○山本(友)
委員 ちょっと関連。今正木
委員から御
指摘されました点は、私は
交通の業者でございますので、非常に御
指摘の点は深刻に考えられるわけでございます。今も許可の員数なんかをお調べになりましたが、このうち私の見たままでは
——私もその部類になるかもしれませんが、非常に貧弱でございます。何ゆえにかように貧弱かということを考えますと、今日の北川丸の事件がこれを教えておるわけでありまして、私
どもは監督者の立場といたしましても、また為政の府に携わるわれわれといたしましても、大いに考えさせられるものでありまして、この事業は小でありましてもその性格は全く公共事業であり、国家の監督のもとに
運賃等もやっておるというような性格を持っておるのでございますが、さて国家監督にありながら、国家が保護育成という点については、一口に申しますと何ら今までに施策がなかったということに尽きるのであります。何
一つない。北川丸の今日起りました問題でも、これらの貧弱な船主はかような事件が起りました場合には、善良な
お客様に大へん迷惑をかけてはいけないという立場から、経営の苦しい中をこういうことに備えるべく付保していった。いわゆる船客傷害保険という名のもとに、こういう場合がありました場合には、
お客様には迷惑はかけられぬというようなもとに付保されておったはずです。ところでこれなんかも
事故が起った
現実の問題といたしましては、船主はどういう立場にあるか、この間北川丸の事件に私はつぶさに出会って、深刻にこの問題を考えたわけでございますが、ごらんなさい、船主は自分の財産には保険はようかけておりません。なぜかけていないかということになると、言いかえますれば木船でありましたら、保険料をかけたら燃料費も何もかも注ぎ込んでしまっても経営が合わないのでありますから、自己の財産に付保することはまずできない、不可能でありますが、
お客様には迷惑をかけられぬというとうとい気持で保険をかけておるにもかかわらず、さて今度こういう事件が起ってみると、保険会社は船主の重大なる過失によってというような約款上の一項をつかみまして、これを払わないという
現実の問題を私は非常に憤慨をいたしておるのであります。これは一体何だ、これでは道義的にはまさに白昼詐欺するようなことじゃないか。その名で保険料を取って、船長あるいは船主にかりに技術上の過失があったといたしましても、お客さんに何の罪があるか、死のうと思って乗った人もありませんし、船主はひっくり返せというものでもない。こういう事件は今後いかに立法処置をとりましても、監督を強化いたしましても、これはお互いに
注意に
注意を払いましても、根絶させることはできません。これは今日の汽車の転覆のようなもので、根絶させることはできません。次に起る問題に対しましては、われわれ為政者としては、これに備えておかなくちゃならない問題であるということが思われるわけでございまして、かような点から考えましても、保険会社に払うとか払わぬとかいうようなことを言わすということにおいて、あなた方は監督者としての責任を一体考えておるのか。保険会社が払わないといえば、仕方がないといって、保険を窓通いたしておるということは、無責任きわまることだと思う。こういう点から、運輸当局としては、監督官庁といたしましては、はっきりしてもらいたい。これは大きな犠牲者も、保険をもらおうと思って乗った人はないでしょうけれ
ども、今日の船主といたしましては、これはどこの船主をつかまえましても、こういうような根本を危うくするような大きな遭難にあいまして、用意の立っておる船会社は一軒もございません。いかに大会社といえ
ども、大
事故が起りました場合には、よろしいおれの力でぱっと払いますというようなことができる用意のものは絶対にありません。ことにこの種の中小企業者においておやでございまして、全く気の毒なことだと、私の体験を通じて思っております。かつても申し上げましたように、昭和二十一年に私の船が同様の事件で沈みまして、百六十名近くの人をなくしました。私は身をもってこれを処置いたしました。会社は真空
状態になりました。こういうような事件に私は出会っておりまするので、ほんとうに言葉でなくして、この問題は深刻さを私は思うわけでございますが、これらに対しまして、今まで定期船というものの社会的地位については、業者みずから大いに奮起しなくてはならないはずなのでありますが、まずこの監督者というものが、いわゆる行政府というものが、何らなすべきものがなかった。ただ
運賃の決定をするのに事務的の事務を扱っておるというような、いわゆる行政のあり方であった。何ら育成保護ということについて意を用いていなかった。こういうことがこれら船主の貧困をいたしておる最大の
原因であります。御承知のように、昔は定期船等につきましては、国家機関の一部であるというような理念のもとに、どんどんと行政の面もきびきびと行われた面もございました。当時は、たとえば経済上助ける意味におきまして、あるいは市の補助、小さいところでは郡の補助とか、あるいは県の補助とか、あるいは国の補助とかいうようなものもございましたし、また一面から申しまして、今日船に固定資産税というものがかかっております。ところで、昔は船というものは、御案内のように一朝事があったらじゃぶんとなくなってしまうわけでございまして、ほんとうの固定資産ではございません。今度の北川丸のようなものでも、固定した資産ではありませんが、これにはやはり大きな税金をかけておる。これらに対しても運輸当局は何ら打つべき手を打っていない。それからこういうような
交通船は、御案内のように、
運賃はあなたの方で取り締ってちゃんと尺度をきめるのでありますが、今日のごとき燃料費が最大の費用でございますが、燃料費なんかは何ら打つ手を持っていない。これは今日統制時代と違いますから、あながちあなた方に責任を云々するわけではございませんけれ
ども、昔はこれらに対しましては、
交通船の特殊使命にかんがみまして、免税を行なったものであります。いわゆる免税の油を使わしたものであります。かようにいたしまして、陰に陽にこれらの育成、国家の延長機関として援助をいたしたいという歴史を体得のうちに私は持っております。ところで現在はこういう点にさらにあなた方がいわゆる行政上の御指導をなさっていないというところに、貧困の
原因がある。これは
海運局長が船腹の
改善の機運を言われましたが、まさにその
通りでございます。この北川丸も三十年の年になっておりまして、非常に古い船でございますが、これなんかも
改善したいのは船主も腹一ぱいでありましょうけれ
ども、今日のあの木船一ぱいにいたしましても、わらじのような船が、作りますれば一千万円かかります。ところでその一千万円を投下いたしましてやるということになりましたら、なかなか今日採算がとれるものではない。船主はそれで無理をし無理をして改造をし、大修繕をして使っておるということが
現実の姿であります。かようなことになっておるのでございまして、今補助とかあるいは建造
資金の貸し出しとかいうようなことを言われたのですけれ
ども、これは全く二階から目薬で、ことに
資金の融通ということになりますると、運輸省が御心配願いましても、結局実際は銀行の窓口にかわるのであります。見返り資産があるかないかということによって、金を貸してくれるか金を貸してくれないかという勝負になってくるわけであります。従いましてこういうようなことで、今は政府に援助してもらうとか、金を貸してもらうというような特徴はほとんどないのであります。私はこういう点を、国家機関の一部であるというような広い意味において、迷惑を及ぼすときには、これは国民のどなたに迷惑を及ぼすやらわからぬことでありますから、私はこの機会において、あなた方指導監督にあられる人は、もう少し奮起を願いたい。そのような受動的な、ただ役場が戸籍をつけるような行政でなくして、もう少し能動的にやっていただくことを、私は正木
委員のあの切実なる御
質問に胸を打たれましたので、ちょっと付言をいたしますると同時に、ぜひとももう少し能動的に働いていただきたい、かようにお願いをいたしたい次第であります。