○中崎
委員 病躯をひっさげてはるばるモスクワに使いして、冷たい待遇を受けながら、帰途アメリカに立ち寄って、隷属
国家としての報告とその了解を得て故国に帰り、一応の任務を果されましたことについては、慰労の言葉を呈するのにやぶさかでないのであります。
日ソ交渉の
妥結というものは、わが
社会党が終始一貫熱心に主張してきたところでありまして、むしろ、われわれの側から言えば、今回の
妥結がおそかったということを遺憾に思うくらいであります。すなわち、
鳩山総理の優柔不断であったということ、政治力の欠除しておったということ、並びに
内閣において、また自民党の内部において、アメリカ追従の
考え方を持った論者の力が相当に強くて、その牽制を受けて、じんぜん今日に至ったとも言うべきと思うのであります。そうしたことについては、私たち非常に遺憾に思っているのであります。以下そうしたような
考え方の上に立って、
総理以下に
質問をしたいと思うのであります。
まず第一に、私たちは、
日ソ交渉に関する問題をきわめて重要視いたしまして、これがすみやかに国論を統一して、しかも
政府の所信を
国会を通じて
国民に明らかにすべきものであるという
考え方の上に立ちまして、憲法第五十三条によるところの
国会召集の成規の手続をしたのでございましたが、遺憾ながら
政府はこれを拒否して参りました。ときあたかも、参議院の選挙も終りまして、参議院の構成の上からいうても、すみやかに
国会が開会されることが必要であるというふうな
考え方をもって、参議院側からもまた強い要請があったのでございますが、これとても顧みないままに、最近ようやくこの臨時
国会が召集されたというふうなことにつきましては、きわめて遺憾に
考えているような次第であります。
そこで、その後の経過を見ますと、全権を選び方の点につきましても、佐藤尚武氏を初めとする幾多の全権決定までの間において不手ぎわを来たしたというようなことについても、
日ソ交渉の上において、国の内外に非常に好ましくないような印象を与えているというようなことも、また見のがすことができないと
考えておるのであります。
そこでいやしくも重大なこの外交
交渉をやられるに当っては、まず国論の統一をされる必要があったと思うのでありますが、それがついに国論の統一を見ないままに、
ソ連に行かれて
交渉もされ、今日に至っておるということは、非常に遺憾であると同時に、元来この
鳩山内閣は、
日ソ交渉をもって
内閣の一枚看板といいますか、大きな
一つの方針として進んできておられたのでありますが、その外交
交渉なり、方針を実行する上において、一番重要な
立場にあるところの
重光外務大臣との間に、終始、意見の重要な点についての食い違いがあったということは、
国民がひとしく認めておるところでありまして、
内閣の権威と信用を著しく失墜せしたものだと
考えなけたばならぬと思うのであります。それが組閣の点において、閣僚指名の点において
一つのそごがあったと同時に、その後二年近い長い間にわたる監督の点においても、また遺憾であったということが言えると思うのであります。
こうした
考え方の上に立ちまして、まず
外務大臣に
質問してみたいと思うのでございますが、そうしたようなことについて、いわば
総理の
日ソ交渉を進める上において相当違った
考えを持たれた。ことにアメリカにあまり気がねするといいますか、アメリカに追従し過ぎて、ややもすればブレーキ役を勤めて、最近といいますか、
最後におけるモスクワの腹をきめられるまでの経過から見て、そういうふうな強い印象を
国民は受けた。そうしたようなことが、外相として十分
鳩山内閣の施策を行う上において、責任を果されたとお
考えになっておるかどうか。そうして、ことにモスクワに全権として行かれた
最後の、あの
領土に関する
ソ連の
要求をのみ込まざるを得なくなったという、その決意をされた点が、
内閣によって拒否された。そうしたような重大な点について、意見が異なっておるということについて、一体どういうように
考えておられるか。そうしてその後におけるところの
重光外務大臣の個人的な感情を交えたところの声明発表、行動等が、内外においていろいろ批判を受けておる。これと同時に、
日本国民としても憂慮にたえないというふうな、実に目に余るような事態がしばしばあったというふうに
考えておるのでございますが、こういうふうな点に対して、どういうようにお
考えになっておるか。そのような三つの点について、まず
重光外務大臣の所信をお聞きしたいのであります。