○横山
委員 時間がありませんから、この問題は、問題はずっとあるのですが、
大臣もお聞きになっておると思うのです。私の森永さんとの質疑応答の中で、労働省としても考えてもらわなければならぬところを含んで私は言っておるわけです。結局、協約、協定を結んでも、大蔵省がそれを没にしてしまう。森永さんの今の話は、協約、協定を認めぬとは言わない。けれども財政的にそれを結果として認めないという場合があるのだということを言っておるのです。そうしますと、ここでもう労使の団体交渉及び団体協約というものは、事実
政府の中で、大蔵省の
予算編成なり何かで没にされてしまっておる、そういう結果が出てきておるわけです。
もう
一つ、もう最後の問題ですから……。きょうの新聞によりますと、三
公社の給与総額内の流用を新たに制限し、基準内給与と基準外給与の流用は大蔵
大臣の
承認を必要とすることとし、
公社が勝手にできないようにする、こういう文句があります。ここまできますと、まさにこれは国家公務員の賃金の
予算の制約と全く同じになるわけです。一番最初にあなたに聞きましたが、
公社の賃金はいかにあるべきかという余裕というものはここで完全に遮断される。今度の春闘を通じて私どもが痛感しましたことは、もはや――この問題は非常に重大な問題です。それを
大臣にお考え願いたいのですが、今度の春闘を通じて痛感されたことは、世間一般が痛感していますことは、本来
公社と労働組合の争議であるのに、まさに
政府と労働組合の争議だ。
公社はおいてきぼりを食っちゃったということが一般の常識になっています。なぜそうなるか。これは大蔵省が、調停案が出る前後を通じて、もうすでに新聞に情報を出して、あんな金額ではのめぬといい、アドバルーンを上げたことが第一でありましょう。それで、労働者は
公社の方を向いたってあかぬぞ、
政府の方を向かなければあかぬぞということになった。
裁定が出始めると、
政府部内で公務員との格差の問題が問題になる。一体その格差はだれが言い出したのか。国家公務員の賃金を議論するのは、一体今どこでしょう。失礼な活だが、労働省には給与
審議室というものがおありになるようです。ところが、給与について問題を言い出すのは常に大蔵省であります。きょうは大蔵省の方にえらい悪いですけれども、
一つがまんして聞いてもらわなければいかぬ。これは事実なんです。給与の問題について仲裁
委員会がある、団体交渉の当事者がある、サービス省としての労働省があるのに、問題になることは常に大蔵省が言い出したことです。そこに労働省としてもう一ぺん考えてもらわなければならぬところがある。しかも今度、基準内給与と基準外給与の
移流用は大蔵
大臣の
承認を得なければならぬとなれば、団体交渉をして団体協約を締結しても、これによって全部が全部大蔵
大臣の
承認を得なければならぬ、こういう結果になるのですよ。従って今後も、公労協の労働運動は全部が全部
政府を相手にせざるを得ぬ。
公社はこのワクを狭められて、もう私には
予算の
移流用の
承認の
権限はありませんと、一々交渉の最中に運輸
大臣の方を向く、あるいは大蔵省にお伺いを立ててやる。従って
公社は全くロボットになるのではないか。たとえばあなたが先ほど申されたいわゆる格差の問題ですね。格差の問題は、仲裁
委員会が
予算単価と実行単価の幅を詰めろといっている。これは私は今度仲裁
委員が出られたら、その真意をよく聞いてみたいと思うんだが、これはどっちに詰める話ですか。実行単価の方に
予算単価を詰めるのか、
予算単価の方に実行単価を詰めるのか、どちらの話でありましょう。
労働大臣はどちらの話と理解しておられるのですか。実行単価を
予算単価の方に年々歳々詰めていくということは、今日生じておるあらゆる格差というものを認めない、三年間たって全部つぶしていくということですよ。そうでなくて、仲裁
委員は、実行単価の方へ
予算単価を詰めていくんだ。それは、
公労法によって、協約、協定、団体交渉というものを尊重する立場ならば当然の話であります。債権が生まれ、
債務が生まれたのでありますから、その債権と
債務を履行するためには、債権の確定したところへ
予算をさや寄せしていくのは当りまえの話であります。それができないくらいだったら、債権、
債務を確定しない方がいいのです。一たん確定したものを、もう一ぺん何かいろいろな理由をこしらえて、
予算を締めて、実質的手取りを落して
予算単価にさや寄せするということは、
一体公労法の立場からあり得ることであるかどうか。私のあなたに言いたい最後の結論は、今の公労協の労働運動を政治的だと非難される
大臣は――この前あなたが
答弁なさった速記録を私ずっと目を通しました。勉強しました。あなたの率直な
見解も読んで知っております。知っておりますが、あなたは今、公労協を政治的に持っていかないようにするにはどうしたらいいかということに苦心をせられる立場であります。経済闘争は経済闘争としておさめなければならぬ、こういうふうにあなたは苦心をしておられる。ところが今や事態は刻々と、好むと好まざるとにかかわらず
公社当局をロボットにしてしまって、一々大蔵
大臣の
承認を得なければならぬようになるのであります。
予算で三年間かかって、大蔵省ががんと控えて、その
裁定をつぶしてしまおうという立場にある。こういう状況の中で公労協を経済闘争に持っていこうというところの意図というものは、全然できない。かえってますます政治的にならざるを得ない。そうでしょう。それについてあなたは一体どうお考えでありましょうか。これが私の最後の問題点です。