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1956-11-30 第25回国会 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年十一月三十日(金曜日)    午前十時三十三分開会     ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     千葉  信君    理事            榊原  亨君            安井  謙君            山本 經勝君            早川 愼一君    委員            小幡 治和君            大谷藤之助君            木島 虎藏君            草葉 隆圓君            佐野  廣君            高野 一夫君            寺本 広作君            吉江 勝保君            大矢  正君            栗山 良夫君            田畑 金光君            藤田  進君            藤田藤太郎君            田村 文吉君            竹中 恒夫君   国務大臣    労 働 大 臣 倉石 忠雄君   政府委員    労働政務次官  武藤 常介君    労働省労政局長 中西  實君   公述人    全国石炭鉱業労    働組合書記長  重枝 琢己君    日本石炭協会副    会長      万仲余所治君    早稲田大学教授 野村 平爾君    弁  護  士 沢田 喜道君    全国電力労働組    合連合会会長  向井 長年君    私鉄経営者協会    常務理事    別所安次郎君    北陸電力株式会    社常務取締役  竹村 重武君    日本電気産業労    働組合委員長 小川 照男君    全国石炭鉱業労    働組合長崎地方    本部事務局長  嘉村 由道君    北海道炭礦汽船    労働組合連合会    事務局長    粒針慶一郎君    土木技術者   河井 芳雄君    農     業 高地 信雄君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○電気事業及び石炭鉱業における争議  行為方法の規則に関する法律附則  第二項の規定により、同法を存続さ  せるについて、国会の議決を求める  の件(内閣提出衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは、ただいまから社会労働委員会公聴会を開会いたします。  初めに委員の異動を報告いたします。十一月三十日付をもって野本品吉君が委員を辞任せられまして、その補欠として高野一夫君が選任せられました。右御報告いたします。     ―――――――――――――
  3. 千葉信

    委員長千葉信君) 本日は、電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法規制に関する法律存続の可否について、公述人各位の御出席をお願いしまして、各界の貴重なる御意見を拝聴いたしたいと存じます。  この際、一言ごあいさつ申し上げます。公述人各位におかれましては、お忙しいところ出席をいただきまして、まことにありがとうございました。これからそれぞれのお立場から御意見を拝聴いたしたいと存ずるのでありますが、時間の関係もございますので、お一人二十分程度で御意見を御発表願いたいと存じます。短時間でございますので、十分に意を尽していただくことが困難かと存じますが、なるべく時間の範囲内で重点的に御意見の御発表をお願いいたしたいと存じます。よろしくお願いいたします。  次に委員方々にお諮りいたします。議事の都合上、午前中の公述人の御意見発表が済みましてから、御質疑をお願いいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。それでは公述人の方から御意見の御発表をお願いいたします。
  5. 栗山良夫

    栗山良夫君 労働大臣は……。
  6. 千葉信

    委員長千葉信君) 労働大臣につきましては、今閣議の最中で、閣議が終りましたら、すぐ出席するという連絡がございました。
  7. 藤田進

    藤田進君 議事進行ですが、今の提案異議はありませんが、ただ公述人方々を拝見いたしますと、非常にお忙しい方ばかりのようでありますから、今のような進行で、初め公述をいただいた方が何か用件があるので待っておれないということでお帰りになるような事情があれば、あらかじめ委員長の手元で聞いておいていただいて、その方にはやはりその前に質疑をさせていただくほかに方法がなかろうと思いますが、さようお取り計らいの上で一つ進めていただきたいと思います。
  8. 千葉信

    委員長千葉信君) お尋ねいたしますが、御用事のある方は……。
  9. 藤田進

    藤田進君 つまり四人の方が済むまで待っていただくということが不可能な方があるかもしれません。その場合には、その人が済んでから質疑をやらざるを得ないのじゃないですか。
  10. 千葉信

    委員長千葉信君) 承知しました。どうぞ。
  11. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私は午後三時から、ずっと前から約束しました座談会出席することになっていて、その方に出席したいと考えておりますので、その前に……二時ごろまでに終ればそのあとでもよろしゅうございますか……
  12. 田畑金光

    田畑金光君 労働大臣閣議が済んだら出席されるというわけですか。閣議は何時ごろまでに大体終了する予定なのか。――特に私こう申しますのは、せっかく皆さんもおいでになっておりますし、皆さん方の声は特に政府当局労働大臣に、関係者に聞いてもらう内容の話だと思いますので、本日から明日にわたり公聴会が開かれるわけですが、労働大臣は少くとも公聴会を通じて出席を願う、このことをはっきり一つ委員長から要請されて、善処をしていただきたいと、こう思うのです。
  13. 千葉信

    委員長千葉信君) ただいまの御意見の趣きにつきましては、昨日の理事会でも同様な決定をみておりますので、御意見のように取り計らいたいと存じます。
  14. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 私も午後一時から弁護士会委員会がございますので、それまでによろしくお願いをいたします。
  15. 千葉信

    委員長千葉信君) 承知いたしました。  それでは一番最初に全国石炭鉱業労働組合書記長重枝琢己君からお願いいたします。
  16. 重枝琢己

    公述人重枝琢己君) 私全国石炭鉱業労働組合重枝でございます。スト規制法存続審議せられますこの委員会公述人として出席をいたしましたが、私はスト規制法存続に反対でございます。そういう立場からその理由等について若干申し述べてみたいと思っております。  第一に、私はスト規制法そのものが無用の法律であり、悪法であるというふうに考えております。この点については三年前にスト規制法審議をされましたこの委員会に、私公述人として出席をして意見を述べたのでありますが、そのときにスト規制法そのものの性格、それが無用なものであり、悪法であるということについては十分申し述べたつもりであります。その点を若干かいつまんで申し述べてみますならば、スト規制法はその第一条において「公共福祉を擁護するため」ということを規定し、そうして第三条で、保安業務の正常な運営を停廃する行為であって、人に対する危害、それから鉱物資源滅失または重大な損壊鉱山重要施設荒廃、もう一つ鉱害、この四つのことをあげているわけであります。で、この四つ鉱山保安法規定をされている保安ということの定義の中に述べてある事項と大体符合するようになっております。こういう二つの第一条と条三条によって、石炭鉱業におけるいわゆる保安放棄というものは違法である、これはやってはならぬ、こういうことを規定しようとしているわけであります。  私はこの点をよく考えてみますと、第一の、人に対する危害という場合、これはもし保安放棄が行われるとすると、それは保安要員全部がだれも入っていないということでありまして、その場合、人に対する危害というようなことは、これは断然起り得ない問題だと思っております。これは保安法に書いてあります保安確保という点は、正常な作業を運行していくことを建前にしてやっておるから、そういうようなことが当然書いてありまするけれども、ストライキというような場合を想定いたしますと、このことはあまり問題にならない当然のことであるというふうに考えております。また第四番目に規定しております鉱害という問題については、これは直接個々行為鉱害関係を持つということを規定することはきわめてむずかしいことでありまして、長期的に採堀を続けていくという中から鉱害問題が出ておるのが、これは普通の状態でありまして、これまたストライキというようなものと直接関係規定することは無理ではなかろうかと思います。そういたしますと、結局鉱物資源滅失または重大な損壊ということと、鉱山重要施設荒廃ということが第一条に規定する公共福祉に違反するものであるというふうに結びつかなければならないだろうと思います。そういうふうに考えていって、このスト規制法が果して必要であるかどうか、妥当な法律であるかどうかということを判定していかなければならないと考えるわけです。  そうしますと、保安というのは、これは炭鉱のことをよく御承知の方はわかっておりますように、各社、各山、それぞれの炭鉱によって違って参ります。日本中の炭鉱すべて保安という問題については事情が違うと言っても過言ではないと思います。またその違うそれぞれの炭鉱において、毎日々々あるいは毎分々々その事情が違うということを言っても、また過言でなかろうと思います。そういたしますと、これは保安確保というような問題については、それぞれの炭鉱ごと判断をして、そうしてきめていくということでなければ意味をなさない、こういうことになるわけであります。そこで当然そういうような問題は、各炭鉱労働組合経営者の間で話し合いをして、保安確保ということを考えていくべきでありますし、また従来もそういうことをやっているわけであります。こういうスト規制法のようなもので現実にそのことを規定することもできないし、また規定する必要もないというのか実情であろうかと思います。そういうように、保安のそれぞれの事情相違するというような点については、これは労働省から、労働事務次官から各都道府県知事あてに出されておりますこのスト規制法の実施についての通牒、施行に対する通牒の中にも、そういう点がそれぞれ認められておるところであろう。  それから第二に、石炭鉱業経営ということと公共福祉ということの関係を考えてみなければならないと思います。御承知のように、石炭鉱業私有財産の上に私企業として経営がなされております。個々炭鉱において争議が起る場合には、それはその経営上の問題として、賃金を幾ら幾らにする、労働時間をどのようにきめるというような、労働条件をどのように決定するかということを中心にして労使の間でそれぞれ意見が述べられ、その意見が対立して、あるいは争議行為発展をする、こういうことになるわけであります。これは当然私企業としての炭鉱経営関係をすることであります。この私企業としての炭鉱経営というものと、公共福祉というものとの直接的な関係は今日ないと言っていいと思うわけであります。従って、第三条でいろいろ規定をしておる点と、第一条で言っておる、この法律趣旨であります公共福祉を擁護するためということとの直接的な関係は見出されないわけであります。第三条には、石炭鉱業事業主も、従事する労働者も、双方規定しているようになっておりますけれども、その内容とするところは、これは主として経営者の側に立って、その利益を擁護しておる形になっておりますので、石炭鉱業市業主ということは、実際上意味のない言葉である。そうしますと、労働者の側のそういう行為だけを取り締っておる。もしかりにそういうような労働者行為があって、直接的にはそういう場合に、経営者私有財産と言いますか、そのものが一応損害の対象になるわけであります。あるいは事業運営というものに対する損害というものが出てくるわけでありますが、そのことは取りもなおさず公共福祉を破壊するということにはならないと思うわけであります。これはこの委員会でも問題になったように聞いておりますけれども、全国非常にたくさんの炭鉱がありまして、それらの一つ一つをとってみましても、大きい炭鉱もあり、小さい炭鉱もあり、大きい炭鉱といえども、全体のなかで占める比重というものは、これは相当小さいものになってくる。そういう一つ一つ炭鉱がすべて公共福祉ということによって経営され、それにその炭鉱運営の如何ということが直接影響するということにはならないわけであります。そういう意味で考えても、こういうようなものを公共福祉を擁護するということで、労働者行動のみを規制することは、これは片手落ちなことであります。言葉をかえて言えば、労働基本権というものに対する無用の制限であるというふうに考えなければならないと思います。もしそういうものも公共福祉に関連があるということでありますならば、私は当然炭鉱経営自体公共福祉を擁護するという名のもとに制約を加えられることが必要ではなかろうかと思います。それぞれの企業がそれぞれの経営者の恣意的な経営に任せておるということでありますが、こういうようなものをやはり何らか規制を加えていかなければならない。そういうようなことと対比してこの問題が考えられるということであれば、これはまた別の議論をしていかなければならないと思いますけれども、今日私企業として運営されておることを前提といたしますならば、第一条にいう「公共福祉を擁護するため」ということだけでこれらの行動を一方的に規制をするということは、これは間違ったものであろうというふうに考えております。しかも、われわれは今日そういう私企業として経営されておる炭鉱という中で、労働条件等について経営者と交渉してその向上のために戦かっておるわけでありますが、そういう立場から考えましても、私たち自分たち職場というものを確保していく、りっぱな職場として確保していくということが、労働者としてどうしても忘れてはならない問題であるわけです。これはある場合には、経営者の考えられる以上に労働者として自分職場の問題を考えている。そういう立場をとっておりますので、保安確保というような問題については、経営者労働者良識をもって話し合いをするならば、これは簡単に解決のできる問題であろう。私たち炭労は、自分たち職場をりっぱに守って、そうしてその上に立って労働条件向上確保していくという方針を持っております。何らそのことによって不都合は生じていないのでございます。このスト規制法延長に対する提案理由の説明の中にも次のような項目がございます。「そもそも労働関係に関する事項につきましては、法をもってこれを抑制し、規律することはできる限り最小限にとどめ、むしろ労使良識と健全な労働慣行に持つことが望ましいことは、いうまでもないところであります。」、こういうふうに言われておりますが、このことをそのまま実際われわれは行なっております。そのことによって何らの不都合もない。保安確保というようなことは、これは本来労働協約で、労使、が基本的な問題について協定をし、それに基いて争議が発生する場合においては、労使が協議をして自主的に決定をしていく、そういうことにまかせるというのが正しい方法であろうと思いますので、そういう意味でこの法律は全く無用の法律である、こういうふうに考えております。  以上のような点を私申し述べたと思うのでありますけれども、その考えは今日も依然として変っておりませんし、その主張は事実正しかったというふうに、この三年間の現実というものが示しておると考えております。  そこで第二に私は、以上はスト規制法そのものが無用であり、悪法であるという点を述べたのでありますが、今日の問題として、これを延長するのがいいかどうかということであります。そこでその点に関しまして、私はこれを延長するという根拠がないというふうに考えております。このスト規制法が三年間の限時法として成立をしたという経緯ということを考えて見ますと、これは三年間の間に健全な労働慣行確立ということを期待しておったということは当然であると思います。結局三年間の事情がどういうふうに発展をしているかということが、この法律延長を是とするか、あるいは非とするかということに対する決定の論拠にならなければならないと思います。政府提案理由を見ますと、現状では遺憾ながらいまだかかる健全なる労働慣行が十分確立されたとは認めがたいということで延長すると述べておりますが、こういう点について検討をしてみなければならないと思います。  私は第一点としまして、今日、昭和二十七年の暮のような事態はないというふうに考えております。で、昭和二十七年の暮の電産、炭労争議というものを契機としてこのスト規制法が生まれたということは、 これは政府がはっきり言っている通りであります。われわれはそういうようなことに関連いたしまして、そういう問題を労働組合だけに転嫁するということについては絶対に承服できないことはもちろんであります。政府経営者、あるいは労働者側というものにどういうふうな反省がなされているかということは、われわれ厳密に分析をしてみなければならないと思いますが、少くとも労働組合動向といたしましては、問題の処理良識をもって民主的に決定をして行く。国民的な輿論を背景として、国民十分納得をしてもらう形で問題を処理して行くという方向に進んでいるわけであります。これは組合の成長でありますし、また輿論というものが労使関係にかなり正しく反映をされて行くという傾向であろうと思います。こういう点を考えてみますと、事態は非常に好転をいたしている。このことをまず認めなければならないと思います。このような健全な労働慣行確立傾向というものを認めて、それを発展させて行くということが、私は民主政治の本質ではないかと思います。そこで、三年間のこの傾向というものを見て、延長するかしないかということを判断をするという立場から、政治というものを考えてもらわなければならたい。もしいい芽生えがあるならばそれを伸ばして行くということが民主政治の要諦であろうと思います。そういう意味では、私は政府のこのよき労働慣行発展芽生えというものを率直に認めて、三年間の限時法でありますところのスト規制法廃止をするという立場が一番正しい方法であろうと思います。しかし、かりに政府の言っておりますように、まだ十分でないということでありますならば、まだ十分でないということは、大いによくなっておるということを認めた言葉だと思いますが、かりにまだ十分でないということを認めるといたしますならば、不安の残っておるところ、十分でないところに今度は問題を限定して、それに対する対策を法律の上に立てていくというのが正しい態度ではないか思っております。労働大臣なども今日しばしば労働組合動向等について発言をされておる中で、電気産業等においての労働組合動向というものは、われわれの期待しておるところ、きわめて良識ある民主的な立場に立って行動をされておるということを宵っておられる。それならば電気産業に対してこのスト規制法の適用を除外をする、こういうような方法をとるというのが私はやはり政治ではないかと思っております。これは一つ範囲の問題であります。もう一つは、若干の改善があるということを全体的に認めておられるならば、三年前は三年間の期限を切ってその間に改善を望んでおられます。若干の改善はあるけれども、まだ十分でない、従ってこれを永久法にしてしまうという今度の政府提案というものは、これはどうしてもわれわれ納得のいかないことである。もし不十分であり、若干のまだ不安があるということであるならば、それに対応する形でこれを法律処理をしていかれるのが至当である。三十七、八年というあの事情の中で三年間という時間を切られた。今日においてどうしてもまだ必要であるというならば、さらにもろともっと短い期間これを延ばしてみようというような提案政府から本来ならばなされるのが当然であったろう、こういうふうに強く考えるわけであります。  私のこのスト規制法そのもの、あるいはそれの延長に対する見解は以上の通りでありますが、以上のような点について、私案は衆難戦院社会労働委員会参考人としての意見を述べたのでありますが、自民党の方あるいは労働大臣等は、私の意見を若干引用せられて、公共福祉を阻啓するようなスト行為というものは組合が自主的にやらない、そういうものは自主的な判断によって、良識をもって個々経営者との間に協約ないしは話し合い解決をしていくから、何ら必要がないのだということを言ったことを引用して、そういうような組合もあるのだから、これはあっても一差しつかえないのだ、こういうような形で討論の際に引用され、あるいは質問に対して答えられたというふうに私は聞いておりますが、こういうような態度は、私はもしそういう事実を認められておるとするならば、そういう悪用でなくて、そういう事実から発展する意味合いにおけるこの法律廃止という方向にとっていかれるのが当然でありまして存続しても差しつかえないのだというようなことにそれを引用されることは、私はこれはきわめて遺憾に思っております。これは最も悪質な私は主張であろうと思っております。またがって、私たち全労に所属いたしておりますが、全労和田書記長か私と同じようなことを、同じ趣旨のことを新聞紙に発表した、そういうものを引用いたしまして、労働大臣和田書記長自分との意見は九〇%一致しておるけれども、わずかに最後の一〇%だけは違っておる、それはこの法案延長するかしないかという問題であって、自分延長しなければならぬと思うし、和田書記長延長しなくてもいいというふうに言われたということを聞いております。一〇%違っておると言いますけれども、一〇%は延長があるいは廃案かということでありまして、これは言葉をかえて言えば、私は反動的な主張か、進歩的な主張かの相違点でありまして、一〇%と言われましても、これは根本的な私はむしろ一〇〇%の相違ではなかろうか、そういう事実を正しく判断をせられますならば、その正しい事実の判断に基いた行動をとっていっていただかなければ、私は国民納得をしないと思います。  そういう意味で、私は参議院におきまして、自民党方々も、あるいは緑風会方々も、そういう事実を率直に認めていただきまして、参議院良識ある審議を通じて、この法案延長する必要がないという結論を出していただきまして、そして労使の自主的な話し合いによって、こういう問題は円満に解決をするような方向に一そうの施策をとっていただきたい。こういうふうにお願いして、私の意見を終りたいと思います。
  17. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでした。
  18. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に日本石炭協会会長仲余所治君にお願いいたします。
  19. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 日本石炭協会の副会長をいたしております万仲でございます。  私は、きわめて残念ながら本法は存続の必要がある、少々の心配があるというのではなくて、非常に心配がありますから、存続の必要があると考えるのであります。私は大正の終りから、三十四、五年間ばかの一つ覚で、炭鉱の仕事にずっと関係して参っております。従いまして、むずかしい法理論なんかを展開する能力を持っておりません。またこの問題につきましては、そういう意味合いのいろいろな議論がずいぶん今までになされておるでありましょうし、そういう点につきましては、私が妙なことを申し上げるより、皆さんの方が十分御承知と存じますので、ただ実際はこうであるということを中心にして二、三申し上げたいと存じます。  第一番目に、実はこの法律の正規の名称は非常に長い。従いまして、略してスト規制法という略語で使われております関係上、ストライキ規制するのだというふうに一般にとられておる傾向があります。従いまして、労働組合側のストライキを一方的に規制する、そんな不都合なことはないじゃないかというような議論が、内容を見ない先にまず頭に浮ぶ人が多いのではなかろうかと思うのでありますが、御承知のように、私は電気関係はよくわかりません。また電気関係はほかに話をされる方もあろうと思いますので、一切触れませんが、炭鉱に関する限り、炭鉱保安、特に坑内の保安ということを確保するということは、これはもう仕事の中の一番重要なるものでありまして、いやしくも炭鉱関係するものは、坑内の保安ということについては、何ものにも先がけてこれを心がけねばならないのであります。そういう意味合いから労働組合だけでなく、事業主経営者側といえども、すべてこの炭鉱保安ということにはまっ先に心がけねばならぬ。そういう意味合いから言えばストライキ、あるいは経営者側がこれに対して行う争議行為というようなものの手段の範囲から、炭鉱保安確保という問題は別に扱わねばならない。この建前は炭鉱にいやしくも関係を持った人はだれもが堅持しなければならぬと思います。そういう観念から出て参っておりますので、労働組合争議行為方法を一方的に制限するという意味合いじゃありません。もし不都合なる経営者があって、経営者争議行為方法として保安を放棄するというようなことがありますならば、これは当然その経営者もこの法規によって縛られてしかるべきでありまして、労働組合側を一方的に縛るものでないと考えております。が、略称にスト規制法とありますので、ストライキだけが規制されるように一般に考えられているのは、ばなはだ遺憾に考えます。そういう意味合いから、私もまあ長らく労務関係の仕事をやって参ったのでございますが、争議をやるにいたしましても、その争議の手段というものについてはおのずから限度がなくてはいかぬ。この限度はまあときに応じ、その当事者の経験といいますか、修練といいますか、良識といいますか、そういうものの状態に応じていささかの違いはあるでありましょうけれども、それが一定の限度というものを考えずに何をやってもいいのだということではいかぬと思います。そういう意味合いからある土俵を設けて、この土俵の中で争議行為方法はなさるべきであるという、その土俵の一つの現われがこの法規であると存じます。三年前に作られたときには、おそらくそういうことでおきめになったものと存じます。こういうことを私が何も申し上げる必要はありません。でありますけれども、まあ前置き的に申し上げるのでございますが、そういう意味合いで土俵を設けて、その土俵の中で争議行為はお互いにフェァーにやるべきである、土俵の外のことは何かというその一つの現われとして、少くとも炭鉱関係いたしまする点におきましては、炭鉱保安の放棄ということはこれは土俵の外である、これは普通の争議行為として容認すべき性質のものじゃないのだということが表示されて本法が実施されてきたのであります。そこで三年たちまして、どうするかということが法規によって論議されて、私どもにも意見を求められたことと存じますが、私はそれならば、やめてもいい状態であるかどうかということの二、三の具体的なことを申し上げまして、まだまだやめていい状態ではないと申し上げたいのであります。  第一番目の点は、三年間にほとんどこの法規に抵触するような事柄が行われていなかったじゃないか、人によっては一つもないとおっしゃる方もあります。また、ほとんどという若葉を使われる方もあります。というような事柄がこの炭鉱労使の当事者の間においても言われますし、それからそういう話を聞いておられるのでありましょう。一般の世間でも、あるいは学者の方でも、評論をなさる方々でも、何もこの問題に当るようなことが起ってこなかったじゃないか、だから従ってもう必要はないじゃないか、必要がないくらいにもうこの問題をお互いに良識処理し合っているのだというお話でありますが、これは事実に反するのであります。少くとも炭鉱関係におきましては、保安の放棄ということが現実に中央の組合の連合体で決定されたり、その決定されたことがある特定の地方または全国的に指令されたり、その指令に従って保安放棄がなされたり、あるいはなされる寸前にまあ戦術転換と申しますか、事情の変更によって行われなかったりした事実が相当にあるのであります。私は一つあっても問題だと思いますが、相当にあります。そういう事実を知らないでか、あるいはきわめて少いというようなこと、まあ論ずるに足りないような程度だというようなことで、本法はもう要らないじゃないかという議論をなさる方がありますれば、事実に反するということを申し上げとうございます。日本石炭鉱業経営者協議会と申しまして経営者の団体で、まあ主として労働問題を扱っておる団体がありますが、その団体から出しております意見が印刷物になっておりますので、あるいはお手元に行ってやせぬかと思いますが、その中におもなものを現わしておりますものでも、十二件ばかり事例を現わしております。そのうちの七つは指令をされたり、あるいは現実保安の放棄がなされたという東実を指摘いたしておるのであります。他の五つは、五つであったと思いますが、中央の大会、あるいは地方の一つの会合で保安放棄戦術ということを確認されておるというような事実があるのであります。まだほかにもありましょう。私も承知しておるものもありますけれども、一つあっても問題だとは思いますか、ないのではなくて、具体的な事実があるのであります。こういう事実があるということからいいますれば、ないから、問題にならないから要らないじゃないかという議論は成り立たないと思います。  第二番目には、これは新聞であるとか、あるいは学者の方々でまあ何といいますか、インテリと称せられる方々の間で行われている議論のようでありますが、まあ先の前提もございます。ほとんど三年間になかったじゃないか、だからやめてしかるべきであると思う、もし今後そういう事態が起ったならば、そのときにまたやったらいいじゃないかという議論であります。これも私は電気のことはよく知りませんから、電気のことは申しませんが、少くとも炭鉱に関する限りは、炭鉱保安放棄に関する限りは、やったらそのときに事を処理すればよいじゃないかということでは間に合わないのであります。いいかげんな議論をすべきではないと思います。私ども三十数年にわたって炭鉱関係いたしておりますものは、炭鉱保安というものほど大事なことはない。炭鉱保安を放棄するということは、こういう労働争議の問題の起らない終戦前におきましても、だれもが一番先に考えて、そういうことはやってはいかぬということを考えておるのであります。もしそういうことをやったら取り締ればいいじゃないかというようなことで片付けては、とんでもないことであると思います。これが第二点でございます。  第三点は、私どもはすでに三年間この法律が実施せられておりますので、炭鉱に関する限りは保安放棄のごときものはやってはいかんことだと、やってはいかんことだけれども、泥沼みたようになって万やむを得ず引きずり込まれるというのならば、また別でありますけれども、やってはいかんことではないんだ、炭鉱保安放棄ということは正当なる争議行為である、場合によっては正当防衛であるということを堂々と組合の責任者が発表されておるのであります。これは御承知と思いますが、この間の十一月十四日の東京新聞に原炭労中央執行委員長の談として出ておるのであります。その中にはさっきの問題にも触れておりますが、「経営者側は過去三年間に炭労がしばしば保安放棄の戦術を乱用したようにいうが、とんでもないデマだ。三年間に保安放棄の事実は一件もないし」、ということも言っておりますし、さらに「保安放棄戦術はもともと正当な戦術であり、それを悪法でことさら不当視しているのであるからそれを是正するわけだ。」というようなことが言われております。これは新聞に書いたのを取ってきたのでありますが、新聞に出ております。淡として出ておりますので、もしこれがうそでありますれば別でありますが、おそらくうそではなかろうと思いますが、そういうような事柄が組合の責任者において堂々と言われておるというようなことでありますれば、これはきわめて重大なことであると思うのであります。私どもは先刻からたびたび申しますように、炭鉱保安ということはこれは厳守しなければ、ときには人命にも影響しましょうし、ときにはその山が、坑内が水浸しとなり、あるいは自然発火が起り、ガスが出るというようなことで、とんでもない危険な状態が出る、これはあたかも争議戦術としてこういう炭鉱保安放棄戦術というものを使うということの例は、悪いかもしれませんが、工場あたりにしますれば、工場をたたきこわしてしまうというようなことにも類するがごとく、問題は首根っこをとらえて殺してしまうということと同じ状態になるのであります。そういう事柄が戦術として使われるということはとんでもないことだ。さっきから申しますように、土俵の外のことだと考えておりますし、そのもとに法規が作られて三年間実施してこられたというこの事実を、あれはうそだ、正当なものだ、違法でも何でもないのだというふうな苦い方が、またそういう考え方が今日まで残っており、少しもそれが変っておらんとするならば、法規の存続というようなことだけではありません。私は争議戦術としてそういうものを使うことがいいか悪いかという根本の問題についても、もっと明確化する必要があると考えるのでございます。  私は先刻も申し上げましたように、大正の終りから今日まで炭鉱関係の仕事をいたしておりますが、その間ほとんど大部分私も労務関係の担当をいたしておりました。ことにこの間の戦争の末期から戦争後昭和二十五年くらいまでは、二度目の勤めでございますが、北海道の夕張を中心に現場の勤めをいたしておりました。当時の戦争の終る前の状態、戦争が終ってからのちの状態につきましても、相当に私自身が経験をなめております。そのときの経験にかんがみまして、少くとも終戦後十年以上たった今日、労使間の労働慣行と申しますか、争議の態様と申しますか、非常におとなになったと、私はときどき組合側の人たちともこのごろ会いまして、ほほえましい気持で、ときに過去を顧みておるのでございますが、それにもかかわらず、ただいま申しましたように、炭鉱の、最も炭鉱人の生命とする保安ということを確保することでなく、保安を放棄してもそれは正当な争議行為として用いて差しつかえないものであるというような考え方が、なお今日堂々と述べられておるという、このような事態にかんがみますれば、もうほほえましいどころの話ではございません。私はこの事実一つに対しても、どうしてもきわめて残念ながら、この法規は存続させていただかなければならぬ、ちっと不安がある、だんだん不安がなくなったという問題ではございません。こういう建前が一掃されない限りは、まことに残念なことではありますけれども、この法規は当然存続させていただかなければ大へんなことになると考えるものでございます。一言申し述べまして、公述にかえます。
  20. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  21. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に早稲田大学教授、野村平爾君にお願いいたします。
  22. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 早稲田大学教授野村平爾です。私はかっていわゆるスト規制法審議されました二十八年に、やはり公述人として意見を述べたことがございます。その際に法案内容についての意見を述べてありますので、今再び同じようなことを繰り返す必要はないと考えますから、この点は除いておきたいと思います。その後の状態について私が申し述べたいと思うことが約三点ばかりございますので、それを申し上げて御参考に供したいというふうに考えております。  その一つは御承知通り、この法律は、本来は付則二のような規定のついておらない半恒久的な立法として提案されたものであります。ところが当時におきましても、これに対するかなりの反対の意見がございました結果、たしか修正されて付則の二というのがついたのだというふうに考えておるわけです。従いまして、付則の二がついたということは、三年間の有効期間が経過した際に、さらにそれを存続する積極的な理由がある場合には存続をさせるそうでなければそこでもって延長をしないと、こういうような含みを持った付則の二であったというふうに理解をするわけであります。これは規定文面ばかりではなくて、審議過程からそのようにうかがうわけであります。そうしますと、どうしてこの法案を、これから先も存続延長させる必要があるかということについては、何か積極的にその必要性を証明することが、提案として必要なのではないかというふうに考えるわけです。ところが提案理由を読んでみますと、まだ労使良識ある慣行が十分でないといったような趣旨が大体その中心をなしていて、具体的な問題については、ここにはまだ示されておらないわけであります。果してそういうような必要な事実がどのようにあるかということを、この法案延長するかいなかという際には、十分に御審議していただきたいのだというふうに考えるわけです。  一つ、それについてただいまの万仲さんから、鉱山保安関係のことについての実例があげられております。これはたしかに参考になることだとうかがうのでありますが、ただ、私たちが従来からその鉱山保安の必要を考えながらも、なおかつこういう法案が必要でないのだというように主張しております理由はどこにあるかといいますと、先ほどのお言葉にもありましたように、土俵の上で、一つの土俵を作るのだというふうに言われたわけです。ところがこういう形で土俵を作りますと、結局組合の人に、お前たちはロックアウトをするぞ、お前たち保安をやれということを使用者が命令し得るような、そういう立場を取得してしまうことになるわけなんです。使用音の方についても、もちろん鉱山保安という責任があることは当然でありますけれども、労働条件その他の取引競争というような場面で、使用者側として別にみずから自分炭鉱を放棄するというような必要性は一つも出てこない、そういうことが起る危険性があるのは、いろいろな戦術が使われた結果、労働者がもうこれでは仕事がやりたくないというような気持をほんとうに引き起してくるというような状態が出たときに、それでもなおかつ、お前は出ていけ、お前は中に入ってはならない、お前は保安に従事せよというような立場を持たせるということが、法律が一方的に軍配を上げてしまうという結果になりはしないか、だから土俵としては、いわばいびつな土俵になるのではないかということを懸念して、そういう法律を作らないでもいいのではないか、鉱山保安の必要性というものは、鉱山保安法に定められているのだ、こういうふうに考えておったわけであります。まあいろいろ実例があるのだというお言葉がありましたが、指令があったのかどうか私は的確には知りませんが、おそらくその通りあったのだというふうにうかがいましたけれども、実際にそのために何か鉱山に事故が起ったという実例を実は聞いておりません。そういうことのために私たちは、現実にはそういう危険性がなかったというふうに判断をしておったわけであります。それからもう一つは、大ていそういう事態が起った小さな炭鉱が幾つかあったことも知っております。しかしそういう場合は、大ていのときは相手方との戦術、たとえば重要な協定を結んだけれども、そういう協定を一向に使用者側は履行してくれなかったということの結果、そういうことになったというような実例、そういうようなものがあることは伺っておるわけです。従って私は伺っているだけでありまして、現実に見たのではありませんので、そういうことを十分にお調べの上、法案延長の可否ということをお考え願う一つの資料になるのではないか、こういうふうに考えております。  それから第二の点で申し上げたいことは、一般に三年間の間いろいろの問題が裁判所等におきまして判決という形で現われてきておる。ことにそういう中に電気関係労働者が二十八年、この法案以前に行なった争議について起訴せられ、そして法廷で判決を受けるというような事態に立ち至った例が幾つかございます。これはもうすでに二十八年以前の問題ではありますけれども、それまでも電気産業労働者が停電ストライキを行なったということについて、裁判所では単純な停電ストライキを違法、だとして処罰をしたようなそういう例はございません。もちろん電気事業法三十三条とか、それからその後に変った公益事業令の八十三条ないし五条とかいうところには、言葉としては停電をすること、そのことが犯罪になることを定めておりましたけれども、それにもかかわらず、憲法並びに労働組合法の精神というようなものに照らして、単純なる停電ストは違法性がないのだ、こういったような判決をしている例が幾つかございます。まあ判決の主文には関係はなくても、傍論的なものでありましても、裁判所がそういうような見解を発表しているものがないことはない。たとえば電産北見分会の事件として二十四年のもの、あるいは電産の福岡支部の事件、電産大牟田分会事件、電産神奈川支部の事件の、これは第一審と第二審がありますが、それから電産戸畑分会控訴事件、こういったようなものの中には大体今言ったような趣旨がうかがわれるわけであります。もちろん電気事業並びに公益事業令は今日はもはや法令として存在しておりません。従って、こういう問題についてさらに控訴、上告等がありました際に、免訴とか、その他判決をみたものがあるわけでありますが、これはその点では問題がなくなっていると思うのであります。そのほか、最近東北電力の大谷発電所の事件が東京高裁で判決がありましたのですがこういうのをみましても、結局単純なる停電ストライキというようなものは、一般に違法性がないのだというふうに判断をしているわけであります。もちろんこれはスト規制法以前の問題でありますから、スト規制法をもとにした判断ではありません。しかし、われわれが今問題にしておりますのは、こういうものをさらに法律として置くか置かないかということでありますから、 こういう法律のない状態において、一般の判断としてそういうものが違法であるのかないのか、こういうことをやはり考えてみる資料としては十分に役立つのではないかと、こういうふうに判断をして今のような例をあげたわけであります。裁判所にしましても、もちろん積極的に、さらにその停電を守っていくためにピケを強化した、あるいはその際に暴力を用いた、こういうようなものにつきましては、有罪としている例がたくさんあるわけでございます。もちろん事件はすべて係属中でありますから、下級審の判例かその意味で確定したというふうには申し上げかねるわけでありますけれども、大体において、多くの裁判所あたりでも単純な停電ストライキというものは、それだけではまだ違法でない、それだけで違法でないということは、すなわち普通の良識から考えてただ電気が消えたとか、減電をしたとか、こういうような程度では公共福祉に反するほど重大なものというふうに考えてはおらないのだというふうに判断することができるのではないかと思う。つまり法律家の間におきましては、ただ公衆に不便であるということが、直ちに憲法その他で規定する公共福祉という言葉に一致するというふうには思っておらないわけであります。公共福祉に反するために、基本的な人権を制限してよろしい場合というのは、もう少し公共福祉の程度が高いものだというふうに、厳密なものだというふうに判断しているのではないかと思いますので、参考にいたしたいというふうに考えるわけであります。  それから第三番目には、これは私、従来からも申しておることなのでありますけれども、それから最初の公述人も触れられたことでありますけれども、提案理由の中に「良識」とか「慣行」とかという問題が理由の重要なものとしてあげられておるわけです。ところが慣行というものはどうして育つのであるかといいますと、争議行為を禁じておるもとにおいて、争議に関する慣行というものは、論理的にもこれは育ちようがないのではないか。どこの国でも従来から争議行為というものが行われた歴史は長いのであります。しかしその長い歴史の中でもって争議行為というものは、やはり初めのうちは非常に乱暴なものであったということが、これはどこの国にもあるようであります。英国におきましても、アメリカにおきましても。しかしやがてそういう争議行為というものがだんだんに良識あるところの方法に移っていく。この移っていくのは何であるかといいますと、一つは公衆からくるところの批判、それからその批判を反映しての戦術選択、こういうことによりまして、ずっと変ってくるのだと思うのであります。ですから争議行為を行えないような状態、これは今度の問題になっておりますこの法律案が、もちろん争議行為を禁止しておるのだということについては反対の御意見もあろうと思いますが、その点はあとで触れるといたしまして、とにかく電気産業などの場合におきましては、電気操作に関係のある発電、配電等に関係ある労働者は、事実上争議行為ができない形にこの法律によってなっておるわけであります。そこでそういうような労働者争議行為を行えないというもとにおいて、一体どうしたならば良識とか慣行とかいうものが組合の中に育ち得るだろうか。これはやはり法律規制するのではなくて、労使の協定というようなものを通しつつ、そういうものをだんだんに進めていくという仕事をやってこそ良識も育ち、慣行も育つものではないか。それが三年の期間、ともかくも一応何らか刑事事件を引き起すような問題を起さなかったという結果からみまして、一応こういうものを解放しまして、そして労使の慣行、良識というようなものを育てるという方向へ向うのが、実は私は適当な方策ではないか、こういうふうに考えておるわけであります。その意味におきまして、こういうようなまた良識、慣行を育てるということ、これが非常に大事な問題である。たとえば終戦後におきます日本労働者争議戦術というものと、今日におきます日本労働者争議戦術というものとは、かなり大きな差異が起ってきております。それからまたそれを受け取る公衆の気持というのにも、ある程度の差異が起ってくるわけであります。つまり人が争議をやったときに、その争議に対してどれだけ自分ががまんをするか、きょう電車がとまったというときに、かりに電産の電気関係労働者ストライキをやった経験を持っておるならば、交通がちょっととまっても、自分は自転車で通うという気持になるでしょうし、また交通のストライキができるときに、電気のストライキが起った場合には、停電があっても少しの停電ならがまんしてやろうということは、事その人たちの生活権に関することだから、こういったような公衆の何といいますか、良識といいますか、社会的なストライキ権というものの保障されておるもとにおける認容といいますか、そういう気持というものが、だんだんに育ってくる。これはやはり社会の中における一つの寛容な精神というものに通ずるのではないか。こういう寛容な精神というものを育てるためには、やはり行動の自由というものをある程度認めるという状態において初めて可能になるのではないだろうか、このように考えるわけであります。ですからそういう意味におきまして、私はこういう法律はなくてもよろしい法律である、こういうふうに考えて、従来ともに反対の意見を述べておったわけであります。  これで私の公述を終りたいと思います。
  23. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでございました。     ―――――――――――――
  24. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に弁護士、沢田喜道君にお願いいたします。
  25. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 沢田でございます。私は過去数年間裁判所あるいは労働委員会などにおきまして、在野法曹といたしまして、労働係争事件の処理の実務に関与いたしました一人といたしまして、本法の存続の可否についての意見を申し述べたいと思います。  結論を先に申し上げますと、この法律は今日におきましても、なお存続させることが相当であると考えるものであります。以下その理由を申し述べますと、その第一は、この本法が禁止または制限をいたしております争議行為方法というものは、これは経営者が行う場合でありましても、あるいはまた労働組合が行う場合でありましても、争議行為といたしましては、本質的には違法な行為である。かように考えたがゆえに、制定されたものであると理解するものでありまして、何がゆえに本質的に違法であるかと申しまするならば、すなわちこの本法が規制の対象といたしております争議行為のうちのあるものは、これはいわゆる労務提供拒否の範囲を逸脱したものに属する。あるものは法益権衡の原則という観点から見た場合におきまして、その権衡を破るものである。こういう点に着目して、この規制がなされておるものと思うのであります。  労働法規について精通しておりまする委員皆様方の前で、かようなことを申すのは、はなはだおこがましい次第でございまするが、御承知のようにこの現行憲法以下労働法規の建前といたしまして、争議行為が合法とされるその範囲は、労使間におきまして取引の対象とされておりまするもの、すなわち労働者労働力を提供いたします。経営者の方は施設その他の資本を提供しておる、そこに労働契約というものが結ばれて、お互いにその事業運営に寄与する、こういう形になっております。すなわちその間におきましてです。お互いにこの出すということを約束しておりまするところの、労働者でいうならば労働力を提供するというこの債務、これを不履行――履行しないということ、経営者の面で申しまするならば、自分が提供しておるという施設その他の資本を提供しない、いわゆるロックアウトをやる。こういうふうな限度におきまして、これらの争議行為が合法とされるというふうに考えるものであります。すなわちその合法というものの正当性を付与される範囲というものは、労使いずれにいたしましても、自己が自由に処分し得るものを自由に処分するというその限界においてのみこれが適法とされる。かように私は考えるものであります。  その意味におきまして、電気事業におきましては、いわゆるスイッチ・オフ、これは本質的にはこれは労働者がそのみずから処分し得るものではないのでありまして、これは経営者の処分し得るものを勝手に処分するということになるのであります。私は本質的にはこれは適法の範囲を逸脱したものと考えるのであります。判例についての見解は後ほど申し述べたいと思います。  次にまた、法益のバランスを破るという争議行為方法であります。これが違法であるということは、これはまた現在における一つの通念になっておると思います。たとえば電気の正常な供給を停廃するということによりまして、労使の失うところは少いにもかかわらず、一般の需用家はこれによって多くの損害を受ける、こういう状態であります。この点につきましては、すでに昭和二十七年度の電産の争議行為のときにおきまして、一般の需用家の声というものにつきましては、この委員会におきましては、つとに詳しく御承知のところと思います。かようなアンバランスということはです。結局これは電気というものが一般の商品と違いまして、発電即配電、製造即販売、こういうふうな形において生産されるというところからまあ原因すると思います。これが全く他の産業と違うということに着目いたしまして、この本法がやはり制定されたものと考えるものでありまするが、この意味におきましてです。こういうふうな観点から申しまするというと、このいわゆる給電所の従業員というものが職場を離れるということは、先ほどの観点から申しまするならば、これはいわゆる労務提供拒否で問題にはなりませんけれども、今言った法益の権衡という観点からながめますならば、これはやはり本法の規制の対象とするのが妥当である、こういうことに相なると思うのであります。石炭鉱業におきましても、保安業務のうちの人に対する危害を生ずるものに対しましては、これは労調法三十六条で禁止しておるところであります。その他の本法で対象としておりまする物に対する危害の点、これをやはり本法が違法であると規定いたしました趣旨は、これらの行為労使いずれがなすを問わず、その争議行為によって獲得する利益に比べまして、国民経済または国民の日常生活に与える害悪の程度が大き過ぎる、すなわち前者の利益のために後者の害悪を忍ぶことは是認しがたい、こういう社会通念によって生まれたものと考えるのであります。かような考え方は、これはあえて私が事新らしく申すまでもなく、つとに昭和二十四年でありまするか、労調法の解釈につきまして、一橋大学の吾妻先生、あるいは東大の有泉先生、これらいわゆる進歩的といわれる先生方を交えた東京大学の労働法研究会の共同研究におきましても、この意見が明確に発表されております。これは念のために御紹介申し上げるわけであります。  以上申し上げましたような観点から本法の規制がなされておるものと私は了解するものでありますが、これは労使対等の原則を破るものじゃないかという反対論がございます。この点につきましては、これはただいま野村先生の言われましたように、実質的にながめるならば、いわゆる土俵がいびつになるというきらい、これは免れぬということは私は率直に認めなければいかぬと思います。その意味におきまして、いろいろ法律論から理屈を申しますならば、労使双方ともこれは制約を受けておるんだ、こういう議論もありまするけれども、それはそれといたしまして、やはりこういうふうなことによって労働者は相田な制約を受けておるということは、これは率直に認めなければいかぬと思います。従いまして、本法ができたということによって経営者側があぐらをかいておるというふうな非難を受けるようなことがあってはならぬ、この点については本法の審議に当りまして、本委員会におきまして十二分に御考慮をいただきたい点であると思います。  次に私は以上のような観点から、本法はやむを得ずしてかような制約をしたものである、その意味において是認するものでありまするが、今の段階におきまして、これを何がゆえに存続させる必要があるかという点であります。まず、その理由の一つは、これはすなわち本法は今申しましたように、争議行為として本質的に違法なものを規制したものでありまするけれども、本法を廃止することになりまするというと、この本法が禁止または制限として規定しておる争議行為がすべて適法であるという誤解を生じ、再び昭和二十七年当時のような事態の再発することがあるのではないかということを懸念するものであります。すなわち電気事業におきまする電産労組、あるいは石炭事業におきまする炭労におきましては、この本法の制定施行以後におきましても、この法律によって禁止されておる争議行為を行う旨を通告しておるという事実を私は耳にいたしております。ただいま石炭事業につきましては、万仲氏から具体的な事例についてお話がございました。電気事業につきましても、本日午後それぞれの関係者から具体的な事例が御披露されることと思います。私もそのような事例を聞いておることは二、三にとどまらないのであります。かような事一実はこれらの両産業における、私は今の電産及び炭労の諸君のいわゆる本法に対する違法、何と申しますか順法と申しますか、かような法律を今後も守っていこうという考えが希薄であるのではないか、かようなことを私は懸念するものであります。なおかつ電気事業におきましては、いわゆる電労というものが、今できておる電労が大部分この電気事業において優勢な組合であるから、電気事業に関する限りそのような心配がなかろうというふうな意見もあろうかと思いますけれども、御承知のようにこの過去三年間におきましては、電産と電労が互いにその勢力の伸長に終始してきて、労使の交渉の場面におきましても、互いに牽制しておるというふうな事態があるように私は伺っております。さような意味におきまして、過去三年間の電労の事態だけをもって安心であるというふうに見るのは、これは楽観を許さざるものがあると思います。  なおかつ、組合の行き過ぎというものは、世論でこれを押えるべきであるという御意見、ただいま野村先生からも拝聴いたしたのであります。そのような趣旨に承わりました。世論が盛り上りまして、これに対して組合が直ちに従うというふうな事態が、具体的にこれが直ちに即効薬的な効力を発生するならば、私は大へんけっこうだと思います。私は過去の終戦以来の争議の実情、それに対する世論というものとのからみ合せの状態をながめて参りました場合には、私は世論というものを金科玉条として、これは簡単にこれにばかりすかるというふうなことは安心できないということを申し上げたいと思います。世論を代表するものの一つとして新聞があります。あるいは新聞論調のほかに、いろいろそれぞれの立場々々の方々の評論もございます。しかしこれらの御意見が、現実に行われて危機に瀕している、危殆に瀕している状態に対して、具体的にどれだけの効果を発生したかということについては、私は疑わざるを得ない。過去の終戦以来の実情をながめまして、非常に安心ができないというふうにながめております。要しまするに、これはまあ言いかえますならば、まだ国民一般の民主化の底が浅い、従いまして、その世論が生まれましても、この種の違法行為を抑圧することができるまでに成熟してもおらないし、その成熟したものがどういう形をとってそれを抑制するかということについて、形に現われておらない、こういうようなことを懸念するものであります。  次にまた、本法の存続を必要といたします理由としては、現在まで電気事業におきまして違法な争議行為についてのたくさんな裁判例があります。この裁判例が今野村先生からも御紹介がありましたように、あるものは無罪とし、あるものは有罪とする、一言に申しますならば、裁判例は帰一するところがないという状態であります。最高裁判所の判例はまだ的確なものが一つも出ておりません。従いまして、本法を廃止いたしまするというと、この面から申しましても、この本法所定の行為は今後適法であるというふうな観念を、関係者に植えつけるおそれが大きいのではないかということを懸念するものであります。今まで起訴されております事件、これはいずれも本法が施行前の事件でありまするが、罪名は電気事業法違反、あるいは刑法のいわゆる業務妨害事件、あるいは旧公益事業令違反、こういうふうに分れております。これらの電気事業法とか公益事業令というものは廃止された関係上、第二審あるいは最高裁などにおきましては、結局審理の過程において免訴ということになっておる。御承知のように免訴というのは刑が廃止されたということを理由にいたしまして、その起訴されている事実について、被告人に責任があるかどうかという実態についての裁判をしないで、形式的にこれを免訴にするという裁判であります。従いまして、最高裁におきましては、いずれもこの種の事件について免訴をいたしておりまするが、実態に入って裁判をした例はないのであります。先ほどのスイッチ・オフとか、あるいはいわゆる電気の供給を直接阻害する行為についての判例は、皆無罪であるというふうな趣旨の御意見が野村先生からございましたが、皆無罪というふうな見方は私はどうかと思うのでありまして、たとえば九州の福岡地裁の小倉支部におきましては、電気事業法違反、二十三年十月の火力発電についての事件でありましたが、これはいわゆる開閉器のシャットをし、そうして送電を停止した、こういうふうなケースであります。これは法律的にながめますならば、やはりこれはスイッチ・オフと同じように評価していい事件ではないかと思うのであります。これにつきましては、一審では有罪の判決をしているというふうな工合で、結局いわゆる発電、送電、配電、こういうことについての直接のスイッチ・オフ、あるいはこれに類する形態の事件に対しまする判例というものは、最高裁の判例は一つもありません。下級審の判例は今申しましたように、これは帰一するところがない、こういう状態でございます。従いまして、われわれ実務家といたしましては、このスイッチ・オフ、あるいはこれに熱する事案につきましての最高裁判所の判決というものを私どもは期待いたしておるわけであります。さらにまた、暴力を伴った事案につきましても、かなりこれは下級審の裁判の傾向は有界にしておるものもありまするが、無界にしておるものもあり、大ざっぱに言って半々と言ってよろしいと思います。そういうふうな状況であります。  そこで、私はこの実情を率直にたがめますならば、無罪判決だけを宣伝して、そしてこの種の行為はこれは問題にならないのだ、こういう印象を法律知識にうとい大衆に思わせるということは、これは十分警戒しなければならぬところであろうと思います。いずれにいたしましても、今申しましたように、電気事業におきまする判例は、いまだ帰一するところがない状態であります。しかも今日までこの本法、この法律違反として起訴されまして、審判の対象となった事例は全然これはないのであります。従いまして、現在に至りまして本法を廃止するということは、結局判例を今申しましたような混乱した状態のままにおいておくということになるわけであります。すなわち、最高裁判所の判例ではっきりと判断をされるまでは、この種の事案に対しまするところの法的見解というものは、結局実務上は帰一することのない状態に放置されることになると私は思うものであります。本法が存続して、初めて国家といたしまして、この種のケースに対しまするところの法的意思が明確に示されておるということになると思うのであります。従いまして、それにもかかわらず、今申しましたような一部の無罪判決を強調することによりまして、この本法に違反する行為を行なっても、処罰される心配がないというふうな、もし印象を与えることになりますならば、これはお互いに慎重に検討しなければならぬ問題であろうと思います。  なおまた、最後に申し述べたいことは、近代国家の労働立法というものは、争議権自体を法律によって制限しない、発生した争議の調整、解決ということを主眼としていくべきものである、こういう御意見がございます。私もこの意見は十二分に敬意を表する御意見であります。しかしながら、それはやはり立法でございまするからして、常に国の現状というものに即応して私は立法をなされなければならぬと思うのでありまして、常に現実事態に即応して法律の改廃がなされることは、たとえば刑法の姦通罪が廃止されたという一例を見てもわかることであります。従いまして、以上申しましたような必要性から申しますならば、私はまだこれを廃止すべき段階ではないと、かように考えるのでございます。簡単でございますが、これをもって終ります。
  26. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでした。
  27. 千葉信

    委員長千葉信君) それではただいままで公述された方々に対して、御質疑のある方は順次お願いいたします。
  28. 藤田進

    藤田進君 野村教授にお伺いをいたしたいのでありますが、今度のこのスト規制法存続議決を求めて来ていることそれ自体は、要するに憲法二十八条の基本権を抑圧するという本体を持っている限りにおいて、非常に重要なものだということで、当参議院は先般来審議を続けているわけでありますが、特に法律家の立場からお伺いをいたしたいのは、まず第一の点、過去の判例について若干言及せられたのでありますが、これに対して、ただいま沢田公述人の方から、法律をあまり知らない、うとい人に対して、何か惑わしているようなものだという強い反駁が示されたように思うのでありますが、私どもが今調査をいたしまして、事務局等からもいろいろ判例を印刷にしてここに出してくれてあります。お手元にはないかと思いますが、たとえば電気についてこれを調べてみますと、東京高裁、松山、高知、高松、その他におきまして、高裁並びに地裁等では、明らかに停電に至るスイッチを切るとか、発電所の労務提供をしないとか、そういう行為は違反ではない、現行労働法、労調法に照らしてこの点は罪に問うていないのであります。よって無罪となり、あるいは一部にピケ隊とそれから会社のスキャップとの間に若干のトラブルが起きて、これがいわゆる威力業務妨害とかいうことで、判決の本体は、やはりそういう点に一部有罪になっているものもあるのであって、その有罪判決の中でも、スイッチを切る、あるいは電源ストなどについては、これは違法ではないと判決理由に書いてあります。しかし高裁の確定を見ていないのだから、これはまあとるに足らぬという御議論もあるようでありますが、これらの過去の判決自身は、今度のスト規制法がここに新しい権利を抑圧するべく創設するものではなくて、従来の労働法その他の法規の解釈をここに確定するのであって、決して解釈より外に出るものではないのだというのが政府提案理由のおもなるものであります。かれこれ勘案いたしますと、過去の判決というものは、われわれとしては三権分立の現統治形体においてかなり重要視しなければならぬとまあ考えていたのでありますが、この点沢田公述人の御発言等を参酌せられつつ、どのようにお考えであるか、まずお伺いをいたします。
  29. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) ただいまの点でありますが、二十八年以降、この法律が通過しましたあとで、電気関係労働者ストライキについて判決が行われた例は、たしか実態的な意味では、今あげられた四つだというふうに記憶しておりますが、あるいは記憶違いかもしれません。その中で明瞭に言っておりますのは、東京高裁の場合と、それから高知の場合が、たしかはっきりと、電源ストというようなものは、それだけではすぐに違法にならないということを言っておると思います。四国電力の分水第二発電所事件、これは高知地裁でありますけれども、それでは、これは途中傍論的な点になるかもしれませんが、「電産が本件のような電源ストを行わざるを得なかった理由を考えるときは、電源職場従業員がストに入った際、その職場の発電機を一時停止してもそれだけで直ちにもってこれを違法な争議手段であると断じ去る訳にもゆかない」、こういつたような趣旨が述べられておるわけであります。もちろんこの事件は、まだこれだけにとどまらず、それからさらに積極的ないろいろの行為をやったという点については、これは一部有罪、一部無罪という問題が出てくるわけでありますけれども、ただいまのような考え方が述べられておる。それから東北電力の大谷第一発電所事件、東京高裁の無罪判決の中では、これは長いものですから読み上げませんけれども、結局この発電施設の運行を停止せしめた上、その職場〃離脱し、一定時間労務の提供を拒否することにより、一定の減電量の実現を目的とする争議方法としてやられたということと、それから、本来、争議行為において、使用者の業務の正常な運営を阻害する結果を伴うことは、その性質上やむを得ないところであるから、電産がその争議方法として上記のような電源ストを決定し、その実施によって会社の正常の業務を阻害しても、それだけではすぐに違法とはならないんだと、こういうような判断をしている部分とがあるわけであります。そこで私は先ほどそういうような例を引いたわけですが、高松の場合と松山の場合におきましては、明瞭にはそのように言っておりません。違法ではないんだとか、あるんだとかということは、どうも明瞭には言っておらない。ただ全体としてそこで言われている趣旨を考えますと、それ以上さらに積極的な行為に出たからいけないんだという点は強調されているわけです。これはそういう積極的な行為に出たものについて、場合によっては期待可能性がないというような理論でもって責任を問うておらない例がこの中で出ているわけであります。そんな意味でこの二十八年以降の判決を見てみますと、裁判所においても、一般に停電を伴うというようなことだけで違法にすることはできないという考え方は、もうほぼ流れているんではないか、このように判断しているわけです。もちろんそういう事件は、先ほど沢田さんのおっしゃいましたように、これは係属をして、さらに最高裁へいってどういう判断になるかわかりませんけれども、少くとも下級審におきましても、そういうような考え方がなかり広い範囲にあるということは、これはこういうような争議行為が、直ちにもって公共福祉に反するから違法だという結論を導き出すことは少くともできないんだ、それを導き出さない以上、やはり争議権を制限するということはいけないんだ、このように私たちは考えてこの例を引いたわけであります。
  30. 藤田進

    藤田進君 いずれそのもの直接について、すなわち停電あるいはその他の結果、いわゆる公共福祉に云々という、このスト規制法でいわれているこういうものについての最高裁の判決というものは出ると思いますが、まあ今までの下級審、一審、二審を通じて、この点は無罪になり、私どもの調査の限りでは、川崎におけるスイッチオフの停電ストについては判決が確定いたしておりまして、検事側も、これを上告することなく確定をいたしておるものもあります。しかしこの提案理由は今ほど申し上げたように、創設的なものではない。あくまでも解釈を明確化するんだということである以上、裁判の態度としては、従来の労組法あるいは労調法等に照らし、かつ、基本法である憲法に徴して判決がせられるものと思うのでありますが、最高裁の判決か、下級審同様に無罪であるということになるならば、このスト規制法というものは、またその提案の理由にるる述べられている、御承知かどうかわかりませんが、解釈である限り、解釈は裁判所の方で判決の形で明確に出ている形になるだろうと思うわけであります。私どもが疑問に思うのは、そういう今過程にあり、かつ、三年の間に、沢田公述人も指摘せられたように、何ら一件もこれに抵触するということで問題になったものはない、過去三年間、何らこの法律は使われていないということを彼此勘案いたしますと、この際さらに延長すべきではないのではないかと、ただそれだけ考えてもさように思うわけでありますが、最高裁の判決が無罪ということになれば、これは当然このスト規制法そのものが否定されたというふうにとるべきなのかどうなのか、法律的な立場一つ御見解をお示しいただきたい。
  31. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) この法律かかりに通過して、法律として確定したといたします。その場合に、昔のこの法律のなかった状態のもとにおける事件が係属をして、最高裁でもって無罪判決があったとしても、この法律そのものが直接に違憲であるとか何とかいうことに触れてはおらないわけです。ですから、私おそらくそれだけではこの法律が効力がなくなったというふうにはならないと思いますけれども、実質的に、今度はたとえば検察庁が事件を取り上げる場合の態度には当然影響して参りましょうし、それから政府としてみれば、裁判所が一般的に考えて別に違法でないという考え方をとったのだとすれば、かりにそういう法律があるときに、今度はそれを廃止するというような提案をしていく方がむしろ順当な道ではないだろうか、こういうふうに考えます。スト規制法違反という形でもって訴訟になって、そうしてそれが最高裁でもって無罪だということになりますと、これはまた問題は別になって参ります。こういうふうに考えております。
  32. 藤田進

    藤田進君 それだけに非常に重要に思うわけでありますが、政府がしばしば提案の理由並びに質疑応答の中で示しているのは、現行法のワク内においてもかような争議行為は許されていないわけだ、許されていない。しかし世上、許されているあるいはいないという議論もあることであるから、この際許されていないということをただ明確にするだけなんだ、こう言っている限りにおいては、スト規制法の作用というものは現行法の解釈であるというふうに単純にわれわれがとりまして、そういうふうに受け取ってこれを通過させても、現行法の解釈をただ明確にしただけで、判決があればこれはもう別のただ権利に……、新しく判決例が示すのだから、すなわちスト規制法の作用がなくなるのだというふうに早合点をすることは、非常に危険だという今印象を受けるわけであります。果してさような、私ども今審議中に解釈法だと言っている点が、必ずしも解釈だけに……、将来はそんなに楽観が許されないという気持を今の御答弁で深くしたわけでありますが、さよう考えてよろしゅうございますか。あなたの見解をお示しいただきたい。
  33. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) このスト規制法、いわゆるスト規制法ですが、この法律の中で定めていることは、今までの法律解釈論の上から言って、違法なものを単に違法だとしたのだということではないように私たちは考えているわけです。今まで、現実に違法であることがはっきりしているならば、裁判所においてもそういうものをもう問題なく有罪として取り扱ってきているだろうと思う。裁判所においてそういうものを有罪として取り扱ってきていないという例が、全部でなくても圧倒的にあるのだということになりますと、これはもう法律解釈論としては、むしろスト規制法ができた場合とできない場合には相違があるのだという考え方の方が正しいように考えております。
  34. 藤田進

    藤田進君 他の委員からも御質問あろうかと思いますしいたしますから、あと二、三点についてお伺いいたしておきたいと思うのでありますが、先般来労働大臣、並びに事務当局等の答弁を通じてみますと、どうもふに落ちない。提案している労働大臣もとうとうふに落ちないのだろうかというふうにうかがわれる場もあったわけでありますが、それは、まず鳩山総理は、簡単に申し上げると、労働関係労使関係というものは、従来間々身分関係のような考え方で戦前戦時中通じてあったが、今度の答弁を見ますと、やはり契約の関係であって、ことに国家機関は中立の立場をまあ堅持すべきだという趣旨の答弁があった。この限りにおいては私はもっともだと思いますし、その考えに間違いはもちろんないと考えておりますが、そのしかし基本的観念を持ちながら、このスト規制法のよってきたるべき影響を、それぞれ石炭なり、電気について調査を進めてみますと、やはり労使関係の力のバランスがくずれるのではないだろうか。それから憲法十二条の公共福祉というものが非常に強く打ち出されて、このもとにおける一部基本権の制限というふうにも解される。ここで具体的に法律的見解をお伺いいたしたいのでありますが、かりに電気にこれをたとえてみますと、発電所の労働者ですね。労働組合は、日本の場合法律規制はないのでありますから、職種別の組合もできる可能性がある。国鉄において機関単労働組合が現にできていると同じように、発電所労働組合というものが考えられないことはない。発電所技術者による労働組合という場合を考えてみた場合に、その発電所労働者というものは、争議の手段は何ら持ち得ないわけですよ。まる腰になる。一方困難な労使問題は持っている。そういうときに全然争議手段という憲法二十八条の団体行動権というものが、スト規制法を守る限りにおいてはやってはならぬということですから、これはなし得ない、争議手段を失っている。そうであれば、中立な立場に立つ国家機関としては、かりにスト規制法の見解をとるとするならば、一方使用者側に対しても何らかのここに措欄が必要ではないだろうか。たとえば仲裁裁定によって労使間がこれに服し、問題を解決する、現行公労法その他にはあるようなことが一面考えられるべきじゃないか、ところがそれはない。こういう点については非常な片手落ちではないかと思われる点が第一点であります。法益の権衡を害しはしないだろうか。  それからこれと関連して、石炭の関係において見ますと、石炭企業が、会社の経営が赤字でうまくいかない、商業ベースに乗らないから、石炭山、その鉱山廃止したい、利潤がないところに事業はないのだ、もうからなければその山を廃止する、やめる。まだそれだけじゃありません。血税をもってこの石炭山を国が一つ金も出してやろうということになっている。その限りにおいては保安要員も何もない、その坑道はつぶしてしまうわけですから。ところが労働の側がストライキの手段としてそれをやる場合には、すぐ公共福祉が出てくるし、国家資源の壊滅というような、そんな話か出てくるし、第三の点は、再びその事業場に労働者が帰ってこれないからいけない。公共福祉と、国家資源の壊滅と、再び職場に帰ってこれないのだ、この三つしか出てこない、今までずっと問いただしてみると。ところが国家資源なり、公共福祉なり、再び職場に帰ってこれないということでスト規制法が石炭に必要だとするならば、これは使用者もその利潤のいかんにかかわらず、これはなし得ない結果にならなきゃ、どうも筋が通らないのじゃないだろうか。憲法二十八条の労働基本権と、二十九条の財産権の関係において見ても、財産権の憲法二十九条のためには、二十八条の労働権というものは、これは犠牲になるべきものであってね、二十九条の財産権は上にあるのだというふうにはっきりこれは言わなければ、つじつまが合わなくなってしまうわけであります。この間を法律論としてはどのように野村教授はお考えなのか、お伺いいたしたい。
  35. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 一般に基本的人権と、公共福祉との関係ということになりますと、これはずいぶんいろいろの意見、学説がありますし、そういう抽象的な形で問題を出しましても、これはなかなか困難だと思うのです。ただ現実の問題として今度の法律を考えた場合に、発電所の従業員だけの組合を作るということは、もちろん差しつかえございませんし、職種別の組合組織というものができてもかまわないことになるわけです。ただ職種別組合ができましたときに、発電並びに配電等に関係のある労働者ストライキをやるということは、これは確かにこの法律に触れてくるのではないかというふうに考えるわけです。もろとも先ほど沢田さんがおっしゃいましたように、単純な職場放棄は差しつかえないのだ、そういうのが今までの考え方だったというふうにおっしゃられました。それ以上議論はいろいろありますけれども、その職場放棄が違法でないということについては一般に固まった議論であったわけです。じゃ発電所の従業員が職場放棄をしたらどういうことになるだろうか、あるいは給電所の労働者職場放棄をしたらどういうことになるだろうか。電気は自然に動きますから、おそらくしばらくの間は自然に動くと思うのです。しかしそういうことをやったなら、おそらくこれはあとでとんでもない問題が起ることば藤田さんなんか御承知のことだと思うのですが、そういう形で職場放棄というものは当然なんだという考え方があるにもかかわらず、この法律はおそらく単純な職場放棄までも問題にしてくるのではないだろうか、今のような場合ができた場合に、そういうものはこの法律にかかってくるというふうに解釈されるのではないだろうかというふうに想像しているわけであります。政府が明確に、あるいは裁判所あたりの考えが明確に、こういう法律があっても、電気をつけっぱなしで出ていくことは差しつかえないのだというふうに言うならば、職場放棄そのものは適法なんだというふうに初めて判断できるかもしれませんが、おそらくそうは言わないのではないだろうかというような想像ができるわけであります。そうしてみますと。今の電気労働者対電気関係の使用者というものでは、おっしゃる通りはなはだしくバランスの欠けた状態が出てくる。この電気労働者の方にそういうような争議手段を許さないということは、結局単なる方法規制ではなくて、全面的な争議権行使の禁止になるのではないか、こういうふうに考えるわけであります。従来公務員の場合でも、それから公共企業体の職員の場合でも争議権を全面的に取り去るような立法をする場合には、単に公共福祉という理由だけではなくて、それに加えて何らか別の方途を講ずるからということが大体提案趣旨の中にうかがわれているわけです。たとえば公務員の場合は、ああいう人事院というような制度を置いて給与改善に対する勧告を行うとか、あるいは身分保障制度というものがあるとか、こういうようなことが言われる。それから公共企業体職員の場合におきましたら、調整方法について、たとえば調停や強制仲裁というようなことをやって、そして強制仲裁の結果を政府は重んじていく、こういうような考え方を述べるというようなやり方で、単純にストその他の争議行為の禁止を頭からやってしまうという例は実はないわけでございます。その意味で、今度の法律は単に公共福祉というだけで、何らか労働者の生存の保障という方面には配慮を払っておらない、こういうふうに私は考えるわけであります。その意味で、私は前からこの法律は片手落ちだ、こういうふうに申しておりますので、大体御質問の趣旨に私も意見は同じように持っておるということを申し上げて差しつかえないと思います。  石炭の場合の例が出ましたけれども、石炭産業におきましても、採算のとれない分についてはいろいろ国家が援助をしていく、それでは争議行為を制限することによってこうむる不利益に対して国家が何らかの施策をしたかというと、この点については別に現在のところ何も出ておりません。そういうような意味で、この社会保障制度などが非常に完備したもとに、そして生存の保障というものが非常に完備してきているという状態になれば格別、日本の場合はそういうことがまだ弱いわけでありますから、そういう弱い状態のもとでは、この労働力の取引についての競争方法を大きく制限するというやり方をやりますと、土俵が非常にいびつになるという意味は、私はそういう意味で申し上げておるわけであります。  それからこれも私さつきちょっと言い落しましたので、付け加えてよろしければ付け加えておきたいと思うのですが、先ほど沢田さんから給電所の職場放棄の問題が出ておりましたが、これなど非常にいい適例ではないかと思うのですが、日本ではたしか電気産業の場合には、給電所だけはすでに労使間の慣行によって職場放棄をやらないことに定めてきているようであります。だから最初のうちはそういうこともやっておったようでありますけれども、やがて給電指令所の職場放棄というようなことをやりますと、それは非常に与える影響が大きいということで、良識をもってそういう点をだんだんやめていっている。そうして労使の協定の中で給電所の指令を、従業員を争議から中立させるというような方法を講じておったように私は記憶しておるわけですが、こういうふうに私は育ってもらいたいものだ、そういう意味法律規制するのではなくて、労使間の協定でやってもらいたい、こういうような意味でありましたので、申し上げておきます。
  36. 藤田進

    藤田進君 お答えいただいていない分かあるのですが、簡単に先ほどの質問を要約しますと、石炭の方では経営事情で閉鎖する、それは、その閉鎖するということは、政府が今スト規制法を出す理由を言っているのは、二つには公共福祉を阻害する、石炭が出なくなると……。一つには、石炭山が爆発したり何かすると、あるいは廃鉱のような状態になると、国家資源を滅失する、それから労働者職場に再び復帰できない、こういうことを言う。これが争議行為の場合です。ところが、経営者が閉鎖する場合には職場復帰もこれはできない、それから国家資源はやはり採堀できない状態になります。これも相当永久に廃鉱になりますから、石炭が出なければ同じ結果だから、公共福祉だって同じではないか。同じ結果をもたらすのに、財産権者にはやらせるが、労働権者の方には許さない。労働省はそこまで資本の擁護を、守っていかなければならないという義務があるのかどうか。その辺が要するに憲法二十八条と二十九条、労働基本権と財産権との関係において、上下のようにスト規制法に関しては使われているような気がする。そこの点はどのように法律的見地からお考えですか、それを先ほどお問いしたのです。
  37. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 落しました。ただいまの御質問の点では、法律論になるかどうかちょっと問題だと思うのですが、全般のバランスをやはり考えていくということが、これは正しいことだと思うのです。ですから公共福祉ということが一体どういうふうな考え方になってきたかというと、公共福祉というものは本来国民生活を守っていく上の問題だというふうに考えられるわけです。そういう国民生活の中には、もちろん国民の生存要求というものがあるわけです。ですから労働者の権利を守るということ自体が実はその生存を守っていくということになるので、その限りにおいては私は公共福祉という観念は、労働基本権の保護という観念と矛盾をしないものだというふうに考えておるわけであります。ですから公共福祉というものを考慮するならば、やはり生存要求のために労働者労働力の値段を取引するということは認めなければいけないのじゃないか、こんなふうに考えているわけです。  ところが、従来いろいろ立法令などの中に現われてきます公共福祉というのは、どちらかというと、そういう形で取り上げられるよりは、別の形で考えられているわけです。今度の場合なんか考えますと、公共福祉というのは、たとえば炭鉱というものが爆発をしてしまい、そうして使えなくなる、あるいは廃鉱になっていくとかいうことは、石炭資源を失うという意味において国民に影響がある、こういうようなお考えなのではないかと思うわけです。もしそういうことであるならば、それをとめるなら、それに対してやはりそういうところに働く労働者の生活を配慮するということが、一面において行われる必要があるだろうと思います。それをやらないで、単にそういうことだけは方法としてもやってはならないというふうな規定の仕方をするということ自体は、法律規定面においてのバランスというものを欠いてくる。これは確かに認めることではないだろうかと思います。もっともそういう方法を書かなかったら、それでは労働者がそういう方法を書かなくさえすれば必ずやるのであるかどうかという点についての御意見は別でありますが、ただいまのように公共福祉の使い方が、必ずしもバランスがとれた使い方ではないという見解は私は持っております。
  38. 安井謙

    ○安井謙君 野村先生にちょっと簡単にお伺いをいたしますが、石炭鉱山の保安、あれはいかなる場合でも一応保護しなければならない。しかしそれについては鉱山保安法なりなんなりを明確にすればそれで事足りるので、ストライキの手段、方法規制するという側からこれをやる必要はないと、こういうような御見解であったかと思うのでございますが、よろしゅうございますか。
  39. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) これは説明すると、いろいろ問題があると思いますけれども、大きく申しましては、やはり鉱山保安法は財産権を使用者側が持っているわけです。鉱業権者は使用者になっておりますから……。従って、鉱業権者の義務として鉱山保安をやることになっておるわけです。だから、鉱山保安をやろうとすれば、相当の費用を出して保安要員というものを雇い入れるという自由は、これは確保されているわけです。ですが、そういう意味でもって、労働者炭鉱でもって非常に、もうこれ以上働きたくないという状態が出て、もう保安も何もいやだという状態ができるということは、これはおそらくあるかもしれないと思うのです。非常に緊迫した状態ないしは押しつめられた状態が来れば……。しかし、そういう場合に残された問題は何かということは、事柄は一体幾らで雇い入れてどういうような労働条件で働いてもらうかということですから、妥結の道というものは常に用意されているわけです。そこでその妥結の道に行くところに問題の解決の方途を求めて、そして保安を放棄する状態まで導かないようにしていくということは、やはり労使良識と――これは労働者側だけに要求されるものではなくて、同時に、争議をやっているものは使用者側でもありますから、双方に求められてしかるべきものではないか。それを推進していくために、たとえば一方においては調停制度がある。それからこれも相当に問題ではありますけれども、現在のところ緊急調整のような法律もあるとか、こういうふうになっておりますから、その意味では、スト規制法のような形のものは私はよけいなものではないだろうかという、こういう考え方です。
  40. 安井謙

    ○安井謙君 そうしますと、鉱山保安を――非常に問題を単純にしまして、いろいろな付帯的な問題は起るでしょうが、鉱山保安を維持するということは、これはもう労働者側も使用海側も、両方に課せられた一様の義務である。で、方法がこのストライキ規制という方法でやるのでいかんのであって、それ以外の方法ならそれは認められていいと、こういうふうに解釈してよろしゅうございますか。
  41. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) それは私は、労働者の義務というのは労働力を提供する義務だと思うんです。だから、約束した以上は、労働力を提供するというのが義務でありまして、積極的にそれ以上何らか財産権を守る義務というものまですぐに出てくるとは考えられません。ただ、契約を結んで契約の中で雇われているということになると、雇われる仕事が保安関係すれば、その意味においては義務が生じてくる。さもないと、これは一種の強制労働になってしまいますから、だから、雇われた契約の中で存在する義務。その契約の関係の中で存在しない義務というものは、当然には労働者側には出てこない。ところが、使用者側は財産を持っているということでありますから、持っている限りにおいて、鉱業権者であればやはり保安の責任を、鉱業権者たると同時に、負わなければならないものではないか。そうでないと、鉱山そのものが廃鉱になってしまう、あるいはこわれてしまう、こういうことになってくるのではないかと思われます。
  42. 安井謙

    ○安井謙君 そうすると、雇用契約の中で課せられた義務を、スト戸イキの場合は、労働者は放棄するということになるのだと思うんですが、(「それは当然だ」と呼ぶ者あり)そうすると、結論は要するに、労働者側鉱山保安法によってであろうと何であろうと、とにかくそういう義務を負わされておるけれども、こいつは破る場合があると。まあそれが鉱山保安に直接被官を及ぼすというような場合は、事実としては認められるんですか、認められないんですか。
  43. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) それは、私は事実としてどうなるかはまだわからないと思うんです。(安井謙君「事実としてわからないじゃ困る」と述ぶ)事実としてそういうようなことが起るかもしれませんし、起らないかもしれません。事実としましては、それは鉱山というものは簡単に爆発する所もありましょうし、水没する所もありましょうし、それから場合によりましてはなかなか水没しない所もありましょうし、爆発をしない所もあるだろうと思うんです。ですから、そういう事実として危険がどの程度に起ってくるかというのは、これは事実的な問題でありまして、一がいにあるとかないとかいうふうに直ちには言うことはできないのではないかと思うのです。  もう一つ、おそらく質問の趣旨はこういうこと。もう少し補足をしないといけないかと思うのですが、それは鉱山でもって労働者保安を放棄するという場合が起るかもしれない。ということは、これは人間でありますから、全くそういうことが起らないなどというふうに断定してしまうことは、私はこれはできないと思うのです。しかし現在の労働者が、私はおそらく組合ストライキをやってそういう方針を決定してくるというのは、やはり現在の法律ではどういう手続を経てくるかというと、これはやはり組合内における投票でもって争議方法決定してくるわけです。で、そういう争議戦術を、争議をやるということを決定してくるということになりますと、そのときにみながそういうものを支持する空気が生まれてくるというのは、つまり自分たちが帰れなくなるような職場にするというような空気も生まれてくるということは、まずおそらく私はないのではないだろうか。まあそういうようなことを、そういう危険性を、やるぞといっても、それはやるぞということで、そういう状態のもとに解決をするというような性質のものではないだろう、こんなふうに想像しております。(「その通りだ」「よく見ているね」と呼ぶ者あり)
  44. 栗山良夫

    栗山良夫君 私、沢田公述人にちょっとお願いしたいと思います。あなたは、先ほどのお言葉の中で、争議の合法の範囲として、労務の提供拒否というものはこれはよろしい、労働者自分の意思において自由に処分し得る限界のものだ、こういうふうに述べられました。そこでその次に、それだけではまだ十全ではないのだ、公益の均衡を破らない限度のものでなければならないのだ、労使の間の失うものは少くて、公衆の損失が多いものはいけない、こういう工合におっしゃいました。これに関連してちょっとお尋ねいたすのでありますが、給電所の労務提供拒否は、第二段の理由によって、これは不当であるとおっしゃったのであります。で、実はこの制限法にもはっきりしておりますが、公衆に損失を与える与えないという場合は、たとえば例を電気にとりました場合には、 、事業者が電気の需用者と需給契約をしております。これは大口、小口、全部需給契約をしておるわけでありますが、その需給契約の義務を果すために電気の供給をしているわけでありますが、その供給に支障を与えない、全然支障を与えない、そういう限度であれば、労務の提供を拒否することがあっても一向差しつかえない、こういう工合に考えるので、あなたの所論からいえば考えるのでありますが、どうお考えになりますか。
  45. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) ただいまの最後のお尋ねの、電気需給契約の義務を果すために支障を与えない限度と言われるのが、ちょっと私よく理解いたしかねるのでありますが、どういう意味でございましょう。
  46. 栗山良夫

    栗山良夫君 需用家に対していささかもその電気使用に対する迷惑を及ぼさないという意味です。正常の電気の供給を続けていく、そういう限度ならばよろしいかと、こういう意味です。
  47. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) その限度ならば本法に違反しないのではないかと、こういう意味のお尋ねでございますか。
  48. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうです。
  49. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 私の私見を申し述べますが、本法の規定によりますと、御承知のように「電気の正常な供給を停止する行為その他電気の正常な供給に直接に障害を生ぜしめる行為」という規定がございますが、このただいま御指摘のような状態は、具体的にその事案を、姿をながめまして、それがこの後段の「直接に障害を生ぜしめる行為」という程度に達しておるかどうかということによって、判断がきまると思います。従いまして、今お書ねの供給義務を果すために支障を与えない限度というお尋ねで、どうもちょっと、言葉のせんさくに終るようで申しわけございませんけれども、ちょっと今何とも、今のお話ではどちらとも申し上げかねる次第でございます。
  50. 栗山良夫

    栗山良夫君 そこはこういうことなんです。あなたは公衆に損失を及ぼすものはいけないと、こういうようにおっしゃったのですから、従って、その公衆というものは電気の場合にはあくまでも電気の使用者であるわけです。電気の需用者であるわけですね。鬼気事業者から電気の供給を受けて、これを利用しているところの需用者であるわけです。だから、需用者に全然迷惑を及ぼさない、そういう状態であれば、あなたのおっしゃる第二の、合法の範囲をお述べになりました第二の方は十分にその限界の中にあるのじゃないか、こういうことを申し上げたのです。
  51. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 私は、この「直接に障害を牛ぜしめる行為」という言葉は、具体的に、障害が発生したという危険が現実に発生したことのみならず、そういうふうな危険性、危険を発生するおそれのある行為、生ぜしめる危険性といいますか、具体的にそういう危険の発生するおそれ、いわゆる法律的に具体的危険性と申しますが、そういうふうな場合をも含むものと私は了解しております。
  52. 栗山良夫

    栗山良夫君 まあ少し範囲を、先ほどの公述より広げられましたが、要するに、需用家に対して実体的に何ら迷惑を及ぼさない、そういう範囲内であるならばよろしいと、こういうことですね、あなたのお述べになった趣旨は。労務の提供拒否は原則としてよろしい。よろしいが、しかし第三者である公衆にその損傷を与えるようなものではいけない、こういうことをおっしゃっております。第二の条件として、ところが、これを全然与えないということであれば合法の範囲に属する、こういうことになりますね。
  53. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) その全然与えないと申しまする趣旨が、私の了解します見解といたしましては、公衆に1公衆にと申しますか、要するに電気の供給に直接に障害を生ずる危険性があればやはりこれに触れる、こういう意味でございます。
  54. 栗山良夫

    栗山良夫君 そういたしますと、そういう立論から給電所の労務提供拒否はいけないと、こういうふうにおっしゃったと思うのです。そこでお尋ねしたいことは、争議を行うことによって会社に経済的な損失を与える、こういうことについては一向かまわないわけでしょうね、会社だけに与えるならば。こういう点、いかがですか。
  55. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) その通りに思います。
  56. 栗山良夫

    栗山良夫君 そういたしますと、あなたは、電源職場の労務提供拒否というものは合法の範囲に属する、範囲であるとお考えになりますか、電源職場の労務提供拒否は。
  57. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 電源職場というふうに概括的にお尋ねでございますので、どういうふうにお答えしてよろしいか……。
  58. 栗山良夫

    栗山良夫君 発電所あるいは変電所です。
  59. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 発電所、変電所における直接発電の業務に関与しておる者についてのお話しでございますか。
  60. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうです。
  61. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 御承知のように、発電所におきまして直接電気の発電に関する業務にたず携っております者がその業務を停廃いたしました場合には、私は第三条に触れるものだと、かように解釈いたします。
  62. 栗山良夫

    栗山良夫君 そこで、それではもう少し話を堀り下げて伺いますが、ただいまわが国の電気事業を見ておりますと、これは個々の発電所が個々別々に需用家に送電しておるのではなくして、全部並行遺伝に入りまして、一つの電力送電網を形成しておるわけです。そこで日本の水力発電所というものは、設計のためでもありますが、また河川の出水量のためでもありますけれども、夏の一番よく水の出る時、発電所の最大出力が認可されておるその状態の時と、冬の渇水期の時では、非常な幅があるのです。最大出力の四割ぐらい冬は減水してしまうわけですね。それを一年間ならして安定した電力を送るようにするのは、何でやっているかと申しますと、火力発電でやっているわけです。それで冬の一番電力のきびしいときに発電所がとまれば、すぐ需用家に影響が来ると思います。これは発電の設備を持っていないわけですから。しかし夏どんどん水が出ているときに、普通の電力会社が何をやっているかというと、全部火力発電をとめているわけです。火力発電所は、水力だけで火力は要らないから、とめているわけです。そういうときにたまたま争議が起きて、労務の提供拒否を水力発電所でした。そうすると、何割かの水力発電所が労務提供拒否をしますと、電力が不足します。そのときには会社の方は、石炭をたけば経済的には非常な損失ですけれども、火力発電所でどんどん燃やして、冬と同じだけ燃やせば、何ら電気の供給上支障はないわけです。これはそういう事実なんですね。そういうことがあるわけですが、そういうことがあると。そういう事実があるわけですから、それにのっとって御判断、あなたの御意見を伺いたいのでありますが、一年、私は三百六十五日全部とは言いません。しかし、今言ったような水の非常によく出ているとき、そういうようなときに水力発電所の一割でありますか、二割であるか、あるいは三割になるかしれませんが、火力発電所をフルにたけば、冬と同じようにたけば、需用家には全然電気の供給上支障を与えない、こういう運転が給電所で十分計画が立つわけです。その範囲内において水力発電所で労務提供の拒否を行なったという場合には、本法の合法の範囲内に入ると私は考えるのですが、あなたはいかにお考えになりますか。
  63. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 私は、さような豊水期におきまして、水力による発送所を主体として計画しておりました場合に、その給電所においての職場放棄をいたした場合どうかというふうな点でありまするが、私はさような場合におきましても、やはり形式的にはこの第二条に触れるものと私は考えます。ただし、実際にさような場合に、会社はなおいろいろ火力によってそれを補う余地があるのじゃないか。その場合に十二分ないわゆる需用家の満足いくような措置をとらなかったというような事態がありますならば、それはおそらく私は、これを取り締る役をする役所の方におきまして、一つの有力な事情として勘案するだろうということを私は想像いたしますけれども、理論的に申しますならば、やはり私は第二条に触れる、このように考えます。
  64. 栗山良夫

    栗山良夫君 その第二条に触れるということはちょっとよくわかりませんが、労務提供拒否をしてよろしいという意味ですか。しても合法な範囲内に属するということですか。
  65. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) この「電気の正常な供給」ということの私は解釈でございますが……。
  66. 栗山良夫

    栗山良夫君 わかりました。そうすると、今の沢田公述人のお話は、私のずっと前から筋道を立ててお聞きをして参りました建前からいって、電気の供給にいささかも影響を与えない、そういう範囲内において一つの送電網の中の何%かの水力発電所において労務提供を拒否をした。たまたまそれがストップしましても、電気事業者が持っておる火力発電所を増加する、これによって電力の供給を需用者にいささかも損傷を与えないように継続すれば、これは合法の範囲内に属する、こういうことなんですか。しかも、そのために会社側が火力の発電所を増してたかないというようなことがあれば、その責任は会社側にある、こういう工合におっしゃったと思いますが、それでよろしゅうございますか。(笑声、「違うよ」「とんでもないことだ」「とんでもあるよ」と呼ぶ者あり)
  67. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) ちょっと私の申し上げた趣旨を誤解されておるように思います。私は反対の意味でございまして、御指摘のような事例は、これは第二条に規定しておりまするところの電気の正常な供給をしなかったものであるということに相なる、かように考えるものであります。  よろしゅうございますか、発言を続けて。
  68. 千葉信

    委員長千葉信君) どうぞ。
  69. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 従いまして、その場合にその会社が火力の方をたかなかったというふうな、たけばその力の補いもできたのではないかというふうな事情がありまするならば、これは第二条、取り締り官庁におきまして、そのような事情は取締り上において十分しんしゃくせらるべき事情として扱われるだろう、こういう私の意見でございます。
  70. 栗山良夫

    栗山良夫君 これは非常に大臣なところで、排日さんお笑いになるけれども、あなた方電気をやったことないから、わからないのですよ。しかし電気の供給ということは一体、どういうことです。供給ということは、電気事業者は電気を売るのが商売、お客様に電気を供給するのですから、電気を供給するしないという限界はどこかといえば、その契約の契約日です。たとえば寺本さんなら寺本さんの家のメーターのついている所、あそこが供給点です。工場でいえば工場の変電所なんです、メーターのついている所。(「それはわかっている」と呼ぶ者あり)そこで供給をされて、しかもそれが何ら影響がないということであれば、途中の道行きはどうあろうと、それは触れない。それだから、この問題は、沢田さんもだいぶ困られたようだ。そこまで私が質問していくと、少し立論が乱れているように思う、大へん失礼な計い分だけれども。あなたが朝から筋道を立ててきわめて理論的に御解明になりましたが、私はその御解明になったことをそのまま、さかしまに聞いておったわけです。そうしますというと、今のようなまことにとんちんかんなところで結論をつけなきやならん二とになりましたが、その点は、電気がそういう性質を持っておるのだということは、どうぞ一つ御理解を願いたいと私は思うのです。全然支障を与えない。供給という問題はどこに供給するのですか、これは需用家先に供給するのですから、その点では、沢田さんの今の御公述の、私の質問に対してお答えになりました末段の方は、あえてスト規制法を合法である、こういう工合に合理づけるために、まあ非常に苦しい御答弁をなさったようでありますが、重ねてもう一ぺん御所見を承わっておきたいと思います。
  71. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) もう一ぺん私の意思をはっきり申せということでございますか。
  72. 栗山良夫

    栗山良夫君 ええ。
  73. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 御指摘の例は、第二条に規定しておりまするところの「電気の正常な供給に直接に障害を生ぜしめる行為」ということに該当する、従いまして、すなわち第二条違反であると、かように考えるものでございます。
  74. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうすると、電気の供給というものはどういうふうにお考えになるわけですか。電気の供給に直接、何ら、間接にも障害を与えないじゃないですか。お客様のところへ供給してですよ、あなたならあなたのうちの玄関か、あるいはお勝手か知りませんけれども、そこについておるメーターですね、あすこが取引点なんですから、電気事業者と需用者と。そこへ電気が供給されて、その電気が何ら迷惑をしないということです。何ら少しも迷惑しない、こういう状態にあるときに、私が今電力事情をずっとお話しして、そういうことが明らかになった。もしそれについて御反論があれば、私ももう少しお答えをしてここで議論をしたいと思いますが、そうじゃなくて、それはお認めになった。そうするというと、電気の供給に、第三条でひっかかるとおっしゃるけれども、今のようなやり方では何にも供給に支障ないじゃありませんか。そこなんです、問題は。どこに支障がありますか。
  75. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) どうもお尋ねの趣旨が、私それ以上わかりかねるのですが、結局さような水力によって発電をする、そしてそれを送電する、こういう発送電計画が通産省方面において一応認可された。その認可計画に基いて発送電が行われておるものと私は了解いたします。従いまして、そのような状態において、今のような職場放棄が行われるということになりますれば、そういう計画に乗っているところのその正常な供給というものを阻害することになるのでありますからして、これはすなわちここにいうところの電気の正常な供給に直接……。
  76. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうすれば完全に、会社でいえば経済的な若干損失を受けるけれども、会社は争議中だからということだが、石炭を買い込んで努力すれば、いささかも需用者に迷惑をかける必要がない。それすらもいけないというのでは、完全にあなたは資本家代表の保護弁護士にすぎない。それはまあちょっとおかしいのだが、それはけっこうです。  この問題は、労働大臣も最初からお聞き願っておりますから、よくおわかりになったと思いますので、またいずれよくお聞きしたいが、一ぺんだけ労働大臣から……。
  77. 千葉信

    委員長千葉信君) それは、公聴会ですから……。
  78. 山本經勝

    ○山本經勝君 万仲公述人にお伺いをしたいのだが、先ほどお話の中で、特に炭鉱保安確立されておらない状態が起った際に起る被害や問題点を、非常にるる御説明になりました。結果的に申しますと、その通りだと思う。私も炭鉱屋でございますので、御説明の模様はよくわかります。ところで、お伺いをしたいのは、炭鉱のいわゆる鉱山保安法でいう保安の責任者は、これは保安管理者である。こういうことはもう申し上げるまでもないと思う。さらに、この保安管理者の下には保安係員というのがおる。これはいずれも特定の人を一定の国家試験によって任命した形になっておることは、御承知通りであります。そういう状態であって、保安の作業に従事する労働者は、これまた同じ鉱山に雇用を受けた労働者ではありますが、特定人ではないということは、これ御承知だろうと思うのです。それでもしお話のような鉱山保安確立が、一般的に申し上げて、異常な状態が起るということに対する責任は、一体どこにあるのかということを、第一点、まず明らかにしていただきたい。
  79. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) ただいまのお話は、保安管理者は鉱山保安法……。
  80. 千葉信

    委員長千葉信君) 御静粛に願います。
  81. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 鉱山保安法によって任命されております。またその下に保安係員もおります。その下に保安要員と称しますまあ労務者の人々がおられますが、それらの構成のもとに鉱山保安がなされておるのでありますが、保安の責任というものは、鉱業法によりまして、鉱業権者が一応持っております。それを実際にやります組織として保安管理者がある、こう心得ております。ただいまのお話の中で私ちょっと疑念を持ちますのは、保安係員というのは、職員階級で保安係員がございますが、この職員階級の保安係員のうちにも労働組合に所属する人もあります。従いまして、ただいま問題になっております保安法規というような問題の場合も、その内容の一部をなすものもあります点を、念のため申し上げておきます。
  82. 山本經勝

    ○山本經勝君 そこでお伺いを続けてしたいのは、この保安要員と申すのは、一般鉱員の中の不特定の人々である、こういう点はどうお考えになっていますか。
  83. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 労務者の保安要員のうちには、不特定なものもございましょうけれども、保安の仕事に従いましては特定なものが相当おりますと思います。
  84. 千葉信

    委員長千葉信君) この際お諮りいたしますが、沢田喜道君から先ほど申し入れがありました通り、時間になりましたので退席を願うことになっておりますが……。
  85. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 沢田さんにお尋ねいたしますが、大へん時間をおせきのようなので、一つ一点だけお答え願いたいと思います。
  86. 千葉信

    委員長千葉信君) ちょっとお待ち下さい。沢田さんの御意向を確かめましたところ、最大限度十五分ということですから、一つ、三人質問者があるようですから、簡潔に……。
  87. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 五分くらいです。今沢田さんは、あらゆる関係、角度から考えられて、本法の存続は賛成であるという賛成論のようでありましたが、しかもその賛成の立場であられるあなたが、率直に公平な立場から考えて、この本法はきわめて労働者に対して一方的に制約されたものである、従って、本法は存続した場合において、将来資本家と申しますか、経営者側が本法の上にあぐらをかくようなことがあってはいけないということをおっしゃったわけなんですが、われわれ立法に参画する上におきまして一番問題になるのは、そこであります。何か、ただ経営者側が本法によってあぐらをかいていけないというような謙虚な気持でおるというだけでなく、何かその間に具体的にそれに対する名案と申しますか、腹案がありましたならば、一応御提出願いたいと思うのですが、ただ経営者側が自粛し、あぐらをかいちゃいかんというだけでは、どうも私としては取扱いの上において非常に困難を感じるものですから、何か妙案でもございましたら、お聞かせ願います。
  88. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 知識経験の豊富な委員皆さんの前で格別私から御披露申し上げるほどの名案もないわけでございます。ただ、率直に私の感じを先ほど申し述べたような次第でございます。
  89. 田畑金光

    田畑金光君 沢田さんにはいろいろ質問がありますが、時間の関係もあるようですから、一、二にとどめますけれども、先ほどの公述の中で、お話の中に、東大の有泉教授、あるいは一橋大学の吾妻教授等々が、たしか停電ストでありますか、この問題等については反対のような、停電ストを禁止するこういう立法については賛成であるかのような、何かお話があったように聞き取れましたが、これは事実問題として少し確かめておきたいと思いますから、もう一度簡潔にその辺の説明を願いたいと思います。
  90. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 私が吾妻教授、有泉教授のお名前を出しましたのは、停電ストについてではございません。先ほど申しましたのは、鉱山保安についての点でございます。この労調法第三十六条について、御承知の註釈労働関係調整法という本が、東京大学労働法研究会という名前で出版されております。有斐閣でございましたか。その中に、三十六条の逐条解説の中におきまして、鉱山保安の問題に言及しておるわけであります。そしてこの三十六条では、人に対する危険というものを防止する観点から規定されておるものであるけれども、物に対する部分についても、やはりこれはその方法いかんによっては不当な争議行為となる場合がある、従って、三十六条があるだけのゆえをもって他のものは不当にならないというふうな解釈をすることは間違いである、こういう趣旨の解説がございました。それを私頭に描いて、先ほど申し上げた次第でございます。
  91. 田畑金光

    田畑金光君 よくその点はわかりましたが、それと関連いたしまして、お尋ね申したいことは、労働法学者の見解、あるいは少くとも憲法学者の見解等を承わってみますと、スト規制法案について賛成を表明されておるというのは一人もないわけであります。一人もという表現を使って妥当かどうかは問題でありますが、とにかく賛成者の学名をお呼びしようといっても、なかなか、国難院大学の北岡教授以外には見出し得ないと、こういうのが現在の状態でありまするが、こういう点は一体どういうように沢田さんとしてはお考えになっておられるか。  それからもう一つ、ついでにお尋ねいたしますが、先ほどのお話の中にもありましたが、本法を廃止するということになってくると、今度は一般に適法だという誤解を生じて混乱を巻き起すであろう、であるから、この法律存続しなきやならんのだ、こういう御説明でありましたが、先ほど野村教授からもお話がありましたけれども、政府は、とにかくこの法律については創設的な規定ではないんだ、あくまでも宣言的な、確認的な規定にすぎないんだ、既存の法律に基いてかくかくの争議行為は違法であり不当であるということは明確に示されておるが、しかし、なお十分関係労組の自戒がないから、この法律で新しく確認をしたんだと、こういう説明をとっておるわけでありますが、先ほどの沢田さんのお話を承わりますと、この点について政府の考え方と食い違いがあるようでありまして、結局、この法律一つの創設的な規定であるというのが妥当のような結果になると思いますが、この点はどうお考えになられるか。  それから第三の点としてお尋ねいたしますことは、先ほど重枝公述人からもお話がありましたが、客観的な労働情勢がよくなってきた。これは政府も認めておるわけです。しかし、この法律をまだないものにするほど十分労使の慣行あるいは良識というものが成長していない。しかし、過去三年間、際この法律が適用されていなかったということも事実であります。で、こういうことをかれこれ考えてみたとき、さらに労働組合の中でも、特に電気産業においても新しい組織が生まれて、電労連等ははっきりとこういう争議行為に訴えないんだ、まあこういうことを労働大国も政府みずからも認めておるわけです。であるならば、こういう法律が必要でないんじゃないか、こういうことになってきますと、あってもじゃまにはならんだろう、こういう切り返しで来るわけで、これは明らかにあげ足取りの論議というほかはないんです。で、もう少し私は法律というものは、実態に即して考えなければならん。社会的な動きがほんとうにその法律を必要とするかどうかということによって法律の存立の価値というものが出てきょうと思いますが、この点について沢田さんの御意見を承わっておきたいと思います。
  92. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) お答えいたします。  第一の、本法の存続の可否について、労働法の学者などは、北岡さん以外には来ないん、だがどうかということでございますが、実は、本日この席に参りまして、ただいまさようなことを伺いました次第で、格別今までさようなことについて考えてみたこともございませんので、申し上げるほどの知識もございません。  なお二番目には、本法はいわゆる、政府の説明によれば、宣言的あるいは確認的な立法であると言うてるが、お前の話によると必ずしもそうでないように聞こえるがどうかと、こういうお尋ねでございました。私は政府のこの提案理由を拝見いたしますと、まあそのようにも拝見できるようにも思いまするが、私の考えは、この法律はいわゆる従来の違法とされておりたものを違法なりと宣言し確認した分もありまするが、また、それのみならず、新たにこの法律によって一つの法規範を設定した分もあると、かように私は考えております。この法律についての私の見解は。そういうふうに、いわゆる宣言的という意味は、大体従来の違法としたものを宣言したんだという意味の御質問だと思いますが、そういう部分もありまするが、新たな法規範を設定したものもあるのではないか、かように私は考えております。  それから第三の、電労連などの動きという実情に照らしてみた場合に本法は必要がないんではないか、こういうお尋ねのように承わりましたが、私はその点は、先ほど申しましたように、電労連だけの姿でまだ十分だというんではなくして、先ほど申しましたように、電産の過去三年における動きがありますし、炭労のああいうスト指令もございますし、なお炭労傾向ということからかんがみまするならば、結局本法を廃止いたしまするというと、法的には非常に不安定な状態におかれるのじゃないかということを、実務家の一人として考えるわけでございます。その意味で必要であるということを先ほど申し上げたようなわけでございます。
  93. 田畑金光

    田畑金光君 創設的な規定も含んでおるという御答弁がありましたが、その創設的な部分というのはどういう点であるのか、それを教えていただきたいと思います。  それから第二の問題といたしまして、政府の答弁を聞きましても、先ほど来の公述人のお話を沢田さん自身もお聞きになっておると思いますが、この法律がなお必要であるのは、労働組合の中にこういう法律に該当する争議行為をやることがあるから必要だ。具体的にどこだというと、炭労の場合がたびたび例に引かれているわけです。しかし、少くともわれわれが今まで聞く限りにおいては、電気関係組合においてそのような事例があったり、あるいは指令が出されたり、こういうことは聞かないわけであります。問題を限定して私は尋ねるわけですが、そうなって参りますると、先ほどのあなたのお話を聞いてみましても、なお電気関係では両組織がせり合っているのだ。これはちょうど倉石労働大臣がいつも答弁しているのと同じ言葉なんです。どっちが教えられ、どっちが教えたか、それは別といたしまして、とにかく同じ表現が用いられておる。それで私は石炭関係は別にいたしまして、この電気関係の部門に限定して申し上げますが、少くともそのような事例が過去三年間なかった、戦術としてもとられなかった。そうしますと、しからば電気関係についてはこの法律は必要ないと言い切れるのではなかろうか、こういうふうに考えますが、この点はどういうことになりましょうか。  それからもう一つ、関連してお尋ねいたしますが、判例がこういう傾向にあるからどうもこの法律が必要であるという立論のようでありますが、少くとも私たちは判例の権威は非常に尊重したいと思うのです。しかもまた三年前の国会においてこの問題が取り上げられた際に、当時の労働大臣あるいは政府の説明では、常にまだ判例が成熟していない、こういうようなことで、判例についてもまだ五分五分である、こういうわけです。ところが、野村教授の説明にありましたように、昭和二十七年の判例においても方向ははっきりしているわけです。少くとも実務家としての沢田さんといたしましても、私はこの判例の傾向というものは尊重すべきであるというような感じを持つわけですが、ことに私は三権分立の今日において裁判の権威というものは尊重したいと思いまするが、それを行政解釈によって曲げようということは、三権分立の思想からいっても行き過ぎだと、こう考えますが、この点についての沢田さんの見解を承わりたいと思います。
  94. 沢田喜道

    公述人沢田喜道君) 第一の、本法は創設的な部分があるというのはどういうことかというお尋ねでございますが、まあ私は今思いつきましたのは、先ほども例にあげましたが、給電指令所の従業員がその職場を離れるということ、これは先ほど私が違法な理由の一つとしてあげました。労務の不提供という面から申しますならば、これは違法とされる理由はないのでありますが、いわゆる法益均衡というような観点からその取締りの必要を認めまして、給電所の従業員がその職場を離れるということによって、電気の正常な供給に障害を加えるという危険性があるというので、これは本法のいわゆる規制の対象になったものである、かように考えるものであります。  それから二番目の点でありまするが、電気の方では、炭労はいざ知らず、電気の方ではそういう違法なスト指令を出したようなことはないのではないかというお尋ねでございますが、私はこれは伝聞でございますので、私の申し上げることが果して事実をその通り申し上げることになるかどうか、先ほども冒頭に申し上げましたように、これは一つ直接本日午後出るところの会社関係の人にお尋ね願いたいと思うのでありますが、私が聞いておりますところでは、何か中国電力坂火力発電所の事件とか、あるいは塵埃処理に関する東京電力あるいは九州電力、北陸電力関係の発電所に、これに当てはまるやの疑いのある事件が起きたとか、あるいはその指令をしたものがある、こういうふうなことを私承わっておりますので、この知識に基いて申し上げた次第でございます。私の事実のつかみ方が間違っておれば、これは訂正するにやぶさかではございませんが、私はあまり詳しいことは存じませんですが、そういうふうに私は理解しておる次第でございます。  それから判例の傾向にかんがみてお前どう思うかということでございますが、要するに、判例はまだ下級審の判例でございまして、くどく申し上げるようでございますが、最高裁判所のこの種の行為に対する判例はまだ一つも出ておりません。従いまして、下級審の判例は、先ほど申し上げましたように、必ずしも方向は帰一されておらんというふうに私は考えておるのであります。そういう状態にかんがみますならば、本法はやはり存続させる必要があるのじゃないかということを申し上、げた次第でございます。
  95. 千葉信

    委員長千葉信君) 委員長は、これ以上沢田君に対する質疑を継続することを不可能と存じますから、御了承願います。他の方々に対する質疑をお願いいたします。
  96. 山本經勝

    ○山本經勝君 先ほど質問中、中断されましたので、万仲さんに御迷惑ですが、先ほどお話しのように、炭鉱における保安の最高責任者は鉱業権者である、そうして保安管理上の職務を帯びておるのが保安管理者である。それでその下に係員、こういう系統については私どもも了解しておる。それでいわゆる保安に関する業務があると思うものでありますが、それについては特定のものもあり不特定のものもあるというお話でございました。そこで一応この範囲をこの際お話し願っておきたい。
  97. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) お答えを申し上げる前に、一身上の都合を申し上げたいと思いますが、いかがですか。よろしゅうございますか。
  98. 千葉信

    委員長千葉信君) どうぞ。
  99. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私は先刻、午後三時に座談会があるのでと申し上げたのでございますが、午後三時は座談会が始まる時間でございます。その前に御飯をいただいて、事務所へ行って資料を持って会場に行かねばならん。どうかそのことも一つ御勘案願いたいと思います。と申しますのは、私が三時と申しましたので、他の公述人がだいぶ御迷惑のように見受けられますので、どうか一つ御勘案願います。
  100. 千葉信

    委員長千葉信君) そういたします。
  101. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 大へん失礼いたしました。お答え申し上げますが、特定と不特定との区別というお話でございますが、これは保定要員の場合は多くの場合は特定の仕事をするのでございます。ただ、坑内の巡視とかいうふうなある程度特定でなくてもいいものができる仕事もあるのでございます。従いまして、普通の場合は保安管理者は特定人に対して業務命令を発して保安の要員として就業させるのでございますが、私の知っております限りにおいては、一部炭鉱の実例としまして、主として不特定の保安要員につきましては、何人ということで、労働組合と協定をして人を出してもらっておるという事例もあるやに聞いておりますが、原則としては、これは保安管理者は保安管理者の職権上、ある特定人に対して、お前出ろという業務命令を発する権限を持っておると考えております。
  102. 山本經勝

    ○山本經勝君 続いてお伺いしたいのです。私伺っておるのは、どういう種類の保安業務があるかということをまず基礎的な問題として伺っておるわけです。
  103. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私は技術者でございませんので、こと詳細にその状況は知りませんが、具体的に申しますと、全部網羅しておらんでしょうけれども、炭鉱保安の仕事と申しますのは、水が出ますのを、外へ水を出しますポンプの監視、管理をする人間であるとか、あるいはいろいろの機械を運転をしております――この機械のうちにも、ガスの排除であるとか通気というような意味合い関係に属しておりまして、仕事がなされておろうがおるまいが、その鉱内をある状態に保たなければならん仕事に従事しておるもの、それから先刻申しましたように、異常がないかということで鉱内を巡回してその状況を常に調べておかなければならんという任務に属するものが、鉱内における主たる保安関係の仕事の内容であろうと存じます。鉱外は、なお鉱外にあります扇風機の番人と申しますか、管理をしておる人間であるとか、そういうものはございますが……。
  104. 山本經勝

    ○山本經勝君 ただいまのお話ですと、排水、通気といったようなものが重点になって、そのほか鉱内を回ってですね、何といいますか、常に注意を払っておるというようなお話ですが、これは特定な人間をそれぞれ炭鉱において任命をしておりますか、実情を一つお話し願いたいと思います。
  105. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 特定な任命を、保安要員として、お前はこの炭鉱の番人としての保安要員であると指定しているかどうかということは、私はよくは存じません。
  106. 山本經勝

    ○山本經勝君 そうしますと、この排水、通気、その他巡視と申しますか、そういったような業務以外には保安要員はない、こういうように考えていいですか。
  107. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) まだあるでありましょうが、私は技術者でないのでよく存じませんと申し上げたのでございます。
  108. 藤田進

    藤田進君 ぎりぎりまでいいのですか、私は万仲さんの御高見を伺いたいと思って待っているのですが。
  109. 千葉信

    委員長千葉信君) 質問の順序は、先ほどからきまっております。
  110. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 他の方に御迷惑でなければ、私は二時までよろしいと思います。私だけのことでございます。これは。
  111. 山本經勝

    ○山本經勝君 それで、ただいまのお話ですと、排水、通気、あるいは巡視等、こういったような保安業務に関する特定人の任命はどうなっているかは存じない、それからまたその他の保安業務に従事する鉱員があるかないかということについてもおわかりでない、こういうことでございますか。
  112. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) はあ。私の知っている範囲のことを申し上げましたが、まだこのほかにあろうと思いますけれども、詳細にこれで全部だと申し上げるだけの知識を私は持っておらないと申したのでありますが、具体的に申しますれば、ハッパをかけたりするときのハッパ係員とかいうような保安係員はありますが、今問題になっております関係のことを申しますと、私は今申し上げたようなことが主たるものであろうと存じまして、このほかの例を網羅してお答えするだけの、私は技術者でないから、お答えするだけの知識を持っておりませんので、これ以上申し上げられないのでありますが、私はこのほかにないという意味で申したのではありません。
  113. 山本經勝

    ○山本經勝君 ただいまの点について重枝公述人に伺いたいのですが、大体一般にいわれる炭鉱保安要員、これは保安要員といわれるものについて大体の範囲と、それからこれが特定か不特定か、その点をまず明らかにしていただきたい。
  114. 重枝琢己

    公述人重枝琢己君) 保安確保ということですが、これは先ほどもちょっと公述のときに申し上げましたけれども、非常に幅の広いものだと思います。で、極端な事例を申しますと、だれも鉱内に入らなくとも十分保安確保されるというような炭鉱もあります。しかし、ガスが非常にたくさん出るとか、水が出るとか、あるいは非常に縦盤が弱いとか、あるいは気圧が強いとかいうようなことがいろいろございますから、それに応じた形で保安確保ということを具体的に考えていかなければならん。さらにその場合でも、どの程度に保安確保するかということは、そのときの状況によっていろいろ異なってくると思います。そこでそういう点については、一律に保安確保ということだけでは無意味であって、そのときに応じた形で労使話し合いをして、どの程度の保安確保しよう、どの程度の保安要員を入れよう、こういうことに実際問題としてはなっていくというのが実情であろうと思います。多く、たとえば現実保安放棄が行われたということを経営者協議会などで出しております南島炭鉱の問題にしましても、これは保安を放棄したということでなくて、保安をどの程度確保する、どういう方法確保をするかということに対する私は見解の相違に基くいろいろなトラブルであったと思います。これは当覇者が公述人の名簿の中にありますから、詳しくお調べになるとわかると思いますけれども、そういうふうな性格のものであろう。従って、保安要員にしましても、特定の者が初からきまっておって、保安確保するという場合には、だれとだれはもう必ず出なければいかん、あるいは最初から、雇用契約のときからそういう意味で雇用せられているというような性格の者はほとんどない。私はないと言っていいというふうに考えております。
  115. 山本經勝

    ○山本經勝君 もう一度万仲さんにお伺いしたいのですが、実際の争議に当って一応お考えになってみていただきたいと思うのですが、従来やっている慣行は、先ほどあなたがおっしゃったように、ある員数を、たとえば保安要員として五十名なら五十名、あるいは百五十名なら百五十名という人員を指定して、組合と会社の中で話し合いをするということは、先ほどおっしゃった通りであります。そこでそういう場合にはこれは不特定だと言えると思うのですが、この不特定ないわゆる労働者――鉱員ですね――が、組合の指令によって行動するということになってくるのだと思います。そこで一方先ほどの排水とか、あるいは通気、あるいは巡視といったような業務について特定な任務を帯びているのは、保安係員ではないかと思うのですが、その点はどうなんですか。
  116. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) ただいまの最後のお話は、保安係員もありましょうし、保安要員として仕事をしている労務者もあると思います。それから組合と何名といろ約束がなされる慣行があるということは、これは現場の事情を御存じのようでございますので、私も――私はさっきも申しましたように、技術者じゃありませんから、あんまり完全に知らない。あなたの方がよくお知りのように存じますのでありますが、これは何名というお互いの協定はいたしますけれども、保安確保をするために役に立つ人間でなくちゃ、ただ人数だけがあっても何にもならない。そのためには、保安の業務というものは、一般の採炭の仕事などというもの心は違いまして、特定の知識を持たねばならんものが多いのであります。従いまして、何名という約束は一応なされますと同時に、その裏づけとして特定人が多数予定されるということもありますし、また初めから問題なくこの人間は保安要員だというふうに、実際きまっている実情にある者もたくさん一いると存じます。
  117. 山本經勝

    ○山本經勝君 今のお話ですと、あまり炭鉱内のことは御存じないわけでもないと思います。その特定人とは一体どういうものかということを一応伺っておったわけなんですが、その点、どうなんですか。
  118. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 特定人と申しますのは、まあ具体的に私の知っている範囲を申しますれば、ポンプの運転手でありますとか、あるいは通気に属する特定の人間であるとかいうようなものがありましょうけれども、その他の関係につきまして特定人がだれか、だれかとおっしゃいますと、そういう点にまで私は知識を持っておりませんので、お答えいたしかねるのであります。
  119. 山本經勝

    ○山本經勝君 これは私の経験からいいますと、坑内保安でいう資源の滅失という問題、あるいは施設の荒廃という問題もあるでありましょう。そういうことをさせないようにするという保安業務は、私の考えでは、もっと幅の広いものであるし、切羽の面も必要であれば、坑道の補坑も必要である。そういうことのために、大体従来の慣行からいいますと、労働組合争議をやる、そうすると、指令を出して、何月何日あるいは時限ストというような形で闘争がやられます一その際に対象になってくるのは、さっき重枝さんからもお話がありましたように、やはり一定のワクを与えて、その中で話し合う。すなわち特定の人でなくて、不特定の一般鉱員を保安関係の業務に労務の提供をしておるというのが実態であるように思う。二の点、万仲さん御存じなければ、一つそういうふうに理解をしておいてもらいたい。  そこで万仲さんに伺いたいのは、今の保安要員と称するものが特定の者であるということになりますと、何の何がしは何々の保安要員であるというような、はっきりした線が出てくる。係員の場合には、先ほど申し上げましたように、非常にはっきりしておる。これは国家試験によって資格を認定せられて、辞令をもらった職員であります。ところが、そうでない人がそれを代行している。たとえばハッパ係りについても代行をすることを許されておる。そういうようなことでありますから、今の保安という業務が作業上必要があるので、組合に対して会社側が、争議に当って保安要員の提供というものがなされ、そこで協議されるという慣行については、あなたは御存じないとおっしゃいます。そういう技術関係はわからないとおっしゃられますが、そういう点では当然、日本石炭協会という重要な直接関係の衝に当っておられるのだから、おわかりだろうと思います。その点を一つ明らかにしておいていただきたいと思います。
  120. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) ただいまのお言葉、私が明解なお答えが申し上げられないのを大へん遺憾に存じます。その点恐縮に存じますけれども、おわかりでなければこういうふうに解釈しておいてくれとおっしゃいますと、私はわからないことを、そうでございますと申し上げるわけにもいかんのであります。その点は私は、くれとおっしゃっても、その通りには参りません。
  121. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 私は野村教授にちょっとお尋ねしたいのですが、先ほど野村教授のお話のように、不便という程度では公共福祉を阻害するとは言いがたい。従って、電車がとまったことくらいでは、そういうことにはならない。電車がとまれば、ストをやっておる人の生活権を考えて、自転車で行け、こういうふうなお話がございましたが、間違いございませんね。
  122. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 大体そう要約してもよろしいわけでありますけれども、ただ少し補足をしておきたいのは、公共福祉という今のおっしゃったような意味の中で、私の解釈と違うおそれがあるかもしれんという点を申し上げておきたい。公共福祉のために基本的な人権を制限するという意味で、公共福祉というものを言っておるわけで、ただ一般に公共福祉と、こう常識的な意味で申し上げておるわけではございません。
  123. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 次にお尋ねしますが、そうすると、電車がとまったり汽車がとまったりすることが、公共福祉を阻害するとは、どの程度のことをお考えになっておりますか。
  124. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) これは非常に具体的な問題になると思うのです。だから、そういうことの結果として、たとえば国民の生活に対する生存を脅かすような状態が出てくるというようなことになると、これはやはり考えなくてはならんのじゃないか、こういうふうに思っております。
  125. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 それでは、電源ストで電気がとまって、電車がとまるといいましても、信号が一緒にからんでおりますから、衝突して人命が損壊されるというような非常な危険がある。それも御存じの上であれでございますか。
  126. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 別に、電車がとまれば衝突の危険はないと私は思うのですけれども……。(笑声)
  127. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 私の説明が足らなかったかと思いますけれども、も源ストで電車がとまるということは、信号がとまるということであります。だから、電車は、も源がとまっても動くということであります。暫時の間。そうすると、それによって起る危険がある、あるいは電燈が、ポイントが狂ってくるということがあるが、そういうこともお考えの上かということ。
  128. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) もちろん、いろいろそういうような事例は出ると思います。だから、一般に公益事業労働者争議をやるときにも、決して抜き打ち争議をやっておらないわけです。それに対しまして、一定の争議を公示し、予告を与える。法律は予告制をしいておりますが、予告制をしかない場合におきましても、全般的には予告をするというのが常識になっておりますし、まあ、予告をせずにやったという例はちょっと、私伺っておりません。そういう意味で、日本においては必要がないと、そういう議論なんです。
  129. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 それではですね、たとえば、東海道の列車がですね、二、三日とまるとかというようなことは、やっぱり公共福祉を阻害するというようにお考えですか。
  130. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) お答えします。そういう問題になりますと、公共福祉に害があるかどうかということはすぐにはわかりませんし、その結果からだんだんに出てくるわけなんです。汽車がとまると物資の輸送がとまるという、そのために食糧事情が窮迫するということが見えてくるというような場合には、例の緊急調整の制度があるわけです。私の公共福祉論は、実はこういう法律を置く必要があるかどうかという点で申し上げておりますので、そちらの方へ一つ持っていっていただきたい。
  131. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 もう一つ、先ほどの野村先生のお話で、労働者争議権ですね、これをかりに制限すると、基本的の人権等とからむのですが、そういう意味合いから、公共福祉の方からいえば……。労働者の方の公共福祉があるのだということをおっしゃいましたね。そこで、先ほど汽車がとまったりして、そうして一般にいろんな工場がとまったり、あるいはいろんな他の労働者が影響をこうむります。そういうときの関係はどういうふうにお考えになるのですか。
  132. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) それを私、実は先ほど、社会においてそういう慣行が生まれてくると、つまり認容の限度というものが自然に出てくるのだということを申し上げたわけです。つまり、そういうことが行われるうちに、このぐらいのところが限度であり、これからはがまんができないのだという慣行が育つので、争議権を禁止してしまうと、そういう慣行が育たなくなるということを申し上げたのです。
  133. 木島虎藏

    ○木島虎藏君 一応わかりますがね。こうすればこうなるというはっきりした結果のわかる今の電気の問題とか、炭鉱の問題でですね、石炭がなくなると汽車が動かなくなる、そういうはっきりしたことも、そこまで痛い目に合わんと慣行が出んと、こういうような行き過ぎを通らなければいかんと、こうお考えになるのですか。
  134. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 実はそういう形で、すぐ問題が現実には少しも発展しないわけなんですね。つまりいろいろ争議が従来までありますけれども、もちろんこれでがまんができないという程度まで国民全部が考えるほどの事態がまだないというふうに私は考えておるわけなんです。まあ、どの労働者にいたしましても、自分ストライキをやるということになりますと、ほかの人のストライキに対してもやはり寛容の気持が浮んでくると。そういう寛容の気持というものを育てなければ、私は、やっぱり母主主義は育たないのじゃないか、こういうことなんです。
  135. 田畑金光

    田畑金光君 野村先生にお伺いいたしますが、今の労働者の生存、労働者の生存ということも一つ公共福祉なんだとおっしゃいましたが、今いろいろ御議論のありました通り、非常に広い範囲という場合と、それから一つ職場労働者の生存またはその生活というふうなことも、公共の福利というふうにお考えになりますか。
  136. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 実は私はこういうふうに考えているのです。ある時期にある職場争議をやりますと、その労働者は少数にそのときはなっております。しかしながら、ほかの争議権を行使するという場合を考えまして、勤労者全般ということを考えたときに、勤労者全般の生神権を守るための方法は、一体どういう方法であるかというと、今の場合、自分労働力をどれ、だけで買ってもらうか、どれだけの条件で働くかという交渉力の問題になるのです。だから、そういう交渉力をとってしまうと、やはり生存を守る手段がなくなるようなおそれがあるから、そういう意味で、やはり労働者の生存に対する危険としての公共福祉というものを考えたい、こういう意味一つと、  それからもう一つは、大体公共福祉という考え方は歴史的にもずいぶん変ってきていると思います。かつては企業の自由をそのままに放任することが国民多数の幸福になるんだという考え方を言った学者もあるわけです。またそういう考え方が受け入れられたのは、大体資本主義の発展の時期にはそういう考え方が受け入れられたと思うのです。しかしその後になって参りますと、今度は失業者がたくさん出てくるということになると、失業者のためにいろいろな社会保障的なことをすることも公共福祉だ、こういうような考え方も出てくるわけであります。ですから、公共福祉ということは、考え方として、決して資本家の自由な活動だけを擁護するという考え方でもなければ、ただ単に普通の人が迷惑をこうむるという考え方でもなければ、やはり国民の生存に何らかの意味で影響があるということを中心として考えるべきだ、これが公共福祉の全般的な私の考え方なんです。そういうことをただ基本的人権との交渉という場面で考えた場合には、かなり厳密に考えなきゃ基本的人権という意味がなくなるわけですから、その意味でいろいろ限定して考えておるわけであります。
  137. 小幡治和

    ○小幡治和君 今非常に広い範囲を言われましたが、広い範囲でなくて狭い範囲一つのたとえば炭鉱なら炭鉱という狭い範囲、そうして連合でゼネストをやるというのじゃなくて、その炭鉱だけを考えた場合、労働争議というものは、要するに資本家と労働者とがどちらが太るかということなんです。(笑声)そういう意味において、今度はそれをやることによって、その太る太らぬの問題じゃなくて、命もなくしてしまう、元も子もなくしてしまうという場合、たとえば炭鉱なんかで保安労務をやらないというためにその炭山そのものをつぶしてしまうというようなときになった場合、これは一つ争議としては基本人権でしょう、両方自由にとことんまでやるのが基本人権でしょうが、そのことをやり過ぎることによってその元も一もなくすという立場になったときに、それを公共福祉ということによって優先させて、基本人権から優先させて救い得るか。それはすなわち資本家の擁護じゃなくして、労働者の生存生活というものの擁護も公共福祉であるとするならば、そういう場合においても制限して、いわゆる公共福祉労働者公共福祉というものが優先すべきじゃないかというふうな、ぎりぎりの衝突の場合にどちらをとるかという問題、基本的人権と、そういう意味公共福祉という問題、その点を一つ承わりたい。
  138. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) 実はぎりぎりの場合というのを想定されましたが、実は私はそういう想定をいたしていないわけなんです。それはなぜかというと、実際には自分の命までもなくするような争議組合として決議をしてやるという事態は、おそらく多数決ではきまらないと思う。(「その通り」と呼ぶ者あり)今そういう状態が、労働組合法の方で多数決で争議権の行使を決定するという方法があるわけですから、民主的な運営というものを、その面をやっていけば確保できるんじゃないか、こういうふうに考えておるわけなんです。で、そんな無鉄砲な争議行為というものがかりにもし起るとすれば、それはそうやらなきゃ死んでしまうというような状態でも出た場合は格別、おそらく幾ら経営者でもそこまで労働者を覚悟させるようなことは、私は、労務政策というものはやらないんじゃないか、こういうふうに考えておりますので、もっと実は楽観しておるわけなんです。その点については。そうしてただ万一ほんとうにそういう事態が来たらお前どう考えるかといったら、それは私もそういう事態が来ちゃ困りますという点においては、少しも変りないわけであります。
  139. 大矢正

    ○大矢正君 万仲さんにお尋ねをいたしたいと思います。二、三あるのですが、最初はこれは参考のためにお聞きいたしたいと思うのですが、私どもの組合の幹部の意見を聞いておると、この法律ができ上ってから三年、あるいはまたそれ以前においても、そう大きな数の保安要員の差し出し拒否とか、あるいは撤収とかいうものはなかったように聞いておるわけです。先ほど万仲さんのお話を承わると相当数あるようなことなんで、一つできれば炭鉱の名前もあげてお知らせをいただきたい。
  140. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私の申し上げましたのは、人数で何人とかいうことではございません。私は一件でもそういうことがあるということは不都合だと、こう考えておりますのですが、具体例とおっしゃいますが、具体例は時間の関係で申し上げませんでしたが、日本石炭鉱業経営者協議会ではこういうのをこしらえておりまして、お手元に行っておると思うのですが、ごらんになりませんか。
  141. 大矢正

    ○大矢正君 見てないですね。
  142. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) それじゃ、これをちょっと読みます。経営者協議会で出しております見解のうちにありますのは、十二件ございます。これは先刻も申しましたように、保安放棄の指令をしたのと、保安放棄をすると、場合によってはするということをある会合で確認したのと、保安放棄をしたのと、みなあります。  二十八年の十二月に、賃金交渉のときに、ロック・アウト対策として、保安放棄の指令を炭労としてやっております。  二十九年十二月の期末手当交渉のときに、重点スト中の三菱高島炭鉱保安放棄を実施いたしております。(「爆発したかな」と呼ぶ者あり)爆発するとかせんとかいう問題とは、これは違う。  三十年の二月、三月に、賃金交渉のときに、交渉方式並びに額の問題で、ロック・アウト対策として、保安放棄をして、これは二回やっております。  三十年の七月、期末手当交渉のときに、重点ストの北炭――この北炭二山というのは私知りません、あとで申し上げてもいいんですが、北炭の山二つです。前項同様の指令をいたしております。  三十年十月、十一月の臨時大会で、保安放棄の必要性を確認しております。  三十年十一月、三菱の企業整備反対闘争に当って、同様の指令をいたしております。  三十年十二月、期末手当闘争で、重点山、住友追加闘争で大正鉱業の中鶴炭鉱で同様の指令をいたしております。  三十一年一月、長期計画交渉で、北炭、住友、古川、雄別に同様の指令が出されております。  三十一年二月、三月、賃金交渉で大手十四社に同様の指令が出されております。  三十一年五月、定期大会で再確認がされております。  三十一年七月、古河大峰炭鉱ストで、さらに決定がなされております。  三十一年十月、臨時大会で再確認がなされております。  これは日本石炭鉱業経営者協議会の調査によるものでございます。
  143. 大矢正

    ○大矢正君 それでは、そういうようなことがかりに行われておったとするならば、結果として、そのことによって溢水が起きたとか、自発発火が起きたとか、爆発が起きたとか、そういう市政があったかどうかということをお伺いしたい。
  144. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私は重大なる事故があったとは聞いておりませんが、そういう状態の危険性をもたらす可能性が三菱の高島炭鉱は相当にあったということを、これはもちろん私よりも明日公述いたします三菱の常務の大槻文平氏の方がよけい知っていると思いますので、私は詳細な内密はよく存じませんが……。  それからこの指令はしたが、いろいろ交渉の経過において、寸前に回避されたという問題が相当ありますが、これは外部にはちっとも現われておらんかもしれませんが、こういう事柄は私どもは困ると存ずるのでありまして、こういう事態がこの中には相当あると思います。
  145. 大矢正

    ○大矢正君 主観の相違がありますから、これ以上その問題について堀り下げてもしょうがないと思うのですが、次に、先ほどやはり万仲公述人発表された意見の中に、経営者の首をつかまえて振り回すような、こういう内容を持った保安要員のいわゆる引き揚げと申しますか、差し出し拒否と申しますか、こういう争議は全くけしからんというような御意見がありましたが、それを考えてみると、いわゆる経営者の首を押えつけるような、いわゆる力を持ったこういう内容はいかんというのは、何かしら、あまりにも経営者立場からものを考えた内容ではないかというように私は感ずるのですがね。少くともこれは、まあ私どもは委員会でこの法律審議して参りましたし、その間労働大臣の答弁もいろいろ承わりましたが、スト規制法というものは、これは公共福祉という建前から出てきた法律であって、経営者の擁護をするための法律じゃないということは、もう明らかなのであります。まあ万仲さんは経営者の代表だから、自分経営を守るためにこういう法律が必要だ、あるいはまた経営者立場を擁護するためにこういう法律が必要だということは、ある面では当然かもわかりませんけれども、少くとも法律というものはそういう立場だけじゃない。労働者だけの立場でない、あるいは経営者だけの立場ではない。少くとも公共福祉立場だ、こういう考え方で出されてきておるので、どうもあなたの意見を聞いておると、経営者の力が弱いから、それを一つ守るためにこの法律ができるのだ、こういうように聞えるのですが、その点に対してはどうですか。
  146. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私が首根っこをつかまえて息の根をとめるように言ったのは、経営者の首根っこをつかまえるというのではありません。私が言ったのは、山の首根っこをつかまえて、その山を全然だめにしてしまうということを意味したつもりでありまして、経営者の首根っこをつかまえて、経営者が弱いからどうこうということの対象にあげたのではございません。  また公共福祉ということにつきましては、先刻からもいろいろお話がありましたが、私の言いますのは、争議行為で、争議行為方法に一定の限度があってしかるべきだ、その争議行為方法の限度を越える、越えぬかというところに、公共福祉という問題があると思います。で、その山がつぶれて、生産がなくなって、重要物資がなくなるから国家に大きな影響を及ぼす、従って公共福祉を害するという場合もありましょうけれども、争議方法ですよ、争議方法、こういうことをやるべきでないかどうかということは、自然にわれわれが労働慣行がだんだん発達するに従ってわかっていくのです。そういう点から考えまして、今日でもこういうことはやっちゃいかん、首根っこをつかまえてその山をだんだんだめにして、あるいは数時間の後に水没があるとか、鉱山が水浸しになる危険性をもたらすとか、自然発火か起るような危険性をもたらすような、すぐこういう危険性をもたらすように予想されるような争議行為争議手段というものはできない。そういうものは公共福祉の対象にすべきではない。だから、そういうものは土俵の外に置くべきだ、こういう考えで申したのであります。
  147. 大矢正

    ○大矢正君 この問題も当然にあるいは考え方の相違が出てくるから、これ以上はやはり論議してもいたし方ないと思うのですが、先ほど野村先生の御意見の中にもありましたように、少くとも労働者自身がみずからも身を危険にさらすような、こういうようなところまでやるか、どうかということは、これは常識の問題です。しかも今まで戦後十年間の過去の経験を見ても、実際的にそういうような事実は起らなかった。これは起らなかった。だからそういうなかったことをあえてここで一つ仮設として立てて、こうなるからこうだという考え方では、私は非常に納得がいかんですけれども、これは当然、あなたの意見と私の意見は平行線をたどると思うので、これ以上それに対する質問は避けたいと思います。  次に、先ほどやはり言われた中で、保安要員の引き揚げとか、あるいは保安要員を差し出さないという問題、そういう問題は争議行為の範疇の一部ではないのだ、あるいは土俵の外の問題、それからさらにはこれは侵すべきものではないのだ、こういうような御意見のように承わるのですが、それでまあ私は侵すべき内容のものではない、こういう立場からの考え方でするとするならば、これはその片一方に偏したものではないのではないか。当然これは侵すべきものではない、こういう基本的な考え方が成り立つとするならば、それには当然この保安というものは経営の側にある、あるいは労働の側にあるという問題ではなくて、総体的な中に保安があるという立場、あるいはそういう状態が必要じゃないかと思うのです。たとえば鉱山保安法内容を検討してみまして、保安を守る最高責任者というものは鉱業権者だということになっております。それでは一体だれが鉱業権者になるのかといいますと、少くとも日本では、炭鉱がたくさんありますけれども、労働組合に加盟している組合員がその鉱業権者になっているということは私はないと思う。当然山なら山の所長、工場長が鉱業権者になっておる。すなわち具体的には経営者が鉱業権者になっておるのか事実であります。その鉱業権者が経営者として出ておって、それでは一体どういう立場に置かれておるかというと、鉱業権者としてこれは給料をもらっているわけではない。所長として給料をもらっている。こうなってみると、どうも保安というものはこれは労働の側でもない、経営の側でもないというものじゃなくて、明らかに経営の側に存在をするものじゃないか、このように考えられます。それからまた法理論じゃなくて、現実の問題なんですが、たとえばAという山では、こういうようにしたら非常に保安確保されるし、それから鉱山の危険性がなくなるから、こういうふうにしたいと、こういう一つ意見がかりにあったとした場合に、最終的には一体これはどこできまるかといえば、これは保安委員会という制度もありますけれども、最終的にはやはり鉱業権者と称する経営者判断によってその保安が成り立つ、あるいは作られる、あるいは施こされる、こういうふうになるわけでありますね。そうなって参りますと、当然これは単に保安の状況という立場から保安確保されるのじゃなくて、経営の側から経営の採算とか、あるいは経営の見通しとか、こういう上において保安というものが現実的には成り立っていっている。それがゆえに、たとえば労働者保安に対する要求をしても、最終的には経営者がうんと言わなければ実施ができないという現実にある。  こういうふうに見て参りますと、保安というものが非常に高いところにあって、絶対侵すべきものではないという言葉を盛んに言われますけれども、明らかに経営の一部である。保安というものは経営の一部であると、このように考えるわけであります。たとえば保安というものは、それじゃあ何のために必要なんだということになると、石炭を堀るために必要だということになる。石炭を堀った場合に、その石炭によってどうなるかといえば、経営者がもうかるということでありますから、そういう面から考えても、一方的に労働者は侵すべきものではないんだということで、押しつけられるよりな筋のものではない。あくまでも経営の一部として考えられるものであり、同時に、先ほど野村先生が言われたように、これは保安というものは労働者の責に帰すべきものではなくて、経営者がどんな場合でも最終的には措置すべき問題である、こういうように私は考えるのでありまして、あなたの言われるように、侵すべきものではないという考え方に私はどうも納得がゆかぬのですが、この面はどうですか。
  148. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) これは私は侵すべきものではないということを申し上げたつもりはないのでありまして、鉱山、特に炭鉱においては、保安という問題はきわめて重大な、まっ先に考えねばならん問題であって、保安ということがあって初めて炭鉱経営が正常に運行し、従業員が安全に仕事ができるのである、こう考えているのであります。  なお、鉱業権者は所長であろう、あるいはそこの副所長とかなんとかというものが鉱業権者だろう、給料をもらってるから経営者側に属するんだろうということでありますが、これは程度の問題でありまして、多くの場合は、そこの社長であるとか役員であるものがその鉱業権者という名前になりましょう。なりましょうけれども、事実は法人であって、その法人自体が鉱業権者であるということでありまして、給料をもらっているであろうから経営者側に属する。経営当側に属するから、経営者の一方的な判断で何もかもやるということは、直ぐに結論がでない。そういうことがありますので、特にそういう危険性、そういうことについて特別な考え方を持たねばならんということで、この鉱山保安法の今言ったようないろいろな規制がなされているというふうに考えております。
  149. 千葉信

    委員長千葉信君) 万仲君の退席をお認め申し上げます。御苦労さまでございました。
  150. 万仲余所治

    公述人(万仲余所治君) 私が言うたために、お二人に御迷惑かけたことは申しわけありません。(「残念だな」「じゃあ、またの機会に……」と呼ぶ者あり)
  151. 田畑金光

    田畑金光君 町村教授にちょっとお伺いいたしますが、これは立法技術の問題でありますけれども、付則第二項で今回の延長決議案が出てしまったわけです。この提案の仕方についていろいろ政府は解釈をとっているようですが、とにかく付則第二項によって提案する方法については、延長してもらいたい、あるいは延長してもらいたくない、あるいはいずれをとるか国会できめてもらいたい、こういう三つの方法しかない、こういうような見解をとっているようであります。ただ、われわれとして考えさせられますことは、三年間の限時立法であったわけです。ところが、今度これが相当よき慣行も生まれたとはいいながら、限時立法でなくて半恒久的な法律に切りかえられるわけです。この問題につきまして、たとえばあの付則第二項によって一年とか二年とかいう期限付きの立法を提案する形がとれるかどうか、この点について教授のお考えを承わりたいと思います。これは、衆議院においても古泉教授はそれはとり得るのだというような解釈をとっておられるようでありますが、この際野村教授の御見解を承わっておきたいと思います。
  152. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) この規定の条文面からは必ずしもはっきりしておらないわけです。だから、この法律存続をさせるという場合にその法律をどう取扱うかというのは、付則でもってやはりきめるということはできるのではないかといふうに考えておりますが、その程度なら、この法案の実体的なものを変えて提案をしたということにはならないのではない、だろうかというふうに考えます。
  153. 田畑金光

    田畑金光君 私はその点わかりましたが、もう一つお尋ねいたしますが、今の点は要するにこの付則で、時限立法の形で、まあ延長決議案の場合もできるのだ、こういう解釈が成立するという御見解だと承わりましたが、それでよろしいのかどうか。
  154. 野村平爾

    公述人(野村平爾君) これはやはりこの決議を求めるという形になりますから、この法案自体を審議する形になるわけです。この前のものを、従前のものを取り扱うことになるわけです。しかしその効力の存続期間をどんなふうな取扱いにするかという点は、その内容の実体的なものを左右しているわけじゃないので、私はつけるならつけてもいいのではないか、そういうふうに考えるわけです。
  155. 小幡治和

    ○小幡治和君 重枝さんにお伺いいたしますが、先ほどのあなたの御公述の中で、このいい慣行になっておるようなものについては、この規制法は適用しないというふうなことをやってもいいじゃないかというふうなお話があったように思いますけれども、そうであるとするならば、いい慣行にまだなっていない組合というか、そういうものもまだあるのだということをお認めになっておられますか。
  156. 重枝琢己

    公述人重枝琢己君) それは私の申し上げたことの全体を判断していただかないと困るわけです。それは簡単に申しますと、このスト規制法というものは無用のものである。これは政府が、こういうようなものは労使の間における健全な労働慣行の樹立ということで処理さるべきであるということを、提案理由の中にもきめておる通りであるから、こういうものは要らないというのが私の趣旨であります。  で、さらにその次に、私は百歩譲って、まだ政府の方で十分なるものがないと、十分でないという場合には、当然いいところも認められておるのだから、そういう事実を認めておれば、そういうものに対応する法律として存続させるということがしかるべきではないかと、こういうことを申し上げたわけです。で、そのときに電気産業の場合の例を引いたわけです。石炭産業の場合については、それではいいかということ、そういう慣行のできていないところを認めておるかということでありますが、私は電気産業におけるようなところまで行っていないということは、それは当然認めていいと私は思います。しかし、それは今日の炭鉱労働者良識というものから考えれば、そういう保安放棄というようなものは実際に行われるということはあり得ないということを、私は確信をいたしております。これは私たち組合で、そういうようなものを自主的な判断によってやらないという方針をとっておるだけでなくて、これは全炭鉱で、炭労という大きな組織の中におきましても、私は、先ほど来いろいろな公述人の方も言われておりますように、今日の成長したる労働組合の中では、そういうようなものは具体的な事実となって現われるということはあり得ない、こういうふうに考えておる。まあいろいろ例を引いて申し上げてもいいと考えておりますけれども、そういうふうに考えておるので、私としては健全な労働慣行が樹立されておる、少くともそういう方向に進んでおると、こういうことを認めなければならん、こういうふうに申し上げておるわけです。
  157. 千葉信

    委員長千葉信君) 午前中公述をいただきました方々に対する質疑はこの程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  158. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。それでは午前の質疑はこの程度にいたします。  公述人方々には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただきましたことを、深く感謝を申し上げる次第でございます。なお、委員長の不手際の結果、昼食も差し上げずに時間が延び延びになりましたことを、この機会におわび申し上げる次第でございます。  午前中は、これにて休憩いたします。    午後二時七分休憩      ―――――・―――――    午後三時二十五分開会
  159. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは、ただいまから午前に引き続きまして、公聴会を再開いたします。  午前に引き続きまして公述人各位の御出席を願って御意見を拝聴いたします。  この際一言ごあいさつを申し上げます。公述人各位には、お忙がしいところを、特に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。これからそれぞれのお立場から御意見を拝聴いたしたいと存ずるのでございますが、時間の関係もありますので、お一人二十分程度で御意見発表をお願いいたしたいと存じます。非常に時間が短うございますので、十分意を尽していただくことが困難かと存じますが、なるべく時間の範囲内で、重点的に御意見の御発表を願いたいと思う次第でございます。  次に、委員方々にお諮りいたします。議事の都合上、公述人全部の御意見発表が済みましてから御質疑をお願いしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」、「異議あり」と呼ぶ者あり〕
  160. 藤田進

    藤田進君 これは毎回の国会でもそうですが、ことに午前中、といっても午後の二時までになったんだが、あの事情からしましても、午前は四名だった。今度は八名ですね。ですから私どもは非常に残念なのは、形式だけに流れて、実質的な審議というよりも、これはだれが悪いというのじゃなくて、時間がないから、タイムのない点が一番悪いんだろうと思うのですが、四名の方が午前中やったんだが、野村教授に私は一言、二言聞いたのだが、もうあとに聞く時間がない。回ってくるのを待っていたところ、御本人の公述人は、自分は予定があるからということでお帰りになるというわけで、発言が三十分なり一時間というなら、公述人方々も意を尽して述べられるでしょうが、十五分か二十分に委員長は制限を加える。言い尽していないということですから、やはり最小限八名の方々で、どうしても夕方になると予定もある、無理からんことだと思うので、そういう方は、やはりその方だけ先に公述をしていただいて、その方に若干の質疑を終って、本日の参考人のお仕事に差しつかえのないようにやはりはからうのが至当だと思う。公述人の方もそうだし、われわれ委員としても、それは形式に流れることなしにいくわけですから、ぜひこの点はお願いをいたしたいと思います。それからわれわれ連日で、非常に疲労もいたしております。これほど重要な法案に取っ組んでいて疲労もしているが、四名程度ならば、七をしながら、振り返って別所公述人にお尋ねするとか、あるいはどなたということは、八人すらすらといっても何時間かかるでしょうといわれて、そうして元へ、で、どなたかに質問を始めるといっても、これは適当な質問なんかできるものじゃない。せめて四人ぐらいずつに第二段としては切っていただいて、四人ぐらい済んだら質問をする。そうでなかったらこれは実際の能力においてできるものじゃないですよ、第一の点は。もう一回言えば、お差しつかえある方は順次先にやっていただいて質疑を終る。第二段階は四名程度くらいにはしていただきたい。一番端におられる方はこれじゃ発言しにくい、だろうと思う。
  161. 榊原亨

    ○榊原亨君 大体この公述をしていただきます方の人数につきまして、並びにその御発言のこと、並びに質疑の時間につきましては、各党から出ております理事会におきまして、各党の御了解のもとにきまっていることであります。従いまして今日はこれらの方々質疑をいたすにおきましても、その範囲にとどめられまして一つお願いをいたしたいと思います。
  162. 田畑金光

    田畑金光君 理事会の打ち合せを、申し合せを尊重しなくちゃならぬことは当然のことで、われわれもその気持でいるわけですが、ただ、けさほどの運営をみましても、四名の方に非常に貴重なお話をしていただいて、われわれとしても、もう少し堀り下げてお尋ねしてみたいと、こういう気持を持っていても、常に時間の制約、時間の制約で、肝心の公聴会趣旨に沿わぬ結果になることを非常に心配するわけです。そこでまあこれ、もう三時半ですがね、これから八名の方と申しましても、これは午前中でもなおかつ時間が足りないとするならば、非常な形式的な公聴会に終ることを心配するわけです。そこで第一には、やはりけさほどのように用事でお帰りになる方に先にやっていただいて、そうしてそれにわれわれが質問をする。その後その他の時間の差しつかえのない方にやっていただけるように、こういうことにするならば非常にありがたいことだと思いますので、どうか理事会の打ち合せを尊重しなくちゃなりませんが、委員長においてそのへんよく事情を察せられて運営されんことを私は希望いたします。
  163. 榊原亨

    ○榊原亨君 ただいまの、四名を先にやって、そこで質問をされまして、また四名をやるということになりますと、場合によっては非常に時間がおくれまして、最後に御陳述を願う方なんかにはその御陳述をしていただく時間がなくなるような場合も考慮されると私は考えられるのであります。従いまして、これは何といたしましても、お聞きづらいかもしれませんが、八名の方を全部公述をやっていただきまして、そうして時間の許す限りにおいて質疑を続行される、その質疑につきましては今晩十二時までおやり下さっても私のところでは一つも差しつかえございません。ただしこれらのことは今日中に終了するかたいお約束があるのでありますから、その点は一つ……。ぜひ運営されることを望みます。
  164. 藤田進

    藤田進君 まあ参考人皆さんの前でまことに不細工なことで恐縮なんですが、いつもこんなにやっているわけではないのですが、皆さんに十二時までということは、それは実際御迷惑だと思うのですよ。それで四名の方づつに分ければ時間は倍になるのだというような代数計算なんてありゃしない。そんなことは僕ら考えていないのですよ。ただ言うだけ言ってもらって、あと僕らはそんな考えはないから、お忙しい時間をおして見えておられるのだし、中にはここの参考人公述人が専門の職業じゃないから、ほかに仕事をお持ちなんだ、みんな。だから今夜はどうしても余裕がない、時間もおくれているしするから、どうしても先に帰らなければならぬという方には先にやっていただくということに何の異論があるのだろうかと思う。これからお帰りになるというならば、先におやりになる方は先におやりになって、若干質問がある人は……、これは極力押えますよ、われわれも。あなた方も押えていただく。そういうことでやることがなぜ悪いのだろうか、もっと理由を明らかにしていただきたい。
  165. 高野一夫

    高野一夫君 いろいろな情勢を判断して、それで委員長理事打合会であらゆる条件を総合して、そこでまとまったものだと私は考える。(「まとまっていないのだよ」と呼ぶ者あり)従って委員長理事打合会でまとまっておったものを、この委員会でまたくつがえす、新たに相談し直さなければならないということになると、打合会の必要はなくなる。従って私はせっかく打合会で話し合いがまとまっているのだから、その線に従って私は委員長において運営すべきだと思う。
  166. 藤田進

    藤田進君 しかし、まとまったと言われても、今のような線が出し得ないということまでまとまっているかどうか、その点をまず明らかにしていただきたい。実態に沿った意見が出るならば、これは採用されていいし、今理事会でまとまったという線が、そんなにこまかいところまでまとめられているのかどうか。十二時までやるというようなことまでまとまっているのですか。
  167. 榊原亨

    ○榊原亨君 理事会でお話しし合いましたことは、今日日程にございまする公述人の方は、全部今日中にこれを終了するということのお約束でございまするし、一人の公述人に対する公述のお時間は二十分程度、それからこれに対する質疑は、全体を通じて二時間ということのお約束があったわけでありまするが、午前中の質疑において、もうすでに二時間はやっているわけであります。従いまして、今後質疑をするなというわけじゃございませんが、先ほど藤田君が言われましたように、お急ぎの方は先におやり下さるということは少しも差しつかえありませんが、(「それならいいのだ。やってみよう」と呼ぶ者あり)本日の日程は本日中には終るということだけは、私はこの際やっていただきませんと、私ども理事会出席いたしました者といたしまして、私は困るのです。
  168. 栗山良夫

    栗山良夫君 今大へん議論する、と言うとかた苦しくなりますがね。だいぶ午前中でも、四名の方にお聞きしたわけでありますが、委員長から諮られて、御本人の御都合によって早く退席されたい人はありますかという工合にお尋ねをして、あれば、その人は早く公述を終って質問をいたしまして、続けていきましょうということは、前例を開いたわけであります。おそらくそういうことは、この公述人に関する限りにおいては、理事会でずっと一貫しておきめになっておったことでありまするが、けさの午前中の前例が生きている限りは、午後にもできないわけはないのであります。大体それで四時過ぎて、一人二十分で八人と言いますと、(「まあ、三時間だよ」と呼ぶ者あり)三時間かかるのです。だから三時間というと、もう今これは四時ですが、七時くらい、七時半くらいまでかかる。そうするというと、人間の活動というものは、やはり昼、夜、これは一つの限界がありますから、夜やはりお忙しい方もあるかもしれません。もうすでに約束されている方もあるかもしれません。そこで委員長の方で公述人の方に御都合をお聞きになって、どうしても早く公述をし、それから委員諸君の質問に答えて、公述人としての仕事を終って帰りたい、こういう方があればですよ――なければ私は申しません。あれば、それだけは早くおやりになった方がよろしくはないか、こういう意見が出ておるのですから、これだけは――そう言葉を荒立てて議論をしなくてもいいことですからね――おやりになったらどうか、こういうふうに私は申し上げているわけです。
  169. 田村文吉

    ○田村文吉君 先刻委員長が冒頭に述べられた通りにお進めいただくことを私は希望します。それで、あと場合によって、御本人の御都合があって順序をお変えになるというようなことは私は差しつかえないと思うのですが、初め委員長が宣言されたような形でお進みになることを要望いたします。
  170. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは一つ……。(藤田進君「それじゃ一つ十一時ごろになると思うから、早い人があれば先にやってもらおうじゃないか」と述ぶ)ちょっとそれじゃ速記をとめて下さい。    午後三時三十九分速記中止      ―――――・―――――    午後三時五十一分速記開始
  171. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは速記を始めて。  それでは公述いただく方々のうちで一部変更があることをこの機会に御了解願ったことにいたしまして、まず最初に全国電力労働組合連合会会長向井長年君から公述をお願いいたします。
  172. 向井長年

    公述人(向井長年君) 私本日参議院の社労委の公聴会で特に電気の組合立場を代表いたしましてただいまから御意見を申し上げたいと存ずる次第でございます。  今御紹介ありましたように、私は全国電力労働組合連合会会長をいたしております向井長年でございます。私たちの組織は現在十二万強の組織を持っております。御承知のように電気の組合は今二つあるわけでございますが、全部で電気の組合は十三万と言われておりますが、約一万程度がまだ電産という形できょうここに見えておられます小川さんがその立場からいろいろ御意見を申し上げられるものと、こう考えております。そこで私特に本日参議院社会労働委員会におきましてわれわれ当事者なりあるいはまた一般関係者等をお呼びいただきまして、参考人としてあるいはまた公聴会の席で意見を述べる機会を作っていただきましたことを心から敬意を表する次第でございます。  ただこの法案が今国会に政府が上程されました、またされる際におきまして、現在の世論なりあるいはまたこの法律に対するいろいろな法律学者の意見に対しまして耳を傾けなかった点をまことに遺憾に存ずる次第でございます。従って私がこれからいわゆるスト規制法に対する存続の反対の立場を持っておりますこの意見を申し上げるわけでございますが、私の意見は今申しましたように組合員十二万の意見であり、なお私たちが過去スト規制法に対するいろいろな一般世論に呼びかけまして、これに対する私の意見に賛同していただきました四十万の署名をもって参議院の議長にも出しているはずでございますが、この意見として申し上げたいのでございます。  そこでまず最初、このスト規制法という法律に対しまして、御承知のように三年前にこれが時限立法の形で制定せられたのでございますが、私たちから考えまして、これはあくまでも憲法の精神に背反するところの法律である、こういう考え方を強く持つわけでございます。なぜそういうことを言うかと申しますと、御承知のように憲法の第二十八条におきまして罷業権は労働者固有の権利として保障されておるからであります。従って私たちがこのいわゆるストライキ行為と申しますか、これにつきまして過去三年前には、なるほど私たちも電産当時にそういうスト行為をやったことはあります。これは決して私たちが特に電気の場合におきましては停電あるいは電源、こういう形に相なるわけでございますが、私たちが電気をとめるあるいはまた電源をとめる、こういうことが私たちのいわゆる争議手段の目的ではないのでございます。あくまでも労働者固有の権利といたしまして、私たちはあくまでもあらゆる労使間の問題を平和的に解決すべく努力し、しかしこれが経営者の不誠意によりまして、またこれを解決しようというところの誠意がないために、努力がないためにやむを得ずそういう行為をやらざるを得ないということでございます。こういう中で私たちの固有の権利といたしましては、あくまでも電気をとめるとか、あるいはまた電源をとめるとかいうことではなくて、私たち労働力のいわゆる提供を拒否するということでございます。いわゆる罷業権でございますが、こういうことが私たちのすべての問題を解決するところの手段としてわれわれが法によって許された範囲内においてやると、従って固有の権利というものはそこにあるということ、決して電気をとめて一般を苦しめるとか、あるいはまた電源をとめていろいろ迷惑をかけると、これが私たちの目的ではない。あくまでも労働力の提供を拒否するというのが私たち経営者に対する一つ争議手段として行なって過去においてきたわけでございますが、かかる意味におきまして、私たちが電源あるいはまた停電、いわゆる変電所の職場を離れるためには、御承知のようにそのまま送りっ放しでやることは、これは機械設備等にいろいろ将来危険な状態も起り得るであろう、こういう立場から、一時安全な形において自分たち職場を離れる、これが私たちスト行為であったわけでございますので、そういう意味から考えましても、この問題につきましては先ほど申しました一千八条の憲法の精神に現在のストライキ規制法は背反するということが言えるのでございます。特にこれにつきましては過去三年前に、いろいろ電産当時にあった問題がいわゆる法律違反、こういう形において起訴されておったのでございますが、この問題につきましても現在まで二十五件ございますが、この二十五件の裁判所の判決がほとんどこれが無罪になり、あるいはまた免訴になり、あるいは検事抗訴が棄却されておる。ほとんどというよりも全部でございます。そういうような案件が出ておるのでございます。これをもちまして考えましても、私たちのこのストライキ行為は決して法律に違反した行為ではない、こういうことが立証されたと思うわけでございます。この二十五件の問題につきまして詳しくは申しませんが、必要があれば質問にお答えいたしたいと存じております。これを見まして、この法律が憲法の精神に背反するということを私はまず最初に申し上げたいと存ずる次第でございます。  しからば第三番目には、政府経営者のこの組合に対するところの一方的な抑圧手段であった、特に当時の現況を私たちが考えますならば、今申しましたように、政府なり経営者組合に対するところの一方的な抑圧手段である、政府はこの法律の電気労働者、あるいは炭鉱労働者の一部に争議行為の逸脱傾向があったと称しまして、特に公共福祉に反する、こういう名目のもとに強引な形におきまして時限立法として制定せられたのでございます。これにつきましては、特に本末転倒と言わざるを得ないのでございます。もし労働組合の中におきまして、労働運動の中におきまして現われた逸脱傾向がもしあるとするならば、これはあくまでも労働者みずからの問題でございまして、組合あるいは組合員が良識をもって、みずからこれを克服するのが常道でございます。法律やあるいは権力によってこれを押え、あるいは抑圧するということは、今後健全な労使関係の慣行を阻害するものである、こういう考え方を強く持つわけでございます。  特に第三点といたしまして、組合の当時の問題といたしまして、すべて責任を組合に転嫁したと私は卒直に申し上げたいのでございます。この法が制定せられた当時のことを考えますと、特に電気の場合においては、あるいはまた炭労の場合におきましても、組合が要求いたしました賃金、これが非常に交渉が難航を示しまして、経営者あるいは政府自体はこれに対する積極的な解決をしようとするところの努力をいたしません。そして、ただいたずらに組合ストライキの激化するのを待ったとわれわれは考えるのでございます。で、一方的に組合側の責任に転嫁いたしまして世論の反撃を一手にこうむらすことを望みまして、根底からストライキのいわゆる規制を行うというところの策略がそこにあったと私は言わざるを得ないのでございます。なぜならば、特に御承知のように、現在のこの法律の中におきまして、もし組合の中にいわゆる公共福祉に反するというような形がその当時生まれるならば、電気におきましては、いわゆる労調法の第三十五条の二におきまして緊急調整という制度があるわけであります。この緊急調整によりまして、一時そういうストライキ行為をやめさすところの法律があるにもかかわらずかかる法律政府は適用せずいたしまして、そうして今申しましたスト規制法を作ろうというところの精神がそこに現われておったと私は言わざるを得ないのであります。  なお第四点といたしましては、公共福祉は、特に私は現状の中におきまして、二十七年、八年のこの状態の中におきまして、経営者みずからが公共福祉に反するような形をとっている。当時ストライキによりまして、著しく公共福祉が阻害されたと主張いたしておりますが、しかし私たちから申しますならば、電気にあっては一般電灯あるいはまた工場の保安電力、あるいは小口あるいは大口電力、あるいは交通機関のごとき人命にかかわるような重要な電力につきましては完全に確保いたしておったはずでございます。これは私たち組合の役員といたしましてやっておりましたのでよく知っております。しかしながら、ここで見逃してはいけないことは、ちょうど電気事業組合ストライキが一般に影響を及ぼすと言われておりますが、それよりも二十七年、二十八年は未曾有の渇水期になっておったわけでございます。従って経営者みずからいわゆる石炭の不足、あるいはまた水の不足、これからくるところの一般の電灯、小口、大口、これに対する大きな制限が行われておったことは事実でございます。従ってこの点につきまして電気が昼にも夜にも消える、こういうことがたびたびあったのでございますが、これはストライキ行為よりもいわゆる会社の制限停電、これが大きく一般世論に影響を与えたと私は考えるのでございます。これにつきましていろいろ皆様方に具体的に申し上げたいと存じておるわけでございますが、十分な資料は持っておりませんが、ただ一例を申し上げたいと存じますが、特に関西電力の場合を例にして申し上げますが、ちょうど関西電力が昭和二十七年、八年当時のいわゆる全送電容量と申しますか、これは約言二十五万キロワット程度があれば大体これで需給が立っておったわけでございます。この当時にちょうど湯水でございまして、自然流量が五十万から五十五万、あるいは多く出て六十万、こういう程度しか出なかったのでございます。そこで火力でございますが、火力につきましては約四十何万の設備は持っておりますが、その中でいわゆる発電を行なっておった、容量は約二十万程度でございます。従って五十万の流量のときには七十万程度しか送電はできなかったのでございます。しからば百三十五万程度度でいわゆる全部の需給がいたされるやつが三分の一が大体制限をしなければならん、こういう情勢にあったことは事実でございます。これを眺めましても、当時の私たちストライキを考えましたときに、電産当時ではございますが、関西で発、変電のいわゆるストライキが約五万キロ程度でございます。これを考えましたときには、会社の制限に対するところの停電が四十万以上である。そうして組合ストライキは五万キロ程度である。これをもってすべて組合ストライキによって電気が消されておる、あるいは工場がとまっておる、こういうような一方的な宣伝が行なわれたことは事実でございます。こういう点を私たちはまことに遺憾に存ずる次第でございます。従って会社、経営者は少くともかかるような渇水に備えての火力の増強なり、あるいはまた石炭の確保が、当然しなければならないにもかかわらずこれに対する経営の怠慢と申しますか、特に火力におきましては石炭を常時購入をしておるならば、これは当然入手ができたのでございますが、御承知のように水が出れば石炭は要らないというところから石炭の購入も怠っておった関係上、今直ちに石炭が要るからといって直ちにその石炭の確保は非常に困難な状態にあったことも私たちは知っております。従って火力の設備も四十万キロであり、なおそれに対するところの保守も十分な形においてなされていなかった、こういう点を考えますと、経営者みずからが少くとも公共福祉に対してどういう手を打っておったか。私たちから申しまするならば、公共福祉といわれておりますが、この法案審議する中でいろいろ公共福祉を説かれるのでございますが、みずからが、電気経営者公共福祉に反するような経営状態であったと言わざるを得ないのでございます。そういう点を私たちは皆様方に特に知っていただきたい。従ってかかる意味におきまして、この醜態はやはり政府やあるいは経営者の大きな責任であったと私は申し上げたいのでございます。しかもそういうような状態を私たちにその当時責任を転嫁されて、かかる法案が一般世論に訴えて、そして政府が一方的に作った、こう考えざるを得ないのでございます。なお私ここで誤解があってはいけないので申し上げておきたいことは、倉石労働大臣が特に私たちの全国電力労働組合連合会の傘下の組合の幹部が、いわゆる組合は健全な組合であるということを言われたということも聞いておりますが、その言葉は私はそのままそっくり受け取りたいと存じております。しかしながら穏健な組合であって、かかる電源とか、あるいは停電ストライキはやらないと幹部が言っておる、こういうことを常に衆議院の社労委員会でたびたび言われたのでございますが、私たち電労連の幹部はかかる、この電源とか、あるいは停電、こういうストライキ行為はやらないというようなことは一度も言った覚えはございません。少くとも私たちはかかるストライキ行為はやりたくないということは言っておりますまたこれに対して私たちがこのストライキをやるかやらないかというようなことは、これは組合良識によって、またそのときの会社の出方によってやはりきまるものでございまして、事前にやるとかやらないとかいうようなことは論議したこともございませんし、また労働大臣に申し上げたこともないのでございます。少くともかかるストライキは避けたいという気持は常に持っております。従ってそういう意味におきまして、先般もそういうことを私たち耳にいたしますので、労働大臣に対しましてもわれわれの考え方を率直に披瀝いたしまして、申し入れを行なった次第でございます。なおまた私先般衆議院の社労委員会参考人として呼ばれましたときに、特に電気の経営者側でございました関西電力の藤田取締役からいろいろ組合の実情を述べられました。そこで私はまことに遺憾に思ったことは、特に言われたことについてはスト規制法が必要であるかないか、こういう立場から、特に御承知のように藤田経営者側の参考人スト規制法は必要であるというところの立場をとっておられますが、現在電労連の組合の中におきましても、当初組合が結成された当時より現在のいわゆる中央の大会なり、あるいはまた職場においてのいろいろの大会を眺めたときに、決して手持ちぶさたで安心できる状態ではない、こういうことを言われておるのでございます。それはなぜかと申しますと、いろいろな意見が大会の中で出ておる、従っておそらくや組合は過去と何ら変らない状態が再び出て来ておる、こういうことを言われますが、いわゆる会社側の労務管理をいたす立場から考えまして非常に遺憾な書であると私は考えるのでございます。なぜならば労働組合の、いわゆる組合というものを認識するならば、当然組合の大会、あるいはまた各委員会におきましてはいろいろな職場から、またいろいろな角度から意見が出るのが当然でございます。その意見の中にあって、やはり最終的には良識をもって私たちのよりよきあらゆる問題を解決するところの一つの結論が生まれるのでございます。従って一応そういうような意見がいろいろ出たからといって、従って危険な状態だというような考え方は、組合運動あるいはまた労働組合を認識せざるもはなはだしい、こう私は断ぜざるを得ないのでございます。  なおまたもう一つ過去においては賃金問題につきましてもすべて中労委をわずらわして、そして第三者の中においての調停を見て解決して来た、現在の組合は、しかも自主的にあらゆる問題を解決しておる、こういうところはやはり若干変っておる、こういうことをいわれておりますが、特に中労委におきました先般来のいわゆる三年前の問題を考えましたときに、会社側は中労委の場を一つ求めまして、あらゆる賃金の解決をいたすにいたしましても、私たちはあらゆる問題は労使の中で、しかも自主的に解決することが望ましいのでございます。しかし過去におきましてはいわゆる電気料金とかその他の関連で、自分たちが自主性をもって賃金問題を解決するところの能力が当時はなかったと存じます。従って中労委の調停あっせんにかかる、あるいはまたこれが政府の顔色を見た中において解決をしなければならぬ、こういうような立場から、そういうような形であらゆる問題が解決されたのでございますが、しかし現状におきましては、かかる形においての自工交渉ももちろんやっております。しかしながら今先ほど申しました組合の現状をかりに経営者が理解するならば、今後におきましても誠意を持った、しかも対等の立場で、あらゆる問題を解決することが非常に困難になってくる、こう言わざるを得ないのでございます。従って藤田経営者側の参考人の衆議院において述べた言につきましては、全く私たちは遺憾な意を表せざるを得ないと考えるわけでございます。  時間がないそうでございしますので結論を申し上げたいと存じますが、この法案が三年前に時限立法として制定せられてより、電気あるいは石炭の組合はしばしばかかる法案に抵触するような行為があったかどうかというと、衆議院におきましては労働大臣がすれすれとか言ったと聞いておりますが、私たちは断じてかかる法案に抵触するような問題はなかったと考えております。にもかかわらず、再びかかる法案を出すということにつきましては、時限立法としていわゆる制定された意味がどこにあるか。今の現状をどう考えるか、こう私は申し上げたいのでございます。特に国会におきましてはこの法案審議されるために、国会議員の皆様方は、やはりまず第一に法理論の展開、あるいはまた現在の状態からあるいは今後の問題を論議されようかと存じますが、その状態を眺めましても決してそういうような、作らなければならぬというような状態になっていない、こう私たちは断ぜざるを得ないのでございます。従って私が先ほども申しましたように、われわれはやらないで済むように、かかる電源とか停電ストライキをやらないで済むようにわれわれも良識をもって努力いたしたい。しかしこれは労働者のみの努力であっては不可能でございまして、これと並行して、いわゆる経営者もあらゆる労使の問題の解決のためにはやらないで済むところの誠意を持った解決が必要であるのでございますが、少くとも過去におきましても現在におきましても、やはり電源あるいは停電ストライキは別といたしましても、やはりストライキ行為をもって解決しなければならぬような状態がたびたび生まれておるわけでございます。この責任は決して組合の責任だけではなくて、あくまでもこれは経営者の、いわゆる組合に対する、あるいは労働慣行に対するところの考え方が全く現在におきましてはまだまだ十分ではないと、こう言わざるを得ないのでございます。従って私たちは一方的に労働組合の権利を剥奪して、そして健全な労使慣行が生まれると思えば大きな間違いでございまして、あくまでも私たちは対等の立場に立ちまして、そしてあらゆる問題をやはり誠意をもって解決を双方ともやることによってストライキというものはなくなるのではなかろうか、こう考えるのでございますが、そういう意味におきまして、現在かかる法案が私たちがやるために必要であるということではなくて、労使の均衡を保つために、またあらゆる問題を平和的に解決するために、私たちはどうしても、片手落ち的ないわゆる経営者を保護するような法律は断じて許すことはできないと考えるのでございます。御承知のように、わが国の労働組合も、戦後十年有余、変転はいたして参りましたが、労働者もみずからの良識を養い、健全な組合として前進しつつあるのでございます。特にこの法律が再び存続するような形になるならば、今申しました均衡が破れまして、健全な労使慣行を私たちは今後持つために努力いたすにいたしましても、再び非常に一方的な形のあらゆる問題の紛争を惹起するおそれがあると考えるのでございます。民主的な、また健全な組合の成長のためには、どうしてもかかる法案を国会議員の皆様方が世論のこの要望にこたえ、あるいは法律学者の現在のいろいろな意見の中から十分一つ審議をいただきまして、将来日本の産業の発展、あるいはまた経済の振興のためには、労使が対等の立場でお互いのいわゆる立場を尊重し合って、平和的にあらゆる問題を解決するために、どうか皆様方のこの審議の中からこの法案を廃案にしていただくことを心からお願いいたしまして、私の公述を終りたいと存じます。
  173. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでございました。  この際、報告申し上げて、御了解を得たい事項がございます。ただいまの向井君の発言途中におきまして、武藤政務次官より、倉石労働大臣は公務員制度担当大臣として衆議院の予算委員会出席されるようでございまして、従って、代替者のない立場におかれておりますので、そちらのほうが退席できるようになりますれば直ちにこちらのほうへ出席するとの連絡がございました。御了解願いたいと思います。(「了解」と呼ぶ者あり)     ―――――――――――――
  174. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは、次に、私鉄経営者協会常務理事別所安次郎君にお願いいたします。
  175. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私鉄経営者協会の別所でございます。電気専業並びに石炭鉱業における争議行為方法規制に関する問題につきましては、すでに論議を尽されていることでありますから、簡単に意見を申し上げたいと思います。  今回の問題の中心点は、これを存続するかどうかということにあるのでありますが、多少釈迦に説法で恐縮でありますが、その前提としまして、簡単に争議権のあり方といったふうなことについて申し述べておきたいと思います。申すまでもなく、争議権の目的は、あくまで労使間の取引において労使の対等の立場を保持して団体交渉を促進するということにあると思いますが、その行使に当っては、常に労使間の取引を、労働者側から言えばこれを有利に展開することを目的として行使するということになるんだと思いますが、したがって、その行使の限界というものがあるのじゃないかと思います。その意味においては、やはり争議権が認められているについては、組合良識ある態度が予定されているのではないか、そう考えるのであります。単に経営者を困らせて団体交渉を有利に展開すれば争議権行使の目的を達するんだということでもないでしょうし、団交を有利にするために最小の犠牲で最大の効果を上げればいいんだということでもないんだと考えます。したがって、労働者職場を破壊したり、あるいは国民経済を混乱させたり、国民の日常生活に不安を与えるような行使を予定されているものではないと思うのでありまして、憲法二十八条がこれを保障しているのも、そういう意味において保障しているのじゃないか。憲法十二条に、国民に自由と権利を濫用することを排して公共福祉のためにこれを利用する責任を負わせているのは、その辺にその目的があるんだと考えるのであります。他方、本法で問題になっております電気事業、石炭事業について考えてみますと、電気事業というのは、御一承知のように、生産と消費が直結していまして、電気の生産を止めれば、消費も止まる。停電の際に代替品がないのであります。しかも、これは、国民の日常生活にあるいは国民経済の一環として、年々その重要性を増している事情にありまして、停電が国民生活を不安ならしめる、あるいは国民経済を停電せしめるということは、電気事業のそれ自体の特殊性に帰するのであります。さらに、電気事業におきましては、過去の争議の実績を見ましても、停電ストというものは組合経営者がこうむるよりも一般の社会のこうむる損害のほうがはるかに著しいということであります。停電が公共福祉に重大な脅威を与えるというのは、全く過去の実例に徴しても間違いないと思うのであります。また、石炭鉱業における保安要員の引き揚げの問題でありますが、これがたとえば鉱山の爆発を誘致したり、あるいは鉱物資源荒廃を起すという、そういう限りにおいては、保安要員の引き揚げは鉱山を破壊するということにもなりかねないのであります。一般盛業におきましては、たとえば工場を破壊すれば、これを復旧するということはできるのでありますが、鉱山においては、山を放棄するほかはない、こういう事態が起る。これは、鉱物資源という国民経済の重大な資源を喪失するということになる、そういう可能性があるわけであります。また、労働者としても、生命に関する、あるいは職場を失ってしまうということも起り得るのであります。たとえば、船員法三十条は、船舶に危険を及ぼすような争議行為をしてはならないということを規定しておりますが、保安要員の引き揚げは、これを船舶にたとえますと、船舶をひっくり返したり沈没させたりするのと等しいというのでないかと思います。そういう争議行為が制限されるのは、船舶の例に見ても当然ではないかと考えるのであります。  それから過去三年間の実績がいろいろ議論になると思われますが、これは私は専門家でありませんから、詳しいことも存じませんが、私の聞きます範囲では、炭労においてはたとえば保安要員引き揚げの指令がたびたび出ておるとか、あるいはこれを実際に実施したというふうなことを聞いております。また、電気事業においても、停電を惹起しかねないような争議行為を行なったと聞いておるのでありますが、この法案存続についての賛否をめぐって、今まで多少論議された点について二、三意見を述べておきたいと思います。  その一つは、実際やってないのだから、一度廃止すればいいじゃないか、それからこういうストを実際やったら、そのときにもう一度立法すればいいじゃないか、こういう意見があります。しかし、実際三年間やらなかったということについては、今のたとえば指令が出たり、あるいはすれすれの争議があったりするといわれているのでありますから、これについて実際やらなかった、事実そういう山がつぶれなかったということだけでは、この問題をきめることはできないと思います。   〔委員長退席、理事山本經勝君着席〕 むしろそういう争議が起らなかったのは、逆にこの法律があったからではないかと考えるのであります。ことに、国民経済が混乱したり、あるいは山が爆発してから法律を制定するということでは、そういう実績が出なければ立法できないということでは、これは日本政治がないというのにもひとしいのではないかと考えます。もちろん、またたとえば、これを労使間の慣行にまかせればいいのじゃないかと、こういう意見もあります。こういう規制法がなければ困るというふうな事態については、何人も非常に遺憾だと考えることだと思います。しかし、組合はこれを憲法違反だ、争議行為としては当然制限をされないのだと、そういうふうに考えておるのでありますから、これを今やめるということはなかなかできないし、またやめればこれは有効になったのだ、あるいは認められたのだと、そういうふうに解釈される心配もあると思います。ことに労使間の慣行につきましては、組合の中にはもちろん良識のある組合もありましょう。また、本法に規制するような争議行為はしないという組合もあると思います。しかし組合には、そういう言葉は適当かどうか知りませんけれども、右もあれば左もありまして、一般的に申しますれば、今の日本組合の歴史は浅くて、組合運動も観念的でありまして、これを指導する理念というのは、やはり階級闘争ということに尽きるのであると思います。過去においても、その過去の闘争において、しばしば階級の利益が優先して取り扱われたという実例があるのでありまして、もちろんその組合も時間を経るに従ってたんだん成長はしておることを否定するものではありませんけれども、しかし、組合は何分大衆の組織であります。激動する歴史の中で、しかも一番急速に動いておる世界が組合という世界であります。たとえば下部がしばしば執行部を突き上げる、あるいは組合の中では、ともすれば左翼的な、と言っては語弊、がありますが、とにかく非常に左に寄った意見を出せば、それが拍手を呼ぶ、あるいは戦術の名においてしばしば組合の今までやってきた主張が変更される、こういう経験をわれわれは今まで何回もしておるのでありまして、また、それが現在変っておるとも考えないのであります。また、これはなかなか変りにくいものじゃないかと思うのであります。本米争議というものは、労使間の取引の中の一つの経過あるいは形態でありまして、取引でありますが、ところがわが国では今までの争議というものはまるで闘争、戦争というふうな形をとる、あるいはそういう感じを与えるきらいが、しばしばあるのでありまして、従ってしばしば特攻隊的な勇ましい戦術が出てきたり、あるいは原子爆弾のような争議が行われるというようなことになったのであろうと思います。たとえば法を乗り越えるというふうなことが戦術の一つとしてとられたというのもそう遠い話ではないのでありまして、少くとも争議は取引であるということが、もっと大衆に浸透する、そういう雰囲気にならなければ、社会的な信頼を得られないのじゃないかと思います。電気あるいは石炭の組合もだんだん成長されておるでありましょうが、しかし、今までの闘争経過から見ますと、必ずしも将来どういうふうになるかということについては、われわれは何らの保障をされておるように考えていないのであります。  それからまた、たとえば国家が炭鉱をつぶす計画をしておるじゃないか、あるいは電気の会社が制電計画をして、その制電計画に合致する程度の争議をやったんだから、争議は必ずしも違法ではないのだ、こういう意見もありますが、しかし、国家がたとえば山をつぶすという計画をしましても、国家というものは公共福祉を維持、増進すること自体を施策の目的としておるのであります。また、電気会社が制電策を立てたとしても、これは国家機関の認可を得てやるのでありますから、やはり国の施策の一端だと考えていいと思います。しかるに、争議権の行使というものは、たびたび申し上げるように、労使間の団体交渉の促進をすることが目的でありますから、その方針によってたまたま結果は同じことになったとしても、これをもって国家の施策を代行したり、あるいは会社の制電策を代行したことにはならないのじゃないかと思われます。  それからたとえば緊急調整制度があるからいいじゃないかという意見があります。しかし、緊急調整の制度というものは、調整の一つ方法であって、あの制度があるから停電ストはやれないということではなし、また、やれないということにもならないと思います。  それから、たとえば過去の判例を見ますと、争議行為の予告をして、十分にその手立てをしてからストをやったのだから、停電ストは違法でないという意見もあります。しかしこの電気というのは、代替品がないのでありますから、かりに予告がありましても、それによって日常生活に国民が不安を感じたり、あるいは生産がとまるというようなことにかわりはないのでありまして、二十七年の争議のときには、労働者が賃金を失って生活の脅威を訴えるというようなことは、当時われわれがしばしば聞いて知っておることでありますが、こういう電気の場合のごとき特殊な事情にある事業については、単に予告をもってこれで十分であるということは言えないと思うのであります。  で最後に、それではこういう争議行為の禁止をすると、労使間のバランスというものは、対等の原則というのは破れてくるじゃないか、こういう意見があるのでありますが、組合の組織が弱化したり、あるいはこういう制限法があるために、組合員の経済的な地位の向上がはばまれたという事実はないと考えるのであります。組合はますます強力になっておりますし、また、賃金もますます改善されているという事情にあると思うのであります。従ってこれが争議権の弾圧になるということにはならないのじゃないかと思うのであります。  以上簡単でありますが、私の意見を述べまして、本案の存続を期待するものであります。
  176. 山本經勝

    理事(山本經勝君) 御苦労さまでした。
  177. 山本經勝

    理事(山本經勝君) それでは先ほどの了解によりまして、向井、別所両君に対しまして委員各位の御質疑をお願いいたします。
  178. 藤田進

    藤田進君 まず最初に、別所公述人にお伺いをいたしたいと思いますが、あなたの所論は争議権のあり方という立場から、まず、そのあり方については、その争議権の行使の限界、あるいは組合良識的な態度に期待しつつ、いわゆる憲法十二条の末尾に書いてある権利を乱用してはならないという点から、このスト規制法は何ら憲法に抵触するものではない、このスト規制法はそういう意味において乱用を防ぐ意味のものである、かように解したわけです、が、その通りでございますか。
  179. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) そうです。その通りであります。
  180. 藤田進

    藤田進君 念のために確言を得たわけでありますが、このスト規制法政府提案理由、ないしその後の質疑を通じて明らかになっておりますことは、いわゆる乱用を防ぐというものではなくて、あなたがさように解釈をせられているとしましても、乱用を防ぐというものではなくて、まっこうからこれを禁止するもの、たとえば電気の場合には直接の正常な業務の運営石炭鉱業においては、保安要員の引き揚げ――憲法の十二条にいう乱調というのは元来使ってもよろしいものだと、使ってよろしい。ただ、みだりにそれが使われるということをとめておる、戒めておる、こうなんであります。でありますから、スト規制法があなたの解釈されているような性格のものでないという二とについてはいかがお考えなのか、この点を重ねてお伺いをいたしたいと思います。
  181. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) それでは藤田さんのその確認にうかつに乗ったようなことでありますから、訂正しておきますが、藤田さんにも少し誤解があると思うのですが、私が申し上げたのは、憲法十二条に争議権の乱用はしちゃいけない、あるいは争議権とは言いませんが、権利の乱用はいけない、あるいはその権利の行使に当って、公共福祉のために利用する責任を国民に負わしている。この点をつかまえて私は申し上げているのでありまして、憲法に言っている権利の乱用という意味において、この電気の停電のスト行為ができる、それの乱用はいけない、こういうふうに申し上げたのではありません。
  182. 藤田進

    藤田進君 どうも聞くところ不穏当に聞こえたのでありますが、私はあなたを乗せたり――どういう意味か、だましたという趣旨ではありません。すなおにあなたのおっしゃったことをかいつまんで申し上げて、それで間違いはございませんかと言ったところ、その通りですとおっしゃったので、何の他者心もないのでありまして、この点は一つ誤解があれば、誤解を解いていただくし、言い足りない点があれば、なおつけ加えて御釈明いただきたいと思いますが、このスト規制法が先ほど来、るる言われている権利の乱用論からくる制限というものであるのかないのかという点が、なお私は明確でないのであります。その権利の乱用と限界性という二とでスト規制法を必要とするということになれば、それは不要になる。なぜならば、別所公述人もしばしば御研究になり、中労委でも御活躍でありまするので、申し上げる内容を必要といたしませんが、いわゆる緊急調整の点で十分乱用とその限界を抑えているのであります。現行労働法がそうしてある。また、労調法の三十六条に言ういわゆる設備関係の安全保持、ことに人命の点についても規定してある。でありますから、   〔理事山本經勝君退席、委員長着席〕 今日までの議論は屋上屋ではないかというような議論に結局落ちつくわけでありまして、あなたの公述は非常にこの際重要でございますから、このスト規制法というものがその限界を定め、乱用を戒めたということなのか。先ほど来言われているほかに、まだ何かあるのか、もっとその点わかるような御説明をしていただきたい。
  183. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) それでは申し上げますが、私はうかつにひっかかったと申し上げましたので、私がうかつであるということを申し上げているのでありまして、あなたに他意があったと申し上げているのではありませんから、誤解のないようにお願いしたいと思います。私が申し上げましたのは、権利の乱用を引きましたのは、権利の乱用自体を申し上げているのでなくて、たとえば停電ストに例を取れば、停電ストというものは公共福祉に反するのだという建前からこれを禁止しているのだ、もちろんそういうふうに考えているのであります。
  184. 藤田進

    藤田進君 これは時間がないから、非常に残念ですけれども、いろいろこまかい議論をすれば、ただばく然とそれだけでは割り切れないものが電気の場合あるわけで、この法律に示しているところを尋ねてみますと、直接の作為、不作為、こういうのであります。  あなたのおっしゃる公共福祉論というのは、現実国民大衆その他需用家が停電することにおいてこうむる迷惑、これを論じて、これが必要だとされるならば、それは結束から見て、直接ではなくて間接の行為、間接の作為、不作為について起る停電も影響の帰するところは同じだと思うのです。この法律には賛成の御趣旨であるようでありますが、あなたのもし所論でこれを見ますならば、直接ということだけではなくて、間接であろうとも、いやしくも需用家に迷惑のこうむる停電ということになりますものは、一切をとめることによって帰結するのではないか、かように考えるのですが、その点はまた法の不備であるから、それも元来含めた方がいいという御主張なのかどうか。直接だけじゃなくて、間接のものも含めるという趣旨にも聞えるわけで、その点いかがにお考えになりますか。
  185. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私の申し上げたいのは、公共福祉に反する争議行為として、この停電ストを禁止しておる。従ってスイッチ・オフを直接やるという行為もそうでしょうし、あるいは職場放棄をして電気をそのまま野放し放電といいますか、そういう事実もあるでしょう。そういうことが停電に直接に障害を及ぼす行為、そういう行為に該当するのじゃないかと思います。あるいは、これはそういう例があったそうでありますが、塵芥の整理をしたかったという、いつですか、そういう争議行為があったようですが、そういうことによってもし電気がとまるということになれば、やはりそれもこの法律として禁止されておる行為じゃないか、そう考えます。
  186. 藤田進

    藤田進君 そういたしますと、直接たとえば発電所のウォーク・アップをして作業をしない、あるいはサボタージュをして、発電機をとめるのではないのです。不作為、何もしない、あるいは作為、スイッチを切るとか、これは確かに直接だと思うのです。この法律では。ところが、そうではなくて、間接の障害が時間的には直接の場合よりはおくれて現われてくるでしょう、停電という事態は。一般的に言いますと、そういう間接のものであっても、電気がとまるということに関する限り、直接であろうが、間接であろうが、その結果は同じなんだから、公共福祉論だけで、そういう意味公共福祉論でおいでになれば、この法ではまだ不備だというふうにわれわれには響く。間接に争議行為がなされた結果、停電を来たしても、それはやむを得ない、こういうふうにお考えなのかどうなのか、こういう点についてあなたの御所見を承わりたい。
  187. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私は技術上のことは実はあまりよく知りませんから、その点は申し上げないのですが、ただ結果として、あなたのおっしゃる、間接に電気がとまる、それによって国民大衆が迷惑を受ける、そういう意味において、すでに本法において、それを禁止しておるものである、私はそう解釈しているのです。この法律を。
  188. 藤田進

    藤田進君 不明確ですが、直接ということだけを、これは規制しているように思うのです。文字がそうなっておりますから。労働省の説明もそうなっております。何なら政務次官に言っていただいてもけっこうです。しかし間接で電気がとまるということがあるというのです。労働省は。あなたの若干提案理由なり何なりと違うのは、緊急調整というものはあっても、まだ必要だとおっしゃるわけで、この点について、間接にとまったって同じじゃないか、電気がとまることは争議行為で、あなたのおっしゃる諸点は、電気がとまるのでは迷惑するから、電気がとまらないようにしてくれ、こう簡単に言えばおっしゃっている。だからこの法律が必要だ。ところがこの法律はあなたのおっしゃるような事態ではなくて、直接のもの、だけは取り締るのが、間接のものはいいのだ、こういうのですね。それはどういうふうにお考えなのか。間接ならいいのですか、間接でも悪いのですか、電気がとまるということは。
  189. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) これは、この二条の解釈にあると思うのですが、電気の正常な供給を停止する行為、その他電気の正常な供給に直接に障害を生ぜしめる行為、この直接ということは、今おっしゃっておる直接か間接かということじゃないかと思うのですが、ここに直接に障害を及ぼすというのは、電気の正常な供給に直接に影響を及ぼして、たとえば、今の塵芥の掃除をしないで、そのために電気がとまるということは、やはりその行為が、ここにいう供給に直接に障害を及ぼすということになると思います。
  190. 藤田進

    藤田進君 そうでなくて、あなたのおっしゃるのは、電鉄の経営関係でありましようが、電車がとまるということが、この電気労働者争議行為であってはならぬ、こういうことだと思うのですね、まあ、電車に例をとれば。しかし、この法律でお読みになったように、直接の作為、不作為で電気がとまることはいけないぞと書いてある。間接の場合、たとえば石炭を運ばないために電気がとまるとか、長い間本店支店その他の業務が停滞して、ついには電気がとまるとか、あるいは集金など長くしないために、会社の資金等が円滑にならずに、ひいては電気が、全部でなくてもとまるとか、そういうことが許されているとするならば、その結果とまるのは、やはりあなたの経営の電車もとまることにおいては同じなんですね、同じこと、間接でとまる。電車がとまるのはいいけれども、直接でとまるのはよろしくない、そういう法律になりそうなんですね、この法律が。そうだとすれば、あなた御不満じゃありませんか。
  191. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) あなたのおっしゃる間接というのは、今のような例であれば私もよくわかります。たとえば今おっしゃるように、石炭を石炭会社が運ばないために電気がとまる、そういうことをここで言っているのじゃないと思います。電気労働組合が、その争議行為として電気をとめる、それ自体によって停電が起る、こういうことを言っておるのでありまして、金がないから電気がとまる、そういうことを言っているのじゃないのでありまして、争議行為としてこれを禁止せられるゆえんは、そういう争議行為の目的自体が取引、双方の団体交渉を促進する、取引を促進する、こういうところに目的があって、そのためにまた認められている、労使の対等を維持するために認められている権利でありますから、従って、今そこで例をおあげになった、そういう意味において電気がとまり、これが公共福祉に反するかどうか、こういうことを私は申し上げているのじゃありません。
  192. 藤田進

    藤田進君 いえ、私はあなたのおっしゃるようなことを申し上げているのじゃないので、火力発電所で、石炭の労働者が石炭を搬出するのを阻止したために、石炭が来なかった。そんなことじゃなくて、いろいろな形態があると思いますが、火力発電所において、当該火力発電所の人たち、電気の従業員というか、労働者、その人たちが石炭を運ぶ関係について、これはまあ間接ですね、電気について石炭を運ぶ運ばないは間接だというのです。その石炭が円滑に運べなかったり、あるいは運ぶべき人たちがたまたま電気の組合員であったりして、ストライキに入って運べない。火力発電所が貯炭もなかったときでとまる。それから金がないというのは、要するに電気の労働者が集金人といいますか、そういう人たちがサボタージュして金が集まらない。あるいは本店、支店の業務が――電気労働者ですよ、他の労組でない、労働組合ストライキに入って――相当深刻になってくる。そういう間接の結果停電に至る、あるいは電力を制限するということで、特定地域は電気がとまる、そういうものはいいんだということになれば、それだって同じ公共福祉だから、電気がとまればみんな迷惑するのだから、そうなれば直接でとまるものも間接でとまるものも、受ける需用家としては同じ結果じゃないか。そうすると、この法律であなたの言われるように、とまるとわれわれが迷惑をする、国民が迷惑をする、その一点にしぼっての議論ならば、間接だって直接だって、とまれば同じじゃないか、迷惑するのじゃないか。そうすれば、間接も一切電気はとめてはならぬということでないと満足なさらないのじゃないだろうか。この点が不明確なんですよ、あなたの御主張が。
  193. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私はわかりやすいように言っているつもりですけれども、どうも言葉が足りなくて恐縮でありますけれども、たとえば例をあげて、それが電気のことをよく知らないために、該当しているかどうかわかりませんけれども、かりに火力発電所において石炭の貯炭があると、貯炭があるときに石炭の運搬をしないと、そういう行為と、それから貯炭が一つもないと、そこで運搬をしないということとは違うと思います。それから貯炭があったけれども、そのストを継続している間に貯炭がなくなったと、これもまた違うと思います。で、電気のストについて面接に障害を与える、電気の供給について直接に障害を与える行為を禁じているのは、その結果が電気の供給に影響を及ぼすということを予知しているか予知していないかということに解釈のポイント、があるのじゃないかと思います。
  194. 藤田進

    藤田進君 ですからあなたの場合には、間接にとまるのはやむを得ないが、直接だけはせめて電気のとまることのないようにしたいと、そういう趣旨において賛成と、こういうことですか。
  195. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) そうです。
  196. 藤田進

    藤田進君 次の問題に移りますが、あなたの数点あげられた中に、現在議論が行われている中で、バランスはとれていないという議論なんですね。労使の対等の原則、労使の力関係のバランス、これはもうごうも破れていない。ところが労働組合労働組合法によって保護せられていると言うが、その労働組合とは必ずしも一産業一組合、あるいはまた職業別の組合というものを特に肯定したり、特に否定したりはしていない。一般的にどこの組合でも自主的に作れは、ただ一人でない限り、複数以上であるならば、これは労働組合として見る、この点については別所さんも御反対はないと思いますが、さよう御認識でしょうか。
  197. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 電気の労働組合として組合を結成するのについて、電気の組合の中で会社と組合間で組合を幾つ作るかというふうなことについては、これは労組法そのものによって解釈すればいいんじゃないかと思います。
  198. 藤田進

    藤田進君 ですから、日本の現在の法規に照らして両者が自主的に結成すればいいことであってなにも労働組合のそれぞれの組合員の施設なり職種なり何なりというものは規定していないわけですね。この点は御理解できるのじゃありませんか。だから何も一産業一組合に限って頭を固定してこの法律を考えるということには無理がある、どうなんでしょうか。
  199. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) それはその通りだと思います。
  200. 藤田進

    藤田進君 たとえば国鉄において今機関車の方々が機関車労働組合を作っているというふうに、電気の場合は一時七、八年前だったと思いますが、火力発電所だけでやはり利害が相当違うから、一般の本店その他よりもですね、火力発電所だけの組合を作るか、それだけの協議会を作るかという議論現実に出ております。ところで発電所の技術者、火力、水力も含めて発電所並びに変電所の従業員の労働組合という職種別の組合ができる可能性は絶対ないとは言えない。そうすると、その火力発電所や、あるいは変電所やそういう現場労働者の、電気労働者組合というものができた際には、これは全然まる腰で何にもできないとまあ見ていいのです。このスト規制法によりますと。何にもできない。いわゆる団体行動をする権利というものが剥奪されてきて、争議行為とは労調法に定義しておるように、主張を貫徹するために相手方の正常な業務の運営を阻害するんだ、もっとわかりやすく言えば争議行為は相手方の生産をやはりとめる、つまり労務の提供がないのでありますから、資本だけでは回転しない、生産がとまる、あるいは生産が一部制限し、低下するというような形態が争議行為だと思うのです。これは同盟罷業といい、怠業といい、いろいろ規定してある。ところが今申し上げた発電所、あるいは変電所労働者組合というものが、そういう手段は一切ない、まる腰なんですね、これは。そうなれば自分たちの賃金なりその他労働条件について会社と交渉するけれども、団体交渉する権利だけはあるけれども、いざ交渉がうまくいかない。交渉を促進する、妥結する、貫徹するという手段はないと見なければならぬ。それがあるとするなれば、その例示をしていただきたい。こういうものがある、そうないということに関する限り罷業権というものはない、このスト規制法でとめてある。そうであれば膨大な資本に対して、力に対して、労働者はまる腰しで何の対抗手段もない。これでなおバランスがとれているというのは、どういうことになるのか、この点御説囲いただきたい。
  201. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 藤田さんは今の日本労働組合の現状においては、まるで起りそうもないことを仮定としておっしゃっておるのでありますから、これについて、それができたときにどういうふうにするかということは申し上げることもできないんじゃないかと思います。ただ現状においても、たとえば罷業権を取り上げられておる国鉄のようなものがあるのですから、それに対してそのときにまた適当な方法を考えればいいんじゃないかと思います。
  202. 藤田進

    藤田進君 これは今度時限立法で一年とか三年というのじゃないのであります。今の法案は御承知通り未来永劫という、まあ社会党内閣でもできれば廃止されるであろうというような性格のものでありますが、現実にまた予想し得ないことを私申し上げているんじゃないのです。そうじゃなくて、現実に今の労働組合の組織というものは、実態は御承知だと思うが、各企業に組合があって、職場に支部があるわけです。今の現在の組合ですよ。職場に支部がある、あるいは分会と称するところもある。それは発電所、あるいは発電所でも水力、火力がありますが、大きい発電所等についてはそのまま支部を形成しているんです。ストライキというものはその企業の組合が全部がストライキをしなきゃならぬということは法律できめちゃいない。火力発電所当該支部において固有の問題がある。要求を貫徹しよう、団体交渉をした、これで解決をしない。そういう場合には支部が上位機関の了解のもとに争議行為争議手段に訴えることができるのであります。現行法はそれをどこにもとめていないし、現実にそういうことはある。ただその際に、労働者の連帯性において企業全体の組合が同情的に立ち上る。さらに企業外の電気の人たちを初め、あるいは私鉄の人たち、国鉄の人たちも、まあ日本では国鉄の人たちストライキはできないかもしれませんけれども、私鉄なりなんなりがさらに広範の同情ストライキに入る。もちろんこういうことは連帯性においてあるけれども、しかし、そういう広範なことを決して別所さんは期待してないと思う、ストライキの広範化することを……。だとすれば、当該発電所の支部において要求が貫徹するように、争議範囲が極力狭くなるというのが公共福祉と結びつく議論になる。そういう現実組織論から見ると、当該火力発電所なりの支部は行動する範囲が何にもない。こういうことになって労使のバランスというもの、がこれはくずれてきやしないか。しかもそれが企業の一つや二つじゃない。多数の発電所の支部がある。これでもなおバランスがくずれてないと称せられることについては、重ねて一つ御所信を承わっておきたい。
  203. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 今電気労働組合の支部を一つの例としておあげになりましたが、支部がストをやるというときに、今ストができない、なるほどその通りでありましょう、現状においては……。しかし、支部というのはその電気労働組合の中の一つの単位でありまして、それが争議ができないということのために労使間の関係のバランスが破れているということにはならないのでして、電気労働組合という母体そのものが当然その会社そのものを相手にして争議をし、あるいはそのものを相手にして交渉をすればいいのでありまして、その点において支部が単位として争議ができないからといって、バランスは破れていないと思うのであります。
  204. 栗山良夫

    栗山良夫君 ごく簡単に一点お伺いいたしたいと思いますが、その前に今の御答弁の中でですね、ほかの一つの組織の中でほかの部門に争議権があれば、他の部門はなくてもよろしいという御議論でありますが、大体憲法が保障しているところの争議権というものはですね、よく堀り下げていくというと基本的人権でありまして、個々人に保障されている権利じゃないか。
  205. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) ちょっと伺いますけれども、今ちょっと聞えませんでしたからもう一度伺いますが、争議権は個々人に与えられているものじゃないかという御質問ですか。労働者の個人個人に与えられているのじゃないかという……。
  206. 栗山良夫

    栗山良夫君 基本的な人権として個人個人に与えられているのじゃないですか。
  207. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) そういう御質問ですね……。そうでございます。
  208. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうなれば今の藤田君の質問の中で、ある職場におる労働者の権利、完全に争議権がなくて全部剥奪されてしまうということになれば、これはやはり非常に重大な問題であります。あなたの先ほどの御説明ではちょっと足らないところがあるのじゃないかと思います。
  209. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私の答弁のどこに今御質問の点との食違いがあるか、ちょっと今の御質問じゃよくわからないのですが、もう一度おっしゃっていただきます。
  210. 栗山良夫

    栗山良夫君 たとえば例をとりますと、発電所に勤務しておる労働組合員に対しましては、停電スト、あるいは電源スト、要するに作為、不作為の争議行為というものは禁止されておる。要するに争議権というものはないわけですね。それだから片手落ちじゃないか、こういう御質問が行われましたのについて、あなたは一つの企業別組織であれば、その部分に争議権がなくても、他の部分にあるのだから、それで一向かまわないのだ、要するに基本的人権というものは一つの企業別組合の団体に与えられておるというようなお話がありましたから、それで私は今御質問を申し上げておるわけです。
  211. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) それじゃあ申し上げますが、企業別組合というものに争議権があれば、支部に争議権がなくてもいいということを申し上げているのではなくて、支部に争議権があるということはそれは建前でありましょう。しかし争議方法として、この停電、電気の供給をとめるとか、こういう手段を禁止されているということにおいては変りはないのであります。従ってたとえば発電所なら発電所に勤めている組合員は、その発電所に勤めているので、そこで停電、電気の供給をとめるような直接、間接の行為をストとしてできないというだけのことであります。
  212. 栗山良夫

    栗山良夫君 まあこの問題は、これは先ほど非常に不思議に思ったものだからお尋ねしたのでありますが、まだ完全によくわかりませんが、そのくらいにしておきます。  次に、先ほど別所さんが、本法の効力の延長について労使間のまあいわゆるあなたの言われるところの望ましい慣行、あるいはまた社会公共福祉と、争議行為の限界、こういうものについてだいぶん詳しく、いろんな点からお述べになりましたことも拝聴いたしておりましたが、その御議論をもとにして、あなたが直接関係をしておられる私鉄鉄道事業についてちょっとお尋ねしたい。ただいま本法は電気事業と、石炭鉱業の二つを対象にしております。しかし、公共の度合からいえば、電気と私鉄とどちらが高いか、これはまあ僕らは常識で判断しておりますが、石炭鉱業よりかはるかに高い。石炭鉱業はどちらかといえば、完全な私企業であり、基幹産業であるというだけでありまして、公共の度合いから言えばはるかに電気、あるいは私鉄の方が高い。その私鉄の労使関係において、あなたが今ここでお述べになった所論、争議そのものをどういう工合にお考えになるか。やはり私鉄事業の中においても、今、あなたが述べられた意見というものをそのまま適用されるかどうか、あるいはそうでないか、これをお伺いしたい。
  213. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 争議権の限界につきましては、私がここで申し述べました考え方は、それが公共福祉に関する限りは私鉄においても変りはないと思います。ただ私鉄は、私鉄の中にもスト規制法一つ一緒に入れろという意見もありますけれども、いつも時間切れで追っぱらわれている事情にありますので、一つよろしく御配慮を願いたいと思います。
  214. 栗山良夫

    栗山良夫君 そうしますと、私鉄経営者としては本法のような好ましい法律は、ぜひとも私鉄事業にも適用されるようにしたい、こういう御意見であると伺ってよろしゅうございますか。
  215. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私鉄はただいまこの法の存続に関連して、この法に私鉄を入れてくれということを主張しているのでもなく、また、私鉄の経営者が今そういうことを希望しているわけでもありません。ただ、私鉄について公共の観点から見て、公共福祉を維持するという観点から見て、私鉄の争議を禁止してもらいたいと、こういう意見が出るのは、当然だということを申し上げたのであります。
  216. 栗山良夫

    栗山良夫君 よくわかりました。そうしますと、別に本法はそのままもう少し字句を書き加えて、電気事業石炭鉱業並びに私鉄事業というような工合に入れることは希望しないけれども、何らかの格好で規制されることを望んでいると、で時間が大へんバスに乗りおくれているから早く乗せてくれ、こういうお話しでありましたが、そうしまするというと、政府が説明いたしますように、どうしても法律の効力を緊急に延長したければならぬ、待ったなしに延長しなければならぬと言われておりますが、そういうような緊急度は現在の私鉄事業にはないわけでございますか。
  217. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 政府がどういうふうに答弁しておるか、私は知りませんので、あなたが今緊急度とおっしゃりましたが、政府が果して緊急度と言っているのかどうかわかりませんので、私はそれについて答える限りじゃないと思います。ただ、この法律を一度今ここで廃止するということは、結局電気の供給をとめる争議行為は認められたのだ、そういう誤解を一般の組合員に与える心配もありますので、ここで私は存続をすべきだと考えます。
  218. 栗山良夫

    栗山良夫君 最後に一点伺います。それでは私鉄の経営者の方の団体、あるいは企業の責任者でもけっこうでございますか、そういうところからこのスト規制と同じような格好で私鉄の争議規制を何とかせられたいというような運動を、今日まで政府筋かあるいは与党である自民党か、そういうところになさったということはありませんか。そういうことは全然おやりになっておりませんか。
  219. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私は今私鉄の経営者協会におるわけですが、私が知っている範囲では、そういう運動を今までまだしておりません。そういう争議制限法を作ってやろうとおっしゃれば、これから一つ運動いたしたいと思います。(笑声)
  220. 田畑金光

    田畑金光君 別所さんにお尋ねいたしますが、先ほどの最後のころのお話しの中に、会社が制電計画をやる、これはやむを得ぬであろう、また国が国の施策として炭鉱をつぶすことも、これはやむを得ないだろう。なぜならば国家というものは常に国民福祉増進を目ざして動いているものであるから、こういう趣旨の説明があったわけであります。そうしますと、私はあなたの御議論を承わりますと、国家というものは常に正しいことをやるもの、だ、正義である、こういう考え方に立っておるわけです。これは古くからの歴史的な発展を申し上げるまでもなく、たとえば部族国家があった、あるいは専制国家があったとか、あるいは絶対君主制の国家があった、近代的市民社会の国家ができたとか、国というものは常に変遷をしているわけなんです。ところが現在の段階において国家のやっていることは正義である、すべて正しいのだとすると、未来というものがどう発展していくかということは、またこれは大いに考えなきゃならぬと思うのです。で、私は国家がこのように変ってきたという事態において、そのときどきの国家が正しいと考えていたことは、常に尺度が違ってきているわけですね。かりに今の国家がこういう法律を作ったからこれは正しいのだ、こうあなたは議論として出されておられますが、先ほど話も出たように、もし数年後に社会党の内閣ができて、社会党政権のもとにおける国家がこういう法律は不必要だ、そういうことになってきた場合、そのときはあなたはこの法律廃止することに賛成されますか。
  221. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 社会党が政権をお取りになるのは、まことにおめでたいことでして、そのときに廃止されるのも、それが政府の方針であれば、やむを得ないと思います。
  222. 田畑金光

    田畑金光君 そのときは一つ社会党のやることが正しいのだと、おれたちは今まで間違った考え方を持っていたのだ、そういうことでかぶとをぬがれるというのはよくわかりますが、少し先ほどの議論は暴論じゃないか、こういう感じを持つわけです。  それからさらにお尋ねいたしますが、先ほど船員法三十条を引かれたわけですが、なるほど船が外国の港にあるとき、あるいは人命に影響を及ぼすとか、船舶の転覆をきたすとか、そういう争議行為をやってはならないと、こう船員法三十条にはうたってあるわけです。いろいろな場合が想定されるようと思いますが、大洋のまん中で船が動いていて、そこでストライキをやる。こういうようなことが一体あり得るかどうかという問題が出てこようと思います。あるいはまた、波静かでない、嵐のときに同じく大洋の中にあって、船に乗組んでおる船員がストライキをやる。一体そんなことが考えられるだろうか、こう私は思うのです。それで炭鉱の問題についていろいろお話がありましたが、今度の法律存続する必要があるという主張の中には、今までたびたびそういう指令があったのだ、らしいとか、だろうというそれだけの理屈でもって、一体法律存続主張する根拠になるだろうかという問題です。私たちは再三公聴会で承わっておりますが、戦術として労働組合はそのようなことを言うかもしれないけれども、しかし、労働者自分職場を守ろうというのは本能的な叫びであると思います。それはちょうど私は大洋のまん中にある船において船員がそこでストをやるということは少しも考えられないと同じように、同様な私はケースじゃなかろうかと、こう思うのです。ただ立法する上において、あるいは法律の継続を求める上において、そういうようならしいとか、だろうというようなことでやるということは、少しわれわれは暴挙であると考えますが、その点どうでしょうか。
  223. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) そういうスト指令を出したというだけで、それを理由にしてこの存続主張することは少し行き過ぎではないかという御意見のようでありますが、スト指令というものは、これを実行するということを基礎にしてお出しになっておることと、私は考えるのであります。実行をしないスト指令というものはないのじゃないか。また、そういうものは組合運動としてまことに無意味じゃないかと思います。もしも実行しないスト指令であるならば、初めからお出しにならなければ、これの存続ということは問題にならないじゃないかと思うのです。
  224. 田畑金光

    田畑金光君 先ほどから承わりますと、私鉄経営者協会におられる別所さんでありますから、相当、労働問題には御理解がある方と思います。私のこのくらいの話がわからぬはずはないと思います。ただしかし、今言ったような立場を貫かなければ、先ほどの公述がまた維持されないということは、私もよく同情いたしますけれども、問題は三年間この法律が実施されて一度もなかった。しかし指令はあったのだ。坑内の保安放棄というものは一度も実施されなかった。この具体的な事実を私はよく御理解願えば、私の質問に対する答えというものは、おのずから出てこようと思います。しかし、その点は時間がかかり、こんにゃく問答になると思いますが、あなたの先ほどのお話を承わっておりますと、爆発してから法律を考えるということは、日本政治というものがないことを物語るものだ。ところが労働組合のストによる保安放棄で坑内爆発を起したということは三年間一度もないということを申し上げたが、毎年御承知のように新聞を見ますと、坑内のガス爆発等が起きておるのです。今年になってからでも五百名以上の人命が失われておる。一体これはどういう工合に解釈したらいいですか。ストライキによって人命に被害を及ぼすようなことはやってはいかぬ。ところが現実ストライキはやらんけれども、五百数十名の人命がすでにガス爆発のために坑内で失われている。これはどうですか。
  225. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 私は争議権というものは、爆発を起すようなそういう方法争議権を行使してはいけないという、そういうことを申し上げているのでありまして、爆発が実際起って人間が何人死んでいる、これがどういうことになるかということを申し上げてはいないのでございます。これは鉱山保安法なり、鉱業法なりありまして、事業者もそれに従ってその鉱山の爆発については十分な措置を講じているのだと思います。その結果として、かりに爆発があるとしても、それをもって政治があるとかないとかというお話とは別じゃないかと思います。
  226. 田畑金光

    田畑金光君 もう少し私はそこを堀り下げて考えてもらいたいと思うのですが、まず鉱山保安法規定しているように事業主の責任、あるいは監督行政機関としての政府の責任、そういうような点が一体ほんとうに守られているのかどうか、そこが厳重に履行されておるのかどうか、こういう問題がガス爆発の頻発ということにつながっておると思うのです。もう少し私は経営者の責任とか、あるいは行政府の責任とか、こういうような問題についても深くやはり考えてもらう必要がありはせぬかとこう思うのです。また、先ほどあなたのお話を聞いておりますと、保安放棄をすると、直ちにこの第三条に掲げたような事故が起きてくる、こういうような話でありますが、これも非常に私は飛躍した議論、だと思うのです。坑内の保安というものは、けさほども公述人からいろいろお話がありましたが、各山の事情に基いて千差万別である。たとえば鉱害の問題までがその第三条に規定されているのですね。鉱害なんというのは、決してストライキのときの保安放棄によって起きるものじゃない。別所さんもあるいは炭田地帯を回られたのでよくおわかりだと思うのだが、九州のたとえば飯塚なんかに行って見ましても、まことにおそるべき鉱害が起きておるのです。あれはストのためじゃないのです。何十年間か地下を採堀した結果がああいうことになっているのです。そういうようなことすらも、これは規制法によって縛って行こうということなんですから、まことにどうも暴挙だと言わなければならぬと思うのです。一体こういうようなところの御理解をもってこういう法律をあなた方はなお支持されておるのかどうか、また、私はこれはもうお答え願わなくても特に私鉄の別所さんでもあるし、抽象的なことを聞いても、それは議論にならん、こう私は考えるのです。ただもう一つ、私はあなたの言葉の中で非常に遺憾に思うことは、組合運動が年数からいっても非常に浅い、経験からいっても浅い。あるいは階級的であり、観念的である。それは批評をなさることもけっこうだと私は思いますが、それでは経営者の方はどうかという問題だと思うのです。これは労働関係というものは労使の関・係でもって相関関係ではないかと思う。もう、あなたが労働組合がそのように未熟であるとするならば、経営者も未熟であるということが同様に言えるのではないかと思う。一体争議行為というものがなぜ私は長期かつ深刻化するかというと、労働組合の未熟というよりも、そこにやはり物を与える能力を持ち、余力を持つ経営者が、あまりにもふところをあたためていこうとする考え方が強過ぎる結果ではないかと思う。だからあの昭和二十七年のストライキも公衆が非常に不便をこうむった、公衆の便益を害したいというか、公衆の便益を啓したそもそもの原因は、あのときの経営者が一銭も出そうという妥協の意思がなかった。それが公衆の便益を寄している。どういうようなことを考えたときに、これは一体未熟ということが労働組合だけなのか、経営者自身でもそのような反省をお持ちであるのかどうか、この点一つ参考までに別所さんに承わっておきたいと思います。
  227. 別所安次郎

    公述人別所安次郎君) 今のお話は回答しなくてもいいとおっしゃったので、よく聞いていないのでありますが、経営者労使関係改善するということは、もとより十分配慮していることでありますから、組合も成長するでありましょうが、経営者も成長しているのであります。また、労使関係改善については、もちろん十分考慮していると思うのであります。もしも回答になっていませんでしたら一つお許しを願いたいと思います。
  228. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは向井長年さん、別所安次郎さん、大へんお急ぎのところを長時間にわたりまして恐縮でございました。どうぞ御退席を願います。(「まだ質問が残っているよ」「向井さんにまだあるよ」と呼ぶ者あり)
  229. 向井長年

    公述人(向井長年君) まだ私に対する質問が……。
  230. 千葉信

    委員、長(千葉信君) ちょっと向井さんに申し上げますが、最初お時間を聞きましたときに、かなりお急ぎのようでございましたので、その点考慮して取り計らいました、悪しからず。
  231. 向井長年

    公述人(向井長年君) 私、先ほど申し上げましたように、五時ごろ会合を予定いたしておりました。ところが、若干開会される時間がおくれましたので、余裕をつけましたので、質問があれば承わりたいと思います。(「われわれの方に質問はございません」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)     ―――――――――――――
  232. 千葉信

    委員長千葉信君) 北陸電力の常務取締役の竹村重武さんに御公述を願います。
  233. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) 北陸電力の常務取締役の竹村重武でございます。私は、実は電気の技術屋でございまして、電気事業には三十余年の長い間勤めております。しかるにどうした回り合せか、昭和二十一年以来今日まで十年の間電産並びに電労の諸君とは親しくお話し合いをしておるというような関係から、本日参考人として呼ばれたことと思います。申し上げましたように技術屋でございますので、法理論は別として、私の三十余年の間に見ました電気事業の性格なり、あり方なり、あるいは十年のおつき合いで知りました組合事情なりから判断いたしまして、きわめて常識的に私の意見を申し上げ、また結論を申し上げたいと思います。もちろんスト規制法存続をぜひとも必要とするものであることは、はっきり申し上げておきます。  昭和二十七年の大ストライキがございましてから、はや四年の年月を経過いたしておりますので、当時の状況についてはそろそろ皆さんの記憶から薄らぎつつあるときではないかと考えます。そこで一体あのときのストライキというものが、どんな大規模なものであって、どんな影響を及ぼしたかということをごくかいつまんで申し上げて、皆様の御記憶を新たにしていただきたいと思います。  あのときの総停止電力量は、三億六千二百万キロワットアワーの多きに上っております。これに対しまする需用家の損害想定というものが四十六億にも及ぶといわれておるのでございます。しかも、この想定は三千キロワット以上の工場については約その三五%、五百キロワットから三千キロワットまでの、工場につきましてはその三〇%、五百キロ未満の小さな工場につきましては全国約百万工場ありますうちのわずか七百三十四というものを取り出して調べた結果でありまして、しかるがゆえに全体の損害というものは想像にあまりあるほど大きなものであったと思います。しかるにこの間に組合員の失った賃金というものは、わずかに三億一千六百万円であります。これが約四ヵ月の間に失った賃金であります。しかもそのうちで電源ストであるとか、あるいは停電ストというようなものによって失った賃金は合計で二千数百万円にすぎないのであります。ですから、いかにその停電なり、電源ストなりというものが当事者の被害が少くて、全然関係のないところの社会、大衆の損害が大きいかということは、この数字だけでもよくおわかりのことと思います。  しかも、現在の事情は、その当時とちっとも変っておらない。現状はますます電気の利用範囲はふえて参りまして、その電気の持つところの公益性なり、あるいはその使命というのは、ますます重大化しつつあるのでございます。そのために今後、もしも起るようなことがありましたならば、この電源ストなり、停電ストなりのもたらすところの影響というものは、二十七年以上の大きなものになるであろうということが想像されるのでございます。かような公共福祉なり、あるいは国民の経済なりに重大な影響を及ぼすがゆえに、この法律が定められており、なお今後もこれを必要とするであろうということを私どもは考えております。  電気事業は、今申し上げましたように、事業自体が生産即消費であって、その間にちっとも貯蔵できない、またかわりの品物もないというような関係から、停電はすなわちすぐ需用家に影響を及ぼすというような特別の性格を持っておるのでございます。かような電気事業におきまして、われわれ事業主は全く組合からどんな争議をしかけられても、どんな要求を突きつけられても、何らの対抗手段がないということになっております。すなわち工場閉鎖であるとかというような経営者側が最後に使い得るところの武器をも持っておらぬわけです。過去において使いませんでしたが、これは事業の性格上使い得るものとは決して考えておりません。そこにおいてこのスト規制法の第二条には電気事業事業主、または電気事業に従事する者はこれこれということでストを禁止されておるというのでありまして、この法律があってこそ、初めて労使は対等であると言い得るのだろうと思います。もしもこれがなかったら組合はどんどんストができる、停電ストができる。その結果は経営者が工場閉鎖したと同様の影響を需用家、社会、大衆に及ぼすということになるのであります。そういうことが事業主としてできないのに、組合員のみ許されておるというのは、私は矛盾してやせぬか。これがあって初めて私どもは労使の間が対等であり、きわめて公平な取り扱いということに考えられるのでございます。それで組合は電源スト、あるいは停電ストといいますけれども、それは決して停電し、電源を放棄するものではないのだ、ただわれわれはその職場を放棄するのみであって、これが停電という結果に現われ、電源ストという結果に現われて、電気の正常な供給を阻害するということは会社側の責任である、かように申す向きもあります。なるほどへ理屈はまさにその通りであります。しかしながら、現状におきましては、全従業員のわずか五%が非組合員であり、かつまた、発電所においてこれを見まするならば、五千キロワット以上の発電所で所長ただ一人が非組合員であり、また、変電所においては十五万KVA以上の変電所において主任一人が非組合員である。こういうような状態において果して組合職場を放棄した場合において、会社があとを引き受けてそれを守り得るかどうかということは、およそ常識ある方々判断にかたからぬことだろうと思うのであります。すなわち発変電所における職場放棄は、すなわち直ちに停電ストなり、電源ストになって現われるということは、実に火を見るより明らかだろうと思います。それをしも会社の責任であるかのごとく言われるのは、はなはだ迷惑しごくなことであって、あるいはアメリカ等の例には特に違った例があるかもしれません。しかしながら、いろいろ事情が異りますので、それはそれといたしまして、日本の現状は今申し上げたような状況でございますので、この停電ストなり、電源ストなりはとめていただかなければどうにもならぬという実情にあることを申し上げます。  また、存続反対の側の人たちの中には、三年の間この法律が施行されたけれども、その間に違反事件が一つもなかった。従って存続の必要がないというような議論をなす方もございますが、それは全くの誤りであろうと思います。大体法律がある以上は、それを守るのが当りまえであって、違反事件がないのが当然だろうと思います。それでその違反事件がなかったからその法律は要らぬのだというような御議論は当らぬことじゃなかろうかと思います。のみならずその間にも規制法違反すれすれのものが二、三あったことを遺憾とするものでございます。ただ、その間に組合も二十七年の争議にあきたらなかった、さらに電労というようなものができまして、だんだんに穏健な組合が育成されつつあることは事実でございます。しかしながらその半面、今や電労十二万、電産二方、ということで、かつての主客を転倒したわけでございますが、それだけにかつて電産におられた諸君も電労に入っておられるわけであります。それで将来その問いろいろ意見の調整もございましょうが、発足当時の電労の穏健なる指導精神そのままでいくとは、私どもも考えられないのでございます。しかるがゆえに過去三ヵ年間において実績がなかった、あるいは違反がなかった、あってもすれすれであったから大丈夫だろうというようなことによって、将来大丈夫であるということを断言し得ないのを非常に残念に思うものでございます。  要するにスト規制法、決して組合からスト権を取り上げて、そうして組合を弱体化す、そして会社側に利益しようというものではないと私は確信いたしております。ただ、電気事業における争議行為のうち、不当なものの範囲を明確にしたというにすぎないと私は考えます。元来争議行為経営者に対する威迫力というものは、それは直接経営者経営的利害に対するものでなくてはならないのであります。争議行為の結果、直接脅威を受けるものが社会、公共の利害であったり、あるいは労使双方生存の基盤たるべき企業の財産であってはならないというのが、私は争議行為の大体常識であろうと考えておるのでございます。しかるに、停電スト、あるいは電源ストの場合はどうであるか。川に流れておる水ならばいざ知らず、莫大な費用をかけて取入口の堰堤を作り、長い隧道をもって水槽まで導いたその水、それを発電所の職場放棄によって余水路から流してしまうというのは、生産すれば商品になる、その寸前において材料を捨てるがごときものであります。こういうことが許されるかどうかということに、私は大きな疑問を持っておるのでございます。こういったようないわゆる争議行為の常識というものが、ことごとく徹底いたしますならば、必ずしも本法は必要でないと思うのでございます。しかしながら現状におきましては、いまだかような常識が組合員の全体に行き渡って理解されているとは考えられません。  なお、本法がありましたからといって、決して組合がスト権すべてを失って、そして手も足も出ないというような状態にはないはずでございごます。なお事務ストであるとか、あるいは集金ストであるとか、数え上げれば数知れないほどたくさんのスト行為はございます。それによって絶えず経営者は脅威を受けておるわけであります。また、それによってそのたびの交渉も組合側に有利に展開しつつあると私は確信いたしております。その証拠には規制法かしかれて以来三年になりますが、その間に決して電気事業の賃金なり、あるいは電気事業の賞与なり、すべての労働条件が、他産業に比較して見劣りがするような結果になったということは今日ないはずでございます。これを見ましても、決して組合はスト権を奪われて全く手も足も出ないという状態ではないと思います。また、この程度のもので、ちょうど労使がバランスするんじゃないかと私は考えております。  それに、もう一つは、このストというものに対する社会一般の批判がきわめて低調である。なかなか規定もなしに、制約もなしにやらすには、あまりに世間の一般の批判が低調であるように私は考えております。なおまた、ストの結果に対するところの組合員の批判、あるいは反省というようなものもいまた十分ではないと思っております。いま少しくそういったような世間の批判なり、あるいは組合員の反省なり、また結果に対する批判なりがもつと成長した上において、廃止というようなことは脅えるべきであって、これはなお今日の状況においては存続を必要とすると私は考えますので、その意見をここに申し上げた次第でございます。
  234. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でございました。
  235. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、日本電気産業労働組合委員長小川照男君にお願いいたします。
  236. 藤田進

    藤田進君 竹村さんに質問を……。
  237. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) 私は七時ごろまでけっこうです。
  238. 千葉信

    委員長千葉信君) 申し上げますが、七時ごろまでの人はずらっと並んでおられます。
  239. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) もしそれで七時ごろまでに……。
  240. 小川照男

    公述人(小川照男君) 私は御指名にあずかった小川でございます。発言をせいということでございますが、私どもここに来て、本日一時から来て待っておりまして、申し上げることは皆様に十分わかっていただきたいために、また、そういう御趣旨でお呼びになったと思います。そこでまず申し上げて、納得のいかない点について十分御質問願って、私どもの考えておることをお聞き願いたいと思います。  そこで今非常に時間のことが各人とも……、それは私どももお呼び願って参ったことでありますから、そう無理なことも申し上げませんけれども、国会ということで若干承知はいたしておりましたし、私ども別に個人的なあまり用事はさほど言わずがまんしておりますが、今からこういう形でなされまして、そうして御質問がされますと、相当今晩おそくなるし、また私どもも皆さん方もそうだと思いますが、こういう空気の中で長時間おりますと、やはりまとめたこともはっきり申し上げられるかどうかというようなこともありますし、一つなおきょうの公述のあり方といいますか、時間的な問題について、私ども今日いけなければあす東京におりますので……、それは委員会の御都合もございましょうけれども、やはり私どもの都合もお考えになって、何とか進め方についてお話を願えぬものかということを希望いたすわけなんですが……。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)
  241. 千葉信

    委員長千葉信君) 速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  242. 千葉信

    委員長千葉信君) 速記をお願いします。  それでは一つ小川照男君、公述を願います。
  243. 小川照男

    公述人(小川照男君) 私は日本電気産業労働組合の中央副執行委員長の小川照男であります。  御指名によりまして、電気事業及び石炭鉱業における争議行為方法規制に関する法律附則第二項の規定により、同法を存続させるについて、国会の議決を求めるの件につきましての公述人としての意見を述べさしていただきます。  まず結論から申し上げますと、本法を存続させることには、きわめて強い反対の意見を持っております。その理由をまず簡単に個条的に申し上げまして、後ほど各位について着手の補足をいたしたいと思います。  まず第一に、基本的な法律的な問題、また憲法の違反というような疑義等から反対をいたしたい。それから第二番目に、健全な労使間の慣行確立に阻害になる。それから第三番目に労使の間の力の均衝を失って、この法律は資本家側を一方的に有利にするものである。それから第四番目に、その結果といたしまして労働条件が非常に低下をきたしている。以上四点から、本法につきましては強い反対の意見を持っております。そこでまず順を追いまして、若干の補足をいたしたいと思います。  まず第一に、本法は憲法二十八条の違反であると私は考えております。御承知のように確かに憲法の十二条、十三条には「公共福祉」ということが言われておりますけれども、特にこの二十八条は、ばく然たる問題ではなくて、いわゆる「勤労者」という特定な国民の階層の利益を、基本的な権利を、こういう形で認めるのだという明らかな、いわゆる国民の中の特定な層といいますか、そういう形に指定をしてございます。これを一般的な十二条、十三条に言う「公共福祉」という形で、この基本権を奪うべきでない。特に確かに十二条、十三条には書いてございますけれども、この「公共福祉」という問題は、私どもあ考えでは、いわゆる国民一般に与えられている人権といいますか、権利を行使することによって、逆に他の基本的な権利を阻害する場合、こういう場合には十二条、十三条の問題が問題になろうかと思いますけれども、少くともこの団結権という形の中で行われている、本法で規制されているようなことは、若干のあるいは問題点がありましょうとも、少くともこれによって基本的な権利が、いわゆる権利の侵害を受けるというようなことにはならない、そういうふうに解釈をされる。そういうことは事実でありますので、そういうことから、ただ一片の「公共福祉」というばく然たる字句で、二十八条の権利を奪うべきでない、こういうふうな考え方を持っております。  それからもう一つ憲法の問題から申し上げますと、たしか憲法の十八条だったと思いますが、いわゆる日本国民はだれも奴隷的な労働は強制されないという事項がございますけれども、少くとも発電に従事している労働者が、自分の与えられる賃金が気に食わないから働かないというのを、「公共福祉」というばく然たることで、お前は働けと、こういうようなことは、明らかに憲法十八条の奴隷的労働を強制される結果になるのではないか、こういうふうに考えられますので、以上の三点から憲法違反であるというふうに考えざるを得ないと思います。  それから同じく法理的な問題といたしまして、そもそもこの法律が制定されますときに、先ほどからもいろいろ御議論がございましたけれども、私どもが前、昭和二十八年の第何国会でありましたか、このことが衆参両院で論議されております過程で、提案側の政府のそれぞれの担当者から申されましたことは、この法律は今まで違法であると考えられているものを、いわゆる規制をするんだと、いわゆる法律的には字句を知りませんが、解釈法規だと、当然違法であると解釈されておるものをこの法律ではっきりするんだと、こういうことも言われておりました。しかしながら、先ほども同僚の向井公述人が申し上げましたように、電気事業の中で行われました本法施行前のストライキの問題について、二十五、六件に上るいわゆる容疑事件としての問題がありましたけれども、すべでが無罪になっております。と申し上げますと有罪があるじゃないかというお答えがあると思いますが、確かに四国で起きております事件については若干の有罪がございます。しかしながら、この有罪は電気を消したことがけしからぬという、いわゆるスト規制法でとめられているあの事項、あの出時はスト規制法はないのですが、これがいかぬということじゃなくて、職場放棄をやったものについて、会社が運転をしに来ようとしたのに対して、ピケを張って阻止をした。あのピケの張り方がいかぬのだ。このピケの張り方についての違法性といいますか、威力業務妨害、威力をもって会社の業務を妨害した、ピケットでやった。こういうところに問題があるのであって、発電所の職場を放棄してスイッチを切ったということ自体が違法であるという形は、どの裁判所でも言われておりません。これは全部合法であるということを言われております。いわゆるこのスト規制法ができる前に起きた事件については、全部が合法であるという判定が、しかも昭和二十六年であったと思いますが、すでに停電ストライキについては東京の高裁で、いわゆる最終判決になりまして無罪の判決が出ております。これは検事控訴もいたしておりません。確定をいたしております。いろいろの解釈論はあろうとも、最終的に確定したことが、少くとも法律のある日本の国では最後のものだと私どもは理解をいたしております。そしてあの当時言われた、いわゆる担当の方々の言われ方といいますか、本法の性格自体、立論の根拠といいますか、これ自体にすでに誤りがあったということが言えると思います。聞くところによりますと、その後だんだん当時言われたことはお忘れになったかどうか、いろいろなことが言われておるようであります。しかしながら法律というものはできる過程に言ったことを、そのあとの事象からいろいろな形で変えられていくと、こういうことは国民として非常に不安なことでありまして、法律ができても、いろいろのことに使われる、こういうことはきわめて私ども遺憾であると思いますし、そのようなあやふやな法律、解釈的にもあやふやな法律はこの辺でやめてもらいたい。  それからこれもやはり同じことでありますが、この法律が成り立ちますときに、国会でここにおいでになります労働省の中西労政局長もおっしゃったと思いますが、委員会で、間接的陣雲は本法で規制する考えはないという御答弁をされております。犬養法務大臣もおっしゃっておいでになります。小坂労相もおっしゃっております。ところが最近の何では、スト規制法に抵触するようなストライキが行われたとか行われないとかいうようなことがそれぞれの方々から、政府側から言われておるようでありますけれども、それほどにこの法律の内面的な解釈というものが非常にあやふやである。こういうものについてはやはり受ける方もこれでは困る、一つ存続とかどうとかいうことでなしに、根本的に法律の立論の根拠からさかのぼって、一つ慎重に時期をかえて国会としては御論議をされてしかるべきではないかというふうに考えます。  それから特に申し上げておきますが、この前のときに時限法ということになりました。一般的に、まあ法律学者の理論かどうか知りませんけれ、ども、大体時限法律というものは、その時期が来たならば一応やめるべき性格のものを持っておる、こういうふうに大体は言われておると、私どもはしろうとながら存じております。そういうことからも、やはりあのとき時限法といり法律になったということば、やはりここで当然法律的にはやめるべき性格を持っておるんじゃないかというふうに理解をいたしております。  それから他の公述人も申し上げましたが、いろいろ公共福祉の問題が言われておりますが公共福祉が害されるような状態が来るならば、労調法三十五条の第二項でありますか、緊急調整が一応発令されることになっております。昭和二十七年の電産のストライキを契機とされたように聞きますが、もしあのときに、それではなぜああいう法律がありながら、一体あの法律を発動されなかったか、これはむしろ政府の怠慢であった、その怠慢をたなに上げて、公共福祉を害したからやるんだと、こういうようなことも、私どもとしてはどうしてもそういう覆い分がわからない。またそのような事態が来れば、三十五条の二項で十分である、あれが発動されたときが、一般的に考えてこのストライキ公共福祉を害しておるか、害してないかという判断をするときである、何でもかんでも公共福祉を害する――電灯が一つ消えた、ストライキで消えた、これが公共福祉を零する、こういうことは公共福祉に名をかる憲法違反の行為ではないかというふうに申し上げたいと思います。  時間がありませんのであとは簡単に申し上げたいと思います。第二の理由の、健全な労使の慣行を確立、これは本法がいわゆる衆議院に、あるいはこの参議院にも提案されますときに、労働大臣からも提案の御説明の中で、健全な労使の慣行確立のために存続したいと言われております。簡単に申し上げますと、労使というものはそれぞれ、会社は賃金を上げるとか上げないとかこう言う、また金と生産設備を持っておる。労働者はただからだしかない。そこで団体行動権というものが認められて、ストライキという武器を持っておる、ここで初めて一対一になる。ところがこのような法律で、それが規制をされますと、端的に言うならば、片足をきびっておいて相撲をとる、そういう中で何がいい慣行ができるだろう、あるいは一つの慣行はできるかもしれません。がこれは決して健全な慣行ではない。きわめてちんば的な、片はんぱなというような慣行ができ上るに違いないと思いますけれども、これは強制されたところの、いびつになった慣行ができ上る可能性はあっても、労働大臣の言われた通りの健全な慣行というものは、そのような片っ方の、いわゆる足をきびったような形で物事をやらしておいて、健全な慣行はでき上らないというふうに私どもは理解をいたしております。そういうことから健全な慣行の確立に対して阻害をするということを申し上げたいと思います。  それから第二番目に、労使の力の均衡を失って資本側を一方的に有利にする、こういうことを申し上げましたが、いろいろ先ほどから電気のストライキのことについて言われておりますけれども、やった当人でありますから、私ども一番よく存じております。電気事業におきましては、特に他の生産工場とは違いまして、皆さん御存じだと思いますが、土産と販売が直結をいたします。生産即販売であります。販売即生産であります。そこでまず労働組合が使用者側に対してストライキ行為をやる場合に、使用者側のポイントは何かといいますと、生産をとめること、販売をとめること、販売から上った金を集金することをとめること、以上三点がポイントだと思います。ところが一応この規制法で年産と販売がストライキ手段から除外をされますと、生産と販売はしなければならん、こういうことになると思います。そのとき最後に残ったのは、その上った金の集金をやめることですが、これは現在ほとんど七〇%に近い集金業務が、いわゆる電気労働者組合員でない委託集金人に――おそらくこの法律ができてあるいは組合がやるのではないかという予測からと思いますが、だんだん委託集金人という、いわゆる労働組合の統制外の人によってやられるというか移行されております。政策的であると思います。ところが今それがとまったとしても、電気は御存じのように、三ヵ月集金ストライキをやった、ストライキがやんだ、次の月には四カ月分の領収書を持って行って、下さいと言って払わないと、一ヵ月たって電気をとめる。集金は必ずできます。法律でとめてもいいことになっておるようであります。そうすると、迷惑するのはむしろお客さんであって、資本家側は一つも痛くはない。特にストライキでありますと金は必ず返るということから、銀行はきわめて簡単に、普通の場合以上に簡単に金を貸す。資本家側がんばりなさいと金を貸す、こういう結果に終ると思います。そういうことから、以上三つの決定的なといいますか、資本家とやるストライキの手段の三つが、特に最後の分は無効である。現在の状態では無効である。私はこの法律かされますときに労働省の次官に呼ばれまして、集金をとめればいいじゃないかと言われたから、半分冗談ではありましたけれども、ストライキ中に集金しなかった電気料金は全部払わなくてもいいということがされるなら若干きき目があるでしょう。だけれども、あとから取られるのでは同じことであって、そのぐらいの金の融通はストライキであれば必ずできる。そういうことを申し上が、これは電気事業という特殊性から、ほとんどがお客さんに対するサービス部門といいますか、電気が消えるから故障を直すとか、あるいは故障があっちゃいかぬから修理維持をする、われわれはいわゆる保守といっておりますが、このサービス部門、ほとんどのサービス部門をとめるということは、電気を送りながら送らぬということと実は同じことになる。結局はサービスをやらないということになる。サービスをやらないことは、会社は商売で、特に普通の営利会社、普通の販売会社でありますと、サービスがなくなると物が売れぬのでありますが、電気専業はサービスがなくなっても、若干の文句は出ても、売れるには売れるのであります。サービスの落ちるのは経営者としてあまり大して痛くはない。こういうようなことから、この法律で一方的に非常に苦しい目にあっているのは労働者である。先ほどの議論で、火力発電所はないが、その他のところにはあると言われましたけれども、ほとんど手段として残されていないのが、電気としてはこの法律の性格であります。しかもこれが、今国会におきましてはいろいろな場所で相当拡大解釈をされようとしている、こういうところにも非常に問題があると思います。  それから第四点といたしまして、先ほど会社側の代表の方から、何ら労働条件は低下していないということを言われておりますけれども、少くとも昭和二十八年、本法が施行されましてから、電気労働者労働条件というものは非常に低下をいたしております。相当数がたくさんありますので、時間もそろそろ参るようでありますから、詳しくは御質問があればお答えをしたいと思いますが、ごく簡単に申し上げてみたいと思います。  まず、労働組合の条件といえば、大きく分ければ三つございます。労働協約と賃金と退職金、一番簡単な退職金から申し上げますと、私どもの退職金はいわゆる基本給にかける一つの勤務年数による乗率――勤務年数別の乗率からなっておりますが、たしか昭和二十五年ごろであったと思いますが、この基本給が一〇〇%であったものが、九〇%に一応下ったわけであります。その後私どもは常に一〇〇%復元ということを要求をして参りましたけれども、結果的に、この昭和二十七年においては九〇%のままであったわけなのですが、昭和二十八年以降、ごく最近に至ってやっとまとまった結果がどうなったかと申し上げますと、勤務年数別にこの基本給のあり方が変ってきた。今までは勤務年数の多い人でも少い人でも、少くとも基本給の九〇%であったが、乗率が勤務年数によって変ってきた。勤務年数によって、乗率は元の通りでありますが、基本給の取り方が餐ってきた。こういう基本給の取り方についても、組合としても非常に譲歩させられておった。それからここで特に問題になるのは、九〇を一〇〇に復元したいという要望を持っておったにかかわらず、勤務年数の下の人についてははなはだしいところでは八五%まで下げられた、こういう結果か現在出てきております。それから賃金でありますが、賃金につきましては、まず私どもはよく電産型と言われておりましたが、ああいう生活給を中心とする賃金のあり方を主張いたしておりました。そのことがいいか悪いかは議論があると思います。私どもは非常に労使の間でそういうことを主張しておりましたが、結果的に、昭和二十八年以降の少くとも組合の力関係組合と会社との力関係において職階級賃金といいますか、職務給的な賃金に大幅に改められたという結果に現在なっております。従って、元の給与の中にあった、いわゆる年々年令がふえるに従って増加されていく年令加給だとか、あるいは勤続年数がふえるに従って加給されておりました勤続給というものとか、こういうものの加給が全然なくなった。これは大体原資として一人平均全国的に見ますと、百七十円ないし二百円でありますが、そういうものがなくなるということがあると思います。それから現在私どもが問題にしておりますのは、従来電気事業に従事しておる者は、全国的に電気事業労働者は賃金は同じでいいのだ、同じ賃金であるべきだということを主張しておりましたが、これは全面的にそれぞれの会社によって賛金のあり方が異なる、こういうような形になりました。  それから時間外の賃金でありますが、これは私ども本来時間外を働いてその賃金をたくさんもらいたいという主張をいたしておりましたけれども、少くとも時間外を働いた金をもらいたいということであります。数字を申し上げますと、大体昭和二十三年ごろは時間外賃率がいわゆる基準賃金の、いわゆる人件費の三〇%程度でありましたが、昭和二十七年、あの争議の当時には、大体二三%から二五%程度であったわけでありますが、現在においては、会社によっては一〇%平均、おそらく一、六七%程度ではないか。しかもこれが組合の力がないために、それぞれの組合員は仕事はあるが、時間外を、いわゆる割出制になって、やってはいかぬということを上から言われるので、仕方なしに自分の家に持って帰って仕事をやっておる。そうして時間外賃金はもらえない。こういうような状態が、組合の力の弱さから出ております。  それから賃金の総体のことを申し上げますと、総経費、いわゆる会社の総経費の中に占める人件費の割合、これは非常に低下をいたしております。これは先ほどと同じように、昭和二十三年ごろをとらえてみますと、この当時は大体四八%程度でありました。あるいは五〇%程度にちょっと上ったこともありましたが、大体その程度でありました。ところが、昭和二十七年ごろには大体二四%。ところが現在におきましては、二十八年以降二〇%程度まで下ってきております。しかも会社の業績といいますか、会社の業績は皆さん御存じの通り、新聞の経済欄に、電気会社くらいもうかっておる会社はないかのような、ずいぶんもうかったような表現をされておりますが、私どもはなかなか経営内容までタッチできませんので、つまびらかには知りませんが、少くとも事業の中におきまして、電気事業がもうかっておりますことは確かでありますが、にもかかわらず、従業員はそのような形でだんだん賃金が下ってきております。  それから労働協約のことにつきましてももう少し申し上げたいのでありますが、ただ一例だけ申し上げて、その他時間があればたくさん申し上げたいと思います。極端な例では、四国では、労働組合法で認めておりますところの組合の自主的な運営というものについて、四国の労働協約の中では、組合の役員が現在御承知通り専従役員ということになっておりますが、この専従機関の任期について労働協約の中で、二年以上はいわゆる留任をしないといいますか、専従をしないということまできめさせられておる。これは確かに最終的に組合納得したと思いますけれども、幾らなんでも組合自身がきめるべき組合の役員の任期を労働協約の中できめるということは、おそらく組合が望んでやったことではないということは皆さん方で常識的におわかりになると思いますが、また同じ四国の労働協約の中で、労働組合法の第六条だと私記憶しておりますが、団体交渉の委任権というのがございますが、第三者には団体交渉の権限を委任しないという、いわゆる労働法で認められた当然の権利を労働協約の中で規制をされている、あえて私はされていると申し上げますけれども、組合納得したには違いございませんけれども、力関係納得をさせられたというふうに理解をする以外に仕方がない。組合はこういうことを望むはずがない、どういう組合だってこういうことを望む組合はないと思いますが、以上、労働協約につきましては、時間がございませんので二点をあげまして、その他詳細については省略いたしたいと思います。  以上、申し上げますような状態でございますので、先ほどの四つの理由を大きい理由といたしまして、本案の存続には反対をするものであります。  特に最後に申し添えて申し述べたいことは、私どもよく昔からこの国会には電気料金の値上げ問題とか、その他で参考人公述人ということで呼ばれますけれども、電気料金の値上りはほとんどの公述人意見が全部反対で、たった一人を除いては全部反対であったにもかかわらず、値上げが実施された、こういう経験も持っております。お呼びになるのでありますれば、一つお呼びになった意見を十分しんしゃくされて、そうして真剣に一つ御討議を願いたいということをお願い申し上げまして、私の公述を終りたいと思います。
  244. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でございました。     ―――――――――――――
  245. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは次に全国石炭鉱業労働組合長崎地方本部事務局長嘉村由道君にお願いいたします。
  246. 嘉村由道

    公述人(嘉村由道君) 私は、全国石炭鉱業労働組合長崎地方木部事務局長、嘉村でございます。時間も相当たちましたので、なるべく簡潔に意見を二、三申し上げたいと思います。もちろん私は今回政府が企図しておりますスト規別法の延長に反対するものでございます。  まず第一に、新聞などで承わりました民主的労働組合立場労働大臣の御意見あるいはこれは保守党の皆さんの御意見でもあるかもわかりませんけれども、そういう問題について若干申し上げたいと思うのでございます。  私たちは過去におきましても、また将来においても本法にいうような資源の滅失とかあるいは設備の荒廃をもたらしますような争議行為を行いたくないという方針を持っておるのでございますけれども、昨今、労働大臣は、かような組合には本法を継続いたしましても何ら迷惑はかからないじゃないかと、本法の継続を主張されているやに承わっておるのでございます。けれども、その点で私は、この三ヵ年間に本法にいう事犯の発生は全くないのでございまして、本法の目的がその立法の趣旨を離れまして目に見えないのでございますけれども、経営者の結束を固める精神的なささえとしての重要な役割を果しておる結果になっておると思うのでございます。民主的労働組合経営者の対等交渉の原則をじゅうりんする悪結果をもたらしていることが看過できないのでございます。こういう意味から本法継続に反対するゆえんでありますので、お間違いのないよう御理解願いたいと思うのでございます。  第二に、この機会に、私は地方の一炭鉱労働者でございますので、素朴な炭鉱労働者の気持を申し上げたいと思うのでございます。それは炭鉱労働者は、この三、三年来炭界の不況によってたくさんの失業者を出しておるのでございます。今日何ら救済されていないのでございまして、失業による労働者の悲劇が炭田の随所で起っておるのでございます。赤ん坊のために若いお母さんが身を売るとか、親のために娘さんが身を沈めるということ、あるいは一家心中という悲惨な惨劇が展開されて参ったのでございます。従いまして、労働者がみずからの手で職場をつぶして失業者に転落するような行為ば絶対に牛じないと考えるのでございます。かりに上部組合の幹部によって、官僚的にかような争議が発令されたといたしましても、下部組合員は決して盲動をしないだけの成長を、残念ながら政治の貧困から自衛措置として学び取らなければならなかったのでございます。私はかように労働者の血の出るような困難な生活条件から体験した良識を、一片のスト規制法確立されるがごとき印象を政府においてもっておられるならば、それははなはだしい間違いであるし、炭鉱労働者に対する重大な侮辱であると考える次第でございます。  次に第三といたしまして、保安公共福祉について若干申し上げたいと思うのでございます。その前提といたしましては、本法は労使双方に適用されると称されておるのでございますけれども、事実問題といたしましては、使用者側に本法事犯の遂行は考えられないのでございます。もっばら労働組合ないし労働者規制する目的をもつていることは明らかでございます。そこで問題は、保安の放棄による国家資源の滅失が社会の公共性に反するといたしますると、資本家の利益追求から、たとえば、鉱区の統合ができないために、一部炭層を放棄するなどの行為もまた同罪をもって論じなければならないと考えるのでございます。この場合には、さらに労働者の失業という重大結果も随伴して起ることを考えまするときに、きわめて重大であると信ずるのでございます。私は国家が労働者のみの責任を追及することが社会公共に反することではないかと考えるのでございます。また、一口に保安と言われますけれども、保安の業務の正常な運営は本法通牒で示されておるのでございますが、現実問題はその炭鉱の客観的条件によってこれがきめられるのでございます。千差万別の態様をもつのでございまして、究極的には裁判所において決定されることに相成ると思うのでございます。そう考えますと、本法によって即効的に公共性の確保を期待することはできないのではないかと考えるのでございます。このように考えますると、本法の存否にかかわらず、経営者公共福祉をもって実効を確保せんといたします場合は、本法以外の諸法令による裁判所への手続あるいは命令で十分確保することができるというふうに考えるのでございます。  さらに第四といたしまして、本日けさからの本公述会におきまする問題二、三気がついたことを申し上げたいと考えるのでございます。炭労がこれは私は組織が違うのでございますので、的はずれなことを申すかもわかりませんが、炭労の同志諸君が保安要員の総引き揚げを指令した。ただしこれは実行されておらない、こういうふうな御意見委員の諸公からいろいろ述べられております。これは私も炭鉱労働者として考えますると、保安要員の総引き揚げというのは、これは不可能なことと私は考えるのでございます。それはどういうことかと申しますと、なるほど炭鉱を知らない皆さんの頭の中には炭鉱保安要員を引き揚げるということは、坑内の保安要員だけをさしてお考えになっていると考えるのでございます。けれども、保安要員というのは、そんなに局限されたものではないのでございます。日本における炭鉱のあり方を考えてみますると、坑内にはもちろん保安要員が必要でございます。病院にも、本法と関係ないかもしれませんが、病院があるのでございます。そうして全従業員の生命を預かるところの水道も、炭鉱の施設でございます。電気もまたしかりでございます。さらに、購買会と称して。いわゆる食生活の根本もまた会社の経営になっておるのでございます。こういうすべての個所に保安要員というものが配置されるのでございます。これを全部引き揚げてしまうということになりますと、自分たちの生活というものが全くできなくなる形に相なるのでございます。私の所属しておりまする全炭鉱の、さらに傘下にありまする長崎の離島の炭鉱をごらんになると、よくわかると思います。水もいわゆる陸地から島まで運ばなければならないのでございます。これも毎日何回かのタンカーが通っておるのでございます。御飯を食べるいわゆる米も運ばなければならないのでございます。これも会社の船を使わなければなりません。こういうことが一齊にとまってしまうのでございます。水も飲まれない、御飯も食べられない、こういう血清を果して労働者承知するであろうかということを考えまするときに、炭労さんが指令しておる総引き揚げということは、絶対に遂行できない指令であると、私は確信をしておるのでございます。ただ単に、経営者の諸君が、水鳥の羽音に驚くにひとしいのでありまして、敵の軍勢が攻め寄せたのではないことを御承知願いたいと思うのでございます。  それから次に、午前中に経営者の万仲参考人が、通常の場合に、経営者あるいは組合は、一体となって坑内保安を最大に心がけねばならない、こう申しておられます。私も全く同感でございます。ただし、私たちが具体的に山元を預かって仕事をしていく上に、残念ながら、万仲さんのようにごりっぱな人たちばかりではないのでございます。ある経営者、これは名前を申し上げてもいいのでございますが、国会というきわめて重大なところでございます。名前だけは差し控えたいと思うのでございますが、鉱山保安法とか、あるいは労働基準法なんというものを守っておると、これは経営はできないのだ、こういうことを公然と称しておられる諸君がなお若干残っておるというのが、これは日本炭鉱経営者の、遺憾ながら実情ではないかと思うのでございます。従って、炭鉱労働者の生命というものは、危険にさらされておるわけでございます。本来ならば、これは当然、そういう炭鉱には入りたくないと言って、炭鉱を去らなければならないと思うのでございますけれども、失業をすると奥さんを売らなければならぬことになりますので、やむを得なくて、そういう危険な場所に働いておるのでございます。自民党の首脳部の中で、スト規制法あるいはいろいろ問題がありましたときに、自衛隊を動員するということを、新聞紙上で私は見たのでございますけれども、果して、自衛隊の諸君を政府の責任において、そういう危険な個所に入れるということは、これは残念ながらお控えになった方がよろしいのじゃないかと私は思うのでございます。  最後に、これも午前中の沢田参考人が、本法を継続する一つの理由として、本法を廃止すると、あたかも本法に規定されているようなことが適法なりというふうに、いわゆる社会一般通念上適法なり、やってもいいのたというふうにお考えになる、従って本法を継続しなければならない、こういうふうにおっしゃっておったのでございます。これは私はさかさまになっているのじゃないかと思うのでございます。政府提案理由の中にも、良識ある労使の慣行の樹立を期待することが、しばしば書かれているのでございます。そういたしますと、本法廃止の原因は、少くとも労使良識ある慣行の樹立によって初めて決定されるものと承知しているのでございます。これは国民の少くとも大部分の諸君がそう思っていることでありましょうし、当事者組合である炭鉱労働者も、大体そういうふうに考えているのでございます。そういたしますると、本法の廃止が直ちに電源ストライキをやっていいのだとか、あるいは保安要員の総引き揚げをやってもよろしいのだという認識には私はならない、むしろこういう法律廃止されても、われわれは日電して、国民の期待に答えなければならないというふうになるのが、これは私は日本労働組合の常識ではないかと思うのでございます。こういう点も考え合せて、一つ御理解願いたいわけでございます。  最後に、昨年アメリカに参りましたときに、アメリカ炭鉱労働組合のジョン・ルイス会長に会ったのでございます。このときに私は、アメリカにおいてスト規制法らしきものがあるのかどうか、聞いてみましたところが、そういうものはない、こう申しておりました。それでは、保安要員の総引き揚げをやって、徹底的に経営者を痛めつけたらどうか、こう申しました。アメリカでは、かなり戦闘的な組合幹部の一人であるジョン・ルイス氏は、そういうことをやったら、翌る日にでも国会はこれを規制する法律を作ってしまうだろう、従って、自分たちはそういう侮辱された法律を作らせるわけにはいかないから、そういう争議手段はとらないのだ、こう申しておりました。私も全く同感でございます。本法の存在をもって労働組合運動を規制し得るとは考えないのでございます。夫婦の中で考えてみますると、奥さんだけが離縁をすることを言ってはならない、おやじさんはどんなにうわ気をしても、奥さんは離縁をすることができないというのが、この法律でございますから、むしろそういう片ちんばの法律を作るのではなくして、夫婦円満にいくような法律を立法の府にあられる諸公によって十分研究されて立案されんことを、切に期待いたしまして、私の公述を終りたいと思います。
  247. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでございました。  それでは……。
  248. 田畑金光

    田畑金光君 議事進行……。どうですか、七時になりましたが、先ほど来理事会ではいろいろ相談しているはずですね。一つどういう話し合いになっているのか、このまま続行していたのでは、いつまで継続するのか、われわれとしてもたえられませんが、もう少し、一つ理事会がどうなっているのか、委員長において確かめていただいて、御報告願いたいと思います。(「続行続行」と呼ぶ者あり)理事話し合いがどうなっているか、一つ……。
  249. 千葉信

    委員長千葉信君) ちょっとお待ち下さい、理事会決定をみましたか、速記をとめましようか……、速記をとめて。    午後六時四十八分速記中止      ―――――・―――――    午後七時二分速記開始
  250. 千葉信

    委員長千葉信君) 速記を始めて。  それでは、次に北海道炭礦汽船労働組合連合会事務局長粒針慶一郎君にお願いいたします。
  251. 粒針慶一郎

    公述人粒針慶一郎君) 私は北炭労連の事務局長をやっております粒針でございます。  傘下二万の炭鉱労働者がどのようなことを考えておるか、また私どもの所属いたしております炭労がこの中に結集されております炭鉱労働者がこのいわゆるスト規制法についてどのような考え方を持っているかということを若干申し上げたい、このように考えるわけであります。もちろん、私どもはこの法律につきましては廃止さるべきであるという強い決意を持っておりますし、絶対これは存続さしてはならぬ、廃止をお願いいたしたい、このように考えておるわけであります。そこで巷間私ども炭鉱労働者は、あたかもストライキがまことに好きなような認識を植え付けておるような、または認識されておるような、そういう点があるわけでありますが、私どもといたしましてもむろんストライキを好んでやっておるわけでもございませんし、日々零細な賃金収入を失う犠牲の上に立って、皆さんが常識的に考えられ得る行動をとりたいと切望いたしておるのであります。しかし、いかにも私どものおかれております炭鉱労働者の生活実態なり、労働状況なり、こういったものは、それを許さぬという非常に深刻な立場に立たされておるわけであります。一例をあげて申しますと、私どもの過去の賃金は終戦直後におきましては一応千七百円ベースあるいは三千七百円ベース、その当時に至りますまで坑外夫賃金と全般的な労働者または官公吏との平均ベースが同じであったわけであります。しかしその後におきまして、御承知のように、ドッジ・ライン、こういうものの強制によりまして、私どもの賃金というものは据え置きを余儀なくされたわけであります。従って、それ以来私ども炭鉱労働者の、特に坑外夫の賃金というものは生活すら満足にできない飢餓賃金にひとしきものを現在取っておるわけであります。従って、このような実態の中から私たちは好んでストライキをやるのではなくて、ストライキというこの手段を最終的にわれわれは用いざるを得ないという羽目にいつも立たされるわけであります。すでに御承知のように、私どもが二十七年に六十三日のストライキを敢行いたしましたけれども、これも今申し上げましたような精神でありまして、何も私どもはストライキを好んでやったのではなくして、かゆをすすって戦えというあの合言葉は、経営者のいろいろな態度の中からそのような決意をとらざるを得なかった、そういう事態に追い込まれたわけであります。この当時におきます私どもがとりました態度というのは、あまりにも経営者側の態度というものが、われわれの実態というものを考えない非常に挑戦的な態度をとっておった。この点は当時の団体交渉その他を御承知の方にはすぐわかるわけでありますが、これで不服ならストライキをやれということが明らかにいわれておったわけであります。そういう中で私どもは賃金を引き下げるという提案については、ついにいかなる考え方を持とうとも、これを承服するわけにいかなかったわけであります。従って軍を食っても、おかゆをすすっても、アルバイトをやっても戦わざるを得ぬという決意が幹部のみならず、下部末端、主婦に至るまでこれは浸透していったわけであります。従って、六十三日を頭から予定して行動をとったわけではなくして、そういう中の推移というものがあのような実態になった。ストライキというものは、先ほど来のいろいろ御意見を伺っておりますと、あるいは労働者は好きこのんでやっておる、ストライキをやる責任は労働者にある、こういうような既成概念の上に立って言われている方もあるたうでありますご、これは相手なくしてけんかするのではなくして、当然私どもは平和理にすべての問題を解決いたしたい、このように考えておりますけれども、先ほど申し上げたような事態の末には、かくならざるを得なかったわけであります。従いましてこういう中におきます私どもの行動というものは、ついに経営者の分裂政策、内部撹乱その他のいろいろな方法によりまして、御承知のような非常に長期な闘争をやらざるを得ないという立場に立たされたわけであります。  次に、炭鉱保安の問題についてでありますが、先ほど来もいろいろ御論議がなされておりますけれども、この炭鉱保安につきましては、私どもは直接の責任はありませんけれども、自分たち職場なり、または生活手段を失わないという考え方に基きまして、非常に大きな注意を払っておるわけであります。従いまして、こういう中ですでに昨年度も長期にわたるわれわれの職場確立しよう、または安全な職場を作らなければならぬ、こういう考え方に基きまして、いろいろ経営者と交渉を行いまして、取りきめを行なって参っておるわけでありますが、遺憾ながら実態というものはここ数年の災害の統計を見ましても、逐次死亡なり、その他災害件数というものはふえてきておるわけであります。一面御承知のように、炭鉱の大幅な取りつぶしその他によりまして、労働者数は激減しているにもかかわらず、この比率は逆に激増している、この事実は一体何を物語っておるか、この点をよく考えていただきたいと思うわけであります。坑内における切羽その他の諸設備につきましては、御承知のごとく逐次機械化が伸張されまして、生産は上るというその一途をたどっておるわけであります。しかしながら、こういう機械化の進展と相反して、災害、事故というものは激発しておる、最近の例を見ましても、私はあえて昨年度の数々の大災害には触れませんけれども、私どもの北炭労連傘下におきまして、最近の動きだけを見ましても、夕張、真谷地、岩見沢、幌内、神威等ここ二ヵ月ばかりの間に十名に近い死亡者を出しておるわけであります。こういう実態に現在置かれておるわけでありまして、単に一般的な諸産業の労働者の置かれておる立場とは全く違った危険な、しかも悲惨な労働環境に置かれておるというのが私ども炭鉱労働者の実態であるわけであります。従いまして、こういうような中において、この低劣な飢餓賃金にひとしきものを押しつけられている。私どもが求める道というものは、やはり人間としてその人格を認められ、一般社会通念的な生活を維持し得るという、それに相応するすべての条件を与えよと叫んで行動をとることは当然であるわけであります。このような考え方に立って私どもは現在までいろいろな問題の交渉または争議行為、これらを行なって参ったわけであります。そこで若干わき道にそれますけれども、炭鉱坑内におけるまたは鉱害問題を含めましての保安の問題について、私どもは日ごろ非常に大きなふんまんを持っておるわけであります。それは私どもの考えます保安というものは、先ほど申し上げましたように、自分たちの安全な職場を作り、そこで安心して仕事をして賃金を得て生活し得る、こういうことを念願しておるわけでありまして、現実はこの保安は、なるほど経営者も最大限に保安設備は拡充しなければならない、保安は最重点である、保安第一主義である、このように申しておりますけれども、その実態は先ほどどなたか触れられましたように、必ずしもこの言葉通りいってはおらぬわけであります。簡単に申し上げますと、坑内保安いわゆる保安の拡充設備ということは、石炭をいかにうまく出すか、利潤をいかに確保するか、この至上目的のために保安確保という問題がある、こういう逆算からの保安的な行動をなされておると、こういう点を指摘しなければならぬわけであります。この一現象といたしまして、なるほど統計表上におきます災害というものは若干減っておる傾向があるわけでありますが、一面大きな死亡がふえておる。死亡率の増加ということは、死亡は隠しようがないということであります。つまり隠し得る災害については、これを表上から抹殺せんとするいろいろな行動がとられておる。災害は顕在から潜在に内攻しておる、こういう事実であります。これは労災メリットの加減の問題、その他いろいろな問題に関連すると思うのでありますが、いずれにいたしましても、災害を表面に出さぬと、そういう作為に基く行動というものが遺憾ながら現実にある。係員が負傷証明を書きたがらぬという、これらは経営者経営政策の一端の端的な現われであるわけであります。また、監督官庁におきましても私ども労働者がどのように坑内保安について考えておるか、いかに生命の危険にさらされておるか、これらをしんしゃく願いたい。従って監督官が入る場合にはかくかくの行動をお願いしたい。組合意見も聞いていただきたい、こういうことを常日ごろ申しておるわけでありますが、最近幾分よくなっておりますけれども、やはり何としても労働組合には寄りたがらぬ、遺憾ながらこれが実情であるわけであります。そういう中で一方の経営者の側に立つ保安の完備のみが目標として行動に移されておる。相対的な、労使の相対的な立場に立つ保安の拡充設備、こういったことについては遺憾ながらいまだしの感がある、こういう点を指摘しなければならぬわけであります。そこで、これらのいろいろな問題を勘案して参りますと、私どもは坑内の保安を守るという責任は直接私どもにありませんけれども、しかしながら、そういうことがないことによって私どもはのほほんとしておる、または保安要員を引き揚げるということをいつまでたってもばかの一つ覚えのようにやりたがっておる、こういうことではないわけであります。ぎりぎりの段階に到達いたしましたときに、私どもはやはり私どもの信念、考え方、実態、これらを考えてもらう究極の道を探し出さなければならぬわけでありまして、そういう点から私どもは今問題になっておりますいろいろな点を論議いたして参っておるわけでありまして、保安要員を私どもは引き揚げるという具体的な行動をとったことは現実にはないわけであります。そこで本法につきましてのいろいろな法的な点につきましては専門家の方々その他から詳しく申し述べられておりますので、あえて私は未熟な私の論陣を張ろうとは考えておりませんけれども、いかに考えましても本法の設立の、これは存続されたければならぬというその現実性といいますか、そういうものについてはまことに乏しい、ないと、こういうふうに言わざるを得ぬと考えるわけであります。この法律存続のその大きな理由として、国家資源は確保されなければならぬ、従ってこれを壊滅に瀕せしめるおそれのあるような争議行為、こういったようなものについてはこれはなさしめてはならぬ、こういうような趣旨からして、これがいわゆる公共福祉と、こういうような表現によるこの法律存続性の妥当性を強調されておるわけでありますが、この点につきましては、先ほど来しばしばいろいろな方が申されておりますように、究極的にこれをせんじ詰めて申しますと、公共福祉は一体われわれがいかに理解すべきかと判断いたして参りますと、最終的に私どもの目の前にさらされておりますのは、公共という名をかるところの経営者の利益である、こういうふうにその現実を見きわめざるを得ないわけであります。すでに御承知のように、炭鉱企業はここ最近ようやく活況を呈して参った、こういうように言われておりますけれども、過去数年来非常に大きな不況の苦難の中であえいで参っておりますので、この中で数百鉱にわたる炭鉱がこれは潰滅し、売却され、廃山となっておる。その中で数多くの労働者が失業者としてちまたにはみ出しておるわけであります。当然これらの炭鉱においてはその採堀は放置されたままに廃鉱になった、休鉱になった、こういう点からこの資源は眠っておるわけであります。従って、単に石炭というこの資源を大きく評価してこれを取るということが、あたかも国家の目的である、こういうふうに通ずるこの表現については、私どもとしては納得しがたいものがある、こういうふうに考えざるを得ないわけであります。従いまして、これら経営の指示するままに廃鉱にする、またはその他の措置を取る、こういう経営者のこの態度によって生まれてくるいろいろな悲惨な事象、これらこそがほんとうに人道的な立場に立つところの公共福祉に関連する課題ではなかろうか、このように考えるわけであります。そこで、私が考えますに、労使の間における話し合いをまとめるという場はどのように考えるべきであるか、どのように運営すべきであるか、こういうふうに考えて参りますと、必ずしも私どもは観念的に割り切っておるわけではないわけであります。やはり労使間における日ごろの諸行動がお互いの信頼感なりまたは信義感として気持が通う、こういう一点も当然必要である、こういうように考えておるわけであります。これがない限りいつも無用の紛争は惹起せざるを得ぬと、従ってお互いが正しい行動をとり、これがお互に信頼し得る、こういう場を求める、そういう積極的な行動というものがお互いにとられる、こういうことについていまだわれわれにも責任があろうけれども、経営者態度、考え方自体についても大きな問題があるのではないか。先ほど経営者代表の方からお話がありましたけれども、私どもは、もちろん終戦後誕生いたしました組合といたしまして、その行動も未熟であり、いろいろ至らぬ点はありますけれども、逐次おのおの自己批判の上に立って行動の是正、正しい方向を歩みつつあるわけであります。しかも、それが一方的に労働者があたかも低能のごとく、無知もうまいの徒の集まりのごとくこれを評価されることについてははなはだ心外であります。経営者についても旧来の、労働者を一個のおのがふところの利潤を生み出す機械の一端にしか過ぎぬという、そういう観念の上に立っての諸行動あるいは考え方を是正されなければならぬ、こういうことを私は申し上げたいのであります。  そこで、結論でありますけれども、冒頭に申し上げましたように、これが存続に反対する考え方を強く持っておるわけでありますが、この三年間におきまして、具体的にはこの法規によって律せられなければならぬという事情はなかった。この一事をもってしても、この時限立法として制定された本法律については廃止さるべきであろう、こういうように考えるわけであります。また、先ほど来しばしば数多くの方から論議されておりますように、私どもはこれは憲法に保障されたわれわれの労働基本権を著しく侵害するものである、こういう考え方を当然持っておるわけであります。また、この法律は解釈立法である。労調法三十六条の関係、緊急調整その他から関連しての屋上屋を架するものである。こういうふうに判断されるわけであります。従って、かくのごとく、大手からめ手から労働者行動を制約して経営者に刃向い得ない、または刃向ってもその被害というものはつめを立ててもあとがつかぬという争議のみを残し、金魚鉢の中における金魚の自由だけを認める、これにひとしいような考え方に立つ本法制定については是認できないわけであります。また本法によりますと、この違反については、結果的に労働者のみが罰せられる、こういうことで、経営者がこれに違反した場合については、その条文の中における、違反してはならぬということだけで、具体的な罰則はない、こういうことについてもまことに片手落ちである。このように判断するわけであります。以上のような考え方に立ちまして、私どもは現在国内における各世論におきましても、また、各法学者におきましても、本法の存続ということについては必要はない、こういう世論が大きく起っておるということを承知いたしております。こういう点を勘案いたしましても、本法は当然この瞬間におきまして消えるべき妥当性を持つものである、こういうふうに判断するわけであります。  以上申し上げまして、私の本法案に対する公述を終りたい、こういうように考えます。
  252. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でした。     ―――――――――――――
  253. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは次は土木技術者河井芳雄君にお願いいたします。
  254. 河井芳雄

    公述人(河井芳雄君) 私は、京都の嵐山に住まっております一土木の技術員河井芳雄でございます。前もってお断りしておかなければならないことは、私は京都を出ますまでは、この法案存続に賛成をしておったのであります。が、その心境の変化を来たすかわからぬというような点は、千葉委員長さんまでちょっと書面で差し上げたことがございます。と申しますのは、私は土木技術員であって、近くある炭鉱の技術方面の責任者として参ることになっております。それがために、私は本件に最も関連の深い職域につくことになりますから、これに対する重夫な関心を持っていましたので、この公述人として出していただいたわけであります。反対論を唱えるあれとしましては、それまでに申し上げたいことは、先ほども公述人の方からお話がありました通り、私もほんのしろうとでございまして、法的の云々、第何条がどうなった、そういうことは全然しろうとでございますので、どうぞその点お含みおき願いたいと思います。  反対論を唱えます理由としましては、スト規制法存続反対論を多分に私は耳にいたしました。それは反対論としまして同法の有効期間であるところの三年の年月内においては法の適用を必要とするような事態が全く起きなかったというようなことを、私の知る限りの中で、事実を無視したように私は思うのでありますが、その主張が一国の国の政治をつかさどるところの政治家、あるいは相当の地位、相当の責任者の口から私の耳に入ったのであります。スト規制法を禁止する争議の手段は、私たちしろうとの考えといたしましては、電気事業の方は送電の中止、石炭鉱業の方は保安操業の放棄であると私は簡単に解釈するのであります。私の最も関連を持つところの石炭鉱業に至りましては、本法の禁止によって、炭鉱荒廃、壊滅というおそろしい結果をもたらすおそれがあるのではないかと思います。もし本法の規制がなくしましても、日本国民として常識から判断をし、当然これは回避されるべきじゃなかろうかと私は思うのであります。昭和二十七年の大争議は言うまでもありませんが、毎年毎回のように争議の手段としては保安放棄の指令をされているように私は聞いております。一昨年末ある炭鉱保安操業放棄によるところの坑内火災で、相当の廃鉱もできた事実もある。本法の存在は、労組の指導者の方々立場から言われるならば、これは強力な経営者に対する威圧の手段を奪ったもの、あるいは組合の闘争力を弱める力を持つ、この二つの理由が存続反対の理由のあるところと私は思うのであります。  この点から私の考えとしましては、争議行為の威圧力というものは、経営者に対する経営的の利害に対するものであって、争議によってその害を受けるものがこの社会公共の利害になってはいけない。これを最も私は強調したいのであります。ところが、過去におきましても、昭和二十二年、二十三年ごろと記憶いたしますが、あるいは都電がとまった、この点なんかも社会公共の利害がなく、労使双方に円満なる妥協点を見出していただいて、われわれ国民にとって電気だとか、あるいはその元になる石炭というものはこれは主食や水と同じような日常の必需品であると私は思います。こういうようなわけで、電気、石炭に関することですから、この御審議に当りましては、政党政派にかかわらず、とにかく日常生活に関連性のあるところのものでありますから、今までのあれから申し上げますと、これはどうあっても存続していただきたいと申し上げるのが、私の京都出発するまでの考えでありましたが、振り返って経営者に対するところの、経営的利害による争議行為によって、一般社会が公共の利害を受けないというようなことがないとしたならば、本法はむしろ存続廃止してもらう、こういう私は意見を持っている次第であります。  以上をもって私の公述を終ります。
  255. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでした。     ―――――――――――――
  256. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは、その次に農業に携わっておられます高地信雄君にお願いいたします。
  257. 高地信雄

    公述人(高地信雄君) 農業をしております長野県の高地信雄と申します。  スト規制法存続賛否につきまして意見を申し述べたいと思います。  たとえば、停電ストが行われた場合でありますが、そういうときでも、私どもは今まで妻や子供、あるいは家庭の者に対して、これは電気産業労働者ないしはそういう人たちのために忍ぶべき、われわれ国民、われわれ勤労者大衆の同情ないしは友誼である。こういうふうに言って、私どもは家族をなだめて参りました。それはどういうことかと申しますと、電気産業労働者ないしは石炭産業労働者の皆様方の経済的地位が向上することによりまして、まあたとえて申しますれば、購買力が増加するということは、もちろん大企業が潤うということでもありますが、主として生活必需品などにおいては中小企業者が潤うということであります。そういう意味におきまして、中小工業者ないしは労働者というものは、力を握って、そうして国民の経済的地位向上のために進んでいかなければならない、こういうふうに考えるからであります。一つこれについて市例を申し述べますと、小諸市におきましては、本年の夏季闘争の際、中小工業者の商店、あるいは工場の皆様がわれわれの味方は少くとも労働者である、全逓あるいは国鉄、電産などの闘争資金をカンパしようではないか、こういう声が中小工業者の間にもち上がりまして、この夏資金をカンパいたしまして、国鉄あるいは全逓、電産の労働者の資金カンパを行なった事例があります。これは中小企業者が少くとも労働者ストライキに対して大きな同情心を持っているということではないかと思います。最近農民運動というようなものは、残念ながら農地開放以来ほとんど行われなくなりました。まあ組織は現存しておりますが、現在の農村というのは、徐々ではありますが、階層分化が徐々に行われております。いわゆる富裕農民と五反百姓というものがはっきりと階層分化をしつつあります。この農村の階層のうち、富裕農民はストライキに対しては非同情的であります。たとえば、山間部を走るバスがストライキを行なった場合でも、明らかに不快の念を起して、ストライキというふうなものが、非常にその道義に反することであるというふうな声も聞かれるわけであります。しかしながら、階層分化をはっきり自覚しておるところの五反百姓は全部というわけには参りませんが、労働者ストライキというものに対しては、かなり同情的な見方をしておると私は考えております。  次に、労働者ストライキというものが道徳的に悪だ、あるいはストライキそのものに同情心を失うということは、これはむしろ日本の社会に、ストライキあるいは労働運動というふうなものが、長い慣行として行われなかったために、これにむしろ道徳的な判断の方が先に働いて、そうしてこの労働者ストライキに反対するという空気が強いのだろうと思います。  次に先ほど来も労働者ストライキというのは単なる債務の不履行なんだ、こういうことが言われております。それで、もしこれが債務の不履行だということであれば、この債務の不履行を行うことがどうして悪いのか、これを法律的に禁ずることによって国民大衆の間にはストライキというものは少くとも愚なんだという感情をますます植えつけてしまう方向にいくのではないかと思います。そういう意味におきましても、政府が健全なる労働慣行確立というものをこの法律によって望んでおるならば、逆に労働者ストライキを許すことによって、ストライキは悪ではないのだ、これは単なる債務の不履行であり、近代市民社会においては当然行われるべき労働者の権利の一つであるということを国民に認識させることが、すなわち労使対等の原則で、もし停電ストというふうな事態が起った場合に、これを批判する力のできるゆえんではないかと思います。  またもう一つ、その結果と申しますか、スト規制法の行われた結果に現われてきたものを、地方的な観点からながめておりますと、たとえば、電気産業労働組合等におきましては、地方ではすでに労働組合の役員というふうなものは、これはくじ引きできめております。くじ引きできめるということはなぜであるか。これは労働組合運動をした者が、必ず企業者、使用者から不利な目で見られるということであります。だからくじ引きになる。だれでも労働組合の役員のやり手がない、これでは健全な労働慣行は生まれてこないと思います。そういう意味におきましても、いろいろなストの禁止するかしないかということについて御意見はあろうと思いますので、少くとも健全なる労働慣行確立するという上からは、この電気産業並びに石炭産業の労働者ストライキを許すべきであると私は考えます。これで意見の開陳は終ります。
  258. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでございました。     ―――――――――――――
  259. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは、ただいままでの公述人に対して御質疑をお願いいたします。なお、先ほど公述いただきました向井長年君が在席でございますので、これもあわせて御質疑願います。
  260. 田畑金光

    田畑金光君 向井さんに一、二お尋ねしたいと思うのですが、先ほどの公述の中で、昭和二十七年当時の電気産業界の実情というものを詳しく述べられたわけであります。ことにその中でも、われわれ印象を強くしたことは、ストライキによる被害というものがわずか五万キロにすぎなかったのにかかわらず、企業経営の責任に基く停電というものが四十万キロに上ったということでありますが、あの当時の国民の受けました印象というものは、電気がとまり、暗くなる、ほとんど全部これは組合ストライキの結果であるという気持を受けたわけです。そういうようなことが巧みに当時の政治権力によって悪用されて、便乗されて、そうしてこの法を制定しなくちゃならぬ国民的な社会通念が生まれてきたんだ、まあこういうようなことになっているわけです。この点に関しましてかくのごとく事実がまげられ、事の真相が誤まり伝えられてきた、組合運動としてもこれは大きな問題だと思いまするが、こういうような点に対しまして、その後どのように組合としては、対世間的と申しますか、正しい世論の喚起と申しますか、こういう面に御努力を払ってこられたのか、こういう点について一つ承わりたいと思います。
  261. 向井長年

    公述人(向井長年君) 大体今の質問につきまして、組合としてのそれに対する世論の喚起ということですが、われわれは当時もちろんストライキをやったことも事実です。しかし、公共福祉という問題を中心にして存続しよう、こういうような考え方に対して、当時の実情を述べたにすぎないのでございますが、そこで公共福祉をわれわれが阻害したというよりも、会社みずから経営の中から、今言いますところの公共福祉を阻害するような制限をやったということを先ほどから強調いたしました。そこで私ども組合といたしましては、これに対して、もちろん真相を知らすための宣伝活動、一般世論に対する宣伝活動をやりましたが、これは実際問題といたしまして、一般新聞等におきましては、あまり私たち主張は大きく宣伝されなかったのでございます。従って、われわれみずからいろいろなパンフレットなり、あるいはまたいろいろな機関紙的な形をもちまして各世論に訴えたことば十分あります。あるいはまた、経営者のこういう事態をわれわれは知っていた、こういうための宣伝も組合としてやったわけでございますが、これは十分とはいえません。しかしながら、そういう立場をとって、組合はその当初やはりそういう形で宣伝、啓蒙をやっておった。しかしながら、どちらにいたしましても、電気が夜あるいは昼となく、たびたび二段、三段制限が、工場においても、あるいは電燈においてもやられる、この真相をみた場合に、やはり電気が消えるという事態によって、国民感情としてこれは電産のストであろうというような感情が高ぶったことば事実だろうと思います。しかしながら、今申しましたように、経営者のいわゆる経営の台慢と申しますか、いわゆる送電に対するところの設備の増強とか、これの不足によってのかかる実態のために、われわれに責任が転嫁されたような状態である、こういうことを先ほど申し上げたのでございます。従って、十分な啓蒙、宣伝等はやりましたけれども、これはやはり十分曲げられた宣伝で、国民感情の中からわれわれがすべての責任をこうむった現われが、先ほど申しましたかかる法案によって現われてきたんではなかろうか、こういうことを先ほど申し上げたのであります。
  262. 田畑金光

    田畑金光君 さらにお尋ねいたしますが、この法律ができまして以降、特に電気関係労働組合と会社の問におきまして、いろいろな団体交渉その他の面で影響がもたらされたんではなかろうかというふうに、われわれ、はたから見ますと判断いたしますが、もしそういうような点において、特にこの法律制定後、電気産業労使関係においてそのような事例とか、あるいは傾向とか、あるいは具体的な事実等がありますならば、さらに具体的に承わりたいと考えます。この点は同時にまた、電産の小川さんにも御説明願えればとも思いますが、御両名のうちどちらからでもけっこうです。
  263. 向井長年

    公述人(向井長年君) ただいまの質問は、大体この法案が通過した後において、経営者組合に対するその後の態度ということだと思いますが、そういうことでございますか。
  264. 田畑金光

    田畑金光君 はあ、そういうことです。
  265. 向井長年

    公述人(向井長年君) 皆様方も御承知かと存じますが、電気の経営者というものは、こればはっきりいって、ほんとうの自分の資本を投じた経営者と私たちは考えておりません。いわゆる公共事業でございますし、従って、露骨にいいますならば、私は自主性がない経営者、大きくいって政府のいわゆる通産官僚と申しますか、あるいはその時の政府の力によっていろいろ左右されるような経営者ではなかろうか、従って私は官僚にまことに弱い経営者だと常に言っておりますが、そういう意味から考えまして、まあ三年前と三年後におきましては、経済情勢あるいはまた電気事業の情勢ももちろん変っておりますが、しかし、会社の経営者の基本的な組合に対する考え方が変ったかといえば、これは先ほど竹村さんも言われましたように、組合をまだ信頼してないということなんです。少くとも労使慣行はお互いに対等の立場で十分やはり尊重し、信頼し合う中において、最もいい労使慣行が生まれるのでございますが、先ほども言われましたように、電労が止まれた当初は穏健だといっておったが、最近においてはいろいろの情勢があるので、また、電産の諸君もたくさん入ったからこれは安心できない、こういうようなことを言っておるような状態でございますから、やはり組合を信頼してない、信頼してない中においては、これはいい意味労使慣行というものが生まれない、こう私たちは考えております。従って、現状においていい労使慣行ができておるかといえば、やはり基本的な考え方は今申しましたように変ってないのじゃないか、おそらくは会社の方が変るならば、あるいはまた、今申しました労使慣行をよりよくしていくためには、やはりわれわれも経営者を信頼し、あるいはまた、経営者組合を信頼して、そうしてものの解決に当るならば、幾らかかる法律があろうとなかろうと、良識をもって解決ができるのじゃなかろうか。しかし、ものの解決をするために、お互いが信頼をしないというようなことであるならば、これはその後におきましてもいい労使慣行は生まれていないような現在の状態ではなかろうか。これはこの間衆議院におきましても、藤田さんが信用できないと言っておるし、また、きょうの公述の中で竹村さんが信用できないと言っている。私たち経営者を信用するということはできないのでございます。そういう意味におきまして変ってないと、こう言わざるを得ないのでございます。
  266. 小川照男

    公述人(小川照男君) ただいまの御質問に対してお答えをいたしたいと思います。私どもが、このスト規制法ができましてから端的に感じておりますことは、従来電気経営者が私どもとの団体交渉の場におきまして、昭和二十七年以前は中央でやはり統一交渉をやっておりました。その後、労働協約の面その他の面から、地方交渉をやるようになったわけでございますが、少くともスト規制法通りました以降の、あるいは今日現在の状態は、非常に団体交渉における、まず形式的な面から申し上げますと、出席の顔ぶれが変ってきたということを指摘をしたいと思います。このことは形式と言えば言えると思いますけれども、少くとも重要な問題については、従来社長、副社長、こういうような人がほとんど出る。いわゆる社長が労務部長を連れて団体交渉の席上に臨んでおった。こういうのが電気労働者と電気経営者一つの慣習であったのです。それがだんだん悪くなった。そして何といいますか、いわゆる副社長が出て社長が出なくなる。今度は労務担当重役が最高責任者となって出てくる。そして若干小さい問題になりますと、ほとんど本店の労務課長、あるいは労務部長の次席は労務次長という名前のある人でありますが、そういう人が最高責任者となっておる。これは形式の問題でありますけれども、団体交渉が、確かに私どもは、席上で突っ込んでいくと、権限を持っているとこう言いながら、実はいよいよ詰まっていくと軍役会でこうきまったと、こういうような形で最終的な結論はなかなかそこでは出ない。一つのワクを持ってきておる。組合は少くとも委員長以下最終的な権限を持った人がずらり出ておりますけれども、そういうことが形式といえば形式かもしれませんけれども、実際に団体交渉をスムースに運ぶためには、非常に私どもとしては支障を来たしておる。また形式的に言えば、私どもは組合をなめておる。これは放言かもしれません。あるいはおわかりにならぬかもしれませんけれども、私どもは組合をなめておる、こういう言い方をしております。このことはやはり何だかんだと言っても、電産はストライキをようやらないのだ。電気労働者はようやらないのだ、こういう一つの安心感がある。結局幾ら団体交渉の席上で強いことを言っても、結局はそこらの超勤拒否といいますか、時間外の拒否をやるぐらいのものだと、こういうたかをくくられたところに、そういう状態がだんだん出てきておる。このことはいろいろ言われておりますが、労使関係のスムースな、先ほど申し上げました慣行というものを非常に阻害しておる。組合側からいいますと、きまることがなかなか時間的にずれてきまらない。特にまた期末というような問題が現在控えておりますが、期末なんかになりますと、組合はいろいろな意味で時間的に、日にち的にいろいろ制限を受けておる。少くとも十二月十四、五日までには、不満でも最終的な妥結をしないと組合員は待ち切れない。あしたの千円よりは今日の五百円と、こういう気持がやはり組合員の中にあります。そうなりますと、組合の役員としては一刻も早くかたをつけないと、ここで一発ぶてばというようなことがあるが、それがない。会社はああだこうだと言って、今日の重役会できまったんだからこれ以上どうにもなりません、こういう形で物事が運んでいかない。そのうちに私どもの言う時間切れになる。もう年末も近づいたから組合は何とかのまなければならない。それは確かにこういう権利がなければ、話し合いでつけばつきます。先般衆議院で、藤田、関西の支配人が言われましたが、話し合いがつきます。つきますけれどもこれは決して満足した形でついていない。やはりやれないから仕方がない、この辺でということで、きまらなければ一文にもならないのですから、まあ仕方がないからこの辺できめる。まあそういうことも全部が全部とは申し上げませんがちっとこの三年間の間にはそういうことが行われた。私どもの下部機関でもやはりそういうことで不満を申しております。そういう点はいろいろ言われておりますけれども、この法律は非常に労使間の、そういう形の中でアンバランスを来たしておることは事実ですし、また、使用者側はただ単にアンバランスではなしに、この機に乗じてこういう形の意気込みといいますか、意気込みがある。それでまあ長くなれば委員長さんでここで切ってもらっていいのですが、私どもが感じておりますのは、何といいますか、会社はいろいろなことを言っておりますけれども、経理のことを言いますけれども、今度は逆に労働協約の中にも、私どもは経営参加ということを非常に強調しておりますけれども、いわゆる予算、決算ということについては、経営協議会の議題からはずしたり、現に今ほとんどがはずされております。そうして経理の問題については、経営者組合をめくらにするような形で、そうしていざ何か要求すると会社には金がないのだと、こういう形で押してくる。これをはね返すストライキという力はない。こういう形で結局せんずるところ、会社の形式的に出されましたところの経理の問題、こういうものをわれわれはどうもそれ以上に突っ込んでいくすべがない。これは経営権だ、こういうような形で経営協議会の議題からはずされて、昔は協議事項となっておりましたが、今は審議事項になっておりますが、報告をする、ただ経営協議会に報告する形にとどめたい。それ以上は、経営権の侵害になるという、こういうような形で労働協約の中から削られた。まあ長くなりますから、ただいまの質問にはこれで一応終りますが、そういう実例は幾らでも私どもは職場の中でもあります。
  267. 田畑金光

    田畑金光君 向井さんと小川さんからただいま私の質問に答弁がありましたが、この点につきまして、会社側の立場を代表される竹村さんから御意見を承わりたいと思います。
  268. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) ただいま電労、電産両方の代表からお話があったわけでありますが、私どもは別段に規制法があるから社長が出ないとかいうようなことは全然考えておりません。のみならず、あれ以来でございますけれども、企業別の組合ができまして、その組合は必ずしも何といいますか、中央で交渉したような行き方と違い、もっと身近な自分の会社の事情をよく知っております。そのために、さほど無理な要求もせぬように考えておりますし、なおまた、ここ二、三年は経済状態も非常に安定して参っておりますので、昔のように、要求にしましても、二倍、三倍といったような賃上げの要求もありませんし、二倍、三倍というのは、少し大げさかもしれませんけれども、非常に大幅な賃上げの要求もありませんし、また、賞与の要求にいたしましても、ほどほどの要求があるというような状態であります。それはすでに電産の、電気事業の給与にいたしましても、もちろん水準以上でもありますし、また、大体限度にきておるということは、組合員諸君も御存じのことと思いますし、また、賞与にいたしましても、大体三万円前後の賞与を支給しておりますので、もうそんなべらぼうな要求はないはずでございます。従いまして、そんな大きな、大げさなストライキだとか、大騒ぎをしなくても話ができるということから、社長の出ぬ場合もありますし、また、副社長が出ない場合もございます。しかしながら、少くとも労務担当の重役は必ず最高責任者として会社の意見を代表し、会社の代表者として出てりっぱに決定権は持っておるはずでございます。そういう状態で、別にスト規制法があるから組合をばかにしておるというようなことは全然ございません。その点をはっきり申し上げておきます。
  269. 田畑金光

    田畑金光君 今の点についてまあいろいろまた向井さんや小川さん御意見あるかと思うのですが、非常にお聞きしたところ、われわれといたしまして、竹村さんのお話は、向井さんや小川さんのお答えに対して正しく答えておられぬような印象を受けたのでありますが、この点について、向井さん何か御意見一つ……。
  270. 向井長年

    公述人(向井長年君) 今竹村さんから回答がございましたが、なるほど経済状態も変りましたし、また、われわれ労働者と申しますか、これも食えない賃金というようなことはもう言っておりません。もちろん労働者たりともやはり各企業の中で、企業努力をして、会社の収益を上げたということは、これは当然経営者のみの問題ではなくて、やはり労務者にも還元されなければならないし、あるいはまた、公共事業である以上は、一般大衆にも当然将来還元しなければならぬと、こういう立場を私どもはとっておるのであります。そういう意味から情勢が、このストライキ規制法が施行される以前、過去のあの当時はやはり生活の困窮というものもインフレのさなかにおいて非常に困窮しておったことは事実でございますが、現在のこの状態の中で組合の要求もやはり会社の収益あるいはまた、われわれの努力、こういう中から当然私たちはこれくらいはわれわれに支給すべきであるという考え方から要求をいたしております。従って、その問題について御承知のように、現在は期末手当の要求もいたしております。竹村会社側のいわゆる経営者の代表からもほどほどの要求で、おそらくは全部これは当然私たちの要求を入れてもらえるものと私たちは今確信したのでございますが、そういう意味におきまして、会社がかかるような誠意があるならば、あるいはまた、そういうようにものを判断されるならば紛争というものは起らないのであります。ところで、紛争が起るということはやはり何と申しますか、会社が経営の中から支給する能力がありながら、やはり出さない、あるいはそれに対する労務者に公正な配分をしない、こういう状態の中でやはり紛争が始まるのでございます。従って、私は当初申しましたように、かかるような電源、停電ストというものはこれは私たちはやりたくもありませんし、また、みだりに乱用すべきストライキ行為であるとは考えておりません。従って、あくまでもこれは良識をもってわれわれは判断いたしますが、しかしながら、この法律があるからあるいはないから、また、この法律が施行されておるいわゆる立法の精神から考えて、労働者にそういう権利を与えておるか、労働者がみだりにやってもいいということではないと思います。そういう意味から私たちはそういう良識をもって、会社にやはり反省を促すところの一つの大きなわれわれの権利である。こういう立場から、現在の状態の中で会社がしからば今申しましたいい意味労使慣行がここに生まれておるかと言えばやはり生まれていない、こう言わざるを得ないのでございます。もし生まれておるならば、先ほども申しましたように、私どもの要求はもちろんささやかな要求でございます。竹村さん、会社側の代表も言われているように、決してむちゃな要求をいたしておりません、九電労とも私たちの今の組合におきましては。従って、これはおそらく会社が受け入れられる、完全に受け入れられる程度の要求でございますので、会社がこれを受ければ紛争は起らないのであります。しかしながら、ここで受け入れられないというような状態がやはり会社にあるわけでありまして、そういう意味においては、私は情勢は変っておっても会社の基本的な考え方はやはり変らない、こういうことを私申し上げたのでございます。
  271. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は小川公述人に質問したいのですが、この法律が三年前に論議されたときに、あの労働者の権利を一方的に取り上げて、労使のバランスについて、経営者に対して労働組合を守るために措置をして、早急にやるべきだということが保守党の議員の中でも盛んに言われておった。ところが、今日まで提案者の政府との質疑の中でこの問題が具体的になってきておりませんが、たとえば、先ほど小川公述人があげられたように、労働協約や退職金や賃金の面で非常に力をもがれた組合として、そうしてその経営者との交渉の中で現われてきている二、三の報告を受けただけで非常に……、一つの例をとってみますと、退職金にいたしましても、あの当時退職金は中労委の調停によっていろいろ退職後の生活をどう守っていくかということで、非常に長い時間をかけて退職金制度ができた。ところが、それが今の小川公述人の御発言によりますと、その年数をかける基本給が一〇〇%が九〇%になったり、八五%になっている。こういう格好であったり、賃金の問題や労働協約の問題がこういう工合になってきた経緯というものは先ほど少し述べられたと思いますけれども、その関係で何かもう少し詳しく聞かしていただきたいと思うのです。
  272. 小川照男

    公述人(小川照男君) 労働条件の問題につきましては先ほど大半を申し上げまして、まああと若干言い残した点がある程度でありまするので、ここで補足的に申し上げたいと思います。  まず、先ほど言い残しました労働協約でありますが、これにつきましては、そのことがいいことだとか、悪いことだとかいうことは、これは労使の考え方があるので、いろいろあると思いますが、少くとも組合が非常に私どもとしては重大な問題だというふうに考えておりました先ほどの、ちょっと申し上げました経営協議会のあり方のこと、これについては先ほど申し上げた通りでありますが、その他いわゆる解雇、採用、こういうような問題についても私どもは従来からいろいろ主張をいたしまして、やはり組合の最終的には同意を得てもらいたいということを主張し、昔の協約では、それが完全ではありませんでしたけれども、ある程度目的を達しておったのでありますけれども、その後この問題についてはだんだんぼやけてきて、今ではほとんどもう会社が一方的にやれる。ただ、解雇の問題につきまして若干の条件がございますが、それでも大きくは最後のところではぼやかされてきている。こういう形で、いわゆる組合が、会社側も言っております経営権、人事権に、まあ人事権の中に経営権か含まれておりますが、そういうものに対して介入を許さないという態度協約の中でだんだんと会社側の目的通りに、最終的になってきた。結論的に、いろいろ経過は経ましたけれども、なってきた。それからまた、組合の私ども非常に関心を持っております苦情処理委員会のあり方とか、詳しくは申し上げませんか、あるいは表彰規程というのがございますが、そういうことについてのあり方、こういうものについても私どもは種々主張して参りましたけれども、やはり結果的には、私どもは懲戒委員会ということもやはり組合意見を聞いてやるならば、表彰ということについてもやはり組合意見を聞いてやるべきじゃないか。職場ではただ会社の見方と、その職場における同人の行動の見方と違う場合もあるから、組合意見も聞くべきじゃないか、こういうことを主張して参りましたが、これについても昔は実質的には行われておりましたけれども、今では全然そういうことがなされていない。こういうことが具体的な問題として出てきております。それから先ほどちょっと申しおくれましたが、これは労働条件の問題に入ると思いますが、時間外のいわゆる賃率の問題でありますが、これは電気労働者は、最初にはいわゆる協約に定められております時間以上、いわゆるオーバー・タイムでありますが、これは千分の七・六という賃率をもって計算をされておりましたけれども、現在全国的に若干会社によってまちまちではございますけれども、最低のところでは、これが千分の六・九まで、これは労働基準法に定めるおそらく最低のぎりぎりだと思いますが、そこまで下げられた。まあ先日も衆議院で申し上げましたら、それは当りまえじゃないか。基準法通りやったらいいじゃないかと、こういうふうな意見が保守党の議員の方からございましたけれでも、労働組合としては、やはり労働組合法にもありますように、労働者のいわゆる生活の向上、経済的条件の向上ということを目的にしている組合が、せっかくこういう形にだんだん今まで持ってきたものを、だんだん下げられると、こういうことばやはり労働組合の力がないというふうに、いいことか悪いことかは別にいたしまして、力関係から申しますと、力がないから取られたのだと、まあそういうふうに客観的に御判断が願えるのではないかというふうに考えます。だれも六・九に下げることを労働者は喜んでいる者は一人もありません。皆いやだけれども、力がないから下げられた。力があればそんなものは下げられるなにはないと思います。それが絶対に法律的にいかぬものなら、最初に七・六というものはないはすなんでありますが、これはやはりお互いに話し合ってきめたことなのであります。  それからもう一つ、いろいろ御意見はありましょうが、労働協約の中に、いわゆる平和条項というものを、私ども少くとも組合としては、これを入れることを非常に拒んだわけなんですが、結果的にそれを入れなければ協約を結んでもらえない。これもやはり力の足らなさから、漸次いわゆる協約の中へだんだん入ってきております。平和条項は申し上げますと、まず第一に、問題があって争議に入るまでには、いわゆる労働委員会の調停申請、あっせん、こういうようなものを入れるとか、これは昔労調法にありました冷却期間とほぼ似たような格好になると思いますが、それから争議の不参加者の協定といいますか、これは御存じのように、非組合員というような争議に参加しない者は労組法の第五条できめられて、そうして電気の組合としては、労働委員会のいわゆる会社の利益を代表する者は、これは組合員でないから争議に参加しない、この限度はございます。実はこの限度についても、いろいろの経過から、必ずしも利益を代表する者ではなくて、電気においてはいろいろな重要な毎度から、たとえば、一発電所の所長さんあたりも一応利益を代表する考だと私ども認めて、現場の責任者ということで認めて、実はそれだけの権限は持っていないのでありますけれども、相当幅の広い非組合員の協定をしておりますけれども、ところが、それ以上に極端な場合には、電話の交換手を、あるいは自動車の運転手をというような格好で、争議が起きても会社のおえらい人は何ら苦痛がないというような形の、そしてこれでまあできるところは制限をされる。こういう形で非常に大幅に不参加者の協定をさせられたところもございます。その争議不参加者の協定なるものがだんだん協約の中に、少くとも最初の協約できめた以外といいますか、いわゆる組合員以外で相当の人が結果的に争議に参加できないと、こういうことがきめられております。  それからもう一つは、不思議なことには、労調法の三十七条だと思いますが、公益事業、だということで十日前の予告制度が設けられておりますが、これに屋上屋で、経営者に対しても争議の予告をしろ、こういう形で経営者にも予告をしなければ争議ができない、こういうような形を協約に入れなさい――これはどこから来た見本か知りませんが、電気の場合にはおよそ必要のない、労調法で一般的にわかっておる、こういうようなものを協約の中に織り込みなさいというので、織り込んだ会社もございます。  以上申し上げましたように、目に見えないといいますか、一般に賃金はいいじゃないかと、こういうふうに言われております。確かに賃金の形式的なベースというものから言いますと、端的に申し上げますが、他の産業比較というような形から、そう非常に落ちるとは考えておりません。しかしながら、これは労働組合といたしましては、会社の方ではいろいろ言分はあると思いますが、少くとも私ども電気労働者は、終戦後においては他産業をはるか上の賃金をもらっておったはずであります。ところが、だんだんだんだん下ってきて、特に昭和二十八年以降の賃上げというものは、少くとも他産業並みの賃上げは行われていない。で、どなたでしたか、アメリカの電気労働者ストライキなんかやらないと、こういうふうに言われておりますけれども、それはやらないのが当然であって、労働者は賃金がたくさんもらえて労働条件がいいのにストライキをやるというようなばかな者はおらぬので、アメリカでは、私ども聞くところによりますと、少くとも電気労働者は普通のいわゆる労働者よりははるか上の賃金をもらっておる、だからストライキが起きないのだと、また一般的にもそうあるべきだ。こういう形の常識の中でそういうことが行われている。それを何か電気労働者がちょっと高いから何とかここで押えてやれ、こういう形の傾向、これがたまたまあのときの状態の壁論を意識的にあおった形で力をもがれたのじゃないかという考えすら私どもは持っておるわけでございますが、そういう点から言いますと、少くとも私どもの、こと、賃金に対しましても、たとえば先ほど言われました私鉄の諸君と比べて落ちておるとは申し上げられませんけれども、従来の比較論からして私どもの少くともあのスト規制法後の賃金の上昇傾向は非常に下回っておる、こういうことが端的に申し上げられると思います。その賃金の比較がいいか悪いかは別として、少くとも今までの傾向はあのスト規制法を契機として少くとも下傾向になったということは事実は事実としてお考えを願いたいと思います。
  273. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 今のお話、非常に具体的にありましたけれども、人件費の問題ですけれども、最近では人件費の比率が非常に下った。二〇%以下、一〇%ぐらいじゃないかというような話まで聞いているわけですけれども、そうすると、結局人件費の比率がだんだん下る。会社の業績。そして人件費が今のような上昇率が非常に緩慢なことになってくる。こういう格好になって、結果的には相手を守るという法律になった、こういうふうにお感じになるわけですか。
  274. 小川照男

    公述人(小川照男君) 今私はそう申し上げなかったと思いますが、ちょっと誤解があると思いますが、一〇%というのは基準外賃金のことでありまして、人件費は大体今のところ二〇%程度ということを申し上げました。これは実ははっきり申し上げられないのは、全国的な各社の統計の持ち合わせがございませんので、どの程度かということをはっきり申し上げられません。ただ、この前このことを衆議院で申し上げましたところ、関西電力の藤田支配人も、あれは関西のことと思いますが、関西も二〇%前後になっておる、こういうことは委員会の席で肯定されましたから、おそらく私は数字としてそう間違いないと思います。ところで、人件費の下向ということですが、先ほど申し上げたように、四八%、当時、これはたしか昭和二十三年であったと思いますが、中央労働委員会で電産の賃金が問題になりますときに、当時の、これは当時は会長代理であった、現在の会長の中山伊知郎先生が調停委員長であったと思いますが、この方が、調停案の中にたしか書いてあると思いますが、あるいは補足説明であったかと思いますが、電気事業における総経費と人件費の割合は五〇%程度が適当と思うとか何とか、五〇%程度を大体お認めになったような字句が使われておったと思いますが、それが先ほど申し上げたようにだんだん下ってくる。これは下ったことも、私はこれが全部か――人件費だけか下ったとは極端に申し上げません。少くともこれが三五、六%まで下ったこと、これはやはり電気事業においても発電量が相当ふえた。それからお客さんの家庭でもだんだん電熱を使い出したとか、こういうことからの利益があがる。それに従っての経費が出てくる。こういう点もあると思います。しかし、少くともそれからだんだん下ってきた。三五、六%から一五%ということは、結果的に言いまして、いわゆる経営者の社会的な利潤といいますか、利潤と、労働者にその中から分配される部分の割合がだんだん下ってきた、こういうことが言えるのではないか。ここでいろいろ御論議があり、そのことの是非論は言われておりますけれども、少くとも皆さん方も御承知のように、電気は昭和二十四、五年ごろまでは赤字だ、赤字だと言われたあの赤字のときに、先ほど竹村さんが言われたように、電産は非常な賃上げをやった。赤字のときに非常な賃上げをやって、このごろ黒字になって一体なぜ賃上げができないのか。こういうことが逆に私どもとしては言いたい。黒字になって賃上げができない。現在は皆さん方もいろいろの方面に御存じのように、事業は非常によろしい。株の配当ももう確定的になっておりますし、それから何といってもこれを端的に、私どもが何と言おうとも端的に示すものは株の値段ではないか。公益事業と言われている電気事業の株の値段が、御存じのように一時は、高いところでは七百八十円、七十七円ぐらいまでいったと思います。最近ちょっと配当落ちだと思いますが、ちょっと下っておりますけれども、少くとも五百円株がいいところでは七百円、八百円近くなってきた。こういうことはいかに通常なれば電気事業という株は資産株だというふうに言われたものなんですが、これが相当とにかく高い値段を呼んでおる。現在一割二分の配当ですから、そういう値段で買ったんではおそらく利回りとしてはそう大していいことはないと思います。にもかかわらず、そういう値段をしておるということは、いかに電気事業内容が充実してきたかということを端的に、経済界ほど、こういう私どもが知らないところの内容というものを知っているところはないと思いますが、にもかかわらず、それじゃ電気労働者にそのはね返りが一体来たのかということになりますとなかなかきてない。先ほど竹村さんは賞与においても適当にと言われておりますが、私どもの職場から言ってくるのは、組合が、昔はストライキ権の裏づけもあったから、たとえ取れようと取れなくても要求をして、そうしてストライキもやって、そして取れなければあきらめるけれども、今はとにかく何とか会社から出そうな付近をねらって要求書を出さぬと、取れぬ、組合はいつでも大きなことを言っておれたちには取ってやると言って、しまいには取れぬじゃないか、こういう声が出るので、どうも現実的になかなか取れにくい事態があるので、結局下の金額を要求せざるを得ない、こういうことを私どもに言ってきております。また、常識的になったとかどうとかいうことじゃなくて、電気の場合は、たとえば今期決算等から考えますと、少くとも私どもは他の産業の、たとえば景気のいいと言われておる合化労連傘下の肥料会社とか、あるいは紙パ労連だとか、こういうところからいきますと、少くとも五万円ぐらいの期末手当をもらってもいいんじゃないかというふうに考えます。これは公益事業だといわれるかもしれませんが、公益事業には間違いございませんが、それでは会社の今の経営の実態はどうかというと明らかな営利会社であります。会社は、営利会社ということと公益事業という二つの使い分けをしながら、労働者をだんだん圧迫してきて会社の利潤をふやしてきておる。電気会社の現在の資本の内容というものは、かってないほどに充実してきておるということは、皆さんがお認めの通りだと思います。そのことだけからしても、私どもの申し上げることが、個々的には若干の見解の相違があるかもしれませんが、結果的にはそう言わざるを得ない、客観的にもそう言わざるを得ないのじゃないか、こういうふうに考えております。
  275. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 竹村さんに一つお聞きしたいのですけれども、先ほど向井公述人の言われた中で、たとえば関西の例をとると、百二十五万キロが大体バランスだ。ところが実際火水の問題で、水力の方は五、六十万キロだ、火力の設備では五十万ぐらいありながら二十万ぐらいしかやっていない、合せて七十万ぐらいだった。実際の損害は先ほど言われたような格好になっておるのですけれども、竹村さんはここで損害の問題については内容について触れられなかったのですか、こういう点はどうでございますか。
  276. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) 藤田さんの御質問にお答えいたします。二十七年の九月、十月ごろは私の記憶といたしましては決しで格別のそんなひどい渇水はしていなかったと思います。なるほど十一月の下旬から十二月にかけては渇水をいたしておったことはございますけれども、先ほどのお話のような極端な湯水はなかったと思います。それで私どもの方の調べでは、九月から十二月に至る四ヵ月間にストによって停止された電力量が三億六千万キロワット・アワーほどに達しております。ということは、私の公述の中にも申し上げたと思いますが、そんなことに私どもの調べはなっておりますので、いかにも渇水による停電をすべて電源あるいは停電ストに転嫁したというようなことをおっしゃったが、さような事実はないように思います。  それからもう一つ、この機会に訂正しておきたいと思いますのは、小川さんからいろいろお話がございましたが、人件費についてでございますけれども、人件費はなるほど昭和二十一、二年ころには四〇数%の割合を占めておりました。それが漸次下りまして、最近では二四、五%ということになっております。電気事業全体といたしまして。それは御存じのように、最近の数年間というものは次から次へ発電所なんかに新しい設備ができまして、それに対するところの金利償却といったような、いわゆる資本費が増加いたしておりますので、それで自然に人件費の割合が少くなったということ、決して給料を上げないから少くなったというのではなくて、ほかの経費がふえてきたから自然に総経費に対する人件費の割合が少くなったというだけのことでございます。その点を一つ誤解のないように御理解を願いたいと思いますが、なお先ほど向井さんからのお話で、最近の組合の要求は私は法外なものでないと申し上げたのであって、妥当なものとは申し上げておりませんから。御要求のもの、そのものが出るなんということはお考えにならぬようにお願いいたします。  それからなお、いろいろ労働条件が悪くなったとおっしゃいますけれども、決して悪くはなっておりません。労働条件の一番おもなる問題は労働時間だと思いますが、労働時間が四十二時間になりましたのは、二十七年のあの大きな争議をしたその結果なったのでございます。それまで三十八時間半であったものが四十二時間になったのであって、ストが規制されてから特に労働条件を悪くしたというような覚えは全くございません。のみならず、退職手当でございますけれども、これはなるほど九〇%というのを八五%に下げた部分もございます。これは十五年米満の在職で退職する人とかいうのに、しかもそれは自己都合で退職する人というような、きわめて少い限られた人に対して下ったのであって、そのかわり、長く勤続をしてやめる方には従来の何といいますか、増加のほかに三・五%というようなものを増加いたしております。従来はある年数によって円満定年退職の方は五%増しであるとか、あるいは一〇%増しであるとかあるいは病気でやめた人は二〇%増しであるとかいろいろな規定がございました。その増すのを三%五分ずつさらにふやしたというようなことで永年勤続を優遇するということで、これは組合とお話しして円満に解決いたしております。まことに減らしたのは少し減らしておるのですけれども、小川君あたりの感覚として、減ったやつばかりを申し上げて、ふえた方は黙っておるというのが大体これは昔からのくせで、ございますので、(笑声)十年のつき合いでございますからよく存じております。そういうことでございますから、どうぞお間違いのないように……。
  277. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 竹村さん三%ですか、五分ずつふやしたと言いますけれども、一〇〇%の絶対数の基本になるやつ、一〇〇が九〇になり、八〇になったら。
  278. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) それは中労委で調停されたときに、最初はたしかあなたなども調停委員でおいでになったと思いますが、一〇〇%というのが出ておりましたが、その後賃上げのときにとても今度の賃上げで一〇〇%はつらかろうというので、中労委の調停で九〇%になったという経過がございます。その後何回も一〇〇%復元といいますか、御要求がありましたが、ならずに今日に及んでおるわけでございまして、しかも電気事業の退職手当というものは、最近に至りましては非常に率が高くなって参っております。と申しますのは、あの電産の退職金がきまりましたのがたしか二十四年の暮れのころと思っております。そして二十三年にさかのぼってたしか支給されました。今日の物価と当時の物価を比較いたしますと、当時の物価に比較いたしまして今日の物価は約一倍半くらいの値上りだ。百にすれば百五十くらい、あるいは百五十以下であるかもしれません。しかるに退職手当は、当時のものを百としますれば今日は三百を越しておるというようなことで、物価の上昇の割合には非常に退職手当の割合がよくなっているというような見地から、私どもは退職手当を上げるべきでないという見解をとっておりますので、しかも今のような一部永年勤続者は優遇しておるという実情でございます。
  279. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 どうも、私の話が出ましたけれども、私はその退職金の調停を作ったのですが、それから三倍になっているということはないでしょう。あれは通算制の問題、利益によって退職金がきまっているのだから、足切りを苦していたやつが年数がたってきて百パーセントプラスがふえてきたということは当然のことなんです。当然のことを三倍にふえたとかという理屈はないでしょう。
  280. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) それは個人のもらい分でございまして、それは今の、御承知通り、足切りの部分がだんだん減って参りまして、そうして百パーセントの部分がだんだんふえてきたのだ。もう一つは賃金の上り工合がやはり物価の上昇よりも工合よくいっておるということは確かに言えると思います。
  281. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私は小川さんに今ちょっとお聞きしたいのですけれども、電産のこの前二十七年のストライキというものがなぜ長期化、激化したのかということを、できたらお話し願いたいと思います。
  282. 小川照男

    公述人(小川照男君) 実はこの問題は、本法が施行される動機になったと、端的に言えば保守党の方々はあれをやったからやらなければいかぬということを言われておりますし、私どもも労働省に呼ばれて端的にそういうことを言われておりますので、おそらくいろいろ理屈は言われておりますが、あのときのあのストライキで何とか抑えなければいかぬと、こういうことになったと思いますので、一つあのときの状態等について若干申し上げてみたいと思います。  元未完ほどから竹村さんは、過去の電気労働者はきわめて法外なものを要求したというふうに言われておりますけれども、私最近ある必要のために資料をそろえたのでございますが、少くとも終戦直後のあの昭和二十二、三年ごろについてはこれは要求額がむしろそのまま通ったという傾向を持っておりますが、また昭和二十三年、四年ごろから昭和二十七年ごろまでの一つの統計を見ますと、いろいろ言われておりますが、結果的に昨年の要求額がその翌年の妥結額になってくると、これがもう電産、いわゆる電気労働者経営者との間における大体のまあ合った数字であります。いわゆる確かに去年要求したものがその年には取れない。その年にはそれより下回ったもので妥結するが、翌年には要求はそれを上回るがその妥結額は去年要求した金額と大体同じ金額だ。そういうことからいえばあるいは上のものだとこういうことになるかもしれませんが、これはそれこそ先ほどどなたか――竹村さんでしたかどなたかおっしゃったように、労使の間の取引と言われますが、基本的にはいろいろございますが、取引と仮定いたしますならば、取引のときに初めから一今言われますように、そのままいいとは言わぬということははっきり言われておるのです。結局一年ズレぐらいにその要求が実現しておるということは、決して妥当でない要求が出たということは具体的に言えないのじゃないかという理解を持っております。そういう形で私どもはやってきたにもかかわらず、電気事業においては私が携わった限り例外なく賃金を要求いたしますと、会社の回答は団体交渉においては少くともゼロであります。普通の場合にはまあ三千円要求したら五百円かと、なんぼとかいうことからこういくのですが、電気経営者の場合にはいつもゼロ回答です。上げられませんと、こういうことが電気経営者のやってきたことなんです。これは今御質問になった藤田さんも中央労働委員会でやっておられるときは電産の調停をお扱いになりましたのでよく御存じの通りだと思います。中労委の場に行って、最後までゼロ、調停案が出たらのむかけるか、こういう形です。また従来のことを統計的にお調べになっていただいたらわかりますが、少くとも、調停案について一体労働組合の方がたくさん拒否をしたのか、会社側がたくさん拒否したのかというと、会社側の方が拒否をたくさんしております。少くともなんだかんだと、公益事業なんだとか、かんたとか言って調停申請を出して、調停案については、会社側がたくさん拒否しておる。こういうことが電気事業労使の実態であります。  そこで、昭和二十七年のストライキが一体なぜそうなったということでありますが、これには話が非常に長くかかりますから簡単に申し上げますが、相当な電気事業経営者の仲間においての一つの背景があったというふうに御理解を願えればいいのじゃないか。ということは、私どもとしては、意見を異にしておりましたが、電気経営者としての言い分は、過去のGHQがある時代には、ストライキが始まりますれば、GHQの示唆その他から仕方なしに通産省あたりが電気料金を上げてやるというのでいろいろ賃金をのんできた。GHQがなくなった昭和二十六年五月からいわゆる九分割によって株式会社になった。昔も株式会社であったのですが、今度は自立自営をしていかなければならぬ。だから賃金を上げられない。こういう言い分が非常に強かったと思います。それからまた、確かに過去において電気経営者が電気労働者との間にとってきた態度というものは、他力本願である。これは向井公述人が先ほど申し上げた。他力本願である。今でも若干その傾向があります。他力本願ということは賃金はゼロ回答しておく。電産がストライキをやってがあがあやることによって、国会でも問題になって、労働大臣、商工大臣ががたがたするようになると、商工大臣のところに行って、何とか考えてくれ。こういうことによって、電気料金の値上げのオーケーを若干とって、調停案をのむとかける。電産が少し何かがたがたやってくれないと、そういう話までにならぬから、むしろがたがたするのを私どもから言うと喜んでいるような格好であった。こういう実態であります。よくそれをなれ合いストライキと言っておりましたが、私どもはそういう態度に反対しておったのですが、そういう形も見られたわけです。そこで、そういうことからおそらく日経連あたりが相当電気経営者態度には不満を持って、お前らしっかりしろ、何しているんだ、こういうことを言われた。電産では電産の賃金を作り、これがもう日本労働者の型みたいになって、いつも電産がトップをきっているじゃないか、電気経営者がしっかりしないからだ。労働条件だってもう少し下げなければいかぬ。こういうことを言われておったように私ども聞いております。そういう状態の中でいわゆる昭和二十六年に再編成があって、その一年間は大体社内における最高人事のごたごたその他から適当に済んでおったようですが、昭和二十七年になって大体各電気会社も陣容が整ったところで今まで電気労働者に与えた条件を何とかしなければならぬということで、実は会社側が相当ふんどしを締めて電気労働者にいどんできた。こういう情景が昭和二十七年のストライキだと言います。そこでいろいろ皆さんとしては御言い分はあると思います。当然じゃないかという人もあると思います。それはあるいは賃金のあり方とか、労働条件とか、三十八時間なんというのは、労働時間が短いから四十二時間が必然じゃないか、こう言われる人もあると思います。これは当否は別といたしまして、少くとも電気労働者が過去七年間、いわゆる戦後毎年々々少しあていろいろな形で要求をし、お聞きの方もあると思いますが、ストライキを決して好んでやっておりません。ストライキまでやって、一つ一つ築き上げたあれだけの条件について、あのときの、少くとも昭和二十七年の調停委員会においてはいろいろな問題が出てきた。私どもに言わせれば、ほとんど今まで持っておった電産の基本的な既得権というものは、根本的にここで引っくり返したい、こういう意図が会社側にあった、労働協約で、いわば電気労働者と統一した労働協約は今後結ばない。あるいは賃金についても、統一した賃金はやらない。こういう基本的な問題から、賃金体系についてはこの際職階制にしたい。労働時間についても下げたい。休日休暇も他の会社より多い。それから先ほどからずっと並べましたああいう条件についても他よりよろしい。みな下げなければいかぬ。団体交渉のときには具体的にならなかった問題が、あの調停委員会に全部しわを寄せて、あそこに持ち込まれた。これがやはり電気労働者の非常な憤激を買った。あまりにもひどい。何年間もわれわれがやってきた問題を、いい悪いは別として、組合だって一ぺんにそれだけのものを持ち込みはしない。あまりにもひどいじゃないか。これがやはりあの争議をあれだけ激烈化した。会社側から逆に組合は挑発を受けた。組合としてはやむを得なかった。こういう大体あのときの争議の背景といいますか、そういう中で、両方が、最初は調停案をけり、あとはあっせん案が出たのですが、これは確かに組合が拒否をいたしました。しかし。それだけの条件を持ち込まれて、結局中山会長としては、あっせん案として、労働時間の切り下げが出された。私どもは労働時間というものについて何ら要求もしていないのに、賃金と差しかえになる形で、しかも労働時間の問題がここに出されるということについては、労働者としては、少くとも非常に基本的な問題としてこれをお受けするわけにはいかなかった。そこで、まあいろいろ問題になってああいうストライキになったわけでありますが、少くとも、あの問題があそこまでいったということは、もろもろの七年間の電気労働者の既得権というものを全部くつがえそうとした。実は、私は先ほどは省略しておりましたが、昭和二十七年の争議の、先ほど竹村さんが言われましたように、争議の結果として、確かに電産は負けたと思いますけれども……。
  283. 千葉信

    委員長千葉信君) 小川さんに申し上げます。できるだけ簡明に一つ願います。
  284. 小川照男

    公述人(小川照男君) 結果として、賃金は若干上りましたけれども、あのときに失った条件を金に換算すると、私どもは三千五、六百円のものを条件として失った。その後、私が先ほどずっと申し上げましたような二十八年のあの争議後に、また先ほど申しましたようにだんだんなくなった。結局は、会社があの争議のときに、最初にねらったことが効果を得、それから後のスト権がなくなった以降、ほとんど会社の目的は全部達したというふうに言われていいんじゃないか、あのときの中央労働委員会の記録、会社が出した資料に、会社側の意図というものがあの中に出てきておりますが、全部会社の意図を現段階において満たしたというふうに言って過言でないというように申し上げておきたいと思います。
  285. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 それでは粒針公述人の方にお尋ねしたいですけれども、潜在災害というものが炭鉱にある、ちょっとその点についてもう少し説明をいただきたい。今日では災害が潜在化している……。
  286. 粒針慶一郎

    公述人粒針慶一郎君) 先ほど申し上げましたわけでありますが、表面的な数字として現われております災害件数は、なるほどここ三、四年の間に、炭鉱労働者が御承知のごとく激減いたしておりますから、一応は減っておるわけであります。しかしながら、その中で、私ども一番大きな関心を持たなければならぬ死亡事故というものが比率で激増しておる、こういうふうに実態が出ておるわけであります。従いまして、こういう点から判断して参りましても、災害件数というものは、表面的な数字とはうらはらに、実は内部にひそみつつある、もともと下部へ意図をもって、これをひそましておったのでありますが、ことにそれが顕著な傾向となって現われておるじゃないか、このように実は判断いたしておるわけであります。私どもは、死亡件数を調べて参りますと、総体的な数字は申し上げませんが、死亡だけをとらえましても、二十八年には六百九十六名という炭鉱労働者が災害事故のために死亡いたしております。それが、二十九年には七百九名となり、三十年は六百六十六名、三十一年六月現在数字を調べますと、三百三名、こういうふうになっておるわけであります。此率にいたしまして、労働者総体との対比は、二十八年は六・一一、二十九年は七・二四、三十年は八・一七、このような形で数字はふえておる。こういう実態であります。御承知のように、炭鉱内におけるいろいろな機械化は相当進捗をいたしておりますので、こういう点から考えて参りますと、また、経営者が常日ごろ口にしております保安はほんとうに大事である。われわれはこれを一番大きな目標としてこの確保のために当っている、これが真実だといたしますならば、技術的な面その他いろいろな面の進歩等を考えて、これらの事故についても当然減っていくのが正しかろう、こういうふうに判断するわけであります。しかし、事実は遺憾ながらこのような数字をもって現わさざるを得ぬ実態である、こういうことであるわけであります。従いまして、こういう点について私どもは非常に遺憾である、こういうふうに考えておるわけであります。実際に生産のための保安、こういう考え方しか経営者にはないのじゃないか。われわれの死亡ということは、労災によって死んだ場合には幾ら金が出る、こういう形がきまっておる。また、死んだら退職金は規定によって出す、こういうように出せばいい。こういう、まさかこれほど極端な考え方をもっておるとは思いませんけれども、こういう事務的な取扱いに近い感が持たれておる。けがした場合には、御承知のように、炭鉱の災害は簡単なけが以外は相当大きな将来に対する痛手を受けるわけでありまして、足がびっこになるとか、脊髄が折れてしまうとかいう事故は日常茶飯事であります。従いまして、こういう場合においても単に労働者災害補償保険法に定められているその金額をもって、これがいわゆる、君の災害との取引金額である、こういう事務的な方法しか現在とられておらぬ、こういう際にはその後の労働条件というものは当然変ってくるわけでありますが、これもまさに恩恵的な面をもって仕事をやるのだという考え方がまだまだある、こういうことであります。  従いまして、炭鉱労働者は、いつ自分の上に生活上の脅威または生命を失うという危険が起きるかもしれぬというそういう危険につきまとわれながら働いている。こういう点は経営者がやっておりますところの保安というものをもっと大きな目でもって、人道的な立場を含めての考え方というものを考えてもらわなければならぬではないか、こういうように私どもは判断いたしておるわけであります。
  287. 大矢正

    ○大矢正君 竹村さんにお尋ねいたしたいと思いますが、だいぶおそくまで非常に恐縮でございますけれども、竹村さんはこの法律をぜひ作っていただきたいというお気持を持っておられるようでありますから、これは通るか通らないか、国会だかやってみなければわからぬけれども、そういう気持があると思いますから、少々おそくなっても一つがまんしていただいて、御答弁いただきたいと思うのですが、さっき公述された中の私は二番目じゃないかと思っておりますが、経営者の対抗手段というものがなくなってしまう、この法律があることによって経営者の対抗手段というものを当然確保することができるのだ。あわせてこの法律があることによって初めて労使が対等になれるのだ、こういうように御発言になったのであります。それでそのあとからつけ加えられて、ストライキ行為あるいは争議行為とかこういういわゆる組合経営者に与える打撃、こういう面では、これはまだまだほかにたくさんある。争議行為というものが残されているのだから、だから従って単にスイッチ・オフだけが禁止されたとしても、そのことは労働組合はさして痛痒を感ずるものではない、このような御意見のようでありますけれども、これは政府提案をいたしております考え方、これは労働組合にはさほど大きな打撃を与える法律ではないのだ、これはこの法律ができたからといって、労働組合がこの通り争議行為を行い、争議行為の目的を達する、経営者に打撃を与えるという面の一切の行為がなくなってしまうようなものじゃない、こういうふうに政府は言うのでありますが、これは私は考えてみて、政府ももう一歩これは親切気があったから、労働省あたりでも、スイッチ・オフはだめなんだけども、ほかにはこういう争議行為があるからこれをやってみたらどうかと、こういうような親切気を出していただいても決して私は悪くはないと思うのだが、これはなかなか労働省の方もやってくれそうもないので、そこであなたにお伺いしたいのだが、実際問題として、争議行為というものは、これは相手に打撃を与えるから争議行為ということが言われるのであって、経営者が少しも打撃をこうむらないのでは、これは正式な意味争議行為ということは私は厳密には言えないのじゃないかと思う。そういう意味からいって、あなたがスイッチ・オフを禁止した以降においても具体的に争議行為があるということを言われておるけれども、ほんとうに経営者立場から考えてみて、あなた自身が痛手をこうむるような争議行為がありますか。その点ちょっとお伺いしたいと思います。
  288. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) お答えを申し上げます。それは先ほどからいろいろ問題になっておりますところの集金ストであるとか、あるいは事務ストと一口に申しておりますが、上部遮断であるとかあるいは出張拒否であるとか超過勤務拒否であるとか、そのほか検針と調定の業務拒否であるとかというようなものが相当広い範囲に種類も多くあると思っております。またそのほかに、あるいはすわり込みであるとか何とかいうことで経営者をいやがらせ、かつまた、経営上に支障も来たすような、またわれわれも非常に困るようなストライキ方法は幾らもあると思っております。
  289. 大矢正

    ○大矢正君 これはまあ、あなたが今言われた中にいやがらせという言葉があるのだが、私は言質をとらえてどうこう言うのじゃないけれども、いやがらせというものと、争議行為があることによって経営者は非常に圧力を加えられるということとは、これは非常な違いがあると思う。いやがらせということになったら、あいつの顔を見ているのもいやだからというのもこれもいやがらせ。これはそういういやがらせという問題じゃない。争議行為ということは全然いやがらせじゃない、相手に打撃を与えるだけですね。僕はどう考えても、政府あたりでは拡大解釈でもって、間接的な行為であっても、それが究極において電気の供給が行われない場合には、これもいかんのだともこのごろこう言っておるわけでしょう。そうなってくると、ほんとうにあなたの言われるような事務ストライキをやられたり、あるいは集金ストライキをやられた場合に、ほんとうに経営者がもう経営ができなくなってくるとか、これはもう何とかしなければならぬ、何とかこれは争議行為解決しなければならぬというような、そういう困る状態に僕はどう考えても追い込まれないのじゃないかと思うのですがね、どうでしょう。
  290. 竹村重武

    公述人(竹村重武君) 先ほどのいやがらせという言葉で大へん問題が起きて申しわけございませんですが、いやがらせと申し上げたのは、すわり込みというような程度、これは現実すわり込んでおるのを知らぬ顔さえしておれば別段打撃はないと思っております。しかしながら、今の集金ストとかあるいは検針スト、それから調定業務の放棄とかいうようなことは、現実に料金の計算もできませんし、また、二ヵ月、三ヵ月集めてやるというわけにもいきませんので、これは相当な打繋をわれわれは受けると思っております。また、現にそういうことをやられて因った、早く解決をしなければならぬというのはわれわれの気持でございます。だからそれは先ほど申し上げましたような電源スト、停電ストというのは、むしろわれわれに対する威圧といいますか、打撃よりも一般公衆に対する影響が大きいのじゃないかということを申し上げておるわけであります。
  291. 大矢正

    ○大矢正君 それはまあ、あなたの言われておるのは、公衆に迷惑をかけるから、だからやらないのだと、こういうような意見もありますけれども、私は、その意見をとらえてあなたに質問しておるのじゃなくて、あなたが言われた労使がこの法律があるから初めて対等になるのだ、法律がなかったら対等じゃなくて、経営者はずっと下に落ちてしまう、こういうあなたの論旨の立て方があったでしょう。そのことに対しては承わっておる、これは公共福祉に影響があるのではないかとかそういうことではない。  そこで話を竹村さんから小川さんに移したいと思うのですが、今竹村さんの言われたような考え方が実際問題としてあなた自身、この法がなくなってもほんとうに経営者に打撃を与える争議行為現実的にあり、そのことによってあなた方が要求を貫徹することがありますか。
  292. 小川照男

    公述人(小川照男君) 小川でありますが、私ども仕方なしにいろいろな戦術を考えているわけなんです。しかし、それもほとんどいやがらせといいますか、先日衆議院の社労委員会でもちょっと委員の方がお笑いになったのですが、こじき戦術といいますか、きたないふうをして会社の前ですわり込む、お客様を扱う所ですからやはり会社はいやがるだろう、そういうようなこととか、極端な例になると、黙否戦術といいますか、ものを言わない。仕事しながらものを言わない、こういうようなこともこれはいろいろ苦しい中から出してやった経験がございます。しかしこれが決定的にはならない。  それからいろいろ言われますが、それでは絶対にないかというと、私はまだやってみませんが、考えとしてはないとは言えないと思います。しかし、これも私は特に電気事業については非常に危険じゃないかという電気労働者良識から思っているのです。ということは、電産のストライキは従来一〇%、一五、二〇と、これは御存じのように電気の利用度というものが現在のところでいいますと、三〇、三〇、三〇といいますか、工場の保安電力が三〇、それから生産に必要な電力が三〇%、一般の家庭、電気こたつその他を含めて三〇、くらいが錯綜しておる。こういうのが大体まあ電気事業の実態だと思う。近ごろ少し動きつつありますけれども、まあ実態だと思う。そして私どもが最高やったのは三〇%、指令は三〇%で、最高実際実施したのは二五%なんですが、そういうところからも少くとも日本の経済なり、いろいろいわれております公共福祉なりには、何とか最小限度の状態で、しかも会社の反省を促がしたい。こういう綿密な計画のもとに、電気は技術的に非常にむずかしいのですが、そういうことを考案してやってきたわけです。たとえていいますと、これはやったことがないからわかりませんが、直接電気に携わっておるもの以外が全部長期にわたって職場放棄をした、こういうことをやったと仮定いたしますと、だんだん品物はなくなるし、たとえば、資材を全然やらないということになると、品物が出せない、修理ができない、だんだん自然枯れになってくるという事態がきたというときには、どれほどの電気かとまるかわからない。こういう危険なことも考えられると思います。これはやはり私どもとしては、まだやろうとも思いませんし、危険だと思いますし、その効果が現われるのはおそらく相当の長い年月かからなければ、とても解決の間に合わないと思いますけれども、もしやったとしたならば、それも我慢してやったならば、相半危険な状態が、いわゆる無計画な停電といいますか、状態が起るのじゃないかということを一応想像しておりますが、まあそういう時代になれば、これは本法ではどうにも取り締れない。それこそ間接の間接になるかもしれませんが、それは先ほどどなたか御質問になった間接のどの部分に当るかはしれませんが、石炭の面からいえば、貯炭がなくなればとまるのはわかっておりますが、だんだんそういう形になってくると、やはり相当な危険状態が起きてくるだろう、こういうことが予想をされるだろうと思います。しかし、そういうことは労働者として、日本国民としてそう無計画なことはできない。一定の計画のもとに大体どこまではとめても、公衆の問題、危険度の問題、炭坑の水びたしの問題も起って参りましょう。そういうことを勘案すれば、われわれのストライキはやらなければならぬという良識はわれわれは持っておりますから、そういうことはやはり今私どもが考えられるいわゆる実施可能なストライキ手段としてはどうも打撃を与えるのはないのじゃないか、それは少しぐらいの困ることはあると思いますが、これで何とか考え直さなければならないんじゃないかというような手段はまずないだろう。これは私が申し上げているのは、生産はできる、販売はできる、金ではきる、この三つがそろえば会社は痛手はないわけなんです。
  293. 大矢正

    ○大矢正君 それはまあ考え方の相違だと言われればそれまでだかしらぬけれども、少くともこの表面に出てきた、あるいは出てくるというような争議行為というものが漸次規制されていく、まあ今の政府は、従来もそうであったし、私はおそらくこれからもそうであると思うんですが、非常に重大な影響を与えるような争議行為である場合には、これはもう幾らでも法律を作って押えつけてしまうという傾向は、これは今まで私どもはよく感じてきたんですが、そういうようにして、スト規制法もその通りであるが、表面に出てくる争議行為というものをそうやって押えていくと、争議というものはだんだん陰険なる性質を帯びて、言葉が適切かどうかわからぬけれども、だんだん陰険になって、非常に現実の問題としてはむしろ逆に、法律のねらっていることとは反対に、陰にこもった争議というか陰険な争議というか、そういうような争議発展をしていく私は危険性がある、すなおな労働運動がだんだんできなくなってくるような気がしてしようがないんですが、あなたはどう考えますか。
  294. 小川照男

    公述人(小川照男君) それについては現在の組合が総体的にすぐどうなるとかこうなるとかいうことには、まあここに組合の人もおいでになりますから、いろいろ御意見はあると思いますが、一例をあげていうならば、先ほど私ども申し上げましたように、正々堂々たるストライキができないということになると、ストライキをやる必要があるときにはやはり何とか手段を選ばなきゃならぬ。そういうことになりますと、やはりやり方がだんだん陰険になる、必要がないときにやるのではなくて必要があるときにやるならば、目的を達するためにはだんだん変な方向に走らざるを得んのじゃないかということを私どもはある意味では憂えております。いろいろ見方はあると思いますし、先ほどからもいわゆる向井さんのところの組合は健全だ、向井さんもそれは一生懸命にやろうとしておいでになるのですが、これだってあまり押えられると、今の状態ではあるいはうまくいっておると思いますが、だんだんバランスが破れて、だんだん組合の状態といいますか、要求がうまく通らないような形がくると必然的に、しかもこういう法律で押えられておるということになると、ただ組合の幹部が良識的に何とかしょうとしてもなかなかそうは参らぬというような状態がくるのではないかという心配を、これは私どもも向井さんあたりもされておると思います。先日衆議院で全炭鉱重枝書記長がやはりそのような趣旨のことを若干触れられておったように思いますが、そもそも組合幹部がどう考えようと、ストライキ組合幹部がでっち上げてやるべきものではない、みんなの意欲がストライキという形になって出る。ところがそれができない、こうなると、どうしようにもどうにもならないような状態がだんだん下から生れてくる。そういうときにはやはり結果的に組合運動全体が、表現は悪いかもしれませんが、私どもが予定しないようなうんと左傾したような形になってくるとかいうような憂いを私どもはいろいろな意味で持っておるわけなんです。しかしこれは考え方でありますので、現実にどうなっていくかということは結果論になると思います。
  295. 大矢正

    ○大矢正君 粒針公述人に質問したいと思うのでありますが、先ほどからの小川公述人意見を聞いて参りましても、やはり電気産業の中では、現実的にこの法律ができた以降においては、どうしても労働組合経営者に対する打撃というか、圧力というものが弱くなって、そのために例として述べられておったように、四国においてはちょっと私どもがこれは想像してもおかしいくらいなんだが、労働組合の幹部が二年たったらどうしてもやめて現場へ帰らなきゃならぬというような、ばかげた労働協約を結ばせられるような、そういう逆境に追い込まれておる。それはまあ、私は電源ストライキをやればそういうことがないとか、あるいは炭鉱保安要員を引き上げればそういうことはないんだと、こういう立場で私は申し上げておるんじゃないが、実際問題としてそういうものを、そういう権利を保有する立場というものは、非常に強い立場だと私は思うのであります。そこで、電気産業では、今言ったような、現実に影響がこの三年間の間に非常に現われてきておる。そこで、それじゃ炭鉱の場合にそういう影響がないかどうか、こういう問題なんでありますが、あなたも現実労働運動の幹部として労働組合を指導されて、今までのその指導せられてきた経過などからどのようにお考えになるか、私は特にこのごろ炭鉱争議の実態などというものをいろいろ検討してみると、どうもこの法律ができてから経営者がロックアウトをやるというような結果になったように感ぜられていたし方ないのでありますが、この法律ができ上る前は、あまり経営者はロックアウトをするなどということは、私の記憶ではなかったようでありますけれども、この法律ができてからは、単に一つの山とか、あるいは二つの山とかいうのじゃなくて、もうこの間のように、大部分の大きな企業の経営者が一斉にロックアウトをやるというような措置に出てきておりますけれども、これはどう考えても、こういう法律ができたことによって、経営者がそれだけ強腰になる、そのために労働者の力というものが弱められてきておると私は感ずるのでありますが、あなたのこれに対するお考えを聞きたいと思います。
  296. 粒針慶一郎

    公述人粒針慶一郎君) お答え申し上げます。率直に言いますと、私どもの炭鉱労働者立場で、今電産のまたは炭労連の方々から承わりましたようなそれほどの影響というものを、私は直接はこのいわゆるスト規制法によって私どもが受けていると、こういうふうには判断はいたしておりません。で、それ以前の問題として、私どもはこういう法律ができること自体が、先ほど申し上げましたような諸観点から誤まりであろう、作るべき法律ではなかろうと、こういう判断をいたしているわけであります。しかしながら、現実の問題として、それでは全然影響がないか、こういうことを考えて参りますと、この点はやはりいろいろな面の影響を受けている、こういうふうにやはり判断せざるを得ないわけであります。つまり心理的な影響と申しますか、こういうことによって、何か労働者の正当なる権利である争議権を行使するということが、これはあっちにひっかかるのじゃないか、またこっちに制約されるのではないかという、こういう王手、からめ手からの制約から、いわば手も足も自由に伸ばせない中における争議行為をしなければならぬのではないか、こういういろいろな判断をして、その上に初めて争議行為を確定的にきめると、こういうようなやはり影響は受けているのではないか、こういうふうに一応考えられるわけであります。  なおロックアウトの問題につきましては、今春の私どもの賃金闘争の中で、初めて大手十四社が一齊に経営者からこれを強行されたわけでありますが、やはりあえてこの暴挙を経営者が行うというその根底にあるものは、このスト規制法によってのいろいろな力を得ている、そういうことは現実であろうと、こういうふうに判断するわけであります。私どもは争議行為の中で、頭から保安要員を撤収するのだと、こういうことを前提にしていろいろな争議の戦術を組むとか、行動するとか、こういうことをやったことは、現在まで一度もないわけでありまして、先ほど申し上げましたように、いろいろな交渉なり、行動の過程の中で、私どもの率直な組合員感情として、何と言われようとも経営者の出しておる点については、賃下げについては、また、労働条件の改悪については、またはその他の問題について、経営者態度が究極的にその方向に追い込んでいく、こういうような形の中での推移があったわけでありまして、頭から保安要員は出さぬと、こういうことをきめたことは一ぺんもないわけであります。こういう点でこのストライキ規制法は、今申し上げましたような心理的な面における影響というものをやはり大きく持っておるのではないか、こういうふうに判断いたしております。
  297. 大矢正

    ○大矢正君 よく言われるのですが、これはまあ政府なんかが特に言っておるようですけれども、何か聞いていると、炭鉱労働者というのは、保安などということは全然考慮してないんだというような感じを、実はここ二、三日来の委員会の中でも私は非常に強く受けるわけでありますが、私も今まで炭鉱労働組合というものをながめてみても、非常に保安を守るということは、これは労働者みずから今まで非常に苦労されてきていることじゃないかというふうに感ずるのです。承わるところによると、保安を守って、そしてみずからの身命の危害というか、あるいは鉱物あるいは資源の滅失を防ぐために労働組合自身が犠牲を負ってもその保護や、それから安全のために今まで幾多努力をしていると、このように、実は私は感ずるのでありますけれども、あなたはその点についてどう思いますか。
  298. 粒針慶一郎

    公述人粒針慶一郎君) お答えいたします。先ほど公述の中で申し上げましたように、直接に炭鉱における保安を守る責務といいますか、これは私ども労働者には課せられておらぬ、このように判断いたしております。当然経営者である鉱業権者がその保安を守る責任があるわけであります。しかしながら、私どもはそれでは保安というものをどのように理解しておるか、こういうふうになって参りますと、私どもの職場、安全な職場を私どもは作りたいと念願いたしておりますし、この中で私どもの生活を守りたい、このように考えておるわけであります。従いまして、保安を守る実際の意欲といいますか、これはむしろ労働者の方が強いのではないか、このように私どもは判断しておるわけであります。みずからが毎日稼働するのに、その労働環境が非常に危険である、こういう場合については、安心して働けないわけでありまして、そういう点から見て、私どもは常日ごろこの保安については口を大きく開いて経営者に善処を迫り、いろんな要求をいたしておるわけであります。しかし、遺憾ながらこの保安に関しましては、先ほどしばしば申し上げましたように、経営者保安最重点主義である、これを第一に考える、こういうふうに申しておますけれども、それはやはり石炭を堀るという至上目的のために、それに付随する保安という現実の考え方に立っていることはいなめない、このように判断しておるのであります。つまり端的に例をあげましても、保安法が完全に守られておるか、こういうことになって参ります。ハッパをかけるにいたしましても、これは大部分の炭鉱において法規による正確なハッパのかけ方をしておるということは言えないのではないか、このように考えております。また、坑道その他におきましても、法によれば拡大しなければならない、これはいろいろな措置を講じなければならぬ、こういうものについても、その切羽が採炭を終るまでは何とか糊塗していこう、いういう経営者の考え方があることは当然否定できないのであります。従いまして、こういう諸点を私どもは追及いたしまして、これらの改善を日ごろ迫っておるわけであります。なお御承知の方もあろうかと思いますが、どこの炭鉱に参りましても、この法規の適用除外、いわゆる特免区域、設備、こういったものは数多くあるわけでありますが、こういう点でその内容を一々検討いたしますと、これは膨大な、法規にひっかかるものがある、こういうことは事実であります。従ってこういう点から考えて参りますと、どうしても保安というものは、前提を、石炭を堀る利潤を確保することと、その上に立って保安をいかに守るか、いかに設備するか、拡充するか、こういう行動をとろうとしておるのが経営者の実態である、遺憾ながら私どもはそのように判断せざるを得ないわけであります。
  299. 千葉信

    委員長千葉信君) 本日の公述人に対する質疑はこの程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  300. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。  公述人方々には、夜おそくまで長時間にわたりましたので、大へんお疲れのことと存じますが、本日は貴重な御意見を御発表下さってまことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  本日の公聴会は、これにて散会いたします。    午後九時十六分散会