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山下(春)
委員 局長の方でそういうふうに調査が進んでおることが明らかにされますことは、大へんけっこうなことで、私
どもも大部分が樺太であるように
考えておりましたけれ
ども、とかくあれがソ連に
抑留されておる人の全体のような
感じを与えられておる点で、これらの調査を進めていく上に非常にまずいと思いましたので、その点をお尋ねしたのでありますが、これはぜひ、そういう点を、機会がありましたならば、よく発表していただきまして、
一般ではこれを発表された名簿が樺太ということをよくわからない人が、あれだけ帰るといえば大体全部帰ってしまうことを
意味するのではないかというふうな、シベリア全土のことが連想されますので、これは樺太のケースであるということを明らかにされるように、何か心がけていただきたいと思います。ということは、現にソ連本土に
抑留されている者の中で、この間の名簿にありました三百七十一番吉田晴雄という人などが、この前の
委員会でも申し上げたと思いますが、非常に帰国を切望しておりました。現在これがマリンスクにいて、肺浸潤で病院に入って寝ているようでありますが、最近だけでも母親から六回も嘆願書を出しております。
本人もまたこういう手紙をよこしておるのでございます。その中の一節を読んでみますと、「長らくの間おたよりがありませんが、からだでも悪いのですか、また仕事でも忙しいのですか、それとも手紙はつかないのですか、それとも僕を悪く思っているのですか、僕は一日も早く帰りたいと思って、願書をモスクワの一番の
大臣のところに書いて出しましたら、さっそく返事がありまして、国の母親の呼び出しがあれば帰すということになっております。」そして、まあ中を略しまして、「僕は一日も早く会いたいと思っておりますが、きょう死ぬかあす死ぬかわからない、おそらく国へ帰っても死にに帰るだけであろうと思われる……」ということは、もう命旦夕に迫っていても、なお祖国に帰って死にたいという、これはまあ非常なじっとしていられない気持のケースであろうと思うのでありますが、その他切々の情を訴えた母親からの帰してくれという嘆願書、あるいはまた、それにこたえて、
本人が、十二月十五日に、これは私
どもこの字を見ましても、今読みました手紙のときよりもあるいは病状が悪くなっておられるのではあるまいかと思われるような筆跡でございますが、こういうケース。あるいは、やはり今度の名簿の中の三百七十六番、カンスクに現在おりまして、しかもこの人はソ連の婦人と同棲をいたしまして、現状は子供が二人あるということであります。これは北海道でございますが、国にちゃんと妻がおりまして、この妻から二月以降だけでも六通の嘆願書を出しておりますが、この吉原俊雄という人は、今の生活その他の
事情からやむなくソ連人と同棲はいたしておりますけれ
ども、しかしながら、
本人もぜひ帰してもらいたいということを、カンスクの警察外事課あてに帰国を切望しておる嘆願書を出しておる事実がございます。その北海道の妻から最近手紙が参りまして、「今度の名簿が発表されて非常な喜びを持ってずっと探してみたところが、夫の
名前は発表されておらない、非常に大きく落胆した、とめ
どもなく流れ落ちますこの涙をどうすることもできません。なぜこんなにたった一人のために大ぜいの皆様に御迷惑をかけなければならないか自分でもわかりません。夫が結婚してソ連に籍でも入れたために帰国できないのではないでしょうか。この間厚生省の未帰還調査室長様から調査書が来ましたので、重ねてソ連に嘆願書を出しました。」云々の手紙は、やはりこの妻から訴えられておるのであります。そのほかに、長野県の人で、武居重幸という、これはナンバー二百四十三でございますが、これは今
本人の
留守家族から数回にわたって帰国の嘆願書がソ連に出されております。こういうことでございまして、全部ソ連の方では帰国を希望しないあるいは希望残留をしておるような表現をいたすことがありましても、
本人たちはこのように帰国を切望いたしておるのであります。そこで切望しておる者ばかりかと申しますと、そうでないケースもあるのでございます。ということは、たとえば現在カンスクにおります宮沢一平、これは今アルコール工場におって石炭おろしをしておるというのが現状のようでありますが、それは自分が帰国をあまり希望しない、残留を希望しておるような表現を今日までしておったようでありますが、それは手紙等があまりひんぱんに受け取ることのできなかったところにおりましたために、父親がもうすでに
死亡してしまった、帰っても仕方がないということから、ソ連にしばらく落ちつくつもりで、ソ連の婦人と結婚した、子供が二人できた、ところが、最近になって父親が健在でいることがわかったために、最近ではもう非常に帰国を切望しておる、こういうことが明らかになっておるのであります。そういうことでございますから、ソ連本土におります私が、前にも申し上げました人の名簿、ソ連の大使があげておりました山城太郎、黒田正雄、佐藤光雄、有田カツエ、この四人も今度の名簿に載っていない。この人
たちも、帰国を希望しているたくさんの手紙や、帰国を切望しておるという資料があるのでございますが、それにもかかわらず一向に帰国の手続が進められないということは、この病人の今の吉田晴雄という人のたどたどしい手紙の中には、国交が回復して以来どうも日
本人を隠しておるのではないかというような気持さえする。これは非常にはばかりながら書いている文句でありますが、そういうことであったのでは、私
ども国内で引き揚げを促進しようと一生懸命になりましても、なかなかこの問題が進まないと思うのであります。こういう問題に対して、
政府は、今後具体的にどのような
方法をもってこれらの帰国を希望する人を帰国させるような運動をおやりになろうとするのでありましょうか。