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富樫参考人 日ソ共同宣言後に
漁業条約が発効いたしまして、
北洋の問題特に
サケ・
マスの問題が重要な問題として取り上げられまして、ただいま東京におきましてこの
解決のために
政府の
関係者が全力をこれに傾注しております。特にこの
北洋の問題につきましては、
ロンドン会議の後におきましてこの問題が大きく取り上げられて
運動を続けてきた
効果が、今日この
機会を持っておるのでございます。しかしながら十数年来
苦難の
操業を続けて参りましたところの
根室近海漁業の
解決につきましては、遺憾ながら
関係者におきましてはあまり
関心を持っておらない、
熱意を今日まで示して下さらなかったということにつきまして、
現地の私
どもははなはだ遺憾に思っておるのであります。今回本
委員会におきましてこの
近海の
実情について調査をし、私
どもが
参考人として
現地の
実情を証言する
機会を今日得たわけでありまして、
現地の
者どもといたしましてはまことに
喜びにたえないのであります。本
委員会並びに
政府がこの問題の
解決のためにどういう
方向を示してくれるのか、どういう方針を立てていただけるのか、どれだけの
熱意を示して下さるのか、その
一投足が
現地の
漁民あるいは
関連産業の数多くの人々の運命を決することになる、こう考えまして、
現地は本日の
委員会の動きというものに対して重要な
関心を払っておるのでございます。
私は
現地の
漁民の
方々がこの
近海の
漁業問題につきまして、
政府並びに
国会にどういうことを
お願いいたしたいかということをまず
結論から申し上げます。私
どもの
お願いしたいことは、
日ソ両国間において
平和条約が
締結されるまでの間、
南千島以南の
海域において
日ソ漁業の
暫定協定を取りきめしていただきたい、こうしたことの
交渉をしていただきたいということなのであります。
もう少し具体的に申し上げますと、
色丹、
歯舞周辺の
海域についての
海軍類、たとえば
コンブのようなものの面につきましては、距離のことをとやかく言わずに、
色丹、
歯舞周辺については零海里まで
一つ仕事をさしていただきたい。
国後、
択捉、この向島の
海域につきましては、
海岸線三海里から十二海里の間で、
漁民が漁撈できるような
工合にしていただきたいというのが、
現地の
お願いなのであります。
その
お願いはどういう
理由に立っておるかと申し上げますと、
現地におきましては、過日の
共同宣言の
批准の
内容を見ましても、
色丹、
歯舞諸島につきましては、
平和条約が結ばれるならば
日本側にこれを引き渡すということを申しておるのであります。特に海草のような、
コンブのようなものにつきましては、いそづきのものでありますから、その
周辺に行かなければとれないのであります。しかも
コンブのようなものは
ソビエトの方におきましてはこれをとっておりません。
利用しておらないのであります。このような
利用をしてない
資源が
歯舞、
色丹周辺に行きますと無尽蔵にあるのであります。その無尽蔵にあるところの
コンブ資源をあの
近海の小さい
漁民がとりたいのであります。従って
利用をされておらない
資源であるならば、この
機会にとらしていただきたい。しかも
向うは
平和条約を結ぶならば
色丹、
歯舞をお渡ししよう、お戻ししようとまで言っておるのであります。そのくらいの親切な好意があるならば、やはり善意と
友好とをもって誠実にこの問題を話し合うならば、了解に達することができると私
ども現地民としては信じておるのであります。
国後、
択捉島につきましても、特にあの地帯におきましては、タラの延べなわあるいはスケソウの
刺し網、ホタテのけた網、カニの
刺し網等が主要な
漁業になっておるのであります。
ソビエト連邦の北の方の
海岸あるいは
白海におきましては、
英国と
ソビエトの間に暫定的な
漁業協定が取り結ばれて、今日それがいまだに実行されておるということを聞いておるのであります。この
協定を見ますならば、これらの北部の
沿岸あるいは
白海海岸におきましては三海里から十二海里の間で
英国に
漁業させる、漁撈することに同意をしておるという事実がありますので、私
どもも
国交が正常化されたる今日において、あの
近海につきましてもやはりそのような取りきめを
日本の
政府にしていただきたいというのが、私
どもの
お願いの筋なのであります。これが私
どもが
一群最初に
結論として申し上げることなのであります。
次に
沿岸漁民がなぜこのような問題を強く
政府並びに
国会に訴えるか、その
理由、すなわち
現地の
実情について、これから申し上げたいと思うのであります。
戦前南千島周辺、特に
択捉、
国後等におきましては、
サケ・
マスの
定置漁業が相当盛んでございましたので、これらの
水揚高も相当高額なものになっておるのであります。あの
周辺におきましては、約三千そう近くの
漁船がこれらの
漁業を営んでおったのであります。しかもその
漁獲高は、一年間を通じまして約千六百万から二千万貫の水揚げをしておる豊富な
漁場なのでありまして、
同島の
沿岸漁民は、あの
漁場を
主要漁場といたしまして、今日まで漁撈いたしておったのであります。要するに
同島沿岸の
漁民は、この
主要漁場に依存して
生活をしたかけがえのない
漁場なのであります。その
漁場が戦後マッカーサー・ラインの設定によりまして、知床から
根室半島に至る
国後に相対岸する現在の
北海道の東の方の
沿岸は、三海里より一歩も外に出ることができなかったのであります。従って
千島を失った
方々は、あの
沿岸に数多く引き揚げて参りました。そうしてあの小さな
漁場の中にみんなが入り組んで
仕事をしておるのであります。従って、
資源の枯渇をすることは目に見えております。
根室の
漁民は十数年来その
苦難の
操業を続けながら、今日まで
国会並びに
政府に長い期間にわたって訴え続けてきたのであります。これが
現地の
実情なのであります。
これがいかなる形において立証されたか。それは前の
参考人が述べたように、二十一年から今日までどれだけの船があの
近海で
拿捕されておるかと申し上げますと、四百四十三隻という膨大な
数字に上っておるのであります。いかに
現地の
実情が窮迫を続けておるかという事実が、この事実によって立証されると私は思うのであります。しかしながら、この数多くの船が
拿捕された、これらの
拿捕の
大半はどういう形で
拿捕されておるか。遺憾ながら、
向うの
領海を侵犯して
現地の
漁民が
拿捕されておるこの事実を、私
どもは認めなければなりません。この中には、やはり濃霧に迷って
向うに人ったのもございますけれ
ども、その
大半の
数字は、こちらの方から
向うの
領海を犯してつかまっておるのであります。
向うの裁判の結果は明瞭であります。その
大半は
領海侵犯並びに密漁の罪で、一応の労役に服しておるというのが
現地の
実情なのであります。数多くの
漁民は、やはり借財を重ねながら、かまどをかけ、命をかけてあの
近海に勝負をいどんでおるのであります。このようなきびしい
現実が、
現地の置かれておる
実情なのであります。この点を
政府並びに
国会議員の
方々によく御
認識を願いたいのであります。
昨年、
鳩山全権によります
共同宣言の
調印の
報道を
現地で受けました。
島倉参考人からも申し上げたように、
現地では大
喜びで、
旗行列や
ちょうちん
列行までいたしたのであります。
ちょうちん
行列をする、
旗行列をするということは、別に
イデオロギーの問題ではないのでありまして、
ソ連と
国交が
回復すれば、
現地のこれらの問題もすみやかに
解決するであろうということの
念願から、そうした単純なものの
考え方からこれを支持し、
ちょうちん
行列も
旗行列もしたのであります。これは
現地の
漁民の素朴な感情の現われであると私
どもは解釈をしておるのであます。
調印の
報道を受け、こうした
喜びに沸き立っておるさなかにおいて、すでにこの当日
現地においては、大量の
拿捕が起きておるというこの事実を、私
どもは皆さんに披瀝しなければならぬわけであります。
ソビエトと
日本が、平和と
友好のもとに
国交の
回復をして、現在
話し合いの道が開かれておるのであります。なぜこうした
国境の
悲劇が繰り返されて、
両国の
緊張が増すような、国際的にも、国内的にも重要なこれらの問題が放置されなければならぬのか、なぜ放置されていくのであろうかということを
現地の者は心配をし、またそれを批判しておるのであります。
現地の
住民が戦後何とかして島を返していただきたいと長い間訴え続けてきておりますけれ
ども、一向にらちがあかない。従って
根室のあの
沿岸の
人たちは、
ソビエトと
国交を
回復し、手を握り仲よくすることによって、必ずや
領土の問題も、また
近海の
漁業の問題もそこから
解決してくるのではなかろうか、こういう
考え方から
現地においても
ソビエトと
国交を
回復せいという
決議をし、これをスローガンにして
北海道は
中央に訴え続けてきたのであります。
国交を
回復するとかせぬとかということは、
現地においてはむずかしい
イデオロギーの問題として取り上げておるのではないのでありまして、こうすることが、
自分らの食う道が開けるというものの
考え方から、
現地では真剣に
自分らの
生活の
結びつきとしてこの
運動を開始してきておるのであります。
私は二十九年ストックホルムの
平和大会に
代表として
出席いたしました。その足で私は
モスクワをも訪れました。
モスクワを訪れたのは別に他意はないのでありまして、
現地のあのつらい
実情を何とか
ソビエトの
方々に理解してもらいたいという気持で、勇を鼓舞して
モスクワに入ったのであります。当時私
どもは
外務省に何とかこの問題を取り上げて
向うと話し合ってもらいたいということを
お願いに行きましたが、
外務省は取り上げてくれません。それは
ソビエトと
日本とはまだ
外交関係が開かれておらないのだから話し合う方法はないのだ、
根室の
実情についてはまことに同情いたします。ただこれだけでありまして、私
どもは何としてもそこから
話し合いをするきっかけをつかむことができませんでした。従って、私
どもは一
漁師の
代表として
ソビエトに行ってこの問題を訴えたのであります。
ソビエトといたしましては、
漁民の
代表が来てもこういうことの
交渉に応ずるわけにはいかぬけれ
ども、
政府が来るならば
話し合いをする用意を持っておるということを、私
どもは回答していただいたのであります。今日
話し合いの
機会が持たれました。
大使も交換さたました。どうかこの
機会に
根室の問題、あの
近海の
漁業問題について、
政府は勇敢に
一つ話し合ってもらいたいというのが
現地の希望なのであります。
現地の方といたしましては、長い
間運動を続けてきて、何ら
効果が見えておりません。ほかの問題はいろいろ
解決いたしました。しかしながら、
根室地方に置かれるところの
領土の問題につきましても、あるいは
漁業の問題にしても、今日
一つも
解決しておらないのであります。従って、一切のしわ寄せが
現地の
漁民にかぶさってきておる。
近海漁業も
一つも
解決しておりません。むしろ
ソ連の艦船の過酷な
拿捕にあっておる。現在の
漁師の姿は手も足も出ない八方ふさがりだといって騒いでおるのが、
根室地方の
現状なのであります。今回諸
先生のおかげをもちまして、
共同宣言批准後、
根室近海において
拿捕されましたところの
乗組員は、
ソビエト側の特赦の形で釈放
送還されました。この春からまたすぐ
漁師は
操業を続けなければなりません。
焦燥と苦悩に頭をかかえておるというのが
現地の姿なのであります。もし
政府がこの
近海漁業の問題で何らかの取りきめをしていただかなければ、再びこれらの
領海侵犯が繰り返されるでありましょう。この
国境の
悲劇がまた繰り返されていくのであります。
中央の方では何だかんだと言って
議論をしてそれでよいかもしれませんけれ
ども、
現地はそれでは飯が食えないのであります。何とかしてこの問題を
解決していただきたいということを強く
お願いするわけであります。食うためには、
拿捕の問題も覚悟の上であえて出漁せなければならないというきびしい道を、
現地は選ばざるを得ません。こうしたことは、
日ソ国交回復の
友好関係からも私は目殺さるべきものではないと思います。やはり大きな社会問題として、あるいは政治問題として取り上げて、ぜひこれは
解決されていかなければならぬものと私は考えるのであります。
私は重ねて申し上げたい。この問題がもし放置されるならば、
領土の問題もあるいは
漁業の問題も何ら
解決されずに放任されて、このままでいくならば、
両国の
緊張を増すような
領海侵犯が、残念ながらまた続けられていくでありましょう。このことを重ねて申し上げたいのであります。今まで
国会議員の
方々並びに
政府の高官の
方々が、はるばる遠く
北海道の最
東端納沙布岬まで足を運んでいただいて、あそこを視察していただいております。私
どもは数多く来ていらっしゃるので、必ずやその
方々の御
認識によって、この問題が
解決されるであろうことを信じておったのでありますが、事態は一歩も進んでおりません。従って
現地の
方々は、これをぜひ
解決する
方向に持っていかなければならない。また視察に来られた
方々の中で、
現実にあの
領海の中で
ソビエトの
監視船に追跡をされて
拿捕されておるところを目撃した方もあるはずであります。
漁民の
方々は今日に至ってどういうことを言っておりましょうか。過日の
漁民大会におきましても、それらの
方々がわれわれと一緒に船に乗ってみればいい、そしてあの
領海を犯していって、小さい
漁船で
ソビエトに追跡されるところの
恐怖感を味わってみればよくわかるはずだという叫びを、
大会で述べておりました。むろん私
ども、また
漁民の
方々も、
皆様方の御苦労なさっておられることを十分承知いたしておりますけれ
ども、かく叫ぶところの
漁民の心情もまた無理からぬものがあると私
どもは思うのであります。
以上
現地の
実情について申し上げたのでありますが、最後に若干
領土の問題に
関連をして、
現地のものの
考え方を申し上げてみたいと思うのであります。
領土問題については、
北海道、特に
根室地方の
住民は、深い
関心を持っておるだけに勉強もいたしております。
共同宣言批准後、諸
先生におかれましても、
国会におきまして十分討論され
議論が尽されておりますので、理論的な面ではなくて、私は
現地の実際的な面からしてどのような判断をしておるかということをまず申し上げたいのであります。
今月の一日、
根室地方の
漁民大会が開かれまして、この
漁民大会におきまして、
政府は
日ソ両日同の
平和条約締結のためすみやかに
領土の
継続審議を開始し、平和的に
解決をなすこと、こう
決議されました。しかし
現地はこの
決議はしたものの、早期に
解決することの困難さを十分承知いたしております。なぜなら、それは現在の国情あるいは国際的な情熱から判断しても、南
千島はおそらく
ソビエトは譲歩しないのじゃないだろうかということをおそれております。心配しております。
日本もこれを譲歩するようなふうに見えません。そういたしますと、南
千島の問題を
お互いの国が話し合っても、これはあくまでも
平行線であります。どこまで行ってもこれは到着する
結論を見出すことができないのではないかという
工合に見ておるのであります。こうした
平行線をたどる問題は、
お互いが相談しようといって相談を開始いたしましても、こういうことは成り立ちません。そういう前提におけるところの
継続審議はあり得ない、こう
現地側では判断いたしておるのであります。従って
領土問題の
解決については、近い将来においては
解決しないだろう、おそらくこれはいつまですえ置かれていくのか、その
見通しが立たないというのが、
現地のものの
考え方なのであります。私
ども現地の
者どもは、
ソ連及びアメリカの
外交の道具として
現地がその犠牲に置かれることを大へんおそれております。私
どもはこの点につきましては断固としてお断わりをしなければなりません。私
どもはこの
両国の犠牲、道具に甘んじていくことはできません。十数年間私
どもはその犠牲にされて今日まで来ておるのであります。どうか
政府におかれましては、出ないおばけに驚かずに、善意をもって虚心たんかいに
外交交渉を開始してもらいたい、
漁業の問題について勇敢に
外交交渉を開始していただきたいというのが、
現地の切なる訴えなのであります。もし
領土もだめなんだ、
近海漁業の問題も
外交交渉を開始する気がないのだということになりますと、
現地は最終的な段階に追いやられることになります。すなわち、
現地は何年でも
国境の
悲劇を繰り返しながら、南
千島の返還を持つということになるか、あるいはまた
色丹、
歯舞だけで割り切ってしまって
現実に生きるか、この二つに
一つを選ぶよりほかに方法がないのであります。そうなりますれば、私は答えはどれを選ぶかは明瞭であろうと思うのであります。これが
現地の偽わらざるところの表現であり、偽わらざる姿であろうと、私はこう皆さんに申し上げたいのであります。
いろいろ申し上げることもあるのでありますが、時間が参りましたので、以上私は申し上げまして、
政府並びに諸
先生の理解ある同情におすがりいたす次第であります。(拍手)