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1957-02-21 第26回国会 衆議院 外務委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年二月二十一日(木曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 野田 武夫君    理事 須磨彌吉郎君 理事 高岡 大輔君    理事 山本 利壽君 理事 穗積 七郎君    理事 松本 七郎君       伊東 隆治君    植原悦二郎君       菊池 義郎君    並木 芳雄君       前尾繁三郎君    町村 金五君       松田竹千代君    松本 俊一君       田中 稔男君    福田 昌子君       森島 守人君    岡田 春夫君  出席政府委員         外務参事官   服部 五郎君  委員外出席者         農林事務官         (水産庁漁政部         長)      新澤  寧君         海上保安監         (警備救難部         長)      砂本 周一君         参  考  人         (根室漁業協同         組合理事)   島倉与三松君         参  考  人         (北海道漁業公         社社長)    高野 源蔵君         参  考  人         (北海道根室地         方沿岸漁業対策         協議会幹事長) 富樫  衛君         専  門  員 佐藤 敏人君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  日ソ漁業条約に関し参考人より意見聴取     ―――――――――――――
  2. 野田武夫

    野田委員長 これより会議を開きます。  本日は日ソ漁業条約に関する件、特に沿岸漁業に関する問題について参考人各位より御意見を聴取することにいたします。本日御出席方々は、根室漁業協同組合理事鳥倉与三松君、北海道漁業公社社長高野源蔵君、北海道根室地方沿岸漁業対策協議会幹事長富樫衛君の三名であります。  議事に入るに当りまして、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は、皆様御多忙のところ、特に当委員会のために御出席下さいまして、まことにありがとうございます。委員長より厚く御礼申し上げます。  本日の議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位からおのおの御意見を開陳していただき、その後に委員から質疑がある予定であります。なお御意見の開陳は、一人組二十分程度にとどめていただきたいと思います。念のために申し上げますが、衆議院規則の定むるところによりまして、発言はそのつど委員長の許可を受けることになっておりますので御了承願います。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えないようにしていただきたいと存じます。なお、参考人委員に対しましては質疑をすることができないことになっておりますので、その点も御了承願いたいと思います。  それでは、参考人の御意見を聴取することにいたします。
  3. 岡田春夫

    岡田委員 議事進行。きょうは政府関係者はだれも出てないようですが、どうなんですか。こういう重要な問題は、政府関係者が聞いていないと委員会審議としてはまずいと思うのです。
  4. 野田武夫

    野田委員長 岡田君にちょっと申し上げますが、ただいま政府委員の御出席は、説明員として海上保安庁の砂本警備救難部長がお見えになっております。水産庁からはすぐおいでになると思います。外務省は、ちょうどきょうは日ソ漁夫委員会をやっておりまして、ほとんど担当官がその方に出席いたして、こちらに出られるか出られぬか非常に懸念されておるところでありますが、できるだけわかった人がおればこちらにおいで願いたいと思いまして、今交渉しております。   〔「政務次官はどうした」と呼ぶ者あり〕
  5. 野田武夫

    野田委員長 それでは、政務次官出席するように要求いたしましょう。  では、根室漁業協同組合理事島倉与三松君。
  6. 島倉与三松

    島倉参考人 参考人として発言を与えていただきましたかような機会を得たことを、厚く御礼申し上げます。  終戦当時、昭和二十年十二月から私ども根室住民が一部集まりまして、千島歯舞色丹は歴史的にも理論的にも日本固有領土であるという見解に立ちまして、当時北海道付属島嶼復帰懇請委員会というものを組織いたしまして、そうして中央政府に参り今日まで運動を続けてきたわけでございます。その後道民大会によりまして道一丸となった運動全国大会によって全国皆様方の御支援を得まして、領土復帰運動に専念して参ったわけでございます。その後昭和二十七年と思いますが、サンフランシスコ平和条約によって日本が独立いたしまして、それ以来領土沿岸漁業安全操業対策につきまして、これまた必死の運動を続けてきたわけでございます。  しかしながら、今日までの根室海域状況を見まするに、拿捕が続出いたしております。今日まで漁船拿捕数が四百四十三隻に上っておるわけでございます。なお乗組員の数は三千五百六名に達しておるわけでございます。大体乗組員は今日まで抑留者送還と相待ってほとんど帰って参りましたが、漁船は大体二割程度は帰りましたが、八割程度のものは漁船と漁具をともに没収されたわけでございます。  顧みますると、大体スターリン政権の当時は拿捕状況が強かった、マレンコフ政権になって幾らかやわらかくなった、それからブルガーニン政権になってからまた強くなったというような状況でございます。昨年松本全権ロンドンにいらっしゃってロンドン会議が決裂した後は、ことに激しくなったわけでございます。南千島歯舞色丹のあの沿岸海域は、根室地区沿岸小型漁船生活の場でございまして、しかも零細漁民でありまして、一たび拿捕されましたならば再起不能に陥るような状態でございます。   〔委員長退席山本(利)委員長代理着席〕 昨年の秋鳩山首席全権御一同訪ソいたされまして、日ソ国交回復されたのでございまして、根室地方ではまことに喜びにたえませんので、実は地区的には旗行列までして喜んだのでございます。しかるにその後の状況を見まするに、どうしたことか領土沿岸漁業安全性がない、こういうことでございます。日ソ国交が妥結し、たとえば国連加盟抑留者送還大使交換漁業条約などの大きな諸案件解決されております。しかしながら、領土沿岸安全操業はお預けになったような状態でございます。終戦当時天皇陛下が国民はイバラの道だとおっしゃいました。私どもは十二年間にわたって実はイバラの道を歩いてきておるのでございます。ことに根室漁民においては歯舞色丹平和条約締結されたら直ちに戻るのだ、また南千島においては、継続審議という形においてこれまた日本固有領土であるということはすでに私どもは承わっております。かような状態におきまして、根室地区が今日いまだにイバラの道を歩いているということは遺憾にたえません。そこで平和条約というものが締結されれば、とりあえず歯舞色丹あるいは南千島解決されるのだということでございます。しかしながらこの平和条約が一体いつになったら締結されるのかというこの問題でございます。私どもはその見通しがわかりませんので、不安と焦燥にかられておるわけでございます。拿捕が今日行われており、最近拿捕された船長の帰ってきた話によりますと、距岸十二海里の線を突破した場合は、今後とも厳重なる取締りをする、しかも拿捕は遠慮なくするということを聞いてきておるわけでございます。かような状態が今後とも続くとするならば、一体根室周辺沿岸漁民はどうしたらいいかということでございます。直ちに平和条約締結促進方お願いするとともに、これがもし長引くものとするならば、これは政府外交問題でありまして、長引くならばこれもやむを得ない、長引くとするならば南千島歯舞色丹のこの海域に対する十二海里線では、根室漁民は食うていくことができないという現状でございます。従いまして暫定協定として平和条約締結されるまでの間、どうせ日本固有国土であり、戻ってくるものであるとはっきりしております限りにおいては、その間において暫定協定としてせめて三海里の線まで接岸して漁業をさせてもらいたいというのが私ども念願でございます。  どうかいたしまして、本委員会におかれましてはこの事情をよく御参配下さいまして、そうして本委員会にお取り上げを願い、根室地区沿岸漁民生活の場を復活していただき、安全操業ができ得ますようにお取り計らいを願いたく、特に事情を申し上げ、なお懇願いたす次第であります。(拍手)
  7. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 それでは次に富樫衛君。
  8. 富樫衛

    富樫参考人 日ソ共同宣言後に漁業条約が発効いたしまして、北洋の問題特にサケマスの問題が重要な問題として取り上げられまして、ただいま東京におきましてこの解決のために政府関係者が全力をこれに傾注しております。特にこの北洋の問題につきましては、ロンドン会議の後におきましてこの問題が大きく取り上げられて運動を続けてきた効果が、今日この機会を持っておるのでございます。しかしながら十数年来苦難操業を続けて参りましたところの根室近海漁業解決につきましては、遺憾ながら関係者におきましてはあまり関心を持っておらない、熱意を今日まで示して下さらなかったということにつきまして、現地の私どもははなはだ遺憾に思っておるのであります。今回本委員会におきましてこの近海実情について調査をし、私ども参考人として現地実情を証言する機会を今日得たわけでありまして、現地者どもといたしましてはまことに喜びにたえないのであります。本委員会並びに政府がこの問題の解決のためにどういう方向を示してくれるのか、どういう方針を立てていただけるのか、どれだけの熱意を示して下さるのか、その一投足現地漁民あるいは関連産業の数多くの人々の運命を決することになる、こう考えまして、現地は本日の委員会の動きというものに対して重要な関心を払っておるのでございます。  私は現地漁民方々がこの近海漁業問題につきまして、政府並びに国会にどういうことをお願いいたしたいかということをまず結論から申し上げます。私どもお願いしたいことは、日ソ両国間において平和条約締結されるまでの間、南千島以南海域において日ソ漁業暫定協定を取りきめしていただきたい、こうしたことの交渉をしていただきたいということなのであります。  もう少し具体的に申し上げますと、色丹歯舞周辺海域についての海軍類、たとえばコンブのようなものの面につきましては、距離のことをとやかく言わずに、色丹歯舞周辺については零海里まで一つ仕事をさしていただきたい。国後択捉、この向島の海域につきましては、海岸線三海里から十二海里の間で、漁民が漁撈できるような工合にしていただきたいというのが、現地お願いなのであります。  そのお願いはどういう理由に立っておるかと申し上げますと、現地におきましては、過日の共同宣言批准内容を見ましても、色丹歯舞諸島につきましては、平和条約が結ばれるならば日本側にこれを引き渡すということを申しておるのであります。特に海草のような、コンブのようなものにつきましては、いそづきのものでありますから、その周辺に行かなければとれないのであります。しかもコンブのようなものはソビエトの方におきましてはこれをとっておりません。利用しておらないのであります。このような利用をしてない資源歯舞色丹周辺に行きますと無尽蔵にあるのであります。その無尽蔵にあるところのコンブ資源をあの近海の小さい漁民がとりたいのであります。従って利用をされておらない資源であるならば、この機会にとらしていただきたい。しかも向う平和条約を結ぶならば色丹歯舞をお渡ししよう、お戻ししようとまで言っておるのであります。そのくらいの親切な好意があるならば、やはり善意と友好とをもって誠実にこの問題を話し合うならば、了解に達することができると私ども現地民としては信じておるのであります。国後択捉島につきましても、特にあの地帯におきましては、タラの延べなわあるいはスケソウの刺し網、ホタテのけた網、カニの刺し網等が主要な漁業になっておるのであります。ソビエト連邦の北の方の海岸あるいは白海におきましては、英国ソビエトの間に暫定的な漁業協定が取り結ばれて、今日それがいまだに実行されておるということを聞いておるのであります。この協定を見ますならば、これらの北部の沿岸あるいは白海海岸におきましては三海里から十二海里の間で英国漁業させる、漁撈することに同意をしておるという事実がありますので、私ども国交が正常化されたる今日において、あの近海につきましてもやはりそのような取りきめを日本政府にしていただきたいというのが、私どもお願いの筋なのであります。これが私ども一群最初結論として申し上げることなのであります。  次に沿岸漁民がなぜこのような問題を強く政府並びに国会に訴えるか、その理由、すなわち現地実情について、これから申し上げたいと思うのであります。戦前南千島周辺、特に択捉国後等におきましては、サケマス定置漁業が相当盛んでございましたので、これらの水揚高も相当高額なものになっておるのであります。あの周辺におきましては、約三千そう近くの漁船がこれらの漁業を営んでおったのであります。しかもその漁獲高は、一年間を通じまして約千六百万から二千万貫の水揚げをしておる豊富な漁場なのでありまして、同島沿岸漁民は、あの漁場主要漁場といたしまして、今日まで漁撈いたしておったのであります。要するに同島沿岸漁民は、この主要漁場に依存して生活をしたかけがえのない漁場なのであります。その漁場が戦後マッカーサー・ラインの設定によりまして、知床から根室半島に至る国後に相対岸する現在の北海道の東の方の沿岸は、三海里より一歩も外に出ることができなかったのであります。従って千島を失った方々は、あの沿岸に数多く引き揚げて参りました。そうしてあの小さな漁場の中にみんなが入り組んで仕事をしておるのであります。従って、資源の枯渇をすることは目に見えております。根室漁民は十数年来その苦難操業を続けながら、今日まで国会並びに政府に長い期間にわたって訴え続けてきたのであります。これが現地実情なのであります。  これがいかなる形において立証されたか。それは前の参考人が述べたように、二十一年から今日までどれだけの船があの近海拿捕されておるかと申し上げますと、四百四十三隻という膨大な数字に上っておるのであります。いかに現地実情が窮迫を続けておるかという事実が、この事実によって立証されると私は思うのであります。しかしながら、この数多くの船が拿捕された、これらの拿捕大半はどういう形で拿捕されておるか。遺憾ながら、向う領海を侵犯して現地漁民拿捕されておるこの事実を、私どもは認めなければなりません。この中には、やはり濃霧に迷って向うに人ったのもございますけれども、その大半数字は、こちらの方から向う領海を犯してつかまっておるのであります。向うの裁判の結果は明瞭であります。その大半領海侵犯並びに密漁の罪で、一応の労役に服しておるというのが現地実情なのであります。数多くの漁民は、やはり借財を重ねながら、かまどをかけ、命をかけてあの近海に勝負をいどんでおるのであります。このようなきびしい現実が、現地の置かれておる実情なのであります。この点を政府並びに国会議員方々によく御認識を願いたいのであります。  昨年、鳩山全権によります共同宣言調印報道現地で受けました。島倉参考人からも申し上げたように、現地では大喜びで、旗行列ちょうちん列行までいたしたのであります。ちょうちん行列をする、旗行列をするということは、別にイデオロギーの問題ではないのでありまして、ソ連国交回復すれば、現地のこれらの問題もすみやかに解決するであろうということの念願から、そうした単純なものの考え方からこれを支持し、ちょうちん行列旗行列もしたのであります。これは現地漁民の素朴な感情の現われであると私どもは解釈をしておるのであます。調印報道を受け、こうした喜びに沸き立っておるさなかにおいて、すでにこの当日現地においては、大量の拿捕が起きておるというこの事実を、私どもは皆さんに披瀝しなければならぬわけであります。ソビエト日本が、平和と友好のもとに国交回復をして、現在話し合いの道が開かれておるのであります。なぜこうした国境悲劇が繰り返されて、両国緊張が増すような、国際的にも、国内的にも重要なこれらの問題が放置されなければならぬのか、なぜ放置されていくのであろうかということを現地の者は心配をし、またそれを批判しておるのであります。現地住民が戦後何とかして島を返していただきたいと長い間訴え続けてきておりますけれども、一向にらちがあかない。従って根室のあの沿岸人たちは、ソビエト国交回復し、手を握り仲よくすることによって、必ずや領土の問題も、また近海漁業の問題もそこから解決してくるのではなかろうか、こういう考え方から現地においてもソビエト国交回復せいという決議をし、これをスローガンにして北海道中央に訴え続けてきたのであります。国交回復するとかせぬとかということは、現地においてはむずかしいイデオロギーの問題として取り上げておるのではないのでありまして、こうすることが、自分らの食う道が開けるというものの考え方から、現地では真剣に自分らの生活結びつきとしてこの運動を開始してきておるのであります。  私は二十九年ストックホルムの平和大会代表として出席いたしました。その足で私はモスクワをも訪れました。モスクワを訪れたのは別に他意はないのでありまして、現地のあのつらい実情を何とかソビエト方々に理解してもらいたいという気持で、勇を鼓舞してモスクワに入ったのであります。当時私ども外務省に何とかこの問題を取り上げて向うと話し合ってもらいたいということをお願いに行きましたが、外務省は取り上げてくれません。それはソビエト日本とはまだ外交関係が開かれておらないのだから話し合う方法はないのだ、根室実情についてはまことに同情いたします。ただこれだけでありまして、私どもは何としてもそこから話し合いをするきっかけをつかむことができませんでした。従って、私どもは一漁師代表としてソビエトに行ってこの問題を訴えたのであります。ソビエトといたしましては、漁民代表が来てもこういうことの交渉に応ずるわけにはいかぬけれども政府が来るならば話し合いをする用意を持っておるということを、私どもは回答していただいたのであります。今日話し合い機会が持たれました。大使も交換さたました。どうかこの機会根室の問題、あの近海漁業問題について、政府は勇敢に一つ話し合ってもらいたいというのが現地の希望なのであります。現地の方といたしましては、長い間運動を続けてきて、何ら効果が見えておりません。ほかの問題はいろいろ解決いたしました。しかしながら、根室地方に置かれるところの領土の問題につきましても、あるいは漁業の問題にしても、今日一つ解決しておらないのであります。従って、一切のしわ寄せが現地漁民にかぶさってきておる。近海漁業一つ解決しておりません。むしろソ連の艦船の過酷な拿捕にあっておる。現在の漁師の姿は手も足も出ない八方ふさがりだといって騒いでおるのが、根室地方現状なのであります。今回諸先生のおかげをもちまして、共同宣言批准後、根室近海において拿捕されましたところの乗組員は、ソビエト側の特赦の形で釈放送還されました。この春からまたすぐ漁師操業を続けなければなりません。焦燥と苦悩に頭をかかえておるというのが現地の姿なのであります。もし政府がこの近海漁業の問題で何らかの取りきめをしていただかなければ、再びこれらの領海侵犯が繰り返されるでありましょう。この国境悲劇がまた繰り返されていくのであります。中央の方では何だかんだと言って議論をしてそれでよいかもしれませんけれども現地はそれでは飯が食えないのであります。何とかしてこの問題を解決していただきたいということを強くお願いするわけであります。食うためには、拿捕の問題も覚悟の上であえて出漁せなければならないというきびしい道を、現地は選ばざるを得ません。こうしたことは、日ソ国交回復友好関係からも私は目殺さるべきものではないと思います。やはり大きな社会問題として、あるいは政治問題として取り上げて、ぜひこれは解決されていかなければならぬものと私は考えるのであります。  私は重ねて申し上げたい。この問題がもし放置されるならば、領土の問題もあるいは漁業の問題も何ら解決されずに放任されて、このままでいくならば、両国緊張を増すような領海侵犯が、残念ながらまた続けられていくでありましょう。このことを重ねて申し上げたいのであります。今まで国会議員方々並びに政府の高官の方々が、はるばる遠く北海道の最東端納沙布岬まで足を運んでいただいて、あそこを視察していただいております。私どもは数多く来ていらっしゃるので、必ずやその方々の御認識によって、この問題が解決されるであろうことを信じておったのでありますが、事態は一歩も進んでおりません。従って現地方々は、これをぜひ解決する方向に持っていかなければならない。また視察に来られた方々の中で、現実にあの領海の中でソビエト監視船に追跡をされて拿捕されておるところを目撃した方もあるはずであります。漁民方々は今日に至ってどういうことを言っておりましょうか。過日の漁民大会におきましても、それらの方々がわれわれと一緒に船に乗ってみればいい、そしてあの領海を犯していって、小さい漁船ソビエトに追跡されるところの恐怖感を味わってみればよくわかるはずだという叫びを、大会で述べておりました。むろん私ども、また漁民方々も、皆様方の御苦労なさっておられることを十分承知いたしておりますけれども、かく叫ぶところの漁民の心情もまた無理からぬものがあると私どもは思うのであります。  以上現地実情について申し上げたのでありますが、最後に若干領土の問題に関連をして、現地のものの考え方を申し上げてみたいと思うのであります。領土問題については、北海道、特に根室地方住民は、深い関心を持っておるだけに勉強もいたしております。共同宣言批准後、諸先生におかれましても、国会におきまして十分討論され議論が尽されておりますので、理論的な面ではなくて、私は現地の実際的な面からしてどのような判断をしておるかということをまず申し上げたいのであります。  今月の一日、根室地方漁民大会が開かれまして、この漁民大会におきまして、政府日ソ両日同平和条約締結のためすみやかに領土継続審議を開始し、平和的に解決をなすこと、こう決議されました。しかし現地はこの決議はしたものの、早期に解決することの困難さを十分承知いたしております。なぜなら、それは現在の国情あるいは国際的な情熱から判断しても、南千島はおそらくソビエトは譲歩しないのじゃないだろうかということをおそれております。心配しております。日本もこれを譲歩するようなふうに見えません。そういたしますと、南千島の問題をお互いの国が話し合っても、これはあくまでも平行線であります。どこまで行ってもこれは到着する結論を見出すことができないのではないかという工合に見ておるのであります。こうした平行線をたどる問題は、お互いが相談しようといって相談を開始いたしましても、こういうことは成り立ちません。そういう前提におけるところの継続審議はあり得ない、こう現地側では判断いたしておるのであります。従って領土問題の解決については、近い将来においては解決しないだろう、おそらくこれはいつまですえ置かれていくのか、その見通しが立たないというのが、現地のものの考え方なのであります。私ども現地者どもは、ソ連及びアメリカの外交の道具として現地がその犠牲に置かれることを大へんおそれております。私どもはこの点につきましては断固としてお断わりをしなければなりません。私どもはこの両国の犠牲、道具に甘んじていくことはできません。十数年間私どもはその犠牲にされて今日まで来ておるのであります。どうか政府におかれましては、出ないおばけに驚かずに、善意をもって虚心たんかいに外交交渉を開始してもらいたい、漁業の問題について勇敢に外交交渉を開始していただきたいというのが、現地の切なる訴えなのであります。もし領土もだめなんだ、近海漁業の問題も外交交渉を開始する気がないのだということになりますと、現地は最終的な段階に追いやられることになります。すなわち、現地は何年でも国境悲劇を繰り返しながら、南千島の返還を持つということになるか、あるいはまた色丹歯舞だけで割り切ってしまって現実に生きるか、この二つに一つを選ぶよりほかに方法がないのであります。そうなりますれば、私は答えはどれを選ぶかは明瞭であろうと思うのであります。これが現地の偽わらざるところの表現であり、偽わらざる姿であろうと、私はこう皆さんに申し上げたいのであります。  いろいろ申し上げることもあるのでありますが、時間が参りましたので、以上私は申し上げまして、政府並びに諸先生の理解ある同情におすがりいたす次第であります。(拍手)
  9. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 次に高野源蔵君。
  10. 高野源蔵

    高野参考人 私ども日ソ国交回復を非常な熱意をもって待望いたしましたゆえんは、第一には、領土の問題が急速に解決されるであろう、第二には、ただいま両参考人から申し上げましたように近海漁業が円滑にいくであろう、つまり安全操業ができるであろう、さらに第三点としましては、今度の国交回復機会といたしまして、あらゆる面で通商貿易の道が開かれるであろう。もちろんこの三点のほかに、大所高所から国会あるいは政府において考えられておりますところの国連加入の問題であるとか、いろいろな大きな問題はございましょうけれども現地としてはまずこの三点に対して強い希望を持っておったのでございます。  しかるにこのたび共同宣言によりまして日ソ国交回復いたしましたけれども領土問題にっきましては一応たな上げの状態に相なったのであります。第三の通商問題につきましては、これまた将来の折衝にゆだねられるというようなことでございまして、わずかに北洋の沖取りの鮭鱒の問題のみが一応解決の曙先に達したということでありまして、どちらかといいますならば、零細な人々を中心としておりますところの北海道の道東あるいは稚内地方、こういう方面の非常に大きな期待を持っておりました諸問題が、一つとして解決されなかったという状態にあるのでございます。われわれ北海道におります者としましては、まことに割り切れない気持でおるのでございます。ただいま両参考人から現地事情を詳しく御参考までに申し上げましたので、十分御了解下すったことと思うのでございます。私どもはこの状態を考えますときにおいて、日ソのほんとうの国交回復日ソ平和条約締結の一日もすみやかならんことを希望するのでございますけれども、こういう大きい問題につきましては、われわれ現地の者から叫びを上げましても、なかなか解決の道が遠いのであります。しかしながらわれわれといたしましては、いつまでもこの問題を等閑に付することができないのでございます。特にこの問題は、先ほども申し上げましたように、非常に零細の資本をもってやっておる人々の直接の生活に影響のある問題でございますので、特段にこれに対する御配慮をいただきたいと考えるのでございます。  この問題をせんじ詰めて参りますと、領土の問題にしばらくおきまして、どういうふうな解決方法に持っていくことをわれわれが希望しておるかと申しますならば、ただいまも富樫参考人から申し上げましたように、南千島以南の島嶼、その近海におきますところの日ソ漁業関係を暫定的に何とか処理していただけないかという点が一点であります。この問題は申すまでもなく領土問題とは切り離して、いわゆる領海の問題に関連して参ります。もしこの日ソ暫定協定、南千島を中心としたところの日ソ暫定協定というものが非常に至難である――これはわれわれも考えられるのでありますが、もしこれが至難であるといたしますならば、いわゆる領海の問題、これの調整ができないかというのが第二点であります。せんじ詰めて参りますならば、おそらくこの問題は領海をどういうふうに扱うか、ソ連日本のおのおのが領海の問題をどういうふうに扱うかということであろうと思うのであります。もちろん日本ソ連との同には、領海の主張にはおのおの違った点がございます。日本は三海里を主張しておりますのに対しまして、ソ連は十二海里を主張しておることは御承知の通りであります。しかもそのほかに七海里を主張する国もあるようでございますけれども、しかし私どもが知り得ておる範囲では、十二海里を主張しておる国国はきわめて少いのであります。ソ連を中心としまして、わずかに世界のうちで六カ国ないし七カ国とわれわれは記憶いたしております。ブルガリア、エクアドル、グアテマラ、ルーマニア、ドミニカ、大体こんな程度よりわれわれとしては十二海里を主張しておる国がないと記憶いたしております。あるいは私の記憶違いかもしれませんが、われわれの知り得ている範囲では、大体そういうふうに了解しております。三海里を主張しておるのは、日本はもちろんでございますが、英、米、独、仏その他大国はほとんどこの三海里説を主張しておるのであります。しかもソ連日本に対しまして帝政時代から十二海里を主張しておりました。おりましたけれどもソ連が一九二六年九月二十一日に日本に対しまして、領海十二海里の主張を曲げることはできないのであるけれども、三海里から十二海里の間でもし日本の船舶が通過し、あるいは漁業を営んでもこれを拿捕しないという声明を発しておることは皆さんも御承知の通りであります。これは当時の駐日ソ大使のベセドフスキーという方がりっぱに声明をいたしております。しかもこの問題は声明ばかりでなく、自来第二次大戦の直前までその通りの扱いをされておりましたために、日本の船がソ連近海に参りまして十二海里以内に入りましても、三海里の線を侵さない以上は決して拿捕されなかった。第二次戦争の直前までこの状態が続けられておったということは、専門家である皆様が十分に御承知であろうと私は考えるのであります。しかもこの点に対しましては、これは単なる口約束でなくして、これを協定その他の条項によりまして成文化しようということを日本外務省からしばしばソ連に対して迫って、戦争の直前までこの交渉が続けられましたけれども、ついに意見の一致を見ないままに第二次世界戦争に突入したという格好になっておるのであります。しかもこういう状態のもとに十二海里を主張しながら、なおかつ日本に対しましてはソ連友好的な扱い方をいたしておったのでございますけれども、一方英国に対しましては、一九三〇年に両方の暫定協定によりまして、北部地方でございますけれども、先ほども富樫参考人から申し上げましたように、一九三四年の五月二十二日のロンドンにおける調印によりまして、ソ連英国の間においては三海里の線までは英国の船は拿捕されないという協定ができ上っておるのであります。従ってわれわれといたしましては、せっかく日本ソ連の間にこういうりっぱな共同宣言によりまして国交回復友好善隣の関係ができ上っておりますから、この領海の問題などは決してめんどうな問題とはわれわれしろうとには考えられない。これは専門家でいらっしゃるあなた方どういうふうにお考えになるか知りません。われわれ国民としては、戦午前にさえ許しておった日ソ関係のこの領海問題が、りっぱに国交回復した今日、いまだに解決されないということは、一つの不可思議な事実として私どもは乱目しておるのでございます。これは何らか特別な軍事上の問題あるいはその他の問題に支配されておるかもしれませんけれども、単なる一つ外交問題、領海侵犯の問題として取り扱うときにおきまして、われわれは何としてもこの問題は了解に苦しむところでございまして、これはぜひ御理解ある国会あるいは政府を通して、一日もすみやかにこの問題の解決をはかっていただきたいと思うのであります。われわれ現地の者といたしましては、この問題は決して不可能だとは考えておりません。先段申し上げましたような戦争前の事例もあり、近きは英国ソ連との間の領海協定もありまして、これは決して至難の問題とは考えておりません。もししいて悪意に解釈いたしますならば、この問題にひっかけて、この問題にしわ寄せして、日ソ国交を一日もすみやかに回復しようという下心がもしあれば別でありますけれども、そうでないところにおきましては、事務的処理として、あるいは外交上の処理として、この問題ができるであろうということを深くわれわれは確信いたしておるのでございます。どうぞこの点は十分に御検討下さいまして、外務委員会あるいは政府当局におきましても善処せられんことをお願いする次第でございます。  最後に、この問題と関連いたしておりますが、北洋漁業の問題について、これも関連がありますので一言申し上げますけれども北洋の方の日本ソ連との漁業関係の問題は、御承知のごとくに、一九〇七年日露漁業協約によりまして、日本と当時の帝政ロシヤとの間において、陸上においてもまた海上においても、一定の制限のもとに自由に日本漁業することが許されておったのであります。一九二八年に政府がかわりまして、日露漁業協約から日ソ漁業条約に変りまして、日本は相変らずオホーツク海あるいはベーリング海におきまして、ソ連沿岸または特定の陸上を基地として漁業を営むことができるようになっておったのであります。それが一九四四年に、ちょうソ連が参戦いたします前の年でありますが、この年に陸上の漁場の入札の権利は縮小されましたけれども、依然として、日ソ漁業条約というものは更新されまして、一九四四年から五カ年間の効力を発生することになりまして、同じような性質のもとに日本操業権というものが認められておったのでございますけれども、不幸にいたしまして一九四五年の八月にソ連が参戦いたしました結果、日ソ漁業協定は中断されて今日に至っておるのであります。私はもちろん国際法とかそういうめんどうなことはしろうとですからわかりません。しかしながら、一般に伝えられるところ、またわれわれが学者その他の方々から聞かされるところによりますと、政治問題は別でありますが、経済を基準として作られたところの条約は、戦争のために必ずしも効力を失うものでないということを聞かされておるのであります。この説に対しましては、私どもは直ちにこれを信用するものではございませんけれども、また戦争によって中断されたものが平和条約によって国交回復する場合には、大体において元通りの条約の効力を発生するものであるというようなことも聞かされておるのでありまして、この点は私ども多分に疑問はございますけれども、そういう方法によってやるということも一つの方法ではないかというふうに考えておるのでございます。しかしながら今日、日ソ漁業条約が効力を発生いたしましたために、沖取りの問題は解決されましたけれども沿岸の問題等は一つとして解決されていないのでございまして、これと深い含みのある、また関係のある問題であろうかと思うのでございます。  繰り返して申し上げますけれども、私ども日ソ国交回復によりまして、少くとも国交回復前よりは、幾らか沿岸操業もある程度自由に緩和されるであろうということを期待しておりましたにかかわらず、一つとして実現されませんので、この点に対しましてはまことにわれわれとしては残念に思い、また不可思議に考えておるのでございます。どうぞ国会並びに政府当局におきましてこの点を御理解下さいまして、きわめて零細な漁民の人々の生活をお考え下さいまして、善処せられんことを重ねてお願い申し上げまして、参考人としての口述を終りたいと思います。(拍手)
  11. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 これにて参考人意見の開陳は終りました。  これより質疑を許します。
  12. 岡田春夫

    岡田委員 議事進行。さっきから言っているのだけれども政府委員は三人は来ているけれども、こういう重要な問題を審議するのに責任者が来ていないということでは困ると思うのです。特にこの問題は日ソ交渉の特別委員会で再三論議になって、その当時の河野農林大臣が答弁していたことにも関連しているのだから、こういうことで審議を進めるのは事実不可能ではないか。その政府委員の関係はどうなっておるのか、委員長から一つはっきりしたところを調べた結果をお知らせいただきたいと思います。  それから、この機会に皆さんの御了解をいただくならばお願いしたいと思うのですが、日ソ交渉の経過については、相当以前からいろいろ審議しておりますけれども、この日ソ交渉の経過に関連する問題であるだけに、この機会において、できれば当時の河野農林大臣、それからここにおられる松本当時の全権、この二人は参考人として出ていただいて、この機会にはっきりとした経過を言っていただかなければ、われわれはこれの審議ができないと思うのです。ちょうどたまたま松本全権がおられるから、そこでなくて向うに行っていただいて、その経過の中で明らかにしてもらわなければ、これははっきりしてこないですよ。こういう点についてもし委員各位の御同意をいただくならば、そういう点をやらなければこれは審議になりません。現地方々の窮状はよくわかるのだけれども政府側が熱意のないためにこうなっているのだから、こういうことをはっきり委員会審議のためにやっていただきたいと思うのです。
  13. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 ただいま岡田君から発言がございましたが、本日は参考人の陳述に対して皆さんの御質問をいただいて、本委員会としての審議は日を改めていたしたいと考えます。本日の政府側の出席者外務省から服部参事官、水産庁から新澤漁政部長、海上保安庁から砂本警備救難部長の三名が出席しておられますから、参考人及び本日出席政府委員に対して御質問をお願いいたします。そうしてその結果に基きまして、理事会の協議によりまして、日を改めてこの問題について委員会としての審議をいたしたいと存じます。
  14. 岡田春夫

    岡田委員 政務次官はどうなんですか。農林、外務政務次官ぐらい出られるでしょう。
  15. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 岡田君に申し上げます。政務次官その他外務省の首脳部に対して出席を要求いたしてありますけれども、先ほど申してありますように、本日は漁業問題についての会議にほとんど出席いたしております。政務次官もやむを得ざる事情のために出席いたしかねますから、先ほどの点を御了承の上質疑お願いいたします。まず穗積七郎君。
  16. 穗積七郎

    穗積委員 政府関係者がいなくては話になりませんから次にしたいと思いますが、ただ一点、先ほどの参考人の方が御供述になった中で、私聞き漏らしたのかもしれませんが、拿捕された者の留守家族の生活援護はどういうふうにやっておられるのですか、その事情を聞かせていただきたいと思います。
  17. 富樫衛

    富樫参考人 私から申し上げます。以前は拿捕がありましても、個人の責任において何ら経済的な補償が受けられませんでした。従って拿捕された場合は、一切の漁船、漁具を失い、それからその経営者は、仕事のために雇っておる者の家族の生計も見なければならぬというのが雇用契約の実情であります。従って政府からは以前は補償がなかったのですが、中間におきまして現地からの要望がありまして、拿捕保険というものができ上りまして、応船体に対するそうした労災の補償は現在保険の形である。しかしながらそれが、実際に個々に拿捕された者の家族までも補償する財源にはならない実情に置かれております。従って拿捕された者の家族は現在生活に困窮を続けておるというのが実情であります。
  18. 穗積七郎

    穗積委員 それからもう一点、この沿岸漁業生活をささえられておる家族まで含む人口数はどのくらいですか。
  19. 富樫衛

    富樫参考人 正確な数字の資料はここに持っておりませんが、沿岸漁業を重点にした家族、それに雇用される一切の労務者を入れて三万五千ほどかと思います。それに関連産業の人数が加算されてくるということになります。
  20. 穗積七郎

    穗積委員 そうすると、非常に多くの使用者並びに被用者の方が、苦しい事情にあるというのでございますが、日ソ間の漁業交渉に対する政府の、この問題を含む方針を、説明できる方が来ておりますか。先ほどの参事官の方、ご説明いただけますか。
  21. 服部五郎

    ○服部政府委員 詳細は私よく存じませんから……。
  22. 穗積七郎

    穗積委員 それでは海上保安庁の方に伺いますが、拿捕された船の実情の調査は、あなたの方でまとめておられますか。特に国交回復後の拿捕された船の実情数字がありましたら、ここでちょっと報告していただきたいと思います。
  23. 砂本周一

    砂本説明員 一応最近の模様をちょっと申し上げます。三十二年に入りまして、いろいろ冬季の関係もございますから、これによって拿捕の一般傾向を判断するわけには参りませんが、三十二年に入って今日まで、隻数にしまして三隻、人員が三十四名でございますが、これはその隻数と人員が帰還しております。戦後全部通算いたしますと、先ほど御報告もございましたが、私どもの調査によりますと、五百六十五隻に対して四千九百七十名、それに対して四百六十七隻で四千九百五十三名が帰還しておりまして、この数字によりまして現在未帰還は九十二隻と十一名、それに沈没六隻、死亡六名、これは今までの調査の資料でございます。なおこのほかに消息不明船といたしまして四隻、五十二名がございます。  最近の傾向でございますが、取扱いは前よりはかなり緩和されたような傾向にございますし、拿捕理由といたしましては、従来とあまり変らないのでございますが、越境の罪と密漁の罪、たまにスパイとしての容疑で取調べを受けておりますが、これは今まで私どもの調べた範囲におきましては、完全に先方さんの誤解でありまして、たとえば船員手帳が乗組員数とマッチしてない。それはたまたま、その船員手帳に対する不足人員と申しますが、病気で臨事に下船しておった、そういった誤解からくる嫌疑のようでございますが、大部分は越境と密漁の関係のようでございます。  それから特に国交回復後の顕著な状況と申しましても、だんだん緩和されておりますので、それをはっきりと境にして特別な傾向を申し上げることはございませんが、取扱いもだんだん緩和され、また食事関係も多少よくなっておる、こういう状態でございます。  それから国交回復後の私の力といたしまして変りましたことは、例の海難救助協定によりまして、海難関係についての情報連絡がはっきりルートがきまったものでございますから、海難による遭難であるか、あるいはまた拿捕によるものかはっきりいたしません場合が多いので、そういう際には、海難救助協定の規定に従って、先方にその状況を連絡し、先方においてもし情報あるいはその状態がわかるならばお返事をいただく、こういう連絡はとっております。ただ、もうすでに五、六件ございますが、消息がないという返事をいただいたのが一件と、協定の線に沿って先方である程度の救助の一班をになっていただいたのが一件、こちらから連絡いたしましたけれども、それに対する何らの返事のないのが三件、こういう状態でございます。従って、そういう連絡の方法がつきましたことは、今後拿捕関係につきまして非常に効果があるように考えます。
  24. 穗積七郎

    穗積委員 こまかいことですが、今の拿捕または行方不明についてもう一点だけお尋ねしたいのです。実はけさ私のところへ陳情がございまして、これは住所が富山県生地町になっておりますが、タジ漁業の第二十三恵比須丸、四十九トンの船であります。これが一月二十六日に北海道の沓形港を出港したまま行方不明になっておって、これは拿捕されたのか――当時の海上の事情からいきますと、遭難をして行方不明になったというようなことは考えられない。同日同港から一緒に出た他の船は無事に帰っておる。そういうような状態なので、あるいは海難ではなくて拿捕されたのではないかと推測されて、すでに役所の方へも陳情が行っておるようですからお聞きになっておるだろうと思うが、ソビエト側に対してこれをおただしになって、お調びになった事情がわかっておりましたら、報告をしていただきたい。これは先ほどの御報告の中のどれに入っておりますか。行方不明の中に入っておるのか、拿捕された三隻の中に入っているのか、どちらでございましようか。
  25. 砂本周一

    砂本説明員 今私の方の資料といたしましては、二十二恵比須丸、四十九トン、十二名の乗組というのがございますが、これにつきましては手配はしております。なお、二十三か二十二かの関係につきましては、わかりませんので……。
  26. 穗積七郎

    穗積委員 その二十二恵比須丸というのは、結果がわかりましたか。
  27. 砂本周一

    砂本説明員 二十二恵比須につきましては、今申しましたように、私の方としてはさっそく連絡をとって、通信としては向うに十分届いておりますけれども、それに対する回答はまだいただいておりません。
  28. 穗積七郎

    穗積委員 拿捕あるいは海難についての状況はわかりましたから、今度は、先ほど陳述がありました沿岸漁業全体について、外務省から御出席の参事官はきよう詳しいことは答弁できないということですから、他の機会にいたしますが、はなはだ遺憾でございます。  水産庁の方は、日ソ漁業交渉――この問題を含んでのわれわれのお尋ねにお答えができる御用意をなさって、きょうお見えになりましたかどうか、最初にちょっと伺っておきたい。
  29. 新澤寧

    ○新澤説明員 御質問の内容がどういうものか予測いたしかねますが、ある程度のものは準備いたして参っておりますので、お答えできる範囲内ではお答えをいたしますし、またできませんことは調べましてお答え申し上げます。
  30. 穗積七郎

    穗積委員 それでは事めんどうでございますから、先ほどお聞きになった通り、暫定協定の問題、領海設定の問題並びに領海内における特殊漁獲または海草採取等については特別の交渉をしてもらいたい、こういうような意見が陳述されたわけですが、それらに対してお答えのできるものは、そっちから一つ説明をしていただきたいと思います。
  31. 新澤寧

    ○新澤説明員 ただいまの御質問でありますが、これはむしろ水産庁といたしましては、先ほど参考人が述べられましたと同じような事情が促進されますよう外務省等に希望をし、お願いをするような立場にあるのでありまして、そういうことで外務省の方に御連絡を申し上げておる次節であります。  それから目下日ソ漁業委員会が開かれておるわけでありますが、これはもともと議題が漁業条約できめられた議題に限られておりますので、本問題に触れることができますかどうか、会議の進捗を見ないとわかりませんが、もし友好裏に話が進みましてこういうような問題に触れることができましたならば、今開かれておる委員会においても日本代表する委員からこちらの希望を表明して、その事態が促進するように水産庁としては努力をいたしたい、こういうふうに考えております。
  32. 穗積七郎

    穗積委員 それではちょっとお尋ねいたしますが、今度の合同委員会に、オフィシャルな議題として、もしくはアンオフィシャルな話し合いとしてでも、水産庁としては当然この問題を取り上げて、ぜひ外務省を鞭撻して向うの了解をつけたいという方針をすでに持っておられるかどうか、また持っておられるとすれば、外務省を通じて今度の交渉の中へぜひ入れるように、すでに外務省との間に了解をつけておられるかどうか、それについてまずお尋ねいたしましょう。
  33. 新澤寧

    ○新澤説明員 先ほど申し上げましたように、ただいま開かれております委員会の任務というものは漁業条約できまっておりますので、ただいまの状態としましては本議題の方にのみ議題が限られておるようなわけであります。委員会の進捗いかんによりまして、取り上げられるかどうか、そのつど情勢判断をいたした上でありませんと、そういうお願いをいたしかねるのではないかと考えておるわけであります。そういう機会をできるだけ求めたいと思っておりますが、現在のところはまだそういう希望を直ちにはいれられないと思います。
  34. 穗積七郎

    穗積委員 それではちょっとお尋ねいたしますが、だんだんたよりない御答弁になって、まだ腹はきまっておらぬし、外務省にも話しておらぬようであります。実は私ども、このことについては直接の知識もないし、現地のことも知らないのですが、代表者の諸君から実情を伺いまして、もっともな話であると思いまして、外務省の法眼参事官に、こういう公けの席上ではありませんでしたが、今度の交渉の最中に正式議題としては取り上げがたいであろうけれども、事の成り行きによってはこれはぜひ一つ持ち出して話してもらいたいと申し上げたら、できるだけの努力はいたしましょうという個人的な御返事がございました。そこでわれわれの考えでは、日本政府の各ビューローの間でなわ張りがあろうはずがございませんから、外務省がそう思えばそれでいいわけですが、実情を申しますと、現地漁民なり漁業家の立場に立って問題を心配しなければならぬのは水産庁である。われわれが地元の諸君の妄想を取り次いでいくような程度では、これは迫力が弱い。向うとの交渉も弱くなる。従って日本の役所の中では、水産庁現地の諸君の身になって、ここで強く積極的にお働きかけをしていただかないと、正式議題になっておってもなかなか思うようにいかぬ交渉なのです。それが初めから議題からはずれておるような状態なのですから、ぜひ一つ水産庁では大臣ともよく協議していただきたい。いずれまた別の機会に外務大臣、農林大臣から覚悟のほどを伺って、われわれも促進したいと思うが、特にあなたは担当部長でございましょうから、ぜひその決意を固めていただきたい。そういう御用意があるかどうか、伺っておきたいと思います。
  35. 新澤寧

    ○新澤説明員 お話の趣旨はよく銘記いたしまして、大臣、上司にもお伝えいたします。
  36. 穗積七郎

    穗積委員 先ほど岡田君の言われたことに関係があるのですが、実はきょうの委員会は、参考人方々から事情を開陳していただいて、それを政府の責任のある方々に聞いていただき、われわれ委員会としては両方の意見を聞きつつ問題を明らかにし、かつ促進したい、こういう考え方で前もって出席を要求しておいたにかかわらず、お出ましにならないということで、われわれははなはだ遺憾の意を表します。従って委員会としては、政府にそのことを厳重に申し入れをしていただいて、今申しましてもしょうがありませんが、次の機会にはぜひ両大臣の出席機会を得てこの問題を促進したいと思いますから、これも肝に銘じて委員長はお取り計らいをいたしていただきたいということを要望いたしておきます。
  37. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 岡田春夫君。
  38. 岡田春夫

    岡田委員 私は実は政府側が出てこないと質問しないつもりだったのですけれども、これは政府側に用意をしてもらうために、私は先に二、三質問をいたしてみます。  と申しますことは、この拿捕問題については日ソの特別委員会で中崎君が取り上げておりますし、それから私が実は取り上げておるのです。暫定協定の問題についても私は質問をいたしておるわけです。そのときに河野農林大臣の答弁を見ると、条約発効後は、条約に規定いたしておりますように、それが現行犯で拿捕されました際に、直ちにその所属国に引き渡し、所属国の裁判によることになっておりますから、すべて拿捕問題は解決する、こういう見解に立っております。こういうことを河野農林大臣が当時は言っているわけです。先ほどから現地の方のお話を伺っていると、こういう点では非常に食い違ってきておる。その点はもう一点ありますが、やはり河野農林大臣は、四十八度線以南の漁船につきましては、これらの大衆の漁業については、特別に考慮ずるということの約束は、取りつけてあるわけでございます。従ってこの意については心配がないということを言っているわけです。にもかかわらず、こういう心配が現実にあるということは、河野農林大臣がその当時いいかげんなことを言っておった、こういうことになってくるわけなので、こういう点は水産庁の部長から御答弁を願うといっても私は無理だと思いますので、こういう点を一つ早急にお調べを願いたいと思う。  それから先ほど水産庁の方は非常に心もとない答弁をしておられるのだが、暫定取りきめの問題に対しても、私の質問に対して、河野農林大臣は、「条約発効後は、すぐ第一回漁業委員会を大体東京で開く予定だと先方も言うておりますので、そういう機会がございましたならば、そういう機会にこういう問題を取り上げて、なお善処する必要があればした方がよいと考えております。」こういう答弁をしておるのです。これに対して、漁業委員会は性格が違うから今日では取り上げられないのではないかと私は実は聞いておるのです。ところが河野氏はそうじやない、ここでも取り上げられるのだ、こういうことを答弁をしておるわけです。そうすると、取り上げられるという河野農林大臣の解釈にもかかわらず、水産庁はこれを取り上げるのであるかないのか、いまだにわからぬような状態では、これは水産庁は怠慢であると言わざるを得ないと私は思うのだが……(「大臣はかわったのだ」と呼ぶ者あり)こういう点は大臣がかわったから何をやってもいいということにはならないと思う。賢明なる川村君はよくおわかりだろうと思うが、とにかく前の大臣のときはこういうことをやったのだが、今度の大臣は別のことをやってもよいというようなことは――自民党の内閣が倒れて社会党の内閣ができるのなら別だけれども、あなたの方は同じ内閣のつもりでいるのだろうから、それはいけないので、こういう点は一体おやりになっているのかないのか。そうしてまた先ほどの答弁を聞いておると、水産庁漁業委員会でも取り上げたいという気持があるのかないのか、これさえも明確でないと私は思うのですが、こういう点はどうですか、やりたいと思っておるのか、あるいは暫定取りきめを別個な形でやりたいと考えているのか、外務省に一切お願いして、お願いしますといって、それでこの問題は解決できるとお考えになっておるのか、こういう点、あなたの知っておられる範囲だけでもまず水産庁の関係から伺っておきたいと思うのです。前段の点は、むしろあとで御答弁になるための用意として申し上げたので、後段の点の御答弁は願いたいと思います。
  39. 新澤寧

    ○新澤説明員 先ほども申し上げたのでありますが、ただいま開かれております委員会日ソ漁業条約に基いてできた委員会でございまして、その条約中に委員会としての任務が与えられておるわけであります。従って今委員会で正式に暫定協定をきめるというようなことはできないのではないかと私は思います。前大臣がおっしゃいましたことは、漁業委員会が開かれる、そのときに先方の有力な方がどうせ代表として見えられる、そのときに、そういう機会をとらえて話をする、こういう意味でおっしゃったのではないかと推察いたします。私の方も、委員会の議題として委員会できめるということではなしに、委員会に来られた方々にお話をして、それが問題の解決に近づくように努力をいたしたい、こういう意味合いで申し上げた次第であります。
  40. 岡田春夫

    岡田委員 日本政府というのは、どうもいまだに日ソ交渉ができたという考えを持っていないのじゃないかという感じがする。現実漁業委員会代表が見えて交渉されるのもいいけれども、そればかりではなくて、今度は狸穴に大使館ができて、大使が来て、こういう問題を解決するための交渉はできるわけなのですから、直ちに水産庁外務省と打ち合せをして、交渉しようと思えばできるはずなんですよ。こういう点をいまだにやっておらないということになるならば、日本の国内のこういう漁民の問題について、あなた方は水産庁であるにもかかわらず、あまりにも無関心であるか、あるいはこういうための努力をする気がないのであるか、こういうことになってくると思うのです。直接に狸穴の大使館と交渉することはできるのですから、こういう点についても直接交渉をやれるように一つ御努力願いたいと思うのです。  こういう点はいずれあとで大臣に私いろいろ伺って参りたいと思いますが、もう一つは、暫定取りきめということは法的にも私は可能であると思うのです。先ほどから参考人のお話の通りに、領土の問題は一応別にして、当面漁業に支障のないようにするために、領海上におけるいろいろな話し合いをつけて暫定協定を取りきめることは、事実上法律的にも可能であると私は考えるのですが、外務省の服部参事官はこの点いかがお考えになりますか。
  41. 服部五郎

    ○服部政府委員 そういう法律上の問題は私よく存じませんので、上司に相談いたしまして正確なお答えは次会に申し上げたいと思います。
  42. 岡田春夫

    岡田委員 私の言っているのはこういう意味ですよ。はっきり言うと、条約を作ったり何かするのは私よりあなたの方がくろうだと思う。ところが領土問題ついては、私の考え方から言うならば、平和条約をすみやかに締結する、そういう形であの当時いくべきだったので、これは松本さんもここにいるが、松本さんもあのときに平和条約を結びたかっただろうと思う。こういう問題を解決しないからこういう問題が残ってくるわけですね。領土の問題がきまらないから領海の線がきまらないということになってくる。この問題については自民党の中においていろいろ意見もあったわけであるから、こういう点できめられないでああいうような形になったのであるけれども、こいう領土領海の問題を一応継続審議なら継続審議という形にしておいても、漁業の問題としての立ち入りの問題として、別個にこれは暫定的な取りきめが結ばれる可能性が法律的にあるのではないか。日ソ共同宣言ができて別個に通商航海条約というものが結ばれる、文化交流の協定が結ばれる。これと同じように法律的にこういう協定を結ぶことは可能であるということを私は考えているのだが、そういう点は可能だと思いますか、いかがお考えになりますかということを聞いている。むしろ法解釈を伺っているのです。それは上司に伺わなくてもあなた方条約を作られる専門家の立場として、そういうことはおわかりになっているだろうと思うのですが、その点はいかがなのでしょうか。
  43. 服部五郎

    ○服部政府委員 私条約の専門家だと言われたのでありますが、私は実は条約局に勤務したことはございませんので、そういう法的な問題について正確なお答えができないのがまことに残念なのでありますが、その可能性について十分検討してみたいと思います。(岡田委員「いや、法律的にそれはできるでしょうと言っているのです」と呼ぶ)可能であるかどうか……。
  44. 岡田春夫

    岡田委員 私の言うのをはき違えてもらっては困るんだ。協定を結ぶ――実際に取り結ぶかどうかということは交渉してみなければわかりません。可能であるかどうかということは交渉してみなければわからない。しかしそういう取りきめを結ぶことはできるのではないかということを言っているのですよ、一般論としてですよ。そういう前提がなければ交渉してみたってむだだ。そういうものが全然だめだというのに交渉してみて話したって、何ぼしたってだめですよ。そういうことはできるのではないか、そういう意を何っているのです。
  45. 服部五郎

    ○服部政府委員 こちらが交渉をすることにきめて向うもそれに応じて、そうして交渉を始めてそれがまとまればもちろんできるということになるわけであります。ですから法的にはできるわけですね。(岡田委員「問題は法的にできるとおっしゃって下さればいいのですよ」と呼ぶ)それだけなら実に簡単なのです。
  46. 岡田春夫

    岡田委員 実際はその簡単なことをあらためて伺っておきたかったのですよ。  まだ私はありますけれども、大臣に出ていただいてはっきり伺わなければなりませんので、きょうは質問を留保いたします。
  47. 山本利壽

  48. 松本七郎

    松本(七)委員 私は参考人の方に、どなたでもけっこうなのですが、今後この問題を早く解決するために伺っておきたいことがある。いろいろ御説明をいただきましたし、私どもも今まで現地事情をいろいろ伺っておるわけですが、今も問題になっておりますように、漁業委員会では正規の議題としてはおそらく、取り上げられないだろう、いわゆる茶飲み話であるいは話の爼上には出るかもしれない。しかし私どもの観測ではおそらくそれも出されないのではないかと思います。河野前農林大臣は、それとは別個にこの問題は解決できる約束になっておる、こういう答弁を以前にもされておるのですが、これも話し合いがそういうふうになっておるからといって、周囲の条件によってはやはり困難な事態になるだろうと思う。今の外務省の塩気を私どもが察知いたしますと、漁業委員会交渉とは別個に近海漁業の問題を今直ちにソ連側と話し合おうというような空気も察せられないのです。  私は二つお伺いしたいのですが、一点は皆さん方が直接外務省に今まで再三当られた結果、おそらく私と同じ観測を持っておられるだろうと思いますけれども、確認をいたす意味でお伺いしておきたいのは、皆さん方はできれば漁業委員会で正規な議題にできなくても、何らかの形でこれを持ち出してもらいたい、それができなければ別個の問題として外務省ももう少しソビエト側に当ったらどうだというのが御希望だろうと思うのですが、私の観測では外務省には全然その空気はないように思うのです。その点はどういうふうに観測しておられるかということが一つ。  それからもう一つ一番大事な問題なのですが、今のいろいろな条件からいいますと、なかなかこれが政府が取り上げて向う交渉するまでにはひまがかかる。それからかりに政府が取り上げてみても、ソビエト側がそう簡単に暫定協定に応ずるとも予想されないのです。場合によってはこれは暫定協定も可能になるし、それからそれができない場合には領海の問題だけでも、イギリスとソ連側で解決したような解決の仕方で、これは解決する可能性はあると思うのですけれども、今日の日本状態では、私はかりに政府がこれを取り上げてみても、おいそれとはソ連側は応じないのではないかと思う。それは今までの長い間の日ソ国交回復交渉の過程を見れば、それがどこに原因があるかということが明らかになるのじゃないかと思います。今までの交渉の過程を振り返ってみますと、国交回復はやろう、しかしその反面にはきわめて非友好的と申しますか、そういう空気が日本の国内にも一部ですけれどもある。政府の態度にそういう態度が現にあったのであります。それから私どもはそれがある間はいろいろな問題が有利には解決できないということを強調してきたわけでございます。皆さん方もこの根室現地方々は、長い間しかも一番苦労されてきておるのでございますから、この点はおそらく身にしみて感じておられることだろうと思います。ところがその一番苦労された近海漁業方々は、講和条約さえできれば、国交回復さえすれば、魚は安全にとれる、その期待が大きかっただけに、私は今日は先ほどから御説明がありましたように、がつかりし、そしてこれが下手をすると全部責任がソ連例にあるような誤解も私は生みかねないと思うのであります。そうすると、この連動をせっかく皆さん方がやっておられ、国会も一体になってこれからすみやかに解決しなければならない、政府を鞭撻もしなければならない、しかし政府は取り上げてきたが、ソ連側がおいそれと応じないということになると、一司の責任がソ連にあるがごとき空気がまたひどくなってくる、盛り上ってくる。これが反ソ運動、反ソ感情をあおり、一部の者がこれを悪用してまたいよいよこれをあおるというようなことになりますと、私はせっかくのこの運動がとんでもない方向利用されると同時に、私ども解決しようとするこの問題が、いよいよ解決困難になってくることを心配するのであります。  そこでもう一つ大事な点お伺いいたしたいと申しますのは、今の皆さん方のやっておられる現地における運動に、そういった反ソ的な空気が多少でもすでに出てきておるのではないか、もしもこれが出てきておるとすれば、それにどう皆さん方は対処されようとしておるのか、出てきておらないなら幸いでございますけれども、その可能性はなきにしもあらずでございますから、その点を指導者であり、幹部である皆さん方がどのように今後対処されていかれようとするのか。私どもはやはりもっと大きな観点から、親ソ運動と申しますか、日ソ親善友好運動というものを並行して展開していただくということが、この問題を一刻も早く円満に解決する道である。これさえやれば、ほんとうに友好親善の空気を作れるんだということですよ。国交回復がなされてくれば私は暫定協定もおそらく可能だろう、それができなくても、少くとも領海の問題ぐらいは解決間違いないという確信を持っておるのでございますが、この点について一つ。大体こまかく分ければ三点になりますけれども、どなたからでもけっこうでございますから、一つ御答弁をお願いしたいと思うわけでございます。
  49. 島倉与三松

    島倉参考人 私からお答えいたします。今日まで外務省への折衝は長い間いたしました。最近に至りましてさらになお詳しく御陳情を申し上げました。外務省の大臣や法眼さん、それからなお門脇大使方々にもお会いをいたしまして、とくと事情を申し上げて懇請申し上げたのでございます。ずっと以前はなんでございますが、卑屈と申しましょうか、敗戦国のつらさ、力のなさという、一つのそういう言葉で私どももともに負けたつらさ、力のないつらさ、そういうことで忍んだ時代がございました。しかし最近ではもはや日本は独立したのだ、国交が開けて、対等の位置で話ができるのじゃないか、しからば今までのような卑屈さを除いて、もう堂々と言っては少しはばかりますけれども、対等の位置で御交渉を願えるのではないか、こういう観点からも私ども考え方を訴えたのでございます。しかしながら現在外務省の高官の方々の御意見では、御希望に沿うべく善処はするが、いろいろのかね合いがあって、急速に進展することは困難であろう、こういうことでございました。従いまして領土問題と沿海漁業問題と二つがからんでおるわけでございます。領土がきまれば沿海の安全操業が直ちにできる。領土が長引くならば、沿海の安全漁業も促進せられる。いわゆる暫定協定方を願いたい。こう二つに分けて実はお願いしたのでございますが、その見通しについては今申し上げたようないろいろの難関の事情もあるので、急速にはめんどうと思うが、できるだけやる。なお日ソ漁業委員会が開かれるから、本問題ではないけれども、いろいろと機会をとらえて話をいたしましょう。なお門脇さんのおっしゃった言葉には、私が参りましたならば、公式、非公式を問わず、諸君の実情をよく向うの要路の方々に訴えてみよう、こういう熱心なお話も聞いて参ったわけでございます。いろいろ今日まで、ただ私らはいちずに政府を信頼するということで――不満を抱いておった根室住民もございました。不満を抱いちゃいけない、国内の思想の混乱を起しちゃいけないということから、実は不満を抱いておった分子も若干ございましたけれども、そういうものを押さえて、一に政府の方針に従って政府を信頼するということで今日まで参ったわけでございます。しかしながら最近に至りまして漁民をいじめて何の日ソ親善があるのか、こういう声が台頭してきております。そこでこれはソ連を恨んだ方がいいのか、日本政府のやり方について恨んだ方がいいのか、錯綜して参っております。これは私ども指導者として思想の上における指事、それから実際問題として漁撈方面における指導をどうしていったらいいのか、実は焦燥と不安にかられておる現状でございます。いろいろ漁業組合という一つの性格におきまして組合員を指導していく、いわゆる漁家経済を保たせていく上において、どうしてもこの問題については解決方を迫らなければならぬということで苦労しておるわけでございます。思想についてはいろいろ錯綜しておるわけでございます。ことに今までは、拿捕された場合は個人の損害でよかったわけですが、今後は聞いておる話によりますと、国際信義という問題にまでぶつかって参ります。しからば二重の苦難を今度はなめることになります。そういうことに対して一体どうしていったらいいのか。実は寄り寄りと今後の指事についての苦労をしておるわけでございます。ただいま私の申しましたことが先生の御質問に当てはまるかどうかわかりませんけれども、さような状悪が概況でございます。  なおまた別に参考人もおられますので、補足を願いたいと存じます。
  50. 富樫衛

    富樫参考人 大へんむずかしい質問を受けて、実は面くらっておるわけですが、 一番最初の外務省交渉の経過の見通しでありますが、私どもの結果から見た結論を申しますれば、大体先生と同様でございます。政府が踏み切って外交渉について話し合いを開始するという結論ちょうだいするわけにはいきせんでした。ただ問題は、この漁業委員会を通じてできるだけ話し合いのきっかけをとらえてみるということでございまして、それは先ほど申し上げたように問題解決ではない。やはり問題の解決は筋道に乗せて、外交交渉でなければこういった問題は解決されないと私ども現地の者は考えておるので、その点を強くお願いしておるわけです。外交交渉をするというはっきりとしたお答えを承わっておりません。大へん遺憾に思っておるわけです。  次に日ソの親善の関係について、その用意をどのように持っておるかということですが、私もそれが心配なので先ほど申し上げたのであります。私がソ連やアメリカの外交の道具には現地はなりたくないと言うことは、そういうことが予想されるからであります。一番先にソビエトに対する私どもの犠牲のおそれということは、そこまで現地の圧力をかけていかなければ、現地も騒がぬだろうし、政府が督励されていかないのじゃないかというような方向に使われはせぬかということを、大へん現地は心配しておるのであります。そういうものの考え方で、現地は寄り寄りこれをどう処置しなければならぬかということを心配しておることと、アメリカ側から見た場合、私ども日本人ですから、どんなことがあろうとも、日本政府を悪く言うわけにいきません。ただ問題は、その陰において操作をし、そういうふうに仕向けられてきた現地が据え置きを食らっていくという形は、これも現地の方としてはがまんができない。そういうことも私どもはいろいろな意味を含んで先ほど申し上げたのです。ただ現地の方は親善の問題にいくならばイデオロギーの理屈の問題ではない。それは現地人たちイデオロギーの思想がどうのこうのといっても、そんな深いことはわからないのです。ただ問題は、向う現地の出先に方探を作ろうとしたことがありました。そういう交渉があった。それは現地の方で勇敢にたたきつぶしたわけであります。ということは、ああいうところに電探、アメリカの基地を持ってこられれば、あそこでまた漁業ができなくなる、向うを刺激する。従ってまた拿捕も起きてくる。それがおそろしいから、電探を作ってくれるなということなんで、それは決して理屈でやっているのではない。またソビエトのタンカーが来たときに、タンカーの返還をしてくれ、局地通信をしてくれということもある。そういうことなんで、思想的にこれをどうのこうのということは、現地ではなかなかめんどうなことである。ただ問題は、現地はさらに一歩進んで、国交回復したのだから、国後択捉の方でもいろいろ豊富な物もある、中部千島にもある。材木だって相当あるのだから、この機会にそういったことも、一つ貿易を再開して、現地の方では造船界がひまであります。それで安い材木を向いから持ってこれて、その船を向うにやっただけでもいいじゃないかということで、今真剣にそういったことが現地で討論されておる。こういったことが実際自分生活と結びついて、その生活のにじみ出る中から、こういった実際のものの運動でなければ、ただ理屈でそういうことを指導せよといっても、これはできるものではない。そういったものが積み重なって根室には親善協会がございます。文化運動もやっておりますし、ロシヤ語の講習もやっております。今までそういうことがなかったのが、やはり日常の生活に必要さを感じ、みずからのうちからそういうものが動いておる。そういった線は皆さん方がお考えになっているよりそういう形でだんだん広がっていることを皆さんにお伝えしたいわけであります。こういう面は現地方々におまかせ願って、皆さん方もぜひ一つ歯舞のあの方面に御視察を願って、いろいろと現地と懇談することも今後は大事であろう、このように考えます。
  51. 山本利壽

    山本(利)委員長代理 ほかに御質疑はございませんか。――御質疑がなければ、これにて本日の質疑は終了いたしました。  参考人方々には種々有益なる御意見を開陳していただきまして、まことにありがとうございました。委員長として厚く御礼申し上げます。  次会は公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時二十五分散会