○高岡
委員 私の時間は約束によりますと十七分でございますので、いろいろお伺いしたいのでありますけれども、時間を守る
意味において二、三具体的の問題だけをお伺いいたします。
これはまだ
大臣が就任にならないときの問題でありますが、
日本とカンボジアとは
友好条約を結んでおります。そしてこれは御
承知だとは思いますが、昭和二十九年十一月には対
日賠償請求権を放棄するということを声明し、また昭和三十年十一月には
サンフランシスコ条約第十六条に基く連合捕虜に対する
戦争損害補償金の同国取得分を
日本赤十字社に寄付した。こういうことから、
日本とカンボジアの間には非常に
友好的な空気がかもし出されまして、昭和三十年十二月九日でありますか、そのときに
友好条約は調印されました。そしてその後、すなわち昨年の十一月十七日の閣僚懇談会におきまして、カンボジアに十五億円の
援助をしよう。
援助というか、お礼を申し上げるという話がまとまったのであります。ところがこの問題はその後は何か立ち消えになっているふうな気がいたします。先ほど
菊池委員が、
賠償問題等についてはそう期限を切るといったような
切り札は言うべきものではないという
意味のことをおっしゃったのでありますが、臨時国会後には、
総理がカンボジアにも行かれますし、同じくヴェトナムないしはラオス等もお回りになるのでありますから、できればそのときに何かの結論に到達することは最も好ましいことだと思うのであります。しかもこのときの話は、とにかく
向うは大体二千万ドル近い要求をしようという空気であったのをゼロにしたのでありますから、せめて一千万ドルくらいのものはこちらからしなければいけないのじゃないか、こういうような
考え方で一応キリロムの
開発に十五億円、それから農業センターに四億円、医療センター施設に二億円、これを三カ所作ることにして十八億円、合計三十一億円というものを
日本からカンボジアにお礼の
意味で一つ差し上げよう、こういう話があったのでありますけれども、たびたび調査に行かれた結果、どうも移民問題はうまく行きそうもないからというので、いつの間にやら農業センターのことが消えてしまって、キリロムの
開発だけが残ったのであります。ところがキリロムの高原都市というものについては、何かぜいたくなものを作るような
考え方で
日本ではいろいろ批判をしたのでありますが、これは
大臣も御
承知でありましょうけれども、仏領
インドシナといっておったころに、いわゆる夏季の暑いときに事務をとりますために、今は南ヴェトナムの地域にあるダラットがその地域であります。
インドにおいてはシムラがございますし、
インドネシアにおいてはバンドンがあるように、それぞれのいわゆる高原都市なるものがあります。それをキリロムに作ろうというのでありまして、
日本の箱根を作ろう、軽井沢を作ろうというのとはこれは全然違うのです。しかもプノンペンから海岸までの道路三百キロというものは
アメリカの費用によってこれを建設しつつあります。しかもその港湾構築は今フランスの
援助によってこれをやっておる。ちょうど三分の二ほどプノンペンから海洋の方に来たところからわずか二十キロばかり入ったキリロムのところに高原都市を作ろう、こういう問題なのです。だからこれは
大臣は
東南アジアをお回りになった方ですからおわかりでありましょうが、こういう都市を作ることは必ずしもぜいたくではございません。しかもこの道路と港湾は
アメリカとフランスがせっかく投資をしてカンボジアを
援助しているのでありますから、それと見合って
日本がここに高原都市を作るということは決してむだなことでないと私は思うのでありますが、最近聞きますと、何かこれがまた消えて、プノンペンの町の下水工事に金を出すのだというようないろいろなことを言われるのでありますが、この点はどの程度になっておりますか、一つお伺いしたいのであります。
時間の関係上なお続いて申し上げますが、南ヴェトナムに対しましては、小長谷大使が一億五千万ドルという金額を
向うから言われて、今
日本にお帰りだということをわきから聞いております。しかしこれは
大臣よく一つお
考え願いたいのでありますが、
賠償というものは
戦争に対する
賠償であります。しかも北ヴェトナムに対しては、御
承知のように
日本があそこに強行突破をして行ったのでありますから、ここでは調達もしました。損害も相当与えております。しかし現在南ヴェトナムと言われるようなところには、何ら
日本は
戦争中は被害を与えておりません。むしろサイゴンの近くにありますショロンという町に、どれほど
日本の兵隊さんが金を落したかは御
承知のはずであります。そういうように、何ら
戦争によって損害を与えていないのにかかわらず、一億五千万ドルの
賠償を要求されたからといって、そんな数字を持ってきて、これを基本にして
外務省がお
考えになりますと、その数字はやがて、カンボジアからも非常に
日本を疑って参ることになります。続いてラオスもそれに相当したことも
考えてきましょうし、それはすべて、今度はタイの特別円にも響いてきましょう。あらゆる面で
東南アジア全体にこれは響いてくる問題だ、こう思います。そこで私が思いますのには、外務
委員をしております
社会党の岡田君が、先日旅行の途次、北ヴェトナムのホー・チミンに会いましたときに、私は
日本と国交が回復されたような場合でも決して
賠償は要求しませんということは、個人的ではございましょうけれども、いやしくも北ヴェトナムの最高責任者であるホー・チミンは、岡田代議士にそのことを言っておるのであります。何もそれを言質にして将来云々ということは別にいたしましても、一応そういう気持になっておる。その北ヴェトナムまで含めた
賠償を南ヴェトナムのゴ・ディン・ディエムが要求するということは、ちょっと筋が違っているのではないか。思うに私は、ゴ・ディン・ディエムの言い分は決して
戦争だけを
考えていない、むしろ近年
アメリカの
援助資金の中に割り込んでいった
日本の商社のあまりにもひどい金もうけといいましょうか、そういうことの
日本に対する憎しみというか、そういう感情を害しているところにこの数字が出てきていると思いますので、どうか
戦争中と戦後のあらゆるものを
外務省としては十分に分析されましても、もしも
向うがそれほど困っているならば、それは
賠償でなくして経済協力だということにして、
賠償はあくまでも
戦争を対象としたところの数字によってきめていただきたいと思うのであります。ラオスにしてもしかりであります。今そういういろいろの問題が派生しておりますし、またこの臨時国会が終了しますと
総理が
向うを回られるのでありますから、
外務省としては何とかこの辺で一つ真剣に南ヴェトナムの
賠償問題あるいはカンボジアの今のお礼の問題、そういうものを一つ真剣にお
考えを願いたいと思うのでありますが、
外務大臣は今どのような構想を
考えていらっしゃいますか、お伺いをしたいと思います。なお
インドネシアについては、明日ハッタさんが見えるのでありますから、これは今のところちょっと遠慮してこの点には触れずに、ただこの面の問題についての御構想をお伺いしたいと思います。