○北澤
委員 総理の御都合もあるようですから、
総理に対する
質問はなるだけまとめてやります。そのあとで他の閣僚に対する
質問をいたしたいと思います。第二次
世界大戦が終りましてから十年余になるわけでありますが、歴史を見ましても、大体大きな
戦争のあと十年くらいたてば
世界の
情勢が大きく動くというのが普通であります。今回は、御
承知のように、中近東の問題、東ヨーロッパの問題を中心としまして、この
世界の
情勢が非常に大きく動いておりまして、特に今回は、
世界の出大国の中のイギリス、フランス、
ソ連この三大国が直接
関係をしておるというところに、私は大きな意義があると思うのであります。そういうわけで現在の国際
情勢は大きく動いておるわけであります。この大きな
情勢の動きに比しまして、
日本がどういう内外政策をとるかということは、まことに重大な問題であるわけでありますがこのときに当りまして、
日本が終戦以来初めて
世界の共産圏諸国の指導的
立場にある
ソ連との間に
国交の回復をするということは、
日本の外交に
一つの大きな新局面を開くわけでありまして、
日本の内外に及ぼす影響もすこぶる重大なのであります。そういうわけで、
国民のこれに対する関心も非常に深いものがあると思いますので、私はこの
国会を通じまして、この問題に対する
真相をなるべく詳しく
国民に周知することが、この際最も必要だという考えで、お尋ねをするわけであります。どうぞ率直明快にお答えを願いたいと思います。
そこで、申し上げたいのでありますが、
日ソ交渉に関する私
どもの根本的な
考え方は、なるべくすみやかに
ソ連との間に
国交を回復するということにつきましては、全然賛成でございます。
日本としまして
世界のすべての国と正常な外交
関係を持つということは当然のことでありますので、私
どもは、そういう意味におきましてなるべくすみやかに
ソ連との間に
国交を回復するということにつきまして賛成であります。問題は、その
国交を回復する場合、どういう時期にするか、あるいはどういう方法でするか、あるいはどういう
条件、どういう内容において
国交の回復をするかということが、私は問題だと思うのであります。なるべく有利な
条件、なるべく有利な時期において
国交を回復するということが、当然
日本として考えなければならない問題でありまして、こういう点について、私
どもは、できるだけ
日本の
立場を考えて、慎重にこれに当らなければならないということを、実は
主張して参ったわけであります。
そこで、まず
日ソ交渉、日ソの
国交回復の時期の問題についてお尋ねしたいのでありますが、日ソの
交渉を進めるに当りましては、内外の
情勢をできるだけ正確に把握して、
日本の
立場をできるだけ有利にするように考えるべきことは当然であります。しからば、
政府は、今回の
日ソ交渉を進めるに当りまして、先ほど申しましたような中近東あるいは東ヨーロッパにおきます
情勢を中心とした大きな国際
情勢の変化、あるいは
ソ連の国内
情勢の動向、ころいうものを十分研究をされて、その基礎の上に立って
日ソ交渉を進められたかどうかという点を伺いたいのであります。偶然の一致かどうかわかりませんが、十月十九日に日ソ
共同宣言に調印をされた。その次の日の十月二十日には、ポーランドの自由化に関連しまして、
ソ連とポーランドの間に紛争が起った。フルシチョフその他
ソ連の指導者がポーランドのワルソーに急行した。さらにそれが進んでハンガリーの問題となり、さらに進んでほかの衛星諸国の国内
情勢にも大きな影響を与え、さらに進んでは、スエズ運河問題に関連しまして、イギリス、フランスが兵を出すという状態になったわけなのであります。そこで、まず
ソ連は、そういう
情勢の変化を頭に置いて、日ソの
交渉妥結を急いだのではないかという疑いも私
どもは持つのであります。御
承知のように、
日本が、
戦争前にノモンハソの事件がありまして、
日本の方ではなるべく早くノモンハンの停戦をやろうと思ったのですが、なかなか
ソ連が
日本の
要求をいれない。ところが、突然
ソ連の方で
日本の
要求をいれて、ノモンハンの停戦
協定が成立するやいなや、直ちに
ソ連はポーランドに兵を入れて、ドイツとポーランドを分割した、こういう前例もあるわけであります。そういうわけで、私
どもは、日ソの
交渉につきましては、そういう
世界の大きな動きを常にながめながら
交渉を進める必要があると思うのでありますが、今回の
交渉に当りましては、
政府はそういう
情勢を十分に考えて
交渉を進めたかどうか、まずこの点についてお伺いしたいと思います。