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高岡委員 これに関連する問題でありますけれ
ども私が
文化センターの問題を言いますことは、特に図書館等についての問題をお願いしたいことは、東南
アジアの
諸国の人が
日本まで来るということはなかなか−生活がちょっと変ります。
日本食に変るということ、あるいは
日本家屋に住むということ、それから
日本語をしゃべらなくちゃいけないという、いろいろな隘路がありますので、
日本語で勉強したいけれど、なかなかその点は困難な点がたくさんある。ところが東南
アジアのどこかに
一つ図書館とでもいいましょうか、
文化センターがありますと、そこへ行って、
日本の
知識を、そう完全に得なくとも、大体
日本というのはこういう国なんだということを知るのには、自分らの言葉が共通とでもいいましょうか、英語でしゃべるとか、また生活状況においても大して変りないという点から、そういう東南
アジアのどこかに
一つ教育センターといいましょうか、
文化センターを置きますと、
日本までわざわざ来なくとも、そこへ行きさえすれば大体の見当がつくという点で、私はこれは非常に有利な問題じゃないか。一部でそういうことを考えていられる方があります。私の知っております学校の先輩で、セイロンのカンディにそういうものを置きたいといって、わざわざ向うに出かけられた人さえあるのでありますが、私はその方の具体案が全部正しいとは今申し上げませんですけれど、そういう線でお考えになることが非常に私はいいのではないか。すなわち
インドに教育センターないしは図書館等をお置きになる場合には、そういう構想でなさることがいいのであって、ただ単に
日本の何でもかんでもいいから、読めない
日本語で書いた本をそこへ送るということは、非常にむだなのじゃないかというような気がするのであります。これは
昭和十三年ころだと思うのでありますが、日支事変が起きた前後であります。そのときにタゴールが経営しておりましたシャーンチ・ニケタンの大学へ私が参りましたときに、蒋介石政権から二万冊の漢書を持ち込んで、あそこでいわゆるシナの宣伝をやったことがあります。もちろん
インドの学生はその漢書は全然読めないのでありますけれ
ども、何しろ目の前に二万冊という本がずらりと並べてありますので、何かそこに
一つのボリュームからくる魅力を感じて、蒋介石政権に対して親近感を持ったということもございますけれど、私は読めないような本を送ったところで、これはしようがないのじゃないかというような気がしますので、そういう点につきましても格段の御配慮を願いたいと思うのでございます。
それからただいまの
局長の
お話では、来年にでも
仏教家が講演して回られる計画を立てておるという
お話がございました。なるほど
仏教家といいましょうか、哲学者が回られるということはけっこうでありますが、これはちょっと線が違ってくるかもしれませんけれど、もう
一つそういう趣旨からいいましていいことは、
日本の巡回医療団というものを派遣する、これは
一つの大きな親善の
要素になる、私はこう思うのであります。このごろ東南
アジアを回るということが非常にはやりになって参りました。
経済外交でありますとか、いろいろな言葉が流行語のように今なっております。そうして
日本の偉い方が向うへ行かれまして、偉い方と手を握って、今後は大いに協力しましょうという言葉で、さようならして帰ってくる。その人が
日本に帰ってきて、ほんとに自分があっちこっちで言ったことを実現するために
努力されるならけっこうなんでございますけれど、帰ってくると全然違った
政治行動ないしは別な生活をなさるということになりますというと、向う側の人は、せっかくあれだけ私の手を握っておいて
経済開発をしましまうとか、
経済協力をしましようとか、合弁会社を作りましょうとかいっていろいろなことを言ったのだが、帰った様子を
大使館を通じて聞くというと、その人はちっともそういう方向に
努力していない、
日本人というものはその場限りの、でたらめなことを言うのだというので、
日本人に対して、いよいよあきれ返るといいましょうか、情ない気持を持つような傾向が私には感じられるのであります。従いまして、このごろはやりのトップ・レベルの話し合いもけっこうでありますけれ
ども、もう少し現実的な考えをしなくちゃいけない、こういう気がするのであります。それで
仏教家の方がずっとこのあたりに行くということは、そういう方々だけの会合であって、お互いに精神的のつながりをつけるというのでありますから、これはもちろんけっこうでございましょうけれど、私はもう少し現実的な面も考えていただきたい。その一例としまして、医療団の巡回ということは
相当現実的であって向う側もほんとうに喜ぶのじゃないか。同時に、私がこれを言いますことは、御
承知のように、
日本のお医者は、このごろは大分変っているものとは思いますけれど、大体
ドイツ語を使っておられるのであります。ところが
アジア・アフリカ
諸国では、
ドイツ語よりも英語の方が多いのでございますので、
ドイツ語を習ったお医者さんというものは、なかなかどうもうまくいかない。それから開業資格が
日本と向うでちょっと違ってくるというようないろいろな面で、まだ
日本のお医者さんが東南
アジア、アフリカの方に進出するということは、いろいろな険路があるのでありますが、これらの点を逐次解消していきます上においても、向うで開業するのではなく、ただ巡回するのだということで、
一応
日本の医術になじませる意味において、医療団を派遣するということは一非常に必要なのじゃないか。しかも
アジア・アフリカの方の病気は、もちろんいろいろありましょうけれ
ども、私が見た目で、一番重点を置いてお医者さんを選択しなければいけないことは、まず結核であります。それから性病、これは衛生
知識が低いためでありましょうが、性病患者はかなり多いのです。もう
一つは小児麻痺が非常に多い。これは気候の
関係と衛生からくるのでありましょうが、大体東南
アジアを回ってみてわれわれが気づく点は、結核と性病と小児麻痺というような気がするのであります。もちろんこれは専門家の方の御
意見を承われば、もっと的確なものが出てくると思うのでありますが、そういう東南
アジアにおける一般的な病気というものを一応御研究の上、その方の専門のお医者さんをもって組織をして巡回しますと、それは非常に
日本のためにもなり、また向うのためにもなり、
日本との間の、今度の
戦争による傷も、それによって逐次解消されていくのではないかという感じがするわけでありますので、医療団の派遣ということも
一つ考えていただきたいと思うのでありますが、これについての外務当局の御
意見を承わりたいと思います。