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国務大臣(
河野一郎君) 私が今お答えしましたのを強気にと言いますが、私はこういうことの事実を申し上げるので、決して歪曲して強気に申すとか弱気に申すとかいう考えはございません。いつも問題になりますから明確にいたしておきたいと思うの、ですが、私が春参りました際に、ブルガ一ニン氏と私と会見いたしました際に、明確に
ブルガーニン氏から私に、ロンドン
交渉において
歯舞、
色丹は
ソ連としては大譲歩をしておる。ただ
国後、
択捉の帰属については、
ソ連側としては絶対にこれ以上の譲歩はできないけれども、
日本側においてこれに了承することのできない
国民的強い感情のあることも
自分は知っておる。従ってこの決定はただいま決定することは困難であるから、これはあと回しにして、そして今ここで暫定的に取りきめをするならば、それで今
漁業交渉の今年度限りの暫定取りきめをしなくても、この方を、君がそういう権限が今ないというならば、一ぺん東京に帰って、そうしてこの取りきめをすみやかにやれば、それによって一切が片づくのじゃないかということを、
ブルガーニン氏がいうたのであります。この点は明確に
自分は記憶しております。その後
ソ連側において私の記憶が間違っていると指摘した人は一人もございません。今回
ソ連に参りましても、常にこの
主張を続けております。ただ一点私が遺憾に思いますことは、こういう記憶でございますけれども、その後二日後に
ソ連側が暫定取りきめをするならばしてやろうと言った、そのときの
ブルガーニン氏の言明を、(曾祢益君「
漁業協定」と述ぶ)そうです、してやろうということを、取り消しております、二日後に。そこで私はそれならば
決裂するということをいうたのであります。そういうことでございますから、これは
ブルガーニン氏のが最高
会議の決定でもございませんし、従ってそれはどういういきさつになっておるか知らぬが、そういう事実のあったことは今でも私は明確に記憶いたしております。そこでこのことは
重光外務大臣が
モスクワにおいでになっておりますときに、まだお帰りになる前に、私はたまたまチフヴィンスキー氏と会いました際に、チフヴィンスキー氏にこの
主張をいたしました。この立場を
ソ連が変えてくれては困る、
日本の方においてもこういう
ブルガーニン氏の
態度をもとにしてわれわれは
日ソ交渉をすみやかにやったらよかろうということを言っておるのにもかかわらず、
ソ連側が
外務大臣に
主張しておられるところはどうも違うということを、私はチフヴィンスキー氏に強く言いました。これを再確認してくれるならば、ここに
日ソ間の
交渉はまたあらためて軌道に乗る場合があるかもしれんけれども、そうでなければ困難であるということを私はチフヴィンスキー氏と雑談いたしました。もし
重光外務大臣が今とっておられる
態度、それは
日本の
政府がとっている
態度、この
態度を変えて、もう一ぺん
交渉を
再開しようというならば、
ソ連側においてこの
態度をまず了承をしてもらうことが必要である、その点について
ブルガーニン氏はどういうことを考えておられるのか、一つ君、僕のいうことをそのまま
ブルガーニン氏に伝えてくれということをチフヴィンスキー氏とたまたま会談したときに一それをもっと明確に申しますれば、そのときにチフヴィンスキー氏は、ソビエトの
日本における運転手その他の用員の問題を何とかあっせんしてくれということで私をたずねて参られました際に私が申しました。それに引き続いて、君のいう
通りすぐに
モスクワに電報を打って
モスクワからこういう返事がありましたということで三回ばかりやり取りをいたしました。その結果、今
鳩山首相の書簡について、
歯舞、
色丹その他の
領土問題について
先方が了承しておるとかおらぬとかいうような曾祢さんからお話がありましたけれども、私はそのチフヴオンスキー氏と三回にわたる前後の話において、そういう点を引き続き
主張いたしました。その確認に努力をいたしました。ところが
先方の通訳でございましたから、これはただ私は私的に懇談いたしたのでございます。これは論拠にも
根拠にもできませんから、そこであらためて二人で話し合って、その
結論を正式の
文書にしてお送りすることが一番妥当であろう、それによって正式の
文書をお前さんの方からくれるならば、そこで初めてここに
再開のめどが立っていくだろうと、こう申しましたところが、大へんけっこうだということを
向うから申しましたので、総理に報告しました。そこで総理が
文書を出そうということになっておりますので、決して私はその間に
日本の方においてその点において
主張を怠ったとか、もしくは退歩したとかいうような事実はないわけであります。そこで私は今回
モスクワに参りますに当りまして、この点から
主張する必要があるという意味からいたしまして、
モスクワに到着後一番早い機会に、当時この
ブルガーニン氏と私との会談に立ち合いましたイシコフ
漁業大臣を訪問いたしまして、当時の
話し合いをそのままいたしました。その後、これがいろいろ誤認され、誤伝されておることははなはだ遺憾でありますが、それはどうかということで、イシコフ氏の再確認を求めて、その実情をそのまま
ブルガーニン氏に伝えて、これを
出発点にして
話し合いたいということを申し出を私はいたしました。それからなお、だんだんイシコフ氏をして
ブルガーニン氏もしくは最高
首脳部に伝え、そして
先方の最高
首脳部といろいろやりとりをいたしたことがございます。今お話のように
歯舞、
色丹がどうなっている、
国後、
択捉がどうなっているかというようなことは、先ほど来
松本君からもお話もありましたが、また
外務大臣も申されます
通りに、現在の状態におきましては、
ソ連側にしては、
国後、
択捉を
日本側に譲るということについては非常に強い反対の意思を持っております。しかし、われわれの方としては、これを
日本側に帰属させることでなければ、
両国間の
国交の
正常化を期し、
両国間の友好
関係を結ぶということは非常に困難だということについては、
先方も十分了解をしております。従って、これを今にわかにいずれに帰属するかどうするかということを決定するということは困難であります。わが方としてもこれを
ソ連側のものだということに同意をすることは、これはとうてい了承できない。
先方もこれを決定することの困難なことを十分
承知しているわけであります。そこで、最終的に、
共同宣言になって
結論が出ておるということで御了承をいただきたいと思うのであります。従って、将来どういう場合にどういう
政府のどういう人が
交渉をされる場合にも、その間に、たびたび私が申していることでございますが、何らこれを制約すべき、わが方の
主張を制約すべき何らの
約束もありませんし、何ら裏に
言質もないということをはっきり申し上げておきたい、こう申す次第であります。