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武谷参考人 私はお金が国にふんだんにあって、そうしてそれをうんと使うということならば、輸入も何もかもみんなおやりになるのも大へんけっこうだと思うんですけれ
ども、どうやらあまり完全に何でもやる金がないらしいので、それなら一番有効にお金を使うにはどうしたらよろしいかという問題ではないかと思います。それからまた、どれだけの意味があってやっているかということになるだろうと思うのです。どうもわれわれ国内でいろいろおっしゃっていられるのを拝見しても、あまりよく意味がわかるようには書いてありません。たとえば、動力炉を今から注文するといって、五、六年後になるというような問題ですが、これは動力
実験炉を買って一体何をするのかということが私にはよくわからない。向うから買ってきて、こっちで組み立てる、それをこっちで見ていたら何か勉強できるだろうというような勉強ならば、得る知識は少くて、金ばかりかかる大へんぜいたくな勉強ではないか。同じようなことが、ほかの方法で、科学者ならもっと早くわかることが幾らでもある。それから溶接とか何とかが早くわかるというけれ
ども、ニインチの鉄の容器を溶接するようなことは、ほかの方法で研究すればよろしい。何もそれを買ってきてやらなければ、わからないというような問題ではない。動力炉につきましては、たとえばコールダーホールの
発電所を作った経過を最近伏見君が訳したのが岩波新書で出ていましたが、大へんわかりやすく書いてあるので、お読みになってもわかりますが、あれはあらゆる問題を綱渡りして、克服してきている。あれを見ますと、普通の方ですと、存外容易にできたという印象を受けるかもしれませんが、われわれとしては、綱渡りをやってやっとできたという印象を受けるのであります。それにしても、あそこでやるのは神秘的な
原子力ではなくて、一個々々の
技術は平凡な
技術である、その中のきわめて少い部分が
原子炉を使って試験をする必要のあるものである。従って、あれを作ったということに何も神秘的な顧慮は必要はない、買ってくるということはかり頭から考える必要はないだろう。しかし、
日本ですぐできるとは考えられません。ああいうものを買ってくるのにわれわれは反対はしませんけれ
ども、しかしあれだけの
技術の基盤は、
日本で、ほかの方法で十分得ることかできる。
日本くらいの
工業国であれは、それだけのことはできるでしょう。それだけの基盤を十分考え、いろいろと手に入れた上で、ああいうものを買ってくるならば、非常に意味があるだろうと思うのですが、買ってきて逆転さえすればそれでいいという考え方、それで
技術者の訓練ができ、
発電ができるというイージーな考え方では困る。第一、注文して買ってきて、五、六年で
技術者を訓練するのでは、大へんおくれるのではないかと思います。急ぐならばもっとほかの方法で、今日から
技術者の訓練を十分する方法があるということを申し上げておきたいと思います。
それから、これだけの金は、研究の方に使われた方がよほどいいのではないかという問題であります。向うがやったような研究というものをやっていって、実物を作るのはもう少し先に延ばした方がいい。もちろん向うから買ってくるのも、先に延ばした方がいいと思います。第一、今日発注すれば、五、六年あるいは六、七年かかるという場合でも、今から三年後に注文すれば、あるいは二年でできるというようなことになる。それから、
技術の発達というものは、おっしゃいましたように、もちろん今、日進月歩でありまして、コールダーホール型はすでに古いと言えば古いということになりますから、
エネルギーとの兼ね合いとおっしゃいましたけれ
ども、要するに
エネルギーとの兼ね合いで、向うから
原子力発電というものをどう輸入するかという場合、一年先に回せば回すほど、有利になることは確かです。何年でも先に回せるだけ回すということです。こういう点は、今までいろいろ
お話を伺っておりましても、われわれの言葉でいうと、どうも考え方がリニアーな、単に比例的直線的な考え方といいますか、われわれ物理学者はそういうふうに言いますが、もう少しフアンクショナルな考え方が必要ではないか。何か一本調子の考え方で、こうだからこうだという流儀では参らぬのだ、いろいろなファクターを入れて、もう少し曲線的な考え方が必要ではないか。こういう場合に、経済学者はどの
程度まで曲線をおやりになっているかわかりませんが、われわれが読んだところでは、あまり曲線的ではない。このごろ、はやっておりますオペレーションズ・リサーチというものがありますが、もう少しいろいろなファクターを考慮に入れられて、たとえばコールダーホールは今注文したら五年後になるだろうということは、三年後に注文したらおそらく二年くらいでできるだろうということでもありますから、そういう兼ね合いをいろいろ考えておやりになる。それから
日本の
原子力の
発電は、
日本の研究がどの
程度の研究であり、
技術者の能力がどの
程度あったときにどうであり、現状で入れたらどうであるというようないろいろな兼ね合いがすべての問題について必要であります。それから、
外国との協定が
原子力委員会で発表されたのは、最初にいろいろりっぱなことが書かれております。それはウラニウムの入手も、すべて先に行くほど有利であるということが確認されております。ところがそこから
あとの問題でいきますと、
一つもそれが生きていないので、われわれも実は不満に思っているのでありますが、そういういろいろなことの兼ね合いが何よりも必要であるにかかわらず、そうでない。たとえば
外国から
燃料を買うというような経済
方面の方のいろいろ御検討がありましたけれ
ども、
原子力発電を買ったって、それは結局外貨を費しているわけですから、それとの差引はあまりおっしゃらないで、これだけ金がかかるから
原子力発電をする、まるで
原子力発電だと金が一切要らないかのごときおっしゃり方ではないかと思います。
原子力発電だってけっこう、先ほどおっしゃいましたようにお金が要るわけです。ですから、その金をどう使って、どれだけの手持の
技術があったときに入れたときが一番いいのかというような検討が、どうもわれわれに
納得のいくように
一つもなされておりませんし、われわれは何としてでも、学問が圧迫されるような状態を欲しませんので、できるだけ自由にやり、また学問は日進月歩でありますから、その学問の日進月歩と即応できる態勢がどういうものか、現在まで検討されていらっしゃるのを拝見いたしましても、
一つもわれわれ学者には
納得されるような形のものが、残念ながらないのであります。その点をもう少し十分に、われわれ学者を
納得さすようなことが必要であります。炉の問題でも、たとえばコールダーホール型についての調査をおやりになった方がここにおいでですが、あの調査
報告書を拝見いたしましても、たとえば耐用年数などというのも、二十年なら二十年ということを前提して計算しておやりになる、それも目安とおっしゃるならばそれもそうでしょうが、しかし、目安ならば一年しか耐用年数がない場合もあり得るし、五年の場合もあるし、十年の場合もあるし、士五年の場合もあるというふうなことで、計算をなさって、それをずらっとお並べになるのがよろしいので、今日コールダーホール型の耐用年数何年だということを知っておる人は、世の中にだれもいないはずですから、そういう点もわれわれ学問的に見ると、はなはだ一方的なデータばかりしかお考えに入れていないと思います。学問というものは、いろいろの可能性をいろいろと考えて、その兼ね合いを考えていらっゃることが、学問的な観点から必要であろうと思うのであります。