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国務大臣(
倉石忠雄君) 私も三年前にやはりこの
法律の立法に携わったものでございますが、私どもは実はあの二十七年の大
争議を見て非常に驚いたわけであります。終戦後私どもが民主的な慣行に親しめるようになったわけでございますけれども、そこでまだわれわれがお互いに民主主義政治というものについて未熟であるので、これはひとり私は労働運動のみ責めるべきではないと思うのでして、民主主義というもののチャンピオンであるべきわれわれ
国民議員の間ですら、全く民主主義に逆行するような遺憾なる暴力沙汰などが行われるということは、これは長い歴史の上から見れば過渡的なものでありますから、それでそう民主主義議会に失望する必要はありませんが、まあそういったようなことで、労働運動もやはりよき労働慣行が成熟してきておれば、
本法に指定いたしておるようなことは全くやらないはずなのである。しばしばここで例を引いて、たまに叱られましたけれども、電労連という
電気の組合の方が私のところに申入書を持っておいでになった。その書面を見ましても、こんな
法律はなくても、われわれは自主的にこういうことはやらないということを
決定しているのだ。だからこの
法律は要らないのではないかと、こういうことでありますが、われわれの労働運動というものは、
秋山さんも御存じのように、これはもう戦時中は抑圧されておった。しかるに百年も百五十年もの長い歴史を持っておる英国や何かのような穏健な労働運動ができるなんということは期待することが無理かもしれませんが、そこであのような
一般国民大衆の利害を顧みないような大
争議が起きるということについては、今お話しになりました緊急な
事態であります。そういうことであるからして、われわれとしてはやむを得ずとういう
法律を作らなければならないのだと、
秋山さんも御存じのように、
労働法一条二項の中にただしいかなる場合でも暴力
行為をしてはならないといった意味のことを、
労働組合法を改正した場合にわれわれが入れましたときも、まことに恥しい思いをしました。
労働組合法にあんなばかなことを入れる必要はないのであります。しかも、あの当時の
社会状態においては、あの修正を必要とした。そういうような
事態であるからして、遺憾ながら、こういう
法律を作らなければならないのだ。そこで、当初、当時の政府というものは、三年たったら、もう一ぺん議会に聞けなんという案ではありませんでしたけれども、当時の改進党及び鳩山自由党でありますか、そういう
人たちから、まあ
日本の労働慣行もだんだん成熟するだろうからして、とにかく三年たったら、もう一ぺん延長するかしないかということを
国会できめるようにしようじゃないかという修正案が出まして、それが衆議院で可決されてから、議会が解散になりまして、その次の十六
国会には、政府が、三年たったら
国会に聞けということに一応同意をしたものですから、その次の提案には、その
趣旨を盛り込んで通過をいたしたのが
現行法でございます。そこで、そういうものだからもうやめてもいいではないか、こういうことになるわけでございますが、そういうものでありますから、われわれは三年間の経過を見ておりましたけれども、労働界の客観情勢は、やはり
本法の存在をもう少し必要とする、そこで今度延長の御決議を願いたい。しかしこれは、それなら一体いつまで必要だ、こういうことをよく聞かれることがありますが、それは、一日も早くよき労働慣行が成熟することを待望し、政府もそういう方向で指導する、現在の客観情勢としては、
本法の存在を必要とせざるを得ない、こういうことであります。