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松浦国務大臣 サービス省として
労使の間にほんとうの
仲裁ができて、よい
労働慣行が作られていくように努力しておりますが、どうもふつつかな者でありますから皆さんの御満足のいくようにいかないことを心からわびております。しかし気持ちはやろうということで一ぱいなんです。けれ
どもこのことは一日にしてできるものじゃない。また今お問いになっても、だれもできるとは答える者はないと思います。しかしながらこれは朝野が協力して、よい
労働慣行を作るように協力していったならば、そう長い時間かからなくても現在のわだかまりは一掃することができるであろう、かように思っておりますが、今の私の心境としてはやりたいことは精一ぱいであります。しかし意はあっても至らざる者でございますから、御満足のいかないことは、はなはだ遺憾に思っておる次第であります。私の就任当時申し上げたことが、私のほんとうの真意なんです。それはやっぱり三位一体の境地です。協同友愛の行き方です。そうでなければ、闘争の中に真理のあるという
考え方はいけないという
考え方を私は持っております。従ってそれを行うためには、これは私は
政府と相談したのではない、あるいは政務調査会と相談したのではありませんけれ
ども、少くともエアハルトのやっているような政策はやらなければほんとうのものにならぬと思うのです。これは功労者が額に汗して働くことがこの民族の発展であると
考えあるいは使用者も得たる利潤をひとりで独占するというような
考え方は捨てて、
労使がほんとうの協同友愛の気持になってこの利潤の分配あるいは生産の報奨制あるいは経営の参加というような
ところまでいかなければほんとうにはならぬと思うのです。ただ、今の
ところはお互いに
労使がいがみ合って力ずくでいこう、こういう行き方は私はほんとうじゃないと思うのです。けれ
ども私は今そういったことを直ちにやることはできませんから、そういう気持の上に立って努力はしておるけれ
ども、皆さんから見るならば何か大蔵
大臣の小使のように
見えるでしょう。しかしこの
制度に立っている以上は今の態度に出る以外に私は道はないのです。諸君がいろいろ言われるのですけれ
ども、私は諸君くらいの気持は持っているのです。けれ
ども今このワクの中にはめられてどうすることもできない。でありますから、私は大蔵
大臣の手先でもなければ、
政府の手先でもない。一
労働大臣として、日本の
労使の慣行がよりよくなるように努力をしているのです。けれ
ども皆さんから見るならば、まるで足らぬ
ところだらけで、そして問題にならぬじゃないかとおしかりを受けても、私は精一ぱいやっているのです。
それから五百二十円の問題は、いろいろ御議論がありますが、私の今の観念から申し上げますならば、かりに利潤分配的な気持ちからもって見ても、あの
仲裁裁定というものは私は公平に行なっていると思います。五百二十円を百七十円ずつ三年間にとって、そして俗にいうああいうやみ給与というようなものは残らぬように努力することが私はほんとうだと思うのです。私はこの点は
自分の良心に恥じておりません。お前の言うことは言うこととやることと違っておるじゃないかという御
指摘でありますけれ
ども、私は、五百二十円の中から百七十円をとったことは当然のことである、あの第一条の条文から見ればこれはプラス・アルファになっておると私は思っておりますから、そのことはエアハルトのような
考えをもってやっておる政治に比べましても、あの行き方については無理はない、かように思っております。