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蓮池参考人 蓮池でございます。私の方から、
昭和三十二年の二月現在で取りまとめました
会社の
現況調査書をお手元にお届けしてあるということであります。書類でごらん願う分はそれについて御高覧いただくことにしまして、私から概略御
説明を申し上げます。
東北興業創設以来の沿革につきましては省略させていただきますが、非常に広範にわたりまして
各種の
直営事業に仕事を伸ばし、かつまた
投下資本によって
地方産業を育成していく役割に非常に大きな
ウエートを置いて、
発展した
事業の幅を持って参りました。当
会社のその
発展した
事業の多くが、ちょうど
戦時経済推進の過程にあったということのために、終戦になりますと、育成して参りました
産業も、また直営で手を伸ばしておりました
事業も、
経済界及び民需、軍需の大きな転換の過程におきまして非常に難渋をいたしましたわけでございまするが、かてて加えて、不幸にも
東北興業株式会社は、御存じの
通りの終戦処理の過程におきまして、集中排除法、
企業再建整備法等の強い適用のやむなき事情に至りまして、これらの
事業は、かりに育成していくことができる環境が残っておったといたしましても、手放さなければならないものが数多くございました。
昭和二十五年の過程におきまして、
企業再建整備法の適用上、これを処理していく方針が一応きまったのでありますが、現在におきましては、つながっております
会社のうちで、育成していって十分成算があると見込まれるものが十数社にとどまっておりまして、その他おおむね処理が済みましたもの、ただいま清算過程にありますものは十数社でございます。直営しておりました
事業の数から申しますと、大へん多くあるのでありますが、その中で手をつけておりましたのは、おおむね軍需
産業上必要な
資源の
開発でありまして、軍需省
関係の鉱山にも手広く手を伸ばしておりましたし、中小
企業の育成の資材になります基礎
産業部面にも、多くの直営部門を持っておったのでありますけれども、これまた、さような過程におきまして、あるいは一般民間に委譲し、あるいは
採算上仕事を停止するというものが大
部分でございます。
その中から、
東北興業の新しい姿勢、国から援助をいただけないで、しかも
会社の経営の力によって再建して、そして
東北開発のおためにもなり得る
余地があるかどうかということで、苦悶の時代が数年続いたわけでありますが、その中から取り上げられて、現在
企業のベースに乗って、大体安全な軌道に乗っておりますものに、木友の亜炭の採掘
事業が
一つございます。もう
一つは、
福島の石灰窒素工場の経営がございます。直営部門の
事業といたしましては、これが現在経営しております根幹の
事業でございまして、木友の亜炭
事業は、年産額約一億程度でございます。使用人員は、延べまして約五百名前後になるかと思います。
福島の
肥料工場は、この苦しい過程にありまして、なおかつ設備拡充の投資をいたしまして、最近では第一次
事業が一昨年完成いたしました。昨年はその創業第一
年度に当りましたが、従前小規模でやっておりました
事業に、設備増強をいたしました結果、昨年三十一
年度全体としては、ちょうど工事着手前から見ますと、
原料カーバイドの
生産量は二倍に増強いたしております。石灰窒素の
生産量も、それに比例して増加して今日に至りまして、
企業の機械部門が整備いたしましたことと、それから工員の
技術が日に日に練達になって参りましたことと、両々合せまして、
生産性の向上は顕著でありましておおむねただいまのように
原料高
製品安の石灰窒素の現状におきまして、やや経営のベースに乗って参っておる次第でございます。大体年間の経営のバランスは、十億程度に相なっておるわけでございます。
一面、かような状態で進んで参りましたか、つながっております、しかも、まことに惜しい
技術と、それからまた立地から
考えて、きわめて適切な
産業として残っておりますもののうち
——この親
会社ともいうべき
東北興業の
資金源が、法人に対する
政府の財政援助制限に関する
法律で閉ざされております
状況を何とか打開していただくことに、いろいろと
政府当局にもお願いを申し上げることの努力は続けて参ったわけでありますが、しかし、それを待っておるのでは、大事な
技術も
企業も、これを継続することができない事態が参りますので、
資金が少額で足りるもので、しかも
地方の熱意が旺盛で、地元の支援が強力であるという、両々相待って再建の
可能性のあるものにつきましては、
関係会社数社にわたって、
地方銀行の貸付金等を拝借いたしまして、新しい
企業の体制の建設に努力をいたして参りました。さようなことで、大体安全軌道に乗っておるものが十近くの
会社に相なっておるわけでございます。ただ、この子
会社の
関係でありますが、ただいまのところは、さようなことでつないで参りましたけれども、決してまだ経営の
合理化を遺憾なく実施するだけの
資金量を獲得できませんので、これらの
会社につきましては、なおこの上とも支援が必要であると
考えまして、その
資金源の獲得に今後ともいろいろと御配慮をいただかなければならぬと存じておるわけでございます。
なかんずく、この十数社の中で、手の入ったものは別でありますが、一番残念なのは、非常に大きい設備でありまして、
東北興業の力で、この
資金源の確保という点から申しますと、容易に
資金参加で再建を手伝うということができない事態で、遺憾な状態になっておりますものが
東北船渠株式
会社でございます。
東北船渠株式
会社は、終戦の近くの段階で、非常に大きな期待が軍需
産業方面から寄せられまして、当初のスタートは大体三十万円から出発した子
会社であったのでありますが、年々増資をいたしまして、戦争のちょうど半ばごろ
——十七、八年ごろと思いますが、大体資本金五百万円で、相当収支つぐなう、そうしてまた
地方に相当役立つ施設として活躍して参ったのでありますけれども、戦争の最終段階と申しますか、
昭和十九年になりまして、この
会社の設備を軍需工場に飛躍せしめるということの四囲の強力な要請がありまして、五百万円の
会社に一挙に、当時四千数百万円の
東北興業株式会社が、一千万円の増資を一手に引き受けて、千五百万円の
会社に飛躍せしめて、そうして軍需工場の指定を受け、着々設備の増強をはかって、駆逐艦の製造もやらなければならないといった目標で進んでおったのでありますが、ちょうど建設半ばにして終戦の段階に相なったのであります。その後、この施設を活用するということは
——施設増強の過程で終戦になったものでありますから、多少余力もございました。それで、
昭和二十五、六年まで、どうやら
産業の極端な変り目に当りましても、経営がつながって参ったのでありますが、もともと
資金量が足りませんので、戦争の最終段階でねらった大きな規模の経営をやろうとしますと、この
会社の行き道がなくなっておるのでありまして、いろいろと当事者は苦心を払ってきたようでありますけれども、経営が安定しないまま、
昭和二十七、八年の過程に入ったのであります。一時小康を呈したこともございました。経営の
合理化に相当思い切った措置も進めまして、一時やや安心する向きが二十六、七年の過程で出たのでありますけれども、その過程でさえ、やはり特に有力業界の支援を得て、この
会社を軌道に乗せるということで、
東北興業としての大きな出資を持っておる
関係から、
日本鋼管等にこれが支援をお願いし、事態によっては、この経営にさらに深く乗り出していただくということの交渉をずっと続けてきた過程がございます。でありますが、不幸にしてちょうどその過程で、
日本鋼管も
検討中でありまして、まだ結論が出ません過程において、あの御存じの造船界の極端な不況がやって参りました。その不況の波は、ようやく措置をつけようとするこの
会社の運命にも非常にきびしい影響を与えまして、この
会社のきわめて経営不振な状態が参り、一面多くの労務者は、仕事がない上に、やはりここの仕事を守っていきたいという念願を続けているものでありますが、なかなかその多くの労務者を扶養していくことも、切々とこの
会社の経営に響くものでありますから、ついに三十年の秋に工場閉鎖のやむなきに至っておったのでございます。しかし、これとても地元では、また
東北では、海運の
関係から
考えても、漁業の
関係から
考えても、どうしても
地域的にただ
一つ希望のあるドックの施設として残されておるものでありますから、これがどうしても再建をはかりたいという熾烈なる熱意がございますので、私どもといたしましては、
東北興業の全面的な
資金源の獲得が可能であるということを飛躍的に
考えるよりは、むしろ端的に、この
事業それ自体を盛り上げるために必要な
資金源を獲得することを御心配いただくと同時に、有力業界にこの再建に強く積極的な姿勢で参加していただくということを頭に置きまして、いろいろと
政府御当局にお願いを申し上げて参って、今日に至っておるわけでございます。幸いにして来
年度事業計画に、この仕事に予定せられております
事業がお進め願えるということになれば、この小
会社の問題も一応軌道に乗るのではないかと思いますが、これとあわせて、千万単位の
資金をもって補強すれば、より闊達に、より
事業能率を上げ得る小
会社が数多ございますので、その問題等についても、ぜひお取り計らいをいただかなければならないと
考えておるわけでございます。
当社のさような段階におきまして、新しい
東北開発の問題を、この国会を中心に非常に大きく展開さしていただいたことは、私ども
東北人としてはほんとうに心から感謝感激の至りでありますが、この先駆ともいうべき問題として、
東北興業の増強の問題を、
昭和三十
年度から
政府においてお取り上げをいただいて、三十
年度におきましては、新たに
政府出資一億をちょうだいして、その一億を基礎として、党の方でも大体御
検討の上で、
資金調達の御方針を内定せられまして、そしてセメント
事業の
計画を具体化するという方向で仕事をして参りました。ただいま具体化をはかって着々進行しておりますセメント
事業は、一関から約一時間、気仙沼の方面に出ております支線を参りますと、松川という駅がございまして、その陸前松川の駅から幾らもない
地域一帯を鉱区といたしまして、その鉱区の中心点ともいう地点に工場の設置予定地をきめまして、鉱区の取りまとめ、岩盤の
調査、石灰石、粘板岩その他副資材の所在及びその権利の獲得等の仕事が三十
年度において大体進められたわけでございます。三十一
年度におきましては、
政府御当局はこの下固めが固まった基礎の上に立って、さらに
事業計画全貌について
資金手当を確立していただく措置を、前国会を通じまして具体化していただいたわけでございます。
その内容を申し上げますと、
政府出資はさらに昨
年度二億をちょうだいいたしまして、合せて
政府出資三億をいただいておるわけでございます。一面
資金運用部
資金二億円を、当時は
東北六県でございまして、六県を通じて
東北興業にお貸付を願うということで、これまた
資金化の具体化を見ておるわけでございます。合せて五億でございます。
資金量全体としては十四億を予定いたしましたので、十四億から五億を差し引きますと九億でございますが、九億につきましては、昨年の通常国会を通じまして、法人に対する
政府の財政援助制限に関する
法律の特例規定を設けていただいて特に
法律の改正をしていただいてこの九億についての社債を発行して、それに
政府から元利の保証をしていただけるという措置を
法律上、
予算上講じていただきましたので、そのあとを受けて
昭和三十一
年度におきましては九億の社債が滞りなく発行に相なりまして、ただいま
資金の調達が完了いたしておるわけでございます。
他面、
事業の進行度を申し上げますと、昨年の通常国会におきまして、当社の
計画の中心になっておりますシャフト・キルンの種類、性能等についても相当御意見の向きがございましたので、私どもが
計画しておりますシャフト・キルンそれ自体について、さらに十分国会にお答えした趣旨にこたえ得る実態を、実地について責任ある
調査をさせまして、その上、確信を得て具体化に入るという方針を
年度の当初においてきめまして、当社の小柳博士をドイツ、スイス等に巡回せしめまして、工場の実態、その工場のキルンを使っておる新しい組織によるセメント工場の
状況、それから私どものセメント
事業の新しい
計画について協力してくれる
技術者の実績及び経歴並びに斯界の声望というような点について詳細な
調査をいたしまして、十分確信を得ましたので、昨年の九月になりまして、ドイツのポリジュース社と契約ができましてシャフト・キルン日産百五十トン五基の契約を完了いたしました。ただいま順調に製作が進みまして、この四月の下旬には第一回の荷送り分が船積みになって、六月上旬に横浜に到着する予定に相なっております。三回に分けて発送する契約になっておりますが、八月中旬に荷積みになって九月に横浜に着きますものが最終段階で、機械分の
輸入が大体完了する見込みであります。そのシャフト・キルンの具体的な設計に合せまして、それに合いまするミル・クレッシャーその他の機械分の国内発注をとり進めまして、ただいまのところでは、
原料部、仕上部、いずれも発注が終りまして、それぞれ
会社にメーカーが入っておるわけでございます。シャフト・キルンは、そういうことで今年の秋になりますると順調に参りますが、国内メーカー分は、御存じのような非常に好景気の
状況でございまして
——私ども国外発注分を非常に心配しておったのでありますが、国内発注分に取り組んでみますと、なかなか所期のように短かい期間で製作をしてもらえるという過去の状態が実現できません。そこで、いろいろと苦心して折衝を重ねて参ったのでございますが、幸いにして私どもの熱意に共鳴していただくメーカーも決してないわけではないので、だんだん発注が順調に参りまして、大きな施設につきましては、ほとんど発注交渉も完了いたしまして今年の暮れまでには、主要機械ことごとくが現場に整備できる見通しと確信とを得た
状況にございます。
もう
一つ、私からあらかじめおわびをしておかなければならないことは、さような過程でありまして、昨年の国会で申し上げておりまする設営期間は、ドイツの
調査を慎重に固めましたことと、それから一面、鉄材が、ちょうど仕事に着手しまする九月の段階で非常なる暴騰をいたしたということで、
資金量それ自体に非常に窮屈な面が出て参りました。しかし、私どもは価格が高くなったから
資金量がふえるのだということは、まことに申しわけないと
考えております。機械
部分、建築
部分、その他全面的に再
検討いたしまして、節約可能
部分を極力しぼりまして、具体化に入ったのでありまして、その操作で大体一月ほどやはり期間をかけなければならなくなった次第でございます。もう
一つ、非常に大きな問題は、工場建設予定地は自由に選べません。ちょうど広大な鉱区の中心に当る地点を、村、県の御協力を得て選び、かつその具体化を進めた
関係がありますので、簡単にほかに移すわけにも参りませんが、だんだん調べてみますると、岩盤までが非常に深い
関係がございます。五十メートル以上もありまして、その地帯が非常に複雑な地層を持っておりまするので、なかなか普通の工場建築をそのまま具体化すわけには参りません。そこで深度
調査から地耐力
調査を進めるため、高周波による
調査までいたしまして、ようやく結論を得て、具体化に入ったわけでございます。かようなことで、数カ月おくれて現在に至っておるのでありますが、幸いにして、
資金量も多少オーバーするのでありますけれども、決して鉄材の値上り程度まで
予算、
資金量を増すということはなくて、一割程度の増で全部完了する見込みに相なっておるわけでございます。大体
状況と、それから
新規事業の
計画の進度を概略申し上げたわけでございます。