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井堀委員 あなたの御
説明の中で非常に重大だと思いますのは、委託
経営をやらせようというのですが、これは委託してはならない事項ではないか。あなたの言うのは、聞き方が悪かったのかもしれないが、何か公務員がやるのも中業団がやるのも同じようなものだというようにとれましたが、公務員がやっている場合は、言うまでもなく、
大臣が法律の命令を受けて執行させているだけの話でありますから、悪ければ
責任は
大臣がとればよい。間違っていれば公務員が
責任をとらされることになるだけだ。ところがここにあるのは、この
事業これだけだけれ
ども、これを切り離すというんでしょう。そちらへまかす、まかせるだけでなくて計画から予算まで――一条、これはあなたの方はさっきも差しつかえないと簡単に言ってのけましたけれ
ども、そうじゃありませんよ。これはこういう
労災保険のはかに
労働者の
福祉に必要なる
施設をなすことを目的とする法律なんですよ。その目的の部分を結局こっちへ全部とってしまうわけではないが、大部分重要なものはこっちへとってしまうのです。この法律はそれを代行せしめるということは明らかだ。この代行の
内容はということになると、
説明の第四のところで
大臣はこう
説明された。私はその法律解釈が間違っているとか、間違っていないとかという法律的な専門的な技術論をやろうとするのではありません。
労災保険の持つ本質というものがありましょう。何回も繰り返すようですけれ
ども、他の
事柄と違うのですよ。工場法では雇い主に全部の
責任を持たしておった。
経済的な負担においても生活的な面においても道義的な面においても、公傷――公けの、作業上、
事業上でけがしたり、疾病にかかったり、廃疾になったり、死亡した場合は雇い主が埋葬料から
病院の費用から一切がっさい持って、家族の生活までめんどうを見るということを法律は規定しただけなんです。それを今度は保険の
制度にして、その保険は国がやる、その第一条にこう書いてある、だからこれは
健康保険や
国民保険とちょっと違うのです。
二つともその点
共通点があるのです。
労働省が
所管している
失業保険と
労災保険は本人の責めに帰せられないことでしょう、こういう大事なものを、法律できめられているものを、これはどんなりっぱな人をお選びになるか知りませんけれ
ども、これはどんな人を得るとか得ないとかいうことじゃなく、そういうことはまかしてはならぬことではないか。国が
責任をとっていかなければならぬものを、一部を代行させて
責任のがれをする。いやもっとよくするのだとおっしゃるが、ここには一番利害
関係の深い被保険者の発言権はありやしないじゃないか。だから私が言うように、そうならその被保険者の
団体がこれを
運営するのが一番いいのです。自主的にやってもらう、そして
政府は
監督する、これが民主的なんです。だからコースはあべこべじゃございませんかといりことを実は聞いているのであって、法律違反になるとかならぬとかいうことよりも、もっとこれは本質的には大切なことではないか、それを私
どもに納得させないで、これはいいのでございますといったって、そうはいかぬでしょう。これはむしろ事務当局の答弁に属することよりは、国務
大臣として、はたまた
国民を代表して、代理して
政府はこういうものに対して厳重な
監督の地位についているのですから、だから
政府がこういうものを出してくるということの
考え方について徹頭徹尾怒らなければならぬ。怒る義務がある。あとで事務当局には具体的の点について
お尋ねをいたします、時間があれば。この
労災保険についても
失業保険についても被保険者の声がまだ上へ通らぬ、上へ、という言葉は語弊があるかもしれませんが、執行機関に疏通しない、あるいは保険の運用の中にどうも被保険者の声がはっきり表明されないという声をたびたび聞くのです。具体的事例をわれわれはよく知っておる。そういうことをこれから御紹介しながら
お尋ねをしていくつもりでおります。しかし、その前に問題がある。もっと本質的な問題があるでしょう。これは
大臣が見えませんから、あとに保留しておきましょう。
次に、少し具体的なことを
お尋ねいたします。
労災保険の中で、これは昔の工場法のあとを継いでいるのですが、たとえばけがをしますね、そうすると打切り扶助料という問題が出た、指の一節とか二節とか、こういうこまかいものをずっと書いてみたのです。それでもなかなかうまくいかない。それは実際はどうするかといったら、われわれが大体むずかしいものを
判断してみますと、これはいずれも
健康保険とよく似たようなところがあるのです。科学者と法律家となわ張り争いをして、そのために迷惑をするのは被保険者です。だから一番大事なのは、被保険者の声が一群正直に通らなければならぬ。指の一節と二節のどっちかということよりも、
仕事によって指の一節、指のつめの先がなくなってもその
仕事につけぬことになる。そうすると今までの収入、今までの地位を維持しようとするためにはどれだけの犠牲を払わなければならぬかということもあるのです。ほんとうはやはりそこまでいかなければ、私は
労災保険に対する補償の等級などというものはつけられるものではないと思うのです。そういう改正が今必要になってきている時期ですよ。
それで、そういう被害を受けた人たちが
理事長になるならいい。私はそういうことをやるかと思ったら――
理事長というものは大体被保険者を代表する人がなるだろう、
理事の中には雇い主もお医者さんも入れ、学識経験者も入れる、そういう専門的な技術者を入れて四人とかそういうことを
考えているのじゃないかと
考えて
お尋ねしたら、さっぱりお答えがない。あるいはそうかもしれませんけれ
ども、それならそれとそのように明らかにしておきませんと、論議は行きつ戻りつするのです。何だかこれは
人格高潔だとか、公益性を理解しているとか、そういうことはもう議論の余地のないところなんで、当りまえのことなんですしそんなところに非常識の者を持ってきたり、公益性を理解しない者を持ってきたり、そんなことはない。それはわかり切っておる。だから、
労働行政に詳しいということも
一つの
条件になるでしょう、長い間
労働者のために一生懸命公務員としてお働きになったということも
一つの
条件に入るでしょう、それはいいです。だけれ
ども、それだけでは不十分だということは、審議会の設置の
理由が明らかに
説明しておるではありませんか。その上に
国会があるでしょう。
政党があるでしょう。
政党政治の妙味というものはそこじゃありませんか。だから、存外エキスパートを要求するのではなくて、平凡な民意が大切なんですよ、民主主義の政治というものは、存外それが真髄をついておる。だから被保険者の声がこの保険に反映しないようなものは、それはもう一番悪質な邪道なのです、そういうところを向いていはしませんかと言いたら……。それなら、それはそんなふうに改めるべきとか、何とかあるべきものだ、これはどうでございましょうか、専門家もおるのだから、等級をきめるなら、その場合どこがきめるのですか。