○小山(亮)
委員 これは小山田さんに伺いたいのですけれ
ども、おなれにならないからむやみに質問して、また変な答弁をされて紛糾いたしてもいけないから、取りまとめて
渡辺君に伺いますが、
船客の傷害賠償
保険特約書、この件について
保険会社側からのお話は、私
ども非常に納得しかねる点がきわめて多い。
保険の性質は私はあえてあなた方にお話し申し上げる必要もないが、多分に社会政策的な性質を持っておるものです。普通の
保険会社はなるほど今は営利
事業でありましょうけれ
ども保険をただ営利
事業だけの考え方で考えたならば大へんな間違いだと私は思う。ことに
海上保険はそうです。私は一番模範とすべきイギリスのロイドの
保険会社がやってきたところの今日までの態度はりっぱだと思う。普通の海難
事故が起きましても、日本の
保険会社だと、とにかくこの分は
保険会社が負担すべきものだ、これは負担すべからざるものだということで、なるべく少く負担しようしようという態度をとる。ところが同じ
保険でも英国のロイドにかけますと、何にも言わないでさっと向うの方で
保険の
責任をとってくれるのですよ。ですから日本の
保険会社とイギリスの
保険会社とは、実際に
保険をかけてみれば態度が非常に違うのですよ。この点で日本の
保険会社はイギリスに学ぶべき点が多いと思います。この場合もそうです。この規定の第四条によれば、「前項の員数を超えて
船客が搭載された船舶が遭難し、それ等の
船客が傷害を被った場合においては、当
会社は、被
保険者が支払った損害賠償金について一切
填補する責に任じない。」こう書いてある。これはなるほど員数を越えた船か遭難したのだからこれだということをおっしゃいますが、私
どもの常識から言いますと、なぜオーバー・ロードしてはいけないのかというと、オーバー・ロードすれば船が危険なんです。あの相模湖の
事故は明らかに乗り過ぎたから、見る見るうちに沈んでしまった。しかしいかなる場合にも乗り過ぎてはいけないか、
契約によって定められた員数よりか一人でも乗ったらもう
保険会社は金を払いませんか。私は一人や二人はかまわないとおっしゃるだろうと思います。そうするとその
限度は一体どこまでかということになるでしょう。やはりこれは水かけ論で、そのときの感情とかそのときの話し合いで話をつけるということになるでしょう。これはそんなに厳格なものではありませんよ。戦後の日本の交通をごらんなさい。陸、海いずれにおいてもオーバー・ロードしないところはありませんよ。定員過剰でないものはほとんどありません。定員過剰のときは払わないということを
契約なさるならば、もう日本の船舶その他日本の乗りものは全部定員以上に乗るということを百も承知しておりながら、過剰のときは払わないという
契約をしたら、こんなインチキな
保険はありませんよ。払わないということを承知しておって
契約をしたと言っても過言ではありませんよ。これは乱暴なことですよ。戦後の日本の産業事情は輸送力がないのですよ。現に国鉄だって困っておる。あらゆる場合、場所において輸送力が行き詰まってしまって困っておる。
海上も同様ですよ。また先ほど言いましたように、船舶の建造資金を得るのに困難で、新しい船ができないという
状態です。勢い旅客船に乗れなければ漁船に乗りますよ。
瀬戸内海はもうどんどん漁船に乗ってしまいますよ。漁船は定期船よりまだ危険です。この危険な漁船にどんどん人を追いやるような
方法をとるようになるのだが、これは日本の
海運の発展のために
保険会社が大所高所から考えていただきたいと思います。喜んで海の旅に出られるように、安心して海の旅に出られるように一日も早く日本をしなければ、この狭い日本の国がこの過剰の人間をどこにはくことができますか。船を作ることを運輸省がどんどん奨励しているのは、戦後に朝鮮を失い、台湾を失い、千島を失ったというような
状態で、四つの島に追い込まれた日本の国民は、領土をこれ以上に拡張することはできないが、考えてみれば船を作れば船は国土ですよ。島のようなものなんです。新しい国土を作るような気持で船を日本が建造するのでなければ、日本の発展はないでしょうという見地から、私は
保険会社の
方々も、
保険会社は先ほどのような解釈をやめて、条文には当てはまらないかもしれないが、できるだけ
保険というものの趣旨を考えて、これを寛大な解釈の仕方をやって、そして
保険金を支払うという考え方にあなた方の頭を切りかえていただきたいと私は思うのです。これは水かけ論になりますから議論がありましょうが、定員を越えてお客が乗った場合に起る遭難
過失というものはどんなことかというと、それは船の浮揚する力がなくなるのです。船の浮き上る力がだんだん人が多くなるからなくなる。ちょっとした波でも、ちょっとした風でも、あるいはちょっとした動揺によっても船が
沈没する。だから定員を越えちゃならぬということになる。しかし先ほど申し上げましたように、
瀬戸内海の四月、五月、六月なんというときは、ほんとうにだれでも遊びたいと思うような海の上なんです。そしてまた何人、人が乗っちゃいけないかということをきめるのは、その船の性質です。幾らでも船は乗れるものなんです。船の性質なんです。その性質によってはたくさん乗れますし、その性質によるとたくさん乗れない船があります。これは卑近な例を申しますと、この間隅田川で慶応と早稲田のボートレースをやったでしょう。普通ならばあの早稲田と慶応のボートレースはどんどん走るはずなんだ。ところが波があった。風があった。それがために
一つのボートは
沈没したでしょう。だから波がある
状態のときと、波のない
状態のときとはあれほど違うのですよ。浮いてりっぱに走れる船と
沈没する船とが出てくるのだから、従って
瀬戸内海もそうなんで、冬の
瀬戸内海のような荒れているときに定員を超過して乗ったということになれば非常に危険ですけれ
ども、今のような
状態ならば危険でない。現に当日をごらんなさい。行きがけに二百二十九人乗っておるじゃないですか。ほとんど同じように乗って、ほかの船は、
海運局の方もお調べがないから
発表するわけにはいかないが、おそらくこれはトン数から言えばおびただしく人間がよけい乗っていると思う。もしあなた方のようなしゃくし定木な解釈をされればおそらく
瀬戸内海にある——当日は瀬戸田−尾道間の旅客を輸送したのは因島汽船、生口汽船、
芸備商船、
瀬戸内海汽船、瀬戸田開発、三原・瀬戸田汽船、これはみな各持ち船を動員して輸送したものだと思う。みな定員を超過しているのだ。たまたまこの問題が起ったから払わぬとおっしゃるが、ほかの
事件が起っても払わぬというのでは、
保険は掛金は取るけれ
ども、こういうような因縁のつくような条項を残しておいて払わないということになる。私は
保険会社である以上はこんな条件をつけるのはおかしいと思う。それから重大な
過失というのは何ですか。これは
船主、
船長あるいはその
使用者が行なったところの
過失に対しては、当然
保険会社は
責任を負うのですよ。その
過失に対して
責任を負わなかったら、一体何のために
保険を払うのですか。
故意にやった場合にはいけないが、
過失によってやった場合は……。重大な
過失とは一体何ですか。初めから船を沈むようにこしらえて持っていったというような場合には
故意ということになるでしょうが、重大な
過失というものは私は意味がわからない。実際こんなに一見して実にあいまいもこなる条文を入れておいて、何かにつけて
保険金を支払わないような
方法をやろうということは、これは私は実にやり方が狡猾だと思う。資本家が攻撃されるといいますが、資本家が攻撃されるのは、こういうようなことをこそこそとやるからこそなんですよ。私はこんなときには、あなた方自分の、
保険会社の代表取締役さんや何かのお子さんがなくなった、あるいは親類の方がなくなったとお考えになってごらんなさい。それはわかりますよ。何とかしてこれに対してできるだけの温情のある処置を講じてやろう、条文はこういうことがあっても、何とか温情のある処置をとってやろうとお考えになるのが当然じゃないかと私は思うのです。そして私
どもに言わせれば、当日起った
事件は、定員を超過しておったために起った
事件じゃございません。一人も乗っていなくても、あの岩子島にたたきつければこれは
沈没します。木船だから
沈没しない方がおかしいのだ。ことに三十三年の木船だから持ちっこありません。人間の年で言うならば七十才以上だ、これはぶつかればすぐいっちゃいます。ですからこれは人が乗ったから沈んだ、乗らなかったら沈まないじゃないのです。私はこの条文はそういう条文じゃないというようなことを議論するのではないのです。かりにあなた方の方で、この条文でもって補償する義務なしとお考えになっても、私の申し上げたようなへ理屈でも一応理屈として成り立つものと考えるならば、何とか温情のある処置を講ぜられるはずだと思う。あなた方も何かきっかけがないと払えないでしょう。払って下さるきっかけを私は作りたいのです。こういう話で私の気持が
保険会社の
方々におわかりになって下さればありがたいと思う。しかもこの
保険を引き受けて下さる
会社は
日産火災、住友
海上、東京火災
海上など十八社、日本に名だたる
会社ばかりだ。金がうなるほどある
会社ばかりだ。この
会社に割り当てたらわずかなものです。そのわずかなものでありますが、これがために遭難した方やその
遺族がどのくらい喜び、どのくらい感謝し、どのくらい世の中をあたたかい目で考えるかということを私は考えている。監督の立場におられるところの大蔵宿の
保険課の
方々は、ことにこういうときにはがりがり取り締りなさるでしょう。しかし私はこういう場合には情のある考え方をしていただきたい。法はすべからく情のあるような運用をしていただきたい。今日、戦争後の日本の国内情勢は、ともすればあまりにも潤いがなさ過ぎる。あまりに情がなさ過ぎる。理屈と規則一点張りでぎりぎりぎりぎり果しなき争いをやったならば、これはとても住みにくい世の中になる。この住みにくい世の中を住みよいようにするために、どうかすべてものの解釈はいいように、ゆるやかな、温情のある
方法で解決するように
一つ考えていただきたい。
保険会社が寄って、なるほどこれは気の毒だ、これは規則からいったら出せないような金だが、
一つ温情をもって処理して出そうと思っても、大蔵省が規則によってそんなことをしてはいけないということをやかましく言えば、出そうと思うものが出せない。私がこの場合大蔵当局にも考えていただきたいのはその点なんです。やかましいだけが規則じゃない。悪いことをしたやつはどんどん取り締ってもいいが、これは悪いことじゃない。収賄でもしよう、それがために隠し金でも作ろうということになればこれは取り締ってもらいたいが、これはそうじゃない。この
事件によって遭難した人
たちは、今お話を伺えば十才以下の者から八十才の老人に至るまで百十三名、この人
たちが今申し上げたようなお扱いをすることによって、どのくらい感謝するかわからないということを考えたら、どうか今回は格段の御配慮を願いたい。
それからまたもう
一つは、この機会に、こうしたような
事件が起ったときに、これに類似する——
芸備商船を対象にしては申しわけないかもしれないが、
芸備商船のようにもう一銭の金も払えないというようなことをおっしゃる
会社がたくさんあるはずだ。定期船の
会社は
日本じゅうに千二百あるのですが、その中にはこういうのが多いと思う。これでは大へんですから、やはり別の
保険、自動車の
保険のように無
過失賠償のようなああいう
保険制度を作って、そして
政府もこれに腰を入れて、安んじて業者が仕事のできるような措置を考えていただきたい。私
ども委員会もこれは当然新しい観点に立って考えていきたいと思いますが、
政府もこれに対してお考えを願いたいと思います。これについては調
整部長と
保険課長に一言御答弁をお願いしたい。