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徳田参考人 下流地区の選出
理事として
理事をやっております
徳田であります。
昭和二十六年、七年、八年と
会社と
交渉しました結果、
交渉妥結ができまして以来の大体の全貌は、先ほどお三方から
お話があったことでありますので、大体おわかりのことと存じますが、この問題が起きます以前に、
下流地区の
被害というものは、二十七年の九月に
工事を進められた
関係上、川をある程度せかれたわけでありますが、そのときに水面約一メートルの高さで松のくいを打ち込まれまして、仮堰堤ができたのでございます。その仮堰堤におきまして、その年の二十七年の下降
アユがぴしやっととまってしまって、しかも大群をなす
アユが川の色が変るほど堰堤し流を遊動しておるというような
事情でありまして、
理事者一同視察に行きまして、川を三分の一急速にあけてもらって下降をできるようにしたのでありますけれ
ども、何分にもさらに新しく川を掘り上げて作った川でありますので、とうとうその年も下降ができなかった。二十八年は堰堤が相当仕上っておりましたので、これまた全然下降しない、
交渉中にこういう状態がありましたので、
理事者としましては当然この堰堤が
完成したあかつきには相当な
被害があるという
考え方におきまして、一応県の方や
会社側に向けまして、こういう
被害か見込まれるがそれについての御検討を願いたいということを申し入れたのでありますけれ
ども、県の方の御回答としましては、遡上した魚が堰堤のために下降しないというような例は全国にないのだ、だから絶対下る、心配は要らぬということでありました。
会社におかれましても、いまだそういう話は聞いておらぬから、おそらく下ると思う。特に
昭和二十七年は
工事のために夜昼大なる音響を出し、いわゆるハッパ作業それから夜昼作業を継続しておりました
関係上、照明等による妨害があって下らないのだと思うが、
完成したらおそらく下るだろうという話がありまして、二十八年はこれまた全然下降しないのでありましたが、ことしは典型的に雨が降らないから水が出ない、水が濁ったら下るに違いないのだということでありまして、とうとうそうする間に二十八年の十一月に仮
契約ができるというようなことになりまして、二十九年の五月に本
契約ができたのでありますが、その間
下流地区としましてはその
被害というものに甘んじておったわけでございますが、たまたま二十八年の十月に試験放水がありまして、試験
発電がありましたが、その際の
被害というものはまた莫大な
被害があったのでありますが、いろいろその
被害につきましても、
会社側に
下流の
被害が何とか食いとめられるような
方法をとっていただけないだろうかということを申し込んだのでございますが、
会社側としましては、中央の指令によってピーク時に
発電するのであるによってこれはやむを得ないというようなことでありまして、いわゆる秋落ち
アユはぴしゃっととまってしまう、夏川のいわゆる水が濁りましても、過去におきましては
アユの移動というものを利用してとってきたのでありますが、そういうことも堰堤ができましてからぴしゃっととまり、おまけに毎日のピーク時の
発電というものを繰り返されますので、いわゆる水星が、あの
発電所の使用水量といいますのが、ピーク時の最大使用量が百トン以上、百二十トンくらいになっていると思うのでありますが、
江川の大体の平素の水量といいますのは
渇水時期におきましては六十五トンあるいは七十トンというような水量でありますが、その水量で安心して
漁業を営んでおりますと、その水量の倍の水が一ぺんに出てくるというような状態でありまして、網を入れておりましても、あるいは川中で投網を打っておっても、立ちがけで友がけというものをやっておりましても、人命にまで危険を及ぼすというような問題が起きてきたのであります。そこで
下流組合員の專業者、これで生計を営んでおりますところの三百数十名――大体全員一千名余りおりますけれ
ども、三百数十名の、これのみで生計を営んでいる
組合員から非常にやかましく話が出まして、二十九年の十月二十日に
会社の方へ、県
会議員さんお二人同道しまして陳情しましたのが初めてでありまして、次来三十年の春、松江支店の方へまたお願いに行き、六月には本社の方へ
組合員が大挙押しかける等のことがありまして、
会社の方へ陳情、お願い、あるいは会談というふうなことで今日までやってきたのであります。当初
会社の方としましては、一応一旦
契約をなされたものであって、その
契約には全川にわたる
補償がなされているのであって、聞くわけにいかないというような話でございましたけれ
ども、県のご
あっせん等によりまして、あるいは水産庁の黒田技官殿に現場
調査というようなことをしていただいて、
被害は甚大なりというようなあれをしていただきましてから、
会社の方でもそういうような状態ならば
組合として話が出るはずだ、
組合の他の
理事の中には
下流の問題は取り上げてくれるなという
意見を吐く者もおるくらいだから、君たちの言うことは信じられないというような話も間にはありましたけれ
ども、私たち
下流漁民の窮状は、すでに首をくくった者が出てくる、あるいは家屋敷を売り払って逃げなくちゃならぬというような者もある、あるいは野菜畑をわずか持っているほんとうの零細
漁民に至りましてはその野菜畑まで売り払い、首が回らぬような借金をして今日まできているわけでございます。
会社の方とされましては、一応
上流、
中流、
下流、この各
地区の堰堤ができました
関係上、各
地区の堰堤を境にしまして
利害関係というものか非常に相反しておる、その
利害関係が相反しておるのに、
地区交渉は絶対にいけない、
組合一本で
補償交渉に当るならば一応話に乗ってやろうということがありましたけれ
ども、
組合一本になってやれるような状態であるかないかということは、先ほ
ども中村理事から
お話があったように、たとえば遡上しないという
上流の
意見であるとするならば
下流には
アユが残るから、残る
下流は豊漁になる、ところが
アユは上っている、今度下降しないというわれわれの
要求を出しますと、
上流におきましては成育した
アユが堰堤でたまって、それがために
上流では豊漁になるはずだというような、いわゆる
利害関係が相反しております弱点を突かれまして、どうしても一本でこいとおっしゃる。ところがわれわれとしましてはそんなことを言うておるひまはない。
組合員はすでにますます困窮の度を深めていきつつある現状でありますので、何としてでもこの
補償の
解決を早くやっていただきたいということで、建設省の方にも陳情に参りますし、水産庁の方にも陳情に参りますし、県の方にもずいぶん御無理を申し上げて今日まできたのでございますが、なかなか事の促進を見ることができませんので、こういうような催しを開いていただけるようになつたのだと思う次第でございます。また他の、
会社側あるいは県の力の今までとっていただいたこと、それから建設省の方で御心配いただいたと等につきましては、またあとから
お話ができると思いますので、一応この程度で終ります。