄公社自身が悪いならば当然これは
国民によって
批判され、
労働組合自身が悪いならば
国民によって
批判される。要するに民主主義の政治ですから、これは世論にまかすべきであるということが
一つ。もう
一つ、違反する行為であるかどうか、
違法行為であるかどうかということは、これは行政
解釈によって、びしびしやる、行政権力の介入によって、たとえば警察権をば発動させるような教唆扇動をやるのではなくて、やはりこれは裁判所の裁判に最終的にゆだね、その結果を待つべきじゃないか、こういうふうに考えるわけです。これが第一点。
第二点としまして
労働大臣は、今後こういう行為はやりませんということを言えばお前たちはかんべんしてやろう、
一つ団体
交渉にも応じてやろう、もしそういう約束をしないならば団体
交渉に応ずるわけにはいかないというような意味の
発言をされているようでありますけれ
ども、これも私は非常に間違った
発言ではないかと思うのであります。第一に政治的に考えてみましても、今四十万の
労働者をかかえまして
——この原因につきましてはあなた自身やはり問題を取扱った一人でありまして、放送討論会においてもあなたと私がやり合った。あなたにはあなたの言い分があり、われわれにはわれわれの言い分がある。われわれはあれはやみ給与ではない、団体協約によって獲得した確定
賃金だ、こういう
解釈を持っております。従って
予算単価にはプラス・アルファすべきであるという見解を持っておりますけれ
ども、そのことはしばらく別といたしまして、現に四十万の
労働者をかかえている
労働組合が、この裁定の問題でああいうような事態に陥ったという場合におきましては、少くとも
労働省はサービス省なんですから、サービス省である限りにおきましては、介入する必要はありませんけれ
ども、少くとも一歩でも二歩でも合理的な円満な解決の方に向いていくような、そういう雰囲気を作っていくべきではないか、こう思うのでございますけれ
ども、無用な
発言をされ、しかも不当な、
労使の間の円満なよき
慣行を作る
一つの過程にあるそれに対して水をさすような、そういう
発言をされることは私は間違いではないか、こういうように思います。
もう
一つの点につきましては、これは
国鉄労働組合及び公社側におきまして、現に今団体
交渉の機運が盛り上っておる。私はここで
仲裁委員会に言いたいのですけれ
ども、そもそも
仲裁委員会というものは、給与の問題を扱うところだけではないと思います。現に今まで出ました裁定の中には、
労働条件
一般に関する問題も入っておるわけですしそこで裁定によってこの紛争が起きております以上、しかも裁定に対する確固たる
仲裁委員会の見解というものが、
国会に照会して
委員長以下に尋ねてみましても、それが明確になっていない。非常にあいまいである。あいまいだから
政府の見解と私
どもの見解がよけい混乱する。その混乱の一半の
責任は私は
仲裁委員会にあるとさえ思うわけであります。そうしてそれによって起きました紛争でございますから、私は
仲裁委員会というものはもっともっと早く出て参りまして、
労働省はサービス省ですから出る必要はない。これはうしろに引っ込んでおればいい。先に出て来なければならないのは、私は当然
仲裁委員会であると思う、
仲裁委員会が全
努力を傾けて、それはあっせんという形をとるか、あるいは調停という形をとるか、そういう形の問題は別です。問題は誠意の問題である。誠実だと思うんです。こういう大きな問題でありますから、みずから下した裁定について、その裁定に関して疑義が生じた。その生じた疑義に基いて紛争が起きておるのでございますから、
仲裁委員会としてはもっと積極的な
行動をとるべきではなかったか。しかしこれは
労働省に言っておるのではないのであります。少くとも
公労法を私
どもがいろいろ運用する面におきまして、この
仲裁委員会のこういう能動的な活動というものを前提としなければ、ただ調停と
仲裁の案をぱっと出して、そしてよきように取り計らえというのであっては、私は本来マッカーサー声明によってスト権の剥奪をされた、そのかわりに与えられましたこの調停、
仲裁というものの意味をなさない。いわんや、調停、
仲裁の
解釈でさえも、これが
仲裁委員会によって正しく統一的に正確に表明されない。いわんや裁定の問題だけでなく、その拘束力がきわめてあいまいでございますから、いつも損をするのは
労働者の方である。
労働者の方は団体
交渉によってお願いをしておるのではない。当然の権利としてその余剰価値を
要求しておるわけです。何も主人に対して家来が物ごいをしておるわけではない。自分の
労働の剰余価値に対して当然その剰余価値のある部分は与えてもらいたいというところの立場に立って、あすの
労働再生産のために、今日剰余部分の
要求をやっておるのですから、私はどろぼうでも何でもないので、正しいと思う。これは農民が米価の値上げを
要求するのと同じ
精神だと思う。そういう意味から申しますならば、これは単なる物ごいでも何でもない。あるいは出さなければやっつけるぞという昔の東条軍隊的なものではないわけです。だからこそ
国鉄労働組合は三月の十一日でしたか十日でしたか調停案が出たときに、その千二百円の調停案を不満であるけれ
どものみましょう、
承知いたしました、こういってのんでおる。その後に抜き打ちストが起きたのは、たしか私は三月二十三日と思いますけれ
ども、これも業績手当をやろうというので、ちゃんと団体
交渉によって協約ができて、そうして公社側と
労働組合が正当なよき
慣行によって約束をいたしました。その約束に基いて業績手当を出す。その業績手当を目の前にして大蔵省が出してはいけないといって横やりを入れたということが紛争の原因になっておるわけでございます。こういう点は幸い
労働省に入られたのだから、その事件の経緯というものを詳細に
検討されまして、何か
労働者の方がひとりむちゃを言っているのだ、こういうような
考え方でなくて、なぜこういうような結果が起きたのであるか、なぜ輸送に混乱が生じたのであるか。それはひとり
労働者の
責任か、あるいは公社の
責任であるか、大蔵省の
責任であるか。そういう点を明確にして、正しいことを
一つ国民に伝えてもらいたい、こういうように思うわけでございます。まあ過去のことを今ここで、二十六
国会のことを新しく
石田新
労働大臣と何かその問題を引っぱり出してやり合おうという考えはありませんけれ
ども、どうぞこれから
国鉄の問題その他の問題を
——民間の場合でも同じです、お扱いになる場合には、自分はサービス省の長なんだ、行政省なんだという
精神をあくまでも忘れないで、そして憲法二十八条の
精神をどう生かしていくか。そういう場合における紛争をば、よき
慣行を作る
一つの手段としてどのように
教育し活用し、かつ習慣づけてやくか。そういう点について
一つ強がりだけでなくて、高い立場から考えていただきたいということを、午前中の質問の最後として私は
労働大臣に強く
要求しておきたいと思います。