○五島
委員 ただいま
石橋君が駐留軍の問題について聞かれたわけですけれども、これから私が質問しようとするところの数点は、それにも一部
関係があると思います。質問の項目は、特に一地区の問題、神戸市の中本商店というところに結成された
労働組合と中本商店との泥沼のごとき争議状態に関して、いろいろの面でまず聞いていきたいと思います。これは神戸の問題ではありますが、
一般の
中小企業労働組合の争議やロック・アウトに関した問題をとらえて、質問をしていきたいと思います。その中で警察の干渉の問題も簡単に触れ、そうして所見を聞いていきたいと思っております。それから次に、ただいま駐留軍
労働組合の問題がありましたが、特に横浜港に現われたところの
雇用関係の問題、すなわち米軍が労務者を直接に
雇用しようということが発生したらしいので、その件について質問していきたい。そうしてまた
完全雇用の面、低
賃金の面から、ただいまの大きな工場、
事業場におけるところの
労働構成、
労働の構造状態について、
臨時工や社外工の問題についても聞いていきたいと思います。次に
失業対策事業の問題についても触れたいと思いますが、時間の許す限り貸間をして、そうして時間がないところは保留したいということをまず冒頭に申し上げて、質問に入ろうと思います。
事の緊急性のウエートの問題から、神戸の中本商店と同
労働組合のスト及びロック・アウト、泥沼のごとき争議状態の問題を質問していきたいと思います。この問題については、本日の新聞においても、東京地区においても栗林
労働組合が争議に入った、そうして団体交渉をめぐって警官隊を三百名も動員して、実力行使を実施するとかしないとかいうような切迫した問題が発生しております。ところでこの問題はしばらくおきまして、これと同様な事件で、今年年が明けて早々から、ただいま申しましたように神戸の中本商店の組合と会社側との紛争が生じておりまして、ついに警官隊の出動となり、ピケを張っていたところの
労働者が一挙に全員検束されたという事件があります。この問題をとらえるに当っては、ただ単に争議をやっておるからその問題についての所見を聞くというようなことばかりでなくて、中西
労政局長に対しては、団結権、団体交渉その他のいわゆる
労働次官通牒とも関連するかもしれません。よく当月もおわかりになっておられるかもしれませんが、一地方の問題ですから完全には知る由もないと思います。そこでこの
労働組合のストライキの性格等々について前置きして言わなければなりません。それで非常に前置きが長くなるかもしれませんけれども、これはあらかじめお許し願いたいと思います。
この中本商店というのは麻袋を製造しているところの会社です。特にこれが大きなスケールとして発展したのは、朝鮮ブーム以来どんどん膨張してきた工場、商店であると認識を願いたい。そうしてこれは本社を大阪に置いて、神戸のみならず横浜、名古屋、下関、広島等々の各都市にわたって小さいながらも工場を経営しております。特に争議発生をしたところの神戸の味泥工場は百七十名ばかりの従業員でありますから、
中小企業に属する。その工場において従来何回も組合を結成したわけですけれども、そのつど会社の圧迫によってその組合がつぶれ去っておったわけです。しかし従業員は、そのつぶそうとする力にも抗しながら組合を去年の十二月に結成したわけでございます。ところがさっそくに会社はいつもの手によっていち早く、さいぜん申しました各都市におけるところの工場に、組合を会社の力によって作ってしまったというような状態で、いわゆる第一組合、第二組合に分れたのであります。そうして今年の一月四日に組合が賃上げを要求いたしまして全面ストに入ったのでありますが、その翌日の五日に、交渉の結果、外部団体とは提携はしない、それから今後ストは絶対に行わない、賃上げは従来の二五%
——この二五%とは千二百五十円に相当するわけですが、二五%の賃上げを
昭和三十二年の一月中旬に実施する、それから職制を明確にする、以上四つの項目を話し合って会社もそれを約束し、組合もそれを約束するならばストライキを解くというようなことで、ストを解除したことがある。そしてただいま申し上げました四点は、第二組合と第一組合が統一された後に実施するというようなことで、ストライキが終っておるわけであります。ところがその後第二組合と第一組合の話し合いはなかなか進んでいない。そして第一組合の方から統一の条件として出された、第一組合からの役員を何名にするか第二組合からの役員を何名にするかという話し合いでこじれてしまった。そしてそれは最初第一組合から人員の比例によって八名差し出す、第二組合から三名役員を差し出してそして統一をしようということでした。そういうようなことをしていると、その翌日には今度は第二組合から五対五の同率の比例をもって役員を作ろうじゃないか、そして会社と協議をしたところの四項目について話をしようじゃないかというようなことになった。ところが一月の九日になりますと、今度は逆に少数組合の第二組合の方から八対三、第二組合から八名出して、第一組合から一名役員を出したらいいのじゃないかということを言ってきたわけです。これはこの第二組合がいかにして作られたかということがその性格上重要な問題であろうと思うわけです。こういうようなことで第一組合と第二組合の相談が妥結しないまま、会社との協定書が実施できないような状態に陥ってしまったわけであります。そして一月十二日には、最後に十一対零で、もう第一組合からは役員は要らぬじゃないか、第二組合に十一人役員をよこせというように主張してきたわけです。そこで第一組合の百四十名の組合員は、これでは会社と約束したことさえも何ら話し合いができない、これではだめだということで全員大会を準備したところが、工場長や専務やそれから労務
課長の邸宅に年少組合員数十名を集合させて、そしてブドウ酒や菓子の接待を行なって足どめした。そして大会の時刻には、その家の戸締りをしてしまって軟禁の状状態にした。そこで当日集まったのは百名くらいの組合員であったという状況が
調査されました。そしてその間に会社は職場で第一組合員を虐待するというような問題が出てきたわけであります。たとえばその種類としては、お前は仕事を少しもさぼってしないじゃないかというようないやがらせあるいはお前の態度は悪いぞというようなこと、そしてついには役員、職場
委員等を配置転換をしてしまった。そして配置転換の状況がふるっておるわけです。従来ミシンの監督をしていた者を掃除夫にかえたりなどしてしまっている、こういうようなことが発生したわけです。
そこで第一組合員は、その四日の一日のストライキをかけて、この四つの項目について、たとえば今後絶対にストライキはしませんというようなわれわれから思うと、全くおかしげな妥協をしたにもかかわらず、それらの問題を等閑に付して、二五%の賃上げは一月中旬に実施するという約束を得たけれども、こういう状態では賃上げの事柄がいつ実現するかわからないというようなことで、しびれを切らして五日に協定したその協定の破棄の通告を会社にしているわけです。そして十九日午後二時四十分から全面ストに突入した。ところがその数十分後には、会社は、常務や労務
課長以下約六十名、その中には暴力団多数が含まれていたが、その六十名が事もあろうに旧時代的な白だすき、白はちまき姿で、第一組合員が工場にストライキをして立てこもっていたのを、工場外にほうり出してロック・アウトを宣言した。そのロック・アウトを宣言したときに、七、八名の私服警官が現場に配置されていたということですが、この際組合員が数名の負傷者を出したわけです。そうして配置されていた私服警官はこれを拱手傍観していた。この警察の処置に対しては組合員あるいは応援の人たちが非常に不満を持ち、増悪を持ったわけです。私が今述べたことは、私が一方的に見て発言していることかもわからない。しかしながら、私が今経過を述べたような状態でやむにやまれず組合が無期限ストライキに入っていった経過はおわかりだろうと思います。
こういうような状態があってから、今度は団体交渉も何もできなくなってしまった。そして一月二十二日には、ストライキ中でも会社側は製品を外部に出さなければならないというようなことで、ピケを突破して、麻袋を同じく兵庫県の別府工場向けで強行出荷をしようとしましたので、ピケ隊と発送しようとした力とぶつかって非常な混乱が生じそうになった。そこで今度は警察は私服五十名、武装したる警察練習生五十八名を動員しまして、そういうふうに、ピケを張って抵抗するならば、実力行使をしなければならないから、ピケを解きなさいというような実力行使を宣言した。そういうような状況をもってその日はいろいろ他の兵庫県総評幹部あたりが会社側と相談をして、事態の収拾をした事実があるわけです。
ところがピケの実力行使に対して警察側に総評の幹部と組合の幹部がいろいろ交渉したわけです。それでピケ隊がそのとき旗ざおを
——この旗は各組合の応援旗、いわゆる赤旗をずっとつづくり合せて、この寒空の夜に天幕を張ったわけです。あの厚いテントではなく、組合の旗をもって会社の外に露営をした。そこで旗ざおが残ります。ところが強行出荷をしようとして自動車を通そうとしたものですから、それをとめようとして、組合員がその旗ざおを手にして全部列を作ってそれをとめようとした。すると警察側は、この旗ざおを手にすることは凶器を手に持つことである、すみやかにそれを放棄せよということで、組合員は旗ざおを放棄した。組合は、ピケを張ること自体が目的ではない、団体交渉を通じて争議の解決をはかることが、すなわち労使円満なる解決であると思うにかかわらず、団体交渉はできない、強行出荷はする、ピケ隊を暴力をもって傷を負わしておっぽり出すという状態のうちに事態はどんどん深刻な状態に突入していった。
その後組合と会社は話し合いに入りました。そうして総評と会社側と話し合いに入ったことは入ったんですけれども、それは自主的な話し合いではなく、そこに警察が立ち会って団交が再開されたわけです。そのとき団交の持ち方について、当日は社長が出てきてなかったもんですから、その後に社長と総評の代表と会うことを条件に、組合はピケを解除した、そうして工場内の組合事務所からの引き揚げを了解して、工場から争議団を引き揚げたわけであります。
ところが、その翌二十三口に会社側と総評の幹部と組合の代表とが神戸の一流ホテルのオリエンタル・ホテルで会談をした。そのとき社長が言うことには、あたしゃ
労働問題は初めてだ、そこで勉強もしたいし、解決するためにいろいろ与えなければならぬから、もう少し時間をかしてくれないかというようなことで、組合の幹部は、それは双方とも交渉等については未熟だから、よく考えてもらって、その解決の方法を見出してもらう方がいいんだというようなことで、社長と総評の幹部との会談はそういう了解をもって終った。そこで組合は、何らかの手段方法をもって会社側はその解決の方法を見出してくれるものであると非常に期待をした。ところが翌一月の二十四日には、会社はその態度をもう直ちに裏切ってしまった。そうして組合幹部を含む十九名の解雇通告を今度は逆に出してきた。団体交渉の話し合いが何にもならなくて、その翌日は組合の幹部を含めた十九名の解雇通告を出してきた。そうして正門前の天幕、さいぜん言いました組合旗によって作られたところの天幕の撤去を要求してきたわけです。そういうようなことで解決はとうていできない。ところが一月の二十七日、毎晩々々、昼はピケを張り、晩はその旗の天幕の中に、この寒空の中に露営をしておった、ところが雨はそれまで降らなかったのですけれども、二十七日は折から冷い雨、すなわち、ひょうまじりの雨が降り始めたわけです。そこで長い間寒い天幕の中に入って寒さをこらえていたけれども、ついにたまらなくなって
——当時露営をしておったのは男女合せて三十二名の組合員だったのですが、もういたたまらなくなってしまった。それで工場の南門の方にはかぎがかかっていなかったので、かぎのないところの南門から、もとの組合事務所、更衣室がもとの組合事務所だったのですが、その組合事務所に避難をして行った。そこでこれは組合事務所に入れば建物の不法侵入になるだろう、そういうようなおそれがあるから、そこで警察に組合側は、こういうように寒いのでたまらないから工場内に入ったという通告をした。ところが会社も同時刻をもって、組合員が不法侵入してきたから何とか処置をしてもらいたいという連絡をした。そこで警察は一個中隊をその日動員をした。そうして不法侵入であるから早く退去しなければならないといって、退去命令を出したのです。しかし組合は雨が降っておるから退去するところがないので、避難するところがないのでというような
理由をもって退去に応じなかった。そこでついに午前七時に三十二名の全員が逮捕されてしまった事件があります。そうしてその一日、十一時半ごろまで三十二名全部に対して
調査尋問が行われ、調書が取られたわけです。そうしてその取調べの際に、六十才ぐらいのおばあさんが、返事が悪かったか、態度が悪かったかしらないけれども、某刑事が、平手ではありますが、平手でほおをなぐった事件が発生したということです。そこでこういうような取調べか
一体行われるかどうかというようなことなども、非常に組合側の不満の種となり、そうして会社に対する憎悪と警察に対する憎悪というものがあるわけです。そうしてついにその翌日、全員逮捕されたその翌一十八日に、会社側はさらに二十六名の解雇追加を発表いたしました。そこで全部四十五名の解雇通知が発せられたわけです。そこでついに組合側は二十九口に団体交渉の拒否に対する再開と組合事務所妨害の排除、それから解雇者に対する身分保全に対する仮処分の訴えを神戸地方裁判所に手続をしたという事態で、その後今日に至るまで、一月四日から始まった事件、そうして一月十九日から無期限ストライキに入った事件が今なお解決しないで今日に至っており、組合員は行商等々を行なって
生活を支え、闘争資金を積み立てている。これは
一般的な行為ではありますが、そういう状態です。ところがここに付言しなければならないのは、その中本商店というものは、冒頭に申し上げましたように、二十五年の朝鮮ブーム以来膨脹に膨脹を重ね、一挙にして本社ができ、そうしてその事務所たるや大理石の応接間を持っているというような状態の
内容を持つ会社なんです。ところがその
賃金はどうかというと、五千五百円が
平均賃金であります。そうして新制中学校を卒業して七年たたなければ日給百九十円にならないという状態であるわけです。これは低
賃金の問題にも関連するでしょう。そうしてどんどん、態度が悪いとか、
賃金を上げてもらいたいならばもっと働け、パチンコ玉のように働けと言って、そうして職場では
課長もおれば係長もいるのに、日常労務
課長とか重役さんたちが、どんどん現場へ来ては、
課長や係長を差しおいて、お前の態度は悪いぞとかいうふうに、非常に近しい状態において
労働者を鞭撻し監視するというようなことがあったから、さいぜん申し上げましたように、職制をはっきりしてくれろというやむにやまれぬ組合の要求になったということに
実態があるわけです。こういうように
中小企業の問題については、私が述べたところの中本商店の
労働組合の賃上げ問題に関連するところのどろ沼のごとき無期限ストライキ、あるいはロック・アウト、そうして悲惨な状態が発出するということは、中本の職場のみではない。さいぜん申し上げましたように、今問題になっております東京の二組合の問題のごとき、あるいは
全国津々浦々の至るところにこういう問題が発生し、あるいは首切られていっている。低
賃金によって
生活をさせられながら、そうして過重な
労働を押しつけられながら、自分たちの
賃金を要求し
労働条件を維持向上しようとするところの条件を組合を作って要求すれば、組合側の弾圧になっておるということは、これは中本
労働組合一件のみではないと思うわけであります。ところが一カ月以上無期限ストライキになって、なおこの組合は
労働委員会に提訴しておりません。兵庫県地方
労働委員会に提訴していないのであります。
〔大坪
委員長代理退席、
委員長着席]
ところがもしもこれを中西
労政局長に言えば、それが悪いんです、ちゃんと次官通牒に書いてありますよ、賃上げを要求して紛争が生じたならば、労使協力の建前から、それが好ましいからやはり機関々々がある、それで
労働委員会にかげた方がいいんだ、ピケを張ったりなんかしない方がいいんだというようなことを、次官通牒には教育方針で示してある。なぜこれは
一体兵庫県地方
労働委員会に提訴しないかという
実情は、いろいろ今まで
中小企業の問題を兵庫県地方
労働委員会も取り上げ、手がけてきました。ところが
中小企業の経営者に
労働組合法がわからない者、
労使関係の問題や労調法等の精神のわからない経営者もたくさんいる。そうして
労働委員会から呼び出されても、おれはそんなところには行かぬというような調子で、呼び出しに応じない経営者がたくさん現われている。たとえば以前神戸タクシーの問題もありましたが、この経営者を
労働委員会が何回となく呼び出しをかけても呼び出しに応じなくて、
労働委員会の
機能が発掘されなかった。その間に組合のストライキは続き、
賃金は支払われないという状態が派生して参りました。こういうようなことを組合は身をもって体験しているわけです。従ってできれば力によって
——力というと中西
労政局長はそんな力はおかしいですよと言われるかもしれませんけれども、やはり自主的な交渉を持って解決しようと企図したわけです。しかしいまや一カ月も過ぎ、そうして行商等々で
生活を維持しなければならないような状態で、間もなく地方
労働委員会に提訴されるだろうと思います。しかしながらここにもう
一つわれわれが無視することができないのは会社側の態度であります。今まで言うように、組合ができれば組合をぶっつぶし、
一つの組合ができれば第二組合を対抗的に作って、あるいは組合の大会にはお茶やブドウ酒
——未成年者だから酒は飲ませなかったかもしれませんけれども、こういうようなわれわれの常識では判断できないようなことを平気で行なっているというようなことが、この争議の問題解決の非常な阻害になっておるわけです。こういうようなことについて、この次官通牒の問題と関連して
労働組合の団結力を無視して、
経済力の力をもって、使用者であるという立場をもって断圧し、そうして刃向う者はみんな首を切るというような
労使関係が果して円満であるかどうか。この点について局長の見解を求めておきたいと思います。