○
説明員(山崎五郎君) まず
千葉新聞の
争議の
前回報告した以後の経過を御報骨申し上げます。
十一月二十一日、会社は組合に対し、会社解散の件及び休業中の社内立ち入り禁止につきまして団体交渉を行いたい旨を申し入れましたが、組合はこれを拒否いたしました。
十一月二十八日組合は、不当解雇を撤回し、健全な県紙として
千葉新聞を再建させる組合の要求のもとに
争議解決をはかることを目的とする団体交渉を行いたいと、こういう申し出をいたしました。
翌二十九日午後二時半から団体交渉が行われたのでありますが、
意見が対立のまま団体交渉は打ち切られました。
千葉地労委は十二月一日午前十時半に、十月二十一日付解雇通知の効力発生は留保の上、労使双方はおのおの三名よりなる会社再建協議会を設け、解雇通知撤回問題を含む会社再建を協議する。この協議会は右の三名のほか、地労委あっせん員が参加し、なおあっせん員が必要と認める場合は、その推薦による第三者で労使双方が承諾した者を参加させることができるとの趣旨のあっせん案を提示いたしました。
回答期限は十二月一日午後十時までに、
争議行為は双方受諾の回答があったときすみやかに中止する。いずれか一方から拒否回答があった場合はあっせんを打ち切りせざるを得ない、こういうことを明らかにしております。
このあっせん案に対して会社は十二月一日午後十時受諾の回答をいたしました。組合は十二月二日午前十時まで留保していただきたい旨を回答し、さらに十二月三日まで回答を延期されたい、こういうような通知をいたしました。
会社側は十二月二日午前十時三十五分から約三十分間株主総会を開き会社を解散いたしました。
千葉地労委は会社解散の決定後、労使双方を招致して、組合の回答がないこと、及び会社解散をきめたことを理由としてついにあっせんを打ち切りせざるを得ないことを文書をもって通知しました。
本日組合はこの会社解散について反対の決議をしまして、会社側に手交する予定になっておる模様であります。
以上が
千葉新聞のその後の経過であります。
引き続きまして日華油脂の賃上げの
争議の経過を申し上げます。
十一月十七日兵庫県の地労委は千三百円の賃上げ、配分及び賃金体系については労使間で協議するとのあっせん案を提起したが、二十日組合は拒否回答を行い、二十三日にストライキを通告し、二十四日以降無期限ストライキに入ったということを報告しておきましたが、その後会社は二十四日、組合が会社回答を待たずして二十三日スト通告を行なったため、会社は回答の熱意を失った旨を回答し、具体的に諾否の態度を表明しなかったのであります。一方中労委は十一月二十七日、この
争議につきまして兵庫地労委と連絡いたしましてこの取扱い方を協議し、兵庫地労委総会では引き続きあっせんを行うことをきめて、十二月一日に労使双方を招致しまして、事情聴取という名のもとにあっせんを継続しております。会社は十一月三十日定例株主総会を開催しまして取締役全員の
委員の改選を行なっております。十二月一日組合は、十一月二十三日付会社名で散布されたビラについて名誉棄損として告訴をしております。兵庫地労委は十二月一日午後三時から労使を呼びまして事情聴取を行い、自主交渉を行うように再び勧告をしております。この勧告に基きまして明日から団体交渉が再開されることになっております。
次に上添田炭鉱の閉山
争議につきまして詳細に報告せよ、こういう希果がありましたので、その後通産省、炭労あるいは福岡県の報告を総合いたしまして、
前回報告したものよりも詳しくもう一度御
説明をいたします。
争議の経過でありますが、会社は昭和三十一年八月九日石炭鉱業整備事業団に売り渡し申し込み申請をいたしました。
前回のはちょっと日付が違っておりましたので……この申請理由は要約いたしますと、今後の可採埋蔵量十四万八千トンとみられるに至ったこと、可採炭量の減少に伴い、昨年までの月産量は一万二千トンないしは一万三千トンであったものが、本年に入って七千トン、あるいは八千トンに落ちるに至ったこと、この結果鉱量一人当りの能率は九トンになった。
深堀に伴い、坑道は延長複雑化して炭車の回転は悪くなったこと。
以上のような条件悪化に伴って
赤字が累積した。なお九州鉱山では最近一年間の
赤字額は七千万円ないし八千万円と称しております。
右のほか九州鉱山は、これまで三度にわたり古河鉱業より鉱区の分譲を受けてきており、今回も分譲についての意向打診を古河鉱業に対して行なったが、古河鉱業はこれを拒否しております。なお古河鉱業においては九月二十四日の重役会において、鉱区分譲を拒否することを正式に決定しておるようであります。会社側はこれによって新鉱開発の望みを断たれたことを理由にしております。
そこで八月二十三日、石炭鉱業整備事業団は、九州鉱山よりの売り渡し申請を受理いたしました。
八月三十日より九月十六日までの間石炭鉱業整備事業団は、他の視察
事務をもかねて九州鉱山の採堀権につきまして調査を行いました。この点については会社側は、この調査団を銀行筋が融資先調査を行なったものと
説明をされております。また会社はこの間を通じて売り渡し申請を組合に知らさず、また組合からの売り渡し事実有無に関する
質問に対しても、申請の事実がないと回答しておったということが言われております。
整備事業団は、九月十二日より二十六日までの間、九州鉱山の機械設備についての調査を行いました。
九月二十日、上添田労働組合は、九炭労より会社の花山申し込みが真実であることが知らされました。
九月二十一日会社は、組合の
質問により売り渡し申請を行なったことを知らせるとともに、閉山の意向であることを明らかにいたしました。
上添田労組は続けまして九月二十三日には代議員会におきまして売山阻止闘争を行うことを決定しております。
その後、会社、組合間で交渉が持たれましたが、九月二十八日に至って組合は次の再建案を提示しました。その再建案は、設備改善により、明年五月まで月産九千トン・ベースを維持すること。その後は新鉱開発により経営を続行すること。
なお、九月下旬以降九炭労及び炭労は交渉のあっせんを行なっております。
その後十月中旬より東京本社において交渉が行われ、この交渉には山本参議院議員及び多賀谷衆議院議員等も列席しているようであります。
この間十月十日ごろ福岡県労働部長、副知事等は
関係方面——通産省、整備事業団等の方に陳情を行なっております。
また、添田町では、十月十五日、特別
対策委員会を設けて、町会役員、町会議員、労働組合等によってこれが構成されておりますが、そうしてこの
対策に当ったのであります。
なお添田町町長等は十月初めごろ上京して、通産省、古河鉱業等に陳情を行なっております。
これらの交渉、陳情を通じまして、鉱区の譲渡の意向のないこと及び可採炭量の少いことがわかったのであります。
炭労は十月中旬の大会において上添田労組閉山反対闘争支援を含め、中小炭鉱の闘争支援のためにスト権を確立いたしました。
また十月三十一日、炭労は傘下全文部に対し上添田炭鉱売山阻止のために、十月十五日以降一時間五十分ストの準備体制を整えるように指令を出しております。
しかしながらこれらの紛争により、鉱員の労働意欲は減退して、十月の出炭量は三千トンに低下しまして、坑内状況も漸次荒廃するに至り、売山阻止闘争の完遂についての組合の自信も次第に失ってきたのであります。しかしこの間に会社側の賃金遅払いは別にありませんでした。
十一月に入り、野口副
委員長、渡辺中小
対策部長を派遣して、交渉強化に努めたが、組合側より、先ほど申し上げましたような事情によりまして、十一月七日に至って売山阻止闘争よりも条件闘争の方へその方針を転換することに決定いたしました。
なおこの間炭労では古河鉱業に対して古河鉱業より九州鉱山に鉱区を分譲するよう要請するためストライキを行うことを計画したが、不可能と見てそれをするに至らなかったと、こういう報告もきております。
十月十二日上添田炭鉱労組は、閉山に同意して会社との間に協定を結びました。
組合は十一月十三日付をもって上添田炭鉱の閉山に同意する。退職手当は、会社都合解雇の場合の額の六制増しの額を支給する。
退職に際し、特別加給金を下期期末手当を含み、一人当り七千円を支給する。解雇予告手当三十日分を支給する。有給休暇の残り日数の六〇%を支給する。帰郷旅費は
基準法
通り支給する。買上げ決定後、二カ月間は、社宅、電灯、水道は、現状
通りの利用を認める。
上添田炭鉱の十三日付閉山により、在籍従業員九百二十名中、八百三十名は同日付をもって解雇され、残余の九十名は保安要員及び
事務職員としてなお在籍しております。
なお、十一月二十四日現在では、事業整備団の方との間の売山契約は正式に締結されておりません。
労働組合は閉山
争議を通じまして
争議行為は行なっておりません。
前回山本
委員の
指摘されました前社長が八月初め売渡し申し込み申請と前後して渡米しておることは事実のようであります。
以上その後の経過並びに詳細に報告を求められておりましたのを報告いたしました。